引き続きここでは1981年から1984年までの"DISCIPLINE" KING CRIMSONについて書いていこうと思う。 1974年に、前KING CRIMSONを活動停止にした後、ROBERT FRIPPはBRIAN ENOとのコラボレーションの後、セッションワークと自己の音楽表現のために開発した「フリッパートロニクス」による活動、それはパンクやディスコといった商業音楽とのイベント的参加を行ったりしている。セッションでは(彼独特の言い方をすると恐竜的プロジェクト)DAVID BOWIE,HALL & OATS, BRONDY, TALKING HEADSの活動に参加した後、LEAGUE OF GENTLEMENで自己の音楽表現の追及を図るが、1枚のアルバムで頓挫する。そこでFRIPPはかつての盟友BILL BRUFORD、おそらくTALKING HEADSで出会ったであろうADRIAN BELEW、おそらくPETER GABRIELとの活動で出会ったTONY LEVINといったメンバーを集めて「DISCIPLINE」というユニット名で活動を始める。主にヨーロッパで約15回のギグを行った後、突然KING CRIMSONと改名する。
それについてROBERT FRIPPは、「今回のこのCRIMSONの再結成は7年間の個人退却と研究と内省と考察の成果だ。CRIMSONは74年に解散したわけでなく、ただその当時のバンドの欠陥を私はどう正せばよいかを考えられなかったので、バンド活動を一時的に休止させてもらったわけだ。その間、CRIMSONというアイコンはずっといき続けてきたわけだ。DISCIPLINEと名乗っていたバンドと練習を始めてまもなく私は気付いたのだ。たとえどんな名前がついていようと、このバンドは真のKING CRIMSONそのものだった。だから、昔のCRIMSONを再結成するとかいう問題ではなくて、今のバンドは紛れもなくKING CRIMSONと言えるのだ。」などと言うまことしやかな言い回しで世界中のプレスに対して宣言しているのだ。