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神頼みな毎日
ギラギラ春詩人は唄えない
サクラ吹雪。舞い落ちれ、舞い落ちれ。
青空に、桃色映える。命の春に、散りゆく花色。
青空はどこまでも高く、高すぎて寂しくなる。
晴れ渡る空に、何もかもが吸い込まれそうで、そしてサクラの花びらが風に舞う。
木の下に、サクラ吹雪の下に、私はただ一人でじっと佇む。サクラ吹雪と言っても、吹雪ではない。サクラ吹雪と言ってもサクラなのに、しかし身は寒く、心が寒い。心に積もる豪雪を、溶かしてくれる人は来ず。待ち人、来ず。
「さくら、そら、たいよう……わたし」
単語から唄い出す。しかし、すぐに躓いた。周りの綺麗な景色は決して私を助けてはくけない。
唄えないのは、自分を見失ってしまったから。
どこにも居ない自分が気がかりで、とにかく不安で仕方ない。
他人ばかり真似ていた私。夢中で真似ていた私。夢中すぎて見失った私。
私は小さく息をして、そっと口を開く。けれど言葉出ず。唄は出ず。いつからこうなり私は唄えなくなった? いつまでこうしている?
私は詩人でありながら、詩のできない役立たず。
消えてしまえ、消えてしまえ。この散るサクラのように、せめて最後は儚く消えて。二度と私を現さないで。
この体がサクラと化して空に舞えば、そして空から辺りを見回せば、私は私を見つけられるだろうか。
連れ去って、どこにでも。どこでも連れてって。私は私を探さなければならない。
それでも青い空も力強い足元の緑も、そしてサクラの桃色も。決して私を消してはくれない。
詩唄う人たち。あの人たちに憧れて、今まで唄を唄ってきたけれど、
「気付いてしまった」
唄とは自分。真似ではいけぬ。けれど自分は真似てきた。
自分を見れぬ。気付けど遅し、自分の唄は戻ってこない。
アコガレ真似て、自分が見えず、唄えなくなり真似ることもできなくなった。もう自分には何も残されていない。
「私の唄はどこにいる、憧れのあの人たちではない私はどこにいる」
探せど探せど見えてこず。唄えず、うろたえ、嘆き泣く。
探して探して私はいない。捜し歩いて、自分がどこにいるのか分からない。もう元には戻れない。
私は今日も、サクラ下。涙を流して、待ち焦がれる。
きて、戻ってきて。私の元に。私よ、戻ってきて。そして唄わせて、もう誰でもない、私の詩を。
「失礼。お嬢さん」
声。風吹く丘、サクラの下。私以外の声が現れた。
振り返ると男の方が居た。背の高い、なかなかの美男子。
風に吹かれて、その短い黒髪が踊っていた。
「何用ですか」
「いえ、私は絵が描きたいのです」
脇に抱えたキャンパス。手に掴んだ筆。そして絵の具の匂い。
色で汚れた服に、無精ひげ。
彼は絵描きなのか。
彼はサクラを見上げ、その向こうの空を見上げ、太陽を、雲を見上げて息を呑む。そして私を見つめて、
「しかし見事なサクラの横に、さめざめと泣く美女。風流です。実に綺麗です」
そう言われて私は慌てて頬を伝う涙を拭う。顔が火照る。
「サクラ吹雪の和服に、美女。そしてサクラ吹雪。青空、太陽」
ぽつりぽつりと呟いて、やがて男は唄い出す。
サクラ吹雪に身を溶かし、
その美麗に身を溶かし、
なにかに溶けて、溶け込んで、
美しさの中に隠れて、溶け込んで、
それでも貴方は美しい。サクラの中で、輝く貴方。
貴方は隠れられない。
貴方の涙を描きたい。
貴方を照らす光を描きたい。
ああ、でも惜しい。私には、その景色を描けない。
私が書けば、きっと少しだけ輝きが変わってしまうから。
できるなら、触れずにその光を見ていたい。
きっと紙には写せないから。
貴方の美しさは、写せない。
彼の唄った唄は、決して上手いものではないけれど、それでも私は聞き入った。
彼が唄った小さな唄は、唄と言うには幼くて、唄と言うには率直過ぎて。
羨ましい。
「貴方は唄が下手」
私は言う。しかし本心は違う。本当に下手だけど、けれど違う。
「私は詩人ではありませんから。私は絵描きですから」
照れたように、頭をかく。そして言った。
「貴方は詩人なのですか? 唄ってくださいますか?」
「私は……」
私は唄えない詩人。唄えないのに詩人とは、またおかしいことだ。
私はもう、詩人でも、なんでもない。
「詩人では……ありませぬ」
「そうですか……」
彼は残念そうに呟いた。
丘の上に咲いた一本のサクラの木。
一陣の風が散りゆくサクラを連れて吹き抜けた。
彼、それを見上げてその場に腰を下ろし、おもむろにポケットから絵の具を取り出した。
「何してる?」
私が聞けば、
「絵を描きます」
そう言う。
絵の具を自分の手のひらに垂らし、地べたにキャンパス広げ、筆掴む。
その動きには、不思議な空気を感じた。
物を作る者だけが、纏う不思議な力。
「貴方。今描けないと言ったでないの」
「描けないかもしれない。でも描きたい。それだけです」
羨ましい。
「描きたいから……描く」
「そうです。そして貴方は、そこに立っていてくれるとありがたい」
そう言うと彼は荒々しく、手に降り立った色を筆で掬い取り、それを白い世界に落とす。
彼の手がしなる。
赤が燃え、
白と混じり、
黄色が降り立ち赤で出会い、
僅かに黒が現れて、
どこからか桃色が生まれ、
そして輝く。
「見事。見事です。しかし貴方の描きたいと言った涙は、もう私は流していない」
「拭ってしまいましたからな」
彼は軽く笑って、しかしその眼差しは自分の世界から離れない。
その様が羨ましい。羨ましくてたまらない。
「しかし涙が消えてもかまいません。私の中に残ってます。強く強く残ってます」
「しかし貴方は何故写すのですか」
私は聞いた。なぜなら彼はそう唄ったから。彼は写せないと唄ったから。
――その景色を描けない。
――きっと紙には写せない。
何故か、何故か。何故貴方は描こうとするのか。
「輝き写せずとも、それでも描きたく思う。自然であり、とても辛いことです」
男の手は止まらない。世界を紡ぎ続ける彼の目の輝きは止まらない。
楽しそうで、希望に溢れた瞳。しかしその奥には微かに失望の暗い光がちらついていた。力強く動く彼の腕が少しだけ、時折少しだけ揺れる。
描くというのは辛い。そして、唄うというのは辛い。
「辛いのに何故するのか」
「輝きを見れば、手に入れたい。光を見れば描きたい。それがたとえ完璧でなくても、自分の腕の未熟さに負けようとも」
一心不乱。無我夢中。
世界を描き、色を作り、
命を紡ぎ、景色を写す。
その流れに、彼は魅了されていた。
たとえその景色を完璧に写せなくとも、
たとえその輝きが汚れてしまおうとも、
彼がそれを止めることはないのだろう。
羨ましい、私は彼が羨ましい。
ただ唄いたいから、唄う。
詩人として、唄うことすら許されない。輝きを奪ってしまうのが怖い。
そして、自分の輝きが見えなくて、怖い。
「そして描かれた世界には、いつの間にか自分がいるのです」
「自分が?」
「輝く世界に自分が写るのです」
このサクラ吹雪の中に、彼は自分を写すのか。
太陽や青空や、そして私を描く中で、彼は自分を見つけて描くのか。
写した中に自分が生きる? では私が今まで唄ってきたものの中に、自分は居ただろうか。
居たのかもしれない。けれど、でも……。
「物を作るとは、そういうものです」
サクラちらちら、風そよそよ。
「どこにも自分がいないなんて、ありえないのです。ただの写し絵でも、どこかに自分が隠れているのです」
私はそっと樹に寄りかかり、大きく息を吐いた。
「ねぇ絵描きさん、唄ってくださいましたね。サクラに溶け込んでいる桃色もも、輝いているものがあると」
「ええ」
「そんなものはあるのでしょうか」
消え去りそうな声がでて、彼は初めて絵から目を離した。
私をじっと見つめて、そして優しく笑ってくれた。
私は羨ましい。彼は自分を強く見つめていて、強く強く自分を創っている。
私は彼が羨ましい。私にもできるだろうか。私にも、私を見つけられるだろうか。
「私……サクラの中にいたの。でも、私は……輝けるでしょうか。サクラの中で」
「ええ、もちろん。貴方は輝いてます」
風が吹いた。
「ねぇ、詩人さん」
強い風が吹いた。
「唄ってください。僕は描きます」
風がサクラを。そして私のサクラ吹雪を天へと吹き飛ばす。
「下手でも……かまいませんか。私の詩でも、かまいませんか」
「かまいません。貴方をみせてください。今までの貴方を見せてください」
「……分かりました」
真に真似ることができないように、
自分を見失うなんて、ありえない。
いつでもどこかに私がいる。
「唄う前に、一ついいですか。何故、私が詩人だと?」
「……泣いていたからです」
私は樹から離れて、ステップ。
サクラの下から青空の下へ。
私の桃色の着物が、青に映える。
微笑んだ彼。
私は微笑み返して、
そっと唄を紡ぐ。
唄いたくてたまらなかった自分を、
どこかに息を潜めている自分を、
連れ出してサクラの下で踊る。
「素晴らしい。また、描きたくなってきました」
「私は、唄いたい。自分を、唄いたい」
――唄え、唄え。
なんで隠れてるんだ。
真似でも自分を隠すな。
見えなくなるなんてありえないけど、見なくなってしまうことはある。
決して目を離さないで。
遠くに居ても、
隠れていても、
誰かになりきっていても、
自分を殺しても、
いつでも目を離さないでいてあげて。
気付けば私は、涙を流していた。頬を伝って次から次へと、いくらでも涙が出てくる。
水の粒は輝いているのだろうか。その輝きを彼は必死に絵に閉じ込めようともがくのか。
ならば私だって、詩に輝き、閉じ込めてみせる。
そこに自分を表しながら、
輝きを閉じ込めながら、
誰にも負けない輝きへと、紡ぎあげてやる!
「負けませんよ」
「私だって、負けません」
笑う。笑う。
泣きながら、描きながら、唄いながら、笑う。
笑って笑って、とにかく創る。楽しんで、苦しんで、とにかく創る。
サクラの花びら空に舞う。
二人で見上げて青空に、
白い雲から太陽へ、
光へ桃色飛び渡せ、
水煌き、木の下で、
皆、笑って。
「春、ですね」
「春です」
サクラの下で、唄詠え!
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