Hitorigoto

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マレーシアへの里帰り



マレーシアへ里帰り



 両親の移住計画

 σ(^^)が小学校2年~5年の3年間 父の仕事の関係でマレーシアペナン島に住んでいたことがある。その頃からテニスを通じて積極的に地元の友人を作っていた両親。帰国後も交流は続きちょくちょく遊びに行っていた。その内父は退職したらこちらに移り住みたいという夢を持つようになった。

 父の両親はすでに他界。母の両親は健在だがケア付きの施設に住んでいたためにσ(^^)の結婚後早期退職をして夢を実現させてしまった。さすがにいきなり「マンション買っちゃった~!」と言われたときにはσ(^^)もびっくりしたけどね。(笑) 日本の家は人に貸しその家賃収入と年金で毎日大好きなテニス・ゴルフを楽しみ、地元の友人達と会食したりととってもエンジョイしている。ペナンからの海外旅行もとても安く手軽なのでアメリカやエジプトと結構あちらこちら遊びにも行っている。



 息子がよちよちの頃

 両親がペナンに移り住んだ頃σ(^^)にはまだ子どもがいなかった。母曰くもし孫がいたら行くのをためらったかも知れないとのこと。移住して1年後、結婚して6年目にσ(^^)の妊娠が発覚。グットタイミングだったかも?(笑) 当初ペナンでの出産も考えたがすぐには帰国できないだろうと言うのもあり、母に帰国して貰って手伝った貰った。

 息子生後6ヶ月 息子初ペナン。以来年に2回 1~2ヶ月近くペナンに滞在するようになった。さすがに最初はσ(^^)一人息子を連れて行かれないので叔母夫婦に一緒に行って貰った。σ(^^)がトイレに行くとき抱いていて貰ったら泣かれて困ったと叔母に言われたが他には特に問題なし。滞在中も病気をすることなく元気いっぱい。あまりに元気になりすぎて帰国後すぐ8ヶ月で歩き出してしまったのには閉口したが。。。(爆)

 こちらの家は涼しさを考慮して床は石や木が多くクッション材がない。よってまだ歩きがおぼつかない頃は本当に心配した。よちよち歩きの頃はどうするのか地元の人に聞くと歩行器に座らせてしまうんだって。確かにあれだと好きに動けるし転ぶ心配もあまりないからね。でもさすがに最初は心配で後を追っかけたり、ベットの下にはクッションを敷き詰め落ちても平気なようにしていたが。。。

 食事の面では、、離乳食時代が一番大変だったかも。持てるだけの離乳食を日本から持っていったっけ。まぁ辛くさえなければ結構いろんなもの食べられていたけれどね。ペナンでは子ども連れで入れないレストランはないそうだ。どこへ行ってもベビーチェアーはあるし、赤ちゃんの頃などお店の人がだっこして調理場に連れて行き「ゆっくり食べていなさい」って言われたっけ。(笑) 通りすがりの強面風お兄さんですら頭をなでていっちゃうぐらいみんな人なつっこい。人見知りなんてしている暇なかったようです。(笑)



 地元幼稚園へ

 2歳半の頃から大人ばかりの中で過ごすのはあまりよくないし、住んでいる場所が少し街から離れていて同じマンション内にも一緒に遊べそうな子どもがいないため近所の幼稚園に通うことになった。母の英会話の先生(σ(^^)と同じ年)に教えて貰い最初ドイツ人がやっている幼稚園に通わせてみた。言葉は通じなくてもなんとかなるとは言われたが、とても規律が厳しく、また先生達もマレー人や中国人とそれぞれの言葉で話をしているので息子はちんぷんかんぷん。まだ英語のみなら慣れるのも早そうなのに。。。行くのがイヤだと大泣きの毎日 結局慣れそうにもなかったので断念した。

 次にやはり英会話の先生の息子(同じく息子と同じ年)が通うインド人がやっている幼稚園に通ってみた。ここの先生はとっても朗らかで優しい。包容力満点なのだ。「こんにちは」「泣かないで」ぐらいの日本語は話してくれる。泣いている息子をずっとだっこしてくれた。最初こそ泣いていたがすぐに慣れた息子。朝9時から11時半まで。一番の楽しみはランチタイムらしい。(笑) ここマレーシアでは朝と午後の二部制。午後から地元小学校に通う卒園生が手伝いに来ていてだいぶ面倒を見て貰っているらしい。息子も気に入り半年毎にこちらに来る度通わせて貰うことになった。保育料も1日10RM(300円) 最終日に通った分だけお払いする。至って簡単。教材などは適当にあるものでやらせて貰っているらしい。さすがに大きくなってくると教材も難しく同じ年齢の子のレベルではついていかれないので、適当に下のクラスに入れて貰ったり先生が特別レッスンしてくれているようだ。



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