海月の部屋

海月の部屋

小学校低学年




●入学翌日から問題発生!?

入学式は母と2人で歩いて学校まで行った。クラスでは母と離れ不安だったけど、同じ保育園だった子もいるし、とうとう小学生ということできっとワクワクもしていたと思う。(実はあまり記憶がない^^;)
次の日からは近所の子たちと学校へ。うちの地域は登校班があって、班長が先頭、副班長が最後尾を歩き一列になって学校まで行く。問題は学校に着いたとき起こった。・・・下駄箱の場所がわからない!まず、東と西のどちらの入り口なのかもわからなかったし(^^;6年の班長さんが私の下駄箱を探してくれて、どうにか中に入れてホッとした。この出来事は、自分でもそんな事態になったことを驚いた。私は下駄箱の場所を忘れてしまったんじゃないんだよね。覚えようとしてなかったんだ。覚えなきゃいけないということにも気付いていなかった。保育園の頃はわからなくても先生が当たり前のように教えてくれて、その繰り返しでいつのまにか場所を覚えていたんだろう。だからといって学校でも同じことを期待していたのではなく、たぶん何も考えていなかったんだ。この一件でさすがに自分でもまずいと思い、その後下駄箱を忘れたことはなかったな。

●私はのけ者?

小1の頃、うちのすぐ近くに同じ学年の子がいない私は、いつも1人で家に帰っていた。帰り道時々思っていたこと。「今頃私1人のけ者にして、クラスのみんなで集まって楽しいことをしているんじゃないだろうか」人見知りが激しいから誰とでも仲良くなれるタイプではないけど、別にいじめに遭っていたわけでもなく、学校ではそれなりに楽しく過ごしていたはず。なぜか勝手にそんなことを考えて1人で不安になっていた。小2の頃には同じ方向の友達と途中まで帰るようになっていたし、こんなことを考えていたのは本当に6~7歳の頃だと思う。なぜそう思うようになったのか理由はわからない。小さい頃から不安は何かと感じていたし、いろんな想像をしていた内向的な子ではあったけど。

●近所の家に入れない

小2の時だったと思う。母が近所の家にあがってはいけないと言った。親子共々仲良くさせてもらっていた1件の家を除いて。近所の子数人と外で遊んでいると、そのうち中に入って遊ぼうということになる。1つ年上の男の子の家が多かった。でも私は入れない。縁側から無理矢理のぞきこんだりしたこともあったが、大抵つまらなくて途中で帰った。でも1度だけ家にあがったことがある。楽しかったが罪悪感でいっぱいだった。当時は「親の言うことは絶対」だと思っていたから。自分だけこんな思いをしなくてはいけないことが納得いかなかったけど、この頃は自分で物事を判断できなかったから、母には特に言わなかったと思う。でも、これがきっかけで近所の子たちとも遊ばなくなっていった。近所で仲良かったのは1人の女の子だけ。
この一件でかなり母のことを憎んでいた。でも大学の頃、本当は「あまり家にあがったら迷惑だから」と深い意味もなく言ったことなのではないかと思いつく。母にさりげなく聞いてみると、案の定全く覚えていなかった(^^;でもその場にいた兄は覚えていたので、兄も本当は近所の子たちと遊びたいのを我慢していたのかな。

●わかるのにできない

小2の時、宿題で算数のプリントをやっていた。計算問題50問。勉強はそれなりにできる方だったので、わからないということはなかった。でもだんだん集中できなくなって、どうにか45問まで解いたけど、あとはどうしてもできなかった。そして、それを見ていた兄に残り5問をやってもらってしまった(^^;これが初めて勉強をサボったとき。宿題をやってもらったのはこれが最初で最後だけど。
余談だが、私は現在も小2レベルの50問の計算問題があったら、きっと途中で集中がとぎれるだろう。引き算の繰り下がりが大嫌いでゆっくりしか問題が解けない。すごくイライラしそう。でも、実は中学、高校の頃数学は嫌いじゃなかった。なぜか難しい方程式、因数分解とかを解くときは、頭がクリアになって問題に集中できるのだ。まぁ、今はやり方を覚えてないからできないけど(^^;

●今日は転ばなかった

私は年中転んでいた。つまずいただけで倒れないことも入れれば、ほぼ毎日だったんじゃないだろうか。だから1回もそのようなことがなかった日は「今日は転ばなかった」なんて思うようになったんだろう。ある程度大きくなるとそこまでは転ばなくなったけど、年中ものにぶつかっていたし、自転車で転んだりもしたし、やっぱりあざだらけだったなー。両足で10個以上とか(^^;
あと、同じような記憶に「これはなくさないようにしなくちゃ」というのもある。こんなことを思うくらい、いろんな物をなくしていたんだろう、きっと。

●くやしくて涙

小2の時の担任は、何か授業中等に問題があった子に正座をさせていた。私はずっと正座をさせられたことがなくて、密かに自慢に思っていた。でもある日、授業中に正座をするように言われた。正座しながらくやしくて涙が出てきた。・・・でも泣いたのは初めての正座がくやしかったからだけではない。班学習の時、私は同じ班の子と意見が対立して言い合っていただけで、勉強をサボっていたわけではない。ちょっとエキサイトしすぎたかもしれないけれど。ただ一言先生が声をかけてくれれば良かっただけなのだ。それを、いきなり正座をしろと言われたから頭にきた。(先生は声をかけていたのに私が気付かなかっただけだったりして(^^;)・・・小2の時の通知表に「くやしがりの面がある」と書かれているので、先生は私の性格ある程度はわかっていたんだろうね。

●休み時間は特訓!?

小2の時、休み時間になると女の子数人(多くて10人くらい)で校庭で遊んでいた。リーダー的な子がいて何をするか決める。ジャングルジムのような一般的なものから、タイヤ跳び(タイヤが地面に半分埋まっていて跳び箱のように跳んでいく)、丸太渡り(ミニミニアスレチックな感じ)まで遊具を使って遊ぶことが多かった。ところで、私は勉強はまあまあできる方だったけど運動は全くダメ。跳び箱も跳べなかったし、高さのある丸太なんて恐くてとても渡れなかった。そんな私に対し、みんなが励ましながら1つ1つ教えてくれた。そうして最後にはタイヤが跳べるようになり、ゆっくりながらも丸太を全部渡れるようになった。できるようになってすごく嬉しかったし、みんなもとても喜んでくれた。あの関係はよかったな。

●環境で人格が変わる?

保育園の時から習っていたエレクトーンに加え、小2の秋から書道教室にも通い始めた。初めてのことに対する不安が強い私は、とにかく緊張していた。知らない人たちのところへ1人で飛び込むというだけでとても恐いことだった。だが、しばらくすると慣れて、毎週楽しく通っていた。騒ぎすぎて先生に注意されるくらい(^^;そんな私はエレクトーン教室ではとても静かな子だった。先生に返事をするのがやっとという状態。さて何が違うのか。エレクトーンは音楽を習うところだから、人が演奏中におしゃべりはできる雰囲気じゃない。1人1人時間が決まっていて交代で来ていたから、一緒にいるのは多くても2,3人だし。その点、書道教室は小学生たちが大人数(10人以上)集まっていた。にぎやかな男の子がいたりして、自然に私も内面にあるにぎやかさ、ずうずうしさが表に出たんだろうな。こっちの方が気楽で好きだった。エレクトーンの先生には言いたいこともろくに言えない感じだったから。でも書道は小学校卒業と同時にやめたのに対し、エレクトーンは中2までやってたんだけどね。

●自分の部屋

小3の時家を建て替えた。それまでは兄と2人部屋だったのだが、私1人の部屋になった。壁紙やカーテンも自分で選んだ部屋。うれしかった。だが、1人部屋になったことで問題もでてきた。本格的に勉強をさぼるようになってしまったのだ。この頃はまだ学校では真面目で、日々の宿題もきちんとやっていた。でも、勉強時間のほとんどはマンガや本を読んでいたなぁ。母が階段を上がってくる音がすると、あわてて勉強しているふりをする。家庭学習用のワークブックは答えを見て写すようになった。時々わざと間違えた答えを書いたりして。我ながら嫌なヤツだ。

●勢力からはみ出た者たち

小3ともなると女の子特有のグループというのができてくる。クラスのリーダー的な存在の子がいて、その子にみんな従っていくという感じ。でも私はそれになじめなかった。気付けば、同じような子たちが集まり「はみ出し3人組」となっていた。立場が弱く嫌な思いもしたけど、1人じゃなかったから寂しくはなかったな。そう言えば3人の共通点は運動が苦手なことだった。やっぱり行動的な子の方が強くなるんだよね。


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