風に恋して ~自由人への応援歌~

風に恋して ~自由人への応援歌~

そよ風にのって 10章


浜口 喬香子 

昨年の暮れ、UFO氏より、彼との「出逢い」と「二十一世紀に想う」につき、自由に面白おかしく何か書いてくれとの依頼を受けた。その時、彼に送った文章を転載する。

白峰由鵬氏との出逢いは玉手箱?

 人と人が出逢うことの縁、不思議さの意味が少しずつでも分かり始める種を、そうだよとの説明も無く手渡してくれたのが由鵬氏だったような気がする。彼と出逢って、既に丸4年の月日が流れ、それ以前とはまるで住む世界が変わってしまった。
夫の死後、お世話になった持丸青年が住む所が無いとのことで、我が家の一部屋を提供していたのだが、彼の誘いで下北沢で開かれていた「さくらの会」に参加した日、その会場で出逢ったのが白峰由鵬氏で、初対面の私に「あなたは弓削の道鏡をやっていましたね。」と声をかけてきた。過去生がどうだとかいう話とは無縁な生活をしていたので、「変な人!」と思い、その日は別れ、後日彼から「今から行きます。」の唐突な電話。何のため?理由不明のまま、彼の訪問を受けることになった。思えばこの日から私の人生舞台は大きく転換が始まったようだ。

 我が家のルーフバルコニーに神社を作ったり、普通ではない人を次々と連れてきたり、摩訶不思議なワークとかいうものを始めたり…。会社を倒産させ、夫を失い、本来ならひっそりと静かな生活に入っていく筈の私の周囲は、おかしな人、人、人…で埋め尽くされ、毎日のように違った舞台が開かれていく。私はただ家に居るだけで、劇場の特等席に居るようなものだった。
 ある夜、高坂和導氏の要請で、我が家の上空にUFOを終結させるということになり、次々に人が集まってくる。結論は見事な喧嘩別れとなったようだが、由鵬氏、及び霊能者らしき人にはUFOが見えるらしいのだが、ビデオを持ってきた高坂氏には見えない。勿論、私にも当然見えはしない。「一般人に見えるだけ波動を落とせ。」「今はまだその時期ではない。第三の目で見ろ。」の遣り取りの末、午前4時、「馬鹿野郎!ふざけるな!」の大音響が高坂氏より発せられ幕切れとなった。見えるという人達には五千機終結していたというのだが…。

 私自身が体験してきたことの中で、面白い現象を二つ紹介しよう。一つ目は、我が家に三ヶ月間同居していた榎戸晶美嬢の事。彼女は私の目の前で刻々と変化し、由鵬氏の導きにより霊能者になっていったひとりである。
 ある昼下がり、家には私と晶美嬢二人しか居なかった。昼食後、テーブルに向き合い、くつろいでいる時、私は異様な波動をキャッチし、「晶美、何か来たみたいだね。」と言った時から彼女の変化が始まった。顔が歪み、引きつる。声が変わる。何者かが彼女の身体に入り、喋り始めるのだが、彼女の自我がそれを許さじと闘っている。晶美と霊との戦い。「ママ、助けて!」晶美と男の声が交互に現われる。彼女には気の毒ながら、おかしくて笑ってしまった。その男が得意になっていろいろ喋るので、メモを取り出し、私は質問者になる。「あなたは誰ですか?」「わしは役小角(えんのおづぬ)じゃ。」私は役小角のことが記載されている本を持ってきて、その頁を開く。「見せてみろ…。フゥーン…。この部分は事実じゃ。じゃがこれは違うぞ…。本というものはいいかげんなものよのう…。本当の歴史がそのままに伝えられることなど無い。どの時代も、権力を握った一部の人間が、自分の都合のよいように歴史を書きかえるんじゃ…。これは違う!絶対に違うぞ!」「おまえたちはいい時代に生きておる。わしのように山にこもる必要も無い。それにしてもこのおなごはたいしたものじゃ。今でもわしを追い出そうと闘っている。このおなごは見所がある。たいしたものじゃ。アッハッハー。」
この時の会話はすべてメモを取ってあるが、詳しい内容はチャンスがあれば、別の時に書くこともあるだろう。静かな普通の生活が、突如、おもしろい舞台に早変わりするこの頃の私の不思議な「場」を知ってもらうために紹介した。瞬間、瞬間、何が起きるか分からない、そんな生活が続いていた。

そして二つ目、ある夕食会に参加した時、品のよい素敵な女性が私の前に立った。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。「お願い、助けて。」言葉はこれっきり。何のことかは分からないが、彼女の真剣さ、切実さが伝わってきて、意味も分からず彼女を抱きしめ、「大丈夫、大丈夫よ。必ずうまくいくわ。」と口にする。その後、どうにも彼女のことが気にかかり、由鵬氏に話してみると、「彼女は癌だな。」と言う。どうなるかは分からないが、やれることはやろうと、私は彼女の職場のある宇都宮まで遠赤外線サウナ「さがの」を持って出かけることにした。
 このサウナで癌が消えた人を私は何人も知っている。宇都宮で会った彼女の目には灰色の薄い幕がかかり、まるで生気が無い。約3時間、彼女が何に苦しんでいるのか理由を聞きもせず、ただ私自身の人生体験から、すべては自分の心のままに現実を創造するのだということを、面白おかしくひとりで喋り続けていた。彼女に生気が戻り、生きる悦びを知って欲しかった。さがのの使用方法を教え、帰る時、嬉しいことに目を覆っていた灰色の幕は消え、かわいい瞳は光りさえ発していた。ただそれだけで嬉しく、帰途についたのだが、宇都宮のインターに入ってすぐ、私の身体は重く、疲労の沼に沈み込んでしまった。
家に帰りついて、その日は娘の誕生日パーティだったので、フラフラしながらお寿司を作り、作り終わった途端ベッドへ。「ゴメン。もうダメ。ママの生命エネルギーが枯渇したよ。もう動けない。お寿司作っておいたから、みんなで食べて。」その夜は私のベッドのまわりで娘や息子、友人がワイワイガヤガヤ楽しんでいた。
明けて翌日、私は発熱し、声がまったく出ない。この日、九州熊本で講演会の予定が入っている。声が一切でないし、動けない。筆談で息子に依頼し、急遽講演会のドタキャン騒動である。主催者への連絡、代理講師の手配等をすべて筆談で息子に指示。やれやれと一息ついた頃から、下腹部、子宮の辺りがみるみる腫れてきて、拳大のボール球が硬くせり出てきた。一体何が起きたのか。下腹部に張り出たボールをさすっている時、由鵬氏がタイミングよく登場。ベッドに横になっている私を見て、「どうしたい浜ちゃん!?」と由鵬氏。昨日からの顛末を話すと「ワッハッハッ、そりゃぁ癌だね、癌!宇都宮でもらってきたね。このまま病院へ行ってごらん、すぐ手術されるよ。」「でもよかったじゃないか。九州へひとりで行っててごらん、浜ちゃん、帰って来れなかったよ。」と笑う。
今回、熊本の講演会終了後、その足で私はひとりで島原へ行ってみるつもりだったのだ。帰って来れないとは、この島原のことを由鵬氏は言っている。「カルマ落しができたからいいけれど、浜ちゃん、自分が家康をやっていたことを忘れちゃあダメだよ。彼女は天草四郎の分霊(わけみたま)であり、浜ちゃんは徳川家康の分霊だよ。島原へひとりで行こうなんてとんでもないことだ。宇都宮に行ってよかったよ。待ってろ、今すぐ治してやるよ。」と、何やらゴチャゴチャやってくれた。そして嘘のように子宮のボールは消え、声が出始めた。作り話のような本当の話。
カルマか何か知らないが、いいかげんにしてよと思ってしまう。数億年にも渡る転生のひとつひとつに対するカルマ落しなんてやってた日には、今回の一生では償いきれないよ。今日までに伝えられてきた私の過去生の数々、事実かどうかは別として、面白いからちょっと並べてみよう。北極神、宇宙の塵、太陽の黒点、アフリカの砂、若芽、初代ジュゴン、ダビデ、ユダの荒野で油売り、マリア、カサノヴァ、ロシア宮廷出入りの商人、中国福建省で塩を使って病人を癒していたヒーラー、イタリアの主婦、大黒天、大国主命の愛人、瑞玉姫尊(淡路島に碑がある)、紫式部、弓削の道鏡、徳川家康、西郷隆盛、息子の恋人、その他名も無い個人多数(説明が面倒なので省く)…。複数の霊能者が口々に教えてくれたこと。

 複数の霊能者を友人に持っていると、人生退屈という言葉は消えてしまう。毎日が刺激に満ち満ちている。夫の死が引き寄せた人生の大転換。蛾が火の中へ飛び込んでくるように、由鵬氏をはじめとする異質な霊能者が次々に我が家に飛び込んできて居座ってしまった。三ヶ月住んだ人、六ヶ月の人、一年の人、二年の人、来る者拒まず、さる者追わない私の性格で、来続ける人とはいまだに面白おかしく付き合っている。一時は魔界屋敷と呼ぶ人もいた。由鵬氏との縁は、どうやらまだ切れないらしく、共に秘湯巡りをしたり、麻雀をしたりという仲であるが、彼をはじめとする異質な人との出逢いから、私の価値観や考え方は見事に変わってしまった。現世での地位や名誉などゴミのようなもの。地球が一回くしゃみでもすれば、すべては泡と消える。宇宙の一大イベント、地球をはじめとする宇宙全体のアセンションが、どうなるのかは凡人の私には分からないが、あまりにも歪みすぎているこの地球、及び地球文明を変えられるなら、変える方に残りの人生賭けてみたい。こんな楽しく、面白い人生を開いてくれた由鵬氏に深く感謝する。これを読んでいるあなたも仲間に入りませんか?毎日、笑って、生きていけること、請け合いますよ。

二十一世紀に想う

間近に迫った千年王国?本当に人類は新たな価値観の元、新生地球を創造できるのか?などと大上段に構えなくとも、毎日耳目に、肌に触れてくる出来事を見ていると、自ずとその出来事を支えている裏の意味が見えてくる。権力とお金に取りつかれ、東奔西走してきた人類の歴史が、大きな転換点を迎え、意識変容か、さもなくば崩壊へのシナリオは既に上演されている。幕は既に上がっている。崩壊への道をひたすら走っている人達がいる。何としんどいことよ、と気の毒に思う。自分を規定している肩書き、立場を一時荷物預けに置き、せめて一週間くらい身体ひとつで旅に出てみてはどうだろう?自然と向き合う時間を持ってみてはいかがだろう?何も考えず、太陽、風、土、植物、水、虫などに目線を合わせて、共に呼吸している自分の肉体を観察していると、地球が奏でるオーケストラの響きが伝わってくる。

平成11年11月、由鵬氏、今村興一君と私の三人で東北への旅をしている時、自然が発する大いなる愛に包まれて、初めて私は波動的エクスタシーを感じたのだが、その時、愛と共に悲しみをも感じ取った。自然が大いなる慈愛を送ってくれながら、同時に別れの悲しみを伝えていることに気づき、由鵬氏にそれを伝えると、「そうだね、この辺はもうすぐ海の底になるからね。」との返事。そうなのか。地殻変動で海の底に入るのか。私は何ら動揺することなくそれを受け入れていた。地球の数十億年にも渡る歴史の中で、大地が隆起したり、沈んだりしていることは周知の事実。騒ぐのは人類だけで、人類を除く生命体は静かにそれを受け入れ、進化していく。「ありがとう、そして長い間ご苦労様でした。」の気持ちを、別れを伝えてくる大地へ送り続けた。

多くの預言が出回る中、人類の想念による集合意識の変容が、地球再生への鍵になると私は思っている。誕生以来教え込まれ、社会がそれを善とする通常意識に疑いを持つどころか、信念さえ持ってしまっている時、その意識から自由になることは大層難しいことではあるが、日々の生活の中、起きてくる出来事に一切の判断を加えず、「これは素晴らしい出来事なのだ。」と受け入れてみてはどうだろう。良い、悪いは、それを受ける人間が決め付けることで、出来事にとっては良いも悪いもありはしない。ただ人間の発する良いとか悪いとかの想念はとてもエネルギーが強いため、結果としてその思いの通りに出来事を変えていくようである。そういう意味で、自分の人生は、誰でも自ら好きで、引き寄せているということのようだ。そうであれば、例えどんな出来事でも、それを自分にとって良い結果にする方法は、とてもシンプルで簡単なこと。起きてくる出来事が何であろうと、心より感謝し、悦びで受け止めることであろう。

10億円の負債で倒産した時、私は悲しいとも苦しいとも思わなかった。誰のせいでもない、自分のやってきたことの結果なのだから。まず、その事実を素直に受け止め、倒産後、発生してくる出来事は、どれも私にとっての初体験として初々しく受け入れていた。初めて自転車に乗った日、初めてキスを交わした日など、初めての体験とは、ある種、心弾むものである。裁判所で被告人席に座るとは、どのように心を変化させるものであろうかというように、自分の心の変化に注目し、それなりに楽しんでいた。自分の心の動きを、第三者的に観察するという習性が身につき、少々のことでは動じない自分が育っていった。そして今、倒産という出来事にとても感謝している。

私にとって人生とは、悦びを体験するためのものであり、悦びそのものである。この事をひとりでもわかってくれる人が増えると嬉しくて、月に一回、日本タラソテラピスト学院で実践的食養学というタイトルで講義をさせてもらっている。口を使って食べる食物について学ぶ学問が、食養学ではあるが、私は勝手に広義な解釈をし、吸う酸素も、頭脳に入れる生きる知恵も、心で受け止める感情も、霊性への気付きのための瞑想も、人間を養う食養学として授業を展開している。生徒は目を白黒させてはいるが、面白いと言ってくれているので、当分私の授業方針はこのままで進む。
ある日、「ありがとう」という文字を書いた紙を貼っておいた瓶と「むかつく・殺す」と書いた紙を貼っておいた瓶、それぞれに水を入れ凍らせる。その後、氷となった水の結晶写真を生徒たちに見てもらった。ご存知の人は多いと思うが、「ありがとう」の水は見事に美しい結晶を形成しており、「むかつく・殺す」は形が無く、ドロドロとしている。紙に書かれた文字でさえ、これだけ大きな影響を与える。私たち人間は、いわば水袋。自分の発する言葉の選び方で、自分の身体が振動し、その振動によって体内水分が同じ様に変化する。「ありがとう」「むかつく・殺す」どちらが人間を幸せにすると思いますか?どちらを選べとは言いません。どちらを選ぶかはあなたの自由。ただ、日常無意識に使っている言葉が持っている力の大きさ、そして心で思うことのエネルギーの大きさに気づいて下さい」という授業をした。

人間の感情で、怒りのホルモンは猛毒です。自分を害したければ、一日中怒っているといい。反対に、悦びの人生を送りたいなら、許しと、愛と、感謝を常に心に留めておくといい。許しと、愛と、感謝を実践していれば、その波動に共鳴する出来事だけがやってくるようになる。21世紀は、この意識を上手に使える人達が創造する、自然と調和し、悦びを放射する文明に転換されていくでしょう。許して、愛して、感謝する生活は、人間から心身の病いを一掃させますし(寺山 心一翁氏は末期癌で死を目前にした時、太陽に向かい「これまでの命に感謝します。」という言葉を繰り返したことで、癌細胞はすべて消え、その体験を世界各国で公演活動をされています。)、地球と共鳴している女性たちの子宮が健康になれば、地球も健康を取り戻すでしょう。地球の21世紀は、女性にかかっています。自らの子宮を健全にする方法は、食を正すことと、想念の変革、この二つです。意識さえあれば、誰でも今日からスタートできます。無限なる愛を与え続けてくれる地球と共に、自己人生華やかに、悦びでいっぱいにしませんか?

地球に興味のある方は、是非、「土壌の神秘・ガイアを癒す人々」(春秋社¥6,000+税)を読んでみて下さい。農薬や化学製品で歪んでしまった私達の住むこの地球を癒し、復元する具体的方法が世界各地に詳細な取材をすることで明示されています。大地の力、岩、石、砂の力、植物、昆虫の力、…。私達は何を見て生きてきたのか?
私だけかもしれませんが、私は何も知らない完全無知の闇の中で、目も見えず、耳も聞こえず、悪臭の中に漂い、ボコッボコッと闇の底から湧きあがってくるあぶくにもまれて、蠢いていただけだったことを思い知らされました。そして、地球の復元、及び人間の心の開放は、大地を始めとする、自然を観察することで完成するという、ワクワクする二十一世紀をこの本の中に見つけることができました。
21世紀は実におもしろい!瞬間、瞬間に起きてくる出来事に、全神経を使って観察していけば、どんな出来事もその人を悦びの生活に導くために天が与えてくれたプレゼントだということがわかってくるでしょう。一人一人が冒険家。宝物は人間の心の奥に眠っています。チルチルとミチルのように、外へ答えを求めても、心身は疲弊するのみ。答えはそれぞれの心の内側にある事を知る人がどんどん増えていくでしょう。そんな時代に生きているという、ただそれだけのことがどんな財宝より、肩書きより、感動的で毎日が新鮮です。今を生きていられることに感謝あるのみ。



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