22.グループ・サウンズ(GS)VOL:4

グループ・サウンズ(GS)VOL:4



ザ・シャープ・フォークス


シャープ・フォークス

歌って踊れる異色のボーカル・グループ(ウエストサイド物語の影響を受けて結成)。

紀本ヨシオのバック・コーラスとして、活動を行っていたがメンバー・チェンジの末に'66年9月1日にキングより「ついておいで/キュン!キュン!キュン!」でレコードデビューする。

メンバーは、安岡力也、野沢裕司、鈴木忠夫、小山真佐夫の4人。その後、小山真佐夫が'67年に脱退して、ジミー・レノンが加入する。

シャープ・フォークスは、GSの中で唯一自分達で演奏するグループではなく、バック・ハンドには井上宗孝とシャープ・ファイブを従えて活動した。
しかし、シャープ・ファイブが'67年12月にコロンビアに移籍したため、シャープ・フォークス自らが、楽器を持って演奏するスタイルに(急造で行った為、演奏自体は無茶苦茶)変わる。

楽器を持ってからのメンバーは、安岡力也(Vo)、野沢裕司(DS)、鈴木忠夫(Sg)、ジミー・レノン(Vo)、三島哲也(Lg)、秋月克衛(Bg)の6人

'69年2月に解散する。

"シャープ・フォークス"はデビューから解散までに、次の8枚のシングル・レコードを発売した。

「ついておいで/キュン!キュン!キュン!」'66年9月1日発売、「遠い渚/いつものところで」'66年12月1日発売、「若い夜/愛の土曜日」'67年4月1日発売、「海へかえろう/星のカーニバル」'67年8月1日発売、「レット・ミー・ゴー/ロンリー・ラヴ」'67年12月20日発売、「オーケイ!/テル・ミー」'68年1月20日発売、「ジーザス!/スオミの乙女」'68年8月1日発売、「この胸に十字架を/愛の砂丘」'69年4月1日発売(「ついておいで」から「遠い渚」までキングより、以後、セブンシーズより)

解散後、安岡を中心に安岡力也とシャープ・フォークスを結成したが、成功しなかった。


ザ・ジェノバ


ジェノバ サハリンの灯は消えず

北原じゅん(作曲家)の師弟たちがエレキ・ブームに便乗するために'67年10月に結成したバンド。

メンバーは、岩本まさる(Lg)、佐々木章二(Sg)、山本吉明(Bg)、金原まもる(O)、西田憲夫(Ds)の5人。岩本まさるが脱退後、上田健一が加入する。

結成直後は、水戸浩二(歌手)のバック・バンドで演奏する。

'68年2月10日クラウンから「サハリンの灯は消えず/ダイヤの涙」でレコード・デビューする。シベリアをテーマにした曲が多い。

シベリア三部作と呼ばれた一連のシベリア楽曲もので有名なバンドで、GS界のダーク・ダックスとも呼ばれていた。

"ジェノバ"はデビューから解散までに、次の4枚のシングル・レコードを発売した。

「サハリンの灯は消えず/ダイヤの涙」'68年2月10日発売、「いとしいドーチカ/別れた湖」'68年5月1日発売、「さよならサハリン/想い出のムーンストーン」'68年7月1日発売、「帰り道は遠かった/夢」'68年11月発売
(「サハリンの灯は消えず」から「さよならサハリン」まではクラウンより、「帰り道は遠かった」のみコンンビアより)


ザ・ブルー・インパルス


ブルー・インパルス 太陽の剣

"ブルー・インパルス"の前身は、"ダックス"という名のバンドで主に都心のジャズ喫茶を拠点に活動していた。

RCAの日本人第一号としてレコード・デビューする。業界への発表はヒルトン・ホテル(現、キャピタル東急)の会場で行われた。

メンバーは、湯浅寿明(Lg)、萩谷 清(Sg)、矢口 隆(Bg)、大越反二(Ds)、長谷幸也(Vo)の5人。

"ブルー・インパルス"の名前は、東京オリンピックで有名になった、自衛隊のアクロバット飛行チームから取った。

"ブルー・インパルス"はデビュー前に、"ポニーズ"と共に"ザ・モンキーズ"の日本公演のサポート・バンドを務める。

そして、'68年10月にRCAから「太陽の剣/夜明けに消えた恋」でレコード・デビューする。
その後、レコード会社のRCAはムード歌謡曲・演歌路線に戦略を変更する。

第二弾の「メランコリー東京/小さな恋人」はムード歌謡路線の曲になってしまった。
RCAは、藤 圭子、クルール・ファイブなどのヒットにより、GSの衰退時期でもあったことからあっさり"ブルー・インパルス"から手を引いてしまい、'70年5月で解散する。

"ブルー・インパルス"はデビューから解散までに、次の3枚のシングル・レコードを発売した。

「太陽の剣/夜明けに消えた恋」'68年10月発売、「メランコリー東京/小さな恋人」'69年3月発売、「苦しみのロック/別れの朝」'70年4月発売
(全て、RCAより)


ザ・レオ・ビーツ


レオビーツ 貴族の恋

"レオ・ビーツ"の前身は、'66年に結成された"ロス・カンターノス"と云うラテン系のバンドで福岡を拠点に活動していた。
噂を聞きつけた、渡辺プロがスカウトしてプロとして契約する。
バンド名は西鉄ライオンズ(現:西武ライオンズ)からとり"レオ・ビーツ"と改める。

メンバーは、里見 洋(Pk)、古雅 修(Lg)、中村伸次(Bg)、西 信行(O)、中野健二(Ds)、東 信行(Vo)の6人。

'67年11月10日セブンシーズより「霧の中のマリアンヌ/恋に生きる」でレコードデビュする。
演奏技術はアマチア時代より高かったので、渡辺プロ専属の歌手のバック・バンドを務める。
GS界の衰退に伴い、'68年にはムード・コーラス・グループに転換を図りレコードを発売するがヒットはしなかった。

その後、女性3人(何れもVoで、マーガレット・スー、中村知子、吉沼満子)をメンバーに加え、バンド名を"ルートナンバーワン"に改名し'70年2月20日セブンシーズから「恋の手ほどき/君はわが胸に」を発売する。

更にその後ワナーに移籍し、バンド名を"里見 洋と一番星"と変更した。

メンバーは、里見 洋(Pk)、古賀 修(Eg)、中野健二(Bg)、土屋 守(O)、東 信行(Ds)、絵川たかし(Vo)の6人。

'71年6月に「新盛り場ブルース/慕情~天草の女~」を発売する。

"レオ・ビーツ"はデビューから解散までに、次の4枚のシングル・レコードを発売した。

「霧の中のマリアンヌ/恋に生きる」'67年11月10日発売、「貴族の恋/あなたの面影」'68年3月10日発売、「別れの歌/哀愁のシルバーレイン」'68年8月20日発売、「君に幸せを/許しておくれ」'69年2月1日発売(全て、セブンシーズより)

"ルートナンバーワン"としては、次の3枚のシングル・レコードを発売した。

「恋の手ほどき/君はわが胸に」'70年2月20日発売、「大学唄い込み/大学ノート・サンバ」'70年6月1日発売、「恋の246/愛の世界に旅立つ二人」'70年7月1日発売(全て、セブンシーズより)




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