2005.08.05
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テーマ: 在宅介護(1589)
カテゴリ: 帰国後、介護編
むかしむかし
あるところに2人の親子がありました。

親子は馬を引いて旅をしていました。

ある村にたどり着いたとき
親が馬に乗り、子供が馬を引いていると
村人が言いました
「子供に馬を引かせるとはなんという親だ!」

すると親は子供を馬に乗せ、親は馬を引きました。

次の村にたどり着くと
村人が言いました
「親に馬を引かせるなんてなんという子供だ!」

親子は困って、馬を捨ててしまいました。



「もし呼吸器をつけないなら余命はあと一年無いでしょう」と医者に言われました。


ここ2日間
これからの自分、介護
ずいぶん悩んでずいぶん喧嘩しました。



私、働きます。
派遣社員でフルタイムで働く。
家で母をずっと介護することも
バイトしながら介護に重点をおいて生活することも考えましたが
外に出て、ちゃんと働いて、家でも介護して
母の支えになっていきます。
無理でも大変でも、やってやろう。

「鬱は死にたい病」と姉に言われて
母だって死に至る病で。。
命の重さ、ものすごく苦しい決断でした。
一人になってしまったらどうしようと
何度も悩みました。

優先順位をつけたら命が一番重くて、未来も怖くて
誰かに後ろ指、指されるかもしれないけど

私が介護だけしたって
母は人工呼吸器を選ぶわけがない

親が自由に生きなければ
子供は自由に生きられない
でも子供が自由に生きていたら
親も自由に生きられる。

私を犠牲にしたくないという母の願い
1年くらいしかないなら、傍に居たい娘の想い。

何より、自分らしく生きて
それを見せ付けて
お母さんにもお母さんらしく人生を全うしてほしい。

「人工呼吸器を着けたらお金の問題も出てくる。
 つけるなら、自分の病を売り物にしてでも
 がむしゃらに生きていかなきゃいけない。」
それができなければ、つけられないと医者が言いました。

母の顔には「そんなことはできない」と書いてあった。

でもお母さんは、父と別居したときに
「掃除婦だって、スーパーの仕事だって何でもやる」とがむしゃらになっていたのだから。
今度は娘たちのためでなく、自分のためにがむしゃらになってほしい。

私も、ちゃんとお母さんがC型肝炎で入院していたときのように
お姉ちゃんと頼りあいながらやっていくから
お姉ちゃんも、お母さんも自分らしく生きていってほしい。

親不孝者って言われるかもしれないけど
これが一番私らしい決断だと思う。
どっちを選んだって悔しい思いをする。
どっちも取れるならどっちも取りたいけど。

これが私の、今まで生きてきた25年間で一番大きな決断です。
間違ってても、後ろ指さされても。





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Last updated  2005.08.06 01:38:42
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