それでも世界はよくなるプロジェクト。
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僕は理不尽というものがどうも受け入れがたい。理不尽とは、道理に反してまかり通ることだとすると、筋が通っていないことには反発心がでるようだ。しかし、社会にでれば、理不尽だらけ。人間の中で、上下関係がある限り、理不尽というものはなくならない。色んな年齢の上司の下で働いてきたが、パーフェクトな人がいないのと同じように、パーフェクトな上司は存在しないし、自分もなれない。どこかで必ず理不尽な行動に腹を立てている。部活でも先輩は権限の強いものだから、理不尽がまかり通る。結局このような理不尽はなくならないということがわかった。なら、その理不尽をいいものと捉えられないのか?トップダウンの指示に、「現場をもっと見ろ!」といいたくなるが、もっと自分がフットワークの軽い人間になれるような学びの場と捉えたい。結局いきなり指示は来るのだから、いつも余裕は持たなくてはならない。そして、できることとできないことを検討する。できないことは他の人に頼むか、上司にそのまま報告する。(とりあえず演技も入れないといけない。)理不尽は無い方がおかしい、あって当たり前と思うと、少しは余裕もできるし、対処の仕方もいく通りもできる。この上司はいつも理不尽なんだから!と嘆いた後でもかまわない。上司という立場上しかたがない。自分が上に立ったとき「あ~、彼に結構ふたんかけてるなぁ~」と感じられなかったら、危険信号だ。いい上司にはなれないが、気付いてねぎらえる上司に自分がなろう。
2008.05.14
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