2000年前半~2001年前半
精神的影響で身体に様々な症状が出てきた時期
微熱・発汗・不眠・食欲不振など、初めは風邪と思って内科を受診。
2~3ヶ月に一度通うような生活だった。
内科に通っても症状は良くならなかったので、会社の身体検査とは別に精密検査を
受けることに。でも結果異常なし。
ちょっと忙しかったから、調子悪かったんだろうと自分は思い込み、
心療内科・精神科の診察を受ける考えは、まったくなかった。
そのまま我慢するような生活を送った。
当時、上の子は幼稚園年長・下の子は3歳
僕は増大した仕事のことや育児、余計な地域活動・奉仕活動など、
思い通りに進められない事で、イライラすることが多かった。
僕は、嫁さん・子供に辛くあたる厳しい存在だった。
今、思えばこの時ちゃんとした病院に行っていれば、後に重くなる事もなかったように
思うも、今となっては遠い過去の他人事。
2001年中期
我慢しながら生活しているも、身体は正直だった。
以前から続く症状に加え、震え・不安が増し、不眠も酷くなった。
そして、この頃からまともに食事が取れなくなる。
初めは朝・昼が取れなくなった。
朝はそう食べる方ではなかったのだけれど、昼も食欲が出ない。
これでは体が持たないと、自覚してるんだけど喉を通らない。
職場ではみんなで昼食を食べていたので、一人食べないで居るととオカシク思われると思い、
毎日、サンドイッチとカップスープを買い、カップスープを何とか飲み、
サンドイッチは空のカップと一緒に、いつも捨てていた。
この辺で、人の目を必要以上に気になり出している。
それでも会社に行かなければ、
仕事が回らない。
仕事が止まっちまう。
みんなが困っちまう。
更には、みんなの家族が困っちまう。
そんな事ばかり気にしていた。
こんな調子だったので体力が持つはずもなく、ある程度めどが付いたら、
早退する日も出てくるようになった。
そんな日を過ごすうちに、今度は夕食も手が出ないようになってしまった。
「食欲ないんだよ」と言いながら、ご飯を
最初は「少なめでお願い」が「半分」・「ちょっと」・「メシいらない」と変わって行き、
それでも自分は何か食べなければとの思いから、味噌汁だけは飲んでいた。
米などの固形物はスグに吐く、スープ・味噌汁も気持ち悪いの頑張って飲む、
もう立派な摂食障害だった。
この頃、嫁さんはまた病院行ったらと言うが、
内科や検査で異常無かったんだ、「行っても変わんねえよ」と
僕は返事していた。
そんな生活がしばらく続くと、今度は朝が起きられなくなった。
当然だった。
ご飯は食べられない・食べても吐く・眠れない・日増しに増える緊張。
決まった時間に眠れないのに、一度寝ようものなら、
疲れが一気に出て昏睡状態、決まった時間に起きる事は不可能だった。
そうなると朝、出社してこないので家に、電話がガンガンに掛かって来るようになる。
代わりの人が居ればその人に頼む、という事も出来たのかも知れないが、
僕にしか出来ない仕事なので、そんな人は居ない。
普通だったら、ここでクビだったのだろう。
クビだったらクビで良いと、何度思った事だろうか。
僕にはヤメルとか逃げると言う、選択肢が用意されてないのだから。
当然、会社も動かなくなるなるので、会社から電話する人も必死だった。
「何とかお願いします」
「今日中に出来ませんか」
「間に合わないんです、お願いです」
こんな電話が毎日来るようになり、僕自身は電話自体すでに嫌になっていたが、
電話を取る嫁さんも嫌な顔をするようになる。
それでも、僕しか出来ないという思いと、迷惑掛けて申し訳ないと言う思いで、
体調を無視するように、朝晩休日問わず会社に行っては仕事を進めた。
ただ24時間働き続ける事は不可能だけど、24時間の12時間・8時間と考えれば、
仕事を出来ない事も無いと思っていたし、フレックスタイムは導入してなかったけど、
その拡大解釈と思えば、と勝手に考え仕事は進めた。
出勤拒否は無かった。
それだけ仕事に誇りを持っていたし、長年やってきた自身もあったし、
何より会社を愛していたし。
そんな中、ある事に気付く。
昼から出勤して深夜仕事している時や、休日出勤している時、
僕以外誰も居ない職場に、ストレスを感じていない自分に気付く。
問い合わせの電話・くだらない相談・他人の失敗のケツもち・・・・人の目。
余計なものを省くと、こうも仕事が進むのかと実感する。
そしておかしな事にそういう時、麺類などの食事は出来、僕自身も安堵感を、
感じていた。
それから僕は好んで深夜・休日に仕事をするようになった。
こうなってくると今度は、家庭生活の方がギクシャクしてくる。
子供は上が小学1年生で、下が4歳、来年幼稚園。
初めてとは言え学校行事だけならまだしも、その地方の地域活動はかなり活発であり、
土日にそう言った活動が多かった。
僕が土日に会社へ行ってしまうと、嫁さんが行く事になる。
「どうしてもダメなら私が出るけど・・・」と言う嫁さん。
十分理解してるし、僕が出るべきだと言う事も判っている。
活動の種類によっては半日以上、小さい子供2人だけで家に留守番させなければならない。
そんな事、させたくない・させられない。
どこの親でもそう思うだろう。
僕も出来る限り協力したが、どーしても会社を取らなければならない時がある。
時として嫁さんに一方的に押し付け、会社へ行った事もあった。
当然、嫁さんは、
「子供の事心配じゃないの」
「どー言う神経してるの」
「まったくもう」
と言ってくる。
当たり前だ。
自分でも良く判っていた。
でも前述したような状態で、会社に行く僕はもうどーする事も出来なくなっていた。
売り言葉に買い言葉。
つまらないことで、しょっちゅう口喧嘩するようになった。
地域の活動を休む時は罰金を払えば良い、と言う手段もあったけど、
仕事の為に移り住んだ、地域社会の土地。
「金で解決出来るなら金で解決しろ、時間は金で買えねーんだから」
と嫁さんに言い放つ僕。
この地域社会では罰金は建前で、本音は強制参加。
毎回は通じない。
いや通す事は出来ても、住み続けることは不可能だろう。
その上、
学校も幼稚園も遠い・近所にスーパーが無い・車がないと何処にも行けない。
夜は暗い、バスも電車も1時間に1本・時間によっては無い、友達も居ない。
生まれも育ちもここの人なら、何不自由ないのかもしれないが、
僕たちには不満だらけであった。
ただ僕は、不満以上に仕事という理由があったので、それも受け入れたつもりだった。
しかし嫁さんは、その地で数人の浅い友達が出来るものの、
本音を言える人は、僕と子供しか居なかった。
県外への遠距離通話もバカにならなかったし、嫁さんも随分悩んでいた時期だった。
そんなら引越しすば、良いだろうと言われるかもしれないが、
実際に嫁さんから、引っ越そうと言われ続けた。
でも僕はそれを拒んだ。
「ココは事業所巡回するのに近くて良いんだ」
嫁さんが鬱になってもおかしくないんだけど、ならなくて良かった。
既におかしくなっていた僕は、
嫁さん・子供はもちろん、自分の事すら見えなくなっていたから。
つづく


