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その⑨ ~副作用 嘔吐PartⅡ~


配膳車のにおいでした。
まず、朝は朝食の配膳車の匂いで起きます。嗅覚が異常に
敏感になっていて、「あ、やばい。配膳車がきた・・・。」
と思って、マスクをした時には、すでに吐き気が襲ってきます。
昼も夜も、ちょっと吐き気がおさまっているときも、配膳車が
廊下にきたとたんにトイレに直行でした。

特にだめだったのが、魚料理。しかも魚を揚げた料理の時は猛烈に
気持ち悪くなりました。後は、大嫌いなきゅうりの匂い。これは
もともと匂いをかぐだけで気持ち悪くなるくらいだったので、ほんとに
きつかったです。

とはいえ、食事時。同じ病室の人は、ご飯を食べる時間です。
みんな私と同じように抗癌剤治療をしているのに、点滴をひっぱりながら
でも、私の分の食事を窓際に持っていってくれたり、「ごめんね、早く
食べて早く下げるからね!」と、すごく気を使ってくれていました。
「ごめんね」そう言わなければいけないのは、明らかに私のほうです。
「みんなゆっくり食べていいよ。。私こそごめんね。ありがとう。」
毎日毎日、そういう日が続きました。調子が悪く、ベッドから起き上がれない日、
食事がきても食べられない日は、配膳係のおばさんに
「今日はこの子調子悪いから、悪いんだけど、食事下げてあげてくれる?」
そういってくれていたのも、ちょっとしか食べてない食事を、
「もういらないの?下げちゃってもいい?」
そう聞いて配膳車に戻してくれたのも病室のみんなでした。
何度ありがとうといっても足りないくらいでした。

病室の皆は、ただでさえ自分の病気に不安を感じ、眠れない毎日を過ごしていました。
夜は、私以外の抗癌剤治療をしている4人全員が眠剤を飲んでいました。
夜中に、私がトイレで吐いている呻き声で起こしてしまったこともたくさんありました。
たくさん迷惑をかけているのに、誰一人嫌な顔をせずに私の面倒をみてくれました。

同じ病室には、親子ほど、ともすれば孫とおばあちゃん位
年の離れた方もいました。6人部屋で、私を含めて5人が抗癌剤治療を
受けていました。
看護士さんからも、「こんなに仲がいい病室も珍しいわ。」と言われるくらい、
年齢の壁を超えて、私たちは仲良しでした。
私は、その方々に、本当にいろんなことを教わった気がします。
治療を乗り越えられたのは、私一人の力じゃない、そう思っています。

吐き気が出てきた時の対処は、まず絶対に無理して食べようとしないこと。
食べられるものだけ食べること。匂いもだめだった私は、食事時はなるべく
ロビーに移動するようにしていました。(移動するときの車椅子も、看護士さんを
呼ぶより早いから、と病室の皆が用意してくれていました。。。)
アイスクリームやゼリーなど、冷たくて喉ごしのいいものは、比較的食べやすかったです。
「アイスなら食べれる。」という私の言葉に、父親は毎回ハーゲンダッツのアイスを買ってくるようになりました。病棟の共有冷蔵庫には、切れることなくいつも
私用のアイスクリームがストックされていました。
少し食欲が出てきた時に食べていたのが、おにぎりとサンドイッチでした。でも
自分で買いに行くことはもちろん出来なかったので、毎日昼と夜に母親が買ってきてくれていました。車で30分の距離を毎日きてくれた家族の協力は、ほんとにありがたかったです。

飲み物は、あまり甘くない炭酸飲料を好んで飲んでいました。
お茶類も常にストックしていました。

さらに、もう少し食べられるようになってくると、サラダなども食べやすかったように思います。ただ、私はきゅうりが大嫌いで、少しでものっていると、取り除いてもその食べ物全てが食べられなくなってしまうので、父も母もきゅうりの入っていないサラダを探すのにずいぶんと苦労していました・・・。
きゅうり嫌いのわがままは、病院食にも及んで、入院後半は、私の食事には、
「禁きゅうり・スイカ・メロン」のプレートが置かれるようになりました。
(スイカとメロンも瓜類でだめなんです。。。)

病院によってだとは思いますが、私の入院していた病院は、そういう融通がかなり
きく所でした。抗癌剤治療中は、ただでさえ食欲が落ち、吐くまではいかなくても
気持ちが悪くなることが多いと思います。舌の感覚がおかしくなり、味覚が
変わってしまったこともありました。全てのものが苦く感じた時期もありました。
食べる喜びをなくすことは、とても寂しいことでした。




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