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■もしも今年の大晦日にあなたは生を終えるなんて主治医でもない誰かに言われたらどうするだろうか。それはそれを予言した人が自分にとってどのような存在であるかという部分が大きいのだろうな。■生きていられるのはあとこれくらいですよと断言されたとしたら、真っ先に何をするだろう。残しておいたら恥ずかしいものを徹底的に処分するのか。あるいはこれだけは私の事を覚えておいてもらうために捨てないでほしいと誰かに託すのか。ではその誰かって誰だ。■薬師丸ひろ子は今のうちにそこにある物、そこにいる者の痕跡を忘れないためにそれらを両手で慈しむように撫でる。幽霊になってしまった小泉今日子はまだそこにいるくせに(片桐はいり以外には)誰の目にも見えないし、そこにある物や者に触ることすらできない。■玄関から人が出入りするたびに部屋は呼吸しているのだという表現。行ってきますとドアが開き、ただいまと帰ってまたドアが開く。できればその部屋の中にはいってらっしゃいやおかえりなさいと応えてくれる誰かがいてくれるに越したことはない。これは深呼吸ねと再び玄関に顔を出した時の高橋克実の顔の優しさ。■福袋を開ける時のワクワク感はいくつになっても、どんな境遇にあっても変わらない。大当たりがおはぎ百年分であったとしても、それがどのくらいの分量で、どうやって食べ尽くせばいいか考えるより先に無条件にうれしく思うはずだ。だって人ひとり生まれ変わるために、おはぎひとつで充分なのだから。■福袋を詰める側の人たちのことを考えたことはなかった。何を入れたら喜んでもらえるのかなと想像しながら、その中にモノを入れる作業は楽しそうだ。ただいらなくなったものとか、捨てようと思っていた自分の私物を混ぜるのは良くないと思う。■胸のところに自分の名前が縫い付けられている小学校の時の体操服は捨てられないし、福袋の中にも入れられない。それを赤ちゃんの寝巻に加工した仲里依紗に泣ける。あれもまたコスプレの延長線上にあるというわけではないと思うが。もう着られない体操服のエピソードは同じ木皿作品の傑作「野ブタをプロデュース」にもあった。堀北真希のそれは支援物資として運ばれアフリカの子供の手に渡った。■富士山ナンバーの自動車に乗っている人はみんな善人に見えるようなドラマだ。たしかにあんなに大きく日本一の山が見られる地方に住む人たちには特権がある。ただ私の住む地方にも、そして日本全国色んな場所に富士見町はある。よって富士ファミリーはあそこだけの話ではない。PS■前回のエンディングテーマはマキタスポーツの「情熱の薔薇」、そして今回は薬師丸ひろ子が歌うユーミンの「Happy New Year」だった。ということは次回2018は小泉今日子か。ちなみに私が今回の作品を見て最も相応しいと思ったのは矢野顕子の「また会おね」忘れない 忘れない この家 この街忘れない 忘れないあの目を あの手を あの日をあふれる想い あなたの家の前に置いてきたのよ 誰も見てないサヨナラ サヨナラ
2017/01/03
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■「このドキュメンタリーはフィクションです。」わざわざそうことわってもらわなくても、明らかにこれは筋書きのある突撃風虚構劇だとわかる。原作はまたしても清野とおる、そして監督も松江哲明とくれば、例の山田孝之の「北区赤羽」の世界ではないか。■松岡茉優見たさに毎週チェックしていたのだが、各回のこだわりを持つ人たちの人選ないし、その偏執狂ぶりの振れ幅の大きさに何を狙っているのかわからない前半だった。ポテトサラダ、梅ぼし、ベランダ、さけるチーズ。とりわけ第2回の戌井昭人の「帰る男」は非常に難易度の高いこだわりと奇妙な物語が相まって不思議な後味が残った。■そして終盤4回くらいからタイトルも「みんなエスパーだよ」の如く黒地に白の迫力ある字体に変化し、なにやらそれまでの一話一話を面白かった、面白くなかったで割り切る見方は間違っていたのかもしれないという雰囲気が感じられ始めた。そうかすべては最終話の向けての序章だったのか。■山田孝之の決着は地元赤羽の小さなホールにおける「桃太郎」の上演だったのに対し、今回、松岡茉優のフィナーレはパシフィコ横浜でのモーニング娘のステージのセンターポジション。実際に観客の前で(仮)メンバーとして(仮)アイドルになってしまった彼女は仮でも何でもない本物の俳優だった。■松岡茉優はたしかに上手な女優だと思う。私は「問題のあるレストラン」での彼女が「あまちゃん」の時よりずっと好きだ。ただこのフェイクドラマを見終った後では、後者の入間しおりこそ彼女のはまり役なのだと実感する。プレゼン能力、コミュニケーション能力は高いに越したことはない。でもあのドラマで輝いて見えたのは圧倒的に能年玲奈の方だった。■見逃してしまった人は、できれば連続して1話から最終話まで一気に見るのが良い。四六時中カメラを回されている中で素の部分がどこで演技している部分がどこで、なんていう割り切り方なんかできるはずがない。結局カメラに写ってしまっている全ての部分が自分でも気づかないその人の姿なんだと思う。■今期のドラマのテーマソングの中では「ゆとり」の感覚ピエロよりもこの番組のSuper Beaver 「人として」が良かった。もちろん「トットテレビ」の大友良英の仕事の素晴らしさは言うまでもない。
2016/06/18
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■山田太一のふぞろいの林檎たちの第1話のサブタイトルはたしか「学校どこですか?」だったと思う。そのアンサー・ソングというわけではないと思うが、「ゆとりですがなにか」という9文字の平仮名は3×3の正方形の中ですごくおさまりよく配置される。■主人公は3人のアラサー男子。そのうちのひとりは酒屋の次男坊。その長男の嫁にはまだ子供ができない。その母は未亡人。(中田喜子といえば「岸辺のアルバム」)なんかサザンの曲が聞こえてきそうだが、オープニグを飾るのは感覚ピエロのあんたの正義は一体なんだっていうちょっと場違いな決めのシャウトだ。■前略で書き始めて敬具で終わるのよとか、○○行を二重線で消して御中に書き換えなさいとか、年長者が新米の無知に舌打ちするのと同じ感覚で、LINEの使い方とかTWITTERのマナーとかFACEBOOKの常識などを若者がおじさんおばさんのそれを笑うという図式。■迎合するわけではないが、それを知らなければ関係が成り立たないとなれば、そちら側にもずしずしと踏み込んでいかなければならない場合がある。受け入れられないと思うのは様々なアイテムの使いこなし方ではなく、何を常識としているかという感覚の方だ。■アラサー諸君でさえ、後輩の振る舞いに眉間に皺を寄せるのなら、アラ還の私はどうなるのよ。ここは達観してあのレンタルおじさんのように少しばかり年長者の小賢しさというやつを使って相談者を煙に巻くのも悪くない。みんな悩んで大きくなったなんていう決まり文句を知っているゆとり世代なんてほとんどいないからね。■岡田、松坂、柳楽のキャスティングが悪くない。特にこのところの柳楽君のぶっ飛び具合はなんか吹っ切れたみたいで小気味よい。彼らが手を焼く第2世代の太賀が面白い。この前の「おかしの家」でも同じようなトラブルメイカーぶりをエキセントリックに演じていた。BLACK TIGERだな。あまちゃんの純情だったAD君が懐かしいぞ。
2016/05/03
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■これはNHKでなければ作れないドラマだろうな。資料がそろっているとか、映像許諾がおりやすいというアドバンテージを差し引いても、こんな夢みたいな濃密な45分を作り上げられる演出陣や製作陣をそろえている局は他にないのではないか。■個人的な記憶では黒柳徹子の名を最初に意識したのは人形劇ブーフーウーのウーの声だったように思う。夢で逢いましょうについてはうっすらと覚えてはいるが、顔と名前が一致する程度だった。当時の子供にとってはまだまだ夜の番組の垣根は高かった■早口なんだけれどはっきり聞き取れる声。彼女の魅力はやはりその声にある。そんな若き日の徹子さんを生き生き演じる満島ひかりが抜群に良い。彼女の演技を憑依系と思ったことは今までなかったが、今回のトットちゃんに関してはこの抜擢なくして成り立たなかったのではないか。■彼女が動いて喋っているだけでなんか涙が出てしまう。この魅力は何なんだろうね。愛のむきだし、それでも生きていく、woman、そしてど根性ガエル。この小柄な女優の発散する前向きなバイタリティーはどれもどこか死と隣り合わせの活力を映し出しているように見えるからなのかな。■演出、井上剛、音楽、大友良英。あのあまちゃんと同じスタッフによって構築された再現ドラマは中園ミホの黒柳愛あふれる脚本によってまた光り輝いている。ことさら終盤、昭和の名曲にのってミュージカル風に登場人物全体が踊り出す風景は美しくて楽しくてそしてはかない。今回の笠置シズ子役のエゴラッピン中納良恵の買い物ブギのはまりぶりったら。■大河と同じ長さで土曜ドラマにしては浅い時間帯からの全7回。若者から高齢者まで幅広い層に見てもらいたいという制作側の意気込みなんだろう。実名で登場する昭和な人たちのキャスティングにも興味津々。ミムラの向田邦子がくりそつ。でも倉本聰が出られないのはいまだNHKのわだかまりなのか。ちなみに彼の「6羽のかもめ」の終盤の回に徹子さんは敏腕マネージャー役で出演している。シナリオを見返すとそのセリフの量は他の役者の倍以上はある。
2016/04/30
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■NHKで松尾スズキアワー「恋は、アナタのおそば」を見る。ヒロイン多部未華子が抜群にキュート。近作「あやしい彼女」での好演も評判の彼女のコメディエンヌ的資質が全開。松尾スズキとの相性も「農業少女」以来のコンビネーションで安定感抜群。■昨日と今日、2夜連続で見せてくれた歌あり、お芝居ありの舞台劇。緩くて軽くてNHK的にはギリギリの変化球ミュージカル。色のついたしゃぼん玉ホリデーと言ったら年がばれるか。■月に1回程度でいいからこの企画の連続化を望む。毎回ヒロインを抜擢して、かたわらに大物女優を登場させ(今回の大竹しのぶの貫禄といったら)脇にはおなじみの大人計画的俳優たち(平岩・三宅・皆川・杉村・池津etc)がしっかり固める。■思うにこの劇団の二枚看板、松尾スズキはジョン・レノン、宮藤官九郎はポール・マッカートニーに見えたりする。もちろん外見的な意味ではなくその作風の色合いが。■あまちゃんの大成功もこの名脇役たちの活躍がなかったら成り立たなかった。この歌謡劇を見て是非、能年玲奈の復活を期待する。彼らが周りにいて場の空気を盛り上げれば多少歌や踊りに難点があっても再び輝く彼女が見られるかもしれない。
2016/03/31
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■女性の部屋に「ただいま」と言って帰ってくる男はそこにいたもうひとりの男に対して一瞬のうちに優越感を持ててしまう。「こんばんわ」や「お邪魔します」ではそうはならない。だからあえて西島君は「ただいま」と言って高良君を見下ろした。■彼の計算ではその挨拶に対してやはり一瞬のうちに「おかえりなさい」という言葉が彼女から返ってくるはずだったのだが、有村さんは黙ったままだった。いけない、これでは対決ムードになってしまう。何か喋らなくちゃ。でも、何の話をしたのか思い出せない。■いくら数学が得意で計算能力が高くても、恋愛において完璧な正解を導き出すことはできない。高畑さんが言ったようにそれは不公平で、弾けるようなキスができたとしても奇数は弾かれる。決して自分は三枚目だなんて思っていなくても三人目になってしまったら退場すべきなのだ。■彼女のことを愛おしいと思って眠れない夜に打つメールの文面。どんな表現が一番適切か推敲する作業に自分もまた同じ行為をしたと感じ入る人は多いと思う。ウザいと思われたら嫌だし、ひとりごとのような片言では物足りないし、自分の気持ちだけ伝えてそれで終わりではその本来の目的は果たされない。■言葉にしろ、文章にしろ、形になったそれらの前に随分と時間のかかった書き直しが行われていること。決め手はそれを声に出して読んでみた時に違和感を感じないかどうかだ。きっとこの脚本家もまた毎回そんな作業を繰り返している。■物語の締めくくりに登場人物の誰かが不慮の事故にあうというシナリオはずるいと思う。始まったら終わらなければならない連続ドラマの結末は親密になる人たちがいて、疎遠になる人たちがいて、またぞろみんなが日常に戻るという形で決着をつけてくれても全然かまわない。■大事な人が急にいなくなる。明日からの予定がまるきり空白になる。思っていた展開が一瞬にして霧散する。たしかにあの日私たちはそんなことが起こるなんて想像もできなかった。そうかドラマの中でそれが起こっても何ら不思議はないということか。ただ普通のドラマはそれを乗り越える主人公を描くのに対し、このドラマの特殊性はそれに飲み込まれるのが主人公であるというところだ。
2016/03/14
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■6才の女の子が葬儀場で見たという空の色。それは薄いピンクがかった青空とは言えない薄曇りの空で、彼女はその景色を一生忘れないと言う。そんな抽象的で、どこか文学的でもある風景を実写化すること。それはこのドラマにとってはストーリーの展開以上に重要な場面でもあったと思う。■彼女の描いた彼の似顔絵が似ていようがいまいが、その空の色を綺麗だと共感できる人が確かに存在するのだと思わせるような画面が描き出せたかどうかを演出家は問われるわけだ。■恋愛は衣食住だという高畑充希の提言から始まった話だが、素敵な青いドレスを着て、ワインを飲みながらフランス料理を食べ、さてどんな暮らしをふたりはするのかという「住」の部分が想像できない。おそらくテーブルをはさんで彼と彼女がする会話は好きなものについて湯水のように湧いてくるそれではない。■一方、毛玉の付いたセーターを着て、苺のショートケーキを食べながら、テレビのない部屋でする生活には無敵の安らぎがある。経済的な安定は確かに重要な決定要素だが発想を変えてみれば精神的な安定はそれを上回る優先事項にもなりうる。適齢期の全ての女性にアンケートをとったとしたら多数決で下回るかもしれないが強力な賛同者がそこにいるのなら少数意見も負けてはいないのだ。■こうして書くと有村さんには西島君よりも高良君と一緒になってもらいたいと思っているようにきこえるかもしれないが、実は私はあまりその事に関して興味関心はない。きっと彼女はどちらも選ばないし選べないと思う。■そんなことより今回うたれたのは介護患者役草村礼子さんの最初に思い出す人が好きな人という万感込めたセリフ回しで、思い出すたび鳥肌が立つ。声の力はすごい。画面の話で始めたが、今回に関しては目を瞑って音だけ(役名の方ではなく)聞いても充分鑑賞に堪える傑作回だったように思う。PS 小日向社長、レレレのおじさんだと思えば、そんなに憎めない。
2016/03/07
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■遺品の中から日記が出てきたとする。○月×日晴れ、朝ごはんに何を食べ、昼過ぎにどこに出かけ、夜誰々と会った。残されてそれを読む者はその文章に感情が含まれないものにこそ大いに感情移入できる。■もちろん、文才はあるに越したことはない。その景色を見て、その音楽を聞いて、その本を読んで、どれだけ感動したかを言葉の贅を尽くして書き綴った文章はある一定数の読み手の琴線を刺激することにはなるだろう。■ただそれを読んでどちらがより涙を誘うかと言えば、おそらく文章の態をなしていない箇条書きやメモの類の方で、そこにはいくらでも読み手の自由で膨大な思い入れや想像が含まれる余地がある。だから私もこれから毎日だらだらこんな文章を書き残すよりも、コンビニやスーパーのレシートを残しておいた方が振り返られる時、素敵な人として回想される確率は高いのではないかと思う。■北の国からの最終話で地井武男が妻のことを思いながら号泣するシーンがある。人は一定量以上の涙を流すとき、一緒に鼻水も流す。彼の袖口が両方の水分を著しく吸収してテカテカになったのに対して、高良君は一生懸命鼻をすすってそれがカウンターに落ちるのを防いだ。汚れたパジャマの染み抜きができる彼女がなぜティッシュの一枚もそっと差し出さなかったのかちょっと不思議だ。■俳優としての西島君にすごく期待している。あの棒読みみたいなセリフ回しが今後の伏線であることを祈っている。いや、彼は満島ひかりが相手ではないと輝かないのか。でもこのドラマの中の彼女はもう生身ではない。「おかしの家」と並び、最近の八千草薫の使われ方が素敵だ。名女優は老女ではなく天女になる。■このところ、火曜日になるとアートとかサカイとかアリさんとかの業者がうんと張り切って頑張っている。きっと有村架純にハートの目をされながら引っ越し屋さんって呼ばれる自分を想像しているからだと思う。
2016/02/29
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■少年サンデーのリアルおそ松くん世代である。昨年秋から赤塚不二夫生誕80年アニバーサリーとしてその後のおそ松くん→おそ松さんのテレビ放送が始まった。■元祖おそ松くんで描かれた六つ子はみんな同じ顔をして(まあ、六つ子だからね)、それぞれ名前はついているものの、誰が誰だか当ててみろと言われても結局区別はつかなかった。物語上は一応彼らは主役なのだが、脇を固めるイヤミ、ちび太、ハタ坊、デカパンの個性の前には影が薄かったと言ってもよかった。■一方、リメイクされた今回のおそ松さんたちはそれぞれがイメージカラーを持っており、よく見ると癖毛の形、眉毛の濃さ、口の開け方、黒目の大きさなどなど、6人6様の個性がはっきりと描かれており、明らかに差別化が図られている。服装もまたよりカジュアルに進化しており、色違いのパーカー(松の文様は遠くから見るとアディダスのよう)の着こなしにもそれぞれの個性が垣間見られる。■六人の旬の俳優を集めて実写化することは特殊メイクを使えば可能かもしれないが、想像するとちょっと気持ち悪い。その代わりにこのアニメでは旬の声優を使って、その性格描写を際立たせている。なかでもナルシスティックなカラ松、厭世的な一松のインパクトは大きい。■内容は遊びたいだけ遊んでいますという感じで、深夜の時間帯ということも手伝って、ダークでシュールで実験的かつ挑戦的である。全編美形キャラで押しまくる回あり、リアル男子が同じ顔のお面をかぶって街を歩く回あり、ピー音とモザイクばかりで何を言っているのか何を映しているのかよくわからない回あり(いや、実際はよーくわかるのだが)。■あの頃夢中だったヒーローやヒロインたちのその後に手を加えるということの楽しみは自分がどんな大人になったのかを確認する作業でもある。おそ松くんたちの20年後を社会人として順調に成功しつつある人間としてではなく、いまだに職もなく、両親に依存したままのニートとして描くことの裏側には、ざまあみろという気持ちとそのままでいてほしいという気持ちが混ざっているような気がする。
2016/02/26
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■片思い至上主義。好きな人のことを思っている自分が一番好き。その相手もまたそう思っている自分に片思いしているとしたら、こんなに純度が高い恋はない。ただ、両想いなんてものにたどり着いてしまったら、その思いは恋愛に変化し純度は徐々に薄れてしまう。■独り言は一人でいる時に喋ってこその独り言であり、相手がそこにいる時に放つそれは相手の神経を良いようにも悪いようにも刺激する意図を含んでいる。ただそれを初対面の男女6人が集まった酒席で発することはやめたほうがいい。■方言の強さが心に残った回である。外国語がそうであるように、ネイティブ以外の人にはその言葉がわかりはしないだろうという気持ちで言いたいことをずけずけ言う。標準語では言えない本音みたいな気持ちを流暢な方言ならば淀みなく喋ることができる。いつもは意地の悪い先輩を演じていた者も方言ならば優しくなれる。そしていつも自分の感情を一呼吸おいてしか表せなかった者も地元に帰って祖父の顔を見ればごくごく自然に振る舞うことができる。■第一部終了。わずかワンクールのドラマに一部、二部という呼称が相応しいとは思わないが、2011年3月の福島を区切りにした意図は明白である。ほとんどの登場人物がガラケーを使っていたここまでの話を作者はあえて時には学芸会のようなメルヘンにした。■白桃のように甘いお話は序章に過ぎず、2016年のこの物語はもっとひりひりとしたナイフのような会話劇になればいい。5年で人はどれだけ変わるのか。変わらない人もいれば、変わってしまう人もいる。ただ自分がそうなりたくて変わった人はそんなに多くはない。
2016/02/15
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■自分が二人いたら。その時、高良健吾は思った。一人の自分は高畑充希をしっかりと守ってやり、もう一人の自分は有村架純を真剣に愛す。■二股(ふたまた)という言葉はいつ誰が言い始めたのだろう。それは一つの上半身から延びる二つに分かれた下半身を連想させ、人間として駄目だと烙印を押されたような響きを持つ。■もしも二心(ふたごころ)なんて造語ができたとしたらかなりそうした種類の恋愛は許容度が増すと思う。そうなることを抑制するために誰かがわざとかっこ悪い言葉でそれを名付けたのだろう。それもまた人間の知恵なのかもしれない。■いつか思い出して泣いてしまうのはどの恋のことなのか。男女各3人(高良、西島、坂口、有村、高畑、森川)の順列組み合わせで考えれば、9通りのカップルの成立が可能。第4話までの流れでいけばまず高良+有村のペアがこの恋の本命であるが、この脚本家のことなので、これから先、何が起こるかわからない。■誠実であるからこそ、自分の本心を相手にさらけだしてしまう。自分のことをあきらめてくれという代わりに自分はあなたをあきらめるという告白。そんなかけひきのない誠実は恋愛には不向きだし、むしろ罪作りだ。■あんな思いは胸にしまって黙ってかつおぶしを取りにいけばよかったのに。同じ良い人でもこの番組内のCMで流れる消臭力の西川君の良い人ぶりの方が断然潔いし、罪がない。ただ二人とも空気が読めないという点は一緒だ。■そんな良い人が際立つように主要男女6人以外の人物描写は偽悪的だ。あからさまに自分の息子を失敗作という親はいないし、都会のバスの乗客はもっと無関心が板についている。ただ高橋一生の挙動については今回同情する向きも増えたのではないか。■東京ラブストーリーから20何年、バブルだったあの頃の手取りや時給はこのドラマの若者たちの何倍だっただろう。東京で夢を叶えるドラマが成立した時代は過ぎた。今そこは夢をあきらめる場所になりつつある。
2016/02/08
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■たしかに政治の世界には普段私たちがあまり使わない言葉が数々ある。未曾有とか、善処とか、補填とか、どう読むか以前にどういう意味の言葉なのかさえわからない大学生もたくさんいるだろう。ちなみに彼はそれぞれ「みそゆう」「ぜんどころ」「ほちん」と発音したのであるが、ある日突然自分が国会の場に立たされて野党の面々の質問に対してそんな原稿を読む羽目になった時、一字も間違えずにすらすら読み上げる自信は私にもない。■男女の入れ替わりの基本はふたりで神社の階段かどこかを真っ逆さまに落っこちる時に行われるものだが、父と息子のそれはある日突然何の予告もなく発生した。このドラマの特徴はその父の職業が内閣総理大臣という肩書を持った政治家であり、その役目を担うことになる息子がかなり意志薄弱な優男である大学生だというところだ。■エンケンといえば私の世代では不滅のロックシンガー遠藤賢司を指すが、現在のドラマ界のエンケンとはこの遠藤憲一に他ならない。刑事になったり、戦国武将になったり、宇宙人になったり、やくざになったり、彼の出演作がないクールはない。たしかに顔はワニに似ていて怖いが最近ではそれを逆手に取った喜劇的役柄が多い。■すだまさきとひらがなで書けばさだまさしに似てないこともないが、漢字に直して菅田将暉とすればこれもまた映画やドラマで何度も目にする売れっ子だとわかる。闇金に追われたり、女装したり、坊主頭で戦争に行ったり、鬼になったり、そこらへんにいる若者を演じさせたらどんな役柄でもピタリと当てはめてしまう演技派だ。■実際、父が乗り移った息子、息子が乗り移った父、どちらが演じやすいかと考えれば、あのワニ顔で気弱な総理を見せるエンケンさんの方が随分とおいしい役目だったはず。喜々としてモフモフンダンスを踊る表情のかわいさは絶妙。盗聴防止(?)のヘルメットもまたよく似合っていた。総理と呼ばれるたびに一瞬右手を上げる仕草がその効果音と共にこのコメディの絶妙の味付けだった、■一方エゴ丸出しの昭和の男を演ずる菅田君の方は常に眉間に皺を寄せ、大袈裟なセリフ回しと派手な仕草に四苦八苦。それでも就職試験の面接で面接官をまくし立てるシーンは痛快でもあった。そして長い入れ替わりの呪縛が取れて元の姿に戻った時の彼の仕草、表情の柔らかさが印象的。演技派だ。■そんな主演ふたりの熱演もさることながら、脇を固める役者の良さもこのドラマを成功に導いた。官房長官金田明夫は抜群の安定感だったし、ライバル草刈正雄は元KARAの娘に乗り移られてしまうし、西田敏行はどんなドラマに出ても画面をさらっていってしまう。中でも秘書役の高橋一生のブレイクは嬉しい。これまで画面に埋もれてしまうことに関しては右に出る者がいなかった非存在感を一気に露出してくれた脚本の功績に拍手だ。そんな彼らが一堂に踊るエンディングのストレスフリーは一見の価値あり。■池井戸作品と連続ドラマの相性の良さはどこまで続くのか。この「民王」の原作を読んだのは2,3年前だがそんなに印象に残る小説ではなかった。この人の原作には半沢にしろ、下町にしろ、花咲にしろ、どこかに脚色を許す余白が多く残されていることが原因なのかもしれない。PS 総理の妻の峯村リエとキッチンやみくもの女将池谷のぶえ、二人が入れ替わっていたと言われてもきっと誰も気がつかなかっただろう。
2016/02/06
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■第2回の感想文がなかなか書けなかったのは惹かれるもの揺さぶられるものがあまりにも少なかったからだ。私は話の筋より言葉の方に多く惹かれる部類の人間で彼と彼女がどこでどうやって会おうが、それに別の彼や彼女がどうやって関わってこようがあまり関心がないみたいだ。さすがに「手ブラ」だけである一定量の文章は綴れない。■私にとっては、この人の書くドラマは見るドラマというよりは聞くドラマで、それもダイアローグよりもむしろモノローグに惹かれる度合いが強い。今回ならば終盤の高良健吾に送られた高畑充希のメールでの独白の場面が好きだ。■人身事故で電車が遅れるという車内放送を聞いて舌打ちする人間はいくらでもいる。でもその舌打ちを聞いて、もう電車には乗りたくないと思う人間は少ない。彼がかつて横道世之介だったり、悼む人だったからというわけではないと思うが、人の痛みに敏感である人ほどこの世の中を生きづらいことは確かだ。■回想されることを前提とした物語である。たとえば有村架純からしてみれば、横浜の夜にどこかの倉庫で上から流れるコンサートの音を彼と二人で聞きながらアルプス一万尺を踊ったことは生涯忘れられない思い出である。でもなぜどうやってその場所に二人がいたのかなんてことは決して思い出せないし、思い出さなくてもいいのだ。■こうして振り返ると記憶の断片が人を豊かにする要素なのだと思う。その時、どんな事情が自分にあったか、何を考えていたのかなんてことは二の次で。あの時どんな服を着ていてどんな髪型をしていてどんな男の子と付き合っていたのか。その時どんなにそのことに夢中だったとしても、思い出す時により鮮明なのはその時の感情よりも出来事の方だ。今はもう穿けないGパンやシャツを横目で見ながらそんなことを考えている。
2016/02/01
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■ガストでハンバーグステーキを注文してからそれが出される前にお喋りをするとしたら、どんな話題が一番良いのだろう。それは向かい合った相手との距離感にもずいぶん左右されるわけだが、初対面の相手に向かってあんな話をする女の子にはちょっと気をつけた方が良い。■この人の書くドラマには毎回このような坂元ゾーンみたいな場面が必ず用意されていて、私はその都度、意識を集中してどんなセリフも聞き逃さないように細心の注意を払いながら正座してそれを見ている。これはある意味小説を読む喜びに少し似ている。■既視感の原因はこの初回の大半が北海道を舞台にしていたことによる。ダムに飲まれそうな街で寄り添うふたりは蛍と緒方直人にも見え、事情は違えど、東京に向かうトラックの助手席で手紙を読みながら(声優・満島ひかりがまた素敵)嗚咽する主人公には純の面影が重なる。もちろんその手紙には泥はついていなかったが、隣りに座る寡黙な運転手は古尾谷雅人に見えなくもない。■おそらくいつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうのは登場人物の誰かの個人的な感慨なのではなく、このドラマを見ている私たち誰もが持てる権利なのではないか。もちろん泣くに値しない展開になるか、それでも細部に涙腺を刺激される何かが宿っているのかはこれから先の物語の進み方に依る。★連想した長いタイトルの私のお気に入りの3曲。「やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった」四人囃子「あなたがわかってくれなかったからぼくはとってもさびしかった」松村雄策「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」岡村靖幸■坂元裕二の最高傑作は「それでも生きてゆく」だと思う。そういえばあのドラマの序盤にも柄本明は君臨していた。東京ラブストーリーのようなこの曜日、この時間から始まるのに相応しいものとはとても思えないが、先の展開が読めない分、いつかこの初回を思い出してきっと泣いてしまうのかもしれない。
2016/01/18
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■印象的なシーンのいくつかを抜き出して、気の利いたセリフのいくつかを書きだして、こういうことが言いたかったのではないかなんてまとめてみせようとするこんなブログは、このドラマの作り手たちから見れば格好のダサいネタの材料になる。■1話から8話まで一気に見てしまった。最初はスピードについていくのがやっとだった。それは場面転換の速さだったり、彼らの喋る言葉の速さだったり、スマホやタブレットなどの処理速度だったりに自分の考えるスピードが追いつかなかったからだ。だから何度かリプレイが必要だった。■だんだんとそのノリについていけるようになると、俄然、物語に引き込まれてしまった。毎回色んな人が出てくる。高校教師、男子高校生、元砲丸投げ選手、万引き男、女ピエロ、ビジュアル系ロッカー。それぞれ色んな事情を抱えている。■山田孝之演じる脚本家志望の横山が結果的には毎回彼らの背中を後押しすることになる。ウザいけどうまい。男たちの旅路の吉岡司令補か。木更津キャッツアイのぶっさんか。でも北の国からの黒板五郎さんには似てない。■北区赤羽とこの作品が同じ年に(両方とも深夜の時間帯で)放映されたのはとても興味深い。役の幅が広い役者はたくさんいるけど、全く同じような顔してテレビに映るこんなに印象が違う役者は珍しい。■山田孝之の頭(顔)は他の人よりも少し大きい。その中に何が詰まっているのかよくわからないけど、たとえばビルとビルの間の狭い隙間に入った落とし物を拾おうとすると、それが挟まって、とても危険だ。場合によってはその建物をデストロイすることが必要になる。彼が頬髯を剃らない理由はそれがあると少しは安心だからかもしれない。PS 井上和香はこの監督夫人だったのか。タイガー&ドラゴンの厩火事の回が懐かしい。
2016/01/05
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■悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しいのか、どっちが正しいかわからないが、外から見れば、その行為は「泣いている」と定義され、その人には何らかの感情の高まりがあったと見なされる。■毎日毎日、同じことの繰り返しで、そういえば去年も、その前の年も、10年前も、同じ人に会い、同じ場所へ行き、同じ事をして、そして今、ここにいる。そんな自分を確認した時、また来年も、その次の年も、10年後も変わらないのかなと思った時に出た涙はどんな感情によるものだろう。■介護されるためだけに作られたロボットの存在価値について考えてみる。なぜそれが必要なのか考えてみる。それはおそらく生きている人の力を試すことを目的に作られたものなのではないのか。■ロボットみたいにお金をかけなくても無機的なものに命みたいなものを見いだすことができる瞬間もある。たとえば食べ終わった天ぷらそばのどんぶりに残った海老のしっぽとか、ストローで水をかけると艶めかしく動き出す丸めたティッシュとか。■木皿作品の中に登場する死者はもうここにはいない人であるはずなのに、まだ生きている人にその非存在感を意識させる役割を果たす。いないけどいるし、いるけどいない。無理に思い出そうとしなくても、決して忘れられないという存在としての死者。■窓から富士山があんなに近くに見える部屋があるアパートはずるい。どれだけ狭くても、どれだけ家賃が高くても、ここに一緒に住もうというプロポーズは無敵だ。それと同じように、どんなに古くさくても、レジにいるのが婆ちゃんであっても、そこから富士山があんなに大きく見える商店も無敵だ。■片桐はいりの婆さん芝居に寺内貫太郎一家の樹木希林を思い出す。でも、彼女の部屋にはジュリーのポスターは貼ってなかったけれど。付き合っている女性から妊娠を告げられる吉岡君に北の国から「巣立ち」を思い出す。でも、もう誠意のカボチャで謝る必要なんてなかったけれど。■ユーミンの真珠のピアスの挿話を思いついたのは木皿さんの旦那さんの方なのか、奥さんの方なのか。(潮騒のメモリーじゃなくて)その曲を薬師丸ひろ子と小泉今日子、どっちの歌で聞きたいだろう。どちらにしろ、やはり最後のジェラシーは怖い。エンドロールの情熱の薔薇、そういえばマキタスポーツはミュージシャンでもあったんだ。
2016/01/02
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■今年、地上波で放映された坂元裕二のドラマはこの1本だけ。毎回正座して見ていた。放映後は未見の彼の作品を可能な範囲で視聴した。東京ラブストーリーまではいかなかったけれど。■都会では問題のないレストランの方がどちらかといえば少ないのではないかと思うが、ここではレストランの問題というよりはそこで働く人間たちの問題の方にスポットが当てられる。■魅力的な登場人物が多数登場したドラマであるが、殊更、松岡茉優、二階堂ふみ、高畑充希の3女優それぞれに与えられたこの脚本家独特の長台詞による見せ場には鳥肌が立った。≪第3話≫松岡茉優が母親堀内敬子と再会を果たすシーン。金髪を黒髪に戻し、再婚する決意を固めた彼女に「おめでとう」と言って見せたギリギリの笑顔の美しさ。≪第4話≫二階堂ふみが某商社の面接試験会場で利重剛たちに向かって自分のことを語り始めるシーン。セーラームーンジュピターの緑のスカーフの挿話に聞きほれる。≪第5話≫高畑充希が真木よう子たちの部屋で男性社会における自らの処世術をまくしたてるシーン。彼らをやり過ごす方法を教習所に例えてわたし免許証パンパンですと言って天城越えを歌いながら去っていく圧倒的な演技。■そんな芸達者な若手女優3人組、私の先入観では「パーカー」が二階堂ふみ、「喪服」が高畑充希、そして「耳」が松岡茉優だったのだが、見終わった感想としては誰がどの役をやっても成立していたのではないかと言えるほどの演技力だった。■彼女たちに敵対する男性側のキャスティングになぜ杉本哲太と吹越満が選ばれたのかはよくわからないが、彼らの憎々しいたたずまいは北三陸観光協会で黄色いポロシャツを着ていた人たちとはとても思えない。それだけ「あまちゃん」での彼らは従来この役者たちが持っていたイメージとは大違いだったわけなのである。■来年こそはこの脚本家の書くドラマがたくさん見られますように。そしてできれば瑛太や満島や松岡や高畑がそれに出てくれますように。同時代の風俗を描かせたらこの作家の右に出るものはいない。
2015/12/29
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■このタイトルで検索すると最初にヒットするのは不動産屋の物件である場合が多い。だからこのドラマのことを調べるのなら、その次にNHK、田中麗奈、あるいは前田司郎というワードを付け加えるといい。■前田脚本のテレビドラマとしては「お買い物」「迷子」以来。連続ドラマは今回が初めてということだ。登場人物は田中麗奈、彼女の隣人の菜葉菜、謎の男に田中圭。ほぼこの3人だけで展開していく。かなりの田中率の高さだ。■田中麗奈は基本的に部屋から出ない。敷きっぱなしの布団で、コタツの中で、あるいは直に床で、たいてい寝っ転がってグダグダしている。チャイムが鳴れば匍匐前進、食べかすが髪の毛や洋服に付いたってお構いなしだ。■そんな田中麗奈のUPの数々を見ているだけでも眼福であるのだが、このドラマの魅力の大部分は会話劇の巧みさにある。私がこの脚本家の作劇に惹かれるのはセリフの間、セリフのズレ加減、そしてその不自然さの自然さである。(弁当屋のおばさん(石野真子!)と女の子のやりとりは秀逸)■人は相手の話を聞いていながら自分の思考も同じ速度で進めているわけで、それが耳に入っていても全然違うことを考えている場合も多い。人と人とが親密になる過程は通常のドラマでは何か重大な出来事がそれを加速していくことが多いのだが、この物語で登場人物たちの距離を縮めるのはそのほとんどがダラダラとした会話のみであるところがすごい。■全8回の中でも中盤の4,5,6回あたりが素晴らしい。喪服のコスプレで夢は夜ひらく、あんころ餅製作作戦、そして何よりすごかったのは、まるまる1回分をトイレ内実況で見せた第5話。便座マットをマフラー代わりにしてホースで電話する田中麗奈もどうかと思うが、その相手をする田中圭の挙動不審演技も見事だった。■前田司郎には「ジ・エクストリーム・スキヤキ」という監督作もあるが、窪塚、ARATA主演のその映画も同種の会話劇の面白さを堪能できる。そして私が彼の作品を愛する理由のひとつには彼もまたMOONRIDERSのファンであるという事実もあることは否定できない。
2015/12/28
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■私にとっての八千草薫ベスト3は倉本聰の「前略おふくろ様PART2」と山田太一の「岸辺のアルバム」と向田邦子の「阿修羅のごとく」である。いずれも清楚、上品、可憐という彼女のイメージをちょっと崩した脚本で、これがまたこの女優をよりチャーミングに見せてくれた。■そんな往年の可愛らしい彼女の姿を知らないはずのこの若い監督はなんて美しく、大切な存在として彼女を描いてくれたんだろう。そしてこれまた、その頃は生まれていなかったはずのオダギリジョーや尾野真千子もなんて優しく彼女に寄り添って演じてくれたんだろう。私の中では最近の八千草さんはまるで女性版笠智衆のようにも見える。■駄菓子屋「さくらや」のセットがその裏の空き地を含めて実に丹念に作られていて、素晴らしい。とにかくこのドラマ、どの場面を切り取っても一枚の「絵」として成立しているように見える。■原作とされている「ネコ裁判」の方は終盤それに触れてはいるものの物語の主要な部分を占めるわけではない。(原告役の大賀君の熱演をもう少し見たかった気もしたけれど。)ではこの物語の主要な部分とは何だったのかと言われれば、人が年をとるということ。ただ、それを成長物語と書いてしまえば、ずいぶん違うような気がする。■好きなエピソードはたくさんあるけど、その中でもタローとサエグサが天使に遭遇したシーンが好きだ。捕まえた後のことなんか何も考えず、ただ捕まえてみたい。そういえば昔の夢にもそういうところがあったかもしれない。天使の歌声を手に入れた二人が踊りながらモーツアルトを歌うシーンは何度見ても笑ってしまう。■ゆっくりじっくり「さくらや」に集まる人たち(勝地君、前野君、嶋田さん、いずれも好演)との触れ合いを見せておいて、最終話にしていきなり5年後に飛ぶという展開も意表を突いた。余分なセリフもないし、余分なシーンも映さない。非常に省略が見事なドラマだった。■特に終盤、そこに集まる人たちがだんだんいなくなってしまっても、悲しいはずなのに、胸がざわざわするはずなのに、なぜだか見終わった余韻がほのぼの前向きでいられたのはエンドロールに流れるRCの「空がまた暗くなる」のせいだった。誰がどのタイミングでこの曲を選んだのかは知らないが、実はこの曲がこのドラマの原作だったんだと言われても全然嘘ではないような気がする。
2015/12/27
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■スチャダラの「中庸平凡パンチ」をバックに河川敷を歩く山田孝之に毎回見とれていた。どれだけ草臥れていても、どれだけ苦悩しているように見えても、背筋がピンと伸びていて「歩く人」をしっかりと演じている。1回だけ一緒に歩いた山下敦弘監督の素人っぽさに比べやはり俳優は違うと思って見ていた。■彼の赤羽の部屋にさりげなく置いてあったのが「ゆきゆきて神軍」のDVDだったり、アドラー心理学の本だったり、ホアキン・フェニックスのあれだったり。結局、ドキュメンタリー風に見せて、実は相当作りこまれた作為的なドラマになっている。路上ミュージシャン斉藤さんの部屋の本棚だっていくらかスタッフの手が加わっていたのかもしれない。■勇者ヨシヒコ、闇金ウシジマ君以来、彼のファンである。流れで「クローズ」シリーズまで今年は見てしまった。今、私の中でその新作が出れば必ず見てしまう男優ベスト3は瑛太と森山未來と山田孝之である。■どんな役柄でもそれに憑依して見せる山田孝之が役者山田孝之を演じるのがこのドラマ。おそらく与えられた脚本など何もなく、その場その場で相手の反応にしたがって右往左往してみせることが今回の演技プランだったのではないか。■回を重ねるごとにこれはリアルなものなのか、あくまでフィクションなのか、その境目が曖昧になってくる。鷹匠になったり、サイコロマンになったり、電飾の凧をあげてみたり、歌手になってみたり(このエンディングテーマはかっこよかった)、赤羽の人々に溶け込んでいけばいくほど、(劇中での彼の10年間休業宣言のように)彼、本当に俳優に戻ってこないんじゃないか、なんて思えてしまう。■ただ、巧妙なのは、その中で、綾野剛とか、大根仁とか、やべきょうすけとか、彼の身近な人々がこれらの行動を客観的に批評するシーンが間に入り、見ているこちら側もそうだそうだ、おかしいのは山田の方だと染みついていきそうな赤羽ゾーンから現実世界に引き戻されるところだ。■己を切ることができなかった俳優が桃太郎となって自分自身の鬼を成敗するというまとめはあまりに短絡的に過ぎるが、きっちりと作りこんだ脚本にそって進めていくこと以上に、予測不能な実体験をもとに俳優再生というゴールに向かって辻褄をあわせて物語を完成させることがどれだけ難しいことだったかこのドラマを見て感じた。
2015/12/26
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■最終話にして初めてリアルタイム視聴。こういうの見て通勤、通学していた人がたくさんいたわけか。私みたいに毎晩録画したこのドラマを見るのを楽しみにしていた者にその日の回の感想を言ってしまう人の行為を「あまハラ」と言うのだそうだが、言いたくなってしまう気持ちもよくわかるということがわかった。■ドミノ倒しの再現からお座敷列車運行へ。最終話の見せ所はこの潮騒のメモリーズ第2章をいかに見せるかという部分だと思っていた。おそらくフルコーラス聞かせて見せてくれるものかと。しかし実際はふたりの歌が始まるとカメラは車窓の風景を映し出していく。■列車に向かって手を振る人、一緒に走ってカメラを構える人、横断幕を持った人々、そして畑、田んぼ、あぜ道、堤防、で、海。「世界の車窓から」とはまたちょっと違う独特の事情を持った風景。列車が走るということはそういうことなんだということをあらためて感じた。結局その中で行われていることは、ドラマの一部に過ぎない。■このドラマ、最初から最後まで登場人物の誰も死ななかった。ひとりの女性の一代記を描いて終わる通常の連続テレビ小説を見慣れた世代からしてみれば、かなり奇抜な物語だったと言える。でもこのドラマの描いた外側にはものすごく多くの人の犠牲が含まれていたことを考えれば、少なくとも彼ら彼女らにはいつまでも笑っていて欲しいと誰もが思っていたはずだ。■無邪気でいられる時期には限りがある。でも若いふたりは無邪気にトンネルの中をはしゃぎながら走っているだけで良い。息がキレそうになってもオトナがはいそこまでって言うまで走り続けてくれればいい。そして堤防の突端に着いたら目の前に広がる海を眺めれば良い。意味は後から付いてくる。■劇中頻繁にかかる音楽の中に「希求」という題名の劇伴がある。希望と言わず希求。歌詞が付いていないし、誰かが歌うわけでもないから「潮騒のメモリー」ほど有名ではないが、このドラマのセンチメンタルな気分を代表するメロディーである。あっぱれな完結を見届け、続編を望む気持ちは強い方ではないが、今この曲を聞いて感じる気持ちはやはりこのドラマを求める感情なのかなと思う。
2013/09/28
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■花束は夏ばっぱに集中して良い。宮本信子が演じた天野夏という女性はこのドラマの背骨だった。合同結婚式終盤の彼女のスピーチはシナリオが与えられていたにせよ、その語り口、その表情、その余韻全てが共演者、制作者、演出者に向けての即興の感謝の気持ちの表れのように見えた。■海開きの朝、天野家にも海女小屋の前にも夏ばっぱの姿が見えなかったのはなぜだろう。「夏ばっぱ」とアキがふと口にしてしまった時、返事を返してくれたのもあれが最後だったという最終話はやはり悲しすぎるだろうか。■去る者は追わないでと彼女は結んだが、この去りゆくドラマを追いかけ続けたいと思う視聴者は星の数ほどいる。それでも明後日にはその想いも叶わず、違う朝がやってくる。そこにはトーストの上にアジの干物をのせて食べるような食文化を持ったヒロインはおそらく登場しない。■カセットテープがCDにとってかわったのは1985年過ぎだと記憶している。車のカーステといえば、私たちの世代では裏表と前後を気にしてカセットを装着する機械の事だ。カセットテープはLPレコードを録音するための機材であり、A面とB面というおよそ20分ずつのうらおもての音楽だった。■シングルレコードにも、もちろんA面とB面があり、主にヒット曲は表に、そしてその裏にはちょっと渋くちょっと地味な曲があてられた。もしもこの後「潮騒のメモリー」が天野春子編と鈴鹿ひろ美編で売り直されたとしたら、どちらがB面になるのだろうか。訛っている方でも可愛い方でもなく、おそらく辛かった方がそっちになるんじゃないのかなって思う。
2013/09/27
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■プロのタクシー運転手。それはどんな客を乗せても、それがどんな行き先であっても、その客がどんな荷物を持っていても、その人と荷物を目的地まで運んでやり、気をつけて行ってらっしゃいと送り出せる人物の事だ。■20数年前、上野で拾った客は前途有望な若い女の子だった。偶然その子を再び乗せた時、その子はちょっと品の悪い男と一緒で、なにやら複雑な事情を抱えているように見えた。運転手は黙って車内のふたりのやりとりを聞いた。■プロの運転手なら、傷心の彼女を黙って上野に送り届けるだけだったかもしれない。でも彼はまだまだあまちゃんだった。彼女に同情し、言わないでも良いことまで口に出してしまう。諦めたらだめだ。夢を叶えるべきだと。■鈴鹿ひろ美の潮騒のメモリーは彼女の歌だ。以来あまちゃんの運転手はその歌が世間に流れるたび、なにやら誇らしく思った。この歌を歌っているのは彼が東京に引き留めた彼女だったからだ。だから彼女のリサイタルには駈けつけなければならない。みんなが彼女の歌に感動するのを見届けなければならない。■それでも運転手は客を送り届けなければならない。重い荷物も持ってあげなければならない。その客は家族に黙って北に行く。もうあまちゃんではない運転手はその客にどんな事情があっても、その要求には従わなければならない。■そんなわけでその運転手はリサイタルには間に合わなかった。そこにいた皆は感動していた。やっぱり良い歌だと感動していた。当たり前でしょ。だって彼女が歌った歌だもの。彼の大好きな彼女の歌だもの。運転手はそれが聴けず悔しかったけどちょっと誇らしかった。■運転手は北三陸で結婚式を挙げた。なぜか単独ではなく他の二組との合同結婚式だ。一組の新郎はやはり運転手だ。でもタクシーではなく鉄道の。緊張しているのか怒っているのかわからない。でも怒る理由もわからない。■もう一組の新婦は彼の妻になった人の影武者だ。彼女の歌声が彼の妻のものである事を知っているのはこの6人の中の4人だけだ。でもあの人がいたから彼らは出会えた。だから感謝もしている。その夫になった品のない男にもだ。■運転手はまたしても誇らしく思った。あの時、彼があそこを走っていなければ今日のこの日はなかった。そして最後に運転手は願った。次は彼の娘がこの物語の主役としてみんなの目に焼きつくことを。いつまでも忘れられない主人公であり続けることを。彼は琥珀の指輪を見ながらそんなことを思っていた。
2013/09/26
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■山岸舞彩が登場する回には傑作が多い。まあ、後にも先にもこの元NHKアナウンサーがこのドラマに出てくることはないと思うが、なんと運の良い回にあたったものか。その彼女に市長、駅長と紹介された後に当然のようにスルーされた副駅長の笑顔が眩しかった。こういう時、倉本聰なら必ず「ひとり置いて」とやるところだが。■芝居でも、コンサートでも、役者やバンドが連日連夜同じ演目を繰り返していく中で、この日のノリは最高と感じる瞬間はおそらくあるのではないか。生身の人間がやっている以上、出来不出来の差があるのは仕方のないことで、そんな良い日にあたった観客はやはり運が良いと言うしかない。■鈴鹿音痴説を長い長いスパンで視聴者に刷り込んできた脚本は、このリサイタルを迎えるにあたり、どうやったらそれを大衆に露見させずに危機を回避するのかという一点に焦点を絞ってきた。その方策として影武者春子の再登板は否めない、ではどうやってそれを見せるか(聞かせるか)というところが大方の関心事だったはず。しかしあの野郎は最初からこれを決めていやがった。■大友良英氏らの伴奏に乗せてキョンキョンが歌う出だしの歌詞は観客には伝えず、鈴鹿ひろ美が「I Miss You」から歌い始めるという演出がニクい。一音も外さずに一番の歌詞を歌いきった彼女の横で笑いながら涙を流した有村架純の表情が抜群に良かった。ジェラシーも終わった。コンプレックスも終わった。若き日の春子の退場はそこだけアキちゃんのナレーションに代わった。■三度の飯より、三段腹の、ときて三枝の愛ラブクリニックというクドカン得意の3段落ちつーか、三段飛び。この人の3つ目は完全に果てしない彼方に飛ぶのが原則だが、安部ちゃんに言わすセリフは三度の飯よりマーメーブであった方が良かったと思われ。■ともあれ三途の川の部分をあのように感動路線で締めてみたところにこの人の良心を見る。そしてフルコーラス聞かせた後で観客の笑顔や拍手をいつも以上にエンディングまで引っ張って見せた演出も珍しいと言えば珍しい。おかげで私の顔も○○○でいつもよりテカテカになっちまったじゃないか。
2013/09/25
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■高台から海を眺める鈴鹿ひろ美、寄せては返す波のよう。ポエトリー・リーディングではだめなのか。その姿、その声ならば観客は充分満足すると思うがどうか。リサイタルの曲目リストにはなんとマイ・フェイバリット・シングズまで入っていたが、あの曲はかなり難易度が高いと思うがどうか。影武者にも、もしかしたら無理かもしれない。■911の時にはイマジンが、そして311の時にはTSUNAMIが放送自粛となった。この世には歌っていけない歌なんかないんだよと言ったのはたしか「パッチギ!」の大友康平だったと思うが、被災者の中にはその曲がかからないことによって自粛されているということを連想する人々だっているわけで。■音楽の力はとても大きい。実はこのドラマの大部分は大友良英の信じられないくらいたくさんの楽曲によって進行しているわけで。それが時々無音になる瞬間は逆になにやら不穏な出来事の前触れのような雰囲気をもたらす。魔境の扉をあけるような音楽、たしかにそれは聞きたくもない。(しかし大友氏本来の楽曲の中には明らかにそれに近いノイジーな前衛的音楽も含まれてはいるのだけれど)■たとえばゴースト・バスターズを知らない相手と付き合っていくのは今さら面倒くさいという意見。わたしも高校生の頃はキング・クリムゾンを知らない女の子になんか興味はなかったわけだが、この曲にはこういう背景があってねなんて説明を省略できる相手との生活はある程度想像できる分、安心ではある。■珍しくオープニングテーマが鳴り響く中での大吉さんと安部ちゃんへのみんなの祝福。クラッカーを顔の真正面に直接受けても笑い顔を絶やさないのは役者の宿命。でもこの祝祭は演技ではない。梨明日に集まった誰もがふたりの前途を祝っているという型(かたち)でこのドラマの終焉を祝っている。それがわかるから見ている方も笑って泣ける。
2013/09/24
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■オープニング・タイトル・ロング・バージョンも今日で見収め。(海でウニ取る)海女ちゃんと、(世間知らずの)あまちゃんと、(プロの方ではなく)アマちゃん。このタイトルの持つ3つの意味。今回は北三陸にやってきたプロのプロデューサーである太巻さんから見たアマチュアさんの底力の話。■芸能界ではルービーとかワイハとか何でも逆さに読む習慣があるというが、ずいぶん前に「るいがとひなきす」と恋心を伝えていた女子高生が岩手にもいた。その可愛い方に「やっと会えたね」と真顔で言える胡散臭さは古田新太でなくては成立しない。■手持無沙汰の時、私はついつい腕を組んでしまう方だったが、最近は両手を両脇に挟む習慣が板についてきた。人の話を最後まで聞かない事もよくあるし、喋っている内容があまり人に通じないところもよく似ている。靴もほとんどニューバランス。それでも突然踊り出したりすることはまだない。■プロには無くてアマにはあるもの。それは万国旗も大漁旗も暖色も寒色もごちゃ混ぜになっても、なんかコーディネートを超えて成立してしまっている完成度で、そこにはプロの持つ掛け算や割り算のセンスではなく、足し算と引き算の強引な力があるということだ。■なんか自分で書いてて何の事かよくわからない例えだが、8500万年前の蟻がユイちゃんでそれを取り巻く樹液が周りにいる全ての人々だなんてミズタクにしみじみ語られるとなんか本当にそうかもな、なんて思ってしまうのと同じくらい薄い説得力があるでしょ。■結局海女カフェは鈴鹿さんのリサイタルの場だけでなく、(合同?)結婚式の会場にも潮騒のメモリーズ復活の場にもなる模様。プロがその会場に施す恩恵は最新の音響設備ということだが、その中に音程自動補正装置または影武者用特殊マイクなどは含まれているのだろうか。PS天野春子最強不良伝説には笑った。でもどうすれば渡り鳥が来なくなるんだ。
2013/09/23
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■忠兵衛さん、鈴鹿さんだけでなく、いよいよ太巻さんも北三陸へ。キョンキョンたちも来週は到着すると思われ、あまちゃんオールスターズがやってくるじぇぃじぇぃじぇぃか。ほとんど全ての今までの登場人物が顔を出すだろう中で、もう見られないのは田原俊彦のそっくりさんくらいか。■給食のナポリタンに迷い込んだ輪ゴムと自分を卑下するあんべちゃんだが、正直、当初は片桐はいりがこれだけいい味を出すとは思わなかった。海女クラブの中でもなくてはならない存在だったし、アキが東京に行って最初に彼女の顔を見た時の安堵感みたいなものは視聴者も充分共有できたのではないか。■懐かしいったらありゃしない。1984年で時間がとまった春子の部屋。それはこのドラマの時制では28年前にあたるが、当時松田聖子に憧れて東京であなた色に染めて欲しいと願った18才の岩手の少女は胡散臭い新米プロデューサーに捕まり、当時売出し中のアイドルの影武者として灰色に染められた。■懐かしいったらありゃしない。28年前、当時新人女優として本格的にデビューした彼女は出演映画の劇中歌を歌うこととなった。ただ、いかんせん彼女には(特製ジュースを毎日欠かさず飲んだにもかかわらず)音感と音程に関する能力が著しく欠けており、結局その歌は名も知らぬ他の少女によって歌われることになった。■懐かしいったらありゃしない。時間のとまった部屋でふたりの青春が重なったように見える。時の流れもまた逆回転できるものなら、、あなたが私で、私があなたになった可能性もあったのかもしれないと壁に掛けられたジャケットを見て思う。■最終週に是非見てみたい光景は梨明日のステージでキョンキョンが「なんてたってアイドル」を歌う姿だ。曲の途中でアキちゃんが加わり、ユイちゃんが加わり、薬師丸ひろ子も(地声で)参加する。いえぃ!のレスポンスはもちろん脇を固めた全ての人たち。そういえばこの曲、作曲は筒美京平、作詞はあの秋元康だ。
2013/09/21
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■サカナクションとさかなクンはほぼ一字違いである。じぇじぇじぇとギョギョギョだけでほとんどの意志の疎通がはかれる仲のふたりだからこそ、念願の海女カフェ復活に彼が一肌脱がずにはいられなかったわけだ。サーチ・アンド・デストロイからサーチ・アンド・リペアー(見つけて直そう)へ。■今回のもう一つの逆回転は終盤、ウニの繁殖具合を確かめに行ったアキちゃんが、取れたウニを夏ばっぱに向かって放り投げるシーン。今では立ち泳ぎして海から陸へウニを投げられるくらい泳ぎが上達したアキ。ウエットスーツで海に向かう姿もなんかこう堂々としており。■水中で小さなウニを手に取り、くるくる泳ぎ回るあまちゃんを見て、まるで人魚のようだと思った。早生まれのマーメイドも、三途の川のマーメイドも、友だち少ないマーメイドもそれぞれ登場人物の中の誰かの暗示だと想像していたひと月前の予測を裏切り、なんとかこのままハッピーエンドを迎えてくれそうでうれしい。■なま鈴鹿ひろ美の登場に驚愕する荒川良々の表情がすごい。彼にとっての元祖アイドルが半径1メートル以内に座っているんだから無理もない。この後、梨明日のステージは彼女のリサイタルのリハーサル場所になる予感がプンプンする。場は渡辺えりがあっためてくれる。はたして鈴鹿さんの歌声はその時、わたしたちの耳に届くのだろうか。また突然画面から音が消え、固まったギャラリーたちの表情が映し出されるだけなのだろうか。
2013/09/20
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■ドラマにしろ、映画にしろ、演劇にしろ、それらが持つ本来の意味は人々に勇気やら、希望やら、知的興奮を与えることで、それを享受するにはある程度その人に生活の余裕がなくてはならないのではないか。■ならばいわゆる文化人、芸能人、芸術家と呼ばれる人々は、着るものにも、食べるものにも、住む家にも不自由を感じている人々に向かって、何も発信などする手立てはなく、手をこまねいて、現場の回復を待つより他に手はないということなのだろうか。■ジオラマの復元やガールズバーの復活を優先すべき事項だと考える人がいるように、海女カフェの再建もまた急務だと思う人々がとりわけこのドラマの中には(キャスト、スタッフを含めて)大勢いる。なぜならそこを作りあげた事や、そこで行われた事や、そこの周りで起きた全ての事に、この半年間のドラマが圧縮されているからだ。■このドラマの魅力の大半はその圧倒的な情報量(注釈、小ネタ、サブカルチャー的蘊蓄)と会話劇の面白さにあるわけだが、たまにはみんなが黙って手を動かしているだけの回があってもいい。■アキが海沿いの道を傘をさしながら歩き、汚れてしまった幟を波で洗い、ふと佇んで海を見ている。そこにはあの音楽が流れているだけ。または彼女が瓦礫の山となった旧海女カフェで若き日の春子と出会い、彼女から自分の顔が写っているCDを渡される。そのバックにも例の音楽が流れているだけ。■ロケ地・北三陸なんてテロップが入りそうなカラオケのBGVかと思わせるような映像だけでも、もはやこのドラマは雄弁に物語りを語る。そしてそのナレーションはいつの間にか観る者自身の声になっている。
2013/09/19
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■物語のテンポが速い。いつの間にか潮騒のメモリーズが復活し足立先生も市長に当選。あんなに簡単に土下座などしてしまうと、堺雅人が香川照之にそれをさせる満足感さえ薄らいでしまいそうだ。それにしても身内が多いぞ北三陸市。■アキちゃんと選挙権。アキちゃんとビール。この著しい違和感。初めて岩手に来たのが16歳、あれから3年余りがたったという設定だが、本人が言うようにこの娘、全然成長しているようには見えない。都会の絵の具に染まらないで帰ってとストーブさんが思っていたかどうかは知らないが、(周囲に)染まる娘、(周囲を)染める娘とふたつのタイプがあるとすれば、アキちゃんは圧倒的に後者だ。■人がオトナになる瞬間はもちろん二十歳になった時に訪れるとは限らない。生まれてから半世紀以上たつ自分自身を振り返っても、はたしてずぶんがいつオトナになったのかなんていう節目に思い当たる節もなく、気がつけば周りの呼び方がいつの間にか変わっていっただけのような気がする。■薬師丸ひろ子にもそんなオトナになる以前の出演作が数々あった。個人的にあの頃の彼女の出演作で最も好きなのが「翔んだカップル」。あの「セーラー服と機関銃」より少し前の相米慎二監督作品。たしか尾美としのりも共演していた。もちろんふたりとも「若き日の」なんていう影武者は必要なしで。■数秒間全く無音になって歌っている鈴鹿ひろみの表情を見ながらそのうつろいやすい絶対無理音感を想像する。「メインテーマ」とか「WOMAN」とか本当の彼女の歌声を知っている者からすれば、それはあえてキョンキョンにボイス・トレーナーを頼まずとも、(好き嫌いはともかく)リサイタルくらい開けるだけの代物だとは思うが、本編での披露はまだまだ差し支えがあるレベルなのだろう。
2013/09/18
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■ビデオをとって見ている人はたいてい今日のユイちゃんの「潮騒のメモリーズ現象第2章」は静止画で確認したと思うが、アキの説得によって再結成を決断する日はあらかじめ8月17日、つまりこの時期に設定されていた。GMTの訪問が突然の出来事であったかどうかはともかく、もうすでにユイの決心は固まっており、実際に彼女たちに遭遇したことがひとつの引き金になったにすぎない。■ユイちゃんの面倒くささは橋本愛という女優に対するあて書きの部分もかなり多く含まれていて、能年玲奈の演技に対する要求よりもいささか高いハードルがこの脚本では設けられている。そしてその真価をいかんなく発揮させたのが今回。いやはや堪能させてもらいました。■「桐島部活やめるってよ」という映画でGMTの入間しおり役の松岡芙優と橋本愛は共演している。そのクライマックスで松岡を橋本が突然ひっぱたくという重要なシーンがあるのだが、クドカンはおそらくそのことを頭に入れて今日のシーンを書いている。「あの娘、影がありそうだし」「リーダー性格悪そうだし」そう、あのふたり過去にそういうことがあったわけで。■誰も見向きもしない街頭でこの娘たちがやっていた自己紹介。ハッピ着て無表情に合いの手を入れていたミズタクは今回その場にいなかったわけだが、人気者になった今、梨明日の舞台で久しぶりに見た5人(アキちゃんも入れれば6人)のそれは何とも懐かしくそして微笑ましかった。ヒロシ君が真奈ちゃん推しだったのには笑った。(実は私もです)最後の方で小野寺ちゃんの宮城といえばーに「お米!」と叫んだメガネ会計ババアがツボでした。■一方、東京では鈴鹿さんがチャリティーで歌を歌うことになりそうだ。口の堅いボイストレーナーについたとしても絶対無理音感ではどうしようもないようだ。キョンキョンまた影武者か。例の「花は咲く」で鈴木京香がやったポジションをやればいいのではないかと思うが、そこまでのネームバリューはないということか。■GMTの自己紹介がらみで5分、東京の事情を描いて5分、ユイの決心で5分。笑わせ続けながらも、実に情報量の多い、展開の速い15分。その後味は抜群、そしてこれが朝ドラというところが奇跡的。
2013/09/17
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■9月以降のこのドラマを勝手に復興編と名づけてみたりするのだが、復興とは地域の活性化とか、施設の復旧だけを意味する言葉ではなく、ひとりの人間を再生することでもあるんだということを最近のあまちゃんを見て感じる。■震災後のユイちゃんのなんだか霞(かすみ)がかかったような虚ろな表情とその言動に腫れ物に触る感を払拭できないアキではあるが、ミズタクの登場とGMTの凱旋を契機に潮騒のメモリーズ復活に向けて闘志を燃やす。■サビの「激しくーぅ♪」ですら、虚ろに歌う梨明日の面々の前でマイク片手に啖呵を斬る元祖地元アイドルの感情の爆発はかつての親友のそれであり、また血を分けた母親の、そして祖母のそれでもある。たしかに能年玲奈の演じる天野アキは遊びでやってるわけじゃない。■かつて誰かが言ったセリフが役者を変えて繰り返され、かつて見たことがあるシーンが時間を超えて同じ役者たちによって繰り返される。かつて無かったほど濃密な15分間の150回あまりにも及ぶ繰り返しの中で、セリフもシーンも最初に聞いた見た時に比べ、こちらに重くのしかかるという脚本のマジック。■脚本も見事だが、演出のタイミングも素晴らしい。今いた人物がさっと消え、いなかった人間がすっと現れる。あるいはそこにいなければならない人物がいつまでも姿を見せないという不在を際立たせる方法。夏ばっぱの口調だけで電話の相手がわかってしまうと言う見せ方。セリフに対する反応の反射神経の鋭さ。良々のGHQ発言に吹きだす待合室の老人のタイミングが抜群。いやいやいやいやいやいやいや。■俄(にわ)かアイドル達を目の前にして、ユイちゃんのくすぶっていた闘志がよみがえらないはずはない。訛(なま)っている方(ほう)が映画に主演してCDデビューを果たした今、かつて可愛い方(ほう)と呼ばれていた彼女が黙っていられるはずはない。ちっちゃい方(ほう)のプロデューサーも、大きい方(ほう)のプロデューサーもきっとそう思っているに違いない。
2013/09/16
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■定型封筒に汚い字で「辞表」と書いて主人公がそれを上司に叩きつけるシーンをドラマではよく見る。そういえばその中身まで引っぱり出してそこに何が書いてあるのか確認することはあまりない。■もうひとつの常識として婚姻届を証人に託す場合には夫の欄、妻の欄、それぞれ満たした形で提出すべきで、どちらかが空欄のまま認めてくださいとお願いすべきものではない。■道に迷っても、遠回りしても、辿り着いたところが目的地だ。経験20年くらいの進路担当教師が言うようなセリフは迷える若者だったら、ちょっと感化されてしまうような常套句だが、よくよく考えれば責任転嫁の逃げ道に過ぎない。好きになった人がタイプです、なんて言う者はわざわざ北へは向かわない。■原石を磨いて輝かせること。梨明日のカウンターで寡黙に琥珀を磨いているというキャラクターを作者がどの時点で設定したのかわからないが、あらためてこの二重写しは見事だと思う。そんな勉さんの弟子と詐称したはずのミズタクだが結局は師匠と同じことをしているわけだ。■48分しかそこにいなかった人は例外として、たくさんの人が北三陸に戻ってくる。その理由はそこが心地良いところだと思ったからに他ならない。去る者は追わず、来る者は拒まず。でも何かしら援助の手をさしのべるためだけにやってきた者に対しては地元の者はきっと「おかまいなく」と言うのだろう。PS昨夜の「秋の夜長のあまちゃんライブ」は傑作だった。大友良英率いるビッグバンドのサウンドは何時間でも聞いていたい宝の音楽だった。サントラ第2部も予約することにした。言うべきセリフを与えられていない能年玲奈のたどたどしさが実に新鮮。スイッチが入るってすごいことなんだなとあらためて思った。
2013/09/14
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■カップ被れば魚の仲間♪海から上がった感の種市先輩が凛々しい。背が高くて、目が切れ長で、あごのラインが美しい。命の源っつーか、人類も動物なんだっつーか、基本っつーか。そんなわけのわからない例えをしたってイケメンが言えばなんか説得力っつーか、そーゆーもんを感じる。■だからアキちゃんもうかうかしてはいられない。そんなかっけー彼氏をユイちゃんにとられたら。恋愛のかけひきとかテクニックとかに関しては、経験値が月とすっぽんくらい違うように見える彼女のスイッチが入ってしまったら。どうしていいかわからなくなると海に飛び込むアキを見ると、魚の仲間っつーか、人類も動物なんだっつーか、恋愛の基本はじぇ・じぇ・じぇらしーっつーか、そーゆーもんを感じる。■そんな種市君を心配して様子を見に来たのがピエール瀧である。革ジャンである。デニーロ感はほとんどなく、小林感がいっぱいである。彼が参考にしている小林薫はおそらく「イキのいい奴」である。ちなみに海女は息が長くていいわよねって言ったのは鈴木京香である。ともあれ、この後、無頼鮨北三陸支店が開店する予感もする。■アキが太陽で、ユイが月なら、勉さんは空気である。気配を消しているわけでもないのに、そこにいることを意識させない。でも、久しぶりに戻ったその場所に一番いないと物足りない人である。琥珀は英語でアンバーと言うのだそうだ。彼もまた南部アンバーだということだ。そういえばミズタクはそろそろ彼に会いに来たいと思わないのだろうか。枝豆のないビールはなんだかとっても味気ない。
2013/09/13
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■鉄拳のアニメーションが入った回には傑作が多い。今日のお題はウニの生態解説。クローズアップ現代で30分みっちりその講義を受ける以上に端的に理解できたかもしれない。なるほど、津波の被害はこのような生態系の変化にまで及んでいたということか。■その影響を直接的に被ったのが漁業関係者。その中にはもちろん海女クラブの人々も含まれる。夏ばっぱの叱咤に奮起する磯野先生が初めてカッケーと言われた記念日。種市君の帰郷も元南部ダイバーとしての腕の見せ所という意味もあった。あの潜水服を見るたび、10CCのアルバム・ジャケットを思い出す。■同じ現状をとらえる言葉でも、これ以上の幸せはないという見方もあれば、今より悪くなることはないという考え方もある。一見対立するようなふたつの意見であるが物事を肯定的にとらえるという意味においては両者の見解は一致する。■物資の支援、災害ボランティア、直接的な被害にあわなかった者たちの被災地に対する働きかけは真摯で純粋なものだと思う。しかしそれらに対しておかまいなくとさらりと返す被災者側のプライドもまたアリだと思う。よかれと思ってかけた言葉も、受け取る側の気分によってはかまわれたくない時だってある。そんな支援者と被災者の心情が今のアキとユイの関係とダブる。
2013/09/12
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■昔、流行った曲の映像を見ることの懐かしさはその曲その物の懐かしさだけでなく、当時の歌手やグループの姿かたちにあの頃好きだった誰かさんのことやら、付き合っていた彼や彼女のこと、そして何より自分自身が何を考え何を目指して何をしようとしていたのかを一瞬にして思い出させてくれる魔法みたいな効果がある。■平成元年といえば、昭和64年が始まったと思ったら、突然終わった年で、数えてみれば今から24年前にあたる。ボーイフレンドやガールフレンドとの交際開始から1年たったカップルが記念日としてその日を祝う慣例があったとしても、わたしたち付き合って25年になるの、などという男女はまれだし、ちょっと怖い。■結婚をめでたいと思ったことは一度もない、だけど今、おめでとうと言ってしまいそうになった自分に驚いている。これもまたキョンキョンの名言だが、世間に隠れて四半世紀事実婚の関係を続けてきた鈴鹿さんと太巻さんが結婚するんだそうだ。結婚にも表と裏があるとすれば、尾美としのりとキョンキョンは彼らの影武者だったわけか。■朝ドラのヒロインはたいてい劇中、結婚をする。それはこの枠のドラマが主人公の四半世紀以上にわたる生涯を描いてきたからという事情による。しかし今回の天野アキはおそらくそうはならない。それは描かれる時間の短さだけのせいではない。■時々、能年玲奈がアニメの主人公の実写版のように見える。彼女の恋の本命と思われる種市先輩もむしろユイちゃんの方が相応しいようにも見える。彼女のその誰とも釣り合わないようなつきぬけた存在感が独特でかっこいい。アイドルはつらい。だけどアイドルはやめられない。
2013/09/11
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■このところのユイちゃんの表情の変化について考える。アキに対するまなざしにもギラギラした対抗心やジェラシーみたいなものは一切なくなり、落ち着きとか、諦めとか、悲しみのようなものが滲み出ている。東京に出ていってアイドルになる。そんな夢を持っていた少女はあの震災にあって地元に残る必然を悟る。もう彼女には例えばもう一度ヤンキーになってグレる余裕なんかないんだ。■暗いトンネルの中を歩いて壊れた線路の果てに見えたもの。それは人ひとりの人生観を一瞬にして変えてしまうだけの衝撃を持ち合わせていたということなんだろう。そんな誰もができるわけではない経験をしてしまった人たちが現実にたくさんいるということ。それでもその人たちは今日もまた日常を送っているのだということ。■まるで王道の連続テレビ小説みたいな今回のような話もこの作家は書くのだ。そりゃしみじみさせるだけでなく、笑いどころもいくらか含まれていたけど、語り方の節度は充分わきまえている。ただこのまま終盤に向けて同じトーンで物語が終結していくとすると、なんだか物足りない気持ちばかりが残る。いや、きっと何かあるはずだ。■脇役の俳優陣が曲者ぞろいという評判のあまちゃん。最近(DVDで)見た映画の中で彼らのここでは見られない演技をいくつも発見したのでメモしておくと、安藤玉恵・・・「夢売るふたり」最初の登場シーンからR15級 吹越満・・・「悪の教典」THE性格俳優 荒川良々・・・「鍵泥棒のメソッド」役柄の幅広さに感心 塩見三省・・・「アウトレイジ・ビヨンド」知らない人が観たらこの人が勉さんだとは絶対わからない 杉本哲太・・・「アウトレイジ」一回リアスで勉さんとこのテイストで対決して欲しい でんでん・・・「冷たい熱帯魚」言わずと知れた怪演、吹越さんも共演してます
2013/09/10
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■「半沢直樹」なら最終回の大円団は堺君が香川照之に土下座でもさせてギャフンと言わせ、見ているこっちは溜飲を下げるという結末を容易に想像できるところだが、この「あまちゃん」のクライマックスにはどんな大きな落とし所が待っているのかちょっと考えつかないところがある。■海女カフェの復活、北鉄の全面復旧、足立先生の市長当選、潮騒のメモリーズ復活、どれもこれもこの残り3週間で描かれてもおかしくない事ばかりだが、いまひとつインパクトが足りない。しかし現実問題として東北が震災以前の姿かたちを取り戻すにはあれから2年半たった今でもまだまだ道半ばという事実を考えれば、あまりにも突飛な結末はかえって白けてしまうのかもしれない。朝8時からNHKで原発の問題に言及するわけにもいかないしね。■結局我々は観光協会で開催される恒例のダラダラした会話劇に笑わせてもらえれば充分だという気持ちもある。久しぶりに聞いた渡辺えりのンダンダンダンダンダンダに対する吉田君の例のツッコミであるとか、ミサンガをめぐる家庭内不和とか、どうにかすっぺの対象がますます大きくなっていくこととか、聞いていない人と噛み合わない会話、そして誰かが言ったアドリブに吹きだすのを我慢する誰かの表情を見ているだけでもちょっと幸せな気持ちになれる。■いつのまにか足立先生の議員バッジがしじみの殻になっていた。しじみといえば木更津キャッツアイでぶっさんがこの世で最後に見たものは美礼先生(薬師丸ひろ子)の服に付いていたしじみの殻だったわけで、クドカンの伏線張りの長期的なことったらない。PS あのKSPKDNSPの黄色いポロシャツも何回も見ているうちにちょっと欲しくなった。買いに行くにはやっぱり袖が浜まで行かなきゃいけないのか。GMT5のTシャツのようにネットで売り出してくれないのだろうか。
2013/09/09
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■津波で大破した海女カフェで、夏さんがアキに自然の猛威を語る風景はまるで「北の国から」の大滝秀治のようだった。クドカンが倉本聰のあのドラマを見ていなかったとは思わないが、あるメッセージに対してそれを必ずしも主人公が丸ごと理解できるとは限らないということが彼のドラマの中ではよくあることだ。■アキはアキなりに海女カフェの復元を志す。そこにどれだけ人力が費用がかかろうが、強い気持ちがあればなんとかなるさと思うのはGMTの喜屋武ちゃんの影響かもしれないし、さかなクンとのあの番組のおかげかもしれない。■しかしそんな魔法のような逆回転は現実の世界では起こらない。度重なる現実のあれやこれやに打ちひしがれたユイちゃんは今では夢も理想も語らない。袖が浜駅でのふたりのやりとりはどちらに肩入れすることもなく、切ないなと思いながら見ていた。どちらの気持ちもよくわかるからね。■いつも淡々と話すユイちゃんの絶叫はこれで3回目かな。「アイドルになりたーい!」「(アキちゃんにアクセス数で抜かれて)くやしぃー!」そして「東京なんか行かない!」肩幅に両足を開いて両手を握って振り下ろす彼女のそばはとても危険だ。PS ジミヘンってそもそもハゼ顔だと思う。あえて彼とハゼを足さなくてもいいと思うし、まして2で割る必要もない。例えばハゼ顔の芸能人って誰か想像して見た。たしかに綾野剛はちょっと似ている。
2013/09/07
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■夜行バスに乗ってひとり北三陸に帰ってきたアキ。窓越しに見える夜明けの海沿いの町はまだまだ震災の爪痕を残しており。誰もいない駅の線路にいたキツネに向かって彼女が「暦の上ではディセンバー」を歌うシーンは、たまたまそこにその動物がいたからできたシーンなのか、それともそのためにその動物を用意したのか。真相は不明だが、私的にはお気に入りの場面のひとつだ。■真相が不明といえば、アキの背中に飛んできたウニは誰が投げたものだったんだろう。あの時、夏ばっぱはたしか海中にいたはずだし、一旦浮き上がってそれを投げ、再び潜る時間はあったとしても、あの遠投能力と正確な制球力は高校野球経験者レベルでなくてはならないはずだ。だとしたらウニが自発的に戻ってきたアキを歓迎するためにぶつかっていったのか。■ともあれ、この娘は歓迎されるのである。北三陸の人たちの出迎えは大げさで嬉しい。アキちゃんがいない毎日はつまらなかったと言う美保純の言葉はすごくストレートに胸を打つ。勉さんも、菅原さんも、そしてもちろんヒロシもまた、女性陣みたいに彼女をハグしたかったんだと思う。でもやっぱりそれはできない。(ミズタクと尾美としのりはやったけどねって、ジェラシーか^^)■誰もユイちゃんのことを口にしない。それはまた彼女が何らかの理由で「腫れもの」になってしまったからなんだろうか。無人の観光協会の事務所に張ってあったポスターは海女の格好をした彼女の姿だった。この年の夏、彼女はアキと一緒に海に潜ることができるのだろうか。そんなシーンが全く想像できない今週のあまちゃんだ。
2013/09/06
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■不謹慎な言い方かもしれないが、震災の日を描くこの週のあまちゃんはもう少しその日の北三陸の描写に時間をかけるものと想像していた。しかしドラマの中の時間的経過は思いのほか速く、4日目の木曜日にしてもうあの日から何ヶ月かがたったという設定である。■「地元に帰ろう」がバックに流れる中、アキは東京を離れる決心をする。せっかく掴みかけたアイドルへの道を途中で放り投げ、北三陸の人々に再会したいと願う。キョンキョンが言うようにまるで最終回かと思わせるような別れの挨拶の数々。でもこの主人公の独特さはそれに何の悲壮感も感じさせないというところだ。■このドラマが終始楽天的な印象を与えるのは「故郷編」「東京編」そしてこれからは「復興編」?と、描かれる場所はいくらか移動したとしても、主人公を取り巻く登場人物が随所に満遍なく物語に係わり続けているところで、これから先もおそらくGMTのメンバーも鈴鹿ひろみも太巻も梅頭も甲斐さんも、そしてもちろんミズタクや種市君も何度も登場してくれるに違いないという安心感がある。作者はもちろんそんな言葉は使わないと思うが、紛れもない「絆」みたいなものがそこには見られるわけだ。■クドカンは疑似最終回のつもりで今回を書いた。南部ダイバーも、喫茶店での別れも、宇宙服での抱擁も(ミズタクの横顔のアップも)涙腺を刺激する見せ所はたくさん用意した。でもきっと本当の最終回にはそんなシーンはひとつもないと思う。唐突に誰かが笑って、そして終わりだ。
2013/09/05
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■ちなみにフジテレビ「僕らの音楽」で最も印象的だったのは向井秀徳×椎名林檎の回だったわけだが、ミズタクの奮闘のおかげでNHKでGMT5のそれが観られるとは。松尾スズキではないが、わたしもまた今回のVTRは永久保存版になった。■『あまちゃん・歌のアルバム』は予約して買った。天野春子の「潮騒のメモリー」から始まって、「暦の上ではディセンバー」、「地元に帰ろう」と冒頭の3曲はこのドラマが生んだヒット曲の連続だ。■今回の「地元に帰ろう」フルバージョンは振り付けつき。ミディアムテンポの曲調に無理やりつけられた動きは前髪クネオのことを笑えないような学芸会風なノリ。でもみんな可愛いから良い。特にアキちゃんの鼻にかかった甘い声はCDで聞いてもそこだけ前に出てくるような妙な存在感がある。■もうすでに架空のアイドルという設定がその枠に留まらず、現実的なものとなってしまった能年玲奈が画面に映し出されるワンショット、ワンショットが眩しい。寄り目をしても、白目を見せても、何も考えていない表情も含めて、そこに写っているのは紛れもなくアイドル。もしも彼女の黒子の毛がオークションに賭けられたのならば、ゼロが6つくらいついてしまうかもしれない。(落札者はヒビキ一郎だったりして)■ひとりの少女を自分の思惑で都会に連れてきて、ショービズの世界に飛び込ませたのは野心あふれるマネージャー。ミズタクはそこで今、少女が何を想い、何を我慢し、何を望んでいるのかを考える。それは手塩にかけて育ててきたカメを海に放してあげる時の気持ちにちょっと似ている。
2013/09/04
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■そういえば「最高の離婚」というドラマはあの日の東京で帰宅困難者と呼ばれる群衆の中、瑛太と尾野真千子が出会うシーンから物語が始まった。放送当時、今年最高のドラマだと思って見ていたあのドラマの影が薄くなるようなこの連続テレビ小説の充実ぶりはちょっと奇跡ですらある。■アキの初ライブは延期となり、映画「潮騒のメモリー」の公開も中止となった。安否が確認できたユイちゃんではあったが、彼女が目指そうとしていた道は閉ざされ、彼女の心はまたしても長いトンネルの中に埋もれてしまったように見える。それでもオトナならば、「心配しないで、大丈夫だから」くらい言えるのだろうが、この娘は見かけはあれでも、まだまだ子供のままだ。■オープニング・タイトルで北三陸の人々の安否を想像する。(回想)という但し書きがついたキャストが何人もいたが、果たしてそのうち何人が本当に回想されてしまう存在になってしまうのだろうかと思いながらドキドキしながら見ていた。10分後、なるほどそういうことかと吹きだすことになるのだが。■アキちゃんが最初に手に入れた仕事がさかなクンとの「見つけてこわそう」だったことまでこんなに大きな伏線になっているとは思わなかった。「じぇじぇじぇ」と「ぎょぎょぎょ」の類似性については素晴らしい発見だったと思うし、逆回転で壊れたものを再生できてしまうという発想がこのドラマの終盤でこんなにも効いてくるとは。ちょっと前の話になるが、先輩とアキちゃんのヘン顔のメールにユイちゃんが返した「アキちゃん、逆回転してよ」の切なさったらなかった。■クドカンもあの時期、自分の創作の意味について考え込んでいたのかもしれない。着るものや食べ物や住む場所の大事さに比べ、架空の物語にどれだけの力があるのかと。かつて「流星の絆」で遺族にだって笑う権利があるじゃないかと主人公たちに語らせた彼は今度は被災者にだって何事も笑い飛ばせる自由さがあると言っているように聞こえる。でも実際そういうドラマを書くのには2年間が必要だったわけだ。■アキちゃんが回想する北三陸の人々の笑い顔が愛おしい。いつの間にか「いっそん」とだけ呼ばれるようになった先生のインパクトはたしかに強烈だが、あの中でも「メガネ会計ババア」と呼ばれる木野花と伊勢志摩のフレディのコスプレには笑った。そしてやはり今回最も可哀そうな人物は結局彼女にも先輩にも思い出されなかったあの人。彼が今回のこのドラマを見てしまったら、きっとまたストーブのそばからしばらく離れられなくなってしまうと思う。
2013/09/03
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■ナレーションがキョンキョンに代わった。「語り」が神の視線を持つものだとすれば、残り4週間になったこのドラマの終盤は春子目線の娘と母親に対する感情表現になるのだろうか。「故郷編」「東京編」と見事に物語にアクセントをつけたナレーションの妙を堪能した者からすれば、ぜひぜひ小泉さんにはヤンキーでハスキーでセクシーな狂言回しをお願いしたい。■さて今回ほど、あのオープニング・テーマの楽天的な響きが相応しくない回はない。だからアバン・タイトル無しでいきなり(オーソドックスに)チャンチキでスーダラな曲にのったアキちゃんのジャンプが流れるものとばかり思っていた。■しかしながら、ドラマはユイちゃんが乗る北鉄の車内から始まり、緊急地震速報を夏ばっぱたちに知らせた後、あの日起こった歴史のとおり画面を揺らし、いつも通りのあのタイトルにつなげていった。■フィクションのドラマの中に実際に起こった事件なり事故なり災害が描かれることによって、観る者たちがうける衝撃はあらかじめそれに向けて心の準備ができているからこそ敏感でまた過剰でもある。■登場人物の中で誰がそれに巻き込まれ、誰がそれから逃れられ、誰がそれに立ち向かうのか。おそらく夏ばっぱは波に飲み込まれ、ユイちゃんは事故に巻き込まれ、吉田君もまた避難を呼びかけながら逃げ遅れるのではないか。■このドラマの書き手は伏線を巡らす名人であり、彼や彼女の前回の登場シーンのどこかしらに、それを匂わすセリフやら場面がさりげなく挿入されていたのではないかと記憶をたどる。■かくしてドラマの中でも地震は起き、津波が東北を襲った。無人の観光協会のビルの中のジオラマがその惨状を語った。いったい誰が無事で誰が無事ではなかったか、今のところ誰の安否も確認できない。■それでもこのドラマは楽天的であり続ける。ゆべしと(まめぶでなく)豚汁は心細い者たちを慰めてくれたし、大吉さんのゴーストバスターズにオトナの責任感とほんの少しの勇気をもらった。■はたして切れたミサンガはなんの暗示なんだろう。ケータイに記された夏ばっぱからの連絡が通話ではなく、メール受信であることに何か意味があるのだろうか。メールをうったのが必ずしも本人であるという保証は今のところ何もない。
2013/09/02
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■鈴木裁判後編。完全復活した学級委員タケチ君の巧すぎる議事進行によって裁かれる長谷川君を眺めながら、フィクションであることを承知の上で、学級というもののひとつの理想形だよな、なんて感心とジェラシィー半々の気持ちで見ていた。■自分の価値観を声高に主張することによって、否定されしまう様々な事柄。セックスと結婚と出産を巡る中学生たちの純粋な議論は性教育という名のオトナの勝手な価値観の強要(教養)を軽く退けてしまうくらいの迫力があった。■クラスの中にはもちろん未経験者も多数含まれているわけで、この種の議論はほとんどの場合、教師の想定内の結論に辿り着いて幕を閉じるわけだが、中学生の口から生(ナマ)でやることの快感を男子生徒のみならず、女生徒にも吐かせたこのドラマの衝撃は大きい。■生徒それぞれが抱えているそれぞれの事情、最終話にしてこのクラスにはこんなにも問題を抱えた生徒がいたのかと思わせるカミングアウトの数々。全10話では物足りないと感じるくらい35人の役柄をそれぞれ演じ続けた生徒たちが実はこのドラマの中にはいたのだ。■ラスト、生徒たちが教室の後方に集まってこの問題についての話し合いを終えた時、教室の中に一瞬虹のような光が射した。そんな光景をメガネ越しに眺めることができる先生は幸福である。こんな先生はありえない。こんな生徒たちもありえない。でもこんなドラマをもっともっと見たい。■オープニングタイトルのメガネをかけてポーズをとる生徒たちの表情とか、彼らからバトンのようにそれを受け取りニヤリと笑う鈴木先生の表情とか、小川蘇美が放るバケツに入ったカラフルなボールとか、そのバックに流れるロッカトレンチとか、全編で地味に登場人物の内面を彩った大友良英の音楽とか。わたしは今季、大沢たかお君の笑顔よりも長谷川博己のそれに完全にまいったクチだ。
2011/06/28
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■はたして、できちゃった結婚(デキ婚と略すのだそうだ)は教師だからいけないのか、人として良からぬことなのか。かなり牧歌的な職員室での結論は聖職者は生殖者ではあってはならずというものだった。■しかし当事者である鈴木先生は最初から謝罪という結論ありきでクラス会議にはのぞまないという態度をとる。生徒たちの冷たい視線、何をどこから攻撃してくるかもわからない雰囲気、突然被告席に座らされる居心地の悪さ。あの小川蘇美からも今日ばかりはわたしを頼らないでくださいと告げられる幸先の悪さ。もはやソルマック3本飲みでも治まらない胃のむかつきは画面を通してわたしの胸にも押し寄せてきそうなくらいだ。■それでも別室でその裁判をのぞき込んでいる他のクラスの少女のように他人事みたいにその状況を楽しんで見ている自分もいる。どうする鈴木、あのいつもの理路整然とした論法で子供たちを打ち負かしてみろ。さもなければ、おもいっきりカッコ悪く彼らにけちょんけちょんにやっつけられてしまえ。■鈴木裁判と銘うたれたこの場面はこのドラマのクライマックスのひとつだと思う。独自のスタイルで子供たちを感化し続けてきたひとりの教師が彼らの信頼を裏切ることなく自分のしたことを自分の言葉で納得させることができるのか。そのお手並み拝見にあたるのが次回ということだろうか。■今回も後半の裁判に至る過程の描き方にこのドラマの面白さを感じた。通常のドラマであれば生徒側はある程度一致団結して被告である先生に対するという雰囲気が出来上がっているはずなのだが、ここでは裁く側も一枚岩とはなっておらず、ヒステリックに泣きわめく者、我関せずとそっぽを向いている者、そもそも裁判自体に疑問を抱いている者という風にバラバラになっている。■その喧騒が徐々に収まっていく様が実は鈴木先生自らが今まで実践してきた討論のルールとか、他人の意見を思いやる姿勢とか、客観的に物事を見つめる態度とかに基づいているものであることがなんとも皮肉的。そんな修羅場で鈴木先生自身がこの裁判の行方を実は楽しんでもいるのだという内面描写にこのドラマのすごさをまたしても感じてしまった。
2011/06/20
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■前半の課外授業はまるで白熱教室のサンデル教授の講義のよう。様々な価値観がぶつかり合う教室というカオスの中で定点を示さず、それぞれの人格を尊重できる教師が一体どれくらいいると思う?それをさらりとやってしまえる鈴木先生の手腕に拍手。というか、このあたりの整理の仕方は前回に引き続き脚本家岩下悠子の筆によるところが大きいと思う。■学び÷経験=学習率という鈴木メソッドを引き合いに出せば、必ずしも経験年数が豊富な教師が秀でているということにはならず、鈴木君のように若くてもその都度物事を突き詰めて考え、血肉にしていく人間にはかなわないということになる。■ただし肝心なのは辿り着いたその考察をいかに子供に対して胸に迫るように言語化できるかどうかにかかっているという点。せっかく伝えたいことがあってもそれが伝わらなければ何もしたことにならないのが教師だ。■後半は鈴木君がいかにして鈴木先生になっていったかというひとりの少女を巡るエピソード。物言わぬ女子生徒の内面を見逃してしまった過去の自責と後悔。諦観に行きついた時、人は輝くのだという見せ方はとても深いところを突いてくる。そんなひとりの少女の表情を見誤らない教師が一体どれくらいいると思う?
2011/06/06
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■チョークを落とす先生は動揺している。あるいはチョークを落とすと先生は動揺する。自信たっぷりな先生なんておそらくいない。それだけ教室には突発的に起こってしまうあれやこれやがある。■このドラマ、中学生役の子供たちのセレクションが実に巧い。今回の問題の中心に据えられた女生徒は通常の学園ドラマなら、いかにも芸能人のような茶髪の女の子などが選ばれそうなものだが、どこにでもいそうな平凡な女子が演じるそれはなんともリアル。■保健室で鈴木先生に開口一番「かぶってないもん!」と自己主張する女の子の抵抗はそうか、要点はそこなのかと目の覚める思い。聞いていて眩暈がするくらい著しい自己弁護だと思うのだが、そんなことで倒れてしまっては中学校の教師なんてやっていられないのだろう。■家庭訪問先で母親と男子生徒に向かって独自のセックス観を語る鈴木先生を見ながら、この人は誰に向かってそんな価値観を吐露しているのかと考えてみた。保護者目線で見れば理想論、生徒目線でいえば難解。結局彼は自分自身に向けて思考を整理しているにすぎない。恋人の思わせぶりな電話の切り方はこの問題が後を引く伏線なんだろう。■彼女が彼のあとをつけ、彼が彼女のあとをつけ、彼らが彼のあとをつけ、関係者全員が同じひとつの場所に集まるという展開は巧い。そこで繰り広げられる暴露大会をストップもかけずに言わせっぱなしにする鈴木メソッドもまた正解かどうかわからない。天敵・冨田靖子の乱入でますます嵐の予感。■いかに敏腕教師と言えども、ひとりで全ての問題を解決していくことはできない。生徒から暴力を受けたらそのことは報告すべきだし、生徒宅に出向く時もできれば複数で訪問するに越したことはない。このままではドラマの中の金八先生になってしまうぞってちょっと鈴木君に言ってやりたくなった。
2011/05/30
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■メガネありとメガネなしの長谷川博己君のギャップがすごい。メガネは顔の一部と言うが、それがあるとなしとではたとえば生徒に対する威圧感は激変。生徒の制服と同じように、この人のメガネはその職業を知らしめるためのひとつの防具のようにも思われ。■相変わらずの妄想シーンからスタートし、これは薄味コメディかと思わせる導入部のやり口はそろそろ路線変更した方が良いのでは。この入口から入って実に深淵な終盤を迎えるという展開は定番になりつつあるとはいえ、やはりこのギャップも鈴木先生の素顔とメガネのように落差が大きすぎる。■今回のポイントは嫉妬の果てに周囲から激しく吊し上げられる小川蘇美の心の動きであったが、彼女が鈴木先生に宣言する「自分が良いなと思う自分でありたい」「オトナが良いなと思うだろう女子学生でありたい」というセリフにすごく深いところを突かれた感じがする。意識的かどうかよくわからないが彼女の発音する先生は「せんせぇー」ではなくしっかりとした「せんせい」でもあるのだ。■そんな14歳か15歳の少女に先生も(嫌われキャラやおちょうしものキャラに逃げないで)いつまでもベストな先生でいてくださいと言われる先生の重荷も強く感じる。これは人の内側をのぞきこむドラマではなく、外側をいかに厚く塗りつぶすかというドラマなのかもしれない。
2011/05/23
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■毎回本当に面白い。そして必ずどこかで1回は泣いてしまう。あの音楽はずるい。大沢君の笑顔もずるい。NHKも英断ふるってこれを大河でやってみたらどうなんだ。同じキャスト、同じ脚本(森下佳子)、まあ演出までは無理だとしてもね。■第2部の大きなテーマは歴史の修正力ということだが、南方仁が救える命の数とその人選はあくまで後世に影響力を及ぼさない範囲に留まるという部分が物語としてとても面白い。■たとえば坂本龍馬を救うことができたら、たとえば沖田総司の病を治すことができたら、たとえば佐久間象山の命をとりとめたなら。そんな無数のたとえばに対して、もしもそれらがすべて叶ったとしたら、今と同じような西暦2011年が訪れていたのだろうか。■結局、歴史が人を作るんだと思うな。たとえ誰かが志し半ばで死んでしまったとしても、誰かがまたその業績をそのままやり遂げたんじゃないかな。歴史に復元力があるとすれば、第2第3の坂本龍馬が必ず現れあの時と同じ事を成し遂げるのではないかな。■今回登場した人物の中で長崎の私塾で南方の講義を聞いていた田中某(からくり人形とか無尽灯を発明した人)は東芝の創立者だそうだ。仁からLED電球を渡され感激していた彼がいなければこの日曜劇場もなかったということか。そして南方先生がいなければうちのテレビもレグザではなかったのかと考えると感慨ひとしおである。PS■「鈴木先生」同様、いまのところ村上もとか先生の原作を読んでいないので不明であるが、この南方仁と南方熊楠の関係はどうなっているんだろうか。ちょっとだけ興味深々である。
2011/05/22
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