
今日の写真:「閉じていく空/蓼科高原」
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NIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR
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一番好きな映画はなにかと問われたら、以前なら「フィールド・オブ・ドリームズ」と答えたかも知れない。しかし、いま思い浮かぶのはフランシス・コッポラの「地獄の黙示録・完全版」なのだ。
一方、もっとも影響を受けた映画はなにかと問われれば、やはりスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」とアンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」を挙げることになるだろう。
そして座右の書はなにかと問われたなら、即座にジャンポール・サルトルの「存在と無」と答えるしかない。しかしその書物をぼくはいまだに読破していない。
デカルトが登場すれば「方法序説」を読み、ヘーゲルが登場すれば「精神現象学」を読み、ハイデッガーが出てくれば「存在と時間」を読み、「現象学」が出てくればエドムント・フッサールの著書を読む、といった具合に読み進めざるを得なかったからだ。
そもそもぼくをそのような省察的な思考へと導いたのは、S.I.HAYAKAWAによる「思考と行動における言語」という「一般意味論(GENERAL SEMANTICS)」への啓蒙的著書だった。
たまたまそのとき英語の講義で「統辞論(Syntax)」を習っていて、それを鳥羽口にソシュールの構造主義言語学やチョムスキーの理論に首をつっこむことになった。
しかし「意味論」こそぼくにもっとも衝撃を与えたものだった。「この意味はなにか」ということではなく、そもそも「意味とはなにか」と問いかけるのだから。 この著作によってぼくはものを体系的に考える礎(いしずえ)を得たといっても過言ではない。
その後、ミシェル・フーコーの「言葉と物」やドゥルーズ/ガタリの「千のプラトー」を読了する頃にはこれまでの読書と思考の果実とでもいうべきものを多少なりとも週k弱できるようになっていた。
それは自分が望んだ未来を構成するためのひとつの成果だったといえないこともない。
from 蓼科高原ペンション・サンセット
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岡田@隊長さん