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5月10日。術後一年


今の私は、そんな気持ちでいっぱいです。

一年前の5月10日。前日までパンパンに張っていたお腹が、朝起きると急に
ぺちゃんこになっていました。本来の手術の予定は、もう数日後で、私は実家で
静養しながら手術の予定日を待っていました。
術前の通院検査では、マーカー値も低く、良性の可能性を示唆されていて、入院に
必要なパジャマだったり、術後に着れるような洋服だったりを買い揃えたりして、
結構お気楽に毎日を過ごしていたような気がします。

「なんかおかしい。」寝ぼけながらそう思っていると、急に体全身がピリピリと痛み出してきました。
急いで母親のところへ行き、「お母さん、なんかお腹がぺちゃんこになってて、体中が
ピリピリする。。。」と言った事を覚えています。

それからの記憶は、その後2ヶ月強も含め、ぽつんぽつんとしかありません。

タクシーに乗って病院に行った事、緊急オペをするからといわれたこと、その時
初めて主治医と顔をあわせたこと、そんなことをぼんやりと覚えています。

本来、その数日後に手術を行うはずの私には、別の担当医がついていました。
入院や手術の説明も、今の主治医からしてもらった記憶がなくて、後で
聞いたら、あの日急遽今の主治医が執刀することになり、そのまま私の担当に
なったようです。

それから数ヶ月を過ごすことになる病室へ通され、採血をされ、気が付くと手術は
終わっていたようです。麻酔を打たれたことも、手術室に運ばれたことも、
全然記憶がないので、入院中何度も病室のテレビでやっている「手術の説明」の
ようなチャンネルを見て、思い出そうとしたのですが、結局今でも思い出すことは
できないままです。

後から聞いた話では、迅速病理の段階で、腫瘍は良性の物ではなかったという事が
わかっていたようです。ただ、私がそのことを知らされたのは、本格的な検査が
終わってからだったということでした。

長い長い入院生活の、始まりの日でした。
そして、母の誕生日でした。

最初は自分と同年代の患者さんが全くいない環境に慣れる事が出来なくて、
毎日毎日家に帰りたい、会社に行きたいといい続け、同室の患者さんや、
家族や、病院のスタッフ全員に、相当な迷惑をかけていたとの事。その時の
日記を見ても、『いつになったら家に帰れるの?なんでここにいなきゃいけないの?』
ということが、繰り返し書かれています。手術の翌日に、彼の声が聞きたくて、
無理やり公衆電話まで歩こうとして、ナースステーション手前で力尽きて
看護士さんに車椅子で電話まで連れて行ってもらったりもしたそうです。

自分が少しずつおかしくなってきていることに気が付いたのは、術後3日目くらい
からでした。今やった事が何だったか、ほんの数秒前自分が何を考えていたのか
わからなくなり始めました。原因は未だに不明ですが、それだけのショックを
受けていたんだと思います。体だけでなく、心も壊れたまま、入院生活を
送ることになったわけですが、嬉しかったことと同時に辛かったことの記憶も
私にはないので、姉にはよく「受け入れられなかった部分は、忘れていても
いいことなんじゃないのかな?」といわれています。

記憶がないことについて、以前は自分でも一生懸命思い出そうとしていましたが、
一年経った今、そんなことを必死にするのもやめました。
たまに家族に聞くと、面白いエピソードが出てくるので、笑い話として聞いたりは
しますが、記憶の糸を辿ることよりも、もっと大切な事があるような気がするんです。

人の命には限りがあって、人生に限りない時間なんて与えられていません。
どんなにくだらないと思っていても、無駄な時間なんてないような気がします。
だから、私は自分が過去のことを思い出そうとした時間も、無駄ではないと
思っています。ただ、前を向こうと思う事が出来始めてきました。そうなるまでには
やっぱり時間がかかったし、周りにもたくさん迷惑をかけてきました。今だって
病気に対して悩みがないわけではないし、落ち込む事だってたくさんあります。

ただ、わかったことは、周りには支えてくれる人がたくさんいて、
私はそういうところに戻ってきたかったんだということ。
一人で闘ってきたわけじゃなかったんだということです。

何年か、何十年かこれから生きていく中で、きっと私はこれからもいろんなことと
闘っていかなくてはいけないと思うけれど、今ある気持ちは心の中に残しておきたい。
そんな風に思っています。



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