風に恋して ~自由人への応援歌~

風に恋して ~自由人への応援歌~

夜明け前 5章



瞑想中に変な心象を見た。「クロ」がトイレに入る。「クロ」が去った後のトイレには白米(炊いてあるもの)が一面に敷き詰められ、その上に肝臓(浩さんの使い古しのもの?)がのっている。使い古しの役立たずになった肝臓と白米、どちらも不要と言うことで「クロ」が排泄したらしい。浩さんの体内には新しい肝臓が完成したということだろうか。「クロ」はなぜ我が家に来たのだろう。理恵が公園で見つけて連れ帰ってより、あまり日も経ていないとき、10日間行方不明になった。瞑想中と夢の中で3日間続けて現われた。「クロ」は必ず帰ってくるという、不確かだがどこか確信のある予感があった。我が家に来て日も浅く、ましてやマンションの9階。本来なら帰ってこないと思うのが普通。行方不明中、私の部屋に「クロ」の糞が落ちていた。不思議な猫だ。悪戯好きの「クロ」に毎日振り回されている。壁紙を剥ぐ、留守番電話をセットする、クーラーを入れる、夜中にはそこらにある物を利用して遊びまわる。私達は皆、寝不足になる。でも、憎めない。
浩さんに「家で変ったことは?」と聞かれて、「クロ」に皆振り回されていることを伝えると、「捨ててしまえ。」と言う。「生き物は一度飼ってしまった以上、それはできないよ。愛着もわいてきているしね。」ということから、今朝の瞑想の話しをする。とても変な心象だけれど、私はこれまでにも多くの意味不明な心象や、おかしな、そして不思議な夢を見続けている。くだらないと簡単に片付けられない数々の夢。どの心象も、どの夢も、誰かからのメッセージであり、事実を伝えてくれているような気がしている。もし、今日の心象も事実を神が伝えてくれているとするなら、「クロ」は浩さんの命の恩人、じゃなくて恩猫ということになる。私の勝手な夢物語かもしれないが、浩さんの生命を吹き消すはずだった肝臓癌は消えてしまったのではないだろうか。「クロ」がその病巣を白いご飯(粕、人体に病いをもたらす白い悪魔。浩さんは白米しか食べない。)と共に、これが原因だよと教えつつ排泄してくれたのではないだろうか。
物事や出来事に偶然はなく、全て必然であり、意味があると言う。「クロ」はなぜ現われたのか。そして浩さんが入院した翌日、なぜ姿を消したのか。「クロ」は帰ってくることを瞑想と夢の中で伝えてきた。そして、使用済み、USED LIVERを排泄した。思い過ごしでもいい。思い込みでもいい。「クロ」は浩さんの生命を守る、神からのメッセンジャーガール。捨てるなんてとんでもない。まだまだ振り回されるだろうが、大切にしたい。浩さんも理解してくれた。
今日はイメージ療法の話しをした。以前より少し前向きに話しを聞いてくれた。「使い古した肝臓を捨てたんだね。新しい肝臓を創るんだね。」と帰り際、言ってくれた。7月くらいからまともな便が出たことがなかったのだけれど、今日持って行ったはぶ草茶を飲んですぐ、トイレに行き、普通便が出たと言う。す・ご・い!!ずっと水便だった。数ヶ月ぶりのまともな便だ。父さんありがとう。父さんが作ったはぶ草がきっかけになってくれた。「近藤さん、津留さん、持丸さん、父さん、そして連日連夜あなたの回復を神に祈りつづけているTAKAKOさんに感謝しようよ。皆、がんばっているんだから。健康になった、新しい肝臓ができた、病気が治ったと心でイメージして繰り返してね。」と言うと、「俺だってがんばったんだよ。昨日は本当に死ぬかと思ったよ。そのくらい痛かったよ。」と言う。このまま私の思いの通り、イメージの通り、自然治癒力の不思議な力、宇宙の無限なる神の力で浩さんが回復することを心新たに確信する。神よあなたの存在を心より信じます。
浩さん、入院してより時々、私の体に触れたがる。前の病院でも、廊下で肩に手を回してきたことがあったが、この病院でも手に軽く触れたり、私の着ているポロシャツの袖を持ったり……。連日の病院通いと眠る時間の短縮のため夕方になると眠気がやってくる。「とても眠いの。浩さんと一緒にこのベッドに横になりたいなぁ。」と言うと、身体をずらしてくれた。椅子をベッドに近づけ、腕と頭をその隙間に乗せ、少し休息をとる。何も言葉はかけないが、浩さんが、やさしく、やさしく、私の肩をトントンと叩き始めた。やさしいリズム。ありがとう。浩さんのやさしさが、その手を通じて、私の体内に広がっていく。ありがとう。

 平成7年10月5日

津留さんから2度、電話が入る。浩さんの身体を回復させるかどうかは、今や浩さんの問題ではなく、私の問題だと言う。医師からたとえどんな情報が入ろうと、それに迷わされてはいけない。私が心に思い描く心象が、そのまま現実の映像として現われてくる。私が、もう駄目だなと思えば駄目になるし、大丈夫、治ると思えば治ってきます。私は無限の力を持っているということに気づきなさいと言う。「あなたが全てを決定するのです。あなたが無限の力を持っているのです。あなたが創造主なのです。自分の心をよく見つめ、心からの愛が広がる様、やってください。」ポイントは既に、浩さんの心ではなく、私の心の動きだとやさしく話して下さる。また、今回の原因を外に求めるならサタン、自分の内に求めるなら愛、とも伝えられる。「祈願するのではなく、当然のこととして、こうなる、こうなった、と心に描くことが現実を創っていきます。祈願は現実化しません。こうなって欲しい、あのようになって欲しい、という心の裏には、そうならないと思う心が潜んでいます。祈願ではなく、一切の不信を捨て、そうなると決めてしまうことです。自分の心にいろんな絵が見えてくるでしょう。それらの絵を判断したり、意味をつけたりしないで、あるがまま、ただその絵を見つめて下さい。第三者の目で自分の心を見つめるのです。決して判断をくだしてはいけません。」津留さんの声は常に一定で、流れるようにソフトに入ってくる。昨日の瞑想時の心象を話してみた。「そうですか、いい子だ。あなたは良い生徒です。」そのやさしい響きで私は嬉しさに包み込まれる。いつものこと。津留さん、近藤さん、持丸さん達と会ったり話した後、私は必ず心が浮き立ってくる。ハイになって幸福感に包まれている自分の心を見出す。ありがとう。私は幸福です。今日はCD PLAYERを買って美しいメロディのものを数枚病院へ持っていこう。

ゴルフボールを持ってきてくれと浩さんからの電話。肩が痛くてたまらないからとのこと。CDを持っていくねと言うと、「今日、また腹水を抜いている。肩が痛くて眠っていない。吐いた。だからCDなんか要らない。」暗雲が広がってきている。この様子では、どんなわがままが待っていることやら…。出るわ、出るわ、ああでもない、こうでもない。次から次へ悪態ついて、肩が痛い、マッサージをしろ、もめ、体を拭け………。私が何か悪いことでもしているかのように次々と注文、要求が飛び出す。ヒーリングをするための準備に入っても、集中させてくれない。無視するしかない。近藤さんからもらった彼の名刺を左手に持ち、右手でいろいろやってみるが、とにかく不機嫌に唸り、騒ぐ。病室に入って幣立ての御札に合掌した途端、頭はグァンと痺れる。すごい力が部屋にみなぎっているとわかるのに、浩さんは不平、不満の苦り切った面相で取り付くしまもない状況。名刺を持った左手の痺れも、今までになく強く、近藤さんのパワーを実感する。どうすれば浩さんの肩の痛み、苦しさを解除できるかわからぬまま、え~いままよと名刺を持った左手を、痛む肩の下に潜り込ませ、右手を肩の上に乗せ、「浩さんは治った。治った。」と心に繰り返す。しばらくすると、唸り声が聞こえなくなった。近藤さんの全身像をイメージし、私の身体に近藤さんが入っていることをイメージした。唸り声が静かになり、深い呼吸に変った。熟睡に入ったようだ。そのまま、じっと時を待つ。
6時。夕食のアナウンスで目を覚まし、「眠っていたのか?」「そうよ、ぐっすり眠っていたわ。どうだった?気持ちよかったの?」「うん、痛みがなくなった。」目覚めても痛みはぶり返してこなかった。近藤さん、ありがとう。近藤さんの全身像をイメージしたのが良かったのかしら。左手にある名刺に頬ずりしてみる。名刺が暖かい。私の手の内にあったからか、それとも、名刺が波動を発しているからか、私にはわからない。名刺の表には「神惟」、裏には「洗心、大宇宙大和神」と印刷され、常の心と御法度の心が擦り込まれている。この洗心の言葉は、関英男氏の著作「高次元科学」の中で出会い、とても興味を持ち、メモしておいたものだった。洗心に沿って生活をしようとも心に決めていた。
洗  心   大宇宙大和神
常の心
強く、正しく、明るく、我を折り、
宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く、相和
して、清く、感謝の生活を為せ。

御法度の心
憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒
り、不平、不満、疑い、迷い、心配ご
ころ、咎めの心、いらいらする心、せ
かせかする心、卑屈な心を起こしては
ならない。

生来、私には憎しみ、呪い、怒りなどの感情を持つ能力がなく、どんな辛い出来事に対しても、その出来事を自分に引き寄せたのは自分の言動だという想いがある。その原因を自分の内に探し、くよくよせず、生命を取られたのではないから良しとしようという超楽天的思考がある。なぜ、そう考えるようになったのか、また、いつ頃からか、定かではない。中学2年生のとき、淡い恋心を抱いていたKさんが、他の女生徒と親しげに楽しい会話をしているのを見ると、心に寂しさはあるものの、Kさんは今、この瞬間、楽しい時間を持っている、Kさんが幸福なら私の心も幸福と感じ、相手の女生徒にありがとうの言葉を心中で口にする。そんな性癖を持っていた。だからかもしれない。洗心の文章に触れたとき、「あ、これいいな。いただき。」という感じでメモした同じ文章が書かれている近藤さんの名刺を両掌に挟み、ありがとうの言葉を心に繰り返す。何が起きたのかは不明だが、ともかく、浩さんの耐え難い肩の痛みが、嘘のように消え去った事実に深く感謝する。
この病室はいつ来ても暑く、私は頭、背中、足から汗が滴り落ちる。そんな病室に不思議な物がある。もう何日間放置したままだっただろう。バナナが1本、窓辺に置いたままになっている。既にジュクジュクになるとか、腐っても良い頃で、今日の夕食にバナナが出たので、窓辺のバナナを手にとってみる。硬いままで、皮をむいてみる。新品同様、どこも何とも変化なし。冷蔵庫に入れていた無花果はグチュグチュになっているのに、陽の当たる窓辺に数日間放置されたままのバナナは、まるで、今日持ち込まれたもののよう。毎日、いろんな出来事があって、もう驚かない。ただ、腐らないバナナがそこにあると私の心は冷静に受け止める。

 平成7年10月6日

浅野先生から遊びにおいでよとの連絡。先月で規定の台数をクリアーされたので、中級代理店昇格のお祝いの件もあり、病院へ行く前に、恵比寿まで出かける。「いつも留守番電話で、お出かけのようだけど、何をされているの?」この先生は何かを感じている。前回もそうだった。会社を倒産させて、やっと私の心がそれなりの落ち着きを取り戻し始めた頃、やはり「遊びにおいでよ。」の電話があった。今回も、浩さんのことで、ある程度、私の心が落ち着いてきた今日、「遊びにおいでよ。」この先生に嘘は言えない。これまでの経過を話す。私の話しが呼び水となって、浅野先生自身の数奇な人生、不思議な出来事、そして彼女の持っている不思議な予知能力などを話し始められた。「滅多に話さないのよ、こんな事。だって、人に気味悪がられるだけでしょ。」という話しの内容はすごかった。彼女のハイヤーセルフというのか、守護霊というのか知らないが、普通の人なら耐えられない出来事から彼女を守り、導き、立ち直らせている。単に一人の守護霊だけでなく、現在彼女の人生を取り巻いている人達が、まさに大事なとき、彼女を救っている。娘さんもそうだし、多胡さん、姫子さんもそうで、彼女の人生転機に大きな力を発揮し、彼女が道を踏み外さない様導き、救いつづけている。彼女の話しが霊的に理解できるし、納得できる。本来、浅野先生の魂は、もっともっと力があるようで、惜しいな、恐れないで本来の力を発揮して欲しいなと思ったが、そんな事を言える立場に私はいない。それを感じているのは多胡さんのようだ。多胡さんは彼女の魂の全てを知っていて、だまって見詰め、守り続けているようだ。お姫様を守る爺やのごとく、深い愛で包んでいるんだなと、その魂の関係が見えてきた。
浩さんの話しを落ち着いて明るく語ることができた。それもこれも、津留さんのアドバイスのおかげと、改めて感謝する。私の心に迷いはない。浩さんは必ず治るとの確たる信念が私の内にある。夕方4時過ぎ、恵比寿を後にし、亀有に向かう。

6時前、病室に入ると、浩さん、憮然とした顔で椅子に座っている。「遅くなってごめんね。」と明るく入る。今日は、アーダ、コーダ、アソコが痛い、ココが苦しいと堰を切ったように不平、不満がその唇から発射される。来た、来た、来た。もう、それで全部かしら、今日の不満は。何でも言ってよ。全て私が解決してあげると心の内で独り言。「今日、CTと造影をやった。明日、説明がある。明日は何時に来る?」「俺は肝硬変の悪い所を切った方が良いと思う。」浩さんは、医師と私の言葉―肝硬変がとても悪化している―をそのまま信じているようだ。本来なら、あなたは既に死んでいる身体なのよと、また心の中で独り言。今、こうして言いたい放題、まるでアソコが痛いのも、ココが苦しいのも、全て私の責任とでも言うようにぶつけてくる姿がおかしくなってくる。
近藤さんの「御主人を成人の大人と思わないで下さい。生れたばかりの赤ん坊だと思って接して下さい。」との言葉に、「そうね、あなたは赤ん坊。」と私の心にはゆとりが生れている。普通なら怒りさえ感じるであろう浩さんの口にする言葉の数々を、笑って受け止められる。津留さんが部屋から出るとき、浩さんに向けて「ニューライフを大切にね。」と言った言葉を、どのように受け止めているのだろうか。New Life、まさに新しい生命が生まれたのだ。今までの浩さんの生命ではない、新しい生命が息づいている。一回の人生で、二度目の生命を体験しているあなたは、スーパーヒューマンボディ。あなたがその事実を知ったとき、どのような反応を示してくれるのでしょう。楽しみが一つ増えました。「退院したら温泉に行くんだ。絶対に行くんだ。」「そうね、行きましょう。どこがいい?温泉に行って、いっぱい愛し合いましょう。Make Loveのやり方憶えてる?」軽口まで飛び出した。

明日の医師の説明が、今から楽しみだ。浩さんは大きな大きなおなかを突き出し、あっちが痛い、こっちが苦しいと騒いでいる。黄疸もまだ消えてはいない。心臓の血管へ直接差し込まれたチューブも、そのままではあるが、顔は健常者の輝きを放っている。こんな病人が他にいるだろうか。「臨終に間に合わなくなります。すぐに御家族に知らせて下さい。」と呼吸停止までのカウントダウンのボタンは既に押されている。医師は死の宣告をするときを、今か今かと待機している。それなのに、肝腎の患者は意識昏迷に陥るどころか、その妻に元気一杯わがまま放題、言いたい放題。今日もうどんを買いに行かされた。機嫌は悪いが、呼吸が止まりそうには見えないし、危篤にもなりそうにない。医師はきっと戸惑っていることだろう。だから死の宣告をして、既に一週間以上も経過しているのに再検査、CTや造影を実施したのだろう。ただ心配なのは、肝臓への血管を閉じて抗癌剤の注入を開始されるのではないかということ。そんなことはして欲しくない。抗癌剤はむしろ、彼の身体を地獄へ突き落としていくのではないだろうか。このまま自然治癒力により、癌が消えていくのを待たねばならない。医師は理解してくれるだろうか。切りたがっている浩さんは理解してくれるだろうか。切らなかった、切れなかったことが彼を救っていることを、どのように理解してもらえるのだろう。ともかく、明日、考えよう。
昨日同様、痛みが激しいという背中へ、近藤さんの洗心の名刺を左手に持ち、その手で痛いという部分を覆っていく。ある点に私の左手が触れた途端、大きな衝撃がその手に走った。左腕全体が硬く棒きれになったようで、手の平から肘に向かって、腕の骨より太い痺れがグイグイと入ってくる。まるで感電している感じ。なんと形容して良いかわからないが、厖大な数の微粒子がそれぞれ渦を巻き、塊となり、掌から肘、肩に向けてグワァンという感じで唸りを発しながら突き進んでくる。その磁界(?)のために、私の左腕は倍の太さになっているという錯覚にとらわれる。しばらくそのままにして耐えていると、フッと何も感じなくなった。「痛みが消えたでしょ。」と聞いてみる。楽になったようだ。掌を少しずつずらしていく。全く何も感じない部分もある。更に掌をずらしていく。先ほどの衝撃ほどではないが、やはり痺れが入ってくる箇所がある。痺れを感じる箇所があると、しばらくそこに掌を止め、痺れ感がおさまるまで待つ。その一連の動作を繰り返して、全て、どこからも痺れを感じなくなるまで背中一面、左手をずらしながら触れていく。彼の顔つきが穏やかになり、言葉がおさまった。痛みがなくなったようだ。彼の身体から手を放し、次なる苦情処理に入る。

私の身体は異変を感じ始めている。ヒーリングをすると毎回程度の差こそあれ、いつも感じていることだが、身体のあちこちで針を突き刺されたような痛みが走る。右下腹部、恥骨下部でチクチク針に突き刺され、右足の付け根が痺れてくる。その後、右足大腿部内側にも痺れを感じる。左手から入った浩さんの負のエネルギーが、右足から抜けていくのだろうか。いつもは割と短時間で消える異変だが、今日は衝撃の大きさによるのだろうか、右半身への異変はなかなか消えない。左掌の真ん中に、直径4~5cm位の穴がぽっかり空いてしまった感覚と、左腕の痺れ、肩から腕全体が重く、鉄の添え木をつけられたようにズッシリとだるい。右足大腿部内側の痺れも消えてくれない。気功師は早死にする人が多い。患者の負のエネルギーを受けすぎ、それを排出できないためだという記述を読んだことがある。この感覚がそれであろうと、何となく理解する。
身体がヒーリングを求めている。浩さんの身体から私へ移動した負のエネルギーを出してくれと言っているのがわかる。疲労感も大きい。昨夜も家に帰りつくと、なぜかぐったりとして、自分の身体に不信感を持った。塩風呂に入って、負のエネルギーを出さなければと、身体が私に囁くが、身体がだるく、風呂場まで行けない。左肩から背中一面が張っている。かろうじて遠赤外線ホームサウナをONにして汗を出す。サウナでの発汗入浴後、身体は少し軽くなり、背中の凝りも消えた。でも、今日はサウナではなく、塩風呂だ。絶対に塩風呂に入りなさいと、身体が私を急かす。だるさをおして湯を入れる。37度くらいのぬる目の湯に天然塩とレモンを一個スライスして入れる。レモンを加えた塩風呂が癌の毒素を身体から排出すると書かれていたからだ。じっくりと、レモンの香りに包まれて、浴槽内で瞑想。「浩さんは健康になった。腹水は見事に抜けた。」とイメージを繰り返す。入浴後、左腕の痺れはまだ残っているが、全身的には軽く感じる。左腕の痺れは、ここずっと眠っている時間以外、絶えず感じ続けていることなので良しとしよう。2~3日前から下顎の内側、下歯の中央部分が急にプックリと膨らんで、下唇から下部全体が痛く、物を飲んだり食べたりし難かった。舌先上下にも一つずつプツンと突起物ができ、とても痛かったのだが、今日、それらは消えている。不思議体験が続いている。いちいち騒いでも仕方がない。もう少し様子を見てみよう。チャンスがあれば、近藤さんに聞いてみよう。

To be continued



© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: