2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全8件 (8件中 1-8件目)
1
*遡って、日記を書いています(07/14/04)。-----昨日の夜行バス、後ろに二人組のおばあさんが乗っていて、しきりに話すのであまり眠れなかった。夜行バスはたいてい静かなのに、この二人というか、一人のおばあさん、すごくしゃべる。話し声がちょっとうっとうしく思えた。夜は消灯後わりとすぐに静かになった。私はなんとなく寝付けない。朝4時過ぎくらいから後ろのおばあさんがごそごそし始める。カーテンを開ける。外の明かりが入ってくる。いくら眠っていない私でも、カーテンを開けられると気になる。しばらくすると今度は話し始めた。年寄りの朝は早い…。成田に向かう。成田から東京方面行きの途中で人身事故があったらしい。成田空港で、他の交通手段を使うようにアナウンスが流れていた。昨日の大雨の次は人身事故か。大韓航空で日付変更のため$100払う。アメリカのカードなので、$100チャージしてくれるとありがたいのだが、$100をまず日本円に換算して、その金額をチャージするという。ということは、その金額をまた$に換算したものがチャージされる…。もったいない、いくら手数料を取られることになるのやら。暇なのでいろいろ眺める。その日、シンガポール・エアラインのコンピュータがダウンして、チェックインが大幅に遅れていた。ブリティッシュ・エアウェイズは整備のために3時間ほどフライトが遅れていた。が、挙句の果てにフライトがキャンセルになっていた。人の会話からすると、明日のフライトもいっぱいで、他の航空会社のフライトにも空きはほぼ無いらしい。ロンドンに行くはずが、東京で足止めを一日、あるいはそれ以上余儀なくされるというのは大変だろうに。結構みんな落ち着いているというか、静かだった。飛行機ではいつも通路席をお願いする。行きは隣にゆとりがあったが、今回は真ん中4人がけに4人座って、いっぱいいっぱい。しかも若い男二人組みで、私から遠い方に座っている方は結構にぎやか。昨日のバスでも眠れなかったのに、この状態ではまた眠れない…。行きはCold Mountainの映画が上映された。見ていなかったので丁度良かった。なかなか良かったけど、途中から結末が見えてた。今回は、タイトルは忘れたけどアイスホッケーの映画が上映された。全然見たいとも思わない。その後、50 First Dates、ドリュー・バリモアとアダム・サンダースの出ているコメディが上映された。これはまぁまぁ…そこそこ、かな。夕ご飯はビビンバ。行きの時は魚をもらった。通路を挟んだ二つ隣の席に座っていた女の子は、ビビンバのご飯と野菜等の器を別々のまま、野菜をまるでサラダのごとく食べていた…。反対隣に座っている韓国人夫婦もビビンバを注文していた。思わず観察する。まず野菜にコチジャンをかけてかき混ぜて、真ん中を空ける。ご飯をその真ん中に移す。ご飯と野菜とよ~くかき混ぜて、ようやく食べる、うん、やっぱりそうやって食べるんだよね。---行きの飛行機で韓国人の食べ方を観察していたので、帰りの飛行機で同じようにして食べた。ご飯は半分だけにしておく。隣の白人の男の子二人、ビビンバと聞いて「あぁ、あれすっごいおいしいんだ」と喜んで注文していた。一緒に出ていたあんこ入りの紅白もちも不思議そうにしながらおいしいと言って食べていた。…ついつい会話が耳に入る。「食べ物を持っている」にチェックしていたので、税関(だったと思う)で質問される。持っていたのはオリーブオイル、じゃこ、おにぎり、菓子パン、もみじまんじゅう、七味、ラー油、ゴマドレッシングなどなど。生野菜や肉の加工品は無いよ、あ、魚の加工品はあるけどね、と答える。「その箱は何?」と聞かれた箱には“ひろしまみかん”と書いて宮島の鳥居とみかんの絵がついていた。日本語が読めなくてもみかんの絵はわかっただろう。「これは本なのよ」と説明して、開ける必要が無かった。もちろん実際にみかんが入っていたら、まず成田で止められていたはず。日曜日の昼に成田で飛行機に乗って、日曜日の朝にLAへ着く。なんか変な感じ。LAは日本より涼しい。
2004.06.27
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/14/04)。-----梅雨に入ったと言っても、5月末に一度たくさん雨が降っただけで、先日台風が来た時も、うちのあたりにはあまり雨は降らなかった。なのに。突然、梅雨前線が西日本に停滞している。朝から大雨。今日は午後から広島市内まで電車で出て、東京まで夜行バスに乗り、日曜日に飛行機でアメリカに帰るはずなのに。JRがあちこち運転見送りになっている。昼過ぎでようやく落ち着いたらしく、恐る恐る駅に行く。ダイヤが乱れているものの、動いている。乗客も少ない。後で聞いたが、そのあとに事故があって、また電車が止まっていたらしい。広島駅で時間をつぶす。この前スターバックスでアイス・トール・ラテをローファットミルクで注文したら、ノンファットになって出てきた…。今回は2%ミルクで、と注文したら低脂肪ミルクと復唱していた。なるほど、低脂肪と言えば間違いが無いのか…。駅前の福屋に行く。前回帰国したときにはできていたのだけど、行くのは今回が初めて。母が“なんでも置いてある大きな本屋がある”というので行ってみた。なるほど全フロアが本屋になっていて広い。椎名誠のプロデュースというサインが見えた。観察してみると…本棚近くにテーブルと椅子が備えてある、コーヒー屋が隣接している…これはアメリカの本屋、Barns & NobleやWoldenbooksの真似なんじゃない?ふむ。私の見た限りでは、アメリカの本屋にあるようなカスタマー・デスクとコンピュータで本を探せる、というのは無かったが。あぁ、CD屋さんも隣接してなかったかなぁ…それとも私が見えなかっただけか。
2004.06.26
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/13/04)。----------保険の手続きがいろいろと大変だった。社会保険には疾病手当金と高額療養費が請求できる。生命保険も入院と手術の手当てが支給されるものに入っていた。生命保険は外交員(いわゆる保険のおばちゃん)を通してのものでないので、自分で電話して書類を請求しなくちゃならない。この手続きを生きている間にしていればもっと簡単だったけど、集中治療室で危篤状態の時にそんなお金の事に頭がまわるだろうか?上記のものは父が加入者なので、死亡後はいろいろと余分な書類が必要になった。住民票の除票、本人と家族の戸籍謄本、印鑑証明などなど、会社によって必要な書類が違う。入院だけだったはずが、死亡後は死亡受け取りの保険も請求できることになるわけだけど。高額療養費。これが支給されるのが3ヶ月くらいはかかるので、高額療養費の貸付がある。でも、本人が死亡している場合は貸し付けてもらえない。1ヶ月あまりで300万(自己負担)を越える医療費。困った。代わりと言うとおかしいが、葬祭料が支給される。家のローンに保険を付けていたので、父の死亡後は返済責任が消失する。ただ、この手続きが終わらなければ土地建物と名義書換も出来ない。とりあえず法務局で相続登記に必要な書類のリストをもらう。揃っている書類を見せて何が足りないか、いろいろ教えてもらった。私を相続から外すために家庭裁判所で相続放棄の手続きをする。最初は、私と弟の相続放棄をすると、自動的に母にのみ相続権がいくと聞いてそうするつもりだった。書類を持っていったときに「子供全てが相続放棄をすると、今度はお父さんの兄弟にも相続権が発生して、一番面倒なケースになりますよ」と言われた。この部分は友達が聞いてきた話と異なる。どちらが正しいのだろう?とりあえず言われたとおりする。弟の相続放棄をしない代わりに、今度は法務局に提出する相続協議書を作らなくちゃならない…。葬儀があっても全然悠長になんてしていられない。やることがたくさん。法事の準備もあるし。母を不憫に思う。
2004.06.21
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/13/04)。----------彼から電話。移民局から面接の手紙が来ているらしい。7/1に出頭しなければならない。いろいろ延期する方法もあったと思うけど、書類に追われていたので仕方なく帰ることにした。予定より1週間早いアメリカへの帰国になる。大韓航空に電話して27日のチケットに変えてもらった。追加料金は$100。
2004.06.18
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(7/14/04)。-----木曜日に葬儀が終わったばかりだけど、パスポートの受け取りに行かないといけないので出かけることに。金曜日からいろいろと書類手続きにとりかかる。今までは父は入院している状況だったが、これからは亡くなった人。いろいろ混み入ってくる。病院、法務局、家裁、役場、行くところがたくさんある。母を残して町に出る。いつもは病院に父に会いに行った道。今は死亡後のいろいろの手続きのために歩いている。変な感じ。父は亡くなった。町は何も変わらない。人の生活も父が生きていた時と同じ…ただし、あれが「生きている」と言える状態だったとしての話だけど。私の中で、私の人生の中で大きな出来事があった後も、町は何も変わらない。こういう気持ち、なんていうのだろう…。悲しいというよりは…切ないというか、呆然とさせられるというか…。人生って非情だな、と感じる。母を残して来て良かった。母はまだ外を歩かない方がいい。
2004.06.14
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/13/04)。----------火曜日の午後に亡くなった為に、火曜は仮通夜、水曜が通夜、そして今日がお葬式。お葬式がいざ始まると、火葬が終わるまで数時間。すごくあっけない。仮通夜と通夜があってよかった。お葬式の準備や心の整理などに助かった。いろいろ家族や親戚で話をした。あまり弟と親しい関係を持っていない事を悩んでいた時期もあった。渡米したからと言って急に連絡を取ったりしたら、「両親の面倒を頼むよ」と言っているようでためらわれた。今回のことがあって、弟とも弟の奥さんとも少し話たりした。特に母の面倒を、という事でなくて、普通の話だけど、今から将来ちゃんとした関係を持つことの始まりにできると思う。今までの私は周りを考える事が少なすぎたのかもしれない。久しぶりに母方の親戚とも会うことができた。基本的に父方の親戚はすべて嫌いである。今回もいろいろ汚い部分を見たり聞かされたりした。いろいろと母と昔話をしながら、小さい時にあった出来事を思い出した。あんな嫌なこと、こんな嫌なこと。今回父に立派なお葬式をしてあげることができたし、私はしょせんアメリカ住まい、これで父方の親戚とは縁を切ってもいいな、と思った。
2004.06.10
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/13/04)。----------人間ってほんとうにもろいんだなぁと思った。同時に、医学の恐ろしさも感じた。さっきまで息があった人が、みるみる内に弱っていき、息が止まる。とはいえ、心臓が動いていただけで、顔は数日前からすでに死人に等しかったけれど。よくがんばったね、よかったね楽になれたね、と声をかけた。
2004.06.08
コメント(0)
*遡って、日記を書いています(07/13/04)。----------数日前に個室に変わった。集中治療室の中でも隔離している部屋。理由はニオイがあまりにもきついから。どんどん壊死しているはずだけど、医者は何も言わなかった。すっかり痩せこけて、恐ろしい顔になってきている。息をしているのが不思議。面会中に急に呼び出される。CTを昨夜取ったらしい。大脳皮質からじんわりと腐ってきている、という。もう一度手術をして壊死した臓器も切り取らなければならない。しかし。手術をすればもうしばらく生かして置かせるという。胃も切った。小腸も切った。大腸も切った。膵臓も取り出した。人口肛門が4つ。腎臓ももう機能していない。臓器も脳もゆっくりと確実に腐ってきている。骨と皮だけ。そんな体に何が「生」と言えるのだろう?延命治療は拷問に等しいと思った。こんな体で生かして置かせるというのは医者のエゴと家族のわがまま以外の何というのだろう?月曜日に外科病棟に移る。移り次第、延命治療は終わり。
2004.06.05
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1

![]()
