このごろ思うこと

このごろ思うこと

孫誕生 1998年2月



 去年の12月29日初孫が授かりました。孫は可愛いと聞いてはいましたが、こんなにもいとけない命と毎日接することの出来る幸せをかみしめています。

 娘は幼い頃から両親の修羅場を見て育った為、男女関係に臆病で、高校・大学と同性のお友達とばかり遊び、社会人になってさえ、娘の口からボーイフレンドやまして恋人の話が出ることはありませんでした。

 「好きな人が出来たら自分の方から積極的にいかないと、じっと待っているだけでは何も起きないわよ」と言ったことさえありました。そんな娘がはじめて好きになった人は何と妻子のある人でした。

 幸せそうに彼の話をする娘に、心からよかったねと声援を送りました。恋を知った娘はキラキラと輝いて綺麗になっていきました。娘から妻子ある、かなり歳の離れた人とおつき合いを始めたと聞いても、私は彼女のハートチャクラを開いてくれたことに感謝こそすれ、いけないことだとは思いませんでした。子供の頃のつらい体験から、自分の内側に入り、宇宙の真理を探していた娘にとって、同じくらいの年齢の人では満足できなかったのでしょう。

  結婚願望の全くない娘に「せっかく女性を選んでこの生を体験するために来たのだから、結婚はしなくても子供は産んだ方がいいよ」とよく言ってはいたのですが、実際に「妊娠した。一人で産んで育てるつもりだけど可能な限りサポートして欲しい」と頼まれたときは思考が駆け巡り、さすがの私も即座にOKとは言えませんでした。

  「一人で育てるって簡単に言うけど、経済的に何の保証もないのにどうするつもりなの」などと言ってしまいました。長い間の思考のクセで、子供を育てるにはお金がなくてはならないと、まだまだ握っている自分に気づかされました。時間は直線上に続いていると錯覚して、将来の心配をしてしまうようです。

 娘は「必要なお金は必ず来る」信じて疑わないのです。人様にアドバイスするときはそう言っているのに、自分のこととなると思考がマイナスに行きがちです。自分を見つめ直すいい機会になりました。心配より新しい命の誕生への期待の方がふくらみ、この命の誕生と成長へとスイッチが入りました。

  娘は彼の家庭を壊すつもりも、彼に援助してもらうつもりもない、ただ父親に喜んで貰えずに産まれてくるのは可哀想だといって、彼に産むことを承知してもらったようでした。

  会社を辞めて、私の仕事を手伝いながらヒーリングやカウンセリングを学び始めた頃の妊娠だったので、子供を育てながら仕事が出来るように、事務所をオフィス街のビルから一戸建ての家へ移すことを決め、家探しから始めました。ハッキリと選択するとその時から道は開けます。津留も賛成してくれました。

 事務所を世田谷に選んだのは、近くに世田谷バースハウスという自分が選んだお産をサポートしてくれる産院があることも大きな要素でした。

 次の難関が娘の父、私の夫への報告でした。ボーイフレンドがいることさえ知らなかった主人は、娘から「子供が出来たので一人で産んで育てるつもりです。相手の人と結婚するつもりも、同居するつもりもありません」と聞かされ、青天の霹靂でした。

 精神世界のことも、自分が娘の心を傷つけてきたことも全く認識していない主人は、娘に面と向かって抵抗や反抗をされたことがない為、世間的な意味でいい娘だと信じていたのですから・・・。でも時間をかけて話して行くうちに、だんだん認めてくれるようになりました。この事は初めて心の問題を深く話し合ういい機会になりました。

  主人は若いうちから地方議員になり、世間体ばかり気にする権力志向の強い人です。私は自分らしく生きることが許されず、疲れ果て神経症に悩まされ、我慢の限界まできて6年前家を出ました。働いたことがなかった私は、心は死んでいたのに肉体が自分だと信じていたので、お金がないと生きていけないとずっと我慢をしていたのです。人間は限界まで来ると自然に反転するもののようです。今、どん底だと苦しんでいらっしゃる方も、今は必要があってその体験をしているのです。もう少しいくとパッと反転して思いのままに生きられるようになりますから、今、充分にその葛藤を味わいつくして下さい。

 家出した2日後に、近所のレストランの張り紙を見て面接に行った私は、その日から働きだしました。誰も知らない町で働いて、一人で生きるのは本当にワクワクするほど楽しいものでした。

 その後、弟(津留晃一)の仕事を手伝うようになり、精神世界を知ったというわけです。そして自分を縛っていたものが一つ一つ取れていき、軽くなり、最後の鏡の主人のことが「この人もただ自分を表現しているだけなんだ。今、彼にとってこの状態を体験する必要があって、体験しているのだから、何一つ変える必要はないんだ」と心から思えるようになったとき、3年振りに家へ帰ることが出来ました。3年間離婚されなかったという事はこの主人との学びがまだ残っているということでしょう。

 娘はアクティブバースの講習会へ参加したり、マタニティヨーガとマタニティ整体に通ったり、またとないマタニティライフを味わいつくしているようでした。

 陣痛のメカニズムを知ることによって、痛みを嫌うのではなく、子宮が収縮することで赤ちゃんを産みだしてくれているのだと子宮に感謝し、イメジェリーでリラックスしながら陣痛の波に乗り、静かで感動的な水中出産でした。頭が出てきたとき、赤ちゃんが自分で首を2、3回まわし、どの位置で出ようかと決めてから一瞬うちにこの地球に自分の力で出てきてくれた時は感激しました。助産婦さんからも「意志的な静かなお産でしたね」と誉めていただきました。

 世間体を気にする主人が、「このことで票がへるようなら、他で頑張って票をふやすから大丈夫」と言ってくれました。そして孫はおじいちゃんの希望に星になりました。


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