112.ザ・ヴィレッジ・シンガーズ



ザ・ヴィレッジ・シンガーズ


バラ色の雲


ザ・ヴィレッジ・シンガーズ


バンドの原点は、小松 久、南里孝夫、森 おさむ、山岩爽子で結成されていたフォーク・トレッカーズである。

南里孝夫は、ニュー・フォーク・シンガーズ、山岩爽子は、PPMフロワーズ(小室 等が在籍)に移籍しフォーク・トレッカーズは、'65年末に解散に。
が、ニュー・フォーク・シンガーズは、直に解散。
再び、南里孝夫は小松 久、森 おさむの3人で活動を開始。
※寺本圭一が経営するスナック・バンで演奏を。

'66年6月にホリプロと契約を結び、新たに林 ゆたか(Ds)と古関正裕(O)を加え、バンド名をヴィレッジ・シンガーズと変えて活動を行う。
バンド名の由来は、フォークのメッカのグリニッチ・ヴィレッジから。
※古関正裕はデビュー前に脱退。

'66年10月にCBSコロンビアから「暗い砂浜/ブルー・ロビン」でレコード・デビューする。
※CBSコロンビアの前に東芝音楽工業へ音源を持ち込んだが、断られた。
話は、余談だが、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズは当初CBSコロンビアに音源を持ち込んだが断られ、東芝音楽工業へ

その後、南里孝夫と森 おさむが学業優先を理由に脱退。
小松 久のメンバー探しの旅が始まる。
先ずは古関正裕の後釜として、フォー・ビースムが解散になり遊んでいた成蹊大学の小池哲夫
次に森 おさむの後任として、明治大学を卒業後就職浪人をしていた笹井一臣
最後に、バンドの中核をなすボーカリスト探し、小松 久の母校の成城大学の軽音楽部でマージャンに明け暮れていた清水道夫
メンバーは、小松 久(Lg)、林 ゆたか(Ds)、清水道夫(Sg)、小池哲夫(O)、笹井一臣(Bg)の5人。
'69年に、笹井一臣が脱退し角田英冶が参加

新メンバーが加入してグループを再編成して、CBSコロンビアから'67年8月「バラ色の雲/輝く星」をリリースする。
ヴィレッジ・シンガーズは、GS界の貴公子と呼ばれていた。
'68年にCBSコロンビアからCBSソニーにレコード会社を移籍。
70年代に入り、音楽シーンはムード・コーラスが主流になり転換するも全くヒットにならず、'71年6月で解散。

ヴィレッジ・シンガーズはデビューから解散までに、次の16枚のシングル・レコードをリリースした。

「暗い砂浜/ブルー・ロビン」'66年10月 日発売、「君を求めて/想い出はぼくの胸に」'67年2月 日発売、「バラ色の雲/輝く星」'67年8月1日発売、「好きだから/風の中の瞳」'67年11月10日発売、「亜麻色の髪の乙女/瞳をとじて」'68年2月25日発売、「虹の中のレモン/思い出の指輪」'68年4月21日発売、「星が降るまで/森の中の少女」'68年8月25日発売、「落葉とくちづけ/しあわせ色の瞳」'68年11月10日発売、「雨の中の恋/さらば恋人」'69年2月5日発売、「泣きながら恋をした頃/かえっておいで」'68年3月21日発売、「裸足の恋/なぎさは遠かった」'69年8月 日発売、「X'masなんて来てほしくない/口紅とレモンと10円」'69年11月発売、「悲しい星空/ひとりでいたから」'70年3月発売、「六本木の雨の中で/夜明けの哀愁」'70年6月 日発売、「ノーチェ・デ渋谷/モナ・リザの街」'70年9月 日発売、「ここより永遠に/愛の翼」




ザ・ヴィレッジ・シンガーズ レコード・ジャケット集





'07年11月10日現在



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