ゆるゆるといこう

ゆるゆるといこう

言葉の遅い子のこと


ほとんどが、植物の発芽に例えると言葉がでるまでの
根をしっかり張る期間が長い子のことが多いため
あまり心配ない大丈夫と言われ続けます。
でも、実際には上手く根が張れない子、
だからこそ特別な配慮の必要な子もいるわけで、
それ考えたら「心配しなくても大丈夫、2才3才になったら
きっとしゃべっているから気にしないで」は
どうなんでしょう。無責任な励ましにも思います。

それに大丈夫の中にもしその子が将来特殊学級が必要だったら
はいってませんよね?
そんな大丈夫、大丈夫じゃないなんて
アウトかセーフかみたいな区別そのものにもどうも抵抗感じます。

親の心配って悲観とか絶望とは違う
心配りとか愛情でもあるのだし
勿論、言葉が遅いからなんとしても普通に喋らせたいとか
限度を超えて焦るのは問題だけど
基本的にはいくら心配してもいいんじゃないかと
微妙に言葉が遅い子の親になって思いました。

言葉の成長というのは意味のある言葉を話せたらそれで
心配がないかということじゃなく
コミニュケーション能力の成長は小学校で集団生活についていけるかが
とりあえずの一段階なのだと
親になってわかりました。

でも。実はこっちの日記ではほとんど触れていないけど
私自身、成人ADHDかもと思っていて当事者の集まりとかへ行くと
他動衝動がなくとりあえず集団の中にいても浮かないと学生のうちはそのまま
行ってしまい、いざ大学生とか社会人とか自主性が求められるようになって
それで自主性の基本というのかな自分の感情とか主観が乏しいことで
躓くというかあれどうも人と違うと気がつく子達も居るの知りました、
簡単に個性個性というけど、それって社会性と折り合えるなら問題ないけど
それだって私も弟も言われ続けるんだけど個性的だよねとか変わってるよねとか
それなりには生きてはいるけど大変だし・・・
だから普通と同じに娘をしたいとかそういうんじゃないけど
個性があるならあるでそれを生かす方法は出来るときに身に付くように
今出来ることは娘にしてあげられたらいいかなと焦るのは
多分親の私自身の問題からきてることも大きいのかなとは思います。

とはいえ、とりあえず娘の場合を通して、
将来よくいわれるように。「取り越し苦労だった今はこんなに喋っている」
なのかそれとも今は微妙な遅れがこれから開いていくのか。

その途中の親の気持とか知ってもらえたらいいなと思います。




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