2001年夏

2001年中期後半


会社・地域社会・家庭、に振り回されて、自分を見失った僕は更に症状が悪化していく。



見失ったと言っても、まだ心の片隅に「このままじゃいけない」という気持ちは、



残っていたんだと思う。



その心があったからこそ行き場のない僕は、更に予期不安を増長し強迫観念に縛られながら、



一人の仕事に没頭していったのだろう。





しかし、会社はそのままで済むはずがなかった。



いくら特有の知識・技術を持っていると言っても、いつまでも一人だけ特別に扱う事はしない。



アレだけ忙しかった時期が一段落すると、手のひらを返したように言い寄ってくる。



「どういうつもりだ」 (もー僕にも判らん)



「日々の生活がなってないからだ」 (どーにもならん)



「遊びすぎなんだよ」 (遊び方忘れた)



「会社の事考えてるのか?」 (考えすぎてるよ)



まぁ、当たり前の事である。



僕はそんな事も承知の上で、自責の念に駆られながら仕事してたんだから。



僕は心の中で、



「クビにしてくれ」



と念仏のように唱え、



「なんとか努力してみます」



と言う、裏返しの返事しか出来なかった。



自分も言いたい事は山ほどあったのだろうが、既に言う気力も無くなっていた。



NOもいいえも面倒くさい。



話して通じるものではないと、全てを諦めていたんだと思う。



そんな自分に虚しさを感じながら同時に苛立ちを覚え、自分を攻撃するようになった。



この頃はもう表面的な感情をコントロール出来なくなり、



人前でも涙を流すようになっていた。





この間に、いきなり嫁さんにハンコを押した離婚届を渡し、離婚してくれと頼んだり、



聞いてくれないと新幹線に飛び乗り、嫁さんのお母さんに僕との離婚を頼むようにと、



言いに行ったり、一人で住みたいとか言い出してみたり、家に帰らなかったり、



子供を必要以上に叱ったり、夜中に一人飛び出して行ったり・・・



無意識が支配を始めた頃だった。





そんな中、奇行や身体症状が悪化していく僕を見かねて、タウンページで調べた、



心療内科の診察を嫁さんに勧められ、行く事に。



この頃は、やっと車の運転をするような状態だった。



動悸も激しく嫌な汗をかきながら、1時間運転するのが苦痛だったのを覚えてる。



病院は脳神経を看板に掲げる大病院だった。



この手の病院初めての僕は、緊張した。



しかしながら診察は思っていたより、アッサリというのが実感だった。



と言うか、僕が症状・状態をうまく伝えられないだけだったんだけど。



本心を隠す事に、必死になっていたのかもしれない。



自分では頑張って平然を装った。



もう頑張りどころを間違っている。





医者も今一把握できない様子で、ストレス溜まっているんでしょうみたいな事言って、



初めての眠剤を3日分もらって、また激しい動悸と嫌な汗をかいて家に帰った。



その日、もらった眠剤を飲んだがマッタク効かなかった(薬名を忘れてしまった)。



もうそんな状態じゃなかったんだろう。



翌日、会社に心療内科に行った旨を伝え、2~3日休むと連絡を入れた。



連絡当日の夜、心配になって社長が家に来た。



僕は、もう会社の人間に会うのも嫌になっていたが、頑張って平然を装う事しかなかった。



「ゆっくりしたらいい」なんて言われるも、



「ココ何日かは急ぎの仕事入らないの判ってるから、病院行ったんだよ」



「言われなくたって休むよ、早く帰れ」



なんて心の中でつぶやく。



もう僕の心の中は、歪みきっていた。



同時に会社への愛は急激に薄れ、その反動、



憎悪へと変化しようとしていた時期でもあった。





3日会社を休んでも、体や心に安らぎは無い。



3日分の仕事が溜まって、また急がされるだけだ。



その3日後、出社。



それから僕は、一気に崩れ落ちた。



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