それでも世界はよくなるプロジェクト。

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「彼女は夢を達成していた!」-僕の日記-


しかも、かなり信念が強く、いまどきの大学生っぽくなかったのです。彼女は相川七瀬にとても似ているので、よく言われていました。しかし、彼女は「似てないですよっ!(怒)」
と言います。彼女はかなり個性を尊重していました。
自分だけの個性だけではなく、他人の個性もです。
しかし、周りの女性からは、「なに~、あのプライドの高さ!」
といわれていました。彼女がイギリスに来たのは、自分の尊敬する先生がイギリスに留学していたからです。でも、実際来てみて、打ちのめされたそうです。イギリスの生活も、自分の英語力のなさも痛感していました。毎日毎日図書館で勉強ばかりしていました。
僕は彼女のことは、女性として好きなのではなく、人間として好きでした。だから、何とか彼女にイギリスの滞在が楽しくあってほしいと努力しました。
 ある日、みんなでパブに行ったとき、彼女とじっくり話しました。今の生活がとてもつらいこと。
自分に厳しいから、それでも逃げたくないこと。
頑固なこと。
完ぺき主義なこと。
最近までの僕の価値観と似ていました。もしも前世がほんとにあったら、僕たちは同じ人間だったのかもしれない、と感じたくらいです。
「自分に厳しくあらねばならない」
彼女のことがとてもわかりました。彼女は、小学校の頃からスチュワーデスになりたいとおもっていました。それは「スチュワーデス物語」に影響されたそうです。絶対JALじゃなきゃいやだと言ってました。とっても頑固。彼女の悩みを聞いてると、彼女は段々心を開いてくれました。そして、彼女が帰る日、見送りにいきました。
 そして、僕がイギリスから帰って、アイルランドに行く1999年7月に、東京で彼女と会うことになりました。僕は山形出身なので、ちゃんとした標準語も話せず、とてもオシャレな女性の前だったので、緊張しました。彼女はボソッと「私の知ってるタカ(ニックネーム)じゃない・・・」と言っていたのを、僕は聞いてしまいました・・・。
 僕は彼女に、「方言で話したら」と勧められましたが、そんな勇気はありませんでした。イギリスにいた自由奔放な自分と、まったく正反対の自分で、悔しかったです。
そして彼女と別れたとき、彼女との文通も関係もなくなりました。
 4年後・・・、僕は去年の11月に、彼女に手紙を書きました。やっと自分のやりたいことがわかってきた頃です。インドの写真も入て、「よ~し」と思ったとき、彼女の住所がわからないのです。学生時代の住所はわかっていたのですが・・・。僕は上智大学の学生課に行って、教えてほしいと頼みましたが、断られました。それでもあきらめず、彼女が以前住んでいたアパートに行きました。そして大家さんに聞こうと思ったら、同じ住所が三つありました。近くの不動産屋に行って聞いたら、「取り立てですか・・・?」といわれました。ここまでくると、半分ストーカー扱いです。彼女はJAL系列のホテルに勤めているといっていたので、メールを送りましたが、そのような方はいないと返事がきました。ちなみに、彼女の卒業の時は、一人もJALではスチュワーデスを募集していませんでした。彼女は落胆していました。年齢制限は24歳まで。絶望的です。僕も結局手紙を送ることはできませんでした。
 そして、月日は流れ、今日8月20日、青山学院の購買会に行きました。別段興味はなかったのですが、スチュワーデスの面接本を見ました。
そしたら!?
な、な、なんと!

彼女がインタビューされていたのです!!!

びっくりしました。「うそ~!」と叫んでしまいました。しかもJALウェイズ。
2001年既卒採用でした。スチュワーデスは、超難関。しかもJALはかなり難関。
写真に写っていた彼女の笑顔は充実していました。(ここで実名を挙げることはできませんが、『スチュワーデス スチュワード受験面接の本』イカロス出版のP.16ページを見てみてください。)
彼女はよく言っていました。
「死ぬんだったら、空で死にたい・・・」
僕の手紙が彼女に届く日もそう遠くないようです。
P.S.
彼女はプロのスチュワーデスになっている頃、僕はプロのビジネス・オーナーになっているだろう。


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