◆韓国ごはん◆ 0
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最近マイナス思考に陥りつつあるので脱出するためによかったね~な話題を。新しい家族を迎えることになった方たちのお話...その1同じアパートのAオンマ。久しぶりに会って立ち話してたら何と妊娠6ヶ月だって!!来年5月に出産予定らしい。わあ、ほんと?おめでとう!!えっ?ちょっとまって、娘たちといくつ違いになるのよ?(彼女には中3、中1の2人の娘がいる。)「老産(ノサン=年をとって妊娠出産すること)よ、老産!」私よりも4つか5つ上だからね。体きつくない?と聞いたら「体よりお酒飲めないのと遊びまわれないのがつらい...」とのこと彼女にはコンジュと同い年の息子がいたんだけど年中さんのときだったかな、へびにかまれて亡くなってしまった。嫁ぎ先から息子を息子をと言われて産んだ子だったのに。とっちを見るたび自分の息子と重ねてみてたんじゃないかな。背が高くなったね、お父さんと似てきたねetc...いつもとっちを気にかけてくれる。悲しみを乗り越えて新しい家族を迎えることになってよかった。ほんとによかったね。その2中国語モイム(集まり)のKオンニ。娘さん結婚!数年前から娘がお年頃になったのに結婚相手がいないとお見合い相手を探していたところ教会で知り合った男性がいるがその男性が孤児なのでどうしようかと言っていたのが今年の頭。敬虔なクリスチャンのKオンニ娘も気に入っているし両親のいないかわいそうな彼と家族になるのは神様のおぼしめしと結婚を決めたらしい。Kオンニは来年から医師であるだんなさんとバングラデシュに宣教&医療ボランティアに行くのでその前に娘を結婚させてから、というのがかなった形。新しい家族を迎えてこれからまたより多くの人の助けになる決意をしたKオンニと新しい家庭を築いていくKオンニの娘さん夫婦の前途を祝して。
2010.12.04
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ここでは第三子からの特典として保育施設に入れると20万ウォンの補助金がでる。我が家の末っ子ふしぎ1歳3ヶ月。現在私の仕事は午前中だけ週3日。義母にみてもらってもいいのだけれど月に1,2週間はソウルの義姉や義父のところに滞在。パパも午前中は家にいるのでみてもらってもいいのだけれど夜遅くまで働いて朝は10時11時まで寝ているのが常。私も24時間子供と一緒にいて常に正気でいられるような性格ではないしこれから徐々に活動時間を増やしたいと思っているしふしぎには集団生活にも慣れてほしい。受けれる恩恵は受けときたい^^上2人は大きいのでふしぎには同世代と遊ぶ機会もあっていいと思う。1日中預けるわけでもないし、一緒にいる時間はたっぷりべったり。というような理由でふしぎにはオリニチプ(託児所)に行ってもらっている。徐々に慣れてもらおうと今のところ9時から1時まで週3回。オンマと別れるときは泣いても中に入るとすぐに泣き止むそうで楽しく遊んでごはんももりもり食べていろんな刺激を受けている様子。帰ってくると激しく甘えっ子ちゃんになるけれどそれも仕方ない。私も預けてるほうが気が楽だし、離れていた時間があるからこそ迎えに来た私に満面の笑みででてくるふしぎが一層かわいいと思える。ふしぎを迎えに行って家に上がるときエレベーターの中で一緒になった見知らぬおばちゃんがオリニチプのかばんを見て「まだこんな小さいのにオリニチプ送ってるの!? このくらいのときはお母さんと一緒にいなくちゃ」とか言うのでその場では適当に「ネ~(はい)」と言っておいたけど家に帰ってから余計なお世話だ、うちの状況も知らずに何をおっしゃるとムカムカしてきた。でもやっぱり落ち着いて考えてみるとそんなんでも声をかけてもらえるってことだけでもまだ救われてるのかなあ。先日日本に行ったとき日本ってとこは結構子連れには優しくないところだなあという感じを受けた。電車の中でベビーカーに荷物も抱えて11キロ強の子供抱いて2,30分立っていても席を譲ってもらえたのは降りる駅が近くなったころだった。子供がぐずっても誰も見ぬふり聞かぬふり。とにかく公共の場所では子供をおとなしくさせることにかなりの労力を使わないといけない。(まあ、短期間の滞在だったし、都会に行ったので そう感じただけなのかもしれないが...)最近子供を虐待したりするニュースが後を絶たないが子育て中のお母さんたちが追い詰められるのがちょっとわかるような気がした...その点ここでは子連れで外に出れば必ず誰かに声をかけられるし(それが余計なお世話的発言であっても)お菓子やらをくれて子供の気を紛らわせてくれる人がいたり食堂などで空いた時間だったりすると手の空いてる従業員がだっこしたり遊んでくれてたりする。もちろん赤ちゃんの肌がちょっとでもでてたりすると「寒そう」だとか「靴下はかせなきゃ」とか日本式に薄着させてると「こんな薄着させて!風ひくよ」だとかちょっとでも皮膚が赤くなっていようものなら「アトピーでしょ、アトピーには○○がいいのよ」とかほんとに余計なお世話なおばちゃんたちが多いのは確かだが「そんなことも知らないようだから教えてやろう」「子供がかわいそうだ」という韓国人的親切心からくるものでそれがそのまま口をついてでてくるものなので仕方がない。無関心と過干渉、どちらもつらいけれど干渉されるほうがまだましなのかもしれない...と思ったのでした。
2010.08.18
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念願かなって韓国でギターコンクールに出場しました。学歴、留学歴、受賞歴、資格が大変重要視されるこの国でそして↓のようなギタープロフィールを手に入れました。韓国ギター協会主催第26回全国ギターコンクールアマチュア部門 1位なし3位全国大会で3位です。1位なしだったので実質2位ですね。すご~いと思われるのはまだ早いです^^いちおう申し上げておきますがあくまでもこれは「プロフィール用」です。そしてここは韓国ということをお忘れなく...少々の翻訳(かなりの意訳)が必要です。ふたを開けてみると... アマチュア部門出場者7名.. 全国コンクールで、予選もなし.. アマチュア部門の賞は 最優秀賞、優秀賞、奨励賞でした。 今回、最優秀賞は該当者なし、優秀賞2人、奨励賞3人.. →ってことは7人のうち5人は賞がもらえたという.. もらえない確率のほうが低いってこと ということで正式な受賞歴は韓国ギター協会主催第26回全国ギターコンクールアマチュア部門 奨励賞でした。長いブランクがあったのに賞がもらえるなんてラッキーでした。かなり期待をしていたらしいわが師匠にはショックな結果だったようで...賞状と賞品の折りたたみ式吸盤付ギターレスト。こんな使わないものくれてもねえ..(どうせなら弦が欲しかった...)でもさ上から数えたら3番目だから3位でしょ?しかも一番上の賞は該当者いなかったわけだし。プロフィールに書くときは「1位なし3位」って書くんだよとジェントルマンなテノールのお声でにこやかに教えてくださったのは以前ギター協会の副会長をされていたというバーバリー紳士。注)バーバリーメンではないそういうふうにコンクール受賞歴は意訳するんですね。へえ~大変ためになりました。とりあえずそのワザ韓国内でだけ使用させていただくことにします。この国では学歴詐称は日常茶飯事ですがね。ま、普通は誰もいちいち確認したりしませんから。少し前にかなり問題になりましたが..留学は特に疑ってかからないといけませんね。アメリカ○○大学××コース終了とかいって実は1,2週間いただけだったり単位取得だけだったり聴講生だったりしても「卒業」になってたり...それならまだいいほうで受験しただけとか出入りしてただけだったのに「卒業」したことになってた芸能人もいましたね。だいたい8年ものブランクがあって再開したギターなのにコンクールまでの練習期間は7ヶ月で(そんなんで出場しようというのもなめすぎ?)しかも本番で実は楽譜通りに弾いてなかったし、調弦も合ってなかったのに(控え室もチューニング室もなくうるさいロビーが待機場所だった...)賞をとれちゃうような全国コンクールなんてあやしいじゃないですか?これは日本でいうとギター教室の発表会レベルです。でもそんなことはいわなきゃわかんないからねーってしっかりここで暴露してるけど...コンクール参加費とソウル往復の交通費でプロフィールを手に入れたも同然の今回のコンクール。受賞よりは知り合いを通じて知り合った多方面の芸術家の方々との出会いが心に残った日でした。知らなくてもいい韓国語講座バーバリーメン :コートの中は何も着ていなくて 女子校などに現われては前をはだけてみせる変態男。
2007.11.21
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怒涛の3泊4日、日本行きから帰ってまいりました。なんだかんだ、しっちゃかめっちゃか、ごたごた、がちゃがちゃ最後の最後までいろいろあって帰って早々団長は頭を冷やしににこもりに行ってしまいました...私も南の島かどこかでひとりでぼーーーっとしていたいところですが、主婦にはかなわぬ夢...不請客は私が帰ってきてもご滞在でやっと昨日義姉家族がひきとりにきてくださいましたほっとしたのもつかの間、今日はパパのお友達の子がご滞在中ですが...こういう運命なんでしょう。私が一人っ子でさみしく育ったので常ににぎやかであるようにとしてくれているんですね。きっとそうなんです(と無理矢理そう言い聞かせる...)------------------------------------------------------私は自分の子に対して冷めすぎているのだろうか。子供たちを置いて日本に出かけていっても特に心配はしない。お義母さんを信じて任せてあるんだし、子供たちも母親が不在でも特におばあちゃんを困らせたりすることはないらしいし、かえって声を聞かせて母親を思い出させたりするよりは..と思ってちょくちょく電話をするようなこともしない。しかし義姉はわが子への愛に満ち溢れいつどこで何をして何を食べているか常に気になるのだろう。1日に何度もがかかってくる。こっちが食事の準備をしていたり片づけをしていたり、子供たちをお風呂に入れていたり忙しいときに限って電話してきてくれる。(話すのも面倒なので子供たちにとらせる)自分たちは下の子も他の親戚の家に送り2人新婚気分でいるのだから気楽なものだ。義姉の子Jはなかなか口が達者だ。そしてことあるごとに母親に電話をしては何をしたとか誰がなんと言っただとか逐一報告している。ある日のこと暑いし体力も消耗してるしちょっと奮発して家で焼肉をして食べようということになった。子供たちには牛肉、大人はサムギョプサル(豚バラ)。国産牛肉の脂身も少なく美味しい部分3万ウォン分を子供たち3人でほとんどぺろりと食べてしまった(普段は食の細い3人...)そのうえJはまだ足りないと味噌汁とキムチでご飯2杯をおかわりした。「Jはたくさん食べておりこうだねえ~」とほめまくった。そして数分が過ぎた頃おもむろに受話器をとり電話をかけ始めたJ。そして「オンマ~、ナ、ペゴッパ(ママ~、私、おなかすいたー)」というではありませんか!!これじゃ、鬼おばさん(←私のことね)がご飯も十分に与えてないようじゃないですか!!キガマッキョソ...(↑あきれてものが言えない状態)そしてまたある日。たいくつしている子供たちを手伝わせ半分残っていたスイカをくりぬいてフルーツポンチを作った。中身をくりぬいたスイカの皮の中にスイカ、ブドウ青りんご、桃の缶詰などもらいものや残っていた果物とサイダーを入れた。我が家の子供たちはおおよろこびしかしJが「ウェスンモ(おばさん)、このオレンジの何?」と聞くので内心桃の缶詰も食べたことないのか、この田舎者めなどと思いながら桃の缶詰だよとやさしく教えてやった。すると「私、桃食べちゃだめだって、お母さんが。」という。そういえば義姉は桃アレルギーがあってさわることもできない。でもJは小さい頃食べさせてたけどなんともなかったぞ..これはね、缶詰だし生じゃないから大丈夫だよ、食べてごらんと義母と2人で言ったがJはまたもや電話で聞くのだ。「おばさんが今フルーツポンチ作ってくれた。 缶詰の桃が入ってるんだけど、私食べてもいい?」何かやりとりをしたあと電話を切ったJが言う。「お母さんがスイカだけ食べなさいって。(Jはぶどうもりんごもあまり食べない) 桃は食べたらだめだって。缶詰もね頭が悪くなったり病気になったり するから食べちゃだめだって。」ヤルミウン ノム...(小憎らしいやつめ...)そうですか、鬼おばさんは食べられないものを出したり体によくないものなんかも食べさせたりするしほんとに悪い人ね。でもねえ、義姉さん。私の知り合いのアトピーっ子はうちに遊びに来るときは弁当おやつ持参で来てましたよ。そんなに食べるものに気をつかわないといけないんだったら食べられるものを持参するなりそれでなければご自分で面倒みてください。わたしゃ、そこまで責任もてません。しかしなんだかんだで今年も夏休みの一仕事をひとつこなしたのでありました。 義姪っ子滞在 終了 本日の韓国語講座 キガ マッキダ : あきれる、ぼうぜんとする ヤルミップタ : 憎らしい
2007.08.12
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昨日義弟を日本に送りだし、義母はソウルの義姉のところに。ほっと一息...と思いきや突然仕事で日本に行くことになった。しかも明日から...ソウルに行ったばかりの義母に戻ってきてもらわなければならない、日本語の授業は代理をお願いしないといけない、食べるものも用意していかないと、あちこちするところもあるし...ショートしそうなのでただいまちょっと休憩中韓国人とつきあうには臨機応変に対応しなければいけないのです。またはいきあたりばったりともいう。日本人的緻密な計画性なんぞはこの人たちには無に等しい。いつもどきどきスリル満点。人生はジェットコースター??密度の濃い生き方してますね。でも長生きはできんでしょう。どたばた走り回って結果がよければそれでま、ただで日本行けるんだし、よしとしよう。なんとかなるでしょ。
2007.05.29
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義母から紅参(高麗人参を蒸して干したもの)の安くていいやつがあるからパパと子供たちに飲ませろと言われ半ば強引に店に連れて行かれた。実は4月から午前中のみで日本語講師のアルバイトに出かけている私。私が収入を得るようになると必ず義母は漢方の類を買えとおっしゃる。漢方類は苦手。高いものだとわかっていてもにおいも嫌だし、続けて飲むのも嫌い。飲ませるのも面倒だしどれだけ我が家の観葉植物の肥やしになったことか...(そのおかげかうちの観葉植物たちはめったに枯れない)そりゃあね、おっしゃることはわかりますよ。大黒柱であるパパはもちろん健康であってもらわないと困るし子供たちが健康であれば私の面倒や負担は減る。でもね、私の収入を超えるんですよ、お義母さん毎日出かけて行ってるので稼いでると思われているのだろうけど4月は1コマの授業のために行ったり来たり。割に合わん仕事なんです...この紅参高麗人参としては3等級のものだけど丸三日ほとんど蒸発させずに煎じて成分をたっぷり出させたものだそうで1箱30包入りで10万ウォン。パパは1日1包、子供たちは1包を半分にわけて飲むとして15日分。1か月分20万ウォン也。とりあえず1箱だけ買いましたただでさえ義父所有のアパートの名義をパパにしたおかげで去年まで出てた幼稚園費の補助は打ち切られて経済的に苦しいところにアルバイトで少々収入が得られてよかったなと思ったのもつかの間...稼いだらその分(それ以上に)出ていくようにできている。今月は授業数が増えたのでなんとか埋め合わせはできそうだけど。何事も健康であることから始まるし健康のためにはある程度の投資は必要だと思うことにしてまたもや「ま、いっか」の助けを借りる。コンジュもとっちも小さいときから治療目的の韓薬や滋養目的の補薬を飲まされてきた。小さいときあんなに病気ばかりしていたのに最近は病院のお世話になることもほとんどなくなったのはそれらのおかげかもしれないしただ単に大きくなって抵抗力がついてきたからかもしれないし効果の程はわからない。でもねえ韓国人はこれだけ健康のためには出費も惜しまずあれこれやってるんだから平均寿命は日本を越えてもいいはずだと思うけど..超えないのはなぜなの?
2007.05.09
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クラシックギターのレッスンを約8年ぶりに再開することになった。偶然にも近所の大学の文化講座の中にギター講座を見つけたのだった。しかも個人レッスンあり。講師のプロフィールを見ると「スペイン王立音楽院クラシックギター科卒」と書いてある。光州市内の文化センターで開かれているギター教室というのは多数あるが、たいていフォークギターでじゃかじゃかやるか、歌の伴奏。今までちゃんとしたクラシックギターの先生を見つけられないでいたのだが待ったかいがあったというか。でもこの8年は長かった..初級クラスで初心者のおばちゃんたちを相手に♪シ、シ、シ、シ、ミ、ミ、ミ、ミ(基本の基本)なんてのばかりやってた先生も私が子供のときからやっていて、しかも日本から来たというので大歓迎。オリエンテーションでは何か弾いてみてと言われ、暗譜している曲があまりないのでとりあえずアルハンブラとバリオスのワルツ3番を弾いてみた。久々に人前で弾く緊張感がたまらない。(指は思うように動かないのだけれど..)先生も叩きがいのあるやつがやってきたと思ったのかレッスンはみんなが終わった最後の時間にしてそして一緒に勉強していこうと言われた。そして1週間後の最初のレッスン日。もともとレッスン時間25分のところを50分も見てもらいそしてずうずうしくもよければスペイン語も少しずつ教えてほしいといったところもちろんそのくらいはできるとOKをもらい..一石二鳥の倍増ぐらい得した気分^^レッスン後、昼食を一緒にしながらスペインの話やらギターの話で盛り上がりああ、ここでこんな話ができる人に会うなんて大感動!!でもやっぱり先生の口からでてきたのは「この国はクラシックを理解できない人が多すぎる、そういうのを受け入れる文化でない」という話。それも同感。スペイン留学後、数年間あちこちで演奏活動をしたけれど1度は聞きにきても「そういう音楽はよくわからない」といった感じで定着しない。ギターといえば手軽にできる歌の伴奏用としてしか見てもらえない。本気で勉強する人がいれば、自分がスペインから優秀な先生を呼ぶことだってできるのに不本意ながらもフォークギターや演歌伴奏も教え、ジャンルを問わず演奏しなければ生計もたてられないという現実。車の中に楽器を置いていくことに対しても「大丈夫、この国には何百万ウォンもするギターがあるなんて 想像できる人さえもいないんだから...」この国の文化的レベルの低さに失望しこんなことならそのままスペインにいたかったという先生...そうだろうな、私だってため息がでるほどの芸術への関心の低さ。音楽や舞踊、美術などは学校の勉強が思わしくない人がやるものという感覚がいまだ多くの人の中にある。義母はコンジュのピアノは3年生でやめさせろという。その程度までやればいいだろう。ピアノなんかよりは英語や勉強をさせろというのだ。でも英語や勉強だけができたところで何になるというのか?言葉は道具でしかないこと、学歴が役にたたないことは私が十分承知している。何でも実用的なもの、金になるものばかりを追うのがこの国。ピアノを続けるのは何もピアニストになるためではない。学校の音楽の成績をよくするためでもない。芸術に接する心の豊かさや余裕をもつにはまだまだなのだろう。それとも永遠に無理!?私は自分のやりたいこと(コンクールにでたい、アンサンブルでも独奏でもいいから発表する場がほしい)を伝え、先生の「もう少しレッスンをして勘を取り戻したら演奏会をする方向で考えよう。それから一般人のアンサンブルグループも作っていこう」という言葉を希望の光にしてこの先生についていくことに決めた。私のギター人生第2幕が幕をあげた。
2007.03.13
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私が日本人だとわかると70代以上のおじいさん、おばあさん方は日本語で話しかけてくださる。幸せなことに今まで会った方々は日本語が懐かしいととても好意的に接してくださるのでありがたい。60年近く使ってなかった日本語を話すのは難しいのだとおっしゃりながらも本当に流暢な日本語には驚きもあり言葉を強制するという日本のやったことを思うとちょっぴり胸がきゅーっとなったり...毎週木曜日ごとに顔を出している集まりに79歳のおじいさんと73歳のおばあさんがいらっしゃる。毎週顔をあわせるたびに日本語で話しかけられ周囲の人の「なんて言ってるの???」的な表情を尻目に日本語で話している。おじいさんは日本語の先生をしてらっしゃったそうで今は日本語の文法の本を出版することを目標に日本語をライフワークとなさっているとっても勉強熱心な方だ。いつも集まりが終わるやいなや「○○(私の本名)さん!ちょっとお時間よろしいですか?」と呼び出され、几帳面な字で書かれた紙をもってこられては「これは正しいでしょうか?こうとも言えますね?」とか「この文章は自然ですか?」だとか新聞のひとこと日本語コーナー(若者同士のくだけた会話が多い)の切り抜きをもってこられて「これは辞書にのっていないんですけど、どういう意味でしょうか?」とか質問攻めに会う。このお歳でこの勉強熱心さには感動してしまう。小学校のときに亡くなったが幼い頃からいろんなことを教えてくれた自分の祖父と似た感じでちょっと懐かしい気持ちにもなって擬似じいちゃん孝行してる気にもなる。孫の歳ほどの私にひじょーに丁寧な日本語を使われるのでこちらもとってもかしこまってしまうが..今回は背表紙がはがれてぼろぼろの辞書持参で来週までに見ておいてくださいと1枚の紙と共に渡された。どれだけ辞書をひき勉強すれば辞書がこんなになるのだろう...中は小さな字で書き込みがたくさんされている。私の生まれる前に出版された辞書だった..30年以上も使いこまれたことになる。ちょうどうちにある辞書と同じ辞書だった。7年前のものだが見出し語や例文が多少違っているようだし私は今となってはPCのおかげで辞書をひくこともほとんどないのでこれを差し上げようかと思っている。使い慣れた辞書が一番だろうけど言葉は常に生き物なのでご参考にお使いください...ということで自分が70歳、80歳になってもこれだけ一生懸命になれることあるんだろうか?周囲の方に恵まれ、いろいろな方からいろいろなことを学ばせていただいています。*今回の宿題*「って」 絶対に(二度と)そうするものかという主体の気持を表す。 例) だれが行くかって/あんな店でなんか買うかって この場合で 行かないかって/買わないかって のように否定形で使う場合があるのか? あるとすれば例文を作って ということだったんですけど この場合は否定形では使えないですよね? 日本語教えてらっしゃる皆様、どう説明されますか? 行くかって、(いや行かない) という反問の形だと理解すればいいのかしら?
2006.08.18
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お待たせしました。(別に待ってなかったって?)さて前回のBさんの話の続き。次の日の朝結構早い時間に電話がなった。Bさんからだった。今、お姉さんのご主人の携帯に電話したら電話をとったのだが「ヨボセヨ」と言ったら切れてしまった。今すぐ電話をしてほしいとのこと。すぐに電話したのだがとってもらえず...もしかして避けられてる?折り返し電話がつながらないことをBさんに告げその日何回か電話してみたがやっぱりとってもらえなかった。いよいよ大変なことになってきたか...??そしてその晩遅くBさんから電話。今、やっとお義兄さんと話すことができた。つたない英語で事情を話しておいたから今から家のほうに電話してお義兄さんに代わってもらってお姉さんの様子を聞いてほしいとのこと。早速電話してお姉さんのご主人に代わってもらった。ご主人の話によると...最近、気候や歳のせいもあり体調がすぐれないようだまた近所で放火未遂事件があったり、いたずら電話がちょくちょくかかってくることがあり不安がっている。そういうことがあって夜には電話の線を抜いていた。自分が最近仕事で遅くなることが多く、そういう不満もあったと思う。教会に行って来ると落ち着いた感じになって帰ってくる。特にひどく悪いというわけでもなく今のところ韓国に帰るということはないと思うしわざわざ来てもらうほどのことではないと思う。ということだった。ひととおり話を聞いてから年長者にこんなことを言うのは大変さしでがましいとは思いながらもこう伝えた。自分も国際結婚で異国に暮らしている。異国で暮らすことは結構ストレスのたまることだ。頼れるのはご主人しかいないのでどうか奥様のサポートを今まで以上にお願いしたい。と。ご主人はあなたは義妹とは近くに住んでいて付き合いが長いのか?どきっ義妹にこれからも聞きたいこと、話したいことがあればあなたを通じて連絡をくれと伝えてほしいと言い私は夜遅くに初対面のものが電話したことやらにおわびをして電話を切った。即Bさんに電話して内容を話すとBさんの声を聞く限りではその内容に半信半疑のような感じも受けたのだけれども、とりあえずお義兄さんから見た様子がわかったということで少しは気が晴れたようだった。家にあまりいないご主人がどこまでわかっていらっしゃるかは知る由もない。誰の言うことがどこまで本当なのかはわからない。1つの出来事も人によって受け取り方が違うのだ。まあ、とりあえず人の家庭のことに全然関係のないものが首をつっこんで関わるのはあんまり気持ちのいいことではないなあと感じた。まあBさんのお願いを遂行したということでよしとしよう。そして数日後...Bさんからまた電話があった。この間は本当にありがとう。本当に助かったわ。これからももしお義兄さんと連絡するときはとっちまむさんにお願いしたいんだけどむこうから私のほうに連絡することもあるかもしれないからお義兄さんの方にとっちまむさんの電話番号教えといていいかしら?それから来週一度日本に行ってみることにしたの。そこでお願いなんだけどもしかして○○(地名)のほうで通訳できる人いたら紹介してほしいんだけど..まだまだ続くか!?とどまるところを知らない韓国人のお願い...
2006.07.11
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「プッタギ インヌンデ...(お願いがあるんだけど..)」韓国人から言われて身構えてしまうこの言葉。この“プッタック(お願い)”けっこう厄介なことが多いから。数日前見知らぬ人から電話があった。夜の9時ごろだった。知り合いのKオンニと日本語講座で同じクラスだったBさんという方だという。日本にお姉さんがいるのだが連絡がとれない。至急連絡をとりたいのでお姉さんのご主人(日本人)の携帯に電話してお姉さんの居所を聞いてほしいということだった。知らない人に電話するのは苦手だけどまあ、そのくらいなら..と思ってじゃ、電話番号を教えてくださいと言うといや、会ってから自分がいるところで電話して欲しいというのでま、それももっともだ、電話しながら他に聞きたいこともあるかもしれないしと思ったがもう子供たちは寝る時間だしうちに来てもらうことにした。そして...Bさんはやってきた。そして話を聞いてみると..お姉さんと昨日の朝、電話で話したのだが様子がおかしかった。心配で家に電話し続けているがずっとつながらない。もしかして何かあったのではないか。お姉さんのご主人の携帯に電話してお姉さんの様子を聞いて欲しいということ。Bさんの話ではお姉さんは少し前から同居を始めたが電話にお義母さんがしかけたと思われる盗聴器がみつかった。そんな人もいるんですか!?ドラマみたいね。日本ではもう誰を信用していいのかわからない。最近の日本は物騒だからね。親しくしている人もいない。まわりに韓国人もいない。それはつらいでしょうね。幻覚のようなものが見える。それはちょっとやばいかも...教会に通っているが、そこで悪魔が憑いてると言われた。そこまでなると私には理解不能...と言っているらしい。精神的によくない状態のように思えるからお姉さんのご主人に言って、一度韓国に戻らせてもらえるように言ってほしい。それができないなら自分が行くつもりだと伝えてほしいということだった。ま、そりゃずばり外国暮らし+同居ストレスの症状でしょ?1日半くらい連絡取れないくらいでそこまで心配すること?なんて簡単に思っちゃった私は冷たい女?もう10年近く日本にいるっていうんだしもうそういう峠は越してるはずだけどねえ...でもまあ似たような境遇の人としては共感できるとこもあるし、協力はしますよ。しかし..家の電話はあいかわらずつながらずお姉さんのご主人の携帯もつながらず。同居のお義母さんの電話番号は「使われてませんだし」...こんな時間に知らない番号からかかってきたら普通とらないでしょ。最後の手段でお姉さんの通っているという教会に連絡してみた。韓国人の伝道師がいるというのでBさんと直接話をしてもらったところお姉さんは今日の3時ごろ教会に来られたが特に変わったようには見えなかったということ。ひとまず今日のお昼は出かけていたということでひと安心なのだがじゃ、どうして夜のこの時間に電話をとらないのか?ああ、かわいそうな姉さん...とBさんの不安は大きくなるばかり。お姉さんのご主人はBさんの番号知ってるんですよね?もし万が一何かあったなら連絡があるはずでしょう?明日の朝にでもまた電話してみるのはどうでしょう?と提案してその日はいったん終わりにすることにした。お礼と電話代を払うからというBさんにたいした時間でもないし、私がお手伝いしたことは何もないので受け取れないといって引き取ってもらった。皆さんは家族とどのくらい連絡がつかなかったらそこに行ってみようとまで思いますか?私ですか?日本の実家に2週間近く電話しなくても実家からもかかってこないようなうちですので..後編に続く...
2006.07.08
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