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毎年、お盆にはオットの実家に帰省します。古い木造一戸建てで、エアコンは居間にしかついておらず、キッチン、寝室ともに灼熱地獄。昨年、寝室の夜中の気温が35℃を記録し、私はあせもだらけになり、それでも、若干認知症気味になってきた義母のために少し長めに逗留したりしたわけですが。今年は義姉から「帰ってこなくていいよ~、他県ナンバーの車にみんな敏感だから」と電話が。・・・そうですね(汗)。義母は昨年末から施設に入りました。施設は新型コロナ感染にピリピリしていて、義姉も義母に面会できない状態だそうで、他県から移動する私たちなど、面会お断りの最たる存在。実家の周りの手入れは義姉夫婦がしてくれているようで、「心配しなくて大丈夫だから~」といってくれました。今年こそエアコンのない寝室で過ごしたら私たちが熱中症になっていたと思うので、まぁ、良かったと言えば良かったのかもしれませんが。気が楽ではあったものの、やはり毎年の行事がないと季節感もなくて、帰るところがないってなんか寂しいなぁ、と思ったり。毎年、お盆の帰省は「あー、暑い・・・」、年末年始の帰省は「あー、寒い・・・」と心の中で文句たらたらだったのに(あくまでも心の中でのみ)。こうやってヒトは年を取っていくのですね・・・。
August 25, 2020
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前半は、体調を崩した義母を見舞うためにオットの実家へ。自宅でもしたことがない、3食すべて台所に立つ、という家事に追われつつ、ほかには何もすることなし、行くとこなし、という、まぁ、ちょっと長めな毎度の帰省の旅でした。義母は、私たちの説得もむなしく、「一人で家にいたい」という主張を貫き、しばらく一人暮らしを続けることになりました。週1回のデイサービスくらいはいってほしいのだけれど。さて、そんな気の休まらない前半を終了したあと、私は、東京へ向かいました。連休直前に高校時代の部活の友人から連絡があり、同窓会するけど来ませんか?とお誘いを受けたので、急遽、東京へ行くことにしたのでした。10連休中に2日間授業が入ったムスメと、オットの実家で会えなかったので、ムスメに会いに行きがてら。ムスメとは、かねてから行きたいねと行っていた筑波のJAXAに行き、日本の宇宙開発の歴史について学び、ロケット大きいー、昔の人工衛星は手作り感満載ー、と感動してきました。私がかねてから行きたかった、ラ・フォルジュルネにも行きました。またあとで書こうかと思いますが、ずっと聴きに行きたかった、バイオリニスト神尾真由子さんの演奏が聴けて、大変満足。同窓会では、30年以上ぶりだというのにみんなちっとも変わってなくて、話が尽きることがありませんでした。みんなそれぞれ、各方面で活躍していることを知り、とても楽しいひとときを過ごしました。不思議なものです。GWは義母のお見舞いだけだと思っていたのですが、想定外の予定が入って、後半かなり充実した時間を過ごせました。10日間もお休みがあったおかげかもしれません。そんなこんなで、本当はやろうと思っていた、毎年恒例GWの大掃除は断念。そんなこんなで、明日からまたお仕事ですね。旧友に元気をもらったので、ちょっと頑張れそうです。
May 6, 2019
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新年のご挨拶を申し上げるのがすっかり遅くなってしまいました。ゆっくり論文を読まねばー、と思っていた年末年始だったのに、結局、実家でゆっくりできるわけもなく、ムスメの買い物にお付き合い。そしてゆっくりしていても論文なんかオット実家で開けるわけもなく、お正月のお客さんを迎えて走り回る一月一日、することなくてぼーっと駅伝を見る二日、帰宅のための10時間ドライブで終わる三日、という典型的なお正月でした。そして、夜に帰宅し、翌朝、出勤。8時間半働いて帰宅・・・7時間勤務のはずだったのに。いいんです、何でもかんでも「やります!」って手を上げていっぱいいろいろ抱え込んだ挙句、「12月28日、休んでいいですか?1月4日は休まないで頑張りますから」と、26日頃に急に休みを取ったかと思ったら、海外旅行先で連れがパスポート紛失して帰国できなくなりました、という理由で今日も欠勤、という同僚のせいで私が残業せざるを得なくなったとか、ぜんぜん思ってませんから。なんだろう、病気で休み、とか、家族の看病で休みとかだと、突発的でも全然許せるのに、年末年始休みをいっぱいいっぱい使って海外旅行に行って、帰国できませんって、危機管理どうなってるの?責任感おかしくない?と思ってしまうのは、私の心が針の孔より小さいからでしょうか・・・(ーー;)パートだからね。責任感なんかなくてもいいのかも。あ、そうそう、実家へ帰省している一週間、ずっとムスコと一緒でした。そして、何年ぶりでしょうか、会話しました。私「こんにちは」ムスコ「こんにちは」私「肉まん買ってくるけど食べる?」ムスコ「いりません」二語発語!なんという成長ぶり‼一緒にいるのも嫌がっていたのに、年末年始、ずっと逃げなかったのは、きっと彼の成長でしょう。社会人としては立派に務めを果たしているようです(遅刻はしてない、らしい・・・)人生山あり谷あり。待っても海路の日和はないかもしれませんが。そんな人生も、日々驚きに満ちていて楽しいもんです。というわけで、明日あさっては翻訳の仕事と論文読み。あと、近所の神社にムスメへのお守りをもらいに初詣。ああ忙しい(^^;)そんな年明けでございますが、今年もよろしくお願いいたします。
January 5, 2019
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東京の実家へムスメの世話をしに行き、その足でムスメを連れてオットの実家へ行きました。ムスメはオット方のおばあちゃんには1年以上会っておらず、次のお正月も帰省はムリだし、顔を見せられるのは今しかない、ということで、夏期講習の合間に一緒に行くことにしました。久しぶりに会ったムスメは・・・そのままでした。実家滞在中には、模試明けのリフレッシュに展示会を見に行ったりスヌーピーカフェにランチに行ったり、そのついでに受けるかもしれない大学(オープンキャンパスに行きそこなったため見るだけ)を見に行ったり。スヌーピーカフェでは、店内に入った時には真夏の晴天だったのが、ランチを食べ終わったころには集中豪雨真っただ中、という得難い経験をしました。”受けるかもしれない大学”では、キャンパスの開けた広い空いっぱいに稲妻が走りました・・・。でも、そんな大学、ムスメは「予想以上に好印象」と。選択肢は広げておかねば。さて。その後、新幹線でオットの実家へ向かったわけですが。ムスメ、切符の使い方を知らず。そして、私、切符の使い方を忘れる・・・。という、衝撃の事実に気づいたのでした。1枚の乗車券で金沢で在来線に乗り継いだのですが、金沢で昼食のために途中下車。自動改札に切符を通し、回収するのを忘れました・・・私が。ムスメがちゃんと切符を持っているかどうか、ちゃんと特急券と乗車券を2枚改札に通しているかどうかを気にするあまり、自分の切符を取り忘れました・・・。在来線に乗ろうというまさにその時、私が切符を持ってないことが発覚。手持ちのカバンを空にして探したのですが見あたらず。結局、改札の駅員さんに聞いてみたら、私の乗車券が回収されていました・・・。その結果、1時間に1本しかない在来線に乗り遅れ、もう1時間待つ羽目になり、金沢駅前を探索。さあ、乗るぞ!と思ってカバンのポケットを見たら・・・切符が消えていましたorzスマホを入れていたポケットに切符も入れていたのですが、スマホを出し入れしているうちに、切符が飛び出してしまったようでした。そこでムスメが一言。「切符、自由になりたかったんだね・・・」もう、探す気力もなく、その一言になぜか妙に納得し、実家近くの駅までの切符を改めて購入、乗車しました。そんな苦労を乗り越えて到着した実家は、トイレが壊れておりました・・・。ムスメ、「トイレって、こんな構造になってるんだねぇ・・・」さらに、お盆接客要員である私が到着する前に、親戚一同、お坊さんに至るまで、来訪予定者は全員来訪済み。お盆当日には誰も来ない、という事態が発生。昼間は37℃を超える暑さ。その日の夜、エアコンのない古い家の2階で寝たのですが、汗が滝のようにあふれ出し、髪の毛を洗ってドライヤーで乾かそうとしても、後から後から噴き出してくる汗で髪が乾かない。部屋の中、お風呂場、所かまわずハチの一種と思われる黒い羽虫が飛び回り、台所にはアリが入り込み、ムスメが一言。「思ったよりも”自然”だね・・・」ま、いつもこんなもんだけどね。ほとんどキャンプ気分。灼熱の2階で二晩生き延び、壊れたトイレの使い方にも慣れたところでオット実家滞在終了。ムスメは東京へ、私たちは車で自宅へ戻りました。そんな帰省の旅ではありましたが、いつもどういうわけか、パワーをもらって帰ってきます。さて。この旅には続きが。東京の実家に帰宅したムスメ。本日、毎年恒例の39℃発熱。夏になってからすごく気を付けていたのですが、猛暑の2泊の無理がたたったようです・・・。ムリさせてごめん・・・。どこまでもついていない帰省の旅となりました。ま、これで悪運を使い果たしたということで、これからはきっと、いいことだけが待っている!
August 18, 2018
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GW前半は平日2日間をはさんでいるので長期休暇にはならないなー、と思っていたのですが。義父の三回忌を4月30日(平日)にすることになりました。私は「ムスメが学校だからいけないわー」と言っていたんだけど実はムスメの学校は平日の中2日間も休校になる、ということを思い出し、私さえ仕事を休めば三回忌に行けるのかー、と気づき・・・。やっぱり、長男の嫁が法事に行かないってないよなー、と思い返して、仕事のお休みをいただいて、オットの実家に行ってきました。義母は87歳にして鍬を振って畑を耕す元気なヒトなのですが、数年前に大腿骨を骨折して人工股関節を入れてから足が少し不自由になり、すっかり弱気になってしまいました。・・・でも畑を耕せるほど動けるんですけどね。というわけで、ついでにムスコも呼び出して(大学は休みじゃなかったようだけどたまたま講義が入っていなかったとか)一家そろって法事に参加しました。義母は、法事の数日前にめまいで転倒して胸を打ったとかで肋骨にひびが入って痛くて痛くて・・・と、横になりがちだったのですが、法事の時はしゃっきりと動き回り、仕切っておりました(^^;)身内だけの総勢14人のこぢんまりした法事でしたが、それでも、最初はもっと少人数の予定だったので、にぎやかな法事になって、義母も喜んでくれました。そのあと、「体が動かないから行かない」と言い張っていた義母を連れ出し、温泉一泊旅行へ。なんだかんだでいい気分転換になったようで、こちらも喜んでもらえました。「もう87歳だから・・・」と、ことあるごとに今後の準備のことを強調する義母ですが、畑で鍬を振る姿は私以上に元気!まだまだ元気でいてくれることと思います。
May 3, 2015
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世の中、フツーのものがたくさん売れない時代。普通の日用品もコンパクト化され高機能化され、いろいろな付加価値が加えられていって、世間的には”エコ”で”便利”になっていっていると評価されているわけですが。そんな時代の流れが、田舎の高齢化社会では理解されていないのね~、と実感した出来事が、オットの実家に帰省した時にありました。オットの実家があるところは、高齢化、過疎化が著しい”日本の田舎”のモデルのようなところです。ほとんどが60歳以上の世帯で、しょっちゅうあちらこちらで法要が営まれています。で、法事にはいくらいくら包み、お返しはその半分の金額くらい(だったかな?)と、ルールが決まっていて、そのルールからはみ出すと、「どこそこの家はこれだけしか返さなかった」とかなんとか、一生言われるくらいの勢いで、陰口をたたかれる、という・・・。ああ、ザ・ムラ社会。で、今回帰省した時に、義母がものすごい勢いで「○○のところは法事のお返しにこれだけしかくれなかった」と非難していて。たくさんの苦労を乗り越えてきたとても分別のある賢い義母で、私は尊敬すらしているのですけどね。そんな義母が「こーんな小さいビンの洗剤と小さい箱の洗濯用洗剤と、ティッシュ1パックだけで、在所中の笑いものになっとる。私は洗剤でも大きいものをちゃんと返してきた」と。何円分返さなければいけないのか忘れてしまったのですが、千円分返すところを五百円くらいにケチった、って感じです。ところが。中身を見てみたら、コンパクト化された食器用洗剤と洗濯用洗剤と、保湿剤を染みこませたローションティッシュ3箱。ちなみに、ローションティッシュ、安売りでも3箱で500~800円くらいする代物です・・・。つまり、法事の施主側としては、集落のルール通りの金額のお返しをしたのですが、それを受け取る側にはその価値が分からなかったわけです・・・。お年寄りには、「大きく見栄えがするもの」こそもらってありがたい、というわけで、コンパクト化、高機能化は意味がない、どころか人間関係をこじらせる害悪ですらあるんですねぇ・・・(^^;)。でも、ローションティッシュ、わが家的には大変ありがたかったです。ムスメ、寒い実家(室温4℃とか)で風邪をひいて鼻水が止まらなくなってしまい、実家滞在中ずっとハナをかみ続けていたのですが、ローションティッシュのおかげで鼻の周りが赤く腫れずにすみました。おそるべし、高機能ティッシュ。たかがティッシュ、されどティッシュ。というわけで。今年の3月末にオットが施主で義父の一周忌をするのですが、そのお返しの内容に頭を抱えているオットと私なのでした・・・。
January 5, 2014
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前からの続き。実家から車で1時間ほどで金沢なのですが。今回、列車で実家に向かうときに金沢駅を経由したのですが、そこで見てしまったのです。”ラフォルジュルネ金沢「熱狂の日」音楽祭2013”という看板を!!そうだった、今住んでいる”地方の県庁所在地”より、ずぅ~~~っと文化活動が盛んな土地だったんだ!!ということに、気づいてしまったのです。アンサンブル・オーケストラ金沢もあるし、石川県音楽堂もあるし、能登には能登演劇堂もあるし。冬、ちょっと寒いけど。夏、ちょっと湿度が高いけど。仙台に住んでたことがあるので、あまり気にならないですし(^^;;;)食べ物おいしいし。温泉地も近いし。行こうと思えばスキーにも行けるし(<オット退職後にまだスキーに行く気があるかは疑問ですが)それに。東京の実家も、今住んでいるところよりは近いし。京都も大阪も近いし。健康で元気でさえいれば、退屈はしなさそう。っていうか、ムスメの学校の問題さえなければ、今すぐでも行くよ、くらいの勢い。というか。実際、今住んでいるところに引っ越してきてからというもの、高齢になる義父母の心配もあって、「どうせ転勤するなら、なぜ金沢の話が出るまで待てなかったのか!?」というのが、オットと私のケンカの種で。(嫁の私が義父母の心配をするという・・・でも、オットは「そんなこと考えてなかった」ってケンカの火に油を注ぐ言いぐさで(爆)「そら見たことか!」な現状でございます。何かヘン・・・)オットの退職後は、能登の実家に戻って農業。私の中で、一気に現実味を帯びたのでした・・・。それまで、健康に気を付けて元気でいないと(苦笑)
May 8, 2013
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オットの実家は、エアコンのない、古くて広い木造家屋。いつも猛暑のお盆か極寒の年末年始にしか帰省しないので、ムスメなんかは「能登のおばあちゃんちに行ってもつまらない」という印象しかないわけですが。実はGWに帰省すると、その印象は一変します。田植えが始まるので田んぼに水が張られ、空も海も青く、新緑も輝いて美しく、ツツジもきれいに咲き(今年はまだ八重桜が満開で、ツツジのつぼみが堅かったですが)暑くも寒くもないちょうど良い気温なので、動き回ることに抵抗もなく。田んぼでも畑でも、何でも手伝いまっせ!というくらい、本当に過ごしやすい、ステキな場所に様変わりします。ムスコが小さいときには、田植えの手伝いに帰省してたのですが、小学校に上がってからは、GW中日に学校があるので帰れなくなりました。なので、ムスメにはGWに帰省した記憶がありません。そんなこんなで。今回、義父の葬儀のために帰省したときも、オットが退職したら、ここに戻ってくるのも悪くないかもなぁ、と思ったりしました。実際、今は実家の土地はお寺さんからの借地なのですが、オット、「そのうち土地を買い取りたいな」などともらしていて、「あれ?戻ってくるつもりなんだ」と初めて知ったりして。(義母は、自分がいなくなったら、土地は更地にしてお寺さんに返す、って言ってたんだけど・・・。)が。葬儀を通じて見えてきた、集落の人たちの結びつきの濃さに、ものすごく、とまどいを覚えました・・・。私、この濃~~~~い結びつきの中に入っていける自信がない・・・。昔からの農村なので、農作業や冠婚葬祭は、集落総出でみんなが協力し合って執り行うわけですが、それだけでなく、日頃から、お寺さんを中心とした行事が毎月あって、檀家の女性は全員参加して、各戸を回ってお経を上げるそうです。だから、女性は皆、法華経(日蓮宗)をそらんじています。お葬式の時も、みんなで大合唱です。さらに、つながりが密なので、どこそこの誰それがどうだ、こうだという噂はあっという間に集落中を駆けめぐり、そうなるとやっぱり、ねたまれたりそねまれたり陰口言われたり、女性特有のいろいろがあるようで。義母は生まれてからずっと同じ集落の中にいるので、今や長老様(^^;;;)。誰も義母を軽んじる人はいませんが、万一、義母が亡くなったら、「都会から来た嫁(^^;)」である私が同じように扱われるとはとても思えません。集落中が、皆、お姑さん状態かも(^^;;;)しかも、今回初めて知ったのですが、男尊女卑がハンパない(^^;;;)今回、お弔いの手伝いに来て下さった、集落に住む親戚の奥様方、皆さん一様に「とうちゃん(旦那さま)に、自分が思っていることを言えたらどれだけすっきりするか~」とおっしゃってて・・・なぜ言わない!?すみません、私は日々、オットに思ったことを思いつくまま言ってます(汗)女性は、男性と同じだけの農作業をこなした上に家事・育児もこなさなければならず、その上、お寺の行事の仕切も女性の仕事。ま、そんなこんなもあって、お嫁さんが来なくなって過疎化が進んだようで、そこらへんは時代とともに変わっていくのでしょうが。でも何より心配なのは、今でさえ、集落の中に小学生がいないという超高齢化状態。過疎化も進んでいて、オットが退職するまで集落が残っているのか!?という素朴な疑問も。自動車がなければ日々の買い物もできず、病院も遠く、自分たちも高齢化していくのに、生活が成り立つのか?という不安も。でも。いろいろ不安はあるのですが、それでも私、”老後は戻る”案に心惹かれてます・・・それは・・・長くなりそうなので、次に続く。
May 8, 2013
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前からの続きこんなことでもなければ集まらない親戚が全員集合したわけですが。うちの子どもたちにとっても、ひさびさにいとこ同士が全員集合となりました。実は。うちの子どもたちと姪っ子のCちゃんは、小さい頃から本当に仲良しで、うちの子どもたちCちゃんに会うのが楽しみで帰省していたほど。いつも、3人で仲良く、夏は花火、冬はボードゲームと、わちゃわちゃと楽しそうに遊んでいました。それが、ムスコが中1になったころから微妙なお年頃に突入。Cちゃんが遊びに来てくれても顔も出さなくなってしまい、Cちゃん、自分が嫌われてしまったと思ったんでしょうねぇ・・・遊びに来なくなってしまいました。そのうち、Cちゃんも中学生になって部活や勉強に忙しくなり、以来、7年間、3人がそろうことはなくなりました。気の毒だったのは、わけもわからず一人残されたムスメで・・・(^^;)いつかまた、3人で遊べる日が来る、と信じて、持ち運びしやすいポータブルのボードゲームを買って、帰省するたびにいつも持って行っていました・・・。そんな、端から見ているとちょっと痛々しい状況だったわけですが。この3人がお葬式をきっかけに集まることになりました。最初は、ぎくしゃくしていたのですが、そのうち、うちのムスコが、今まで何事もなかったかのように「Cちゃん、大学合格、おめでとう!」と声をかけたことから、わだかまりが一瞬にして消えたようでした。昔と同じように3人で、わちゃわちゃと遊びはじめたのでした。・・・7年もたったのに、同じように(苦笑)ムスメが買っていたボードゲームも、初めて活躍しました。さらに。ムスコ、実家に到着した当初は、私と一緒に時間を過ごさなければいけないということで、表情がものすごく固かったのですが、いとこや妹と楽しい時間を過ごしていくうちに、表情が徐々に軟らかくなっていきました。そのうち、ムスコがなくしたものを私が見つけたときに、私に向かって「ありがとう・・・ございます」(<言い方が固いけど(^^;))と発語したのでした。それを見ていたムスメがびっくりしたのなんのって(^^;;;)お香典の計算や、実家に弔問客を迎える準備など、積極的に手伝ってくれて、立派な即戦力に。最後まで、私と直接会話することはなかったのですが、ムスメをはさんでなら会話もできました。そして、5月5日にムスメと私はオットより一足先に鉄道で帰路についたのですが、そのとき、ムスコも途中まで同じ列車に乗って行ったのでした。列車の中では、空いている4人掛けのボックスシートを探してくれて、3人そろって座ることに。今までだったら、同じ列車に乗ったとしても、一人でふらっと別の車両に移っていく勢いだったのに(^^;;;)最後まで、私と目を合わせようとはしませんでした。私も目を合わせるのをためらいました。でも、車窓の外を見るムスコを見ているうちに、涙が出てきて止まらなくなっちゃって・・・次はいつ、会えるのかな?と。困りました(^^;)途中、ムスコは別の列車に乗り換えるために下りていきましたが、最高の笑顔を残して(<もちろん、ムスメに向かって(爆))乗り換え列車に走っていきました・・・。なんとなく。義父は跡取りの孫の様子が心配だったんじゃないかと。それで、最後に、孫に「長男、しっかりしろ」とカツを入れてくれたのではないかと。ま、ムスコはまた時間がたったら元に戻っちゃうでしょうけどね(笑)。お互い、遠きにありて思う、くらいがちょうど良いのかもしれません。大忙しでものすごく疲れたけど、いろいろな意味で充実した時間を過ごせたGW後半でした・・・。
May 6, 2013
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GW中日の4月30日の夕方、義父が84歳で他界しました。ずっと老人介護施設にお世話になっていたのですが、本当に突然、眠るようにすぅっと亡くなったとのことで、家族は誰も看取ることができませんでした。施設の方が皆さんで見送って下さったそうです。というわけで、今年のGWは、ムスメは部活だしオットは仕事だし、私はヒマだ~~~、と思っていたのに、一転、寝る間もないほどの大忙しとなりました。オットは当日の夜すぐに実家へ出発。ムスメと私も翌日5月1日に、飛行機-鉄道を使って実家に向かいました。飛行機を使っても、片道、8時間以上・・・。そして、ムスメと私はオットより一足先に、5日にこちらに戻ってきました。田舎のお葬式なので、お通夜・葬儀の他に、お通夜の前日にも実家に和尚さんが何人も来て読経、そして、集落の人が集まってまた読経。お葬式の翌日にも、集落のほぼ全戸の人たちが集まって、また読経。お弔いは合計4日間続きました。全行程を仕切って下さったのは、集落の親戚の方々だったのですが、しきたりを知らない喪主のオットと私は、次に何をするのかもわからず、言われるがままに右往左往。通夜・葬儀は葬儀場を借りて、そこに泊まり込み。その他はすべて実家で執り行ったので、女性は、お茶出しやら炊き出しやら、裏方でバッタバタでした。オットなんて、夜通し車を飛ばして実家に帰り、そのまま、連日、ほぼ寝られない日々が続いてました。オット、倒れないか・・・?と心配になるほど。そんな、嵐のように過ぎ去ったGW後半でしたが。オットの実家がある町は超高齢化が進む過疎地域で、ふだんは、実家の隣に住んでいるのが誰なのかも知らないほど、交流が皆無に見えたのですが。いざことが起きると、近所に住む親戚がすべてを仕切ってくれて、ご近所の人たちが手伝いに駆けつけてくれて、集まったお香典は約80世帯分。葬儀の翌日のお弔いにも集落の人たち40人が集まりました。日本の農村って、こうやってみんなで力を合わせながら生活しているのか・・・と、理屈抜きで実感しました。義父が亡くなって初めて、オットの実家のことをたくさん知ることとなりました。知らなくてもいいようなこともいろいろ知るところとなってしまいましたが・・・(^^;;;)でも、義父は、私にとってはもっとステキなものを残してくれました。
May 6, 2013
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28日から私の実家に帰省してきました。お金もかかるし、どうしようか迷ったのですが、ちょっと用事もあったし、ムスコが母の世話になっているので、そのお礼と様子見も兼ねて。でも結局、どちらかというと、ムスメと私のストレス発散の意味合いが大きかったかもしれません。私の用事のために表参道に行ったのですが、世間では、オシャレな女子中学生にとって、原宿・表参道なんてあこがれの地ではないかと思うのですが、うちのムスメはファッションに全く興味なし。竹下通りに連れて行っても、ふ~ん、って感じで、取り立てて興味なし~、お母さんの用事に付いてきてるだけ~~~みたいな、退屈そうな顔をしていたのですが。原宿でキャラクターグッズショップを見つけたとたんに目がランランと輝きだし・・・。それなら、と、表参道のキディランドに連れて行ったら、もう、そこから動かなくなってしまいました・・・。女子中学生の感動ポイントが、そこかい!・・・みたいな。そこで、お友だちへの誕生日プレゼントと自分用のスヌーピーのポーチを”自分のお小遣いで”買ってました。翌日は翌日で、肌寒かったのでお花見はイヤ、と言われ、さんざんなやんだあげく、午後からのそのそと新宿の東急ハンズに連れて行ったのですが・・・。ここでもまた、ステーショナリーコーナーで目をランランと輝かせて、あれもこれも興味津々。1時間以上、見て回ってました。お小遣いが無くなりかけてたので、買うのは我慢してましたが。「いいな~、東京に住んでたら買いたい物がいっぱい♪」って・・・ホント、煩悩の少ない地方暮らしでラッキーだったと(^^;)そんなこんなで、ある意味、ショッピングを満喫したムスメでした。私は、お金を使わない方向でいろいろ楽しんできました(^^;;;)私的に、本当に私個人的に大変ラッキーだった出来事にも遭遇し・・・本当に超個人的なラッキーな出来事なので、詳細はあとでこっそりアップするかも・・・です(*ーー*)
March 31, 2013
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エントリーが前後しますが・・・。帰省中にあった超個人的なラッキーな出来事とは。人生で初めて遭遇したドラマロケ現場がたまたま、『遺留捜査』だったという・・・・・・・(/ω\)もう、呼ばれたとしか思えません。夢を見ているようでした。でも・・・・・もっと近くで見たかった。今回の帰省は、これだけでもう、十分元を取れました。(本当の帰省の目的はまったく違ったんですよ。ホントですってば)それにしても。しばらくの間、撮影現場を見ていたのですが。お二人とも、表参道の坂道を登っては下り、登っては下り。4往復以上していたと思うんですけど。何をやってるのか最初はわからなかったんですけど、しばらくして、同じシーンを何度も何度も撮り直ししてるんだ、ということに気づきました。何度も何度も撮り直しているのに、上川さん、全くイヤな顔をせず、むしろすごく楽しそうに、何度も何度も同じシーンを演じていて。テイクとテイクの間には、共演の波岡さん(グレーのスーツの方)と何か楽しそうにおしゃべりしながら坂道を移動して。なるほど、いろいろなドラマに使ってもらえるわけだ、と、妙に納得してしまいました。上川さん、謙虚なところはTVデビュー当時とちっとも変わってないなぁ、と、お人柄がかいま見えるひとときで。ホント、ラッキーでした。実は、『遺留捜査』のドラマ自体はあんまり好きじゃなくて(なにしろ、『相棒』の次シーズンに始まるので、『相棒』と比べたときのストーリーの厚みのなさがものすごく気になって・・・(ー"ー))別に見なくてもいいかな~・・・と思っていたのですが。今シーズンは見ますよ。ムスメと一緒に。と思ったところで気づきました。人通りの多いところでロケをするのって、番宣の意味もあるのか!?と。とすると、まんまとひっかかってますね、私。ひじょ~~~~に個人的な趣味の話で失礼いたしました。
March 29, 2013
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東京の実家で初詣に行った帰り道、私の母が面妖なことを話し始めました・・・。まだ私が小3くらいだったころ、かかりつけの小児科じゃなくて、初詣の帰り道沿いにあった内科に私を連れて行ったことがあったそうで。なんでかかりつけ医じゃなくて、子どもの私を内科に連れて行ったのか?そこんとこの理由はよくわからなかったんですが、とにかく、少なくとも私を連れて行ったのは初めてだったみたいで。で、そこのお医者さんに言われたんだそうです。「この子(私)は賢いよ」と。母が理由を聞くと、「子どもをたくさん見ているからわかるよ」といわれたそうな。何で母がそんな話を突然しだしたのかもよくわかりませんでしたが、その話を聞いて、私は思いました。お母さん、私のことをバカだと思ってたね・・・(ー"ー;)もちろん、今でも全然賢くはないのですが、母はもっとこう「この子、頭大丈夫?」っていうくらい心配していたのではないかと。というのも、この間、小学校3年生か4年生の自分の成績表を実家の屋根裏で発見して中を見てみたのですが。積極性が足りないとかぼんやりしてるとか注意力が足りないとかろくな事が書かれてなくて、ほめ言葉がひとつもなくて、大笑い(^^;)最近の小学校の成績表には、欠点については書かない、という暗黙の了解があるようで、あの、忘れ物なくし物大王のムスコでさえ、成績表にそのことについては一切書かれたことがありません。確かに、例え真実であっても書かない方がいい、と思いました。小学生の当時にはわからなかったことも大人になってから見ると、私、こんなに先生に嫌われていたのか・・・ってそういう意味ではちょっとショックでしたから(^^;;;)ただ、何となく、今さらそんな話を聞いたのに、ああ、私のことを「賢い」といってくれる人がいたのか!ってのも、これまた嬉しいもので。もうちょっと早く、このお医者さんの話を聞きたかったな~(^^;)
January 6, 2013
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これがまた、ものすごい強風が吹き荒れる荒天で。飛行機で東京-小松間を移動したのですが、小松空港着陸直前に、目の前を稲妻が走り・・・びっくりしました。ムスコだけ鉄道で移動したのですが、強風のために途中で列車が止まってしまったようで、2時間遅れの到着。3時頃に合流して、家族みんなで義母の病院へ。義母は、足が動かない以外はいたって元気そうで安心しました。でも、すぐに以前の通りに回復、というわけにもいかないようです。義父の介護施設にもお見舞いに行ったのですが、眠ってらっしゃったのでそのまま起こさないように施設を後にしました。そしてその後、ムスコは再び鉄道の旅へ。私たちは温泉旅館で一泊。そして迎えた翌日3日。旅館の窓から外を見たら、一面、銀世界でした(^^;;;)もさもさと雪が降る降る・・・。あー、積もっちゃったよ、車の運転大丈夫かな?途中、渋滞するだろうな、などと不安しか感じなかった私と比べて、ムスメの喜びようといったら。この子、なんでこんなに喜んでるんだっけ?と、しばし考え・・・。あ、そっか。ムスメは南国育ちだったね、と思い出しました(^^;;;)スキーにも連れて行っていないので、モノゴコロ付いてから一面の雪景色を見るのは初めてだったかもしれません。というわけで、移動の車中、真っ白な雪景色に大興奮。「おかあさん!見て!!雪かきしてるよっっ!!生(なま)雪かきっっ!!!」って・・・何だよ、生雪かきって・・・(ー"ー;)オットは雪国育ちだし、私も母の実家が山形だったり、昔の東京は雪かきが必要なほど雪が積もったりしていたので、雪かきが珍しい、という感覚はなかったので、雪かきしている人に驚いているムスメに驚きました(^^;;;)案の定、途中、福井のあたりで大雪のせいで徐行運転となり、大変時間のかかる復路となりました。自宅までかかった時間は12時間・・・。運転していたわけでもない私がぐったり疲れてしまいました。というわけで、昨日(4日)は一日、ほぼ動けず。今日(5日)もまだ完全復活ならず。今年の目標『体調管理・体力作り』は年始早々、こけてます・・・(><)そんな中、オットは昨日が仕事始め。ムスメは今日から部活の練習で、朝8時前に学校へ。みんな、元気だな~・・・・さぁ、私も仕事、がんばるか。
January 5, 2013
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1月5日のエントリーに年末年始の話でなんなのですが・・・。年末からお正月にかけては私の実家、1月2,3日はオットの実家に行ってきました。なんでオットの実家の滞在期間が短かったかというと、義母が昨年の11月に転倒して大腿骨を骨折してしまい、人口股関節を埋める手術の後、まだ入院しているからなのです(><)。義父も介護施設にいますし、実家は空っぽ。というわけで、お見舞いのみの滞在だったのです。さて、東京の私の実家では、大晦日にスカイツリーに登ってきました。夏には登れなかったスカイツリーですが、今回、ムスメの「どーーーーーしても登りたい」というたっての希望でスカイツリー登頂(?)のみを目的として行ってきました。10時半頃到着してもらった整理券が、14:00~14:30に入場券を買う列に並んでいいですよというもの。14:00ちょっと前に列に並んで、入場券を購入できたのが14:40ごろ。やっとスカイツリー展望台に到着したのは15:00過ぎてました(^^;;;)さらに上の展望台に行きたいと、これまたムスメのたっての希望で、さらに上へ。もはや日差しも斜めに傾いている時間帯でした。なんかもう、展望台に着いたあたりから、「景色どうでもいいから、どこかに座りたい・・・」と疲労困憊の状態で。でも、実際に見る眺めは素晴らしかったです~。最上階の展望台からは、スカイツリーの影が見えるんですね。ムスメは、お友だちからその話を聞いていたようで、「これが見たかったんだ~」と、いっぱい写真を撮ってました。疲れたけど、まぁ一応、新名所のつぼを押さえた、というか、義務を果たした、というか、そんな感じの、スカイツリー初登頂でした。その日の晩は、実家の近所のお寺に除夜の鐘をつきに行き、元日は近所の神社へ初詣に。母が頑張って作ってくれたおせち料理を食べ、ムスメ、”理想の年末年始”を満喫したもようでした。(オットの実家でのお正月は超寒くて、たいてい荒天なので、ちょっと嫌がっていたムスメでした)で、2日にオットの実家(能登)へ移動しました。
January 5, 2013
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行きと違って、帰りはスイスイ・・・。一度も渋滞に出会うことなく、夕方には自宅に着いてしまいました。子どもたちが小さいときは、たくさん休憩しながらゆっくりゆっくりのドライブでしたが、ムスメも大きくなっちゃって、休憩の必要もあまりなく。それどころか、「明日は朝から夕方まで部活だから、早く帰ろう!」って(^^;;;)ムスメ・・・いつの間にそんなにたくましくなっちゃったの・・・?到着したわが家。どこかから何かが飛び出してくる心配がないわが家。例えどんなに散らかっていても、輝いて見えました
August 16, 2012
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オットの実家は大きな木造家屋。高齢化の進む過疎地域の1集落なので、家はどこも、やたらと大きいです。そんな家のめんどうを見るのは、80歳を超えた母一人。それはもう、だんだんと、いろいろなところに手が行き届かなくなるのは、当たり前ですよね・・・。でも。去年はムスメの受験で帰省できなかったので、帰省するのはほぼ1年半ぶり。布団を敷こうと押入から出したら、シーツに小さい虫がいっぱいついていて、ムスメ、絶叫このままでは、布団で寝ない、とか言い出しそうだったので、掃除機を借りて、シーツと布団の表裏、きれいに吸い取りました。目に見える虫よりも、目に見えない血を吸う奴らの方がこわかったのもあって。で、熱気がこもっていたので換気しようと窓を開けたら、夜中なのにスズメバチが部屋の中に入ってきてびっくり。なぜ!?と思ったら、窓のあたりの壁の中に巣があると、オット・・・。確かに、壁のあたりからカサコソ、カリカリ、音が聞こえる・・・。「明日、殺虫剤買ってきて退治するから」というので、ムスメと私で「やめなさいっ!スズメバチは専門業者!!!」と、必死で止めました。夜、寝る前に台所の電気を消しに行ったら、大きな黒光りするヌシ様が2匹、ちょろちょろ・・・。明け方、ふと目を覚ましたら、天井裏からとっとっとっとっと・・・という足音が。ネコはここら辺にはいないし、タヌキか!?と思って、オットを起こして「何かいるんだけど?」と聞いてみたら。「ああ、ネズミだよ」と。「昔、寝てたらネズミに顔を踏まれたことがある」って。あ~・・・ネズミ。5年前に引っ越してから、自然との共存関係はとんとなくなってしまったので、ムスメにとっては、どこから何が出てくるか分からない恐怖の2泊3日だったようですが、まぁ、5年前までは虫屋敷に住んでましたから・・・私は懐かしく思う程度でしたが。でも、今までは、そういうことがないように義母がいろいろ準備してくれていたんだなぁ、と思うと、もう、帰省するにも甘えっぱなしではいけないんだな、と痛感しました。キャンプに行くと思って全部準備していけば、何も困らないわけですからね~。「もう体が思うように動かなくて、布団、干せなくて・・・。悪いことしたねぇ・・・」と言う母に、「いえ、できることは何でも自分たちでしますからお母さんは、ムリをしないで下さい~~~!!!」と、必死で止める私なのでした。同居の道はほぼ無い上に、簡単に様子を見に行ける距離でもないので、とにかく、ムリして倒れないように、と祈るのみでした・・・。
August 15, 2012
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さて、東京の私の実家を経由してオットの能登の実家へ、というのはもう何度も何度も繰り返していること。子どもが小さい頃は、飛行機の方がラクなので、羽田から小松空港へ飛行機で行って、オットとはそこで待ち合わせ、というパターンが多かったのですが、ムスメも大きくなり、航空運賃も高くなり(ー"ー)、新幹線自由席で米原経由、の方が圧倒的に安くつくようになったため、最近はもっぱら米原経由のルートを使っています。で、米原ですから、当然、乗るのは東海道新幹線。ところが、今回、ムスメが東京駅で妙なことを言いだしたのです。「お母さん、そっち、東海道新幹線だよ。上越新幹線はあっちって書いてあるよ!」ん~?何を訳の分からないことを言っているのかな~?と思いつつ、新幹線の運休・再開でごった返していた駅のコンコースで、ムスメの話をゆっくり聞いているヒマもなく、とにかく、東海道新幹線の改札を入って、駅員さんに何番線のに乗ったらいいかを聞いて、何時何分発ともわからぬ新幹線にとりあえず飛び乗り、間もなく新幹線が動き出したのですが。ムスメ、まだ言ってる・・・。「ねぇ、これ東海道新幹線だよ、本当にこれでいいの?上越新幹線じゃないの??」・・・?私「だって、米原に行くんだもん、東海道新幹線でしょ」するとムスメ「だって、東海道新幹線、石川県には行かないでしょ?」・・・???私「米原って、滋賀県だよ」・・・・・・・・・・・。ムスメ「あれ~~~?石川県じゃないの~~~???」ムスメ、米原は石川県だと思っていたようです。そうか・・・米原が何県にあるかなんて、今まで話題にしたことなかったもんね。でもさぁ、米原駅前の平和堂でひこにゃんグッズを売ってたでしょ。ってことは、ひこにゃん=彦根だから、滋賀県だと思わん?って言ってみたら、「ああ、そうか~」って、ものすごく納得してました。それに。まだ東京から石川県には、直通の新幹線は通ってないんだけどね。・・・っていうか、金沢に通じる予定なのは、長野新幹線みたいだけどね・・・。いろんな意味で、いろんな誤解のあった米原。今回、彦根城に行ったことで、米原=彦根の近く という図式は頭の中にインプットされた模様です。彦根城から琵琶湖が見えたから、米原≒彦根=琵琶湖の近く という図式もインプットされたか!?毎度毎度、オットの実家に向かうたびに「ああ、日本地図を持ってくるの忘れた・・・」と後悔している間に、ムスメの頭の中はこんなことになっていました・・・トホホ。
August 14, 2012
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この子に会ってきました♪ひこにゃん@彦根城全然、予定になかったんですが(^^;)東京の私の実家から能登のオットの実家に移動するときは、オットと米原で待ち合わせます。ムスメと私は新幹線で、オットは車で。米原からは車で北陸道を北上するわけです。で、だいたい午後2時頃を目安に待ち合わせの約束をしたのですが。まず最初に、新幹線が止まりました・・・。静岡~浜松間で大雨が降ったとかで。でも私たちが東京駅に着くと同時に運行が始まったので、とるものもとりあえず、最初に出発する米原に止まる新幹線に飛び乗りました。そしたら、予定より30分くらい早く米原駅に着いちゃって、ほっとしていたら。次はオットから、何度も携帯に電話が。2時待ち合わせならとっくの昔に通過しているはずの大阪に、まだたどり着いてもいないと。「渋滞、50kmって。しかも、渋滞、何カ所もあるらしいんだよ。だからいつ米原に着くかわからない」と。お盆の帰省シーズンでもこれまで一度も渋滞したことがなかったので、なぜそんなことが?!ととても不思議だったのですが、オットの話を聞いていたら、米原着まで4~5時間はかかりそうな気配でした。とりあえず、私たちは米原で待つことにしたのですが。米原駅って・・・何もないんですよ・・・。本当に、乗換オンリーの駅なんですね~。駅のホームには人がたくさんいるのに、改札を出たら、売店もなければ待合所もなく、駅ビルもなし。ちょっと離れたところに平和堂が1つあるだけ。ここでどうやって5時間以上待つべきか・・・。とりあえず、平和堂でお昼ご飯を食べて、荷物を預けるコインロッカーを探して駅をうろうろしていたら、ひこにゃんのポスターを発見!彦根って米原の隣なんですね。でもって、彦根駅から彦根城まで歩いて10分くらいということがわかり、じゃ、行っちゃいましょうか~~~!ということで、急遽、彦根城観光をすることになりました。ひこにゃんグッズがたくさん売っているんじゃないかと期待して。そしたら、ちょうど「ひこにゃんと会えるタイム」まっただ中でした(≧▽≦)小雨が降ったり止んだりの天気だったし、暑いせいもあったのだと思うのですが、室内での撮影会という形でしたが、動く生ひこにゃんを見ることができて、ラッキ~~~。退場するときにひこにゃんが近くを通ったのですが、意外に小さかったです。そんなこんなで、お城そっちのけで(ムスメ、ぽそっとひと言「城ってどこもこんなもんよね」・・・って(ー"ー)城慣れしすぎ)、彦根城限定販売のひこにゃんグッズを買いまくり(^^;;;)、大満足で米原に戻りました。結局、オットと落ち合えたのは6時頃。能登の実家到着は9時でした。で、実家でTVニュースを見て、世の中が大変なことになっていたことを初めて知りました。京都府南部豪雨名神の迂回路、京滋バイパスが土砂崩れで通行止めになっていたための大渋滞だったようです。そういえば、JR琵琶湖線も新快速が止まってました・・・。すぐ近くでそんなことが起きていたなんて、知らないって恐ろしい・・・・と思った、帰省の旅でした。とりあえず、無事に実家に到着してよかった~・・・。
August 14, 2012
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父の新盆だったので、お墓のある埼玉のお寺まで”お迎え”に行ってきました。そしてこの歳になって初めて、お盆の仕組み(^^;)を知りました。13日にお迎えをして、16日にお送りする、という・・・。で、きゅうりの馬と茄子の牛を作る意味も。きゅうりの馬で急いで来ていただいて、茄子の牛でゆっくり帰っていただく、という意味だったんですねぇ・・・。これまでは毎年、お盆前後はオットの実家にいたのですが、オットの実家ではお迎えもお送りもしないのです。きゅうりも茄子もなし。まぁ、義母は毎朝仏壇に向かってお経を唱えているので、気が付かなかっただけなのかもしれませんが。埼玉のお寺には祖父母も眠っているので、いつも季節はずれにお墓参りに行っていたりはしていたのですが、季節はずれなもんだから、他の方がお参りしている姿を見たことがなくて。それが、今日行ってみたら、お寺で読経が行われていて、檀家さんがうじゃうじゃ・・・。新しい卒塔婆をいただいてお墓に立てました。そうか、お盆の入りにはそういうことをやってたのか・・・。父が生きていた頃には父が、父が倒れてからは弟が、毎年8月13日にお寺に行っていたという話は以前から聞いていたのですが、そのためだったのか~・・・。東京の実家に戻ってから、きゅうりと茄子で牛と馬をつくり(なぜか、私だけが知っている、馬と牛の作り方・・・小さいとき、毎年、隣家の親戚によばれて、私だけお迎えに参加させてもらってたのでした)玄関先でささやかな迎え火を焚いて、父を迎えました。なんか・・・日本人だな~、としみじみとした、お盆の入りでした。
August 13, 2012
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行ってきました!手前のペンギンはスカイツリーとは無関係の、うちのペンギン。いやしかし、写真が小さくならないのはなぜ?・・・登ってはいませんが。1時間半(以上?)並べば入れるようです。田舎者ゆえ、長蛇の列に並ぶ根性がなかったので、外から眺めるだけに。東京スカイツリー駅で降りて、案内の矢印に従ってスカイツリーの足元のソラマチの中に入ってしまうと、スカイツリー、見えません。足元過ぎて、上が見えない(^^;;;)上の写真は、外の広場(スカイアリーナ)から撮った写真です(^^)スカイツリーには登りませんでしたが、隣接のすみだ水族館には行ってきました♪入場料がお高くてビックリでしたが(^^;)きれいだし、勉強にもなるし、涼しいし(^^;;;)なかなか楽しめました。そして・・・水族館内のおみやげが安い。水族館のおみやげコーナーのおみやげを見てからソラマチに行ったのですが、ソラマチで売っているおみやげ、高すぎて買えませんでした(ー"ー)もちろん、水族館にはスカイツリーのマークが付いたものはあまりありませんが。ペンギンマニアのムスメには、水族館のおみやげコーナーは宝の山に見えたようで・・・お目めキラキラ水族館のあとは、ソラマチのおみやげコーナーをうろうろ・・・かわいいグッズのお店がたくさんありすぎて、ムスメも私も、お店に入るたび、なかなか前に進めず。なんだかんだいって、夕方5時近くなったので、家路につきました。次に来るときには、スカイツリーに登りたいです~♪
August 11, 2012
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今夏は父の新盆だし、去年の夏は私の実家にもオットの実家にも帰れなかったので、今回はどーんと1週間かけて、私とオットの実家を回ることにしました。・・・といっても。「どーんと1週間!」といっても、おととしの夏休みまではそれが当たり前でしたが。何が「どーんと」か、というと、ただでさえ短いムスメの夏休みなのですが、日曜日を除くほぼ毎日、部活があるのです。部活をガマンしてでも勉強しろ、という方針の学校なのに、ほぼ毎日部活・・・(汗)。しかも、夏休みに入って、さぁ部活の毎日だ!とはりきった初日に事故に遭い、ほぼ2週間、部活に出られず。ようやくお医者さんから部活OKの許可が出たと思ったら、帰省の旅、という、部活の顧問の先生にとっては「どんだけ休むの?」な状況になってしまいました。お盆を挟んで1週間休みます、って先生に言ったら、えー?って顔された・・・って、ムスメ。でも、しょうがないよ~、おじいちゃんの新盆なんだから、短縮するわけにもいかないし。というわけで、諸事情を考慮して、出発の日の午前中まで部活、1時半頃帰宅して、3時に空港へ出発、という、ハードスケジュールとなりました。私は私で、昨日まで仕事だったし(><)。もっとおみやげをちゃんと用意したり、家の中を片付けてたりしてから出発しようと思っていたのですが、もう、ドタバタしながらの出発となってしまいました。
August 10, 2012
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ムスコが生まれてから17年・・・。オットと私のどちらの実家にも帰省しない、というのは、初めてです。ムスコが小6の時にも、塾の夏期講習はあったけど、お盆休みの間にオットの実家には帰省したんですけど・・・。ムスメの塾の夏期講習は、5日間しかお盆休みがありません。講習が終わるのが8月29日なので、小学校の夏休みの宿題に使えるのは、正味7日間。ムスメ、夏休み前に、「自由研究もあるし、読書感想文もあるし、応募作品の作成もあるし・・・」と悩み始めたら眠れなくなっちゃったらしくて。やむなく、お盆休みの帰省を断念しました。本当は、今、オットの実家では、義父が介護施設に入って義母が一人暮らし状態なので、孫の顔、見せてあげたかったんですが・・・。大きい方の孫(=ムスコ)とオットがオット実家に帰ることにして、ムスメと私は、ムスメが生まれてから初めて、ずうっと夏休みを自宅で過ごすことになりました。ラクでいいかな~、なんて思ってたんですが。けっこう寂しいかも。でも、夏休みに入ってからずっと、ムスメと過ごす時間がほとんどなかったので、二人だけでゆっくり過ごす時間が、とても貴重に感じられます。来年の夏休みは、どうなるんだろうな・・・(^^)。
August 14, 2011
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春休みに東京の実家に帰省できなかったので、GWに行ってきました。本当は、ラフォルジュルネが目当てだったのですが、やっぱりチケット争奪戦に敗れてチケットを取れず・・・orzとりあえず、両親の様子を見たいと思っていたので、ムスメと二人、行ってきました。そんな東京で気が付いたこと。夜、羽田に到着したのですが、山手線から見る風景が心なしか暗かったこと。原宿駅から見える竹下通り、表参道が暗かったです。新宿西口も、まだ10時なのに、デパートの照明が全部消えてました。すごい~~!東京、暗くなってるーーー!!!と驚くかと思ったのですが、地方で過ごす期間が人生の半分以上になるほど、地方の生活になじんだ私には、その暗さが当たり前と感じている自分に驚きました・・・。電車の中も、いつもより暑かったです。そして、電車の窓が開いていたことに驚く自分にびっくり(^^)地下鉄に乗った時にムスメが「うるさい~~~」と言い出して気が付いたのですが、地下鉄の窓が開いてました。私には全然違和感がなくて気が付かなかったのですが、言われてみれば、ここのところ・・・というか、少なくともムスメがモノゴコロついてからは、地下鉄の窓は開いていなかったんですね。私が若かりし頃(^^;;;)は、地下鉄の窓が開いていて、ブレーキをかけるキンキンする音が鳴り響いたり、地下のかびくさいような湿気を含んだにおいが車内に広がるのは、当たり前のことだったんですが。実は、10年くらい前からか、東京に帰るたびに高層ビルの数が増え、この街、電気がなくなったらどうなるんだろ?と、妙な不安を覚え続けていました。だって、高層ビルって、エレベーターが動かなくなったら使えなくなるじゃないですか。高層階では風が強すぎて簡単に窓を開けられないでしょうから、エアコンが使えなくなったら、夏は暑くて死んじゃいそうですし。全面ガラスの高層オフィスなんて、エアコン前提でできてますし。夏は寒すぎて冬は暑すぎる屋内。ちょっと送電線が切れただけで、ちょっと指令系統が故障しただけで大混乱を来す鉄道網。生活が、自然から、大地から、どんどん切り離されていくのが当たり前となってしまっていることに、不安を感じていたのかもしれません。でも、東京にほぼ半世紀住んでいる母はずっと、夏でもエアコンをかけず、冬でも過剰に暖房をかけず、たくましく生活しています・・・単なるケチなんですが。うちの近所も、住宅街なので特に街が暗くなったわけでもなく、駅前のパチンコ屋さんの照明が消えていただけ。とりあえず、うちの実家&その近辺には、特に何の変化もありませんでした。今はよい季節なので、窓を開ければ涼しい風が入ってきますが、夏、東京は全体的に暑さに困ることになるでしょう。でも、うちの実家は変わらず例年通り暑いか・・・または、周囲が冷房を入れなくなったら、涼しくなるかもしれません(^^;;;)
May 5, 2011
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12月29日の夕方に出発して、東京、能登を回って、1月2日に帰る・・・4泊5日、大急ぎで駆け回りました~~~。それもこれも、ムスメの冬期講習の都合だったんですけどね・・・。次の年末年始は上下揃ってダブル受験生をかかえることになりそうなので、帰省できないから、今回はゆっくりしたかったんだけどな~~~・・・。ま、ムスメが元日早々熱を出してしまい義父母に風邪をうつしちゃったら大変なことになるので、さっさと実家を引き上げたことは、ある意味、よかったかもしれませんが。というわけで、まだ熱が下がっていないムスメを私のダウンジャケットでぐるぐる巻きにして、自動車で10時間の道のりをとっとこ帰りました。熱がある割には元気だったんですが。家についてから体温を測ってみたら、やっぱり38℃・・・。「のどがすごく痛い」と言っているので、きっとのどが真っ赤にはれてるんだろうな~~~。明日も熱が下がらないようだったら休日診療所に行くということにして、様子を見ることにしました。しかし。家に帰ってきてみたら、フツ―に暖かくてだれも暖房をつけようとせず。あれ?と思って、私がファンヒーターをつけてみたら、室温14℃・・・(^^;;;)帰省の旅に出る前は、室温16℃で「ひゃ~~~、今日は寒いね~~!」なんて言ってたのに、14℃が、すご~~~く暖かく感じましたよ・・・(笑)こうして、実家の旅で体が鍛えられて、ひと冬越える気合が入るのでした。
January 2, 2011
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・・・というわけで、ようやくブログで新年を迎えました。あけましておめでとうございますあいかわらずの駄文ですが、今年もよろしくお願いいたします~~~♪さて、朝起きたとき、ムスメに「雷がさぁ、すごかったよね~~~。目が覚めてしばらくねむれなかったよ~~~」と語りかけられても、オットに「すごい雷だったな。家が揺れたよな」と言われても、とんと記憶のない私。どんだけ爆睡しとんのじゃ新年の夜中はそんな大荒れの天気だったようですが、お昼頃には日も差し始めて、初詣にでも行ってこようか?な気分になったので、お昼ご飯を食べてから、みんなで神社にお参りに行ってきたのですが。車から降りた途端、雨が降り始めて・・・参拝の長蛇の列に数十分並んでいる間に、どんどん降り方がひどくなり、最後はフードかぶってもびしょぬれになるほどな降り具合。しかも寒い!そんな中で数十分、行列に並んでいたムスメ・・・「お母さん・・・気分悪い・・・」あれ?と思ったのだけど、気分悪いっていう割には元気そうだったので、そのまま初詣を続行したのですが。そのあと、スーパーによって食料などを調達し、オットの実家に戻ったのですが、ムスメ、ぽや~~~んとした顔をして「やっぱり、ぼーーーっとする」義母が体温計を出してくれたので、体温を測ってみたら。38℃でした~~~(^^;;;)あれーーーー、ごめんね、早く気付いてあげればよかったよ。元気そうに見えたから、つい、寒い中、連れまわしちゃったよ。新年早々、発熱。やっぱり、室温2℃はさすがに寒かったか~~~(^^;;;)2日には早々にオットの実家を発つのですが・・・大丈夫か?!
January 1, 2011
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この日、羽田から小松空港へのフライトに乗る予定だったわけですが。朝から、日本海側大雪のニュースが続き・・・フライトの運行状況をネットで調べてみたら、”天候調査中”の文字。1便早いフライトは、”視界不良により引き返す場合があります”の文字。おおおーーー。大丈夫か!?ムスコには「心配ならさっさとキャンセルして鉄道に変えたらいいのに」と言われるも、なんかそれもめんどくさくて、ぎりぎりまで待ちたい気分で。結局、私たちが乗る予定の便も”視界不良により引き返す場合があります”となって、飛び立ちました。が。小松空港についてみたら、何のことはない、ただの雨降り雪は半分くらい解けてました。よかったよかった。しかーし。オットの実家について、寝室として使う2階の部屋に行き、ファンヒーターをつけてみたら、室温の表示が2℃2℃ってーーー・・・4℃までなら見たことあったのですが、室温2℃ってーーー・・・。ヒーターをつけてしばらくして、室温が5℃くらいまで上がったら、「あったかいね~~~」な気分でした。もちろん、1階の居間はストーブをバンバン焚いてコタツも最強(^^;)なので、すごく暖かなんですけどね。コタツにもぐったまま紅白を見て、年越ししました(^^)v
December 31, 2010
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毎年、年末に東京に帰省するときには3泊以上はするので、クリスマスの名残のイルミネーションとか博物館・科学館、年末最後の一日とか、何か見るものにひっかかるんですが。12月30日の一日しか自由に動ける日がないとどこも行くところがない・・・(ー"ー)翌日出発だから、夜ふらふらとイルミネーションを見に行くこともできず、博物館も科学館も美術館も年末休業。それに、東京で外出すると、交通機関に乗っている時間が予想外に長くて、朝早く出ないと夕方までに帰ってこれない・・・でも、私は実家ではすごい朝寝坊(^^;;;)実家初日はぼーっとして、2日目から動き出す体力しかない私としては、滞在が中一日しかないような日程では、そもそも動く気にすらならず。というわけで。午前中、ムスメは山のような塾の宿題と、公文のプリントの直しと格闘し、私はその横で、ぼーーーっとしつつ、プリントの採点などをしていました。が。母の「あー、大掃除、何もしてないよねー・・・窓ふきたかったんだけど」という一言に、ムスメが鋭く反応。「ボク、やるよ!窓ふきたい!!」と。そしてムスメは、塾の宿題もそこそこに窓という窓、ガラスというガラスをピカピカに拭きあげました・・・(ー"ー)そして「お昼からはどこに行く?」いや、どこにも行かないって。行きたくないし。と抵抗してみたものの。「いや、どこかに行こう!さあ行こう!!!」とせっつくせっつく。仕方がないので、いつもの通り、新宿の東急ハンズへ行くことにしました。でもあの~~~・・・私はおじいちゃんのお見舞いに行きたいから夕方、ゆっくりできないんですが。と、ぐだぐだ言ってたら。母が「じゃ、先に病院に行こうか」と。というわけで、先に父の病院に行ってあいさつしてから、新宿の東急ハンズに行ってきました。で、お正月用にとゲームを購入。ポケット人生ゲーム ドリームチェンジ2人~4人用 998円正規サイズのボードゲームが欲しいと言ってたんだけど、2000円も3000円もする、しかも、重くて持ち運びが面倒なもの、買えません。なので、ポケットサイズの人生ゲームにしました。ちっちゃいけど、ゲーム内容は正規サイズ版とほとんど変わりなし。しかし・・・東京まで来て、行くところが東急ハンズしかないとは(ー"ー)今回の帰省は、あくまでも父と母の顔を見に行くのが目的でした。たったの2泊3日のために何万円もかけたのも、ちょっと疲れが出るようになってきた母の様子が心配だったから。(で、私がくたびれ果ててては世話ないがな)でもまぁ、ムスメとしては 東京=おばあちゃんち ではつまんないわなーーー。ちなみに。先に実家に来ていたムスコは、この日は朝早く起きて一人朝ご飯を食べて、そそくさと出かけて行きました。実は、12月30日を狙って東京に来たことが、あとになって判明(^^;;;)自分のものと、あとお友達に頼まれたものを買いに行ったそうで・・・同じ趣味のお友達がいてよかったな、ムスコ。「ついでに、地下鉄全線制覇してきた」って(^^;;;)というわけで、ムスコ一人、東京生活を満喫してました。
December 30, 2010
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というわけで、帰省の間、ここに行ってきました。ムスメの「ど~~~~しても!」というリクエストにこたえて行ったんだけど・・・ゆりかもめに乗るところから、人・人・人・・・!!!お台場合衆国のアトラクションもおおかた180分待ちだし、お土産売り場も、ラッシュアワーの電車内並み。土産物も、バラエティ番組のパロディ商品ばっかりで、まともなお土産なし~。嵐グッズを友達のお土産に、ともくろんでいたムスメでしたが、嵐じゃなくてやや嵐グッズしかなかった~~~台風一過のちょっと涼しい日だったのですが、それでも、暑かった~・・・。でも、ネプリーグコーナーの『ファイブツアーズ』(待ち時間が15分ほど(^^;))を2回して、ハモネプ最終予選を生で見る(聞く?)ことができて、まぁまぁ満足して会場を後にしました。ただし、フジテレビ社屋内の会場には入れず。エレベーターに乗るだけで1時間待ちと聞いて、あきらめました(ー"ー)社屋内はまた普通の日に見学に行ってじっくり見ることにします。帰りのゆりかもめは、ぎりぎり乗車制限にかからずに乗れたものの、やっぱり混んでました~~~こちらの方々も乗車されてましたので~。お盆の風物詩”コミックマーケット78”始まる!お盆にそんな風物詩があったなんて、知らなかったよ~~~。ムスコはなぜか知ってたんですが(汗)。人・人・人の波にもまれて、ある意味、ひじょ~~~~~に東京らしい体験ができたムスメでした
August 13, 2010
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というわけで、オット実家の最後の日。別行動のムスコは朝6時前にオットの実家を出発。オットに駅まで車で送ってもらうことになっていたので、私はそのまま寝ていようかとも思ったけど、義父母の手前、それはないか~~~(^^;)とあきらめて、結局、私が義母の次に起床しちゃいました。そういえばとあることを思い出し、あとから起きてきたムスコに、「仏壇に手を合わせてらっしゃい」と言いました。ふんっ!ってするかな~?と思ってたら、こういう指示にはやっぱり素直に従いました~。それから、せっかくだからと義父母とムスコの記念写真を一枚。義父には孫の顔を忘れないように、お正月までにゆっくり思い出してもらいましょう~。そして、ムスコは私にはふんっ!の顔のまま(^^;;;)、祖父母にはきちんと挨拶をして出発していきました。その後、私たちも早めに出発。でも、SA、PAでポケモンスタンプラリーをやってたりして、ムスメが「集めたい~~~!」と言い出し、北陸道のSA、PAを金沢から米原までほぼ制覇しました(^^;;;)おかげで、時間をくうこと食うこと・・・でも、地方から地方への移動は渋滞知らず。反対車線が激渋滞しているのを眺めながら、このときばかりは地方在住のありがたさを感じるのでした。1000円高速道路の恩恵にあずかり高速料金は超お安く上がりました。約10日ぶりの我が家に、ムスメとともに「ほっとするねぇ~~~・・・」ホント。でも、ほっとしたのもつかの間・・・ふと電話を見てみると、FAX受信のボタンが点滅していて・・・。仕事の依頼でした(涙)。なぜ~~~??留守にするって言ってたのに~~~~~(><)さて、朝超早く出発したムスコ。我が家到着は夜の10時半。若いって、すごいなぁ・・・・・。
August 16, 2009
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ムスコは、他の家族のメンバーとは別行動を取っていました。東京の私の実家にずっと滞在して鉄道の旅三昧を味わっていました。中学生になってから毎年、オットの実家に来るととたんに機嫌が悪くなって家族とコミュニケーションが難しくなる変な傾向があったので、今年はもういっそのこと来なくてもいいかな~?義母に心配かけるし。東京からまっすぐ家に帰ってきてくれてもいいかな?と思っていたのですが。自分の意思で、一泊だけオットの実家に立ち寄るという選択をしました。一応、跡取り息子ですし(名ばかりですが)。やっぱりお盆にはお墓参りをしないと。というわけで。お盆のこの日の夕方、ムスコはオットの実家に到着しました。でも、翌朝6時半の列車で出発・・・って。ホント、顔を見せるだけ。いいのか~?でも、家族の間のぎくしゃくが義母に悟られない程度の滞在で、内心、ほっとしました。オットの叔父や叔母も来てくれていたので、ムスコがそろったので、みんなでお墓参りへ。ここでも、子どもたち(姪も含む)がさくさくとお墓の掃除をこなしお墓の前でみんなで手を合わせ、一族のお墓を順番に回ってこちらでも手を合わせ、巨大ヤブ蚊の恐怖におびえながら、そそくさとお墓を後に。その後、すぐ2階の寝室にこもったきり出てこなくなったのですが、ここのところ毎年そんな感じだったので、今年が特に様子が変に見えるわけでもないところが妙に自然。「鉄道の長旅で疲れているみたいだから寝かせてますね」と義母に説明しました。寝たきりで少しぼけの症状も出てきた義父は、急速に大きくなって大人びてしまったムスコが誰だかわからなかったよう(^m^)ま、近くに住んでいる姪(14歳)の顔もよくわかってなかったみたいですが。でも、さるえのことだけはちゃんとわかっているのよねぇ・・・そういえば、うちの植物状態の実父も、さるえの声を聞くと涙する・・・。孫は「ちっちゃい」っていう思い込みが記憶を維持しているのかも??不機嫌なムスコをよそに、ムスメは従姉妹のCちゃん(14歳)に会うのをずうっと楽しみにしていました。だから、この日来てくれたCちゃんにずっとまとわりついて離れようとしませんでした。でも、Cちゃん、一応、受験生。ということで、二人で勉強する・・・ように見せかけて、ときどき、きゃははは~~~♪という声が。ガールズトークを楽しんでいたのでしょうか(^^)といっても、どちらもおしゃれに全く縁のない、ボーイッシュタイプなんですけどね。性格、よく似てます。Cちゃん、いつもさるえの面倒を押し付けちゃってごめんね~~~、と思いつつ、でも、ちょっとは対等に会話ができる関係になったのかな?と成長を感じました。なんかこう、片やどんより雨雲(ときどき雷雲)を背負ったようなムスコ、片や何をやっても幸せで楽しいお年頃のムスメ。私の精神のバランス、がけっぷちを歩いている感じ~・・・ってことに気づいたお盆でした。
August 15, 2009
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オットの実家は海の近くです。知る人ぞ知る海水浴場も近くにあります。なのに、オットの実家に来ても、海で遊ぶことがほとんどない・・・。ま、いろいろ事情はあるのですが。でも、オットはずうっと前から子どもたちに「そのうち釣りにつれてってやろうなー」なんて言っていたりしたのですが、一度も行こうとする気配すら感じられず・・・で、そういえば、私が東京の実家に子どもを連れて行くときには、必ず、私がいろいろ下調べをして、私がいろいろなところに子どもたちを連れて行って、私がいろいろな体験を子どもたちにさせてるのに、オットは自分の実家に連れてくるだけ連れてきて、何もせん!ということに気づいたのでした。そりゃぁ、東京と田舎ではアクティビティの多様さは違うけど、田舎には田舎なりの何かがあるはずではないか!?なのに、いつも家の中でぼ~~~っと死にそうなほど退屈な日々を何日も送らなければならないのはなぜなのか!?なんか楽しみがないと、子どもたちももうこちらの実家には近寄らなくなるよ!と、危機感を募らせた私。すでに、ムスコはいっしょに行動しなくなったし、釣りする、釣りするっていったって、来年はムスメも一緒に動かなくなるかもしれないよ!とオットを脅したら、オット、しぶしぶ、高校生のときに使っていたという釣竿を引っ張り出し、ムスメを釣りに連れて行くことにしたのでした。今年は朝晩は寒いくらいの涼しい夏でもあり、動きやすいということもあって。そしたら、ムスメ、大興奮でした。エサにするためのヤドカリを磯で捕獲してから堤防へ。堤防の外側は風で飛ばされそうだったので、内側で糸を垂れてみました。・・・もちろん、初心者がそう簡単につれるはずもないわけで。小魚しか泳いでないのに、針がでかすぎだし。でも、ちょっとした手ごたえを感じたり、わくわくしながら待ったり、という経験も、楽しかったようでした。エサのヤドカリの鮮度が落ちたので、もう一度磯へ行き、ヤドカリを捕獲。それが尽きたところで終了となりました。ムスメ、釣りも楽しかったようですが、磯でヤドカリをたくさん取ったのも楽しかったみたいです。私は、オットとムスメがヤドカリ取りに精を出しているとき、ぼーっと岩間を眺めていたのですが、そしたら、ヤドカリ同士の宿をかけた戦いや、ヤドカリとカニ、小さいカニと大きいカニのえさの取り合い、と、のんびりすごしているように見える磯の生き物たちの熾烈な生存競争が垣間見えて面白かったです。うん、生きるってことは戦いなんだー・・・。磯で人生を悟った私でした(爆)。次は、小さくてもいいから1匹釣り上げたいですね~~~。
August 14, 2009
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私の実家からオットの実家に移動するために、東海道新幹線で米原へ。東名高速は静岡地震で中断されておりましたが、新幹線は無事でした。さて。米原に止まる新幹線は本数が少ないので、自由席の私たちは早めに東京駅へ・・・って、早すぎて1時間も待つことに。ホームでムスメと二人、ぼーーーっと待っていると、某TV局の朝の情報番組のスタッフの方がハンディビデオ片手にこちらにやってきました・・・。そして、私と目が合うと、とことこっと近寄ってこられました。おおお、なになに~~?私、インタビューされちゃう?とドキドキしていたのですが。「自動車で東名高速で移動する予定だったのを変更して新幹線にされた方を探してるんですが・・・」あー、残念。私たちには該当せず。「ちがいます~~~(^^;)」とお返事すると、再び他の人を探しにホームの端の方まで歩いていかれました。さて、1時間も待っている人なんて私たちくらいだったようで、次から次へとホームにいる人たちは入れ替わっていったのですが。3~40分たったころだったか。再び、件のTV局スタッフの方が私のほうへ・・・「あのー、自動車で東名高速で移動する予定だったのを変更して新幹線にされた方を探してるんですが・・・」と同じ質問を。で、「あ、先ほどお伺いしましたね!?」と気づかれました。あはは・・・すみません、バカみたいに長時間ホームでぼーっとしていて(^^;;;)「そうです~。がんばってくださいね~~~!」と励ましの言葉をかけました。地震のせいで自動車から新幹線に乗り換えた人、なかなか見つからなかったようです。この暑い中、大変なお仕事だなぁ~~~、と華やかなマスコミを支える裏方さんのご苦労がしのばれました。さて、目的の新幹線がやってきて乗り込んでみれば。さみしい~、っていうか、こわい~~~~っていうくらい、人が乗っておらず・・・1時間待ったのは、なんだったのか・・・(ー"ー)地震の影響とか、全然なし~~~(><)乗車時間2時間バク睡の後、米原到着。自動車で来ていたオットと落ち合い、そこから北陸道で、途中夕食を食べながらオット実家へ。無事、実家に到着しました。
August 13, 2009
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ムスメの自由研究のために行ってきました!造幣局東京支局の造幣東京博物館と国立印刷局のお札と切手の博物館どちらも入場無料!池袋にある造幣東京博物館は、見学スペースが小さくてあまり見栄えのするところではありませんでしたが(本局の大阪の方はもっと立派そう~~~)、クリアファイルに入った資料一式(大人用と子供用)をいただいて、さらに職員の方の丁寧な案内つきで、いろんなことがよくわかりました。自由研究に~・・・というと、参考資料のプリントがおいてあるところも案内してくれました。子供用の資料が充実していて、「この季節、そういう方が多いんですよ~~~」だそうで(^^;;;)考えることはみな同じ?ムスメ、丁寧に説明していただいたことに大感激でした。市谷にある国立印刷局の『お札と切手の博物館』は、市ヶ谷駅からちょっと遠いしすんごく急な坂を登っていかなければならないので暑さの中ではつらかったですが(^^;)博物館らしい博物館でした。お札の印刷って、ものすごく高度な技術がたくさん使われてるんだーーーということがよくわかりました。夏休みの特別行事として、紙すき体験と、お金の歴史がよくわかる特別展をやってました。本物の大判小判(^^;;;)から世界各国の昔のお金(ローマ皇帝が描かれているローマ時代のコインとか)が展示されていて、圧巻でした。コピーと表示されている一部の物以外はすべて本物ときいてびっくり(@@)。どちらもじみ~~~~な博物館でしたが、お金について意外に知らないことがたくさんで、親の私にとってもいい勉強になりました。さぁ、ムスメは集めた膨大な資料をまとめきることができるのか!?
August 12, 2009
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私の実家方のお墓は実家から離れているのでなかなかお墓参りに行く機会がなかったのですが、せっかくだからお墓の掃除に行こう!と母が言い出して、お墓参りにいくことになりました。いっしょに滞在しているのに私とはひと言も口をきこうとしないムスコもいっしょに(ばあちゃんとは普通にしゃべってますた・・・)。ムスコが小さかったとき以来、来たことのなかったお墓でした。ムスメは初めて。子どもたちもずいぶんしっかりしたから、高台にあるお墓の石垣から落ちる心配もなくなったし(^^;;;)お墓掃除の即戦力にもなるし。二人ともテキパキと働いてくれて、お墓をこれでもか!というくらいぴかぴかに掃除して、最後にお線香を供えて手を合わせました。私に対しては理不尽なほど反抗的な態度をとるくせに、そういうところはとっても保守的なムスコ。ちゃんとお墓を大切にしてご先祖様に手を合わせるという心があることがわかって、ほっとしました。帰りに、祖父母が残した小さな家と畑の手入れを母がして帰宅。(私は家の中でうとうと・・・(こらこら))もう70歳も間近だというのに、ぎっくり腰になった~、腰痛い~~~、と騒ぎながら、私よりもよく働く母なのでした。なんであの体力は遺伝しなかったのかなぁ・・・?
August 11, 2009
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私の母は、30年以上、ずっとバドミントンをしています。そのご縁で、区の学校開放のお世話をするようになったりして、毎週日曜日、小学校か中学校で地域の人たちとバドミントンをしています。30年以上、毎週毎週~・・・。そのせいで腰を痛め、去年の春、腰の手術をして感染症にかかって入院3ヶ月・・・大騒ぎになったにもかかわらず、腰の痛みが取れたらまたケロリとせっせとバドミントンに通ってます。我が母ながら、その筋の通り方には脱帽。でも、地域の方々との交流があるおかげで、父が倒れて母が一人暮らしになっても、安心して放っておけるのはありがたいことです。で、この日曜日も「火曜日にバドミントンしたらぎっくり腰になっちゃってさぁ・・・」とか言いながら、でも、学校開放の当番だから、と、バドミントンに行くことになりました。私は行きたくなかったんです。体弱いし。ディズニーランドで疲れたし。また心細動を起こして倒れたらヤだし(かつて、松村邦洋さんに近い症状で倒れたことが・・・(^^;;;))。でも、「行く行く~~~!」とノリノリになっている人が一名・・・。ムスメ。ムスメが行くのに、保護者の私が付いていかないわけには行かず、やむなく、付いていきました。「私は試合はしないからね。さるえの相手だけね」と念を押して。で、空いているスペースでずっとムスメの相手をしていたのですが、いつの間にかずいぶん上達していて、パァ~~~~~ンとシャトルがいい音を出して飛ぶようになってました。ときどき、オットと練習に行ってた成果が出てました。それを見ていた参加者の方々が・・・「おお、いい筋してるねぇ!!今から鍛えたらかなりの線まで行くんじゃない~~?ジュニアでやったらいいのに!!」とか、ほめてくださって。ムスメ本人もさらにノリノリに~・・・でも、ムスメはピアノに空手に大忙しで、バドミントンをする余裕はないんです~~~・・・と小声で言い訳する私。お世辞とはいえ、ほめられると天まで昇る人だから~・・・。でも、本当はムスメ、バドミントンをしたいんだろうな・・・。私が無理にあきらめさせちゃってるのかな??でも、本当に時間がないもんな・・・。思考の堂々巡り、再発~~~。さてそんな中、あることに気づいた人が。参加者10数名中、サウスポーが娘を含めて5人も!局地的に左利きの人口密度が高いことが判明したのでした。偶然とはいえ、興味深かったです~。自分の母校にいまだに出入りできる、しかも自分の子どもをつれて・・・というのも、とっても不思議な感じでした。それにしても・・・体育館も校庭も、あんなにちっちゃかったっけ??(我が子達の小学校は田舎にあるのででっかいのかもしれません・・・)
August 9, 2009
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前からムスメに「つれてって~~~」とせがまれていたので、ムスメと私で行ってきましたディズニーリゾート。ムスメは2歳のときに行ったきりなので、モノゴコロ付いてから初めて。実は私も小さいムスコやムスメをつれてしか行ったことがなかったので、メインの乗り物に乗ったことがなかったのです。なので、東京の実家から出発し、ベイサイドのオフィシャルホテルで1泊して、2日間使ってディズニーランドを制覇しよう~~~というゼイタクな計画にしました。ホテルオークラ東京ベイそして、2日間過ごして思いました。ディズニーランドは魔法の国だ~~~。一歩踏み入れると金銭感覚がなくなる。この不景気に、なんか「買わなければ!」な強迫観念に追いかけられてましたー。他の人たちもみんな、お土産を山のように抱えていて、不景気なんてどこ吹く風~~・・・。ああ、魔法の国。東京の実家から出発してから帰るまでに使ったお金を合計してみたら、!(@@)!これに航空運賃を入れたら、一財産です・・・。「おかあさん、ディズニーランドはいいねぇ!タダで乗り物に乗り放題だよ!」(^^;)「ああ~、楽しかったぁ~~~♪また来ようね!!」いろいろ誤解はあるようですが、そこまで喜んでいただけると連れて行った散財した甲斐があったってぇものです。ムスメの笑顔と思い出のためと思えば・・・。でも、意外に私もすっかりとりこになってしまいました。また行こうね。次はディズニー・シーにも♪
August 6, 2009
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いつもは、昼間は暑くとも朝夕は涼しくなるオットの実家@少子高齢化モデルタウンのような集落(^^;)。義母は、真夏でさえ、お手製の麦茶を冷蔵庫にしまいません(^^;;;)。煮物なども一日1~2回火を通しながら食べることが出来たので、いつも私たちが行くときには大量に作っておいてくれるのですが。今夏は、元気な義母が畑に出る気も失せるほどの暑さで、食べものがあっというまに悪くなる。雨が全然降らなくて、畑の作物もおかしな具合になってしまうと、ひとしきり義母のグチを聞いた、実家到着当日の夜。遠雷がゴロゴロゴロと鳴り響いてはいたのですが、次第に風が強くなってきて、布団に入ってしばらくしたら家が潰れるんじゃないか!?と思うほどの大雨がぁーーーーー!!!実家は高台にあるので流される心配はないのですが、それでも、このまま家ごと流されるかも?と思わないではいられないような、文字通り、バケツをひっくり返したような豪雨でした。翌朝までにはすっかりやんで、晴れ上がり、大地が雨で冷えたのか、気温もすっかり下がりました。その後、3泊4日の滞在中、主に夜中を中心に、スコールのような大雨が何度も何度もやってきたのでした。実は、東京の実家でも同じようなことが。私たちが到着したその夜から、毎晩、集中豪雨。どちらの実家にも冷房がないので、夜は窓を開けて寝るわけですが、ドシャーーーーー!!!!の雨音にたびたびたたき起こされては窓を閉め歩く夜・・・。おかけですっかり寝不足となりました(^^;;;)。ま、そのおかげで、どちらの実家でも比較的涼しい日々を送れたのですけどね。で、8月初旬から「渇水対策中」の自宅に帰ってきたら、やっぱり降りました、スコールのような雨。ただし、スコールくらいでは水不足は解決しないようで、雨女な母娘もあまり役には立っておりません・・・。でもぉ、梅雨時にはすべてが腐りそうな勢いで毎日雨が降ったのに、渇水って・・・。梅雨時、ダムの放水してたよねぇ・・・(ー"ー)
August 16, 2008
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短い東京滞在を終えて、ムスメと私は飛行機で北陸へ移動~。といっても、何を考えたのかオット、夕方6時の便を予約しちゃったもんだから、この日は朝からダラダラ~~~~っと荷造りなど。どういうわけか、私たちが到着したその日から東京中にエアコンが効いているのかと思うほど、すずし~~~い毎日でした。最高気温が4~5度も下がると、こんなに快適とは♪滞在中、できる限り父の見舞いにも行きました。といっても、ムスメがちょっといやがるので、なかなか行けなかったのですが。孫たちが来たのがわかったのか、血圧が上がりまくり微熱も上がって心配だったのですが、それでも、「英玲だよ~~~」という声に反応して目を開けてくれたり、ちょっとだけ涙を流してくれたり、愛想笑い(のように見える顔・・・ひきつっていただけかも)をしてくれたり。気のせいかな~~~?くらいの変化ではありましたが(苦笑)。改善も見込めなさそうな状況ですが、悪化もせず、病状が安定していてホッとしました。名残惜しかったのですが、3時半には羽田に向かいました。いくら涼しいとはいえ、エアコンのない実家・・・。空調の効いた空港内での、オリンピックのTV観戦は心地よかったです・・・いざ、再びエアコンのないオットの実家へ~!
August 13, 2008
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えーと、これはオマケのようなものですが・・・。新宿駅西口広場で新宿駅西口ジャック広告崖の上のポニョPRキャンペーンってのをやっているのを偶然発見。内側からライトで照らした大型映像パネル65枚が、すべてポニョのカットで埋め尽くされているそうです。8月末まで。なんで、こんなもんを発見したかというと・・・。ムスコが、私とムスメより一足早く、青春18きっぷでオットの実家に向けて出発することに。でも、その出発の時間ってーのが・・・23時53分 新宿駅発。夜中とはいえ、新宿駅は人も多いし、安全性は昼間と大差ないとは思っていたのですが、そうはいっても、若干14才の子どもを、一人で向かわせる時刻でも駅でもなく・・・。結局、母が車を出してくれて、新宿駅までみんなでお見送りをしてあげることにしました。でも、昼間の渋滞しか知らないムスコ。新宿駅まで車でどれだけかかるか不安だから、遅れると困るから、と、発車時刻の1時間45分も前に実家を出たのですが・・・東京とはいえ、夜中の道路はがら空き。あっという間に新宿駅に到着し、1時間弱の待ち時間ができてしまいました。ムスコを駅に置いてさっさと帰ろうと思っていたものの、さすがに、ムスコ自身が1時間も夜中の新宿駅にひとりぼっち・・・というのが怖かったのでしょう。「帰らないで・・・(必死)」と泣きつかれ、30分だけ待ってやることにしました。といっても、座るところもなく、喫茶店も開いておらず、時間をつぶせるところもなく、西口広場でぼーーーーっと時間を過ごしていたのですが。そんなときに、こんな文字が目に飛び込んできました。「新宿西口広場 崖の上のポニョ展 すぐうしろ」え?すぐうしろ??そこで、退屈していたムスメを連れて、西口広場をうろうろ~~~~っとお散歩してみたら。明るくバックライトで光っている大型スクリーンに、ポニョの美しいシーンがどどーーーーんと・・・。ポニョは映画でも見に行ったのですが、すぐに消えてしまう映像と違って、こちらは静止画なので、セル画の美しさをじっくり堪能できる感じでした。・・・感じでした・・・というのは。なにしろ夜中の11時すぎ。私もムスメも、暑さと疲れと眠たさでボ~~~~っとしていて、近くの数枚の絵を見ただけで、もういいや・・・な気分になってしまい、早々にその場を後にしてしまったのでした。65カットもあったなんて・・・。もうちょっとじっくり見たかったぁ、もったいなかったぁ(><)。
August 12, 2008
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すみません・・・前の日記にコメントをいただいているのですが、どうもパソコンが不調で、コメントのお返事を書くのにやたら時間ばかりかかってしまうという状況に・・・(><)後ほど、調子を見計らってまとめてお返事をいたします。***さて。前々日に地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅から消防博物館に行ったのですが、そのとき、出口の案内板に見慣れぬ標示が。東京おもちゃ美術館。明らかに、「最近貼り付けました」な標示だったので、何か新しい施設ができたんだな~。なんか魅力的な名前♪と記憶に留めておきました。そして、実家の母に「東京おもちゃ美術館って知ってる?」と聞いてみたところ、母の友人グループで(つまりおばちゃん集団で)行ったという話を聞いたと。なんでも、おばちゃん集団でもたっぷり遊べるような楽しい施設だとのことでした。で、東京滞在の最終日、「お台場冒険王にいきたい!!!」と相変わらず主張していたムスメを説得し、ついでに「僕も行ってみよーかなー」というムスコも一緒に、お昼頃東京おもちゃ美術館に向かいました。たまたま発見して気まぐれに訪ねたこの施設が、今回の帰省のイチオシになろうとは・・・。廃校になった小学校の校舎をそのまま再利用して作られた施設だそうで、なるほど、行ってみれば、外見も入り口も校舎も校庭も、ぜ~~んぶ、小学校そのもの。その外見のあまりの地味さに、ムスメはたいそうショックを受けて、うつむきうなだれ、目には涙・・・ほら、やっぱり冒険王の方が・・・と、無言ながら全身で訴える様相。私も、こまったなー・・・こんな地味な施設にしては入場料高いしなーーー・・・中に入ってヘソもつむじも曲げられたら、どうしよう~~~(ー"ー)と、内心、たいそう後悔したのですが。一足中に入ったら、そんな心配は吹っ飛びました。中には、ムスメもムスコも大好きな知育玩具や木製のボードゲームがこれでもか、これでもかと目白押し。どれ一つとっても高価なものばかりで、おもしろそうだけど個人で購入するにはためらうようなものばかり。いつもは、東急ハンズやあちらこちらの知育玩具やさんの見本のおもちゃで夢中になって遊ぶ二人。そういうのが、あっちにもこっちにも、さぁどーぞーーー!自由にお遊び下さい!な状態でずらりと並んでいるわけです。二人とも(しかも一人は中3!)、目を輝かせて遊び始めました。さらに、二人にとってラッキーだったのは、並んでいるゲームのたぐいが、未就学児や小学校低学年の子供たちには子どもだけで遊ぶにはちょっと難しめのものばかりだったので、さほど広くない会場に入場者が続々入っていく割にはゲーム・おもちゃコーナーには人影はまばらで、思う存分遊べたことでした。ボランティアの方がなつかしのおもちゃコーナーでは、コマ回しやお手玉を教えてくれたり、科学おもちゃコーナーでは、不思議なおもちゃの遊び方をこっそり教えてくれたり(^^)小さいお子さん用には独立のプレイスペースがあって、木製のボールプールやそろばん玉プールがあったり、小さい子でも遊べる知育玩具が置いてあったり(<大きい子どもは迷惑かと、我が家は入りませんでしたが)。赤ちゃん向けに、休憩所にオムツ換え・授乳室も完備されています。午後からは工作教室などもやっているようでした(参加申込は午前中なので我が家はエントリーできず・・・)。お昼過ぎに入場したのですが、閉館時間の午後4時になっても、遊び足らず名残惜しそうな二人。結局、閉館時間を過ぎても開けていてくださっていた併設の知育玩具の売店で、見本のおもちゃで数十分遊んでいました・・・(^^;;;)それでも去りがたい様子の子供たちを、せかすようにして施設を後にしたのでした・・・。入場する前はくったりとうなだれて不機嫌だったムスメも、帰る頃には「またこよーねっっ!!!」中学生のムスコまで、たっぷり遊ばせていただきました(^^;)。入場料は、この手の施設にしてはお高めですが、中に置いてある一流の知育玩具の導入・メンテを思えば、それもやむを得ないかな、と納得でした。年齢を問わず楽しめるのも魅力です♪きっと、しばらくは帰省のたびに訪れることになりそうです。
August 12, 2008
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実は、今回の帰省のメインイベントはこちらでした。本所防災館での防災体験ツアー。事前に予約が必要なのですが、1週間前に電話してみたら予約できました。東京消防庁の広報活動の一環として、前に紹介した消防博物館の他に、本所、池袋、立川に防災館というものがあります。消防博物館と違って、防災館は体験型施設で、消火、煙、人命救助、地震の体験をすることができます。そして、本所にだけは、このほかに暴風雨体験というのができる施設があります<これが本所のウリ!何年か前にナイナイサイズ!という番組でナインティナインのやべっちがこの「本所防災館」を紹介していて、おもしろそーだなーと思っていたのですが、東京23区の西の端っこに実家のある私にとって、「本所ってどこ?」(<下町の皆さま、ごめんなさい。東京育ちの田舎ものです)な感じだったので、なかなか行けませんでした。でも、もう、ムスメも大きくなったことだしトライしてみようかと(^^;)総武線 錦糸町駅からバスで5分ほど。バスは駅前から5~10分に1本は出ているようで、すぐに乗れました。意外に便利の良いところでした。ガラガラの消防博物館を見ているので、本所防災館も、要予約とはいえ、そんなに人がいないんだろうなーーー・・・とあなどっていたら。到着してみてビックリ(@@)ロビーに見渡すばかりの数の小学生の団体・・・消防クラブとか、子供会とか児童クラブとか、そんな感じの小学生のご一行さまがロビーを埋め尽くしていました。いやーーー、そんなにメジャーな施設だったのね、とロビーの入り口のポスターを見てみたら、「レスキューフォースのエンディングに使われているのが本所防災館です」の文字が。そーだったのかー・・・(^^;;;)ツアーの最初は、3Dシアターで「もし大地震が来たら」というテーマのビデオ視聴。それから、実際に消化器を使う消火体験(ただし、火はモニター映像)煙が充満した迷路を非常灯をたよりに脱出する煙体験、風速30mの暴風と暴雨を体験する暴風雨体験(雨具で完全装備!雨具はすべて貸してくれます)最後に、震度7まで体験できる地震体験の4種類を体験します。ムスメを連れて行く、という目的がなければ、わざわざ体験しになど行かないだろうし、実際、「わかってることばかりだから、別に体験しなくても・・・」と、かな~~~りあなどっていたのですが・・・百聞は一見・・・いえ一体験にしかず。ムスメよりも私の方が「やってよかった~~~♪」と思いました。特に、煙と地震。煙体験では、いつも室内の景観のオマケとか邪魔くらいにしか思っていなかった非常灯でしたが、いざというときにはあれがなかったら絶対に助からない!と思うほど、大切な大切な存在であることに気づかされました。そして、地震。子どもは震度5強までしか体験できないのですが、大人だけ震度7を体験させてもらえました。ごめんなさい。私、地震をあなどってました。震度7が、あれほど恐ろしいものだとは・・・。震度5強までは実際の地震で体験しているのですが、確かに怖かったのですが、まぁ、そんなもん、くらいにしか思っておらず。でも、震度7はその比じゃない・・・体験では揺れていたのは20秒程度でしたが、阪神淡路大地震ではその倍の40秒程度だったと聞かされて、ぞ~~~~~っ。すぐに我が家の災害対策を見直します!と心に誓いました。一連の体験で、ムスメが一番おもしろかったのは、暴風雨体験だったそうです(^^)大人用のカッパと違い、子供用のカッパは暴雨が容赦なく顔にかかってしまうので、息ができなかった~~~(><)と、言ってました。でも、それがおもしろかったと。ツアー終了後、引き続き、夏休み工作教室(8月19日まで)で地盤液状化実験ボトル「エッキー」をつくりました。ペットボトルに砂と水と大きめのビーズ付き押しピンを入れただけの(^^;)ものなのですが、これがなんと、特許を取得しているんです!(笑)でも~・・・小学生に地盤液状化はどうにもピンと来ない現象で・・・そんなもん作っても、どうかな~~~?などと(失礼!)半信半疑でとりあえず作ってみたのですが・・・液状化がどうこうは抜きにして、おもしろい。癒されるというか~~~(^^;;;)持ち帰ったら、ムスコも私の母も、そしてオットまで、無心に遊んでました。今、写真をアップできない(パソ不調につき)のが残念です(苦笑)。何でも頭でわかったつもりにならないで、体験してみるものだと実感した防災館でした(^^)。
August 11, 2008
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ムスメが自由研究のタイトルを「消防署のひみつ」に決めたのだけど、さて、地元では見学できるような消防署はなく・・・で、東京に行ったついでに、消防博物館に行けばいろんな資料がもらえる、と思い出したので、一昨年の夏休みにも行ったことがある、四谷の消防博物館に行きました(去年の夏休みに行ったと思ってたのに、一昨年だったなんてーーー!)。あいかわらず、閑散としてるかな~?と思いきや、消防車マニアなちびっこたちが結構来てました。レスキューフォースの影響かも。前回は、なんとな~く眺めに行っただけだったのですが、今年は「一番最初の消防署は誰がつくったのか?」というテーマを持って見に行きました。なので、前回はかる~くスルーしてしまった消防の歴史の展示(<博物館が一番力を入れている!)を良く見て回ることにしました。すると、ラッキーなことに、ガイドツアーがちょうど始まる時間にあたりました。で、消防の歴史の展示についてガイドさんの説明を聞きながらまわることに。私にとっては、なかなか勉強になるツアーでした。日本で初めての消防組織は江戸時代初期に江戸に誕生した「火消し」であったこと、火消しにも、定火消し、大名火消し、町火消しの3種類があったこと、江戸時代の消火は、水で火を消すのではなく、家を壊して延焼を伏せぐ「破壊消火」だったことなどなど・・・自分で展示を見ていただけでは漠然と眺めているだけで頭に入ってこなかったことも、ガイドさんに説明してもらうとよくわかりました。が。まだ日本史を勉強していないムスメにとって、ガイドさんの発するコトバは、外国語のようにちんぷんかんぷんだったようです・・・なんたって、「江戸時代」もわからなければ、「明治維新」も聞いたことがない言葉・・・ただ、ムスメはNHKの大河ドラマを見ているので、かろうじて「江戸時代というのは、かずちゃん(山内一豊)や信長が戦争していた時代が終わった頃に始まったのよ」とか「明治維新っていうのは、だいたい篤姫が生きていた頃のことよ」とか説明したら、なんとな~~~く納得してくれました(^^;;;)最近の子供たちは、「暴れん坊将軍」なんて見てないですもんねぇ~・・・(火消しのイメージが一発でわかる(^^;))結局、ムスメは全然ワケわからずな顔をしていたので、ガイドツアーが終わった後、もう一度ふり出しに戻って、私がムスメにわかるように説明してやりました。今回、初めて知ったのですが、「消防博物館」というのは、日本全国でここ一つだけなのだそうです。江戸時代に四谷見附の定火消し(江戸城の火災を見張る火の見櫓があった場所)だったという、由緒ある場所なのだそうで。そういわれると、なんとな~~~くありがたく感じるのは、私が単純だから??(^^;;;)夏休み中は、クイズラリーやペーパークラフトの工作、防災アニメの放映など、子ども向けのイベントもやっています。でも、基本的には、消防車大好き~~~~♪みたいなお子さん向きの施設ですねー。ムスメといえば、「一番最初の消防署は誰がつくったのか?」という問に「江戸時代の火消し組織が最初」という答を得たものの、全然納得のいかない顔のままでした。やっぱり、ピンと来なかったかー(笑)。
August 10, 2008
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今を去ること、先々週の土曜日から1週間、私(東京)とオット(北陸)の実家に帰省してきました。ムスコは、私とムスメとは別行動で、青春18きっぷで一足先に一人で東京へ。24時間かけて私の実家に到着したようです。私とムスメはいつもの通り、近場で人混みを避けられてあまりお金のかからない施設めぐりをしてきました(^^;;;)。ディズニーランドは遠いし、ムスメが行きたがっていたフジテレビお台場冒険王ファイナルはなんか、すごく混んでそうだったし~~~。今、ちょっと忙しいのですが、行ったところのレポートをぼちぼちアップしていきます。
August 9, 2008
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帰省中、毎日1万歩以上、鎌倉に行ったときは2万歩も歩いたのに・・・こちらに帰ってきたら2kgも増えてました。私にしては準備よく、自宅に帰る日に荷物を受け取れるように、帰る日の前日に荷物を某宅○便で送ったのに・・・荷物を受け取ったのは翌々日でした(T_T)調べてみたら、うちの荷物は集荷代理店に28時間も留め置かれていたのだとか。しかも、理由を問い合わせたら、他の荷物が多かったので・・・云々。なんだそれはーーー!代理店が発送を忘れたんじゃん!!ムスメと私がこちらに帰る日、朝からどしゃ降りで、徒歩3分のバス停まで歩くだけでびしょぬれになりました。帰って来るなり、めまいでたおれて、子供たちには気づいてもらえなかったし・・・(<結構、傷ついたのよ~)そんな中、実家滞在の最後の日に、父の見舞いに行ったら、それまで目も開けてくれなかったのに、その日だけ目を開けて、涙を流してくれました。目は確実に、ムスメと私を追っていました。母の腰の手術も成功し、起きあがってご飯が食べられるようになっているのを見届けて実家をあとにすることができました。今回の帰省で、一番嬉しかったことかもしれません。さて、明日はムスメが、あさってはムスコが、新学年のスタートを迎えます。二人とも、もう3年生です(*^^*)
April 7, 2008
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前の日記に書いた、中学受験で女子校の御三家の1つに合格し、その後、東大にストレートで入ってしまったAちゃんが、こんなことを話してくれました。Aちゃんのお友だちに、通信教育で有名なbネッセに就職した人がいるのだとか。その人が、bネッセの調査の結果、「頭の良し悪しは、生まれつきの能力ではなく、毎日数十分ずつでも、こつこつ続けているかどうかで決まる」ということがわかった、と教えてくれたそうです。週1~2回くらい、何時間もまとめて勉強するよりも、毎日こつこつが大事だと。でも、Aちゃんに「頭の良し悪しは生まれつきの能力ではない」といわれても~~~(^^;;;)という思いがないことはなかったし、その「こつこつ続けられる能力」自体が頭の良し悪しなのよ~~~という思いもなきにしもあらずだったのですが。でもまぁ、賢いママさんならすでに経験的にご存じのことが調査の結果裏付けられた、ということでしょうね。うちのムスメも、低学年のうちは週に1~2回塾に通わせるよりは、自宅で少しずつやらせるだけで、まぁいいのかなぁ~?と、ちょっぴり安心しました。・・・が。私の横にいたムスメにはすかさず、「さるえちゃ~~~ん、今のおはなし、ちゃんときいてた??毎日、少しずつがたいせつなのよーーー!わかったぁ~~~?」と念を押したのは言うまでもありません(^^;;;)ムスメ、気まずそ~~~な顔をしていましたが。でも・・・。Aちゃんとお別れしたあと、ムスメに「Aちゃんはねぇ、東大を卒業した人なのよ」と教えてあげると、「すご~~~い(☆☆)」と目を輝かせていました。もちろんムスメには、それがどれだけ「すごい」ことなのか、ぜんっっっぜん、わかってません。最近、「ボク、東中に行って、東高に行って、東大に行くの!」と宣言しちゃったくらいで。・・・って、ムスメとしては単に語呂合わせな一言だっただけなんですが。(お兄ちゃんには「やれるもんならやってみたら・・・」と失笑され・・・)でも、女性のモデルケースを見つけにくい地方に住んでいるムスメにとって、Aちゃんは確実に刺激になったようです。なにしろ、こちらに戻ってきてからも、あれ?Aちゃんはなんていっていたっけ~~?というと、勉強を始めたりしますから(^^;;;)ムスメには「ステキで賢いお姉さん」に見えたようです。女性としては大変高学歴なAちゃんですが、おっとりとして素直で素朴なところは、子ども時代と全然変わってませんでした。子どもの頃と違うのは、そこに「謙虚さ」が加わったくらい。そんな彼女と少しだけおしゃべりして、中学受験で成功しても、たとえ最高学府に入って卒業したとしても、その後の人生が決してバラ色の道なわけではなく、人生に悩み、進むべき道を自分で手さぐりしながら探さなければならないという苦労は、誰にでも同じようにあるんだな~ということが、ちょっとだけかいま見えたような気がしました。でも・・・きっと次に会うときには、何かを見つけてイキイキとした顔になっているんじゃないかな~、とも思いました。それが、学業を通して身につけるべき、生きる力なんだろうなー、と。Aちゃん、がんばってね~。陰ながら応援してます。
April 7, 2008
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話は帰省の旅に戻ります~♪(めまいは回復中です~~~)実家の最寄り駅で、ムスメと二人、電車を待っていたときのこと。斜め後ろにいた、すらっとした美人さんから、突然声をかけられました。「あの~~~、ひょっとして、英玲さんでは・・・?」ええとーーーー・・・私にこんなスタイルのよい美人さんの知り合い、いたっけ???記憶の中をぐるぐる思いめぐらせて、ああーーー!!!もしかしてっっっ??と思い当たった瞬間、その美人さんもこういいました。「以前、公文のお教室に通っていた、Aです」そうそう、Aちゃん~~~♪私の記憶の中のAちゃんは、ムスメより一回り大きいくらいのサイズ。わからないのも当然といえば当然で(^^;;;)でも、お顔をよく見れば、丸顔にぱっちりおめめは当時のまま。当時は、菊川怜によく似ている(いえ、私にとっては菊川怜の方がAちゃんに似てる!)女の子だったのですが、こんなに大きくなっちゃったとは!「ええぇーーー!大きくなったねーーー!」って、もうすぐ30歳になろうかというレディに言う言葉ではないですがな(^^;;;)私が中高生の頃、私は母の教室で採点のアルバイトをしていました。そのころ教室に通っていたのがAちゃんです。おっとりとした性格だけど、言うことがちょっと小生意気で、私などはよくおちょくられていました。でも、にくめない感じで。その後、私は大学入学と同時に実家を離れ、ときどき母が主催していたスキー教室で会う以外には会う機会もなくなったのですが、あれは、私が大学院生の頃だったか・・・Aちゃんがお手紙をくれたのでした。「中学入試に合格しました」と。当時の私には、中学受験がどれだけ大変なのかも、Aちゃんの入った学校がどれだけすごい学校だったのかも、ぜ~~んぜん知らなかったのですが、Aちゃんは、女子校の御三家といわれる学校の1つに入ったのでした。(ええ、今ならわかりますよ、それがどれだけ大変なことなのか)そして6年後、母から「Aちゃん、ストレートで東大に合格したわよ」と聞きました。へぇ~~~、あのおっとりしたAちゃんが・・・でもあの子なら。わがことのように嬉しかったのを覚えています。それから何年か。私の目の前にいたAちゃんは、中受成功者でも、東大の卒業生でもなく、小さいAちゃんのままでした。でも、ちゃんと敬語で話せるようになっていたのにはビックリしましたが(^^;)相変わらず人なつっこい感じのAちゃんと、十数分程度だったとは思うのですが、いろいろしゃべりました。そして、大学卒業後、いったん就職したのだけど、去年の年末退社して、今は転職のためにフリーなのだと話してくれました。でも、コトバの端々に、なんとな~く、中受も大学も「親にさせられちゃって・・・」という雰囲気をにじませていて、これからの人生の選択に迷っているんじゃないかな、という印象。ひょっとして、おっとりしたAちゃんには、学歴が重すぎるのではないか・・・などと感じました。ま、私が勝手に感じたことですが。もうちょっとゆっくり話を聞きたかったのですが、すぐにAちゃんが降りる駅に着いてしまい、そこでお別れでした。別れ際、「またうちの母親のところにも顔を出してあげてー。喜ぶから」と声をかけました。本当は、うちに遊びにおいでー、といってあげたかったのですが(^^;;;)そんなAちゃんから、ムスメのために「お勉強のコツ」を伝授していただきました。それはまた後ほど。さて。こちらに帰ってきてからオットに「ねぇねぇ、私、二十年前から変わらないって言われちゃったよ~~(嬉)♪」と報告したら。「それって・・・ビミョ~~~だよねぇ・・・」何がっっ??!
April 7, 2008
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記念Suicaを買うために新宿に残ったムスコを置いて、新宿から電車で1時間。私とムスメは一足先に鎌倉に到着しました。大船から北鎌倉にはいると、雰囲気ががらっと変わっておおお~~~!鎌倉!という落ち着いた風情に。いいなぁ~~~、こんなところに住みたいな~~~♪という町並みが続き、鎌倉駅に着きました。駅前の小さな売店でさえ、わ~~~~!かわいい~~~!!!とムスメと二人で大興奮のお店があったりして、ワクワクと江ノ電の駅に向かい、江ノ電に乗り込んだのですが・・・・・あれ?あれれ???のんび~~~り、電車の旅のはずが。激混み・・・ラッシュアワー並みの混雑。ご妙齢の紳士淑女の皆さまとともにどういうわけか、小さいお子さま連れのオシャレなママさんたちもたくさん。なんだ、この混み方は???と思ったのだけど、あとで気づきました。この日は天候不順だった3月末にしては、ぽかぽかと暖かい晴天の日。ちょうど桜が満開のお花見日和だったのでした(^^;;;)そりゃぁ、混むわな。というわけで、チビのムスメはどこに行っても人しか見えず・・・。遅れて到着したムスコとともに、午後からまわった大仏(高徳院)も鶴岡八幡宮も、まるで初詣のようなにぎわい。特に、鎌倉駅から鶴岡八幡宮への参道(若宮大通り)は、延々と続く満開の桜並木でした。でも、観光の一番最後の夕方に立ち寄ったもんだから、ムスメは歩き疲れてクタクタの上に、人の背中ばかり見せられて・・・すごーい仏頂面(^^;;;)地獄の桜並木でしたよー・・・。でも、午前中にムスメと二人で立ち寄った手作りアクセサリーショップ ギルドでは、自分やお友だちの名前を彫刻してもらったかわいいキーホルダーを買い、旬の取れたてシラスが食べられると知って、腰越駅前の食堂まで行き、めずらしい生シラスなるものを食し(お昼時にかかってしまったので30分以上待たされたけど)、大仏を見に行った長谷駅付近では、長谷寺によろうとして一本道を間違えて光則寺という、とても閑静なお寺にたどり着きました。これがまた、大仏さんや長谷寺と違って人がまばらで閑散としているのに、お寺の門の前の大きな桜の木数本が満開な上に、お寺の拝観料が大人100円、中学生以下は無料。お寺の中は、一年中、何かの花が咲いているという、お花のお寺でした。ムスコが一言「大仏のことはすぐ忘れるかもしれないけど(<おいおい(汗))、このお寺のことはずっと覚えてるだろうな」と言うほど。私は、長谷駅近くのガラスアクセサリーショップで、イタリア製ガラスのペンダントを買いました(何か記念の品がほしくてー(^^;;;))というわけで、初っぱなから全然計画通りに行かず(計画通りに午前中に有名観光地をまわっていれば、もうちょっと空いていたはず・・・)あっちで待たされ、こっちに行けず、ハプニング続きで、とにかく人混み人混みでくたくたになった鎌倉訪問。でも、ハプニングが意外に楽しいお散歩でした。夜、万歩計を見たら2万歩歩いてました。ムスメ、よく頑張りました(^^)。
April 3, 2008
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帰省中の話はムスメのことばかりで、ムスコはどうした?とお思いでしょう・・・?そう、ムスコは到着地は共通でも全くの別行動を取ってました。「青春18きっぷ」を買って、往復普通列車&滞在中も電車の旅三昧という、ゴージャスな日々を送っていたのでした。ある意味、部活動??(<鉄研だから)Wikipedia 青春18きっぷ青春18きっぷで愉しむ鉄道の旅知る人ぞ知るこのきっぷ。5枚綴りで1日1枚で普通列車を乗り放題。5枚で11500円だそうです。ムスコは、私とムスメがこちらを出発する日の朝に普通列車で出発。東京到着は翌日の朝5時過ぎでした。(寄り道したらしく、実家についたのは8時頃・・・)岐阜の大垣から東京へ行く夜行快速「ムーンライトながら」に乗りたかったんだとか。くわしくは、こんなHP発見。ムーンライトながらガイド二十○年前仙台に住んでいたとき、名古屋に実家がある友人が帰省するのに使っていたと聞いたことはありましたが、まだ走っているのかー。ムスコのような鉄くん(鉄道ファン)たちが集まる列車のようで、道中、中1の男の子と意気投合して、楽しかったみたいです。早朝、実家に到着したムスコ。その日はそのまま一日寝ているのかと思ったら、お昼過ぎにむくっと起き出して、「まだ切符が使えるからちょっと行ってくる」とどこかに行ってしまいました。翌日も、千葉の袖ヶ浦まで行ってきたー、と。そしてその翌日は「行き先はナイショ」とかいいながら出ていって、帰ってきてから、じゃじゃーん!と記念切符を見せてくれました。なんと「野辺山駅」の。えー、野辺山駅というのは、長野県にある、JRの駅の中では日本一標高の高い駅。Wikipedia 野辺山駅居合わせた私の弟に「野辺山って、日帰りできるんだなー・・・」とあきれられておりました。駅滞在時間は4分だったそうです・・・(ー"ー)「寒くなかった?」との問いには「雪降ってた・・・」と(ー"ー;)「電波望遠鏡も見えたよ」とも。(ちなみに、こんなところでございます。天文台マダム日記↑私の知り合いの奥さまが書いてらっしゃいます。(・・・と、勝手に宣伝・・・))ムスコ、無謀な・・・。私もなんども訪問したことのある駅で、「えっへっへー、お母さんは日本で一番高いところにある駅に何度も行ったことがあるんだよ~~ん」と自慢していたのが・・・いけなかったでしょうか(^^;;;)ムスコは、私とムスメが東京を発つ日の前日に東京を出発。再び、普通列車にてとことこと帰途についたのでした。到着は翌朝8時近くでした。いや~・・・それにしても、よく考えてみたら飛行機で往復すれば、普通料金で6万円かかるところ1万円ちょっとで往復してさらに滞在中まで楽しめてしまうという、なんとも親孝行な旅でした。こちらに帰ってきた日も元気そのもので、「やっぱり、若いってすごいわ~~~。私なんか、高速バスで1晩過ごしただけで、到着した日一日つぶれちゃうのに」と思っていたのですが。昨日あたりから「おなかの調子がおかしい・・・」「のども痛い・・・」と始まって、今日は「微熱でだるい・・・」だそうな。そだよねー。っていうか、楽しい日々が終わってしまって、残った宿題の山を見て急に体調が崩れたのかも(^m^)ここのところ、外出もせずこたつに入ったまま宿題三昧の日々です。
April 2, 2008
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どちらかというと、ごちゃごちゃといろんなものを手作りするのが大好きなムスメ。最後の1日、じじばばのお見舞い以外にどこにも行く予定がなかったので(なにしろ、退院してくる母のために実家の大掃除をせねばならず・・・)なんかないかなー?と、ネットでイベント探しをしていたのですが。ふと、母が入院している病院の近くに杉並アニメーションミュージアムというところがあるのを思い出しました。一回行ってみたいなー、でも子どもが一日楽しめるほどの規模じゃないからなー・・・と、行くのを躊躇してたのですが、ちょうどお見舞いのついでにいける距離。しかも、「ねん土アニメワークショップ」なるものを開催していると!ニャッキ!のようなクレイアニメの製作体験を1時間で、というイベントでした。こねこね手作り大好きなムスメに「行ってみる??」と聞いたところ、「いくいくーーー!!!」と大はしゃぎ♪ネットで事前予約をして行ってきました。8人定員のところ、参加者2人だけでしたが(^^;;;)ゆっくりじっくりつくることができました。そのときの様子が杉並アニメーションミュージアムのHPにアップされてました♪スタッフ日誌3月30日ねん土を使ってアニメを作りましたチビでほっぺが丸いのがうちのムスメ。その隣のオレンジの袖が私です(^^;;;)作品はペンギンのほう。CR-Rに完成したアニメをコピーしてもらって持ち帰りました。本人が「なんど見てもあきない~~~」というほどの(^^;;;)会心の出来だったようです。スタッフの方によると、子供たちにアニメの原理を理解してもらうためには、セル画のアニメを描かせるよりもクレイアニメの方が簡単にできてわかりやすいのだとか。言われてみれば、セル画のアニメは同じ絵を何十枚も描かないといけないけれど、クレイアニメなら、一度作ってしまったキャラクターを少しずつ動かして撮影していくだけ。クレイアニメ作製専用の画像処理ソフトがあるので、簡単に撮影できました。そうはいっても、5秒程度のアニメを作るのに60カット以上も撮影しました。今朝、NHK教育でニャッキ!(YouTube動画)を見たムスメ・・・「うわ~~~、あんなにつくるの、たいへんなんだよねぇ~~~」としきりに言ってました。アニメ製作の大変さを身をもって理解したようです(^^;;;)。いや、私も実感、実感。4月6日(日)にも、「ねん土アニメワークショップ」が開催されるとのことでした。お時間と関心がある方は是非どうぞ♪(参加費500円は、小麦粉ねんどの実費です)。
April 1, 2008
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