つぁひ→た~く→らずぴぃのおへや

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そのろく ~だいがく ぱーと2~

さて、晴れて音楽学部生になった私でございますが、その話をする前に、もう少し補足する事がございます。

ラジオの話がぱーと1で途中になってしまいました。あれには続きがあります。

結局のところ、講習が終わった時点では、一人ではちょっと番組を持つのは厳しいなぁ、と思ったのが本当のところでした。日本人の友達もできた事だし、ラジオパーソナリティなんて、確かに超魅力的なことだけど、ここはあきらめよう、と思ったのでございました。

しかし、12月が終わる頃、あまりなることのない我が家の電話が鳴り、日本人女性が電話の向こうにいました。

「うぃっくさんですか?」
「はいそうです。」
「私、なおよと申しまして…」

なおよさんは、私が受けたすぐあとの講習を受け、プロデューサーに、私と組んで番組を持ったらどうだ、と勧められた、という事で電話をくれました。
おぉぉぉ、なんと素晴らしいおはなし!
即OKしました(笑)。
話によると、12月中にデモテープを作り、プロデューサーのOKが出れば1月から枠をもらえる、という事で、ばたばたと事を進めました。
プロデューサーは何だか知らないけれど日本の音楽が大好きで、日本の番組があればいいのに、といつも思っていたそうです。実は私たちが番組をはじめる6年前に日本語の番組が存在したそうですが、担当者は卒業と共に帰国してしまったため、跡継ぎがいなかったので、そこで終わってしまったようです。

いたく気に入られてしまった私たちは、とんとん拍子で番組を持つ事になりました。これはまた別のページでお話しましょう。

さて、音楽学部生としての生活が始まってから、私の生活にも色々と変化が起こります。
まず、練習時間がぐっと増えた事。当然のことながら、自分のピアノの勉強(練習)はさることながら、伴奏をしなければいけないので、その練習が加えられたわけです。その他に、合唱の練習、授業の中でアシスタントとして何かをするものの練習、などなど、一気にピアノを弾く機会が増えました。
ピアノに加え、副専攻を選ばなくてはいけないのですが、私はあえて歌ではなく違うものを専攻することにしました。オルガンです。オルガンといってもパイプオルガン。専攻している生徒は私一人だったようです。その他、頼み込まれてなぜかハープシコード(別名チェンバロ。ピアノのご先祖に当たる楽器)も弾く事になります。というわけで、これらの練習もしなければいけない。

これに加え、各教科のレポート、テスト勉強、ボランティア活動3つ(日本語クラブとラジオと地元の高校の合唱クラスの伴奏とボイストレーナー)、バイトが1つ(大学で日本語のティーチングアシスタント)、4年の時にはこれにさらに加えて地元のオペラ団体に加わり、コーラスの一員として舞台に立っていました。

こんなにぎゅうぎゅう詰めにしたのには色々と理由がありまして…
まず、最初のピアノの先生とは全く馬が合わず、非常に悩んでいた挙句、その先生からは何も学べなかったため、先生の変更をする事になったのが1つ。これはそこまで珍しい事ではないようですが、先生も私も来年は関わりたくないと思っていたのは事実です(笑)。

それから、その当時付き合っていたばかなカナダ人に捨てられてしまったので、かなり落ち込んでいたのでございます。このカナダ人、日本人としか付き合っていなかったようで、そいつのカナダ人の女友達に後になってから聞いたことですが、典型的な日本人でないとダメなようでした。事実、彼女に聞いてみたら、彼氏としての魅力はゼロだそうで… その彼女曰く、「そりゃ無理よ。うぃっくはあいつにとってはカナダ人すぎるもの。」 …カナダ人すぎるねぇ。…今もそうかもしれませんが(笑)。とにかく、あっさり捨てられて、かなり落ち込んでいた自分は気が狂ってしまったのではないかと思って、大学の心理カウンセラーに会いに行ったほどでした。ちなみに、カウンセラーの先生は、

「うん、典型的だよ、君。普通、普通。時間がたてば気持ちの整理も出来るし、君なら吹っ切れるから。大丈夫だよ。」

なんて言われ、とにかくあまり考えないように、といわれたのをきっかけにありとあらゆる事に手を出し始めたわけです。

おばかな私は、上記だけでも結構過酷なスケジュールなのに、必須である伴奏の人数はたった2人のところを、“NO!”と言えずにうっかり人数を増やしてしまい、ピーク時には8人の伴奏をしていました。(ピアノの先生には、これが発覚した後「NO!」と言う練習をさせられました<笑>)
8人の伴奏ということは、週に1度みんなとリハーサルをするだけで合計8時間。この8人分の練習、自分のピアノの曲の練習、頼まれた合唱の伴奏の練習、他のクラスの中での伴奏の練習、などなど、何だかすごいことになっていました。

睡眠時間は運がよければ4時間。大体いつもは2、3時間といったところでした。 若かったんだなぁ、私(笑)。今はとてもあのような生活は出来ません。でも、本当に楽しかった。一つ一つの事が本当に楽しくて、どれをとってもいい思い出です。

色々な分野に手を広げたので、大学時代の友達は音楽だけではなく、日本語つながりだったり、ラジオつながりだったり、オペラつながりだったり、その他のつながりもたくさん出来ました。

合唱では、大きなコーラスグループではなく、小さなグループにオーディションを受けて入り、毎年行われるコンサートツアーに参加しました。私がいた時は、ニュージーランド、オーストラリア、ハワイのダウンアンダーツアーと、ブリティッシュコロンビア州内ツアーに参加しました。

忙しくしていたので、あっという間に大学時代も終わり、私の音楽のキャリアにいったん区切りをつけ、新たな道へ進むのでございます。…


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