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京都市上京区の京都府立医大病院の一画に、「立命館学園発祥之地」の碑があります。西園寺公望(1849~1940年)の秘書官だった中川小十郎(1866年~1944年)によって明治33年(1900年)に京都法政学校が設立されます。当初は東三本木丸太町に仮校舎がありましたが、翌年、この地に新校舎を建てて移転しました。明治38年(1905年)には、西園寺公望の私塾「立命館」の名称を受け継ぎました。その後、昭和56年(1981年)に移転するまでの約80年間、ここに立命館の広小路キャンパスがありました。(京阪・鴨東線 神宮丸太町駅より北西に徒歩10分)上の写真は、東三本木通にある「立命館草創の地 京都法制学校設立」と書かれた碑です。この付近に仮校舎がありました。(京阪・鴨東線 神宮丸太町駅より西へ徒歩3分)
2018年08月14日
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久々に、京都府八幡市にある背割堤(せわりてい)に行ってきました。背割堤は、木津川と宇治川の合流地点の間にある1.4キロの堤防です。さらにその先で桂川とも合流し、淀川となって大阪湾へと流れていきます。花見の時期に背割堤を訪れたのは初めてです。好天にも恵まれ、約250本のソメイヨシノがみごとに咲いていました。駐車場はあるのですが、花見の時期に限って観光バス専用だそうです。京阪本線・八幡市駅から徒歩10分。歩く人の流れは途切れることがなく、大勢の人で賑わっていました。堤防を覆うように広がるソメイヨシノに圧倒されます。上の写真の右奥、白い屋根の建物が、サントリー山崎蒸溜所です。花の下を歩くのもよし、堤防の下から眺めるのもよし、座ってお弁当を食べるのもよし。みんな、それぞれのスタイルで花を楽しんでいました。
2018年04月01日
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京阪の神宮丸太町駅前から西を見ると、丸太町橋の向こう側に、歴史を感じさせる建物が見えます。鴨川を渡って近づいてみると、3階建てのビルが丸太町通に面してどっしりと建っていました。このビルの1階は、スーパーマーケット「フレスコ 河原町丸太町店」です。2階には「コナミ スポーツ クラブ」が入っています。近づいてみないと、スーパーやスポーツジムが入っているとは気づかないですね。建物の前に京都市が設置した説明板によると、この建物は「京都中央電話局上分局」の庁舎として、大正12年(1923年)に建てられたそうです。設計は逓信省技師の吉田鉄郎氏。昭和34年(1959年)まで電話局として使われていました。昭和59年(1984年)、京都市の登録有形文化財になりました。<追記>平成9年(1997年)、国の登録有形文化財になりました。建物の傍らには、「本邦高等女学校之濫觴 女紅場址」と書かれた石碑が建っています。「濫觴(らんよう)」とは「始まり・起源」の意。我が国の高等女学校の発祥の地ということですね。「女紅場(にょこうば)」は、2013年に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」でも描かれていましたが、明治初期に作られた女子教育機関です。明治5年(1872年)、この地に日本最初の公立女学校として「新英学校及女紅場」が設置されました。
2018年03月18日
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早咲きで知られる河津桜を見るために、淀(京都市伏見区)まで行ってきました。実は1週間前にも訪れたのですが、まだ咲き始めの段階でした。1週間前の様子今日、リベンジとばかりに再訪してみると、水路が桜色に彩られて満開でした。あっという間の変わりようです。来てよかった。今日の様子この1週間、暖かくなったり寒くなったりしておりましたが、ようやく春を実感することができました。土筆も春の日差しを浴びて、気持ちよさそうでしたよ。
2018年03月17日
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再び、京阪電気鉄道・神宮丸太町駅付近に戻ってきました。途中下車の旅を続けます。鴨川左岸(東側)を走る鴨東(おうとう)線(三条~出町柳間、2.3km)の中間駅である神宮丸太町駅は、丸太町通と川端通の交差点の地下にあります。地上に出るとすぐ目の前に、鴨川の風景が広がっています。丸太町橋琵琶湖疎水の流入口神宮丸太町駅のすぐ下流には、琵琶湖疎水の流れが鴨川に注ぎ込む合流点があります。疎水上流を臨む下流には二条大橋がもう少し下流に行くと、川の両岸をつなぐ「飛び石」があります。簡単に渡れそうにも見えますが、踏み外すとたいへんですので、気を付けてください。ちなみに、私が見ていた間に対岸まで渡った人はいませんでした。飛び石ちなみに、飛び石があるのはここだけでなく、情報によるとほかに4ヶ所(荒神橋付近、出町柳駅近く、京都植物園近く、西賀茂橋下)。みそそぎ川「みそそぎ川」は、丸太町通の下で鴨川から分かれて右岸(西側)を流れ、五条で鴨川に戻る運河です。鴨川より高い位置にあり、途中、二条付近には高瀬川への導水口があります。鴨川の治水工事で川底が低くなったため、高瀬川への水路として作られたのだと思います。三条付近では、夏には鴨川の「床」が見られますが、正確にはこの「みそそぎ川」の上に張り出しています。蛍が生息しているとも言われています。
2018年03月09日
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並河靖之七宝記念館並河靖之七宝記念館に行き、七宝ならではの美しい作品を見てきました。並河靖之氏は、明治から大正時代の日本を代表する七宝家です。この記念館では、彼が住んだ旧邸宅や工房、そして国の有形文化財に登録された七宝の作品や下絵、道具などが展示されています。七宝にはいろいろな技法があるそうですが、並河氏が探求したのは「有線七宝」という技法です。銅や陶磁器などの素地の上に金や銀の細い線で絵柄の輪郭を描き、その間に釉薬を挿して焼成しては研磨することを繰り返します。制作過程の展示説明を見ましたが、想像していた以上に細かな絵柄でした。緻密で根気のいる作業だったのだろうと思います。また釉薬の微妙な色彩(グラデーション)も興味深かったです。<アクセス>京都市営地下鉄東西線・東山駅より北東へ徒歩3分京阪本線・三条駅より東へ徒歩10分入館料 おとな800円休館日は月曜日・木曜日(祝日の場合は翌日に振替)夏季や冬季に長期休館があります
2017年05月30日
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「神宮丸太町駅」の駅名にもなっている「神宮」、平安神宮を訪れました。平安神宮の大鳥居(神宮道)平安神宮の参道(神宮道)應天門(おうてんもん)中央が大極殿(だいごくでん)平安神宮は、平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895年)に創建されました。平安遷都を行った桓武天皇と、平安京で過ごされた最後の天皇、孝明天皇が祀られています。ちなみに、京都三大祭の一つ、時代祭は、平安神宮の祭りです。平安神宮の創建と同じ明治28年から始まりました。開催日の10月22日は、桓武天皇が長岡京から平安京に入ったとされる日です。拝観料金を払って、平安神宮神苑(じんえん)に入りました。ここは、明治時代の代表的な日本庭園として知られており、社殿を取り囲むように、南、西、中、東の四つの庭からなっています(見学もこの順番に回ります)。神苑入口左手が泰平閣(橋殿)かきつばた約1万坪もある広大な池泉回遊式庭園(池の周りを巡る様式の庭園)で、昭和50年に国の名勝に指定されました。旧・京都市電の車両なぜか、神苑の一画に、旧京都市電が展示されていました。屋根の下に置かれているので、保存状態としては悪くありませんが、ペンキがはげてきてますね。平安神社が創建された明治28年といえば、京都電気鉄道が、日本最初の電車を京都で走らせた年です。大正9年に京都市電と合併し、京都市に譲渡されました。京都市電は標準軌(1435mm、当時は広軌と呼んでいました)だったのに対し、京都電気鉄道は狭軌(1067mm、こちらが日本の「標準」)でした。上の写真は、京都電気鉄道からやってきた狭軌の車両(1形)です。京都市電の1形(広軌)と車番が重複したため、狭軌(Narrow)の頭文字を番号の前につけて区別されました。そのため「N電」と呼ばれるようになったそうです。その後、広軌1形が全廃されたため、残っていた狭軌1形に1~28番が付けられました。昭和36年、北野線(北野~京都駅前)が廃止されて狭軌路線が無くなったため、狭軌1形はすべて廃車になりました。<アクセス>京阪本線・三条駅、京阪鴨東線・神宮丸太町駅より東へ徒歩15分京都地下鉄東西線・東山駅より北へ徒歩10分神苑は有料(おとな600円)
2017年05月29日
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三条大橋西詰にある弥次喜多の像江戸時代に整備された五街道のうち、京と江戸を結んでいたのが「東海道」および「中山道」です(滋賀県の草津以西は共用とされています)。京都側の出発地は三条大橋で、江戸方面に向かう多くの旅人が、三条大橋から東へと旅立っていきました。粟田神社三条大橋の東側一帯は「粟田口(あわたぐち)」と呼ばれています。ここには「粟田神社」があります。古くより厄除け、旅立ち守護の神として信仰されていたそうです。「粟田焼発祥之地」の碑三条通に面した鳥居のそばに、「粟田焼発祥之地」という碑が建っていました。粟田焼(粟田口焼)とは、江戸時代初期にこの地で生まれた焼物です。清水や五条坂なども含めたこの付近は、京の陶磁器の生産地として栄えたようです。鍛冶神社粟田神社の摂社に鍛冶神社があり、刃物・鍛冶の守神として信仰を集めております。この付近には、平安時代の末以降、刀鍛冶たちが住んでいたそうです。刀匠・三条小鍛冶宗近が、童子に化けた狐に相槌(鍛冶の手伝い)をしてもらって作った名刀「子狐丸」を打ったという伝説が残っております。京都市営地下鉄東西線・東山駅より徒歩5分京阪本線・三条駅より徒歩15分
2017年05月13日
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京都市東山区粟田口にある青蓮院門跡をあとにして、三条通の「神宮道」バス停から「将軍塚」行きの京阪バスに乗りました。将軍塚は東山にあり、青蓮院門跡の南東にあります。山道を歩くと30~40分ほどかかるそうです。バスは三条通を河原町まで西進し、河原町通を五条まで南下。そこから五条通を東に向かい、東山ドライブウェイを北上して将軍塚に至ります。所要時間は33分です。青蓮院門跡 福徳門将軍塚とよばれている場所は、青蓮院門跡の境内になっています。平成26年(2014年)、ここに「青龍殿」が建立され、国宝の仏画「青不動明王二童子像」が安置されました。青龍殿青龍殿の北側には大舞台が作られています。上の写真、建物の左側に少し見えているのがその大舞台です。また、そばには展望台も設けられており、京都市内を眼下に見下ろす場所として知られています。展望台から北西を臨む上の写真、右下の鳥居とその右奥の建物は平安神宮です。写真の上部、やや左側には、上賀茂神社から下鴨神社にかけての鴨川が見えています。将軍塚将軍塚は、8世紀末の平安京造営にあたり、都を守るために桓武天皇が作らせたと言われております。将軍塚西展望台境内の外、南西側にも展望台があります。こちらからは京都市内がよく見渡せます。京都が盆地であることもよくわかりました。帰りのバスは、東山ドライブウエイを北上し、蹴上まで出て三条通を通り、元の神宮道バス停まで7分。さらに5分で三条京阪に着きました。
2017年05月06日
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4月下旬、枚方市にある「渚水みらいセンター」に立ち寄ってみました。広場の一画に藤棚があることを思い出したからです。規模は小さいですが、休日でも人がほとんどおらず、きれいな藤色の花を独占して愛でることができました。渚水みらいセンターは大阪府東部流域下水道事務所の渚管理センターが管理する憩いの場で、せせらぎや親水池などが整備されています。トンボや水生生物の楽園になっているそうです。京阪本線・牧野駅より南西へ徒歩約10分
2017年04月29日
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桜の開花状況が気になるこのごろですが、ちょうどいまが見ごろというところも多いのではないかと思います。とくに名所というわけではありませんが、通りすがりに撮った花のようすをご紹介したいと思います。場所はいずれも大阪府枚方市内です。上の写真は、枚方市内を流れる天の川の堤防上の道路(府道20号)のようすです。道路の右側が天の川で、左側には府立枚方高校があります。国道1号「天の川」交差点から、枚方警察署前の「禁野橋西」交差点までの約500mの間に、みごとな桜並木がありました。禁野橋西交差点から先、車は通れませんが、堤防沿いには、京阪・交野線の下をくぐった先まで、桜並木が続いていました。上の写真は、香里団地内の「桜通り」と呼ばれている道です。香里団地「新香里」バス停から京阪電気鉄道・枚方公園駅へと向かう道沿い、「以楽公園前」交差点までの約600mは、道路の両側に立派な桜の木が並んでいます。最近、この道沿いの土地が宅地として再開発されており、何かと変化が多いようです。上の写真は、久々に立ち寄った「桜公園」です。香里団地の中ですが、メインの通りから外れているので、あまり人通りは多くありません。ここの桜も見事でしたよ。雨で少しぬかるんでいる中、地元の方でしょう、ビニールシートを敷いて花見をされていました。
2017年04月09日
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桜の季節がやってくる少し前に、京都・東山の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)を訪れました。ここは天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)としてよく知られています。門跡寺院とは、門主(住職)が皇室や摂関家によって受け継がれてきたお寺のことで、それぞれ由緒や歴史があり、趣きがあります。最寄りの駅は京都市営地下鉄東西線の東山駅ですが、京阪本線・祇園四条駅から八坂神社、丸山公園、知恩院と、京都を楽しみながら散策するのも悪くありません。青蓮院のある付近は「粟田口」と呼ばれ、東海道の京都への入口に当たるところです。天明8年(1788年)に御所が火事で炎上したとき、後桜町上皇は青蓮院を仮御所とされたことから、青蓮院は粟田御所とも呼ばれるそうです。拝観料を払って、靴を脱いで建物の中に入りました。入ってすぐ、華頂殿(かちょうでん、客殿)には三十六歌仙の額絵があり、来訪者を歓迎してくれていました。華頂殿の縁側に座ってのんびりと日本庭園を眺めていると、ほんとうに時間を忘れてしまいそうでした。建物内部を見学したあと、庭園の散策をして、一時間ほど過ごしました。
2017年04月08日
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いよいよ春本番ですね。サクラ属の花以外にも、いろいろ花が咲いています。枚方市の山田池公園で見つけた花々をご紹介します。まずは、パンジーやビオラの仲間です。花の大きなのがパンジー、小さいのがビオラと区別されますが、厳密な区分も学術的な違いもないそうです。上の写真はキク科の「クリサンセマム・パルドサム」という花です。一般には「ノースポール」とか「スノーランド」と呼ばれることが多いですが、これらは種苗会社の商品名なんだそうです。上の写真はモクセイ科の「レンギョウ」です。英語名はゴールデン・ベルだそうです。レンギョウの黄色に対して、まるで雪のように真っ白なのがバラ科シモツケ属の「ユキヤナギ」です。まだまだいろいろな花を見かけましたので、もう少しご紹介します。スイセンですね。ここの花は、大きくて見ごたえがあります。菜の花です。菜の花はアブラナ科アブラナ属の総称だそうです。油を採るのでアブラナ、あるいは菜種とも呼ばれます。上の写真がコブシの花です。そして下の写真がモクレンです。どちらもモクレン科モクレン属で、見た目にもよく似ています。上の写真はモクレンの花です。モクレンの花は上を向いて咲いていますね。花の咲く向きで区別することができます。モクレンには白以外にもピンクや紫のものがあります。白いモクレンをとくに「ハクモクレン」といいます。
2017年04月04日
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東京ではサクラが満開というニュースが流れていますが、関西では開花が遅れているようです。先週に続いて、山田池公園に行ってきました。まだソメイヨシノの花は見かけませんでしたが、同じバラ科サクラ属の花がかなり咲いていましたので、カメラに収めてきました。上の写真はピンクが可愛いアーモンドの花です。バラ科サクラ属の落葉高木です。先週はちらほら咲きだったのに、今日はもう5分程度咲いていました。上の写真、こちらもバラ科サクラ属、アンズの花です。上の写真、同じくバラ科サクラ属のスモモです。花は白色ですが、緑色の花弁が見えるため、全体としてやや緑色のような感じがします。上の写真は、ベニバスモモです。花がピンク色をしていますので、サクラとの区別は難しそうですね。その名の通り、赤っぽい葉が特徴です。上の写真は、ヤマザクラです。日本の野生種の代表的なもので、成長すると30mを超える高さになるものもあるそうです。吉野の桜もヤマザクラだそうですよ。上の写真はシダレサクラです。桃色の花が鮮やかですね。
2017年04月02日
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高さ3.3m、直径2.8m、厚さ39cm、重さ約70t。知恩院の釣鐘は、その大きさで有名です。この鐘が鳴らされるのは、法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘だけです。親綱1人、子綱16人、合わせて17人の僧侶が除夜の鐘を撞く様子を、TV中継で見たことがある人も多いのではないかと思います。寛永13年(1636年)に鋳造された大鐘は、延宝6年(1678年)に建てられた鐘楼とともに、国の重要文化財に指定されています。知恩院の鐘楼の近くに、「安養寺」というお寺があります。法然上人が30年以上、布教伝道に専念した「吉水草庵」として知られています。山号は「慈円山」ですが、「慈」の字を外して、古くから「円山」と呼ばれていたそうです。明治19年(1886年)に公園ができたときに、「円山公園」と名づけられました。公園の一部は、かつては安養寺の境内だったということです。安養寺の本堂は、この石段を登ったところにあります。本堂から振り向けば、正面の四条通から遠く愛宕山など西方向がよく見えるそうです。ちょうど西方浄土の方向ということでしょうね。夕焼けの名所だそうですよ。
2017年04月02日
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京都・四条通の八坂神社の北側を東に少し歩くと、浄土宗の総本山・知恩院に到着します。境内に入ると階段の上にそびえ立つような大きな三門が目につきます。三門は元和7年(1621年)、徳川秀忠の命により建立されました。平成14年には国宝に指定されています。元祖・法然上人の御影(みえい)がまつられている「御影堂(みえいどう)」は現在、平成30年度末までの予定で大修理が行われております(写真・上)。御影堂は寛永10年(1633年)の火災で一度焼失しましたが、徳川家光によって再建されました。平成14年、国宝に指定されています。御影堂の南東には、経蔵が建っています。元和7年に建立されたもので、重要文化財に指定されています。内部には宋版の一切経(約5900余帖)が収められているそうです。経蔵の横から奥に向かって階段があります。「智慧乃道」と書かれており、左側には法然上人の立像が置かれております。階段を上がると、その先に「御廟」があります。法然上人の遺骨が納められているそうです。現在の建物は、慶長18年(1613年)に改築されたものだそうです。さらに先に進むと「千姫の墓」があります。千姫は、二代将軍徳川秀忠の長女で、幼くして、豊臣秀吉の息子 秀頼の元へ嫁いだ人です。墓の奥には「濡髪大明神」という祠がありました。江戸時代初期、古くからこの地に住む白狐が、濡れ姿でシクシクと泣く童子のかっこうで、知恩院の上人の枕元に現れたといいます。聞くと、御影堂が建設されたために住処をなくしたとのことでしたので、童子のために寝ぐらを作ったそうです。その後、その童子は濡髪童子と名づけられ、祠におまつりされたということです。知恩院については、日を改めて、もう少しご紹介したいと思います。
2017年03月27日
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昨日、枚方市の山田池公園に行ってきました。梅の花がまだ、名残惜しそうに咲いていました。上の写真は、「開運梅」という品種です。遅咲きなのでしょうか、つぼみが多く、これからまだまだ咲きそうでした。上の写真は「アーモンド」の花です。アーモンドはバラ科に属し、梅や桃、桜などに近い品種です。こちらもそろそろ花が咲き始めました。きれいなピンクがすてきです。いま、ひときわ目を引く黄色い花を咲かせているのが、「サンシュユ」というミズキ科の樹木です。真っ赤な「ボケ」の花も美しく咲いていました。すでにカンザクラ系の桜も咲いていました。まもなく、ソメイヨシノの花が咲き始めそうです。いよいよ春本番ですね。
2017年03月26日
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枚方市・山田池公園の梅林京阪本線 枚方市駅などからバス山田池公園の梅が咲いています。今は、八重寒紅(やえかんこう)などの早咲きの品種が見ごろです。「八重寒紅」「月影」「玉牡丹」山田池と浮御堂いつもより流れ込む水の量が少ないようで、かなり水面が下がっていましたが、相変わらず水鳥がたたずみ、カモは群れを成して泳いでいました。
2017年02月12日
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「日本最初小学校 柳池校」の石標中京区柳馬場通御池上る東側京都市地下鉄 烏丸御池駅より東へ徒歩4分京阪本線 三条駅より西へ徒歩11分明治2年(1869年)、京都に上京33、下京32、合わせて65の自治組織「番組」ができました。そしてそれぞれに小学校が置かれました。これを「番組小学校」といいます。上京第27番組小学校は、同年5月21日、富小路御池角守山町にて開校し、日本最初の小学校授業が行われました。明治6年(1873年)に、この場所に移転し、その後、柳池(りゅうち)小学校となりました。昭和22年(1947年)には新しい学制によって柳池中学校となります。この石標は、日本最初の小学校である柳池小学校を示すものです。柳池小学校の卒業生有志の手によって、昭和63年(1988年)に設置されました。京都市立京都御池中学校現在は京都市立京都御池中学校があります。この学校は平成15年(2003年)に柳池中学校と城巽中学校が統合してできたものです。
2017年02月10日
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京都国際マンガミュージアム京都市中京区烏丸通御池上ル京都市営地下鉄東西線/烏丸線 烏丸御池駅より北へ徒歩1分京阪本線 三条駅より西へ徒歩約17分京都国際マンガミュージアムは、マンガ学部を持つ京都精華大学が京都市に提案し、京都市と京都精華大学の共同事業として平成18年(2006年)11月にオープンしました。保存されているマンガ資料は、海外のものも含めて約30万点だそうです。ミュージアムといえば「博物館」ですが、ここは単なる博物館ではなく「図書館」としての機能もあり、延べ200メートルにもなる書架に並んだ5万冊のマンガ本を、館内で自由に読むことができます。土曜日の午後に訪れたときには、けっこうな入館者がいました。フロアに座り込んだり、屋外の芝生に持ち出して寝転んだりして、熱心にマンガを読んでいる人もけっこういました。(2016年9月撮影)この建物は、昭和初期建造の元・龍池(たついけ)小学校校舎を活用したものです。本館、講堂、北校舎などの建物は、平成20年(2008年)に国の登録有形文化財に登録されています。「龍池校跡」の碑1995年(平成7年)に廃校になったときに、校区民一同の名で校庭の一画に建設されました。
2017年02月01日
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「京都電信電話発祥の地」の碑京都市中京区三条通東洞院北西角京都市営地下鉄 烏丸御池駅より東へすぐ京阪本線・三条駅より西へ徒歩15分NTT西日本京都支店のビルの南東角に、「京都電信電話発祥の地」「京都電話百年記念 タイムカプセル」と書かれた碑があります。明治5年(1872年)、明治政府は全国的な電信網の敷設に着手しました。京都においては、この場所に「西京(さいきょう)電信局」が設置されました。また、明治23年(1890年)には公衆電話事業が始まり、明治29年(1896年)、この場所に「京都電話交換局」が設置され、翌30年(1897年)に交換業務が開始されました。タイムカプセルは、公衆電話事業が京都で始まって100年になるのを記念したものです。碑には「埋設1997年7月14日-開封2017年」と記されています。つまり今年がタイムカプセルを開ける年ですね。わずか(?)20年で開封するのですね。ちょっと早い気もしますが。中には何が収められているのでしょう。ひょっとしたらニュースになるかもしれませんね。
2017年01月29日
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島津製作所 創業記念資料館京都市中京区木屋町二条下る京阪本線・三条駅より北西へ徒歩約7分京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅より北東へ徒歩約3分この「創業記念資料館」は、昭和50年(1975年)、創業100周年を記念して島津製作所が創業の地に開設したものです。木造2階建ての建物は、創業者の初代の島津源蔵が居住し、約45年間、本店として使用したもので、国の登録有形文化財になっています。ちなみに「初代の」と断ったのは、長男が源蔵の名前を継いで二代目になったからです。平成23年(2011年)にリニューアルされ、テーマに沿った展示や、創業以来の理化学器械・装置の製品群、社史に関わる文献・資料などが常設展示されています。受付で入館料(大人300円)を払って入るときに、「自由に写真を撮っていただいてけっこうです」と言っていただきました。同社のHPにも、創業記念資料館の展示内容が詳しく説明されていますので、興味のある方はご覧になってください。http://www.shimadzu.co.jp/visionary/memorial-hall/
2016年12月31日
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このブログでも何度か紹介しましたが、京都を流れる「高瀬川」は、江戸時代初期の豪商・角倉了以(すみのくら・りょうい)とその息子によって開削された運河です。高瀬川・一之船入付近に建つ石碑高瀬川の水は、二条通の南付近で鴨川(正確には鴨川の分流「みそそぎ川」)から得ています。その最上流にある船溜まりが「一之船入」です。そして一之船入付近には、角倉家の屋敷がありました。「がんこ高瀬川二条苑」入口脇の石碑道路を挟んで一之船入の向かいには、日本庭園のある日本料理レストラン「がんこ高瀬川二条苑」があります。その入口脇には「角倉了以別邸跡」と記された石碑が建っています。ちょうど鴨川の水が高瀬川に入り込む付近です。この地には、山縣有朋(やまがた・ありとも)が別邸を構えました。その時に日本庭園が整備され、現在に至っています。
2016年12月29日
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先日、大阪市立大学理学部附属植物園(大阪府交野市私市)を訪れました。ここは昭和25年(1950年)に設立された施設で、国内外の多くの植物を収集し育成しています。日本産の樹木は約450種が集められ、日本各地を代表する11種の樹林が造成されているそうです。カエデ生きている化石とも呼ばれている「メタセコイア」(スギ科)の苗木が植えられ、大きく育っています。メタセコイアメタセコイアは、75年前(1941年)に化石として発見され、その後、中国で生存個体が発見されたものです。この植物園には、1950年に植えられました。メタセコイア(遠景)イチョウイイギリイイギリを漢字で書くと「飯桐」で、昔は葉で飯を包んだとか。別名「ナンテンギリ(南天桐)」ともいいます。ブドウの房のような真っ赤な実をつけていました。サザンカ(山茶花)スイレンスイレンというと、初夏に花が咲くイメージを持っていましたが、パンフレットを見ると、開花時期は6月から11月ごろまでになっていました。冷え込んだ日にスイレンの花を見るのも乙なものです。
2016年11月29日
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私にとって定番となった山田池公園(枚方市)にでかけて、秋を堪能してきました。四季折々の花木を楽しめるお気に入りのスポットです。サザンカ(山茶花)トキワサンザシ?の実柿(渋柿でしょうね)
2016年11月28日
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一週間ほど前になりますが、宇治に出かけたついでに、紅葉を写真に撮ってきました。普段とは違う鮮やかな彩りに目を奪われ、思わずカメラを手にしました。目で見た美しさをお伝えするだけの技量はございませんが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
2016年11月27日
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紅葉の話題が関西ローカルのニュースで伝えられていました。今日の雨でかなり葉が散り、そろそろシーズンも終わりになろうとしているようです。1週間ほど前に撮った写真ですが、過ぎ行く秋の賑わいを感じていただければと思います。けやき通り(枚方市香里ケ丘)
2016年11月26日
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高瀬川一之船入京都市中京区木屋町通二条下ル京都市地下鉄東西線・市役所前駅より北へ徒歩2分京阪本線・三条駅より北西へ徒歩7分高瀬川は、このブログでも何度か取り上げていますね。二条大橋西畔から鴨川の水が引き入れられていたということですから、この辺りが起点になります。ここに設けられたのが「一之船入」、つまり一番目の船溜まりです。いくつかある船入の中で最大規模だったそうです。国の史跡に指定されています。木屋町通からは、高瀬川の向こう側に堀のような水面が見えています。北側は日本銀行の敷地で、中を窺うことはできませんでした。南側の押小路通に回ってみると、お店の通路から中を見ることができました。入口の脇には、高瀬川と一之船入についての説明版が設けられていました。高瀬川には当時使われた「高瀬舟」を再現したものが係留されています。実際に使われていた高瀬舟は残存していないそうです。江戸時代には京都の物流を支えてきた高瀬川ですが、明治になって鉄道の開通などによって次第にその機能を失い、大正9年(1920年)に廃止されました。
2016年10月05日
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久々に今日、枚方市の山田池公園に行ってきました。もうそろそろ咲き終わる時期ですが、ヒガンバナの鮮やかな赤い色を見ることができました。少し離れたところには、白いヒガンバナも咲いていました。ヒガンバナといえば赤のイメージですが、白の清楚さもまたいいものです。同じ白でも、こちらは純白の小さな印象的な形の花です。花の名前は「ネコノヒゲ」、シソ科の植物です。ほんとうに猫のひげのような形ですね。
2016年10月02日
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六角堂(紫雲山頂法寺)京都市中京区六角通東洞院西入京都市地下鉄烏丸線・烏丸御池駅より南へ徒歩3分京阪本線・三条駅より西へ徒歩15分六角堂は、紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)といい、開基は聖徳太子です。本尊の「如意輪観音像」は聖徳太子の持仏と伝えられています。西国三十三所巡礼の第十八番札所です。六角形の本堂本堂が六角形をしていることから一般に「六角堂」として知られています。東西の通りの名前が六角通となったのも、六角堂に由来しています。「華道発祥之地」の碑六角堂は、池坊華道の拠点となっています。六角堂境内には「池坊会館」があります。「池坊」はかつての僧侶の宿坊の一つで、聖徳太子が沐浴した池のほとりにあったと言われています。室町時代以降、ここから多くのいけ花の名手を輩出したとのことです。六角堂の住職は、代々、池坊の家元が務めているのだそうです。
2016年09月11日
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本能寺京都市中京区寺町通御池下る京都市地下鉄東西線・京都市役所前駅より南へすぐ京阪本線・三条駅より北西へ徒歩7分本能寺本堂本能寺は法華宗本門流の大本山です。明智光秀が謀反を起こして織田信長を討った天正10年(1582年)の「本能寺の変」でよく知られています。その後も何度も火災で焼失したため、「能」の「ヒ」を嫌ってツクリが「去」の字を使うようになったそうです。「本能寺跡」の碑京都市中京区蛸薬師通油小路通下る「本能寺址」の碑京都市中京区蛸薬師通小川通西南角「本能寺の変」のとき、本能寺は現在より南西の地にあったようです。現在、老人ホームになっている建物の周囲に、旧・本能寺があったことを示す石碑などが建っています。
2016年09月03日
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流れ橋(上津屋橋)京都府八幡市上津屋宮前川端京阪バス・浜上津屋バス停下車4分 上津屋橋(こうづやばし)は木津川に架けられた木橋で、京都府の八幡市と久御山町を結んでおり、府道281号の一部でもあります。川が増水すると橋桁が流される構造をしており、「流れ橋」と呼ばれています。 昭和28年(1953年)の完成以来、21回の流出が記録されており、その都度、修復されました。とくに平成23年(2011年)から平成26年(2014年)にかけては4年連続で流出しました。一度流出すると、水位の低い冬から春にかけて架け直すことが多く、長期間にわたって橋として使えなくなってしまいます。 実際には流失しないように、橋桁はワイヤで橋脚につながっておりますが、濁流の中にいて損傷するため、復旧には数千万円の修復費が必要だそうです。 久御山町側からの眺め 全長356.5m、幅3m手すりなどはありません 周囲は茶畑奥に第二京阪道路が見えます 平成26年8月に流出したあと、流れにくい橋として復旧することが決まりました。橋面を75cm高くし、橋脚をコンクリート製主体にして間隔を約2倍に広げました。平成28年3月27日に復旧、事業費は約3億7千万円だそうです。 以前の橋の高さが平均4.7mだということでしたので、復旧後の高さは5~6mくらいでしょう。手すり無しですから、人とすれ違うだけでも緊張します(笑)。 木津川の河川敷 サイクリングロード 嵐山・渡月橋から木津・泉大橋まで、桂川・木津川に沿ってサイクリングロードが整備されています。延長45kmの「府道801号 京都八幡木津自転車道線」です。上津屋橋は、ほぼ中間地点ですね。
2016年08月21日
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料理旅館「幾松」桂小五郎・幾松寓居跡京都市中京区木屋町通御池上る京都市地下鉄東西線・京都市役所前駅より北へ徒歩2分京阪本線・三条駅より北西へ徒歩5分(撮影:2016年1月)「桂小五郎幾松寓居跡」の碑 長州藩士の桂小五郎(のちの木戸孝允)は芸妓・幾松と恋仲になり、新選組に追われながら、この辺りでいっしょに過ごしていたそうです。いかにも京都らしい、情緒のあるたたずまいですね。明治維新後、幾松は木戸夫人となりました。
2016年08月20日
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京都ホテルオークラ京都市中京区河原町御池京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅直結京阪本線・三条駅より北西へ徒歩5分「長州屋敷址」の碑「明治天皇行幸所 勧業場趾」の碑京都市役所の東隣に、「京都ホテルオークラ」があります。もともとは長州の屋敷があった場所ですが、明治に入って「勧業場」が設置された後、土地が払い下げられ、明治21年(1888年)に旅館「京都常盤」が創業しました。ちなみに「勧業場」とは、東京に遷都された後、京都の産業振興を図るための機関で、明治4年(1871年)から明治14年(1881年)まで設置されていました。明治23年(1890年)には洋風木造建築の「常盤ホテル」が開業。明治28年(1895年)には「京都ホテル」となりました。平成6年(1994年)、高さ60メートルの「京都ホテルおいけ本館」が竣工。規制緩和によって京都の市街地に建てられた高層ビルの一つですが、景観論争になったことを記憶されている方もいらっしゃるかと思います。平成14年(2002年)、京都ホテルはホテルオークラと業務提携して、本館の名称が「京都ホテルオークラ」に変わりました。疑うことなく「京都」+「ホテルオークラ」だと思っていたのですが、「京都ホテル」+「オークラ」なのかもしれませんね。
2016年08月07日
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島津製作所旧本社京都市中京区河原町通御池上ル京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅より北へ徒歩2分京阪本線・三条駅より北西に徒歩10分京都市役所の北側に、レトロなビル「島津製作所河原町別館」があります。これは島津製作所の旧本社ビルで、昭和2年(1927年)に建てられました。昭和2年といえば、南隣の京都市役所・本庁舎が建てられたのと同じです。しかもどちらも、近代日本を代表する建築家・武田五一氏が監修したものだそうです。現在は模様替えされて、レストラン、ウェディング、パーティースペースなどが入った「フォーチュンガーデン京都」になっています。島津のロゴに「株式會社 島津製作所」の文字はそのまま残されています。レトロな雰囲気もありますが、おしゃれな感じもしますね。
2016年07月26日
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京都市役所京都市中京区寺町通御池上る京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅下車すぐ京阪本線・三条駅より北西に徒歩10分京都市役所の本庁舎は、昭和2年(1927年)建築で、政令指定都市の庁舎の中で最も古いのだそうです。老朽化のため、2017年度から耐震補強などをして改修する計画が出ているそうです。
2016年07月18日
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山田池公園のしょうぶ園(撮影 2016.06.05)少し前ですが、今年も、山田池公園の花しょうぶ園を見てきました。約130種、8000株の花しょうぶを鑑賞でき、しかも入園無料です。今年はすでに閉園しました(開園期間:5月25日から6月26日まで)。
2016年06月26日
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山田池公園にて(撮影 2016.06.05)見頃を過ぎてしまいましたが、梅雨のひとときのお慰みになればと思い、枚方の山田池公園で撮った紫陽花を掲載いたします。
2016年06月25日
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ほぼ1週間遅れですが、大阪市北区の中之島公園のバラ園に咲くバラをご紹介します。バラの香りをお伝えできないのが残念です。京阪電車のページにも、5月20日現在「見頃」になっていました。天気もよさそうですし、お出かけになってはいかがでしょう。<ピンク系>「スヴニール・ドゥ・ルイアマード」「フランシス・ブレーズ」「マダム・バタフライ」「ブルー・ムーン」「ヒストリー」<赤系>「イントゥリーグ」「ユァインネルン・アン・シュロス・シャールフェンステン」「フレンシャム」「クライスラー・インペリアル」「ラブ」「アンリ・マティス」「コーラス」「カクテル」「情熱」<白系、黄色系、その他>「ホワイト・ウィングス」「アプリコット・ネクター」「カスク・ドール」「マグレディス・イエロー」「チャールストン」「ふれ太鼓」
2016年05月20日
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中之島バラ園(中之島公園内)大阪市北区中之島京阪本線・北浜駅、京阪中之島線・なにわ橋駅 すぐ中之島公園のバラ園に行ってきました。これからがちょうど見ごろです。無料で入れるので、お得ですね(笑)。約310品種、3,700株のバラが咲いているそうです(とても数えられません)。「バラの小径」のバラを見ながら園内に入っていきます。天気もよく、大勢の人で賑わっていました。川の向こう側には北浜駅が見えています。右側の橋が「難波橋」で、橋の手前・右手には中之島線の「なにわ橋駅」があります。西側を見ると、ビル群の手前(上の写真、ほぼ中央)に、中之島公会堂が見えています。いろんな品種のバラを写真に収めてきましたので、あとでご紹介したいと思います。
2016年05月15日
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高瀬川(三条付近)このブログでも何度か取り上げた高瀬川は、戦国時代の京都の豪商、角倉了以によって開削されたことは有名です。高瀬川に沿って、顕彰碑がいくつか見られます。水運が発達したこともあり、江戸時代には高瀬川に沿って多くの藩邸がありました。「角倉了以翁顕彰碑」「彦根藩邸跡」の碑「加賀藩邸跡」の碑高瀬川には高瀬舟が行き交っていたのでしょうね。高瀬川から引き込んで船着場があり、上流から順に一之船入、二之船入、と呼んでいました。「三之船入跡」の碑「二之船入跡」の碑「水の堰止めの石」 中央と両側に、計3つの石がある 川の流れの中に、四角い石が3つ並んでいます。ここに板を入れて流れを堰き止め、水位を調節したそうです。
2016年05月08日
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「坂本龍馬寓居之趾」の碑京都市中京区大黒町(河原町三条下ル東入ル)京阪本線・三条駅より西へ徒歩3分材木商「酢屋」坂本龍馬は、京都に滞在中、材木商「酢屋(すや)」に投宿していました。1721年に創業した酢屋は、このころには高瀬川の木材独占輸送権を得て、材木商の元締めになっていました。店の前には舟入が設けられ、高瀬舟が出入りしていたといいます。龍馬はここを海援隊屯所としていました。龍馬は酢屋の二階表側、出格子の部屋で寝泊りしていました。現在は「龍馬ギャラリー」になっています。創業から300年近く経った現在も、酢屋は銘木や木工芸品の商いをされています。
2016年05月07日
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「池田屋騒動」の址京都市中京区 三条木屋町西入ル京阪本線・三条駅より西へ徒歩2分かつてここに「池田屋」という旅館があり、幕末の元治元年(1864年)、潜伏していた長州藩や土佐藩などの尊王攘夷派の志士30人余りを新選組が襲撃し、多数の死傷者を出しました。いわゆる池田屋騒動(池田屋事件)です。当時、公武合体派が勢力を伸ばしており、尊王攘夷派が失地回復を狙っている状況で、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせていました。新選組は、「尊王攘夷の一派が御所に火を放ち、中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜や松平容保を暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去ろうとしている」という情報を得て、池田屋で襲撃の相談をしているのを発見し襲撃した、とされています。しかし、この情報は新選組側の資料にはあるものの、尊王攘夷派側の資料には見当たらないという理由で「でっち上げ」だとする説もあります。早い話、旧体制側からいえば「テロ」であり、新体制側からいえば「革命」であって、勝てば官軍、負ければ賊軍というのが世の常のようです。さて話を戻して、池田屋があったところは現在は居酒屋になっており、傍らに「維新史跡 池田屋騒動之址」と書かれた石碑が建っています。
2016年05月06日
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弥次喜多道中の像三条大橋西詰・南側東海道五十三次の出発点、京都・三条大橋の西詰には、弥次喜多の像が立っています。傍らの説明文には、三条小橋商店街の名で「道中安全祈願」と書かれています。弥次喜多といえば、十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)が江戸時代後期に書いた「東海道中膝栗毛」の登場人物です。説明は不要でしょう。旅は道連れ、世は情け。道中、ご安全に。
2016年05月05日
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「駅伝の碑」京阪本線・三条駅すぐ三条大橋東詰北 今を遡ること99年前、大正6年(1917年)に「東海道駅伝徒歩競争」が開催されました。「東京奠都(てんと)50周年記念大博覧会」を記念して企画されたもので、これが日本の駅伝の発祥だと言われています。4月27日、東軍と西軍に分かれて京都の三条大橋をスタート。ゴールは上野・不忍池の博覧会場の正面玄関で、23区508キロを3日間かけて駆け抜けたそうです。結果は55時間34分で東軍の勝利。西軍は1時間半もの差をつけられたそうです。ちなみに、ゴール地点である上野公園の不忍池にも、これと同じデザインの記念碑が建てられているそうです。
2016年05月04日
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高山彦九郎像(京阪本線・三条駅前)京阪の三条駅から地上に出ると、大きな銅像があります。地元では待ち合わせの場所にもなっているそうで、「どげざ前で」といえばここ。台座に書かれている「高山彦九郎正之」は、江戸時代の尊王思想家として知られており、吉田松陰や幕末の志士に大きな影響を与えたと言われています。戦前は修身の教科書にもよく登場したそうですが、戦後はほとんど取り上げられることがなくなりました。この像は、北西方向にある京都御所を向いて拝礼している姿を示しています。京都に出入りするときには必ずこのようにしていたのだとか。謝るために土下座しているわけではありません。
2016年05月03日
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枚方市内の国道1号、天の川交差点にほど近いところ、たまたま通りかかったら、レンゲがきれいに咲いていました。田植えの前なのでしょうね。肥料の代わりになるのだそうです。
2016年04月29日
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山田池公園のツツジほんとうに早いもので、気付けばツツジが鮮やかに咲いていました。20度を超える日が続いたりして、ツツジを見るともう初夏の感がしますね。今年の夏も暑くなりそうな予感がします。
2016年04月13日
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山田池公園の花壇チューリップが見ごろになってきました。いろいろな園芸品種があり、見た目にも楽しめます。名前は分かりませんが、いろいろと撮ってきました。
2016年04月11日
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山田池公園 花壇にてきれいに手入れされた花壇にも、たくさんの花が咲いていました。訪れた日は少し肌寒かったのですが、日向ぼっこ中のネコも、花に囲まれてまんざらでもなさそう。スミレ(ブルーハワイ)ネモフィラばら撒きハボタンワスレナグサビオラ「ビオラ」もスミレ科の花で、パンジーに似ています。というか、パンジーとの区別は曖昧で、見た目が豪華で大きいのがパンジー、かわいらしいのがビオラ、と思っていてよさそうです。
2016年04月10日
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