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あさって、実家に戻ります。まだ母の遺品、遺産の整理が終わっていないので、4月を待たずに自宅を離れます。自宅のある街・・・ここに引っ越してきてから24年たちました。ほぼ四半世紀。私の人生の中で最も長い時間過ごしている街です。でも、正直言うと、この街が好きではありません・・・でした。オットの転勤に仕方なくついてきた24年前。このブログは18年前くらいから書いているのかな?さかのぼって見るとわかりますが、半分以上、この街に対する文句で埋まっています。土地との相性、というのがあるのだと思うのです。土地との相性は、その土地に住む人たちとの相性なんですよね。時代の変化で今では多少は変わってきたのかもしれませんが、24年前はまだ男尊女卑、よそ者は敵、という考え方の土地の人たちが多かったように思います。今でも、結婚子育てで一旦一線を退いた女性が自立できるような仕事を見つけるのはレアケース。いわゆる「手に職」がないと、ちょっと時給がいいパート、くらいが関の山です。子育てを通じても、ムスコも私自身も全く土地に受け入れてもらったと感じられる人間関係を築けませんでした。ムスメも中高のお友だち以外にあまり思い入れがないようです。PTAでも町内会でも職場でも、私は全然なじめなくて、もともと不器用な人間なのですが、人嫌いにさらに磨きがかかり、今や、すっかり「一人でいるのが平気」なおばさんになってしまいました。これってきっと中高年の「ひきこもり」ですよね(笑)。なので、ムスメが進学で家を出た後、さみしくてさみしくて、私がこの街にいる理由が何もなくて、こんな街出ていきたいと思い詰めて。コロナ禍でも通学スタイルを貫く翻訳スクールを東京で見つけたので実家に身を寄せることにしました。コロナ禍でこの街に閉じ込められるなんて気が狂いそうだったので。そんな経緯で東京で実家暮らしを3年間続けました。昨年一年間は母のこともあって、忙しくて大変だったけど、母の教室の子どもたちと充実した楽しい時間を過ごしました。私は実家での生活の方が合ってるのかもしれないな、と思いました。でも、私、思いのほか疲れていたんでしょうねぇ。自宅のあるこの街に戻ってきてみたら、ゆっくりした時間の流れが心地いいのです。まだもうちょっといたいな、もうこっちに戻ってきてもよかったのかもな、などと思い始めています。まだ帰りたくないのです・・・。24年間で友だちなんかできなかった、と思っていたのに、お世話になった、楽しくお話しできる人たち、いました。あさって実家に帰るから、自宅の片付けとか荷造りとかやることはいっぱいあるのに、何もやりたくないんです。この街でぼーっとしていたいんです。ひたすらぼーっと・・・。自宅滞在期間中、やるべきこと、やりたいことはあらかた全部済ませたのですが、まだあれもこれもできてないなぁ、やりたかったなぁ、行きたいところあったなぁ、桜見たかったなぁ、あれもこれも食べたかったなぁ・・・、と思ったら、何かもう、何もやる気がしなくなっちゃって。人間って勝手ですね。今後私はどこに住んで何をやったらいいんだろう・・・?ずっと考え続けているけど答えが出ません。こうやっていろいろ振り返っていたら、なんとなく、実家に戻る具体的なイメージがわいてきました。とりあえずあと1年、がんばってみますか。
March 15, 2024
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母のことに追われて、自分のことがすっかりおろそかになっていたことに気づいた年度末。母の遺産整理、確定申告に目処が付いたところで自宅に戻り、先週、自分の確定申告も片付けました。自分の健診、免許更新と喫緊の課題もクリアし、今週一週間はゆるゆる仕事や勉強をしながら自宅の片付けに着手する予定・・・と思ったのですが。母の遺産整理をきっかけに、自分の財産もチェックしてみたところ、いろいろとっちらかってることが判明。自宅を整理していたら、旧姓のまま名義変更してなかった通帳とか(何十年放置してた・・・)、住所変更してなかったせいで行方不明になってた金融財産とか、いろいろ出てきて、自分の管理能力のなさを猛省して、処理に着手し始めました。そして、自分の金融関係の知識のなさにあきれながら、勉強しつついろいろ見直してます。たいした財産ではないものの、今、このまま私が突然死んだら、きっと宙に浮いたまま行方不明になるものがたくさんありそうで、整理し直さないとまずいと思うこのごろ。だいたい年に一度、確定申告をきっかけに資産整理にやる気が出るものの、なぜか夏頃にはすっかり忘れて混迷を深めるのですが。あと、自宅滞在中にパスポートも取っておけばよかったと昨日気がついたのですが、戸籍謄本の取得が間に合わないことに気づき、がっくり。特に旅行しようとか思ってはいないのですが、パスポートは申し込みは遠隔地からできても、受け取りは住民票所在地に本人が行かないといけないので、旅行を思い立ったときにめんどくさい。今回の滞在中に取っておけばよかった・・・。2拠点生活っていろいろめんどくさいです。というわけで、自宅滞在期間、残り一週間・・・。
March 10, 2024
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私が「東京で翻訳の勉強したいから」と実家暮らしを始めてから早4年。子どもたちはそれぞれの道を進むために家を出ており、オットだけがずっと自宅。つまり我が家はこの4年間、一家離散の状態です。そして自宅はオットの管理下にあります。このたび、いろいろしなければならないことがあり、ワタクシ、自宅に戻っております。半年ぶりの自宅・・・オットの管理下にある自宅・・・どんなひどいことになっているやら、と、ドキドキしながら帰ってみると・・・意外にモノは散らかっていませんでした。ぱっと見、オットすごいじゃん!と思ったのですが。キッチンの作業台をふっと触ってみたら、ザラザラシンクはぬるぬるコンロもベトベトテーブル、テレビ台、寝室の床、洗面台には均一にほこりが積もり、風呂桶はザラザラ、排水溝はベトベトトイレにはサボったリング・・・上げるとキリがないのですが、要するに片付いてはいるけど掃除はされていない状態でした。・・・気にならない性格なんだな、きっと。というわけで、そういう状態がとても気になる私は端から掃除しまくって、1週間ほどかけて”元の状態”に戻しました。ふぅ。これはもう、”性格の差”でしかないので言っても仕方ないと思うので、あきらめました。冷凍食品などをフル活用し、買ってきたサラダと炊いたご飯、インスタントみそ汁で手早く夕食を作ってくれて、私がいなくても食生活は大丈夫そう、と安心しました。考えてみたら、小さい頃は手がかかっていた子どもたちも、今ではひとり暮らしで自立して生活しているわけだし、大人のオットが一人で生活できないわけがないのです。オットを置いて私一人で実家に来ていると知り合いに話すと、「ダンナさん、大丈夫?」とよく聞かれるのですが、立派な大人ですから!とお返事しております。オットに対して失礼ではないか!と思うわけです。・・・ただ、水回りの掃除はもうちょっとしてもらってもいいかなぁ・・・せめてキッチンをちょっと拭くだけでも・・・これからはもっと頻繁に自宅と実家を往復しようと思います。
March 7, 2024
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最近、「私の人生なんだったんだろうな・・・」などと考えることが多くなり、「過去を振り返るようになったらトシ」という人生の理(ことわり)1をかみしめているところです。子どもがそこそこ離れていき、親にそこそこ手がかかるようになり、「子育てが終わったら親の介護」という人生の理(ことわり)2もじっくり味わっております。人生100年などと言われますが、人生の折り返し地点を過ぎたばかりの最近、私は何をしてきて、これから何をしたいのだろうと、漠然と考えています。なので、自然と、そんな内容の本を読むことが多くなりました。そんな最近読んだ本(下記)の中に、なるほど、と思うことが書いてありました人間の心の強さには「子供の心の強さ」と「大人の心の強さ」があるのだそうです。子供時代は、「子供の心の強さ」を鍛えるために、「我慢する」「続ける」「努力する」「自力でやる」というルールを大人から厳しく言い聞かされます。ところが、このルールには「方向」があっても「程度」が欠けていて、大人になったらこれらのルールを守ろうとする「程度」も覚えていかないといけないと。大人になってからも絶対に「我慢」「継続」「努力」「自力」というルールをかたくなに守ろうとすると心が壊れてしまう。子供の心の「こうあるべき」を適正レベルに調節していろんな状況に対応できる柔軟性を身につけるのが「大人」なのだそうです。ものすごく、なるほどな、と新発見、目からうろこでした。私は「子供の心」が強すぎるから、不条理に憤る怒りの心に振り回されてしまうのだなぁと。まさに、「こうあるべき」が強すぎて、外で仕事をしていたときは心が壊れかけていました。私は天性の世渡りベタだと思っていたのですが、単に大人になれていなかっただけなのかと、ほっとしたような自分自身にあきれたような。で、ここからは私が自分で勝手に考えたことなのですが。ある時ふと、私の心の中には「小さな私」が住んでいるんじゃないかと気づきました。子供の頃に「こうあるべき」と親から厳しく教え込まれた価値観で凝り固まってる「小さな私」。私は、人によく言われるのですが「優しすぎる」くらい穏やかに見える(ような)のですが、ひとたび感情に導線に火が付くと大爆発します。そして大爆発した後で恐ろしく後悔します・・・。この感情の起伏、かなり疲れるのですが、自分ではどうにもコントロールできなくて、自己嫌悪まっしぐら。なんでこんなに情けないんだとどんどん自己評価のネガティブループに陥っていき、数年前まで心療内科に通うほど心の状態が悪化していました。もともと体力なしのめんどくさがりなのに、なんで怒りの導線に火が付くと自分でも手に負えないほど怒りのパワーに支配されてしまうのか、我ながら全然分からなかったのですが。私の中には子供の時に「こうあるべき」と教え込まれた価値観のままの「小さな私」がいて、その私が不条理にぶち当たると大暴れし始めている、と考えると、自分の状況がしっくりきました。小さい頃から”親に”強く教え込まれた「こうあるべき」が、いい年になった自分を振り回して攻撃してくるのです。最近、母親と一緒に住むようになって、気がついたのです。ああ、母の育て方に原因があったんだな、ということに。詳細を書く時間がないので、結論だけ書きますが。親が子供に「こうあるべき」を教えるとき、親の行動と言葉が一致していないと私のような「人生に困難を抱える」大人になります。このことに気がついたら、心の中の重荷が少し軽くなりました。それは、今流行の「毒親」とかそういうことではなくて、自分の生い立ちを知ることで今抱えている問題の原因が見えてきて、問題に対応しやすくなる、ということが言いたいのです。支離滅裂ですみません・・・。私の今の課題は、どうやって私の中の「小さな私」と仲良くするか、です。最近私が読んだ本、というのは・・・自衛隊メンタル教官が教えてきた 自信がある人に変わるたった1つの方法【電子書籍】[ 下園壮太 ]この本を先に読みました。”50代”というタイトルに惹かれて読んでみましたが、納得の視点から”心のトラブル”を捉えて快方へと導いてくれます。50代から心を整える技術 自衛隊メンタル教官が教える (新書756) [ 下園壮太 ]
June 27, 2023
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あけましておめでとうございます今年もゆるゆるとたまに更新していきたいと思っております。・・・もはやこのブログの意義がよく分からなくなってきておりますが。私の記録用にときどき書き続けていきたいと思います。この年末年始は久しぶりに、というかほぼ初めて、オットの実家で家族だけでのんびりダラダラ過ごしました。何もせず何も考えずに、ただただのんびりダラダラするのもリフレッシュになるのだということを初めて実感しました(^^;)のんびりした田舎町の別荘で西欧風バケーション♪(=曇天の日本海側の過疎の町にある隙間風吹きすさぶ木造家屋実家でこたつでごろごろ)こんな調子ですが、今年もよろしくお願いいたします。
January 3, 2023
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新型コロナウイルスが日本でも検出され始めて早2年。通常ではない生活が通常になって、ニューノーマル、ウィズコロナが当たり前になってきました。昨年の秋には一旦、とうとう終わったかに見えた「コロナ禍」でしたが、年が明けたら再び感染者数爆増。一瞬、「え~、またぁ・・・」と思ったものの、すぐに臨戦態勢にもなじみました。「この世界の片隅に」というアニメ映画で、戦中の日本国民が空襲警報に慣れていってしまう様子が描かれていましたが、まさにそんな感じです。今、一番心配なのは、育ち盛りの子供たちの成長がどれだけ阻害されているのだろう?ということですが、戦中のことを考えれば、それでも子供たちは環境になじんでたくましく育っていくのかな、とも思ったりします(すみません、子育てが一段落してしまったおばさんの希望的観測です)。ふと我が身を振り返ってみると、なんともちょうど良いタイミングで外で働くのを辞めて在宅でできる仕事を細々とこなす日々になったので、コロナ禍だからといって特に何の不都合も感じていないというのが、なんというかこう、申し訳ないというか。もともと社交的でもなく人がたくさんいるところが苦手な出不精な性格なので、人と会わなくていい環境、むしろウェルカム。どなたかが、陰キャ”おひとりさま”の進化論的存在意義が証明された、といっていたけれど、まさに私はぴったり当てはまって、精神的にらくちんな日々を過ごしています(このままでいいのか?という焦りは多少感じますが)。強いていえば、趣味の美術館とコンサート巡りが自由にできないというのはもどかしいですが、第6波ではそこまで規制が強くならないようですね。大学生のうちのムスメも、大学4年間の2年間がコロナ禍という、なかなかな環境下で日々を過ごしています。大学生になったらあれもしたいこれもしたいといろいろ意気込んで大学生になったものの、2年生にして授業はオンライン、部活は停止、受験終わったら生きたいと思っていた海外旅行も留学もムリ・・・。さぞや落ち込んでいるかと思いきや、結構、生き生きと大学生活をエンジョイしています。オンライン授業ではレポートが山ほど出てつらかったものの、移動に時間を取られず部活も制限されていたのでしっかり勉強することができ、希望の学科に進学できました。勉強も部活もサークルも学科の自主活動も、リモートになったのですべてをがんばることができました。体力が無いムスメがあれもこれも欲張りすぎと思うくらいの活動に全部取り組めているのはリモートのおかげ。そんなムスメを見ていて、思い出したことがあります。ムスメが保育園児だったころのことです。行事大好きなムスメだったのですが、楽しみにしていた保育園の遠足の日に水ぼうそうにかかって遠足に行けなくなってしまいました。それがもうあんまりがっかりしているもだから、お弁当をつくっておやつも準備してリュックに詰め、うちのベランダにレジャーシートを敷いて「遠足ごっこ」をしたのです。ベランダといっても当時すんでいたのは築40年以上の団地だったので、狭くて汚い(^^;)。目の前に雑草の草原が広がっているようなベランダでした。でも、ムスメ、このときのことを今でも覚えていると時々話すのです。楽しかった、と。ちょっとおおげさですが、障害が立ちはだかったときに、目先を変えて自分に有利なように生きるすべを身につけるというのは、大切なことだなと思う一件でした。新しい学生生活に馴染むきっかけを失って精神的に苦しい思いをしている学生さんも増えている中、ムスメは本当に恵まれていると思います。でも、若い人たちは若い人たちなりに、これから変動が多いであろう世の中を生き抜く力を身につけていかなければけないのかもしれない、と思います。蛇足ですが、先日、気候変動の専門家によるある記事を読みました。長い地球の歴史の中で、人類が繁栄している今この時代は小さい氷河期の末期であって、地球の歴史の大半は平均気温が今よりはるかに高かったそうです。そして現生人類というのは生物学的に寒い気候に適するようにできていて、地球の歴史の大半がそうであった「暑い」気候では身体の機能がダメになってしまうのだそう。つまり、今、この時代の気候が適しているから人類が繁栄しているのであって、生物学的に考えるとそれはそう長く続くものではない、と。人類の歴史の中でも、ここ100年程度は気候が安定していたので人類はここまで繁栄したけれど、それはこれから先もずっと続く当たり前ではないのだと。それに加えて人間が二酸化炭素をばんばん大気中に放出しちゃったもんだから余計に人間に住みにくい世界に向かっているようなのですが、とにかく、これからは毎年同じように季節が巡るとは限らず、昨日と同じ生活を今日もできるという保証はどこにもないのです。今できることをやって自分の「快適」をつくりだすというすべを身につけるために、このコロナ禍はよい予備訓練になっているような気もします。そして、どんな立場の人間にも平等に降り注ぐ災害も含めた自然の営みは、人間がなぜ「やりたい放題」してはいけないのか、なぜ多様性を排除したり弱者を切り捨てたりしてはいけないのか、という社会の根本的なあり方も提示しているような気がします。これからは厳しい世界が待っていますが、その世界は暗いばかりではないということを若者に示すのは、大人の、そして政治の仕事かもしれません。
January 17, 2022
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書きたいことがたくさんありながら、12月に入ってから、課題と課題と課題と仕事仕事仕事・・・で、ふと気がつくと年が明けておりました・・・。こんな調子ですが、今年もよろしくお願い申し上げます。もう何をどれくらい書いたのか忘れてしまったのですが、昨年、さまざまなチャレンジを新たに始めました。中でも一番大きなチャレンジは、英語の学び直しを始めたことでした。翻訳の話になるので、noteに書きたいと思っているのですが、そこまで話を進めている時間がなくて、こちらにちょこっと書きますと、このコロナ禍にあって対面でしか授業をしない英訳の研修を受けに行っています。前期(4~7月)に基礎編を終えて、後期(10~1月)は上のクラスに上がったのですが、本当にいろんな意味で実力不足を実感させられています。よく考えてみたら、専門知識の増強ばかりに時間を費やして、英語をきちんと学ぶ機会をこれまで一切もっていなかったということに気づかされました。というわけで、4月から学び直しを始めて9カ月。少しずつ成長を実感しています。この歳にして成長を実感できるなんてすごい!と思う一方、その努力が実を結ぶ頃には私は何歳なんだ・・・?という不安にも駆られるこの頃ですが、ちまたでは人生100年だそうですので、なんとか頑張ってみようと思っています。次に意外に頑張っているのは、放送大学の勉強です。英語の勉強と仕事の上に半期に6科目取るというのはなかなかチャレンジングだった・・・と痛感しているのですが、どの講義もとても面白くて、なんとか食らいついています。昨年は、コロナが少し落ち着いた時期にせっせと美術館とコンサートに足を運びました。都内のたくさんの美術館が印象派からポスト印象派にかけての絵画展をたくさん開いていて、この時代の絵画の流れを詳しく知ることができたのと同時に、日本の浮世絵がどれだけ西洋絵画に影響を与え、西洋絵画に劣ることなくいかに優れていたかを実感する機会を得ました。浮世絵の流れをくむ新版画から近代日本画家の作品なども見る機会を得て、日本美術を見直すきっかけにもなりました。コンサートは、コロナが落ち着いたわずかな期間に、長年の憧れだったブロムシュテット指揮の素晴らしい楽曲を聴くことができ(ある批評家の方が昨年国内で開催されたコンサートの中で最も優れた演奏だったと評価されていて、感無量・・・)、また、再びブレハッチのピアノリサイタルに行くことができて、本当に幸運でした。コロナ禍で、なかなか世界の有名指揮者、オーケストラをお迎えすることができない分、日本の指揮者、オケ、アーティストの演奏を聴く機会が増えました。そんな中、都内の大きなコンサートホールでパイプオルガンコンサートがたくさん開かれていることを知り、ちょっと行ってみたら予想以上に感動的で、11,12月は首都圏各所のパイプオルガンを聴き歩きました。これは私の中のちょっとしたマイブームになっています。国内のコロナの感染者数がじわりと増えだし、世界のオミクロン株大流行の兆しもあって、いつまで安心してコンサートを聴きに行けるかどうかわからなくなってきましたが、これからもなるべくたくさんの機会を捉えていきたいと思っています。私の昨年一年間はこんな感じでした。昨年の目標の振り返りと今年の目標の設定もしなければ!と思っているのですが、1月は怒濤の英語と放送大学の期末試験、というなかなかチャレンジングなひと月になりそうなので、目標云々はとんでもなく遅くなるかもしれません(とここに書くと早くなるかもしれない・・・)というわけで、とりあえず、1月5日締め切りの仕事と宿題のために元日早々PCに向かっております。こんな感じですが、今年もよろしくお願いいたします。
January 1, 2022
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このブログ、10月12日で、なんと18年目に突入いたしました・・・そしてうっすら気がついていたのですが、いつの間にか200万アクセスを超えておりました・・・これだけの年月をかけてこれくらいのアクセス数では全然、何の自慢にもならないのですが、それだけの方々にこのブログを目にしていただいていたのだと思うと、感動✨とこっぱずかしさでいっぱいです。ずっと、「このブログどうしようかなぁ~」とうっすら悩みつつ、方向性を、あっちにしよう、こっちにしよう、と宣言してきたりしたのですが、なんだかんだ言って、気がついたときにちょっと備忘録を書けるのはこのブログだったりします。読み返してみると、我が家にも幸せな時代があったのだなぁ、なんてちょっとうるっときちゃったりもします。ほぼ自己満足のブログです。自分で見返すのも楽しいので、今後はもうちょっとマメに趣味の音楽鑑賞と芸術鑑賞の感想や、テレビやラジオの感想や現在進行形の勉強の話や自分の健康状態の話やたまに「中学受験を経験した子どもたちのその後」を書く・・・路線で行こうかなと思っています。でも、なかなかまとまった時間が取れなくて更新が滞りがちなのはおそらく改善されないかと思います。そんな、ほぼほぼ自己満足の備忘録ブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。
October 23, 2021
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音楽はおしなべて何でも好きなのですが、歌詞があるものはあまり聴きません。中でもいわゆる1980年代のアイドル歌手の歌が特に苦手です。そういう人が全く身の回りにいなくて悲しかったのですが、いつだったか坂本龍一氏が「日本の歌謡曲は聴くに堪えない」というような話をしていて、ああ、そう感じる人もいるんだな、とちょっとほっとした覚えがあります。でも、自分を天才と同列に考えるなどとは不遜にもほどがあるのではないかと悩んでいたら、「きらクラ!」というNHKのクラシックのラジオ番組(昨年終了)で、ふかわりょうさんが似たようなことをおっしゃってて。「歌詞がある曲も嫌いではないけれど、歌詞があると想像の幅が限定されてしまう気がして、どちらかといえば歌詞がない曲の方が好き」と言うようなことをおっしゃってて、そうそう、それそれ!!と溜飲を下げたものでした。・・・なんてことをなんで突然言い出したかというと、ある友人から、80年代の絶対的女性アイドルの歌の話を振られて、大変困ってしまったのです。「この歌手の歌、いいよねぇ、涙が出てくる」と。誤解を恐れずにはっきり私の意見を言うと、その歌手の歌は当時からだいっきらいでした。歌が流れてきたらチャンネルを変えるかテレビを消すか、自分が逃げるか、それくらい嫌いでした・・・っていうか今でも全然ダメです。なんだかこう、気分が不安定になるというか、決定的にダメ、なのです。ファンの皆さまを攻撃する意図は毛頭なく、人様の好みをとやかく言うような品のないことをしようとも全く思っていません。ただひたすら、私がダメ、なんです。これはもう、何というか、理屈を超えているのでどう言われてもイヤなものはイヤなのでご勘弁願いたいのですが。で、素の私の気持ちをその友人にそのまま出してしまったら、私はその某歌手を徹底的に全面攻撃しかねなかったのですが、人間関係を壊してまで主張するべきことではないし、そこはもう私も大人なので<( ̄^ ̄)>エヘン、遠回しに「私の気持ちが穏やかならざる状況になるので、その話題には触れないでいただけるだろうか」とお伝えしました(全然遠回しじゃないか?)。でも、ふと思ったのです。なぜ私の気持ちは穏やかならざる状況に陥るのだろうか?と。で、一つの結論に達しました。私が平均から外れた変わり者だから。実は、今でこそ好んで聞くわけではないのですが、小学生の頃は、アグネス・チャンとかフィンガー5は大好きでレコードを買ってもらってたほどでしたし、いわゆる新御三家や花の高3トリオ、キャンディーズくらいまでは聴いていたし、ピンクレディーも知っています。そして、小泉今日子や今井美樹は今でも好きですし、ユーミン、中島みゆきも抵抗なし。谷山浩子、矢野顕子、アンジェラアキは音源も持っていて今でも気分が向けば聴いたりします。どこが歌謡曲嫌い?そう、私が中学生だった3年間にはやっていたいわゆるアイドルたちの歌がとことんダメなのです。聴くと精神状態が不安定になるくらいダメです。音程が取れていない、というところがもう決定的にダメだったし、歌詞も全然意味不明だったのですが、そういうアイドルを好きじゃないと仲間じゃない、という、同級生たちの中にあったあの閉塞感というか同調圧力がイヤだったのです。何しろ私は変わり者で一人でも平気だったのですが、ただまぁ、いわゆる「仲間はずれ」状態ではありました。自分ではそれでもよし、と思っていたつもりだったのですが、思春期前半の多感な時期に「平均値から外れる」というのは、何かしら心に傷を残すものなのかもしれません。「あんなののどこがいいの!?」という反発と「それを理解できない自分は何か欠けているのだろうか?」という不安と。そういう自分の中のモヤモヤとした不安や悲しみを、かの某国民的女性歌手の歌が思い出させてしまうのではないかと、ふと思い至ったのでした。実は私は最近の若者の歌の方が好きだったりします。米津玄師とか髭男とか藤井風とか、自分から積極的に聞くことはないのですが、流れてくると、いいなぁ、と聞き入ってしまいます。なんでかなぁ、と思って考えてみたら、彼らの歌は「平均値になれない孤独な自分」という”現代の平均的な若者”の気持ちを静かに代弁しているから、なのかなと。私は、アンジェラアキ、谷山浩子、矢野顕子の歌が大好きなのですが、彼女たちの歌詞に共通しているのも「平均値ではない」「孤独な」人たちの心を代弁しているから(後者2人は人間を超越しちゃってる感じもしますが)。「これが同年代の平均だ!」と押しつけてくる80年代アイドル歌謡曲の雰囲気が全くないのです。最初に挙げた坂本龍一氏、ふかわりょうさんも押しつけが嫌いな「平均から外れた人たち」であることを考えると、世の中には、「自分は平均から外れてて孤独だ」と思っている人たちが一定数いらっしゃるのではないかと思われます。でも「孤独だ」って思い込んでる人同士だから出会う機会はない(^^;)なんとなく、くだんの友人とのやりとりをきっかけに、心が穏やかならざる状態になってしまってどうしようもなくなったので、ここは冷静に書き出してみたら落ち着くのではないかと、だらだら書いてしまいましたが、書いたらなんかすっきりした。これでよく眠れそうです・・・おやすみなさい。
July 7, 2021
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母は今年で80歳になります。・・・でも、私の3倍くらい働いています。朝起きて、体操して、ご飯食べたと思ったら仕事を始めて、自転車で遠くまで出かけて、帰ってきて、また仕事してます。夕食を食べて、お風呂に入ったら、夜中過ぎ、寝る直前まで働いています。土曜日も日曜日もずっと仕事をしています。一度、自分の時給を計算してみたんだそうですが、あまりの安さに驚いたと。でしょうね。母自身が言っているのですが、「私はマグロだから止まったら死んじゃうのよ」と。自覚あるのか。私はヒラメなのでどうぞおかまいなく。気性は激しくて、我が道をまっしぐら。ちょっとでも邪魔しようとする人をぶっ飛ばして進みます。人がなんて思おうと何も気にならないようで、言いたい放題。そして、夜はぐっすり快眠。80歳であの活動度、悩みのなさ、睡眠の深さ・・・人類は何か新しいフェーズに入ったのではないかと思うほどです。唯一、決定的に欠けているのは、いわゆるエンパシーの力でしょうか・・・エンパシー(wikipedia)でも思うんですよ。現代の、特に日本人は、感受性が高すぎて心を病んだりするわけですが。母を見ていると、エンパシーとかない方がラクに生きていけるんじゃないかな・・・と。ここが東京だからそれが通じるのかもしれません。外国に行ったらこれくらい自己主張する人は普通にいたりするから、ぜんぜん目立たないかも。実際、そんな母に育てられた私は地方の閉鎖性で心を病みかけたわけですが、今、こんな具合にぶっとんでる母と暮らしていると、悩んでいるのがバカみたいに思えて、心がだいぶ元気になりました。なんというか、地方にいると私は大変攻撃的な人間と見られるわけですが、ここにいると「私、ぜんぜんふつう」という安心感が得られるわけです・・・。ただ、エンパシーのないヒトと暮らすのは、大変な部分もあります。そんな言葉を言わなくても、とか、そんな言い方しなくても、とイライラしたり悲しくなったりすることは多々あります。でもまぁ、もう大人なので、そこらへんは知恵を使ってやり過ごせるようになりました。ただ一つ。これだけは昔から思っていることなのですが。母が他人だったら、私は絶対に近づくことはないでしょう。絶対に友達にはなれません・・・
July 4, 2021
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4月にも書いたのですがhttps://plaza.rakuten.co.jp/tanuchan/diary/202104140000/今、実家で暮らしています。GWに一回自宅に帰ろうと思ったら緊急事態宣言が発出され、オットに「帰ってこなくていいから」と言われて帰宅できず(職場の都合上、東京から来た人と接触するのははばかられる状況・・・)、そのまま現在に至っています。今の生活は、週1回の翻訳者養成コースに通い山のように出る宿題と格闘しつつ、NHKのラジオ講座と英語ニュースを中心に毎日聞いています。仕事以外の英語に触れて表現の幅を広げる必要性を感じたので。仕事はセーブしているつもりなのですがそこそこぽろぽろといただいています。放送大学では6科目も取ってしまい、中間テストのような提出物は死ぬ思いでこなしました・・・コツコツちゃんとやればそんなことにはならないのですが(^^;;;)実家にいるとはいえもう大人だし一応主婦でもあるので、食事の支度や掃除洗濯などは家族の分もやっています。さらに、母はまだ現役で学習塾を開いているので、教室の掃除やちょっとした手伝いなど。私がトロいだけなのかそもそも量が多すぎるのか、大抵毎日、宿題と仕事で終わっていき、せっかく東京にいるメリットは何もなし・・・まぁ、そもそもコロナでどこにも出かけられないのでいいんですけど。ここまで来て友達にも会えないのは寂しいかも。でも、ときどき近所にいくつかある大きな駅まで散歩に行ったりしています。で、東京の街中を昼間歩いてとにかく最初にびっくりしたのが、昼間っから人がたくさん街中にいる!そして子どもがたくさんいる!ということ。当たり前のようなことですが、地方では昼間には住宅街の道路で人を見かけることはあまりないのです。車社会なので。子どもを連れて歩くのも車。私が住んでいるところはちょっと観光地だったり大学の近くだったりするので、観光客と大学生はよく見かけますが。こちらで見かけるのはチャイルドシートを乗せたママチャリ!ぼーっと歩道をあるていて、何度ぶつかりそうになったことか。そして夕方になるとそのチャイルドシートには必ず子どもが乗っていて、子どもたちが歩道を歩いていて、公園には大勢の子どもたちが遊んでいて・・・地方の街の真ん中ではとんとお目にかからない光景です。少子化、ほんとう?最近やっと見慣れたのですが、最初のうちはあまりの見慣れなさにものすごいアウェー感を感じました。もう一つ驚いたのが、子どもの頃よく歩いた道を歩いているはずなのに、景色に全然見覚えがないこと・・・。ほとんど全ての建物が建て替えられているのです。まぁそうですよね、○十年もたったのだから。でも、昔よく行ったところに行こうとしているはずなのに迷子になりかけたり、近所を歩いているはずなのに方向がわからなくなったり、「こんな場所、知らねー--!」と心の中で叫びながら散歩する羽目に。振り返ってみれば、実家に住んでいたのもたったの18年間だったわけだし、実家を離れてから40年近くがたとうとしているわけで、そりゃ、変わるよね・・・。最近は慣れましたが、見事な浦島体験でした。こちらでは家事をしているといっても母や同居の弟とシェアしながらなので、自分の時間が割とたくさん取れて助かっています。この機に便乗してしっかり勉強しなければ・・・と思いつつ、最近ちょっとだらけ気味・・・気を引き締めねば!
June 14, 2021
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ちょっと前ですが、ツイッターで、「(お惣菜の)ポテサラ、冷凍餃子、唐揚げは手抜き料理か?」論争が盛り上がっておりました。いずれも、「主婦がこれらの料理を食卓に並べることは手抜きである」とする男性・夫の主張の是非がツイッターで世に問われたもので、それに対する反応はもちろん、「手抜きとは何事か!」であったことは、言うまでもございません。私もお惣菜ポテサラは「合理化」と捉えておりますが、唐揚げに関しては「はぁ?あんなに手間のかかる料理を手抜きぃ~~~!?理解できない!」と思いました。最近、揚げ物は確実に「買ってくる物」です。だって、暑いし油の始末が大変だし家中油汚れが広がるし。で、冷凍餃子に関してですが、実は冷凍餃子、買ったことがなくて。フライパンに油も引かず水も差さずにできる、ということを知ったのもつい最近のことで。企業努力により、世の中そんなに進歩していたのかと感嘆。ただ、我が家で餃子づくりというのは家族的イベントで、子どもたちと一緒に、餡を皮に思い思いの形に包み、50個以上つくってひたすら餃子のみを食べるので、餃子はおかずというより主食。なので、冷凍餃子をそのペースで食べようとすると、すっごく高くつくので、買ったことがなかった。というわけで、冷凍餃子がどれほど「手抜き」なのかを検証するために、初めて買ってきて昨日つくってみたのですよ。その結果わかったのは。「どこが手抜きやねん!?」冷凍庫から冷凍餃子を取り出した時に感じた第一印象。ああ、これレンチンじゃないんだ・・・orzなにしろ、最近、冷食は、ほぼレンチンでできあがり、じゃないですか。袋を開けて、中身をフライパンに並べて、火にかけて、火加減をみながら、何度もフライパンの蓋を開けて出来具合を確認しながら、できあがりを待つ・・・。結構な手間です。そして、おかずの一品としてはなかなかおいしい♪冷凍餃子を「手抜き料理」と言い放った御仁に「自分でやってみろ!」と言いたい。思い起こせば、子どもたちが食べ盛りの頃は、私も料理の「合理化」のためにあの手この手をいろいろ考え、料理本も買い、テレビもネットも見て、研究しました。とりあえず「食べる」ことが第一目標、そしてできれば「おいしく食べる」が第二目標でしたから。最近は、手間抜き料理の情報も増え、短時間でつくれるおいしい料理を提案してくれる料理家さんが男女を問わずたくさん。そんな情報をネットで手軽に入手できる、いい時代になりました。この、「冷凍餃子」論争、提供企業の中の人がうっかりしてしまったつぶやきに対しても飛び火炎上して、なかなか奥の深い論争となっておりました。なーんだ、冷凍餃子を作ってる会社の中の人も、料理はお母さんの仕事、と思っているのかー、しかも男女社員さんともに、みたいな。企業戦士の男性たちが男女共同参画に関して大きなパラダイムシフトを迫られている、と、男性たちに気づいていただきたい、と感じました。世の中の女性が何を不満に思い、どうして日本で女性の社会進出が進まないのか。家事も育児も(場合によっては介護も)ぜ~んぶ女性に丸投げしたまま(料理の合理化すら許されず)、「外国から批判されてるみたいなので、女性も仕事/昇進させてやってもいいよ」で、誰が「それでは喜んで」と仕事や昇進を引き受けるか!という話。男性の意識も含めた、男女全員の意識改革が問われています。若い世代の価値観の変化に期待しつつ、おじ・おば世代は「若者の邪魔をしない」と心得たい、と、冷凍餃子問題をきっかけに、いろいろ深く考えさせられました。内閣府 男女共同参画白書 平成29年版より 「働く女性の活躍の現状と課題」 http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h29/zentai/html/honpen/b1_s00_01.html内閣府 男女共同参画白書 令和2年版 「政策・方針決定過程への女性の参画」http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r02/zentai/pdf/r02_genjo.pdf
August 20, 2020
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長かった年末年始のお休みも今日で終わり。ムスメは大学のために下宿に帰り、オットは一足先に職場に戻り、私は勉強会のための宿題をせっせとこなし・・・日常に戻りました。このたびの年末年始はといいますと。一人で頑張って暮らしてくれていた義母が体調を崩して施設に入ったのが昨年の暮れ。年末に、施設から義母に一時帰宅をといわれ、年末張り切って帰省して義実家を大掃除しまくって準備万端整えたのに、肝心の一時帰宅の日に、義母が体調を崩し、帰宅ならず。私とムスメは、ムスメの成人式兼同窓会のために12月31日には地元に帰らねばならず、さあ、帰路へ!と出発しようとしたら、義母が帰りたいと言い出したと連絡が入り・・・。オットが残って、私とムスメは予定通り、帰途に就きました。何の役にも立たなかったヨメ・・・orz地元に戻ったムスメと私は、1月1日、十数年ぶりの地元元旦を堪能(初詣行っただけだったけど)。2日は朝からムスメの着物の着付けのために美容院へ。とはいっても、自分ちの車がないからレンタカーだったのですが、運転オンチの私にとって、レンタカー屋さんへ車を取りに行くのも試練なら、慣れないセダンを運転するのも地獄・・・年齢なりにきれいに着飾ってもらったムスメを連れていったん帰宅してから、パーティー会場へ。ええ、慣れないレンタカーで。2時間後、パーティーが終了してお迎え。慣れないレンタカーで。そして、帰宅後。着物を脱いだムスメは一休みしてから二次会に出発。着物はレンタル。返却は翌日宅配便で発送ということで、着物をたたんで(着付けの本を引っ張り出してきてたたみ方を思い出しつつ・・・)、長襦袢から半襟を取ってたたんで(着付けの・・・以下略)、レンタル品全部を箱に入れて荷造り完了してみたら、夜の8時を回っておりました・・・第一次ミッションコンプリートの安堵感で、どっと疲れが出て、夕食もつくりたくなかったのだけどおなかはすいていたので、ちゃちゃっと食べられるものを胃に流し込み、ぼーっとしていたら夜中になっていました。翌3日。慣れないレンタカーでレンタル着物の箱を宅配便の集配所まで持って行き発送。その足で、レンタカー屋さんに車を返しに。お昼を食べて帰宅したら、箱根駅伝がゴールを迎えているところでした。ここで最終ミッションコンプリートの安堵感から、うかつにも1時間ぐっすりお昼寝。ムスメは部活のメンバーと遊びに行くために、夕方からお出かけ。この日の夜も、もう料理する気力まるでなし、だったので、再び、胃に流し込めるものを流し込んで、ぼーっとしていたら、真夜中になっていました。義母を施設に帰してから、オット、真夜中の帰宅。1週間後にある翻訳の勉強会の宿題の締め切りが迫っているというのになー。4日、なんとなく宿題をしながら、なんとなく、オットとともに3人で初詣(ムスメと私は2回目詣だったけど)。家族3人のお正月を4日に迎えることができました。そして、本日5日、一家離散 → 日常へ。紅白も見れず、箱根駅伝もスタートとゴールだけで、親戚一同の顔を見ることもない、いつもと違う年末年始だったけど、久しぶりに帰宅したムスメと一緒に過ごすことができて、なんかよく働いた充実感だけが残りました。疲れたな・・・明日から仕事なんて信じられない。行きたくないわ-・・・。
January 5, 2020
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遅まきながらあけましておめでとうございます。このブログ、開始してから15年ちょっと。子育ても一段落し、書くことがグチばかりになってしまって、どうしようかな~、と迷っておりました。世の中はSNS全盛で、ブログって書く意味あるのかな?とか。でもまぁ、4月からまた在宅翻訳者として再スタートすることもあり、気が向いたときにたまにぼちぼち書く今までのスタイルで続けていこうかと思っております。もうちょっと前向きな内容で。ブログタイトルに反して、仕事の話は多分控えめで・・・。
January 3, 2020
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「おばあちゃんが39度の熱を出しているのに、動き回るのをやめてくれない」と、ムスメからのSOS LINEが何度も。そして、そんな状況が4日ほど続いた9月3日。昼休みに携帯に母から電話がかかってきて、一言。「これから入院するからー」は?「なんか変な感染症にかかったらしくて熱が下がらないから入院、って言われてね」母はこの夏、南アジアの方に旅行しており、紹介された先が大きい病院の「トラベルクリニック」ときいて、もうすっかり「旅行で何の感染症をもらってきた?!」と考えざるを得ない状況になりました。しかし、ムスメに聞いてもはっきりとした病名はわからず。入院期間もわからず。その上、母は仕事が気になって気になって仕方なかったらしく、入院翌日から外出許可を取って帰宅するらしい、と。ヒトに移るような病気ではないようだったので、じっとしていれば命に関わることはないだろうと思っていたのですが、その「じっとしていれば」の前提が崩れる母を放置しておいて良いものか?と一晩悩み、結局、私が1週間の有休を取って実家に帰って手伝うことにしたのでした。とにかく母を安静にさせなければ。母はともかく、病院もドクターもそうとう困るだろう・・・まさか、実母が「患者あるある」をやらかすとは。というわけで、連絡をもらった翌々日に実家に帰ってみたら、母が一時帰宅していて、「つかれた・・・腕痛い・・・」といいながら利き腕の下腕をパンパンに腫らしたまま仕事をしていたのでした・・・。もう、知らんがな。到着早々、仕事を手伝い、そのまま母を病院に送り、ドクターに時間を取ってもらって病状と治療方針を話してもらいました。高齢者にはよくあるふつうの細菌感染症で、今年の暑さに加えて加齢で体力が低下していたのに(しかも39度も熱が出てたのに)、無理して動きすぎた、つまり、重度の夏バテ状態、ということでした。治療は抗菌薬投与と安静です、ときっぱり。でもどういうわけか、仕事を休むことはさらさら頭にはない母。しかたがないから、私とムスメが仕事を引き受けて、なるべく母を病院から出さない、という方針でいくことにしました。そして慣れない仕事(子ども相手)を1週間・・・。母は無理矢理「患者希望」の退院を勝ち取って(?)、退院してきたのでした。「あー、疲れる、あー、いたい」と繰り返しながら、かつては起きている間に横になることなどなかったのに、2~3時間横になりながら、抗菌薬を飲みながら・・・仕事継続。我が母ながら、ここまでくると、その精神力に脱帽です。私とムスメは、もともと9月の連休(前半)に入っていた予定を無事にこなし、私は予定どおり、先週の月曜日、自宅に帰ってきました。どっちの親もすごく働き者なのはいいのだけれど、年齢を重ねるほどに「頑固さ」に磨きがかかっていく・・・人の言うことなんか聞きゃしない。高齢化とはこういうものなのでしょうか・・・とりあえず、虚弱体質で優柔不断な私は、ここまで元気に長生きできそうにはない、ということだけは実感しました。さて。今週末は、ムスメの成人式の前撮りがあったので、ムスメ帰省。仕事に忙殺された私は、せっかくムスメが帰ってきたのに何のお構いもできず、とりあえず前撮りをこなし(なんかもっと感動したかったんですが・・・)、あさって大学が始まってしまうムスメは、今日、東京へ帰っていきました。・・・疲れた。しかし、この混乱のさなか、翻訳の仕事の締め切りが2つ(そのほかに、仕事の依頼が2件あったのですが、泣く泣くお断りしました)。というわけで、これから腰を据えてじっくり翻訳の仕事です。3連休で良かった(T T)
September 22, 2019
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お久しぶりです。前回、最後の記事を書いてから早4カ月弱・・・。子育てが終わると親の介護が始まる、などと世間では聞いたりしますが、まさか我が身にそれが降りかかろうとは思ってもいませんでした。どっちの母も元気そのものだったので。5月の終わり頃から自分の高血圧治療が始まったものの、降圧剤の副作用に悩まされ、なかなかうまいこといかなくて四苦八苦していたら。義姉から、義母の認知症が相当進んでいるということがわかったと連絡が。そして、夏の暑さ到来とともに、義母が痛んでいる食べ物を食べてしまったらしく、激しい下痢のために入院。病院にいる間は生活も管理されていて、いろんな人たちとの交流の中にあったので、認知症の進行具合が落ち着いたようなのですが、さて、退院後、一人暮らしの義母をどう支えるか、ということに。なにしろ、デイサービスのドタキャンを2回もしたことがある義母。他人が自分の生活に入ってくることがとにかく我慢ならないらしく、介護サービスを一切受け入れてくれないのです。そこで一計を案じ、デイサービスさんに「病院から健康管理に来ました」と言ってもらって、1日3回訪問してもらい、生存確認をしてもらうことに。何かあったら、比較的近くに住んでいる義姉に連絡してもらう、ということで、策は練られたのですが。退院後、うまく導入できるのか?また介護士さんとけんかしてドタキャンしないだろうか?という、導入部への不安のみが残ったのでした。そこで、お盆休みが始まる直前ごろに義母に退院してもらい、私たち夫婦が迎えに行き、そのまま一週間、介護士さんとの間を取り持つことにしました。そんな策が功を奏して、介護サービス導入はうまくいったのですが。私たち夫婦の寝室にはエアコンがない古い家。ただでさえ連日35度越えの暑さなのに、台風の接近に伴いフェーン現象で気温がうなぎ登りに上がり、最終夜は夜中の2時頃でも気温35度という、人生最暑の経験をして、1週間、ほぼ熟睡できない状態でした・・・。しかしまだ、この時点では私の虚弱な身体も、体力の貯金でなんとか持ちこたえていたのですが。その後、ムスメとの約束があったりして、1週間のうちに東京と2往復、というよくわからない日々を経て、8月が終わり、9月の声を聞いたころ・・・。
September 22, 2019
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過去を振り返らないようにしていたけれど、先日見たNHKのドキュメンタリー平成を駆け抜けた絶対王者 羽生善治http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=17773で、無冠になった羽生さんが、最後に、子ども時代に通った将棋の道場に顔を出すシーンがあります。原点に戻る。そうか、過去を振り返る、ではなく、原点に戻る。それは意味があることだと思えました。私も、どういうわけかここのところ、高校、大学時代を振り返るきっかけをいただくことが重なりました。高校時代の友人たちと会いました。連絡が取れなかった人たちとも連絡が取れるようになりました。みんな、全然変わらないけど、それぞれ三十数年の人生の中で、いろいろな経験を経てきたのだということもわかりました。それは、それぞれに、楽な道のりではなかったであろう、ということも。でも、私の根っこはここにあった、と確信しました。今まで、自分には根っこがないと思っていたけど、ちゃんと根っこがありました。そして今、私はその根っこをもとにここにいる。今いるこの場所は、私がいるべくしている場所なのだということがなんとなくすとんと腑に落ちました。原点に戻る。そうしたら、違った景色が見えてきました。
May 18, 2019
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過去を振り返らない!と思えば思うほど、自分がどこにいるのかわからなくなって、ものすごく苦しくて落ち込んで八つ当たりして、なんだかどうしょもなく生きているのがツラくなったのですが。そんなタイミングに、高校時代の部活の同窓会のお知らせをもらいました。GWの終わりごろ・・・って。えー、10日後?東京で??その無計画ぶりが、らしいなぁ~、変わってないな~、ってうれしくなって、つい行く段取りをつけてしまいました。私だけ遠くに住んでいるので、すごく高くつくのですが。これまでは、何に誘われても、子どもたちがいて家を離れるわけにはいかなかったので、なるべく誘われないようにひっそりと、過去から距離を置いてすごしてきました。なるべく過去を振り返らないように。過去から隠れるように。過去を思い出さないように。でも、子どもたちがいなくなったら、私、飛べるんだ!ということに気づきました。私の背中には翼が隠れていたんだ、もうここにとどまっている必要はないんだ、ということに。私は昔、もっと私らしかった。もっと私らしかった私を知っている人たちに会いに行こう。私が私らしくいられた場所を思い出しに行こう。私が私のままでも受け入れられていた場所を探しに行こう。私らしかった私を探しに行こう。連絡をくれた人が「この年になると過去を振り返るようにプログラムされているのかもしれない」と言っていたのですが、本当にそうかもしれません。過去を振り返るのは単に老化したからではなく、ある年齢に達すると「過去を振り返る」というスペシャルプログラムが作動するのかも。それにしても、今の時代、SNSで時空を超えて人探しができるのですね。隠れてたのに(!)見つけてくれて連絡くれた友人に感謝です。
April 27, 2019
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ふっと思い出した歌。アニメ「ウインダリア」のエンディングなんだそうですが、ウインダリアを見た記憶がない・・・にもかかわらず、歌詞をフルコーラスで歌詞を思い出せる不思議。これも脳の奥の方から湧き出てきた記憶です。脳内、大混乱中。『美しい星』 作詞・作曲・歌 新居 昭乃悪い夢を見ていたそこは地球の果て闘いの次の朝何も聞こえない 誰もいない好きな人に囲まれ平和に暮らしてるだけど明日にはわからない張りつめた 静けさなのああ、美しい星ああ、誰が壊してもいけないああ、安らかに眠る 子どもたちに伝えてゆくためになくしたものがあまり多すぎて忘れた青空だけは残しておいてくださいと叫びたいああ、美しい星ああ、はるかな時の始まりにああ、生まれた光を私たちは知る方法(すべ)さえもないああ、美しい星ああ、誰が壊してもいけないああ、安らかに眠る 子どもたちに伝えてゆくために歌詞掲載について:楽天ブログはJASRACと利用許諾契約を締結していますブログへの歌詞の掲載について(JASRAC)
April 23, 2019
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昔の話を振り返るようになったら、トシを取ったということだと自分に言い聞かせているのですが。うっかり振り返ってしまったら、なんかいろいろ、人生の重大な節目の選択を間違えたかもしれない、ということに気づいた10分前。自分の選択に自信がなくなってきましたorzムスメの大学受験、進学にともなって、自分の来た道を振り返ることが多くなったのですが、それに加えて、先日、実家に帰ったら私が大学院のころの荷物が山と積まれていて、「邪魔だから整理して」と母と弟に言われて、整理していたらいろいろ出てきました。まぁたいていは思い出したくもない黒歴史だったりするので、ぱっぱと捨てて行ったのですが、その中に、「へー、私こんなすごいことやってたんだ」というものがいくつか。青春の思い出の品も。23~4歳のとき、私にはいろんな輝かしい選択肢があったのに、私はオットを選んじゃったんだな( ̄▽ ̄)当時、お付き合いをお断りした京大の先生が、カナダの大学で教授になっていようとは。賢い上にスポーツもできて見た目も性格も好みのタイプの方で、大変光栄だったのだけど、立派すぎて私の方が恐れをなしたという・・・でも、結果的に、オットと結婚したから、かわいい我が子2人と出会えたわけで(一人は遁走したけど、まぁ健康で自立してくれたし)。オットは、私が何をやっても(ゴロゴロ寝てても)黙って文句も言わずに見守ってくれているし。それを考えると、やっぱりこの選択は必然だったんだと、再び、すとんと腑に落ちて。でももう我が子たちが旅立っていってしまった今、私には、この土地にいる意味ないんだよね~・・・。昔を振り返るようになったってことは、がむしゃらに前に進む必然性がなくなったっていうことなんだろうな。平和なんだな、きっと。でも。やっぱり仕事をやめて、1年の半分くらい東京に住みたいな。本当は、大学院で勉強し直したいんだけどな。体力に自信がないからな~・・・お金もないしな。自分の選択にますます自信がなくなって、大きな決断ができない今日この頃。
April 21, 2019
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NHKのドキュメンタリー天皇 運命の物語 第4話 「皇后 美智子さま」を、昨日見ました。感動でずっと涙が出っぱなしでした。天皇、皇后両陛下がお車でうちの近所を2往復されるという大変貴重な経験をしました。2往復とも沿道で拝見したのですが、美智子さまは常に窓が開いた沿道側に座られ、笑顔でお手を振られていました。実際に拝見する美智子さまは、本当にお美しく、輝いて見えました。分刻みの厳しい旅程に、2日目、天皇陛下は少しお疲れになられているように見えたのですが、美智子さまは相変わらず、にこやかな笑顔で、沿道に向かってお手を振られていました。そのとき、気づいたのです。美智子さまは、沿道に向かって開かれた窓を通して何かあった場合には、命がけで陛下をお守りしようとしているのだと。美智子さまは「良妻賢母」などという単純な言葉では表現できない役割を担っておられるのだと思いました。わが身に課せられた使命として、「天皇をお守りする」という職務を人生をかけて遂行されている、強く勇敢なプロフェッショナルであるのだと。NHKドキュメンタリーで、美智子さまの母校、聖心女子大学の初代学長、マザー・ブリットの教育方針が紹介されました。Be independent. Be intelligent. Be cooperative.独立し、知性があり、協力的な人間であれ。誰かに頼る人生ではなく、自分の足でしっかり立ち、学び続けてよく考え、人々と協力してよき社会をつくる人となれ。まさに、美智子さまはその言葉を体現されていらっしゃるのだと思いました。驚いたのは、天皇皇后両陛下は、私の父と同い年、昭和一桁のお生まれだということです。昭和の夫は妻のことをほめたりしない、などという与太話をよく聞きますが、天皇陛下は折に触れ、記者会見で-つまり全国民の前で、皇后さまへの感謝の意を述べられています。なんと先進的なご夫婦であることか。そのお言葉があればこそ、皇后さまも自らに課せられた使命を遂行できるのだと思います。俗な言葉で申し訳ないのですが、「かっこいい!」と思いました。明日、「平成」にかわる新たな年号が発表されます。
March 31, 2019
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堀ちえみさんがご自身の病気について発表されました。ちょっとした共通点があって、何かの話題に上るたびになんとなく気になっていた方でした。これまでもいろいろな意味で変動の大きい人生を送られてきた方でしたが、ある日、ふと彼女のブログが目に留まりました。そして中を見てみたら、どうやら何かの慢性疾患にかかられていて、体を動かすのも大変な様子が。それでもたくさんのお子さんに恵まれて、いつも前向きで笑顔で幸せそうで。日々に感謝しながら生活している様子が伝わってきました。だから、今日の発表には大きく心を動かされました。そんなとき、ツイッターで大変すてきな記事を見つけました。「著名人ががんを公表する度に起きる騒ぎーがん経験者としてお願いしたいこと」https://www.buzzfeed.com/jp/shinsukeamano/cancer-survivor-onegai著者は、全国がん患者団体連合会理事長 天野慎介さんです。ご自身もがんと闘った経験を持ち、今では日本全国を飛び回られて、講演など、がん患者団体の支援活動をされています。この方の活動のおかげで、日本のがん治療が医療者本位から患者本位に変化していったといっても過言ではありません。ぜひ、全文を読んでいただきたいのですが、中でも参考になったのは、がん患者がかけてもらって「嬉しかった言葉」「支えになった言葉」や、「患者を助けたいという自分の善意や価値観を患者に押し付けないこと」(本文より)でした。そして、皆さん自身や皆さんの大切な人ががんと診断され、メディアで個人の病状について論評されたら、どのような気持ちになるでしょうか。私たちは病に直面した著名人の皆さんを、1人の人間として心から応援したいと思います。そして同時に、報道される著名人以外にも、今この瞬間にがんや様々な病と向き合っている人々のことも、同じく応援してください。(本文より)著名人の勇気ある公表に対して、私たちが少しでも何かできることがあるとしたら、それは、「自分が同じ病気になったら」「家族や友人が同じ病気になったら」と想像をめぐらし、我がことと思ってしっかり考えて行動する、ということではないだろうか・・・?私も深く考えさせられました。
February 19, 2019
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ムスコがセンター試験を受ける前日、ウイルス性胃腸炎で発熱。下痢が止まらなくなりました。当時、ムスコは寮に住んでいて、寮母さんからその連絡を受けた時、私は生まれて初めて、ショックで気が遠くなるという経験をしました。これまで一年間がんばってきたのに、それが無に帰すのだろうか?もう一年、がんばらなければならなくなるのだろうか?と。よくドラマでは見たことがあったけど、人間ってショックを受けると本当に膝の力が抜けて崩れ落ちるんだと知りました。(結局、ムスコは点滴で熱と下痢を抑え込んでもらい、事なきを得ました)私自身が、「胸に腫瘤がある」と指摘された時、悪性と良性の可能性が半々であったにもかかわらず、生検結果が出るまでの1週間、食べ物がのどを通らないという経験をしました。話にはよく聞いていたけど、39℃の熱を出しても食欲が落ちることはなかった私。精神的ショックで食べられないとか、考えられない、と思っていたのに、本当に、食べ物を飲み込めませんでした。それどころか、食卓で家族と食事を目の前に、突然、涙があふれてきました。最悪の結果ばかりを考えて、ネットをさまよい、怪しげな情報に一縷の望みを託していたりしました。今なら考えられないことですが。(このブログにも書いてありますが、結果的には良性で手術して、現在、経過良好です)去年、ムスメが不合格を突きつけられた時、ムスメは泣き崩れて終日泣き続けました。ムスメはそのショックを一年引きずって今に至っています。今、大学受験を目の前にしているそんなムスメが、体調を崩して受験できなかったら。今度は私が一年間、あんなに頑張って来たのに・・・と、ショックで気が遠くなり、食事がのどを通らなくなり、あふれてくる涙を止められなくなるでしょう。突然ショックや恐怖に襲われた時に現れる「人間の弱さ」とは、経験してみないとわからないものだとつくづく、本当に痛感しました。だから。池江璃花子選手の病気の報告に接し、ご本人、そしてご家族のショックの大きさを想像し、胸が苦しくなりました。それなのに、すぐに前を向いて、あんなに立派なメッセージを出し続ける18才に本当に本当に、頭が下がりました。メディアは、邪推や憶測を垂れ流すことなく、静かに見守ってあげてほしいです。本当に応援するのなら、まずメディア関係者の皆さんがきちんと勉強してほしいです。何か伝えるなら、病気についての正しい情報、怪しい情報との見分け方、患者さん方の声などをしっかり勉強してから、きちんと伝えてほしいです。AYA世代(思春期と若年成人(Adolescent and Young Adult))のがんについて、関心や理解が高まることはいいことだと思います。でも。論理的なものの考え方ができる大人が、あまりにも少なすぎます。感情をあおって視聴率を上げれば、それでいいのですか?オリンピックが盛り上がれば、それでいいのですか?がんって人間の個性が一人一人違うように、同じ臓器でも同じステージでも、治療法も予後も人それぞれなのです。だから、専門医はみんな必死になって勉強し、研究し続けています。素人がチャチャを入れず、今の医学を信頼して、治療に専念できる環境をつくることが、周囲ができる本当の応援である気がします。「善意の攻撃」しないようにしなければ。私自身への戒めとして。
February 14, 2019
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別に「私は”特別”」とか「上」とか思っているわけではないのですが。noblesse oglige (ノブレス・オブリージュ)「財力、権力、社会的地位の保持には責任を伴う」という意味の言葉です。wikipedia ノブレス・オブリージュ最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。(中略)法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われることもある。(wikipediaから)いろいろな意味で、「言ったもん勝ち」「やったもん勝ち」みたいな風潮がまん延するこの頃。この言葉が、少しでも持っているものを分け与えながら生きていこうよ、という意味に、ふと思えたのです。人に何かしてあげるなんて、ただの自己満足かもしれないけど、小心者だし、人から批判されたり倫理や人格を問われるの、イヤだから。理由はそれでいいんじゃないか、と。ここ数年、なんとなく、自分が持っていないものを持っている人をやたらと羨んでみたり、なぜ自分から欲しいものを取りに行けないんだと悔やんでみたり、自分ばかりが損をしているとか、いろいろ心が動揺してたんですが。多分私は、どちらかというと、いろいろ恵まれている人間なのかもしれない、と思ったのです。お金持ちじゃないし、ぜいたくに興味もないし、容姿や能力に恵まれてるわけでもないし。努力も続かないし。何やっても形に残らないし。でも、かといってすごく不幸でもないし、とりあえず生きてるし、生きられるだけの環境にいるし、生きるのに十分なだけのものをもってるし。自分ができることを、自分なりに続けていったらいい。それが誰かのためになるのなら、もっといい。それを誰かが喜んでくれるのならもっともっといい。もっているものを分けていったら、ものを独り占めしようとしている人よりも、”自分が”幸せだと感じられる気がしてきました。私は、欲しいものを独り占めしても幸せを感じられない種類の人間みたいなので。そういう意味で、自分で自分を卑下して他人を妬みそうになったら、noblesse obligeと自分に言い聞かせていこうと・・・下手な嫉妬よりも、優越感の方が気分いいですから(^^;)なんかとりとめがないんですが。そんな風に思いました。
November 19, 2018
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今年も無事、祭りが終わった模様です。台風が接近してたのでどうなるかと思いましたが、いい感じで通り過ぎてくれたので、前々夜祭、前夜祭、祭り当日、と、すべての行事を終えられたようです。ムスメと連絡を取り合っているときに、「あー、神輿が通り過ぎてくー」とメッセージしたら、「なつかしいなー。離れてみると、祭りがないとさびしいなー」と返事が。へー、少しはサトゴコロがあるんだー・・・と、妙に実感。京都生まれとはいえ、生後6か月でここに引っ越してきて、以降、ずっとここで育ってきたわけですから、まぁ、ムスメにとってはここが「故郷」なのは当たり前か。よそ者の私は、いまだに、祭りをめぐる恨みつらみしか残ってなくて、何だこの祭り!神無月なんて、神様はみんな出雲大社に行っちゃうのに、10月に神輿とか意味わかんない!!(注:なんか神様はいるらしいです、詳しいことは忘れちゃったけど)としか感じられないのですが。そしてなぜ、2夜+1日もかけてどんちゃん騒ぎするのがそんなに楽しいのか、全く意味わかんない!<女性は男性の飲み食いの準備係だからその上、一日中重い神輿担いで地域中練り歩いくなんてそんな疲れることなんでするのか、全然意味わかんない!!!とかもう、もはや、理解しようとすること自体を放棄している感じなんですが。ふと気づいたんです。みんな、ひょっとして、普通に生活してるだけだとエネルギーが余ってる?ということに。私は、自分一人を、日々、生かしていくのがやっとの体力しかなくてよく2人も子供を育てられたわー、っていうくらいで(だからムスコは、勝手に自立して旅立っていってくれて、ある意味親孝行)祭りで余剰のエネルギーを発散するなどという、”余剰のエネルギー”は、私のどの部分を切っても絞っても出てこないのでした。もう、祭りで神輿を担いで歩き回っている人たちを見るだけで疲れるー、っていうくらい。余剰のエネルギーを発散する人たちのお世話をするエネルギーなんてもっと、ない。神様へのお祈りは、毎日、胸元に手を組んで行っておりますので、特定の日に神様を担がなくても結構。なるほど、私は祭りに感情移入できないわけだ、と、心底納得しました。それでも。季節の変化を知らせてくれるという意味で、外でぱーっとにぎやかにやってくれているのが聞こえてきたり、神輿の行列を見たりするのは、きらいではありません。私もこの土地を離れたら、ムスメみたいに「なつかしいなー、祭りがなくて寂しいなー」と思ったりするのかな・・・しないな ( ̄ ▽ ̄)
October 7, 2018
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虹! しかも、ダブルレインボー!! ダブルレインボーの意味は、「卒業」、「祝福」だそうで。 https://niconicohappy.com/twotwo/ 「進むべき道で悩んでいる人には、『あなたの信じる道を進むことで、あなたの道は開けてくる』というメッセージ」 だそうです。 天啓。
August 24, 2018
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私が大学生の頃の話だから、もうかれこれ30年以上前のことになります。私が大学4年生の時に所属していた研究室では、男女ともどもお酌禁止お茶を入れるとかリンゴの皮をむくとか、当時女性がやるのが当たり前、と思われていたような”女子の気遣い”を率先してしようものなら「やっちゃダメ!」と厳しく言われるような男女平等を強制されている雰囲気でした。(ただし、リンゴの皮に関しては、私はむくのが速かったからやってましたが(^^;))OBに優秀な女子学生がたくさんいたおかげだったのだと思います。大学院に至っては、その道を切り開いた大変優秀な女性先輩方がいて、その人たちが学生時代、研究室の教授から大変不当な男女差別をうけたにもかかわらず、命を削るような努力を続けられ、世界に誇れる立派な業績を上げ続けた、ということで、そのあとに続いた後輩たち(男性も)がつくった研究室はすべて完全男女平等性でした。30年前の話です。振り返ってみれば、私はなんと恵まれた環境で学生時代を送っていたのだろうとしみじみ思います。(にもかかわらず、本人の能力が足りず現在に至る・・・すみません)現在、理系の世界(医学部除く?)では女子学生を逆に増やそうと必死の努力がなされています。企業も理系女子の採用を促進しています。それもこれも、先達の女性たちが、男尊女卑の社会の中で身を削る思いで理系女子の道を切り開いていってくれたからです。なので、東京医科大学の入試で女子が一律減点されていた問題について、よくTVに出ている女医さんが、今日ある番組で、「そんなの東京医大だけじゃないですよ、みんなやってますよ。だって、女医が増えたら本当に、力仕事が必要な分野の医者が人員不足になるんですから!」と現状肯定の立場で力説したのには、心底がっかりしました。先輩女医がそんなだから、いつまでたっても男性医師の考え方が変わらないんでしょう。先輩女医が、「女性」に甘えて努力を怠ったから、後輩たちが今、苦労しているんじゃないですか!っていうか、2017年のミスユニバース準グランプリ、力仕事系の外科医だよ。1年間のミスユニバースとしての活動を終えたら、現場に帰ってくる予定だってよ。「みんなやってる」ってこと、ないでしょう。自分が努力を怠っていただけのことを開き直って発言されたら、各方面、迷惑でしょう。これからは、女性医師の数を増やして、結婚出産育児をシフトでカバーできるくらいの体制にしないと、日本の医療界自体が医師不足で崩壊することがわからんほど、医師ってバカなのかね?他の理系業界ではとっくに取り組み始めていることなのに。なんだかもう、こんな病院で自分が生まれたのかと思うと怒りのやり場が・・・
August 5, 2018
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父が脳出血で倒れたとき、ある救急病院に運ばれました。母が倒れている父を発見したのは、父が倒れてからかなり時間がたっていた時だったらしく、急いで病院に駆けつけた私は、父の脳CTを見て、もうだめだ・・・と思いました。それほど出血が広がっていました。医師からも今日明日が山です、と告げられました。そんな父の頭部を、その病院の脳外科の先生方は一生懸命治療してくださいました。術後、家族に手術の過程を丁寧に説明してくださいました。そして。父は奇跡的に一命をとりとめました。その素晴らしい病院こそ、東京医科大学病院でした。だから。今、テレビの報道を見るたびに本当に、本当に悲しみでいっぱいになります。これ以上の醜聞はないのではないかというほどの、あきれてものが言えないとはまさにこのこととしか表現できないほど、みじめな報道のされ方です。父を治療してくださったあの先生方が「女性は戦力にならないから医師にならなくていい」と考えていたのでしょうか・・・?医師不足なんだから、男性でも女性でもどんどん医師を育成して、労働力不足を数で補わないといけない事態に陥っているのに、いろんな人たちが自分たちに合った働き方をして協力しなければ一人あたりの医師の負担がどんどん増えていくだけなのに、減少していく男性医師だけでどうやって働き方改革するんでしょうか?この大学の女子学生にお伝えしたいです。0.8~0.9の係数をかけられた点数でも、立派に合格したんです。裏口からじゃなくて、正門から堂々と入学したんです。つまり、同級生の男子学生より優秀ってことです。堂々と、胸を張って立派な医師になって、先頭に立って働き方改革して、ムリせず子育てしながら働き続けられる女性医師になってください。おばさんは、無責任にこんなことしか言えませんが。言いっぱなしで何もできませんが。応援してます。ちなみに、この病院は、私が生まれた病院でもあります・・・(悲)。
August 2, 2018
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「避難勧告が出た」と書いた週末が明けた月曜日。職場で、うちの近所に住んでいる同僚とそんな話題になった時。「避難勧告、出てたよね~」と言ったら、「え?避難指示でしたよ!?」と教えてもらいました。避難勧告より、より緊急性のある警報だったようです・・・イヤなんだかもう、言いたいことはいろいろあるんですが、洪水が予想される河があり崩落するかもしれない山に囲まれて洪水で死者まで出た地域と、「河も山もない」地域と、一緒くたに「避難指示」が出てたって、どーゆーこと!?それで、自治体に「早めに避難指示を出しましたっ(ドヤッ)」って言われても。逃げなかった方がいけない、みたいに言われても・・・。ブログに書いたように、みんな油断してたと思います。みんな、避難勧告/指示の意味も「数十年に一度しかない大災害」の重大性もわからなかったと思います。多分、専門家の皆様は危機感をもって情報発信をしてくれていたのだとは思うのですが、危険性を十分に理解して行動されていたと思うのですが、受け取る側にその意味が分からないと、それは伝わらない・・・。ラジオ波が飛んでても、ラジオ(受信機)がなければ音はならない。震度1から7まですべてに「緊急地震速報」が出ているような奇妙さ。災害も、予想される災害規模のレベルを設けて、レベル1~5の避難指示とか数値化して、もうちょっと地域ごとに具体的にわかりやすいように分類したらどうでしょう?で、このレベルだからみんな逃げろー!っていえばみんなさっさと非難するでしょうし、たとえその警告が結果的にはずれて大したことなくても、「外れてよかったね~」で済むでしょうに。全国の河川流域で、ハザードマップが整備されているようなので、これくらいの降雨量ならこの地域はこれくらいの冠水、とかある程度予想できるんじゃないでしょうか・・・?市民が自己責任で日ごろから考えておかなければいけないことではあるのですが、警報はもうちょっとわかりやすく、そして、その警報の意味をもっと世間に浸透させる努力を、行政側にもマスコミにもお願いしたいです。
July 12, 2018
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避難勧告が出ているのですが・・・うちの周りには河も海もなく山もなく。周囲よりちょっと高台になっている(らしい)土地に建っているマンションなんですが。避難すべきか?否か? <結局、うちにいます・・・町内放送も流れてるんですが、わんわんと音が鳴り響いているだけで何を言っているのか全然わからない。なんというか、「勧告を出してないのに何か大災害が起きたらいけないから、ちょっと出しとこうか」的な勧告だと、本当に避難が必要なときに油断してしまうような気がして。。ずっと気になってたんですが、〇十万人に避難勧告、とか言われても、〇十万人まるっとどこに避難したらいいのだろう?とかずっと疑問に思ってたんですが。やっぱり、いざ避難勧告が出ても、何をどうしたらいいのかよくわからないです・・・。数十年に一度の大災害が、毎年起きているこのごろ。日本に降りかかる天災は、地震だけじゃないですね。日ごろから考えて自己防衛する必要が高まっているのでしょう・・・。必要なところに勧告が届きますように。被災された方々に必要な救助、支援が届きますように。
July 7, 2018
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23年前に起きた世界最大級のテロ事件の首謀者が刑に処されました。当時、赤ん坊だった子どもが成人して就職するほどの年月が流れたのですが、事件が起きた日のことはつい最近のことのように覚えています。ムスコの一歳の誕生日を祝いに、母が、当時住んでいた京都にきてくれていたのですが、さぁ、東京へ帰ろう、というその日に事件が起きました。母が東京駅から家に帰るために使う、東京メトロ(当時は営団地下鉄)丸ノ内線で。丸ノ内線は全線運休となり、現場は大混乱。毒物がまかれた、ということで、処理がいつまでかかるのか、復旧はいつになるのか、目途が立たず、母に、もう一泊していきなよ、と勧めたのだけれど。「大丈夫。夕方にはなんとかなってるから」といって、京都を旅立っていきました。そして本当に、夕方、丸ノ内線は復旧し、それに乗って、母は無事、家に帰ったのでした・・・。本当に、つい最近の出来事のようだ・・・毎年、3月20日になると思い出すのですが、今日の死刑執行のニュースをきっかけに、今日もそんなことをつらつらと思い出していたら、あることに気が付きました。今まさに、ムスメが予備校への通学に使っているのが丸ノ内線。事件現場、ど真ん中を突っ切って通っていることに。当時のことはこの間のことのように覚えているのに、事件現場とその記憶がリンクしていなかった・・・。23年という月日は、信じられないほど記憶を風化させていました。これは、ちゃんとムスメに伝えておかなければならない!と、親としての使命感を感じ、ムスメにメッセージしたら、おどろきのお返事が「予備校の先生が、事件について教えてくれたよ」なんと!Σ( ̄ロ ̄lll)大学に入ってから気を付けるように、という意味もあって、優秀な人がどうして入信してしまったのか、話してくれたそうです。予備校、至れり尽くせりすぎる・・・。私が持っていたあの宗教団体のイメージは、張りぼてのゾウの帽子をかぶった10人弱の若者たちが教祖の歌にのって踊っている姿。どう見ても怪しい宗教団体に、なぜ、善良で優秀だった人たちがこぞって入信して、世界最大級のテロ事件を起こしたのか・・・。この事件については、イメージや記憶がバラバラで、関連付けて考えることができません。どこにそんな落とし穴が開いているんだ?というナゾが解決しないまま、我が子に、「こんなことに気を付けるように」と具体的なアドバイスできないまま、事件が一つの終わりを迎えました・・・。
July 7, 2018
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昨日の深夜、ブログの管理画面をながめてて気が付きました。ブログデータ開設日数 5000日おや?これは5000以上進まない数字なのかしら?と疑って、今日まで待ってみたら、今日は5001日でした。へー。5000日。ブログ開設から13年と8カ月ほど。今年の10月で満14歳です。どおりで年取るはずだな。子どもも大きくなったな・・・。
June 21, 2018
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心が疲れたり病んだりした人へのアドバイスに、「まず、自分を認めてほめてあげましょう」というのがあります。このアドバイスは、確かに真実ではあるのだけど、「どうやって?」っていう疑問についての答えはなかなか見つかりません。何十年も、毎日毎日、瞬間瞬間、「自分なんてダメだ」と自分に言い聞かせ続けているんですから、「さぁ、今日から自分を認めてほめてあげましょう!」とか言われても、そう簡単に呪縛から逃れられるわけがありません。自分で自分をマインドコントロールしてるわけですから。「自分をほめたりなんかしたら、自分がもっとダメになってしまう」とか、思ってたりするわけですから。心療内科の先生に、言葉として声に出して語り掛けてもらって、初めて気が付くことがいろいろありました。最初は「そんなはずない」と思っていたのに、自分ではない人からの言葉として耳に入って来たら、そうかもしれない、と気づいたのです。いや、ひょっとしたら「そうかもしれない」と信じ込まされただけかもしれない…でも、人の言葉って、自分で思っている以上に心を動かすものなのかも、と思ったりします。心が疲れ切って、袋小路に迷い込んで、いろんな本を読んだりネットで調べたり、文字の情報を必死に探したのですが、答はどこにもありませんでした。でも。それが「医師としての職業上の言葉がけ」であると、わかっていても、人の口から言葉を聴く、というのは、想像以上に力があるものなのだなと思うこの頃です。ただやっぱり、これまでずっと「私はダメな子だからもっと頑張らなくちゃ」「私は怠け者だからもっと動かなくちゃ」「私は要領が悪いから、もっと要領よくやらなくちゃ」「私は嫌われものだから、好かれるように努力しなくちゃ」「私は負けてばかりだから、勝たなくちゃ」って自分に言い続けてマインドコントロールしてきた自分の思考を変えることは簡単じゃありません。どうやったら、このマインドコントロールから抜け出せるのだろう・・・一日一日、一瞬一瞬、心があちらこちらにさまよい漂う、この頃です。
June 21, 2018
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あれから10日もたちました。ムスメがいない日々ま、その間に1回ムスメに会いに行ってるんですけどね・・・。で、ムスメに会えたのがうれしくて、こっちに帰ってくる道すがら、「私ここでなにやってるんだろ?」って涙がこぼれてきてたりしたんですけどね。日常に戻ると、「ああ、ここが我が家だわ~」って納得したりして。いつも疲労感しか感じていなかった職場で、ふと、「あれ?あんまり疲れてないかも」と気が付きました。気持ちよく仕事に集中できたりして。帰宅してからも、誰も部屋を散らかさないから、片付けなくちゃ!っていう気疲れも感じなくて。洗濯しなくちゃ!とか、夕食準備しなくちゃ!って気を張らなくてもよくなって。夕食も、二人分だけだからちゃちゃっと気楽に作れちゃうし食品の買い出しにかかる時間も半分くらいになって。っていうか、買いすぎると食べきれないから、たくさん買わないように気を付けないと。(ムスメ、そんなに食べてなかったんだけど・・・)あれ?子供がいないって、こんなにラクだったっけ??って。で、あれもやりたいな、これもやってみよう、ってすっごく前向きな気持ちになったのですが。昨日まで暑いくらいの陽気だったのに、今日、いきなり気温が下がって。寒くなった途端に、ホットカーペットの上で毛布にくるまったままTVをボーっと見てしまいました・・・(あ、翻訳の仕事をしながら、ですが)私はきっと、変温動物。今の当座の励みは、4月20日のレ・フレールのコンサートにムスメと一緒に行くことです。でも、それが終わったら・・・さびしいなぁ、やっぱり。もうちょっとあったかくならないかな~。
April 7, 2018
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・・・などとタイトルに書くと、寂しげですが。先週は、本当に、どうやって生きていこう?くらいの勢いで悲しかったのですが、新たな目的(?)を見つけてから若干の立ち直りを見せた後、結構あっという間にムスメがいない日々に慣れを感じてきました。ムスメとは毎日、メッセージで会話してますが<全然、子離れしてない。ムスメも、環境が変わってそれなりに楽しく元気にやっているようだし、春期講習も始まって、バタバタしているようだし。寂しいけれど、毎日、あれやこれやと焼いていたお世話の手間がなくなって、ある意味、ラクになったかも。好きな時間に好きなことができるようになったなぁ・・・と気づいて、今日は、夕方5時半ごろ、帰宅してから、ぷらぷらとお花見散歩に行ってきました。そっか、夕方も、誰に気兼ねすることもなく散歩ができるんだなぁ・・・。と、桜と夕日を見ながらしみじみ実感しました。4月から私もいろいろと少し忙しくなります。在宅翻訳者に戻るべく、本格的に準備を始めています。いつ、完全に戻れるかはわからないのですが。ムスメの再挑戦に負けないように、私も充実した日々を過ごさないとな~。
March 28, 2018
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さて。突然、ムスメがいなくなってしまった我が家。夫婦二人で何を話したらいいんだ・・・?!という戸惑いもあるのですが、今日はオットも飲み会で、朝から晩まで私一人。気楽な一人状態で、やったー!と思ったものの、夕方に近所のスーパーに買い物に行ったら、なんだか突然悲しくなって、目に涙がにじみ始めました。「ムスメに何を買ってあげよう」「ムスメは何を食べるかな?」いつもそんなことばかり考えていたスーパーでの買い物。優しいムスメは高校生になってもときどき買い物に付き合ってくれました。ああ、もうムスメはいないんだ・・・。そう思ったら、目に涙が大量に浮かんできて。人前なのでぐっとこらえましたが。オットもいないこの家で、一人で夕食を取りながら、私、何してるんだろう?これから何をしたらいいんだろう?私の趣味っていったいなんだろう?なにが楽しくて生きてるんだろう??と、マイナス思考のデフレスパイラルが延々と続き、悲しくてボーっとしていたのですが。テレビのチャンネルを変えたら、何とそこに上川隆也さんが!髪にかかったウェーブがほどよく、いつにも増してかっこよくて、気分一転一人のびのびとテレビを楽しんでいたら、ムスメからも「上川さん、ぐるナイに出てるね~」とメッセージが。うんそうだ、私には趣味があった!というわけで、「上川隆也 舞台」でググったら、秋に東京で行われる予定の舞台発見!絶対に見に行く!!そのために頑張って働いてお金を貯める!!というわけで、とりあえず一つ、生きる励みが見つかりました。現金なものです(^^;;;)
March 22, 2018
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3連休が終わりました・・・。私にとっては、1日目は体調不良でほぼ動けず。2日目は体調が若干回復するも、仕事があり外出できず座りっぱなし。そしてふと思ったのでした。このままでは、エコノミークラス症候群になってしまう。※エコノミークラス症候群http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/blood/pamph46.html長時間座りっぱなしなど足を動かさないと、足の静脈の血流が滞って血栓ができ、その血栓が何かの拍子ではがれて静脈流に乗って肺にたどり着くと、肺動脈をふさいで呼吸困難になって、致命的な状態になること。なまじ医学のお勉強をすると、いろいろ不安が広がる・・・。というわけで、寒かったけど、今日は意を決してお散歩に行くことにしました。で、支度をして玄関の扉を開けたら、視界が真っ白・・・。雪が降ってました。さっきまで晴れてたのに。しかし。雪などめったに降らないこの地方。降り続く根性はないだろうと、10分ほど待ってみたら、小降りになりました。というわけで、パラパラ降ってはいたけれど、思い切って出かけました。いつものお散歩コースで、目標は神社で神頼み!この地方には本当に珍しく、空気はキンキンに冷えていて、しかも風も結構強かったのですが、思い切って出てみたら、なんとも心地よい感じ。なんだろう、懐かしいな・・・と考えてみたら、ああ、スキー場だ、と思い至ったのでした。動いているから体幹は暖かいけど、顔がひりひりするほど冷えてる感じ。いつものお散歩コースも、雪が舞っていると全く違う光景に見えました。でも、途中から本当にもさもさと振り出して、メガネに水滴がついて邪魔になってきたので、スーパーに寄っておやつを買って、スーパーを出たら小降りになってました。日差しも少し出てきて。相変わらずピリピリの空気の中を急ぎ足で歩いて帰宅。小1時間ほどのお散歩でした。去年の年末あたりから、体がしんどくてしんどくて、どんなに横になって休んでもなかなかウォーキングに出ようという気になれなかったのですが、今日は久々に前向きな気分でした♪
February 13, 2018
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年末年始、それ以降現在に至るまで、ムスメの大学受験ばかりにかまっていたので、自分の色々に目を向けている心の余裕がなかったのですが。ふと気づくと。自分の放送大学の単位認定試験が今週に差し迫っておりました…テキストを一通り読んで、ビデオ講義も全部見たのですが、それだけで内容が頭に入るような脳みそではなく。読んだ端から、見た端から、情報が消えていく・・。仕事の締め切りもあったり、横から新たな仕事が入って来たりで、ノートをまとめ始めたのが今年に入ってからだったのだけど、それでも自分事に集中できず。気づいてみれば、昨日今日で全15章分のノートのまとめにとりかかり、現在、8章分までなんとかまとめました・・・。今日は、ムスメとリビングのテーブルで向き合って、二人で必死に勉強しました。しかし。あと7章分を、どうやって水曜日までにまとめよう、結構、メインの章がぞろぞろ残っているというのに。明日から仕事もあるといのに・・・・・・・・。というわけで。ムスメに「毎日、英作文と英文要約!」とかいっておきながら、木曜日まで添削はおあずけとなってしまいました。こういう風にならないように、結構、前からテキスト読み始めたんだけどなー・・・前期よりピンチ。
January 21, 2018
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私の日常はだいたいこんな感じなのですが、ほぼ月に一回、フルパワーで動ける日があって。今日はそんなラッキーデーでした。多分、月の周期の加減なんだと思うのですが。始まる前日に絶好調デーがやってくる気がします。(だから、明日からまたパワーダウンするはず)こんな快調な日が毎日だったら、私の人生、どんなに生産的だったろう・・・と思うと、ホント自分が残念なんですが。ま、とにかく、今日は一日、小掃除がんばりました。大掃除なんて、冬の寒い日にするもんじゃない!とうそぶきつつ、帰省しなきゃいけない忙しい時期に大掃除なんてできない、という現実的問題もあって、大掃除らしきものは、毎年、GWあたりにやってます。なので、今日は小掃除。トイレ、洗面所、台所といった水回りをちょいちょいと掃除して、家じゅうに降り積もっているほこり(のほんの一部)を払い、全室、掃除機をかけて。私とムスメは帰省の旅から帰ってくるのが例年より早く、オットと別行動。で、オットが自動車を持って行っちゃうから、家に帰ってきたら車がない!ということに気づいて、今日のうちに来週(年?)分の食料の買い出しに行ってきました。あと、ずっと切れっぱなしになってた食卓の照明の電球をLED電球に替え、別の部屋の蛍光灯も薄暗くなっちゃったので買い換えて、いつも外出すらも億劫な私が、3回も買出しに出るという快挙(?)今年の帰省の旅は短いです。帰ってきたら、センター2週間前・・・((((;゚д゚))))我が家に正月はない…。でも、みなさまはよいお年を・・・。
December 29, 2017
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近所でお祭り騒ぎ(?)がありまして。超VIPな超有名人がうちから徒歩15分ほどのところにお泊りになられるということで。で、うちの近所をお車で通られる予定だというウワサで。ムスメに「ねーねー、ちょっとそこの交差点なんだからさぁ、見に行こうよー。」と誘うも、いっこうに動こうとせず、ねーねー、ほら警備のヘリも近づいてきたよー、行ってみようよ~、といっても、めんどくさい~とか言って全然腰を上げようとせず。指をくわえながらベランダから、警備のヘリが近づいてくる様子を見ていたのですが。ふと階下に目をやると、なんかこう、人々の動きがせわしなく・・・。それを見たムスメ、「やっぱり行こうか!!」というわけで、ダッシュでご近所の交差点に行き、得難い経験をしてまいりました。きっと何かいいことがあるに違いない。その1~2時間ほど前には、うちのベランダから、ブルーインパルスの編隊が飛んでいるのも見えました。すごいな、国民のお祭り。そして、なんだかんだ言って、お祭り大好きだな、うちのムスメ(^m^)なんのことだか意味不明ですみません。自分用の備忘録として。
September 30, 2017
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髪を切りました。肩甲骨の下あたりまで伸びていた髪を、バッサリ、ショートボブに。だってさぁ・・・暑いんだもの。美容室の予約履歴を見てみたら、前回、予約を入れたのが去年の7月末。えー、もう1年も髪切ってなかったんだ・・・どーりで長いはずだわ。と、気が付いて、実家への帰省中に、バッサリ切ってしまおう。どうせなら、どっかおしゃれな美容室で断髪式を。と、ネットでえいっと選んだ、青山の美容室に行ってきました。田舎在住が長い私には、えらいハードルの高い場所にある美容室で、ビビりながら行ったのですが、お客さんの年齢層が高めの、ショートカットが得意のお店、ということで、お客さん方の仕上がりを見たら、なんかとっても素敵な仕上がりばかりで。私もあんなんがいいな~、と思ったのですが、自分のカットが出来上がった時点で気づきました。髪型が同じでも、仕上がりが違って見えるのは、素材の違いか・・・(爆)それはさておき、夏休みでお盆前で、ちょうど誰でも髪型を整えたいと考える時期なのでしょう。「今日は特に混み合っててごめんなさいね~」と言いながら、さささっとカットしていただいたヘアースタイルは、なんか以前からこんな感じでした?と思うほど、私の顔の形にぴったりフィットしてました。さすが、美容室激戦区で長年店を守り続けてきた美容師さん。髪型の維持は地元でしないといけないのですが、「また半年後に来ますね~」と約束して、店を後にしました。半年後、私が実家に来る用事とは・・・ちょっと考えると恐ろしいのですが。髪を切っている場合じゃないかもしれない(^^;;;)
August 10, 2017
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今日の朝日新聞の天声人語を読んで、感動で肌が粟立ちました。恩田陸 著『蜜蜂と遠雷』に出てくる、ピアノの天才少年風間塵のモデルが、あのラファウ・ブレハッチだというのです。『蜜蜂と遠雷』についてはこちら何が「あの」かというと。11年前、この地方の片田舎に、ラファウ・ブレハッチが来てくれたのです。第15回ショパンコンクールで1位を取ってすぐのことでした。ラファウ・ブレハッチピアノリサイタルまだ小1の幼い娘を連れて、「当日券」で入りました。ええ、当地ではどんだけクラッシックが冷遇されているか(涙)それはともかく。天声人語によると、浜松国際ピアノコンクールを主催する浜松市文化振興財団の伊藤渉さんが『蜜蜂と遠雷』を読んだとき、風間塵のモデルがブレハッチだとピンときたのだそうです。ブレハッチは、書類審査で落とされながら、予選から勝ち進んで最高位(1位なしの2位)を取ったのだそうです。無名のポーランド人の快進撃は「浜松を沸かせた」のだそうです。この間読んで感動した本の主人公(の一人)のモデルとの接点があったなんて!・・・というわけで、そうそう、もう一つ夢があったわ~、と思い出しました。〇浜松国際ピアノコンクールに行くこと。次回は2018年の秋だそうです。きっと、次の浜コンは『蜜蜂と遠雷』効果で、チケット争奪戦になるのではないでしょうか(^^;)
May 26, 2017
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なんだかもう、なんで今の職場で仕事してるんだかわからなくなっている今日この頃。イライラすることばっかりで、時給も安いしやりがいもないし。辞めていいと言われたらとっくの昔に辞めてるんですけど、人員不足なので、お人好しな私は「辞める」といえず。損な性分。一応、自分で、この基準に達したら辞める、というのは決めてはいるのですが、それがまた、その基準に全然達することができず。そんな自分にまたイライラ(^^:)しかも、今年度いっぱいはムスメが受験生だから、あれもこれもやりたいけれど、我慢・・・。なんか、一人で勝手にストレスをためてる日々です。そこで、来年度以降になったらこんなことをやりたいな、と考えていることを書き出して、自分を元気づけようと思います!(ネット上で人様に公表するようなことじゃないんだけれど、ひとりで”秘密のノート”に書き連ねててもつまらないので、ここに書かせてください~)〇コンサートへ行く!ブログにぽつぽつ書いているので、どんな類の音楽かはお分かりの方はお分かりでしょうが、クラッシックをメインに、レフレールとかまらしぃとか、そんなところ。ここのところ地元に大きな演奏会が来なくなって久しく。できれば、ムスメには東京の大学に進学してもらって、東京に通いたい・・・(夢すぎる・・・)来年の5月の連休は、絶対にラフォルジュルネに行くんだ!!と、今年の連休に心に誓ったところです。あと、地理的に近いのに行く機会がなくて残念な別府アルゲリッチ音楽祭地理的に近いけど交通の便がいいわけではないので、ずっと行けなかったのですが、いつか車を運転していってみたいです(HP見たらますます行きたくなった・・・)〇舞台を見に行く!これもブログにたま~に書いているのですがミュージカルも見に行きたいし、某俳優さんの舞台も行きたいし。あと、今日のNHK探検バクモンで仲代達也さんの無名塾を取り上げていたんですが、能登演劇堂には、ぜひ一度行ってみたい!オットの実家のすぐ近くなのに、すぐ近くなのに・・・いつも指をくわえて見てるだけで。〇英語のブラッシュアップ今、あるボランティア翻訳団体に登録していて、翻訳活動に関わらせていただいているのですが、その団体を通して、翻訳セミナーやプロの翻訳者団体の活動など、いろいろ情報が入ってくるようになりました。でも、どれも皆、東京中心。垂涎ものの研修やセミナーを、お手ごろ価格で提供していただけるのですが、往復の交通費を考えると、今はなかなか一歩が踏み出せません。生き残れる翻訳者として、きちんとスキルアップしてから、再びフリーランスに戻りたいと考えているのですが、スキルアップの機会も生かせず、時間もなく、歯がゆい思いです。来年は、ぜひムスメに東京・・・(以下略)それからもう一つ、本当に近所に、県下では有数の英語スクールがあるのですがそこの経営者さんがプロの通訳で、通訳講座を開いています。翻訳者も募集しているので、いずれは登録させていただきたいと思っているのですが、通訳講座で、失われつつある(苦笑)会話力を鍛えなおしたいと狙ってます。〇国際交流(^^?)ムスメのご縁もあって、市の国際交流センターからいろいろなお知らせが来るのですが、ときどき、短期のホームステイやホームビジット、地元の大学などにきている留学生のお世話担当などの募集のお知らせが来ます。ムスメがいなくなってしまったら、留学生を引き受けても間が持たないかな~とも思うのですが、一宿一飯を提供するくらいなら協力できるかな?とずっと考えてました。ま、そのためには、家の中を大掃除しなければなりませんけど。〇ピアノを習うこれはもう、結構以前から考えていたことなのですが。ムスメがもうすぐピアノを辞める予定です。そしたら、私がムスメの先生に習おうと決めていました。ただ、ムスメの受験が落ち着くまでは習いに行く気持ちにはなれないと思うので、来年度からかな~、と思ってはいます。〇お友だちとの再会高校を卒業してからずっと地元を離れて地方を巡っていて、しかも、ムスメが生まれてからは、私の実家に帰ってもムスメが私から離れてくれなかったので(ばあちゃんと二人は嫌だったらしい・・・)地元で友達に会うという機会は皆無でした。京都に住んでいた時のお友だちとも同上の理由で会えず。ついでに、仕事を始めてからは、当地に住んでからお友達になった方々とも疎遠になってしまいました。会いたいな~・・・。今年の夏休みは、長めに帰省できそうなので、高校時代の友人に連絡してみようと思っています。あとは、これは本当に夢話なのですが、ムスメと一緒にイギリスへハリー・ポッター&SHERLOCKの舞台めぐりに行きたいね(先日、大変悲しい事件が起きましたが)とか、いつかは欧州の有名なコンサートホールでの演奏会や音楽祭に行きたいな、とか。心の中の夢はどんなに大きく広げても、誰にも迷惑かけない!ああ、やりたいことが多すぎて、仕事なんかやってるヒマ、ないですよ~~~(^^;;;)う~ん、やりたいことをいっぱい書いたら、なんだか気分がすっきりした♪来年から、ムスメが家にいなくなります(少なくともその予定)そしたら私、多分、寂しすぎて死んでしまいます。そうならないように、今からいっぱい、一人になったからこそできることを考えておかないと!!
May 24, 2017
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三が日も過ぎてしまいましたが・・・新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。今年はもっと前向きな内容のブログにできたらいいなぁと思っております。昨年末から今年の目標をいろいろ書き連ねてまいりましたが、今年の最大の目標は在宅翻訳者に戻る!やっぱり、おうちにいるのが性に合っているようで。年末年始のお休みは、例年どおり、私とオットの実家を巡る旅に行ってきました。ムスコが生まれてからずっと、23年間、年末年始とお盆の季節は、子どもを連れて実家を巡る旅を繰り返してきましたが、ふと、それも今年で終わりなのか・・・と気づきました。今年はムスメが受験生となるために、ムスメと一緒の実家巡りはできません。そして、来年は・・・ムスメは我が家から独り立ちしていなくなり、ムスメと一緒に帰省の旅をすることはなくなるかもしれません。オットと私だけの二人旅になるかもしれません。ムスコは就職予定。盆暮れ正月にお休みをもらえる職業に就くのかどうか、わかりません。そんなことを考えたら・・・(T T)母もそれなりに年を取り、義母も気丈夫なものの体は年々弱っていっているのが分かります。いろいろ、いろいろ。少しずつ、変化する時期に来たのだと、しみじみと思う年明けでした。
January 4, 2017
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その人は、久しぶりに家に帰ってきました。そして、楽しそうにいろいろなことを語り、私は、「ああ、帰ってきてくれてよかった」とほっとして暖かな気持ちになりました。でも、2、3日泊まっていくのかな?と思っていたのに、その日の夕方「もう行くよ」と、去っていきました。私は、「ああ、また1年、会うことも話を聞くこともできないのか・・・」と、とても寂しい気持ちになりました。そして目が覚めました。ああ、夢だったんだ。楽しそうに話していたムスコの姿・・・。台所に立っていた時、ふと、思いました。「ここに引っ越してきたのは・・・」そう、ここに引っ越してきたのは、たまに遊びに来ていた父をもっと街中の観光地につれていってあげたい、と思ったからでした。だから、今住んでいるところに引っ越してきました。でも、引っ越しを決めて、建物が完成するのを待っている間に、父は倒れて植物状態になり、あの大震災のあった年の秋にあちらの世界に行ってしまいました。あちらの世界はよほどいいところなのか、私の夢にも出てきてくれません。私の家には、父の遺影もありません。遺影を置きたいという気持ちにもなったことがなくてふと、なんでかな?と考えて、ああ、父が亡くなったってことを私の心の底ではまだ認めてないんだ、ただ、離れて暮らしているだけ、と思っているんだ、ということに気づきました。でも、最近、ふと「ああ、父が亡くなってからもう5年になるんだな」と、震災関連の番組を目にすると思うようになりました。独り立ちと死別の違いはあれど、どちらの別れも5年前。別れの直後には感じていなかった感情が、最近、突然湧き出してきて、どうしていいのかわからなくなります。あと1年半もしたら、ムスメも独り立ちしていきます。・・・私、どうなるだろう?まだまだ暑い日が続いていますが、頭の中はモノ思う秋になっているようです・・・。
September 10, 2016
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今年に入ってから。食洗器が途中で止まって、エラーメッセージを出すようになりました。最初のうちはたまにだったんですが、そのうち、頻度が増してきて、そうこうしているうちに、正常に動く方がたまに、な状態に。あちこちガサゴソした結果、まともに動くようになったのですが、またしばらくしたら、7~8回に1回くらいエラーメッセージ。だましだまし使っています。しばらくしたある日、久しぶりにDVDを見ようと思ったら、再生できず。DVDプレーヤーが壊れたのかな~?と思っていたのですが、どうも、テレビ側の入力装置がおかしくなっていたようで、どんな映像再生装置をつなげても再生できず。そうこうしているうちに、ある日突然、テレビのスイッチが入らなくなりました。朝は全然異常がなかったのに。そして、ある朝突然、ガスコンロの火が点かなくなりました。ガスも出てるし、点火装置もカチカチと火花を出しているのに。ふっと息を吹きかけると点くのですが。そしてそして、先日の小掃除のときにレースのカーテンを洗濯したら、刺繍をおさえてていた裏糸がほとんどほどけて刺繍糸がぼろぼろ落下。テレビも食洗器もガスコンロもレースのカーテンも、ここに引っ越してきたときに買いそろえたもの。ぼちぼち8年ほどになりますか。寿命が一気に来ている感じです。そんなワタクシも、最近、けーねんれっか進行中のようで。今年度に入ってから残業がなくなって早く帰宅しているはずなのに、睡眠時間も6時間以上は死守!7時間を目安に取っているはずなのに。ぜんぜん疲れが取れなくて。女性特有の体調の変化もあったりしたり、ちょっと運動すると心臓がおかしくなったりもするし。メガネをかけていると近くがほとんど見えなくて、メガネをはずすとちょっと離れたところも全く見えなくて。PC画面くらいの距離が、どうやっても見えづらい。前屈がらくらくぺったりつくのが小さい自慢だったのに、筋がはって体が曲がらなくなっていることに、つい最近気が付いて。ショック・・・。まだまだ老け込む年齢ではないけれど、いろいろ角を曲がっている最中な感じです。モノもヒトも、生まれた瞬間から老化が始まっている、んですけどね。
July 29, 2016
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地震の被害状況をTVで見ると、感情が湧いてくる前に涙が出てきます。なんでだろう?自分でも不思議だったのですが、東日本大震災の被災状況をTVで見続けたときに心にトラウマを負ったのかもしれない、と気が付きました。自分が見慣れた風景が波にのまれていく光景をただ見守るだけしかない自分の無力さ。何もできなかった、というふがいなさ。感情が湧いてくる前に、頭の中のどこかで、そんな情けなさがフラッシュバックしているような気がします。熊本で起きた大地震で、大きな被害が出ています。TVで被災状況をずっと見続けています。そしてやっぱり涙があふれてきます。だったら見なければいいのに、と、頭のどこかでは思っているのですが、目を離す決断をすることもできません。ムスメが、熊本で最初に起きた地震の震源地を見て、「中央構造線の上だね」と言いました。その直感は当たったようで、その後、大分県の由布市を震源とする大きな地震が起きて、さきほどTVで、この地震は「別府島原地溝帯」を構成する活断層で起きている、と解説していました。この地溝帯は、まさに中央構造線(中央構造線断層帯)の一部だという説があるそうですWikipedia 中央構造線我が家も、九州ではありませんが、中央構造帯の近く。大きい揺れは感じませんが、小さい揺れをちょくちょく感じます。今度は他人事ではないかもしれない・・・と、警戒感を強めています。
April 16, 2016
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おとといの夜あたりから、オットが「ちょっと熱がある・・・」とか言い出しました。翌日も普通に出勤していたし、もともと体が丈夫なヒトなので、ま、だいじょぶかー、と気にも留めていなかったのですが。私が仕事から帰宅するのが遅かったのもあったのですが、帰宅してみたら、オットの靴が玄関に。でもリビングに姿なし。ムスメに、「おとうさんは?」と聞いてみたら「熱が出たって言って、寝てるよ。38度だって。」と。へー、オットが、熱がしんどくて早く帰宅して寝てるとは!オットのかく乱だぁ。でも、夜中の11時ごろに起きてきて、夕食を食べたりしていたので、熱下がってきたのかな?と思ってたら。今朝になって、8時半ごろ、ごそごそ起きだしたかと思ったら、「病院に行ってくる」と、家を出て行ったまま・・・10時になっても帰ってこない。自宅から徒歩1分のところに内科医院があるというのに。っていうか、ふつう、病院とか医院って、診察開始は9時じゃないのかな?などと心配していたら、10時過ぎに電話がかかってきました。いわく「今、○○病院にいるんだけどさ、調剤薬局で薬もらってくださいっていわれたんだけど、どこにあるか知ってる?」と聞かれ・・・は?○○病院?徒歩で15分くらいはかかるところにあるけど?熱がある状態で、歩いてった?それとも自転車??「自転車で~。それでね、インフルエンザ陽性だって。B型」はぁ???知らない病院じゃないけど、調剤薬局の場所を指示できるほど記憶が定かではなかったし、インフルエンザに罹った人が、うろついたらいかんでしょー!!私が薬局に行くから、すぐに帰ってらっしゃい!!と、電話に向かって叫んだのでした。帰宅したオット、リビングをうろつこうとしていたところを強制的に寝室に隔離し、バトンタッチで私が自転車で薬局へ。ついでに、飲み物やら食べ物やらを買い込んで帰宅。それから、つききりの看病をしております・・・。もちろん、つききりとはいえ、部屋は隔離状態ですが。それにしても、38度の熱が出ているのに、なぜ徒歩1分のクリニックに行かずに遠くの病院に行ったのか?ってか、この季節、大きい病院は発熱した人が行ったら単なる迷惑だろうにー。病院のドクターに「マスクしてくださいねー」って言われて、2枚100円のマスクを買ったのに、そのマスクをかける気配もなく(寝てる時もかけるように、と厳命)朝、病院からかえってくるまでは、本人的には元気だったようなのですが帰宅してから熱は39度まで上がり、抗インフルエンザ薬を吸入しても一向に熱が下がる気配がなく、咳も鼻水も止まらないようで・・・。体が丈夫で日ごろから病気慣れしていないと、病気への対処の仕方を知らないんですね・・・。この時期、38度を超えるような熱が出たら、医院/病院に行く前にあらかじめ電話で連絡して、指示を仰いでから、マスクをして医院/病院に向かう、家の中でもマスクをし、やたらうろつかない、というのがよろしいかと思います。
January 30, 2016
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松の内もあけてしまいましたが、新年のご挨拶を申し上げます。だらだらと続けているこのブログですが、まだだらだらと続ける予定でございます。何の新情報も知恵も書かれないブログではございますが、お付き合いくださっている皆さま、今年もよろしくお願いいたします。今年をどんな一年にしたいか、いろいろ考えたのですが、年が明けて早々、仕事初めと迎えた途端に、残業残業残業・・・。新年早々、問題山積。どんな一年に”したい”か、なんて考えても実現できる時間がないと思い知らされております・・・。ああ、今年は、「目標に向かって努力する時間を持てる」一年にしたい。それが目標ですかねぇ・・・。
January 8, 2016
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何もしない・・・というか。何もできない?連休。連休最終日が、ムスメの部活の新人戦なので、ムスメは連休中も毎日部活。なので、「どこかに出かけよーよー」ってずっと誘っていたのですが、すげなく断られました(^^;)だから、あえて、何もしない連休。そして、徹底的に掃除して、寝る!連休にすることにしました。翻訳の仕事もしない!←いや、一つある・・・。ずっと、あまりの忙しさに家事をする時間なんか全然取れなくて、睡眠時間も削りに削られて疲労困憊で、家の中も心も荒み放題でしたので・・・。この夏の暑さで、自覚していたよりも体が疲れ切っていたようで、掃除はほとんど進まず、睡眠時間だけがどんどん伸びている状態ではありますが、まぁいいや。心の大掃除ができれば。で、ムスメの方ですが。夏休み、海外研修から帰ってきてから、怒涛の勢いで夏休みの宿題を終えて新学期を迎え、そのまま文化祭の準備に突入。先週末に無事、文化祭を終えたと思ったら、次は新人戦に向けて土日祝日返上で、連日練習・・・。そんな毎日なものだから、ムスメも疲れ果てているようで、この連休も宿題が山ほど出ているはずなのに、今日までまったく勉強している姿を見ておりません・・・。「ダメだってわかってるんだけどさー・・・なんか何にも手に付かなくて」・・・そんなときもあるかもね。もう高1、されどまだ高1。トップギアに入れっぱなしで走り続けられないものね・・・。ムスメも心の大掃除、のようです。
September 21, 2015
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