16.ザ・スパイダース



ザ・スパイダース


あの時君は若かった

ブルー・コメッツと並びGS界の2大老舗バンド。

'43年、スウィング・ウエストを脱退した田辺昭知が結成したイントス中心のバンド。

'44年、スチール・ギターの大野克夫を加え、井上孝之(現在は尭之)、浅見 裕、小林隆美のボーカル・グループのスリー・ジェットを専属にしたり、当時まだ高校生だった堺 正章をボーカルに起用していた。

'64年、海外のポップスの影響を受け、井上 順を新たにスカウトする。

アストロノウツ、ベンチャーズの日本公演のオープニング・アクトを務め、'65年5月にクラウンより「フリフリ」(国内オリジナル・ロックの記念すべき第一弾作品)でレコード・デビューする。ジャケットには撮影当日遅刻?した、かまやつひろしが写っていない貴重なジャケットである。

'66年、フィリップスに移籍し「ノー・ノー・ボーイ」をリリースする。

メンバーは、田辺昭知(Ds)、かまやつひろし(O後にSg)、井上孝之(Lg)、大野克夫(スチールギター後にオルガン)、加藤 充(Bg)、堺 正章(Vo)、井上 順(Vo)の7人。初めての試みのツイン・ボーカルグループだった。

スパイダースは、その音楽性、エンターティナー性、演奏テクニックのどれをとっても他のグループを圧倒していたGSの王者だった。
それゆえ、GS界の中でも一番映画出演(10本近く)が多いバンドとしても知られている。

'68年、結成7周年を記念して10月に、全曲オリジナルのLP盤「明治百年 すぱいだーす七年」(GSの名盤中の名盤)をリリースするも、一世を風靡したGS人気にも暗雲(数百のバンドが乱立し飽和状態になりファンが飽きてきた)がたちこめ、破竹の勢いだったスパイダースも'69年にはチャートから見放され失速寸前。

'70年5月、リーダーの田辺昭知が社長業に専念するに際し、ドラマーを引退。後任には、バンド・ボーイの前田富雄を抜擢。
この年から、メンバー個々のソロ活動が続き解散へのプロローグが始まり、12月に解散を正式に決定。

惜しまれつつ'71年1月のウエスタン・カーニバルの後に解散した。

スパイダースがデビューから解散まで発売した、シングル・レコードは次の23枚。

「フリフリ/モンキー・ダンス」'65年5月10日発売、「超天楽ゴー・ゴー/トワイライト・ゾーン」'65年11月15日発売、「ノー・ノー・ボーイ/リトル・ロビー」'66年2月1日発売、「青春アゴーゴー/クライ・アンド・クライ」'66年3月10日発売、「ヘイ・ボーイ/ミシェル」'66年4月15日発売、「サマー・ガール/なればいい」'66年7月1日発売、「夕陽が泣いている/チビのジュリー」'66年9月15日発売、「なんとなくなんとなく/ブー・ブーン」'66年12月25日発売、「太陽の翼/空の広場」'67年3月1日発売、「バラ・バラ/ダンス天国」'67年4月20日発売、「「風が泣いている/君にあげよう」'67年7月15日発売、「あの虹をつかもう/恋のドクター」'67年8月25日発売、「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」'67年10月25日発売、「あの時君は若かった/もう一度もう一度」'68年3月5日発売、「真珠の涙/赤いドレスの女の子」'68年6月5日発売、「黒ゆりの詩/ロックンロール・ボーイ」'68年9月5日発売、「ガラスの聖女/風はいい奴」'68年11月25日発売、「涙の日曜日/赤いリンゴ」'69年4月5日発売、「夜明けの二人/コケコッコー」'69年8月25日発売、「ふたりは今/友を呼ぶ歌」'70年1月25日発売、「エレクトリックおばあちゃん/いつわりの恋」'70年9月25日発売、「明日を祈る/なんでこんなに」'70年4月5日発売、「人生はそんなくり返し/本気で君だけを」'70年4月5日発売

ザ・スパイダース レコード・ジャケット集
'07年10月21日現在



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