江戸東京ぶらり旅

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忠臣蔵,テロの原因

吉良上野介はなぜテロにあった?


 両国駅近くに回向院というお寺があります。勧進相撲が始まったお寺です。この東側に吉良邸があって,12月14日にテロリストたちが,吉良君を襲い,首をとって泉岳寺へ凱旋しました。



 テロにあった吉良上野介義央(よしなか)君ですが,何を恨まれたのでしょうね。
 吉良君は江戸城勤務の公務員でした。仕事の内容は,お城の中で行われる各種行事の礼儀作法を指導,その責任者のようなことをしていたのです。年俸(給料)はあれこれ手当を含めて6,000石弱の旗本クラス。こんな程度の年俸だったのですが,従四位上・少将という高い位をもらっていた。

 それで浅野内匠頭(たくみのかみ)君はどうかと言うと,年俸が50,000石だから,吉良君なんてまったく目じゃない。当時は年俸が身分の上下のおおよその判断材料だったからね。ところが,位はというと従五位下という,吉良君よりもずっと下の位だったのですね。滋賀県の彦根出身のあの大老にまでなった井伊直弼君だって25万石でしたが,従四位下。やはり吉良君の方が地位が上なのです。

 そんなことで,給料が少ないくせに地位が高いということで天狗になってしまった。俺の方がお前達より偉いんだ,と。給料が安いハンディーをカバーするために,30万石の上杉家から奥さんをもらったのですね。それがラッキー,上杉君が急に亡くなったので,吉良君の子供が上杉家を継いだ。

 そんな理由で,浅野君は吉良君を目上だとは内心思っていない。だから吉良君にお礼をするなんて微塵も思わない。本当なら目上の先生からあれこれお城の行事の礼儀作法を教えてもらうだから,そのお礼にといったらいいのか,袖の下を贈るのですね。でも浅野君はしない。

 吉良君としては,俺がお前の先生だ,ちゃんと指導してやったのに盆暮れの付け届けもしないで,浅野君は礼儀をわきまえない無礼者だ,と思う。それで,浅野君に対して何かに付け文句を言い,意地悪をしたくなる。俺が偉いんだという思い上がりがそうさせたのでしょうがね。お互いにすれ違い,それで吉良君の意地悪にとうとうぶち切れて,浅野君は江戸城内で斬りつけたのですよ。

 これが一大事に発展。浅野君は謹慎,切腹,浅野君の故郷の赤穂の仲間たちはこの処置を不満に,じゃ主君の恨みを晴らそう,じゃテロだ・・・となったのですね。テロの実行にはあまりにも多すぎる人でしたがね,あんな大勢でやって,当然脱落者も出るし,秘密がばれなかったのは何よりの幸い?



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