Mardi Gras


そんな皆さまは豪州シドニーがgayの町であることをご存知でしょうか?
そしてちょくちょく色んなゲイイベントはあるのですが、
その中でも一番の目玉&最大級のモノがMardi Grasです。




元々この国の生い立ちは英国の「流刑島」。
ここに送られてくる割合は男が断然多かったそうです。
そしてその昔、英国で同性愛は「犯罪」でした。御法度よ。マジで。
当然この国に来た同性愛者もいたのではないかと思います。
そんなこんなで基本的に同性愛者が増えやすい傾向にあった事は
想像に難くないですね。
ですが、だからと言ってこの国が最初から同性愛に対して
オープンであったとは言えません。

英国の植民地であったこの国は、
基本的に古い時代の英国の考え方を引きずっている感があります。
気候・風土も違うのに昔の英国風の家の造りだったりね。
で、当然「ゲイは御法度」みたいな空気も残っていたわけです。
人数は多いのに日陰者。
そんな方々が自分たちの存在と権利を主張するために始めたデモ行進が
今のMardi Grasの始まりでした。1978年のことだったそうです。
でもその頃は当然今のような華やかで規模の大きいパレードではなく、
マイノリティによる小さく真面目なデモ行進。
何と鎮圧に当たった警官の暴力により、多数のけが人や逮捕者まで出たそうです。

が、その小さな息吹はしっかりと受け継がれていき、
年々更新は大きなモノとなっていき、やがては巨大パレードとなり、
今では国内外から多数の人を集める一大イベントとなりました。
特に2月は「Sydney Gay Lesbian Mardi Gras(SGLMG)月間」と銘打たれ、
映画祭、演劇、展示、パーティなど様々な関連イベントが行われています。
その中でもパレードはそのフィナーレを飾り、観客数は65万人にものぼるとか。
すごいですね。
でも、そんな凄いイベントも実は存続危機の憂き目にあっているのです。




事の発端は、不景気。
こちらに長く住む友人Mさん曰く、「スポンサーが付かない」とか。
確実に世界の不景気の波を受けて、色んな企業が財布の紐を締め気味。
で、徐々にSGMLG事務局の赤字が増えていったそうです。
昨年初めてパレードを見た自分からすると十分に大きなイベントだったのですが、
Mさんがこっちに来た7年前くらいに比べると「相当小さな」規模で、
「パレードの規模は徐々に小さくなってる」だそうで。
同様の意見は他の日本人・豪州人両方から聞かれており、
逆に「大きくなった」という人は一人もいない事を考えると、これはおそらく真実。

さらに現地の日本語新聞紙「日豪プレス」によれば、

昨年のテロ事件の後(中略)米国を筆頭に海外からも多数の同性愛者の観光客を動員するイベントへと成長していたが(中略)海外からの観光客が激減し、通常海外からのSGLMG参加者がパッケージとして購入するパレード後のダンスパーティーも多数のチケットが売れ残ってしまった。赤字経営を受けて、スポンサーが相次いで手を引き(中略)これがSGLMG事務局のあっけない終幕となってしまった。
     (日豪プレス Vol,26 No,305 Feb 2003, p36 より)

と言う状況。
ええ、実は倒産していたんです。SGLMG事務局。
今年は本当にパレードの存続すら危ぶまれていたんです。
まあ何とか去年の半ばにはその借金を引き受けて事務を存続する新団体が生まれ、
今回のパレード開催に至ったわけですが。
それでも今回のパーティーのDJやゲストはみんなボランティアで行っているとか。
未だもってこの記念すべき一大イベントはその存在そのものが不安定なのです。




ここからは、私見。

正直言って、今のMardi Grasの存在が危ういのは
何も経済的側面に限った理由だけではないと考えます。
その昔、と言ってもまだ30年前の事ですが、
同性愛者は確実に社会から疎外され、その権利は認められていませんでした。
それは私達同性愛者を動かす強い原動力となり、
パレードや様々な活動を通じ、結果として今この国で認められている
様々な権利を手に入れたわけです。
この国では「デ・ファクト」(事実婚)が法的に認められ、
レジデントと外国人の同性愛者が一年以上一緒に住んだ場合、
外国人の人が永住権を手にすることができます。
まだ結婚は出来ないのですが、現時点に置いて
これは同性愛者のカップルにとって福音と言えるでしょう。
同性愛者の同性愛者による同性愛者のためのビジネスも多数存在。
ここでの同性愛者コミュニティーは非常に強力で、実際にお金も動いており、
この国の経済活動に置いて無視できないレベルになっていると私は考えます。

が、そうした活動が私達の権利を求める活動を弱める原因になっているのです。

今の私の世代、つまり20代半ばからそれ以下の人にとって、
そうした権利は「勝ち取ったモノ」ではなく「既存のモノ」。
あって当然なんです。
昔はコミュニティに参加して色んな出会いを通じて得てきたモノが
今は声を出さなくても、手を伸ばさなくても「そこ」にある。
さらにインターネットの普及により、
自分からゲイの出会いの場所に行かなくても画面を通して色んな人と知り合える。
こうしたことが何を引き起こしたかというと、「コミュニティー離れ」です。

先日読んだゲイのフリーペーパー(Star Observer)やその他の新聞によると
若い世代の中でOxford Streetの様なゲイコミュニティーに行ったり、
そこでの友人関係やパーティーに参加すると言った活動に対して
価値や重要さを感じないと言う人の割合が増えているそうです。
(正確な文献名・日時は忘れてしまいました・・・すみません)
むしろ、家に彼氏といる・ジムで鍛える・友達と普通に出かける・その他の
「ゲイゲイしくない活動」「自分に近い空間での活動」に対する比重が上がっている感じ。
逆に「典型的なゲイ」っぽい活動に対して嫌悪感を覚える人もいるほど。
もちろんOxford Streetで踊ったり飲んだりするのが好きな人も沢山います。
クラブ好きも沢山います。
が、同時にそうした個人的な活動を好む人も増えているわけで、
「多様化が進んでいる」、と言うべきでしょうか?
何にせよ、昔ほどゲイは同じ方向(権利の獲得)に向かって歩む事はなくなった、
個人が個人として歩む事が増えてコミュニティは拡散した、と言うことですかね。

マイノリティが声を挙げ、そしてそれが認められた時、
マイノリティはマイノリティでなくなった。
自然にそこに存在することが許され、
そして社会に溶け込んだ時、その力を失い始めた。
何故ってそれはもう「特別な事」ではないから。

でも、まだ完全に権利が認められたわけではありません。
未だ差別が残っていることは事実です。
これからも私達の活動、
そしてMardi Grasも続いていく事でしょう。
ただ、それはきっと今までとは違った形となるはず。
実際、去年まで「同性愛者オンリー」だったフィナーレのパーティーは
今年から完全に「ジェンダーフリー」になりました。
経済的理由もあるのでしょうが(倒産の危機なので)、
これは時代の流れに沿った自然な流れだった様な気がします。

これから私達の活動の流れはどうなっていくのか、
新しい形はまだ見えてきません。




ただ、この素敵なPartyはこれからも続いて欲しい!
お祭り騒ぎが大好き!!
純粋に誰でも楽しめるイベントとして、
これからもこのパーティとパレードが続くことを心から望みます。

                        1, 03, 2003   


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