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ほぼ10年振りにメコン川の畔に座り夕日を眺める。10年前にはここから見える中洲で仕事をしていた。この10年間自分は色々なところへ行き、色々な事が有りここに戻ってきた。河は何もなかったように今日も同じように流れている。経済発展もこの町には余り及んでないのだろう、街並みも昔と同じだ。 間もなく夕闇の帳が降りる。楽しかった事も苦しかった事も全て含めて河は流れていく。 10年後、またここに戻ってきたいと思う。
2022/09/04
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このところ更新が滞ってましたが、今日はちょっと違う話題で久しぶりのエントリーです。 日本もBA5が上陸し、毎日感染者数更新が続いていますが、私も東南アジア某国滞在中にBA5株だと思われるコロナに罹患しました。マスクをし、手の消毒もきちんとして密の機会も少なかったのでどこで感染したか全く覚えがなくBA5の感染力の強さを再認識しました。朝起きた時の喉の何気ない違和感から始まり、日中から夕方にかけて倦怠感、発熱による頭痛、激しい咽頭痛、大量発汗、翌日クリニックですぐ抗原検査、陽性判定でコロナ確定となりました。ここからが日本とは違うと思うのですが、Molnupiravir(モルヌピラビル)5日間1クールを処方されタイレノールと併用して飲んだところ24時間後には解熱し、咽頭痛が大幅緩和、48時間後には咽頭痛消滅、72時間後には抗原検査陰性と劇的な回復でした。wiki読むと今までの薬とは全く違う作用機序でRNAウイルスの複製を阻害する画期的な薬で、米での二重盲検でプラシボ飲ませてるグループと回復があまりにも違うので途中でFDAから(プラシボ飲ませるのが)人道的でないという事で盲検中止を言われたとか。(真偽は不明ですが)この薬、今年当初に市販が始まり日本にも160万人分特例承認で入っているらしいのですが、管理が厳しく発熱外来やって陽性診断してても中々処方出来ないとのことです。正規品は600ドル位するので確かに多数の人に出すと財政的に厳しいかもしれません(アメリカでも同様みたいです)。私の飲んだのはインド産のジェネリック(米メルクが人道的に特別に承認している)で価格はその10分の1位ですがきちんと効きました。これがあればただの風邪というのも判ります。この国ではこの薬は薬局で普通に売ってるのでコロナの症状が出たら自分で抗原定性検査をして陽性ならおこの薬を買って速攻で治すのがスタンダードになりつつあるとの事でした。アメリカでもファイザー経口薬が承認され抗原定性検査からファイザー経口薬という流れが確立しつつあります。 翻って日本を見てみると、どうもこの流れから遅れているようで主にワクチンに頼り(これは感染、重症化予防という意味で大事ですが)、一旦罹患した患者に対しては解熱剤や咽頭痛緩和薬、咳止め、果ては漢方等対症療法に限られ、ウイルスに特化した経口薬の投与が為されてなく思います。加えて患者の過去行動の追跡から濃厚接触者を特定、自主的強制隔離と疫学的管理に主眼を置いていてBA5の感染力を考えたらこのようなアプローチは早晩破綻してしまうのではと危惧しています。何となくですが、BA5に対応するにはパラダイムシフトが必要なのに今までの成功体験でやり方を変えず突き進んでいるような気がします。 さて、この薬、日本でもネットで六千円弱で個人輸入できるみたいで備えても良いような気がします。禁忌も有り、あくまでも自己責任ですが、国産の経口薬に拘りまだ数ヶ月はコロナに特化した経口薬の承認、製造、一般処方はまだしばらくかかるでしょうから自分の緊急用備蓄として押さえておくのも一つの考え方だと思います。これはあくまで個人の意見で、繰り返しますがくれぐれも自己責任です。 このコロナですが、自分の場合も味覚喪失が起こり、やはりコロナは只の風邪ではないと感じました。発症3日目(薬を服用して2日目、回復途中)、昼の時は何とも無かった味覚が夜完全に無くなりちょっとパニックになりました。色々体験談を読むと5日目位から戻るみたいでしたが、この経口薬による急速な回復も有ってか翌朝にはほぼ戻りました。ただ回復後1ヶ月程経ちますが、前と違う点は二点、まずは同じ味を何度も味わっていると(例えば丼物)味がしなくなる点(漬物を齧って丼に戻るとまた味がする)と、もう一つは以前から不快に感じていた味の不快感が増幅するという点です(これはコロナ味覚障害を経験した友人の一人も同じ経験をしています)。特に赤ワインのブショネ、ブレット、マデラに関しては非常に敏感になり、5%程度の劣化でも果実との乖離、濁りを感じて飲めなくなりました。果たして良かったのか悪かったのか難しいところです。さて、コロナから回復して最初のワインです。綺麗な酸で瑞々しさが有り、あどけない童女を思わせるような純粋な果実、何気ない普通のワインですが、娑婆に出て飲む最初のワインは心に沁みました。改めてワインを飲め味わえる幸せを感じた次第でした。ワインファンが味覚障害って全く洒落にならないですよね。
2022/07/23
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百花繚乱ならぬ百貨騒乱的な仮想通貨だがその一つのLUNAが破綻した。そのニュースを読みながら落語の「千両みかん」を思い出した。紀伊國屋文左衛門の息子が大病になり季節外れのみかんが食べたいと言うので番頭があちこち探してやっと見つけたらその値段が千両、息子が治るならと言う事でそれを買い求め、息子が三房を番頭にお裾分けして番頭が「これで3百両だ」と感動してそのまま出奔してしまうと言う話だ。 まあ、これはこれで笑い話なのだがこの落語を経済学的に見てみると中々面白い。蜜柑という有り来たりの財(Commodity Goods)、しかもperishableであるのにに法外な値を付ける売り手も存在しているところからこの番頭も含めて買い手もいるので市場として成り立っている事が判る。そしてその蜜柑の三房を分けてもらった番頭は蜜柑の価値を測るのに自分の味覚や価値観では無く、市場評価で判断している。ほぼ架空に近い価値しかないものを市場価値という集団幻想で評価する。或る意味現代なら仮想通貨だろう。 閑話休題、ちょっと前置きが長いがこのanecdoteは今のブルゴーニュを具現しているように思える。一般的に値段が上がっているブルゴーニュの中でも天文学的に暴騰してしまった幾つかのドメーヌだが個人的にはどうもその価値はあるようには思えない。つるんとしたビニールのようなtexture, 酢酸を思わせるような酸味、LeroyやJayerを彷彿させると言う諸氏もいるがその辺をリリースで飲んでいた自分には全く別物に感じる。強いて言えばBizotだろうが私的には余り好きではない。このドメーヌなら私は94以前の先先代の方が遥かに良いと思える。個人的にはこの手のワインは千両みかん、そしてこのワインを買ったとSNSに上げる人は先の番頭と余り変わらないように思える。 さてその番頭だが彼が現代に生きていたら多分蜜柑三房をSNSに上げてドヤっただろう。それともその三房を密かに奥で売り捌いていただろうか? あくまでも個人の意見です。 注)写真はイメージです。
2022/05/20
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ワインをコレクションしていてつくづく思うのは「ワインは買うより開ける方が難しい」と言う事だ。買うのは、今や実店舗に行く必要も無いので原資が有れば買える。勿論超人気ドメーヌなら争奪戦に勝利したり、コネを使って手に入れる必要が有るが、ま、最近はオークションも多々有り、大抵のワインはお金次第だ。ただ、その買ったワインを開けるのは勇気がいる。勿論世の中にはキリギリス的にさっさと開けてしまう人も居るが大抵のワインファンは小心者で、高価なワインや希少価値の有るワインを「いつかその時が来る」と信じて後生大事にセラーで保管することになる。ワインが高価になればなるほど、そのいつかその時のハードルが高くなり結果、年々ワインを開けるのが難しくなる。 ところが歳をとり、新卒で買って中々飲めずに何年も大切に保管していたワインがセラーの中で事切れているという経験をし始めた。人と同様、ワインにも永遠の命は無いのだ。 東海林さだおの名著の中に食べようかなと思っていてまだ大丈夫だからと冷蔵庫で大切に取っておいて結局腐らせてしまい、冷蔵庫が緩慢な食品腐敗庫になってしまっているという話が有ったが、自分のセラーも同様、緩慢な葡萄酒劣化庫になりつつあるのかもしれない。 何はともあれ、自分と同じ様に、昔買ったセラーのワインも段々定年に近づいている。ワインをセラーの中で孤独死させるのも可哀想なのでこれから徐々にそういう定年間近のワインを開けて行こうかなと思う。 その1本だが、ワインはまだ生きていた。色の割にシェリーも出ず果実よりもミネラルが前面に出て透明感溢れ、やはりCdBとは違う良さを感じる。一級でそれほど大きなスケールは感じないが、やはりこのアペラシオンの最高峰、輪郭にぼやけたところは無い。とは言え、とうにピークは超えて緩慢な死を迎えただろう事は自明で、今開けて良かったと思う。 ちょっと話が逸れるがこのRiedelのラベル、今でこそRiedelはワインテースティングの定番のグラスになっているが意外とその歴史は浅く、ブレークしたのは確か90年代前半でこの頃は西海岸でワインインポーター、兼ワイン屋もやっていたように覚えている。実際筆者がワインを始めた80年代後半当時はテースティングは大抵INAOを使っていた。90年代前半にWine SpecatorやRobert Parker氏のお墨付きを貰ってブレークしたのだが、その際、RK氏に匹敵するこれも稀代の贋作師Hardy Rodenstock氏とタイアップしてd‘Yquem用に特別にグラスをデザインしてd’Yquemの御当主をゲストに大々的に1784年から1991年まで125VT垂直テースティング、御当主からムッシュ・ディケムと呼ばれる程大成功だったようでこの贋作師のデザインによるグラスが今もSauternesとして使われている。今考えてみるとこの昔のd‘Yquemも多分贋作によるもので、RK氏が贋作でワイン会を開き御当主をゲストに迎えたのもこれから学んだ様な気もする。 脱線してしまったが、古参のワインファンならセラーの中のワイン1本1本がその人と人生を共にし、思い出が詰まっているだろう。その1本を開けて味わうのはワインでは無くその人の人生だ。それはオークション等で買う即物的な古酒とは全く違うものだ。人生も大団円を迎えた今、思い出に浸りながら思い切って手持ちのワインを開けて行こう。棺桶にはワインは入れられないのだから。
2021/07/30
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最近少し知っているワイン通に「俺はワインを混ぜる奴は許せない」と言う事を彼のSNSに書かれてしまったが、まあその気持ちは判る。純粋な気持ち、ピューリタンと言うのは理想を追う若者の特権で私も彼の年代なら二回り近い年長者がそうやっているのを見たら嫌悪感を覚えたと思う。まあ、そういう彼もシャンパーニュには区画(村)、セパージュ、VT、赤白(これはシャンパーニュだけだ)、全て混ぜれるという人為的な自由度は全く鑑みてないようだ。 考えてみれば(私も含めて)ワイン通はブルゴーニュに関して温度、全房、樽(新樽率、樽熟期間)、浸漬等の発酵、熟成方法について詳細まで拘る人が多いのに対し、シャンパーニュに関してはせいぜいドザの量やセパージュ、Viellissementの期間を気にする位かただ単に「美味しい、美味しくない」等の非常に大雑把な感想しか述べないように思う。レゼルブワインに何を使うか、何と何をアッサンブラージュすると言う事は言わばブラックボックスだ。まあ、ワイン会でも大抵開始30分前に飲まれてしまうし、それを承知でブランディングに高い値を払う人もいるのでそれはそれで良いのだろう。 ま、件のワイン通のそのブラックボックスはブラックボックスで味わうべきであるという哲学も分からなくはないが、敢えてそのブラックボックスに挑戦するのも一つの考え方だと思う。実際やってみるとそれほど単純なものではなく、ワインを混ぜる、即ちアッサンブラージュだが単に何でも混ぜれば良いと言う訳ではなく、シャンパーニュの性格、混ぜるスティルワインの質、熟成度、両者の相性、割合等、色々なパラメーターが有り、アッサンブラージュにより1+1=3、或いは4みたいな素晴らしい効果をもたらす事も有るし、逆に1+1=0みたいな事も起き、中々奥が深い。最初は逝ってしまったブル白を廃品回収的に少し泡で混ぜてみたのだが最近はこのアッサンブラージュにも幾通りかの定石が有り、それぞれ違う性格(そして質)のシャンパーニュが作れる事が分かってきた。 さて、このパターンは線の細いBdBに良質のHCNの白を足したもの。割合はスープとタレの感じ。良質なHCNやChablisはマチエールが弱いシャンパーニュとの相性は中々良くMeursaultやPulignyを足した時のように決して自分をひけらかさず、シャンパーニュに寄り添う感じだ。多分酒質が近いのだろう。繊細すぎて気弱だったシャンパーニュに芯が出て格段に良くなる。1+1=3とまでは行かないが確実に2.5は達成しているだろう。 バブルの頃、ロマコンのピンドン割りというのが流行った事が有った。当時は退廃的、成金的だと思い嫌悪感を覚えたものだが、今、何となく自分もやってみたいような気がする。案外かなり美味しいだろう。そして少なくとも高価なワインを有り難く頂戴してSNSにあげるよりもカッコいい気がする。
2021/06/19
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シェリーで使われているソレラ(Solera)システムを最近採用するシャンパーニュ蔵が多くなっている。最も有名なのはSelosseだがそれ以外にもBereche等新興RMで行われている。 教科書的な説明だとソレラシステムによりリザーブワインの品質がより一定化し毎年新酒を足す事により、ワインに厚みや複雑性を与えるとの事だ。勿論加えるワインが汚染されリザーブワインが全滅するリスクがあるが、最新の醸造時のコントロールによりそのリスクは抑えられている。まあ、殆どの人は教科書のセールストーク的な説明で納得するのだろうが、色々とシャンパーニュを飲んでみて、私はちょっと穿った見方になってしまう。 まず、ソレラシステムだと数種類のリザーブワインを一つに纏めれるという利点があるだろう。今までのやり方だと、いくつもリザーブワインを持っていてVTによりその割合を変える。ソレラシステムを採用することにより、このようなリザーブワインのStorage costやassemblageに要する手間が省けるだろう。そしてソレラシステムの場合はレゼルブワインが何年も熟成しているためにそれ程vieillissementの時間を必要とせず、結果キャッシュフローが向上するため、経営的に大変有利になる。そして良いVTはミレジメとして出すが故にソレラシステムに於けるリザーブワインは必然的にmediocreなVTになってしまうだろう。 別段disるつもりはないがもう一つ言えば結局のところ、シャンパーニュの美味しさの要素の一つはトーストや生姜のような適度な酸化に伴う複雑味なのではないかと思う。究極のところ、シャンパーニュとは酸化の要素が出てきたレゼルブワインと酸や果実がフレッシュな新しいワインをアッサンブラージュし、二次発酵で炭酸を発生させ、口当たりを良くするという作為なのだろう。そしてソレラシステムはこのアッサンブラージュのプロセスを兄弟的にも品質的にも安定させるという長所があるのだろう。それに何やら秘密めいた、特別な雰囲気を醸し出せる。 ソレラシステムがそれ程素晴らしいのならば、何故ブルゴーニュでは採用されないのだろうか?勿論ブルゴーニュではVTの違いを愛しみ、味わうという大きな要素が有るが、同時にワインを何年も熟成するというプロセスを経て最上の状態で味わうという楽しみも大きいように思う。逆に言えばソレラシステムによりシャンパーニュは買ってすぐ開けるというシャンパーニュの刹那的な要素を突き詰めた結果だろうか。そういう事を考えるとシャンパーニュのミレジメは良い元種ワインを選んで時間をかけて熟成させ、プロセスにも気を配っていると思う。 という訳で今日はこの Aubeのソレラとブルゴーニュ赤のアッサンブラージュ。Aubeだけあってソレラにも関わらずマチエール不足が否めないシャンパーニュだったがブル赤を足す事により厚みが出て格段に向上する。ベースがBdNだけに新しいPinotと相性は抜群だった。 個人の遊びです。
2020/09/25
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ちょっと別の話題を。 2017のRougetのCros Parantouxのリリース価格が68万円だと聞いておもわず仰け反ってしなった。30年近く前に私が買っていた価格は(蔵では無く酒屋)45ドル程度だから150倍になった訳だ。まあ、買う人はいるのだと思うが、幾ら何でも開けて飲むというよりコレクションとしてセラーに飾るのだろう。 人は何故ワインを飲むのか?当たり前だが飲んで美味しいと感じ、そして幸せを感じるためであろう。ところがワインも中級を過ぎると初心を忘れ他人よりも知識、経験、能力が優れている、人よりも優れたワインを持っているという優越感から幸せを感じるようになる。そしてSNSによりその優越感が可視化された。単にワインを飲み美味しいと感じるのが主体性幸福感であればこの優越感は相対性幸福感だ。ワイン通のやっかいなのは初級はその主体的幸福感が主であるのだが、中級、上級となるにつれこの相対的幸福感の割合が多くなる事だ。そしてその相対性幸福感を感じるためにワイン通はマウンティングしがちなのだあろう。 インターネットが発達し当たり前になり、そのインターネット上でリアルタイムにあるワインについて価値観が共有され共通知になりそれがマネタイズされて行く。その過程で或るワインはそれを所有すると言う事でStatus Goods(地位財)と変質していった。このRougetのCros ParantouxやDRCなどは最たるものであろう。女性にとってのバーキンと同じ課金ゲームだ。他に素晴らしいバッグがあってもやはりバーキンでなければならないのだろう。 昔のように自分を味覚を信じてコスパが高い自分の好きな作り手を見つけ、買い、それをセラーに置き、いつかそれを空ける時を夢見て何十年も人生を精進するなんて悠長な事は流行らなくなってしまった。 まあ、そういう自分もこう言う写真を載せてマウンティングしているが(笑)。
2020/07/16
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シャンパーニュをブル白で割った方が美味しいとの確信に至り、半年前にこのブログを書いた訳だが、その後も割り続けている、というか割らずには飲めない体になってしまった。シャンパーニュの作り方を勉強すればする程この割って飲むのが正解であるように思う。 結局のところ、シャンパーニュの主目的は肌理が細やかで綺麗な泡を出し、特別感を演出することのように思う。勿論味や香りも大事で有るがそれは副次的目的だ。この主目的に沿ってシャンパーニュ方式が編み出され改良されて来たと言えるだろう。優れたテロワールの元で栽培、醸造方法に拘り、味わい、香りだけを追求して来たブルゴーニュと比較するべくもない。栽培に関してもブルゴーニュでは質を決める重要なファクターとしてビオや仕立て方等既に確立されているが、シャンパーニュは20年程遅いように感じる。 そしてシャンパーニュの複雑な醸造方法。概要として一次アルコール発酵、マロ、二次アルコール発酵と三回の過程を経る事は良く知られているが詳細は怪奇とも言える程複雑だ。(私も含めて)シャンパーニュの製法を詳しく知っている人は余り居ないであろう。 第二次発酵でアルコール度が上がりすぎないようにする為、安全を見て第一次発酵はアルコール度10度程度で止めるとの事だ。勿論ステンレス槽での発酵(例外的に樽も有るが古樽)。ブルゴーニュに於いてステンレス発酵で作りアルコール度10.5度と言えばCoteaux Bourguignonクラスだ。そしてマチエールもテロワールを考えれば結局のところCoteaux Bourguignonと大差がないだろう。そしてCoteaux Bourguignonといえば軽い、シャバシャバしたワインだ。これがréserveワインも含めたシャンパーニュの元ワインだ。 次はマロ。今やシャンパーニュでもマロは当たり前になったが春になり気温が上がり自然にマロが始まるブルゴーニュと違い、シャンパーニュでは人為的に乳酸菌を追加。マロの後は二次アルコール発酵だが、その為にアッサンブラージュの他に補糖、酵母(多くは培養酵母)を人為的に追加、そして零下4度で1週間放置して(或いは酒石酸、CMCの投入)酒石を析出させる。泡立ちを良くする為に不純物を減らす訳だが、ここで風味も飛び単純なワインになってしまうことは容易に予測できる。 勿論貶める積りは無いし真面目に作っている人もいる事は承知だが、シャンパーニュの酒質を粗く感じるのはこの為だろう。そしてそれが故に良質のブル白をシャンパーニュで割ると上品で奥行きのある果実が加わり、シャンパーニュ単体で飲むよりずっと美味しく感じるのだ。個人の感想です。
2020/07/01
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Coronaも少し落ち着いて時間ができたので久しぶりの更新。Coronaに伴うLockdownにより色々な社会変化が起きているがワインに関しては、一人で飲むのは本当に詰まらないと言う事だ。ワインは食中酒と言われるので一人で食事中に飲んでも良いのだがまあ、良いワインを開ける気にはなかなかならないし、適当なワインを開けたとしても1杯なら兎も角、2杯、3杯と感想を話す相手もなしに同じワインを飲むのは単なる作業、ややもすれば罰ゲーム状態で中々しんどい。歳をとってボトル半分が限界なので大抵翌日も同じワインを飲む事になり、友人の勧めで酸化防止の為、このペリエの小瓶に移しているが確かに酸化はそれほど無いもの、この小瓶から移して飲むのは更に味気ない。一緒に飲む相手がいないのならせめてエチケットを眺めエチケットと会話しながら(まあ、それも変だが)飲みたいものだ。 つまるところ、ワインは食中酒というより、会話を楽しみ、ワインについての思いを語り合うソーシャルな飲み物なのだと言う事を再認識した。まだしばらくかかるだろうがワインを前に皆と語り合える、そういう当たり前のことが当たり前のように出来る日が来る事を待ち望んでいる。
2020/05/24
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一昨日、昨日と老舗のワインオークションが開かれていた。筆者も少し冷やかし気味で覗いて見たのだがボルドー、イタリア、CAは低調気味だったがブルゴーニュのトップ生産者はコロナの影響もなく堅調で有った。まあ、Leroy、DRC、Rousseauのような一等地的な生産者はもとより、準一等地とでも言うべきRoumierやVogue等の生産者も軒並み最高落札予想額を軽く越えていた。まあ、これだけ流動性が有る昨今だから取り敢えず手元の現金をワイン(共にliquid assetだ)に替えておこうという人がいるのは想定内だが。 今回のオークションで想定外だったのがこのオークションの開催場所がILからDEに移されていた事だった。USは連邦制で州毎に税制も異なる(更に酒類免許も)。DEは売上税や法人税が無くNVと並んでTax Havenとして知られている。更に米国内は発送せず本人か代理人(Agent)の引き取りのみ。これは州を越えた取引にも売上税がかかるという直近の米最高裁判決を踏まえたものであろう。 これが何を意味するかと言うと少し前に書いた「ワインのビットコイン化」に一層拍車がかかると言う事だ。端的に言うと売上税を回避するために落札ワインを一度州外に送付し自分のセラーで寝かしまたオークションハウスに送付するという手順を取っていたのだがこれでオークションハウスで買ったワインをそのまま保管し、数年後もう一度オークションに出しても売上税がかからないと言うことだ。ワインは記帳されるだけでその場を動くことがない。温度湿度を完璧調整されたオークションハウスでの保管と言う事でprovenanceは完璧。そしてまだオークションハウスという公開市場を通さずに売り手と買い手が非公開で相対売買しあう事になるだろう。その場合コミッションが省けるからだ。(これも前に書いたが)超富裕層にとってワインは租税、特に相続税回避の最良の手段だ。そのワインに更に利便性が加わった訳である。 いやはやとんでもない時代になったものだ。ワインも「飲む為のワイン」と「利殖の為のワイン」に二分類されつつある。そして後者の境界は徐々に前者の境界にencroachしつつある。そしてそれは上がっていくセラー財務的評価とは裏腹に実は歴の長いワインファンにとってあまり好ましい状況では無い。この辺についてまた少し書いて見たいと思う。
2020/03/01
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直心影さんのコメントを読みながら少し考えていた。 昔はワインをセラーで熟成させると言う事は畜産農家に通じる所が有ると思っていた。要はワインを保管することは、あたかも家畜を牧場で育てる事と時間とリソースを費やし価値を高め、市場で売ったり自分で楽しんだりする事だ。太っていく家畜を見ながら算盤を弾いたりするように、自分のセラーのワインの価値が上がっていくのを見てにやけるワイン通も多いだろう。昨今はワインも簡単にsecondary marketで売れる。 だが別の意味ではワインをセラーに保管する事はペットを育てるのと同じことで有るようにも思える。人は何故犬や猫を飼うのであろうか?まずは「癒し」と言うことだろう。無邪気に戯れる犬や猫を見て心が慰められるようにセラーのワインは何も言わないし、別段戯れないが、お気に入りのワインエチケットを見ていると心が洗われ鼓舞される。私自身はDRCのRSVのエチケットに一番癒される(笑)。特に身体的、精神的な激務に追われ、家庭を持てば倦怠期に入り(笑)、家庭を持ってなければ孤独感焦燥感溢れる40代後半から50代前半のワイン通は思い当たるだろう。そして熟成されたワインを飲むのはペットを看取るのと同じだと言えるのだろう、否、やはり丸々太らせた山羊を屠殺すると同じか(笑)。(関係ないがブルゴーニュではキャップシールをくびれの上で切り、下で切るのは「斬首」と見る人も多い) ペットを飼うもう一つの理由として、「自分が持っている資源を仲間に分け与えたい」からだと或るサイトで読んでこれも確かにワインに当てはまると思う。セラーのワインを見ながら仲間の顔を思い出し、このワインは誰々と一緒に開けようかと仲間の顔を思い浮かべたり、持ち寄りワイン会で自分のワインを仲間とシェアするのは楽しい。はっきり言って自分で飲むより楽しいように思う。別段ワイン仲間をペットに例える意図は全くないが、これについても少し書いてみようと思う。
2019/07/20
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少し間が空いてしまった。前回の続き。 ワイン通とワインオタクとの間には微妙だがdistinctな差が有る。前者がマズローの第四段階の承認欲求の段階に止まるのに対して後者は第五段階の自己実現の欲求まで達している。実際私が今まで出会ったワイン好きを自称する人は殆どワイン通の段階に留まっているように思える。勿論、原資が潤沢に有る人は有名どころを自腹で買って開けSNSでアップしているが(非常に稀だが)、よく見るとcounterfeitだったり事も結構多い。結果俄ワイン通、エチケット飲みで有る事を自ら露呈し、マウンティングを仕掛けてカウンターマウンティング状態と大変微笑ましい結果になっている事もある。 ワインオタクはワイン通とは一線を画する。この段階からは自分の評価軸をしっかり持ち、無知の知という悟りに達し改めて勉強しなおすという求道者の側面を持つ。女史なき後のDRCや神なき後のRougetを法外とも言える値段で買う事を美学的に拒否し(それはあたかも高価な免罪符を通して、ワイン通としての他人の評価を買うようなものだ)、レア物や評価が定まっていないものを自分の評価軸で発掘して収集する事で、自己達成を図る。勿論それは承認欲求という目的もあるが、それはあくまでも副次的なもので主目的は自らの探究心を満たす事だ。この状態で初めてエチケットの束縛から脱し、ワイン本来の凄みというものが分かってくるように思う。 (この項続く)
2019/02/13
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ワインは色々な面で他の酒から峻別される。まずワインは基本的には皆で飲む社会的飲料だ。この点、ウイスキーなどの孤独の酒とは違う。そして伝統があり、文化があり(ブルゴーニュはUNESCO世界遺産登録間近だ、いやもうされたのか?)世界的に作られている。その点日本酒とも全く違う。そしてワインそのものの価格、ライオールやロブマイヤー等の小道具へのこだわり、仕来り、全てエリート感満載だ。そういう意味でワイン好きの人を文化人類学的に観察してみると面白い。 ざっと、俗に言うワイン好きの人は単なるワイン好き、ワイン通、ワインオタク、そしてワインバカと分類されるように思う。勿論、例外も有るが大抵はこんなところだ。 まず単なるワイン好き。ワインと呼ばれるアルコール度13%程度の液体ならなら基本的に何でもオーケー(低アルコールのドイツワインは何故か混飲されない事が多いようだ)。白、赤、泡、旧世界、新世界、どれも楽しく飲め、ワイン会では多人数で産地の違うワインを混飲することが多い。日本ワインに異常な関心を持つのもこの範疇の人の特徴である。ワインそのものよりもワイン会で多人数が集まり皆で楽しい時間を送ることが主目的。主メンバーはお金と時間が有りながらreproductive ageを過ぎ婚活が終わった独身、或いは子供を育て上げた有閑専業主婦。経済学的に言うと機会費用が少ない人々。群れる事で孤独感を癒すのだろう。ワインに関して、折角色々飲んでいるのだが長期記憶に留めたり、勉強して上のステップに行こうとする事例は稀。向上意識がないのだろうか、殆どのワイン好きはこの範疇に止まるように見受けられる。 二番目のカテゴリーはその次がワイン通。自称、他称二種類存在するがどちらも独身男性が多い。やたらと蘊蓄を語り、如何に自分がワインを知っているか、自分のセラーに素晴らしいワインを持っているか、或いはDRC等の素晴らしいワインを飲んだ事やブラインドで当てた事を自慢する。即ちマウンティングだ。現地に行った経験があり、妙齢の女性が同席しているとなるとそのマウンティングパワーは倍増する。他人の持ってくるワインをエチケットで評価する一方、持ち寄りワイン会では微妙なところを持ってくる事が多く、自分のワインを貶されるとすこぶる機嫌を悪くする。持ち寄りはないワイン会では主催者のワインにケチを付ける。纏めると無知の知を知らない、傲慢、そして微妙に吝嗇な、残念な人である事が多い。 無知の知を悟り、マウンティング癖が治まって来るとワイン通も三番目のワインオタクに進化する。 (この項続く)
2019/01/20
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いっぱしのブルゴーニュ通なら自分のセラーにLeroyやRouget、DRC、Rousseau等超一流の作り手のGCやPCを持つことは夢だ。大抵のブルゴーニュ通はそれらの秀逸な作り手をGC、PC、村名、レジョナルと買い、村名やレジョナルは早くから開け、セラーにはGCやPCだけ残すという感じだろう。私も過去に書いているが、実際そういうGCやPCは30代から50代、人生の一番の活躍期に、心の糧となる。仕事やプライベートで困難な局面に当たる度にそのワインに見合うように自分自身を鼓舞したり、首尾良く大きな目標を達成した時のご褒美としたり、大切な時に大切な人と分かち合ったり、色々な意味があると思うし、実際自分もそうであった。だがどうだろう、人生も50代半ばをとうに過ぎ、着地点を模索している今、GCやPCは果たして必要なのだろうか? 自分的にはGCとPCしかないセラーは歳をとった時を考えると残念なセラーだと思う。秀逸な作り手のDRCやLeroyなど、確かにSNSやワイン会受けは良いだろうが、古参にとって味わいはその複雑さが故に単調であり、琴線に響かない。それにお金さえ出せば直ぐにネットで買える。(まあ偽物も多いが)。古参にとって本当に感動するのは良いコンディションで熟成した村名やレジョナルだ。若いレジョナルや村名は緩く、マチエールも少なく単調さは否めない。だが熟成のマジックを得るとマチエールの足りなさに逆に無駄を削り取った本質を感じる。クリマでは誤魔化せない作り手の本当の力量が出る、そしてその力量を楽しむ心。それは山上宗二が言う「上は粗相に下を律儀に」、即ち「侘」だ。ワイン、そしてその侘を理解する飲み手の力量は、お金では買うことができない。初心者や中級者には考えもつかない、一通りワイン道を身につけて初めて判る境地だ。 「一番の贅沢は村名のワインをゆっくり寝かせて飲む事だ」とは私の老英人友人の言葉だが、本質を突いているように思う。日本のセラー事情を考えるとレジョナルや村名を熟成させることは尚更難しい。そういうワインがまだセラーに有る自分はちょっと僥倖なのではと思っている。今年は少しこの辺を飲んで行くことにする。あなたのセラー、残念なことになっていませんか?
2019/01/14
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ワイン貨幣論(笑)を書いている途中にこの本を読んだのだが、この本により益々ワインは貨幣であると確信している。この本は例の稀代の贋作作りについてのドキュメンタリーで基本的に前に書いたSour Grapeと同じ粗筋で、ネタバレ的に書いてしまうと、彗星のように現れた天才的な舌を持つ中華系インドネシア人がまずオークションで買う側に回り、持ち前の気前良さでアメリカ富裕層のワイン通に取り入り、今度は稀なワインを中心に売る方に回り、一線を越えて存在しないポンソのClos St. Denisを作ったためにPonsot自身の疑惑を呼び、彼のワインを買った一富裕の執念が連邦検察を動かし裁判を経て彼の逮捕に成った訳だが、実のところ謎が多すぎて一件落着、めでたしめでたしとは程遠い。 個人的に一番の疑問は、大学生でゴルフ場でバイトするほど常にお金に困っていた彼が何故、彗星のようにオークションに現れUS$30 millionとも言われるワインを買うことが出来たのかということだ。 この本では彼の叔父が汚職で秘匿しているお金が使われた(US$800 million!)と示唆されている。彼は周囲に実家が裕福で月にUS$1 millionの送金が有ると豪語していたそうだが、連邦検察は其の証拠を見つけられなかったらしい。ここで閃くのが悪名高いVancouver Modelだ!要は地下銀行を使って跡が残らないように送金する。Vancouver Modelでは所謂high rollerに地下銀行からお金を貸しCasinoでチップを買って少量賭けて使ったのち残りを換金し正規に海外送金する。換金し、金の出どころ(provenance)を確かにしてlaunderingするのが目的であるから勝っても負けても問題はない。そしてprovenanceが判れば送金可能だ。 このモデルのTransferring, Layering, Converting, Integratingというサイクルはこの贋作作りのケースに余りにも当て嵌まると思うのは単なる一憂だろうか? 即ち、まず犯罪組織から地下銀行を通じてお金が送られる。それを元に彼がオークションで高額のワインを大量に買う。支払いはクレジットカードだ(ブラックカード!)。ワインだけでなく高額の住宅、車、美術品を買っているのも正にLayeringそのものだ。そして頃合いを見計らいオークションで売り抜け、外国に送金し(実際、彼は送金している)サイクルの完了だ。そうすると彼は単なるjunket operatorで黒幕がいることになる。 ちょっと考えすぎか。ま、そうで有って欲しいが。 (この項続く)
2018/12/07
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先週、今週と週末にかけて昔良く参加していたメジャーどころのオークションに冷やかしながらちょっと札を入れて見た。私が最後に(真剣に)参加した3年前と比べてやはり値が上がりは半端でない。Jayerは流石に値が落ち着いてきたもの(これは贋作が多数有るということにも依るだろう)、DRCは堅調、そして何よりもLeroyの高騰ぶりは他ドメーヌと比べても一際立っていた。ほぼ全てのロットで予想最高額を2割程度越え、Richeは4000の大台、リリース時にそれ程評価が高くなった一連の04も3年前より倍になっている。経済学で言う「event study」からすると近未来に起きる何かのeventを予期して投機筋が仕手を始めたのだろう。一ロットの額も数年前は1000以下が殆どだったのに今は5000〜10000が多い。これでは市井のマニアは中々買えない。 閑話休題、ワインは単なる貨幣より優れているのはそれが社会的効用を持つ事だろう。ワインが単なる飲み物で有れば、その効用(経済学に於る)は主に飲んで楽しむ事により与えられる。ところが現代社会はSNSの浸透が進み、誰もがマズローの第3欲求である帰属欲求を満たされ、その帰属するグループの中での尊敬欲求を追求するようになるとこういったワインをセラーに持つという事だけで十分効用が得られる。貯金通帳の額を自慢する馬鹿はいないだろうけど、こういったワインを持っている事を自慢する馬鹿は数多い(自分もそうなのだが)。即ち現代におけるマウンティングだ。私も前にワインをセラーで熟成させる事は、そのセラーの中で熟成し、価値が上がっていくワインに見合うように自分も切磋琢磨し、それに見合った人間になろうとする力を与えてくれると書いた。だがこうやってトップドメーヌのワインが飲み物から尊厳欲求を満たす貨幣へ変質して行くに当たってこういった自負はもうあまり意味を持たない。 (この項更に続く)
2018/09/16
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ワインを貨幣として財を貯蔵蓄積する長所は大まかに言って、投資性、追跡捕捉の難しさ、無記名、換金時の安全性そして滅却性というところだろう。これらの点で時と場合によっては宝石や貴金属、また現金よりも都合の良い場面がある。 投資性に関してはこのところの趨勢からローリスク、ハイリターンで有ることは判るだろう。毎VT生産される本数は決まっていて飲まれてしまう分だけ減って行く一方、ある年数まではワインが熟成するので価値は高まって行く。実際99LTなどはここ5年で価格は3倍になっている。これは貴金属や並みの投資を遥かに上回る。ただ問題はブルーチップとして投資に耐えるワインの数が少ないので、大きなファンドを作るのが難しいことだ(過去に幾つかのワイン投資ファンドが破綻しているがこれはファンドが大きくなるにつれて詐欺まがいになったように思える。対象をDRCだけ、募集額を10億程度に絞れば良いリターンが得られたと思うのだが)。 無記名性と消費財としての滅却性からの追跡捕捉の難しさ。これは税をやっている人ならば判るだろう。銀行からの数百万円単位の引き出しに対して税務当局が追跡に入ったとしよう。まず無記名債権は引き出した直後の発行を見られて捕捉されるのがオチだ。現金、宝石、貴金属を買って隠そうとしてもその代わりを説明するには食事、ギャンブル等くらいしか無く、使い道を合理的に説明する事は不可能だろう。が、どうだろう、1本十万程度のワイン(これは昨今別に珍しいことでは無い)を何ケースかオークションで落とし、クレジットカードで払い、口座引き落とし。その後ワインは飲んで(これも十万円程度のワインならよく有る話だ)空瓶は捨ててしまったと言えば(私も含めて古参のワインファンはエチケットや空瓶に執着しない人が多い)一応説明が付く。まあ、勿論自分は違うが、古参のワインファンの中で、コレクションの時価が1億円に達している人は結構いるのでは無いだろうか。 (この項続く)
2018/09/14
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まずは尋ね人の告知。私と先週あるオークションであるワインを競った人を探しています。これまでも何度も被っているのですが、先週ちょっと意地になって競り落としてしまいました。競り落としたワインからこのブログを読んでいる人の可能性が高いと思います。心当たりのある方は左までメールを下さい。今度ご一緒に飲みながら共闘の紳士協定を結びましょう。(告知終わり)さて、今日はちょっと妄想。経済学においての貨幣の定義は「それ自体が交換手段として価値を持ち、またそれ自体が富として価値貯蔵を図られるもの」との事であるが、昨今の趨勢を見ていると一部のブルゴーニュワインは既にワインでは無く、貨幣の域に達しているように思える。このところ前に参加していたメジャーどころのオークション(敢えて名は挙げないが)をまた見ているがDRCに関してはワインというよりは完全に貨幣になってしまった感がある。買った人ももう飲み物では無く、蓄財の一つとして見ているのだと思う。特に来る煮餡で名を馳せたオークションハウスが来る煮餡の代表作であるDRC71を出していてしかも結構な高値で落ちるのを見ると真贋はどうでも良いのだろうか。まあ、私の知ったことではないが、この機会に貨幣としてのワインの長所、欠点をちょっと考えて見る。 ビットコインでも分かるように貨幣は、その価値の裏付けを取れる権威が有れば、別段具体的な形を取らなくても良い。この場合のDRC71も真贋どちらで有ってもそれを売りに出したオークションハウスがそれを本物として認めていればそれで良いのでは無いだろうか?そう言って手に入れたDRCは簡単に換金出来るし、それ自身富として価値貯蔵を図る事が出来るので既に貨幣の定義を満たしている。更にボトルナンバーが入っているのは都合が良い。何故ならばボトルが転売されてもブロックチエーンで、売主、買主をタイムスタンプを通して繋いで時系列が判るからだ。DRCはビットコイン。そう考えると毎年新たなVTでリリースされるワインはビットコインを生み出すマイニングのようだ。そうすると来るに餡というはマイニングをハッキングする輩という事になる。 そして実はワインというのは貨幣よりも都合が良い面が有る。 (この項続く)
2018/09/13
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RK氏が稀代突出した贋作者で有ることは間違いないが、歴史的に見ると Nuits のネゴスを始め、ドメーヌに端を発したブルゴーニュの贋作も有る。 VTのごまかしやクリマの嵩上げだが、RP氏の名著の序章に1950〜60年代に書かれていたように(うろ覚えだが)LanguedocやRhoneのワインをブルゴーニュに混ぜたという話が書いてあった。そういえばAubeをシャンパーニュに編入したのはAubeの農民が一揆を起こしたからだが、その一揆の遠因はメゾンがLoireのワインをChampagne に混入していたことだ。先のサイトを読みながらこのRK氏の話を追っていく間に何とあのJayer、DRCと並ぶと称されるGriveletご当主自身が自ら贋作に手を染めていたという記事に当たって面白かった。以下先のサイト のDon C 氏の投稿の要約に自分の感想を付けて。当主Bernard Griveletは両親から受け継いだClos Frantinの畑々と Bonne MaresをフラッグシップとするChambolle畑のワインを作っていたが有る時(訳者注:確証は無いが多分70年代初頭だと思う)からGrivelet Pere et Filsを立ち上げ、Negotian au Chateau de Chambolle Musigny やDomaine Bernard Griveletを名乗りMis en bouteille au ChateauとしてLanguedocのワインをChambolle MusignyやChambertinとして売っていた。その数約70,000本に登り、中にはマグナムやマチュザレムなども有る。これだけの数を米に売るにあたってはインポーターも一枚絡んでいる事は間違いない。そして彼は起訴され1982年に有罪判決を受けている。以下孫引きだがNYTimesのサイト。http://www.nytimes.com/1983/01/02/style/wine-importer-pleads-guilty-on-false-labels.html日本にもちょっと前までは入ってきていて、そのうち何本かは間違いなく70000本の偽造ワインだろう。さて、肝心のそのワインの質だが、ある程度の古参ならGriveletのワイン、適度な値段で中々に美味しかったという感想を持っているのでは無いだろうか?人によってはDRCやJayerと同等とまでいう人も居る。まあ、それは少し買いかぶり過ぎだが、それにしても私の経験からそこそこ美味しく、自分のセラーにもまだ数本有る。 このサイトの別掲示板にそのBernard GriveletのGevrey Chambertin1971が液面低下も少なく、素晴らしかったという感想を載せている人が居て、偽作論争になっていたが、 私の穿った見方では70年後半(或いは80年代か?)の強い南のワインを入れback vintageのエチケットを貼った偽物のボトルが30年程経ち瓶の中の南のワインが適度にこなれてきたからでは無いだろうか?私自身、この村を始め、 村名ブルゴーニュ71を何本も飲んできたが、真のブルゴーニュワインなら有る程度のマディラ化はしょうがないだろう。どのセパージュも年が経つとピノテするのでセパージュからの同定は難しい。ひょっとしてこれが故に60~70年代のGriveletの評判が良いのではないだろうか? 単なる推測だがまあ当たっているように思う。ということで今度このドメーヌのワインを飲む時、ちょっと気にして飲んでみる。
2017/12/24
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あれから例のRK氏に関しての5年に亘る掲示板の書き込みを読んだが、やはり闇は深さそうだ。彼は大凡12年間の間に売ったワインは都合約1万3千本、現在の金額で130百万ドル(145億円)ということだが、1本当たりの金額は100万円ちょっとになるので少々高く見積もりすぎのような気もする。Maureen D.氏やDon C.氏(前者は偽造ワイン鑑定サービスを立ち上げたのでよく知られている一方、後者は世間には殆ど知られていないが、RK氏を最初からマークし、最終的に追い詰めた功労者の一人だ)は85%程度が偽造と推定している。RK氏が単なる末端の「売人」かそれとも元締めかは各自議論が分かれるようだが、知れば知るほどどちらのか分からなくなる。偽造を始めた頃、RC45(生産量600本ちょっと!)をDRCご当主や著名ワイン評論家を招きテースティングをしてご当主から本物とのお墨付きを得たり、Roumierに関しては彼のワインを落とした人が直後にご当主を交えて複数本テースティングして少なくとも何本かは本物で有る事を確かめている。ま、その際、偽物と思われる物も有ったらしいが。そして凄い事にRC45、本物と思われるRoumierのエチケットは本物では無かったということでどうやら本物のエチケットを剥がしてわざわざ彼の偽造エチケットを貼り、撒き餌としてその後の偽造エチケットに信憑性を持たすように小細工をしていた。(これも事後的に分かったことだが)そして逮捕後、彼の工房(!)に実際残っていたワインからRC38や40等の真正のワインが実際見つかったりして中々お金もかけていた事が判る。それ程用意周到だった反面、全く抜けていたとしか思えない点も多く、まあ、その辺が犯罪者の浅はかさといってはそうなのだが、腑に落ちない。例えば彼を一躍有名にしたPonsotのCSDだが、何故わざわざ無いVTを偽造したのか、(これはRoumier23や30年代のJFMのMusignyも同様だ)。Ponsotのご当主本人のみならず後日、RoumierやJFM氏も無いと証言している。その場は通ってもいつかは必ずバレる嘘を何故着いたのか。更にエチケットの細かい誤植。彼の数ある偽造の中でも有名な67LTだがフランス語独特のaiguやcircumflex等のアクセントで細かい間違いも多い。 また DRCの英インポーターの住所のスペル間違いや酷いのはPercy FoxがPercx FoxだったりPercy Foyだったりと、コピー商品にありがちななんちゃってレベルの偽造である。また先出のDon C.氏はDRCやVogueのキャップシュールとVTとの齟齬を指摘している。例えば76年以前のDRCは77年以降にドメーヌ蔵出しで無ければそれぞれのクリマ名ではなく一様にMis Au Domaineの名が入っている等)。写真は筆者蔵。VTの微妙なフォントの違いから多分偽造だろうと推測している。先代の作ということを判ってれば、ベースにカリピノではなく、某ネゴシアンの古いのが入っている筈だ。まあ、いずれにせよどうせ偽造するのならとことん追求して完璧なものを作って欲しいものだ(苦笑)。(この項続く)
2017/12/14
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偽造ワインの話が某雑誌や某ワインサイトで取り上げられているが、知れば知るほど闇は深い事が判る。RK氏が逮捕され一件落着、或いはRK氏が偽造していたのはRCやJayer等の超高級ワインだから自分とは関係無い、ネットオークションでは無く酒屋から直接買っているから大丈夫、オールドヴィンテージではなく、最新のVTだけ買ってるから大丈夫とか、大抵のワインファンは対岸の火事と考えているだろう。実際私もそうだった(苦笑)。RK氏に端を発した偽造ワインについての米の掲示板を読むとRK氏の逮捕後(Post-RK eraと言うらしい(苦笑))の偽造ワイン、無くなるどころか益々巧妙になり数も増えているらしいことが判る。勿論全体像は掴めないが、例えばRoumierのアムルーズ13, Rougetの黒パラ12とか比較的最新のVTでオークションに出てもそれ程おかしくないものやDugat-PyのChambertin10とかレアなものの(1樽以下)価格的にそれ程高くないものまで偽造品が出てきている事は確かに吃驚する。スキャン、印刷精度の向上でエチケットの真贋の差が小さくなり、キャプシュールやコルクまで偽造しているのでさっと見分けるのは中々難しいと思う。そして偽造RC05に至っては私には全く違いが解らなかった。まあ、私がRCを避けているせいもあるが(苦笑)。詳しくはこのサイトを見れば良いのだが、書き込みを見ると所謂RC, La TacheやDRC Montrachetというスーパーレアワインだけではなく、その下のまあ、普通のワイン、例えばLeflaiveのMontrachet, Chevalier, BatardやCocheのCC, MP, Ramonet、NiellonのMontrachet、Chevalier, Batard等も含まれている。更に驚きなのはMusigny BlancだけではなくBourgogne Blancも偽造と思われるワインがある事だ。RK氏は96, 97, 99, 00, 01, 02とオークションを通じて販売しており(これは法廷で明らかになっている)。そしてRamonetのRuchotte, Leflaive, Lafonの1級。勿論彼がこの辺のを「真水」として本物を買って転売した可能性もあるが、これらの現物を仕入れたtraceableな証拠がない以上偽物の可能性も限りなく高い。と色々書いていてふとわがセラーを見ると限りなき黒に近いグレーのものが。ドメーヌ名とクリマこそオフセットだがVTとインポーター名がプリンターで書かれている。裏ラベルは敢えて載せないが、出処はあの疑惑の商社ならぬ疑惑のオークションハウス。仕入れたのは10年程前、RK氏全盛の時代だ。この偽造ワイン騒ぎ、対岸の火事だと思っていたら我セラーにも延焼していたという今日のオチ。そして、並行が多いBourgogne Blancを一生懸命買っている貴方にも延焼しているかも。この話題、もう少し掘り下げてみようと思う。
2017/12/11
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2ヶ月ぶりに少しここらで更新しておく。心配してくれる人も多く非常に申し訳無く思っていて、更に時間も無い訳ではないのだが何故か更新する気になれない。多分これはこの地にあり、遂に足るを知るの域に達したからだと思う。仕事もダイナミックで非常に面白いがこれは此処には書けない。素晴らしいワインや磁器、絵画を追求することは確かに面白く、自分の収集癖と相まって今迄こつこつと収集する事により所有欲を満たし幸福を得ていたがこれからは徐々に自分の所有物を減らして行く事を学ばねばならない。これは中々難しい。単に自分のコレクションを減らすだけではなく自分自身のワイン通としての虚栄心も捨てなくてはならないからである。それが出来てはじめて虚心坦懐的にワインを接する事が出来るのだろう。あたかも托鉢層が喜捨された粗末な食事を大切に頂くように一杯のBoujolaisにも喜びを得る事が出来るようになるのだろうか?この夏は取り敢えずCA IrvineのセラーにあるDRCとJayer数箱を処分する手筈を始めようと思う。
2007/07/25
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ここ2ヶ月ほど更新が遅れていて、皆さんに余計な心配をかけてしまっているのでここらで一つ現況報告をさせて頂く。1月下旬からこの地に来て暇を見ては村々を回って村人達の生活を見たり、色々な人の話を聞いて中々多忙な日を送っている。女達は台所で料理をし、男達は粳米で作った酒を飲む。子供は河で水遊び。何も無いが全てがある生活である。自分に何が出来るか判らないが、自らの選択でしばらくはこの地に腰を落ち着けて時を過ごす事にする。実は友人と飲もうとここへブルゴーニュを何本か持ってきたのだが、ここのリズムに慣れてしまうと中々その気にならないし、実際、もうどうでもよくなってきている。少し悟りに近づいたか。といいながら週末にしっかりとブルゴーニュへ行く計画だけは立てているが。
2007/03/27
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解脱であるが、元々の仏教の意は束縛、煩悩からの自由である。ワイン道に於いての解脱は批評家やメルマガ等に惑わされず自分の意見をはっきり持ち(畜生道からの解放)、自らの分をわきまえ足るを知り、至極高価なワインを買わず(餓鬼道からの解放)、相手の好みを尊重し知識を振りかざさない(阿修羅道からの解放)、ワインを楽しめる体作りに精を出す(天道からの解放)、そしてブショネや劣化ワインに出会っても前世からの定めとしてあるがまま受け入れる平静な心を持つ事(人道からの解放)。これを体得すれば「色即是空、空即是色」、即ち「全てのワインは無に返る、そして無に返ったワインは飲み手の心中で永遠の命を与えられる」というワイン道の真理に達する。ロマネさんもこの真理を垣間見たのではないかと憶測する。ただ奥義ではこれは慧解脱の状態でこの先には倶解脱があるとされている。この段階では心体ともにワインと一体化し、もはやその人の存在そのものがワインになっている。この段階になると瓶越しにワインを味わい、葡萄の樹と対話し、空気中の酵母の良し悪しを見分ける事が出来ると謂われている。残念ながら今までには入滅されたあの人しかこの状態に達していない。次がもしあれば、Moreyのあの翁ではないかと私は見ている。解脱の域に達するには勿論絶え間ないテースティングの修行が基本である。これにより自分の好みを確立させなければならない。自分が美味しいと思う気持ちは絶対的真理であり、他人がとやかく言う筋合いは無いと判っていても実際ワイン会等で周りの意見に逆らってこのワインは好きだ・嫌いだと言うのは村八分を恐れぬ勇気がいる(実際そういう目に有った人も居る)。またレアワインに対する克服はある程度飲むしかないが、ある時点でどのワインも全て同じでレア性に意味はないと悟る。聖地への巡礼も必須不可欠である。巡礼はChambertinからCriotまで全ての札所(GC畑)を徒歩で回り、各札所で祈りを捧げるのが本来の姿であるが(所謂、遍路と呼ぶ)、最近は時代の流れでレンタカーも多いがその際でも各札所では降車して辺りを歩いて欲しい。ふざけて書いているように見えるが実際巡礼を一度でもするとテロワールに対してそして黙々と働くヴィニュロンに対しての畏敬の念が湧いてくることは必至である。さて、最後は施餓鬼。レアワインを飲ませろとせがむ初心者をいとおしいと思って飲ませることが肝心である。私達が先輩から受けた恩を返すのは次の世代である。ただ最近の若い衆には感謝の気持ちが少なく、飲ませて貰って当たり前だと思っている人も多く、彼らが次世代へと施しをするかどうかはまだ判らないが。ホントはこんな辛い思いをしなくても気軽に飲んで愉しめば良いのだが。ある意味でセラーを持たず適当に買ってすぐ飲んでいた時代が懐かしい。(ワイン道仏教編はこれにてひとまず終了、現在キリスト教編を鋭意準備中)
2007/01/31
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次の畜生道であるが、仏教に於ける定義は家畜のように自律出来ず、他者に使役・利用される状態である。ワイン道に於ける畜生道は即ち「自分で判断できる知識や経験を持たず批評家やメルマガの言いなりになっている状態」と言えば言い過ぎだろうか? 最近はブログまがいの誘導サイトもあるので、私のブログを含めて要注意である。5番目は天道。人生で成功し、セラーを築いてレアワインを沢山持ち、毎日のように飲める状態でも人間は年とともに衰える。昨日楽しめたDRCやH.Jayerでさえも飲めない時が必ず来る。山のような自分のレアワインのコレクションを前に生活習慣病で飲めない状態。所謂五衰の相である。楽しみを知っているだけに苦しみはもっと大きく、これは一番恐ろしい。私も含めて現在40代以上の全てのワイン通が避けて通る事の出来ない宿命であるように思える。前にも書いたが私のセラーには故人の方々から引き継いだワインがあり、私もきっと同じようになるだろう。これを避けるにはCharさんのように疾走する荒行をするしかない。そして地獄道はこれらの全ての苦しみを同時に味わう事である。これから抜け出しワイン道を極めるには悟りを開き解脱することが必要である。さてワイン道に於ける解脱とは何であろうか?(この項続く)
2007/01/30
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ワイン道を極めるのは難しい。大抵のワイン道修行者は悟りを開くまでに至らず仏教でいう六道の呪縛に陥っている。六道のその一は餓鬼道。即ち美味しいワインを飲めば飲むほど、或いはレア物を買えば買う程もっと飲みたく、買いたくなる。常にレア物に対しての渇望により感情が支配され、強欲により恥じらいや感謝の気持ちを忘れている。呪縛の二つ目は間違いなく阿修羅道である。ワイン会に出かける度に人とどちらが知識があるかを争ったり、どちらが持ってきたワインが美味しいか、そしてどちらが高かったかを闘争し、心休まる間もない。私のブログにも時々この阿修羅道に陥った人が来るようである(苦笑)。三つ目の呪縛は人道。これは一般の人なら判るだろうが、愛するレアワインを開ける苦しみ(即ち愛別離苦)、素晴らしいワインの筈がブショネだった時の悲しみ、そして一寸クリックが遅れた為に好きなワインを買えなかったやるせなさ、或いは原資不足で折角の掘り出し物を指を加えて見過ごすしかない不甲斐なさ。即ち人間がワインに接する時に起きる執着心に依る苦しみにもがいている状態である。(この項続く)
2007/01/29
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みゅじにいさんから毎日ブログを続ける体力が或るとコメントを頂いたので一言。実は去年12月に2週間程ブログを休んだした事があったがその時、実は考えていた。去年中途からある国に関わる事になり、その国の村々を回りながら矛盾に悩んでいたのである。以前働いていた東南欧の村々には貧しいながら農作物や海産物が豊富で飢餓とは程遠く、ある意味で豊かな生活が有った。実際私のブルゴーニュ・ワインを持込み、村人と共に採れたばかりの魚をオリーブオイルで焼いたり、子羊を焼いたりして一緒に愉しんだものである。反面、ここでの生活は困難を極める。この子供達を見ながら、私が自宅で毎日高価なワインを開けることが果たしてモラル的に正しいかどうか・・・勿論、書生論ではあり、私一人の力では微力すぎて何も出来ることは限られているが、本や新聞ではなく現実に直面するとやはり考えてしまう。とは言え、ワインは私の生きがいの一つでもある・・・。妥協になってしまうのだがとりあえず今年1年ワインを飲み、ブログを続ける代わりに1アクセス=1セントをこの国のUnder priviledge な人にに寄付しようと思っている。ということで今年は出来るだけブログを続けようと思っている。
2007/01/15
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「家族とは別の楽しみや人とも繋がりの機会を与えてくれるものとして、話題であり会話の潤滑油として大切に思っているものです」とムーくんさんが書いてくれたが私もワインのその一面は大いに肯定する。私事で恐縮だが去年仕事を移ったときに前任者の白人(人種では無く、国籍である(白耳義))と少し考えが違って揉めたが、ひょんな事からお互いに大のブルゴーニュ好きだと判って意気投合し、その後はチームの御意見番として共に仕事をしている。仕事ではなく、ワインについては私の方が知識・経験ともに上回るので尊敬の念を勝ち得たようだが。個人的な話はさておき、ワインにはそういう云わばディヴェルトメント、或いは場を盛り上げる小道具である一方、もう少し精神的な意味も或るように思う。熟成されたワインは単に味わいを向上させるだけではなく、より複雑に、更には風格を付けていく。リリースで買えばその間、ワインは持ち主と時間を共にする。私が昨日書いた感覚はリリース時に買って長年熟成させた人にしか判らない。セラーにワインを保管するというのは結果でもあるが実はプロセスである。勿論昨今はじめたワイン通がオークションなどで古いVTを買う事は十分理解できるし、私も時折買っている(私は中途採用と呼んでいるが)。端的に言おう。セラーのワインには思いが詰まっている。私にとっては長年セラーにあったワインを開ける度にその間の出来事が走馬灯のように飛びすぎていく。少し誤解を承知で書くが、私が一般的に(大人数の)ワイン会というのを好まないのは殆どの人がワインを即物的に捉え、先に述べたそのプロセスが判る人が少ないからである。勿論勉強の為にはテーマを決めてワイン会等で飲んで意見を交換するのも大事であるし、愉しまれている方々を否定するつもりは無い。ただ私のセラーにあるブルゴーニュはそういうプロセスの判る人達と分かち合いたいと思っているだけである。VTは84。すっかりシェリーだった
2007/01/14
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ワインを集めることに意義は無いとの前言を覆す訳では無いが自分の持つコレクションが仕事や精進の励みになることも事実である。前にも書いたが私のコレクションにも自分で至宝と思っているワインが何本かあり彼らは毎年価値を高めていくのに対し、自分は毎年怠惰に流されていくように思っている。時々彼らと「対面」して自分を奮い立たせる。さて、ここ数ヶ月携わっていた仕事が一段落する。幸いに上司の上司、更にその上司の受けも良い(私は末端なのである)。So Far, So Good。今日は少し良いワインを飲む。このワインは自分を17年見守ってくれていた戦友である。ワインの状態が良いか悪いかは全くirrelevantである。今月末には次のステップが始まり、段々と忙しくなる。So far so good。私の友人の英人のDefinitionを思い出す。愚かにも飛ぶことが出来ると思った人間がビルの100階から飛び出して「現在の心境は」と聞かれて、50階を落下中に発する言葉。果たして私は飛べるだろうか。ゴールに辿り着く事が出来るだろうか。
2007/01/13
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待っていたワインが届く。近いうちに試してみる予定。勿論普通では入手困難だと思う。
2007/01/06
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さて今年も最後の日になった。年明けに決心したことをもう一度振り返ってみると全くと言って良いほど実行できなかった。仕事を変わったということも一因であるが、主に自分の怠惰であるようにも思われる。フランス語。フランス語を(再々)学習するつもりであったが結局仕事にかまけて余り出来なかった。当然社内検定も受けられず。反面、年後半から始めたタイ・ラオス語は友人に鍛えられた事もありかなり上達した。ただ今は過渡期にあるので急いで話そうとすると咄嗟に頭が切り替えられずラオス語・フランス語・アルバニア語が混じってしまうのが悲しいところである。まだ脳内できちんと整理出来てないのが判る(英語は決して交わらない)。来年は仕事が変わりフランス人・タイ人と接触が増えるので少し本腰を入れて両語を学ばなくてはならない。音楽。春のコンサートは適当に乗り切ったものの、ScriabinのPreludeを1年かけて全曲弾く予定であったのだがこれも10曲終った後で挫折。9月からの長旅が効いている。諏訪さんに言われてもう一度Chopinをきちんと弾く決心が付いたのはある意味で僥倖だったかもしれない。それとFinlandの新しい友人からSiberiusを教えて貰ったのも良かった。ただ来年こそは残りのPreludeを全部弾く。ワイン購入。年間純増50本を越えないという積もりだったのだが終ってみれば多分その10倍とは行かないまでも5倍は越えてしまったように思う。ただ100ユーロを越えるワインは殆ど買っていないのでこれは大丈夫であった。新しい年は基本的にZero Ceilingで行きたいのだが既に10ケース程予約してしまっている・・取り敢えずこれで打ち止めとしたい所である。ワインに関しては昨年古文献(といってもを高々19世紀後半であるが)を収集し読み始めて飲むよりもこちらの方が面白くなってきた。来年は激動の予感がする。ブログでお世話になっている人たちにも会えるであろうか?
2006/12/31
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年末にかけての大掃除では無いがこの時期恒例のセラーの棚卸し。何せ全て記憶に頼っている上に最近は多忙でセラーにあまりかまわないのでどこに何があったかが判らなくなってしまっている。今回はこんなワインを見つけてしまった(後同じ作り手のRSV, CdVもある)。別段大した事は無いが私の大好きな作り手である。保管は悪くない筈であるが、超が付く悪いVTなので既に逝ってしまっているかも知れない。いっそ、開けない方が良いかもしれない。さて、最近ワインに対して私の心情が少し変化しつつある。あくまでもワインは好きなのであるが、端的に言って集める事に関して何かどうでも良くなって来たという感じである。自分のセラーを見つつ、自分が死ぬ迄に飲みきれるか自信が無い。喜ぶのではなく恐ろしくなって来ている。現に夏に自分のCAにあるセラーを一目見て怖くなり封印してしまった。明らかに自分にこのようなワインを飲む資格は無いと感じている。この感覚はかなり飲みつけてしかも集めてはじめて判ると思う。この夏にJayerのコレクションを全て売り払って慈善に当てた友人のCavistの話を書いたが私も段々とその意識が判りはじめている。来年こそは買うワインの量を減らそうと思っているのだがこの時点で既に10ケース以上予約してしまっている・・・因業である。
2006/12/29
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今週はオフィスに戻り自分の乾坤一擲の企画書のプレゼンの準備に追われた。甲斐あってか評価は上々で、お褒めの言葉まで頂いた上に予算まで付けて頂いた。これで大手を振って休暇を取ってオスピスの競売に出かけれると目論んでいたのだが・・・翌日、上司が彼の上司から「この案件を最優先で進めるように」との指示されたことを伝える。何やら上司の上司が自らクライアントと話したいとのことで来月早々上司と一緒にアジアへ飛ぶらしい。その準備にかかるため、ヨーロッパ、そしてアジアへ行くように懇願されてしまった。公か私か一瞬迷うが躊躇無く了承する(勿論06の出来を考えたのは言うまでも無い)。やはりこのプロジェクトには思いが詰まっている。ロマネさんではないが大返しである。来週早々また機上の人にならねばならない。さて、オスピス・・・コネを駆使して折角夜会と競売の入場券を入手したのに・・・ドメーヌとのアポ・・・・どうやって友人に断りの電話を入れるか。週末は悩みそうである。とりあえず今日は良いワインを飲む事にする。
2006/11/11
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仕事が大詰めに入り、更新が遅れている。今度の仕事は乾坤一擲、男子一生に何度も無い機会なので久しぶりに(苦笑)仕事に専念。週末はフィンランド人の友人宅で久しぶりにピアノを弾かしてもらい少し気分転換。シベリウスの曲を弾くよう頼まれソナチネを弾く。後、諏訪氏のコメントに刺激されリヒテルのDVDを観る。来週には一段落し、ヨーロッパに戻りブルゴーニュにも遊びに行くのでワインはそれまでお預け。
2006/10/24
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