クレスタの日常劇場♪亜米利加☆じゃぱレス見聞録

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生と死






ぴよぴよさんの部屋 の日記~お借りしてきました。



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『生と死』 05月26日(水)




昨日は、とてもきれいな星空が広がっていましたよ。

ここは、街中からかなり離れているので、天気さ
え良ければかなりの数の星が見えます。
(母方の実家には負けますが…)

運がよければ、流れ星も見えると思います。


その星空を見上げながら、一昨年の夏に起こった、
交通事故のことを思い出していました。


後ろから車にはねられたのです。。
10数mほど飛ばされたらしいのですが、幸い、
ショルダーバッグの中にドロップの缶を入れていたため、
それほど大事にはいたらなかったようです。
(そのドロップもたまたま前日に買ったものなんですけどね)


空を飛んでいる間の記憶はもちろんありません。
メガネがはずれていたので、ここがどこなのか、
そして、
何が起きたのか全くわかりませんでした。

その後、救急車で病院に運ばれ、おでこを計8針ほど
縫ったのですが、その他には大した怪我もなく、その
まま退院しました。

その日の晩は何も考えずにゆっくり寝たのですが、

『生』と『死』の境目が、紙一重で
あることに気付いたのは、次の日でした。


きっかけは交番の入り口にある、「交通事故発生件数」
の掲示板を見たときです。

そこには、「負傷者数」と「死亡者数」の欄があり、

その間には一本の白線がひいてあるだけ…。

「あ、『生』と『死』ってこれくらいの差しかないんや」

と、とっさに思いました。
もう少し運が悪ければ、
3人目の「死亡者」になっていたところだったのです。


以前、

『死ぬ可能性はどの瞬間にもあって、
生きているという
ものすごい偶然に感謝すべきだ』


という言葉を聞いたことがあったのですが、
その 『可能性』と『偶然』の意味
さっぱりわかりませんでした…
この出来事がおこるまでは…。


そして、
「おれはなんで生き残ってんねやろ!?」と
ひたすら考えた結果、


『まだなんかやり残していることがあるんやわ』
という結論にたどりついたのです。。


『やり残し』…なんでしょうね。さっぱりです。
いまは、やりたいことをやることが、その『やり残し』
を見つける一番の近道かなと考えています。

ただし、わかったことがふたつあります。
それは、 自分から動かないと
『やり残し』たことは見えてこないということ、
そして、『生と死』は、常に隣り合わせである
ということです。




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前にも一度、書いたことがありますが

人には寿命と言うものがあると信じています。

生きてるあいだには、
嫌なこと、辛いことがたくさんありますよね。

「生きる」ということは、時として
「死ぬ」ことより大変だと思い込むことがあります。

でも・・・人は死と向き合ってはじめて
『生きていることの幸せ』を感じるのでしょう。


じつは、もう時効なのでお話しますが
何度か自分の命を粗末にしたことがありました。
(これはそのうちに灯台のページに追記しましょう)

幸いにも、ワタシの寿命はまだまだ残っていました。

でもこのことを通してわかったことは
「人間死ぬ気になれば何でも出来る」っていうこと。


「生」と「死」は隣り合わせだからこそ、
いつなにが起こっても悔いのないような生き方をと
おもうのです。




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