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その⑪ ~退院 PartⅠ~


抗癌剤の最終投与が終わって、約1ヵ月後。そろそろ
退院も近いかな、と密かに思っていたので、週に数回の
採血の結果が、ものすごく気になっていた時期でした。

「そろそろ退院しても大丈夫かな。」

主治医からそういわれたその日に、私は親と連絡を取り、退院後の
予定を主治医と話し合う段取りをつけ、その話し合いが終わり次第、
その足で退院することを決めました。自分が退院後しばらくは
ろくに自分のこともできないということはわかっていました。

別に、嫌なことがあったわけでもなく、相変わらず我が侭放題に
病院を我が家のように使っていたけれど、やっぱり家に帰りたい
という気持ちが、私の心の大部分を占めていました。
焦りも大きかったんだと思います。このままいつまでもここにいるわけには
いかない、そう思っていました。
もう少し入院して、体を休めたほうがいいということは、自分でも
痛いほどわかっていました。けれど、もう病院にいるのは限界でした。

今思えば、どうやら退院のボーダーラインは、
ヘモグロビンの値が10を超えたら、ということだったようです。
とはいえ、4ヶ月の入院のうち、後半2ヶ月くらいはほぼ寝たきり
だった私。歩くことはままならないし、退院してからの仕事復帰の
ことを考えると、不安は尽きない日々が続いていました。

不安定な気持ちを抱えながら、退院を翌週に控えた週末、
私は入院生活最後の外泊をしました。
でも、家に戻ると出てくるのは退院後の会社復帰の話ばかり。
当時、会社に提出していた診断書には、「8月までの入院及び
9月いっぱいの自宅療養が必要」と書かれていたためです。しかし、
私と主治医の間では、その診断書があくまで暫定的なもので、退院後の
ことは、治療が全て終了して、退院が決まってから考えよう、ということで
話が一致していました。

自分の治療と体調の悪さに必死だった私は、そのことをきちんと親に伝えて
おらず、会社との交渉役になってくれていた親も、診断書を文面どおりにしか
解釈していなかったため、私を早く会社に復帰させようと話を進めてしまって
いました。

さらに私が最も遠ざけたいと思っていた話が出てきました。

それは、「会社にいくなら、カツラを作らなきゃダメだ。」ということです。
ようやく髪が抜けたことにも、自分の坊主頭にも慣れてきて、これが
私が今まで頑張ってきた証なんだと思えるようになってきた矢先、
今度はその頭を隠さなければいけないということに、
どうしても納得がいきませんでした。

退院後一月で仕事が出来る状態にはならないと思う私の意見と、当時の診断書通り
退院後一月の自宅療養で仕事への復帰を望む親の意見は、真っ向から対立して
しまいました。動きたくても思うように動かない体へのイライラに加え、
「来月から仕事を始めるんだから」という親の言葉は、私にとって大きなストレス
になっていました。気持ちだけが焦り、話をすればケンカ腰になってしまい、
ついには泣きながら「病院へ帰る!」と叫んでいました。
今まであれほどまでに望んでいた退院なのに、何故か私はこの時、
病院に戻りたい、と思っていました。

退院の前日のことでした。



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