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皿倉山から息子の住むマンションへ戻って、準備をして新門司港へ移動しました。 夏休み真っ最中の時期だったのですが、日曜日ということもあったのかやや車の台数は少なめでした。乗客は団体があったので割と多かったですね。 夕食です。混雑していました・・・。 神戸行きの船でしたので、よく朝6時前に明石海峡大橋の下をくぐるということで、早起きして甲板へ行きました。みんな頑張って起きているんですね。こ 動画を撮っていたので、写真は橋をくぐってからです。 穏やかな海で、快適でした。 明石海峡周辺はいい漁場なのか、漁船も多かったです。ただ、フェリーが通っているのに、近いところを横切ったりするのはどうなんだ?って思いました。漁船だからスピード出せばかわせると思っているのかもしれないけどさ・・・。 それはさておき、フェリーは定刻に神戸六甲アイランドに到着しまして、私の今回の夏旅行が終了しました。今回は、広島で野球が見られたし、博多では久しぶりに同期に会うことができた、佐賀では献血もできたし、なかなか楽しめました。
2024年08月16日
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今回の旅の締めくくり、というか3月に北九州へやってきたときにも気になっていたのが皿倉山です。八幡東区にあって、前の日に宿泊した八幡駅近くのホテルからもよく見えていました。夜景がきれいとのことでしたが、昼間の様子をまずみてみたいということで、今回の旅行の最終日の昼食後に行ってみました。 ふもとからだとかなり急な道を上がっていって、コインパーキングがあったのでそこに止めました。夜景を見るつもりであがってきたら、このコインパーキングに入るだけで大変だったかも、 ここからはケーブルカーで山頂を目指します。 こんな感じのケーブルカーですね。 屋根の部分からの景色も楽しめる構造になっています。 ケーブルカーでまずは山上駅を目指します。 かなりの急坂ですよね。 標高を稼いでいくと、北九州の街並みが一望できるようになってきました。 洞海湾が広がって、とても景色がよいところです。 山上駅からはスロープカーというモノレールに乗り換え。乗車時間はわずか3分でした。 小さな車体ですが、このスロープカーがないと結構な坂道をあがることになります。 この日は、昼から天気が不安定になって雨は降らなかったものの雲が目立ちました。ケーブルカーで上がってくるときはまだましだったんですけどね。洞海湾の方向はガスがかかったようになってしまいました・・・。 山頂に上がってきた目的の一つは、アマチュア無線の移動運用を行うこと。430MHz帯で運用してみると、3局の方からお声がけがありました。ここは標高が610mですから、電波もよく飛んでいるようでした。3局のうち2局は同じ北九州市内の方でしたが、もう1局は福岡県嘉穂郡の方でした。時間の関係とタイミングが良くなかったのか3局しか交信できませんでしたが、運用できてよかったです。 山頂にある展望台駅の近くには休憩所があって、そこにある展示をみていました。 この皿倉山から見る夜景はかなりきれいのようですね。今度は夜景を見に行ってみたいと思います。ふもとに当たるJR八幡駅から送迎バスもあるとのことですから、次はそれを利用かな・・・。 このケーブル路線は、1957年に開業とかなり歴史があるんですね。本当は帆柱ケーブルというのが正式名称だそうですが、皿倉山ケーブルカーという名称で通っているようです。 開業当初からの車両は2001年に現在の車両に置き換わったそうです。 このような写真を残してくれているのはうれしいですね。建設当時の写真もあって、股間を待つ間ずっと見ていました。 それにしても、景色はきれいだったし、アマチュア無線の交信としてもいいポイントだったことが分かったし、またの機会に上ってみたいと思います。
2024年08月15日
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今回の旅行の最終日は、朝7時から行動開始。まずは八幡から戸畑へ移動しました。 戸畑には対岸の若松を結ぶ若戸大橋があります。この日は日曜日だったこともあって、交通量は少ないはずということで、まずは若戸大橋を車で往復しました。確かに交通量は少なくてゆったりを走ることができました。 実は、若戸大橋を渡るのは二度目で、2001年ごろだったか出張で若松へ行った際にレンタカーで渡りました。当時は有料の橋だったのですが、その後2018年に無料化になったそうです。 1962年にできた若戸大橋は、色が赤いことからサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジに似ていますよね。1962年といえば、重厚長大の工業地域として大いに栄えていた北九州の勢いがあった時期なんでしょうね。 この若戸大橋の下には、渡し船があります。大阪市にも渡し船はあって無料ですが、ここは有料です。 これは大阪市の渡し船も同じですが、ちゃんと船のダイヤがあります。 この船に乗って対岸に渡ります。 船から見た若戸大橋です。長さは2100m、完成した1962年当時は東洋一の長さの橋だったそうです。 戸畑側の発着場を出発して若松側へと向かいます。 ほどなく若松側へ到着。この日はとても暑くて、短時間でも船に乗っていると風を受けて気持ち良かったです。 対岸は若松区、古い建物が今も利用されていました。 時間が早かったので、中に入ることはできませんでした。 歴史を感じる建物がほかにもあって・・・ 大いに栄えた時代の建物なんでしょうね。 もっとゆっくりしたかったけど、時間の関係で再び船に乗って戸畑側へと渡りました。 ほんとにこの日は暑かったです・・・。ちょっとした船旅ですが、いいものですね。 渡し船に乗る前に若戸大橋を渡って若松側へ渡りましたが、その際に海上保安庁の船と並べて撮影しました。遠くにはこの後移動する皿倉山が写っています。
2024年08月14日
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広島の平和記念公園を後にして、山陽自動車道を西進。この区間は、今年3月に逆方向で走っているのですが、奈良~広島間と比べるとまだまだ「はじめまして」に近い感覚です。 9時ごろに広島を出発、途中の下松などにて休憩しながら1230頃に本州最西端の壇ノ浦SAに到着。 壇ノ浦SAからは関門橋を見ることができます。この対岸はもう九州なんですよね。 昼ごはんに、おにぎりとふくのちきり天にしました。 こんな感じのてんぷら、練り物好きな私にとってはありがたいです。 昼時だった頃もあって、駐車スペースはいっぱいでした。そのため、私の車は、工事車両が並ぶ一角に置いています(笑)、 昼食後、この写真の関門橋を渡って九州へ入りました。 九州自動車道に入って、古賀SAで休憩。お土産の一つにスラダンの三井寿をイメージした酒饅頭が売っていました。私は酒饅頭大好きなのですが、私の家族にはすこぶる人気がない・・・。スラダンは好きなのに、結局買うことはできませんでした・・・。 この後、博多へ移動しました。
2024年08月09日
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先日の広島での宿泊場所は、平和記念公園近くにある「広島市文化交流会館」でした。朝起きてから平和記念公園へ行ってみました。ちょうど8月6日の式典開催にかかる準備の真っ最中でした。 1945年の8月のあの日もとても暑い日だったといわれていますが、この訪れた日も厚かったです・・・。 青空がとてもきれいです。式典の準備の関係でコーンなどが置かれていますが、手を合わせてきました。 原爆ドームも見ることができました。 かつてはこの原爆ドームの向こう側に、前の広島市民球場があったんですよね。そして、8月6日にはその広島市民球場では試合は組まないようにして、試合は福山などで行われていました。今年の8月6日は広島での試合はなかったのですが、新しいズムスタができてからは8月6日も試合が行われているようです。 前出の広島文化交流会館の部屋には、このような折り鶴もおかれていました。 明日8月9日は長崎の平和記念式典ですね。相変わらず全世界では紛争が多いわけですが、悲惨な争いごとは勘弁ですね・・・。
2024年08月08日
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広島・九州への夏旅行の一日目、奈良から広島へ移動です。 最初は私一人での移動の予定だったのですが、カープ女子の娘の仕事のシフトがこの日休み、しかも連休になったことから急遽一緒に行くことになりました、 奈良を朝9時頃に出発、神戸市内でかなり渋滞したのですが、それ以外は順調に高速を走行していきました。広島までの道のりは、何度も走っているのでもうすっかりとおなじみの道なのです。三木SA、吉備SAで休憩した以外は走っていました。 吉備SAでは、ソフトクリームを食べて休憩でした。 広島には15時頃に着。私の車はあまりスピードが出ないし、出したらうるさいし、なんと6時間もかかりました。ホテルに車を置いてバスで八丁堀へ、遅い昼食にしました。 これもすっかりおなじみ、お気に入りのお好み焼きやさんの「へんくつや」でお好み焼きを食べました。もう車を運転しなくていいので、ビールもいただきました。娘も待望のお好み焼きを喜んで食べていました。 そして、ズムスタへ移動。今日のメインイベント、カープの応援です。席は内野自由席。私はあらかじめとっていたのですが、娘は今朝、コンビニで購入しました。私が一人で行こうとしていた時は、指定席にしようかと思ったのですが、結果的に内野自由席にしたので娘と一緒の席で応援することができました。 私は毎回、ビールを飲んで、そのコップを活用してコンビニで買った氷と紙パックの梅酒で梅酒ロックにして飲んでいます。おつまみも家から持ってきた柿の種や娘が買ってきてくれた球場内のおつまみをいただきながら1年ぶりの球場での応援を楽しみました。 試合は、序盤に相手のFCで1点先制、6回に同点にされたものの、8回に菊池選手のタイムリーヒットで突き放し、2-1で勝ちました。先発のノーヒッター大瀬良投手に勝ちがつかなかったのは残念でしたけど、バックの守りはとても堅くて中村(貴)選手のファインプレーなども見られました。また、娘がお気に入りの會澤選手がヒット3本の固め打ち! とても楽しめた試合でした。 娘にとっては、急遽決まった休みだったので行こうか行くまいか迷ったようですけど、ホテルも確保できたし次の日の昼前の新幹線で帰れれば次の予定にも間に合うということで行くことになったのですが、結果的には久しぶりの広島を堪能できたし、會澤選手のヒットを見ることができたので大満足だったようです。 私も車の運転で疲れたけど、いい試合を見られたし、アルコールでいい気分でした(笑)。 それにしても奈良から広島、さすがに遠いけどもう一回シーズン中に野球観戦に行きたいなぁって思っています(笑)。
2024年08月06日
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8/1~今日まで、夏休みをもらって広島・九州へと行ってきました。日程的には、以下のとおりでした。 8/1 奈良~広島 8/2 広島~博多 8/3 博多~佐賀~北九州 8/4 北九州~フェリー 8/5 フェリー~奈良 広島では野球を、博多では九州の職場の同期と飲み会を、佐賀では献血、北九州では観光と息子への荷物の手渡しと引き取り、以上が目的でした。 例によって車で移動しましたが、奈良を出て戻ってくるまでの走行距離は、1000kmを超えました。高速代や燃料代はかかりましたが、まぁそれはそれで楽しめました。 この先、何回かに分けて紹介したいと思います。
2024年08月05日
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昨日と今日は出張のために和歌山県田辺市へ出張でした。ホテルに泊まって、今日の朝早くに散歩へ行きました。 JRきのくに線紀伊田辺駅から海の方へ歩いて行くと、扇ヶ浜という海岸に出ます。こ 残念ながら今日は曇天・・・。しかも砂浜は整備中ということで入ることはできませんでした。 仕方ないので遊歩道を歩いて行くと、ビーチバレーのコートやフットサルコートがありました。 ビーチバレーはいいのですが、砂浜でフットサルはきついでしょうね・・・。体力がいつも以上に消耗するでしょうね・・・。 砂浜が見渡せる堤防へやってきました。天気が良ければもっときれいに見えるんですけどね・・・。 この方向は白浜の方になるようです。 位置関係はこんな感じ。意外と近いんですよね。残念ながら仕事はこの田辺市だったので、白浜へ行くことはありませんでした。 天気はこの後小雨になってしまいましたが、なんとか仕事はできました。
2024年06月27日
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先日、栂・美木多へ仕事で行った帰りに泉ヶ丘駅で途中下車しました。泉ヶ丘周辺が結構変化してきているということだったので行ってみることにしました。 泉ヶ丘には高島屋泉北店があって、子どものころは同じ堺市内にある高島屋堺店とともに親に連れて行ってもらうのがうれしかったものです。そして、高校に進学すると、毎日のようにここを通って通学していました。それも卒業して就職するとなかなか立ち寄ることはなく、母親がまだ元気だったときは私の子どもが小さいときに一緒に買い物に行った程度でした。 泉ヶ丘駅から高島屋泉北店へ向けて歩くと、「パンジョ(Panjo)」というショッピングモールがあります。そして、噴水があったりしてゆったりとした広場がありました。 あれれ・・・ おっかしいぞ~? 仮囲いがあるし、少し高いところから見てみると、更地になっていました・・・。 この更地になっているところに噴水があって、建物もあったはずなんだけどなぁ。lp その仮囲いには、昔の高島屋泉北店とパンジョの写真が掲出されていました。噴水がみえますね。 これが噴水です。時期的にはまだ完成間もない時期でしょうか。 この写真は、高島屋泉北店方面への道路の様子、大渋滞していますね。駐車場へ入るために渋滞しているのかわかりませんが・・・。写っている車やバスは懐かしいです。だいたい車名がわかるのですが、それくらい当時の車って特徴的だったんですね。 泉ヶ丘駅から高島屋泉北店・パンジョの方へ向けての通路の様子、これは私にとっては懐かしい写真でした。 そんなパンジョは1974年に開店、今年で50周年だったんですね。高島屋泉北店も同じ1974年開店、私が小学一年生のころだったんですね。確か堺市内でも割と早い時期にマクドナルドがパンジョに開店したように記憶しています。だから、高島屋泉北店に行ってマクドでハンバーガーやポテトを食べるというのが子どもの頃の楽しみの一つでした。調べてみると、1978年に開店し2010年頃に閉店したようですが、同じ泉ヶ丘の別のところにマクドはあるようなので、移転したのかな・・・。 泉ヶ丘駅周辺では、かつて巨大なプールがあった跡地に近畿大学病院が大阪狭山市から移転してくるための工事が行われているなど、この先もさらに大きく変貌するようです。しばらくすると、私が子どもの頃や高校のころの風景と全く違う風景になっているかもしれませんね・・・。
2024年06月05日
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昨日行った大津市のイングリッシュガーデンのすぐ横には、「びわこ大津館」がありました。 こんな存在感のある建物です。 目の前には芝生の広場がひろがっていますが、ここはイングリッシュガーデンになります。 このびわこ大津館は、この案内文にあるとおり1934年に琵琶湖ホテルとして建設されたもので、1998年に浜大津に移転後は、文化施設として維持されています。 この地で琵琶湖ホテルとして営業していた時は、昭和天皇をはじめとしてすごい方々が利用されていたんですね。由緒あるホテルだったんですね。 その琵琶湖ホテルとして建設当時の写真です。 周りは田んぼだったんですね。そんなところに当時としてはハイカラな建物ができたんですね。 昭和30年代の琵琶湖ホテル、現在とあまり変わりませんが、存在感のある建物ですよね。 建物の中には、国際ホテルだったこともあって両替所だったところとか・・・ エレベータもかなり年代物のものがありました。 大きな振り子時計もありました。 本当はこの建物の3階にギャラリーがあって、この建物の歴史を見ることができるものがあったのですが、時間の関係で行くことができませんでした・・・。またそれだけ見に行きたいなぁ・・・
2024年05月19日
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今日はとてもいい天気だったこともあって、妻から「大津市のイングリッシュガーデンに行きたい」というリクエストがありまして、行ってみることにしました。高速道路の混雑ポイントをうまく回避しながら行きましたが、最後の駐車場へ入るところが混雑していました・・・。 イングリッシュガーデンのある場所がこの「柳が崎湖畔公園」にあります。 琵琶湖に面しています。 青空の下に様々なバラを見ることができます。 定番の赤いバラです。 こういうバラは、ド定番ですけど安心できるものですね。 赤いものでもこんな感じのものもあるんですね。 種類はわからないのですが、ピンクのものもありまして花びらの様子も違いますね。 これもまた赤系統ですが、きれいな色です。 黄色もあるんですね。これはこれできれいです。 白いバラもありまして、これもきれいでした。香りもよかったし。 このような門のようなものは定番ですよね。 アーチ状になっていてきれいです。 白いバラのバージョンもあって、とてもきれいでした。 琵琶湖に面しているので、風も良く通っていい雰囲気のところでした。妻も喜んでいました。
2024年05月18日
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先月、北九州と下関に行った続きの話です。下関で最後に行ったのが本日紹介する関門人道トンネルです。下関から国道2号線を走って関門橋を下から眺めたい、と考えて車を走らせていたときに「確か人道トンネルがあったな」と思い出して行ってみました。ちょうど国道2号線沿いにありました。 ここに車を止めさせてもらってスタートです。 「関門トンネル人道入口」と書かれている建物がその入り口となります。 入り口はエレベータ。大きなビルのエレベータと同じような形ですね。 中も普通にエレベータですね(笑)。 入り口付近には関門海峡付近のマップがありました。ここは下関駅からも、また反対側も門司駅からもやや離れている場所に位置しています。 エレベータで下に下がります。そこから歩きはスタートとなりますが、全長780mとのことです。 一応国道2号線になるので、国道番号も書かれています。 このような感じで右側通行、門司方面へ歩いて行きます。 その途中には、山口県と福岡県の県境もあります。まぁ、当たり前ですが。 トンネルの中に県境、なんだか不思議ですね。 これも当たり前ですが、門司方面へは下り坂、県境からは上り坂となりますが歩きにくくはありません。ただ、ここは無料ということもあってかランナーが走ってくることもあるようで・・・。雨に濡れないからいいんだろうけど、ホント勘弁してよ・・。 反対側に抜けました。ここは、福岡県北九州市になります。 こちらの人道トンネル入口、建物は古い変電所のような建物ですね。 反対側から見た下関側です。 ちなみに、自転車の場合は20円の料金がかかります。原チャリも通れますが、自転車とともに「押して」の通行です。 このように往復1.5kmほどを歩きましたが、なかなか面白かったです。 ところで、大阪には川の底を通るトンネルである「安治川隧道」があります。JR大阪環状線もしくは阪神なんば線の西九条駅近くにあるのですが、ここも規模は関門人道トンネルとは全く違いますが、エレベータで降りて川底のトンネルを歩くことができます。全国的に見たら他にもあると思いますが・・。
2024年04月15日
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今日の帰りに大川沿いの桜、夜桜を見てきました。ライトアップまではしていなかったですけどね・・・。 まぁ夜桜といっても、空はまだ明るいですよね・・・。 しばらくするとこんな感じでいい雰囲気になっていました。 桜のある所では、ブルーシートなどを強いて宴会をしているグループが何組もいました。時期的には、新入社員が入ってきたころだろうから、盛り上がっているんだろうね。でも、一時期のような大きく場所取りして大宴会、っていうところは見られなかったなぁ。コロナ前なんかはすごかったけどね。 桜もかなり花が散ってしまって、緑の葉っぱが見えてきているものもありますが、何とか週末まではもってくれるかなってね。
2024年04月10日
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桜満開、ってうれしいものですね。ただ、快晴の空の下でみられないのがなんとも残念・・・。 でも、そんな桜をいっぱい見たい! ということで、昨日夕方近くに田原本町の飛鳥川沿いに行ってみました。ここはかなり前に車で通ったことがあって、桜の木が並んでいたのを思い出して行ってみました。 出店もなければバカ騒ぎしている連中もいない、なんとも静かに桜を見られるところでした。 飛鳥川の右岸にずらりと植えられていました。 飛鳥川の左岸を歩いて小さな橋を渡って右岸側にやってきました。遊歩道に沿って並んだ桜、空がきれいだったらもっときれいに見えるんだけどなぁ。 桜のトンネルのようですね。 地元の方らしい方が数組おられただけで、本当に桜を楽しめるところでした。 ここは駐車場がないし、道幅もそんなに広くないのであまり知られていないのかもしれません。大きい道路からも少し入ったところになるしね。 私はよく立ち寄るホームセンターに車を置いて歩いて見に行きましたが、帰りに車をここまで移動させて邪魔にならないところに車を停めてこのように写真を撮りました。デリカSWも来月28年目を迎えますが、あと何年このように桜との写真を撮ることができるんだろうってね・・・。 さて、今日の昼休みに職場近くの大川の桜を見に行ってきました。 大川の両岸に見事な桜、まさに満開の状況です。 造幣局の桜は、少し開花が遅れているようで、いつもならこの位置から見事な八重桜が見られるはずなんだけど、ソメイヨシノの方が目立つんですよね。 ここ数年ソメイヨシノの満開が3月終わりになることが多く、今年の開花予想もそんな感じだったと思うのですが、3月後半に意外と気温が低い日が続いたんでしたよね。その結果、開花が大きく遅れて大阪では去年よりも10日、平年よりも2日も満開が遅かったとか。 私が子どもの頃って、4月の入学式の時期に桜が満開になっていたように思うので、今年がちょうどいいかんじだったのではないかなってね。 そういえば、先週まではこの辺りには露店がたくさん並んでいたのですが、満開になるタイミングが予想よりも遅かったためか、露天商も次のバイの現場に移ったのか一軒もありませんでした。でも、露店がなければこのようにすっきりと桜を楽しめるからいいんですよね。大勢の人が桜を楽しんでいましたし、シートを敷いてお弁当を食べている人もいました。 桜は今週末まで何とか楽しめるとのことですが、雨の影響でかなり散ってしまうかもしれないなぁ・・・。
2024年04月08日
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桜がようやく満開になってきた奈良地方、天気は快晴というわけにはいきませんでしたが、それでも桜が見たくなって毎度おなじみ佐保川の桜を見に行きました。 いつものことながら、近鉄奈良線の新大宮駅からスタートして佐保川の方へ行くとこのように両側に桜がきれいに咲いていました。 3月中下旬に気温が低い日が続いてくれたのがよかったみたいです。入学式に桜がない、なんていうことは今年に限ってはなさそうですね。 川原でお弁当を広げている人もたくさんおられました。 去年の今頃は、まだコロナが5類ではなかったんでしたよね。 今日は土曜日ということもあってたくさんの人がやってきていまして、この桜のトンネルのところも人が多かったです。人の流れがうまく切れたときに、シャッターを切れました。 空が青空だったらよかったんだけどな~ 水鏡になるところもイマイチだ・・・ それでもこのようにきれいにみられるのは、今日明日くらいかなぁ・・・ 枝垂れ桜もきれいに咲いていました。ここも人が多くて、車も多かったです。 この辺りは一方通行が多いので、迷っている他府県ナンバーの車もありました・・・ この辺りは車で来るところではありません。パークアンドバスライドを使った方がいいですよ。 興福寺のところまで歩いてきましたが、興福寺は改修工事中だったんですね・・・。 興福寺周辺の桜の木もきれいに咲いていました。ここは、私の子どもたちが小さいときにやってきてお弁当を食べた定番の場所なのです。 猿沢池からのぞむ興福寺、今日は風がなかったので、水鏡になっていますね。 それにしても、今日は人が多くて特に外国人の姿が多かったです。高速餅つきで有名な中谷堂も大混雑でした。
2024年04月06日
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先日、息子の引っ越しの手伝いに行った帰りに立ち寄った下関での話の続きです。 せっかく下関に来たのだからどこへ行こうかと考えました。一つは鉄道ファンの端くれなので、行きたかったところに行ってから、下関駅からバスで唐戸市場へ。昼ごはんにはまだ早いし、奈良にも早く帰らないとまだまだ距離は長いし・・・。いろいろ考えたいたときに目に入った看板がこれ。 そうだ、ここには巌流島があるんだった。ちょうど行ったことがないし、行ってみようということで切符を買って船に乗り込みました。 この船です。平日ということもあって乗り込んだのは私を含めて4人でした。 船は出航して関門海峡を西へ向かいます。10分くらいで巌流島に到着。 巌流島は無人島、こんな感じの岸壁が整備されています。 巌流島に上陸、無人島ということでなんだかワクワクしました。 巌流島は、面積が103,000平方メートルで海抜も高いところで10m程度とのこと。元々はもっと小さくて17,000平方メートルだったそうですけど、明治から大正にかけて埋め立てられて広がったそうです。 この写真をみていただくと、島の緑色でないところは立入禁止区域となっています。私有地だそうです・・・。 その私有地の持ち主は、この対岸にある企業だそうです。 対岸の企業には、たくさんのクレーンが並んでいて大きな船が建造中でした。 その企業名は、三菱重工下関造船所です。今回北九州への旅で利用した阪九フェリーの「やまと」もここでつくられたそうです。 上陸して見つけた案内看板には、あの坂本龍馬もこの巌流島に立ち寄っていたのではないかとのこと。坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行に出かけた、なんて言われていますから「決闘の地」としても有名なこの島に上陸していたかも、ってね。 この巌流島の正式名称は「舟島」。島の形が船の形をしているからそう呼ばれているそうで、「巌流島」の名前の由来は、宮本武蔵との決闘で敗れた佐々木小次郎の流派「巌流」からよばれているとのことです。 巌流島は、前述のとおり私有地がある関係でぐるりと一周することはできませんが、遊歩道がきちんと整備されています。真正面に関門橋を望めるポイントですが、天気が回復しているのですが雲が多いですね・・・。 それがもっと晴れていたら、こんな感じで見られるんでしょうね。 巌流島といえば、先にも出ましたが宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘ですよね。私は歴史は詳しくないのですが、子の決闘は宮本武蔵の方から申し込んだとの話が往路に乗った船の放送で紹介されていました、私はてっきり佐々木小次郎側が持ち掛けて、時間通り現れない宮本武蔵にしびれを切らした佐々木小次郎って勝手に解釈していました。 宮本武蔵と佐々木小次郎の像の近くの砂浜に、宮本武蔵が乗ってきた小舟をイメージした船が置かれていました。すっかり朽ちてしまっていますが、実際に使われていた船を移設したそうで・・・。 ところで、巌流島といえば「決闘の舞台」。先述の宮本武蔵と佐々木小次郎はもちろんそうなのですが、プロレス好きの方ならピンとくるでしょうね。そうです、1987年10月4日に行われたアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの対戦ですよね。実は私はリアルタイムで見ていなかったのですが、youtubeで探して冒頭部分を紹介していたのをみました。多分、この広場のあたりで行われていたのではないかと思いますが、当時は観客を入れない無観客で行っていたんですね。 それにしても、往路の船の中での放送でも紹介していたのですが、『巌流島の決闘といえば、アントニオ猪木とマサ斎藤・・・』というアナウンスが流れたときには、真っ先に思い出したのがプロレス大好きなタレントの有田哲平さん(くりぃむしちゅー)を思い出して、思わず笑いそうになりました。 さて、ひたすら整備されている遊歩道を歩いて行きます。対岸は九州です。 終点までやってきました。屋根がある休憩所がありました。 終点部分からみた三菱重工下関造船所です。 なぜ島の半分近くが私有地になっているのかよくわかりませんが、この巌流島にも大きなクレーンが設置されていました。 復路の船では、船の上に上がって外を眺めていました。目の前に関門橋を望みながら元の港へ戻ります。 関門海峡は、多くの船が通過していきます。 その種類も様々で、大きなクレーンを載せた船ともすれ違いましたし、大きなコンテナ船も通っていきました。 唐戸市場の近くまで戻ってきました。 観覧車のところには、水族館の「海響館」がありましてそこにも行きたかったけどな・・・。 巌流島へ行く船は40分ごとに出ていますので、その間にゆっくり見て回ることができました。
2024年03月17日
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今度、息子が暮らしを始める北九州市の小倉。私は仕事で戸畑とプライベートで門司へは行ったことがありますが、小倉は初めてでした。今回泊まったホテルは小倉駅から比較的近い西鉄イン小倉で、そこから息子のマンションまで歩いて30分以上かかりますが、初めての街なので歩いて向かいました。 小倉は商人の町といわれるそうですね。ここは魚町の銀天街です。 1951年に日本で初めて公道の上にアーケードが設置されたそうです。 当時から人のたくさん集まる街だったんですね。 そこから歩いて行くと見えてくるのが、小倉城です。 小倉城は、1959年に天守閣が再建されたそうですが、元々は1569年に中国地方の毛利右治が築城したとのこと。 この日は天気が良くて、青空に白い天守閣が良く映えますね。 すぐ近くには、八幡神社もあってお参りしてきました。 ゆっくり歩いたのでホテルから40分近くかかりましたが、このほかにも公園があったりといいところだなぁと思いました。
2024年03月14日
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3月9日から3月12日まで息子の引っ越しの作業のためにブログの更新を休止しておりました。4月から北九州市の職場に就職する息子、同棲中の彼女と一緒に函館からの移住となりますが、その手伝いをしました。 まず、3月9日に函館から伊丹まで空路で移動、その後六甲アイランドまで移動して今度は海路で新門司へ移動するという、「空路+海路」という日本縦断の移動です。そんな大移動することなんてあまりないですからね。 六甲アイランドからは阪九フェリーを利用、20時発のフェリーに乗船しました。 今回の船は「やまと」。2020年に就航した船で、同社では2代目にあたるそうです。総トン数16,292トンと瀬戸内海航路の船としてはかなり大きな船です。阪九フェリーは新日本海フェリーと同じSHKラインのグループなので船も大きいのかな。新日本海フェリーと違って船は速くはないですけどね。 ところで、船に乗り込むときは、新日本海フェリーは同乗者は徒歩にての乗船となるのですが、ここは車で一緒に乗りこめました。 土曜日の便ですが、夏休みとかではないので車の数はやや少なめでした。 私が今回利用した部屋は、「スタンダードシングル」という部屋でした。この写真の手前にもドアがあってそれを入ると、このように扉がたくさん並んだ部屋がありました。このドアを開けると狭めの部屋にベットとテレビがあるだけの部屋になっていました。一日だけですからね、雑魚寝(正確には雑魚寝ではないのですが)に比べると十分です。ちなみに、息子と彼女は少し値が張りますが、デラックス洋室にしました。 六甲アイランドの港に来たのは私も初めてでした。私たちが載った阪九フェリーの後ろ側に商船三井さんふらわあの大分行きが先に出港していきました。 こんな感じで神戸の夜景も楽しめました。船は20時に出航、甲板に出たりしましたが、船が進むとさすがにこの時期の夜は寒かったですね。 ところで、息子は小学生低学年の時に北海道へ行っているから感動はない(むしろ船酔いの心配をしていた)のですが、彼女の方は初めてのフェリーのようで喜んでいました。 さて、船の方は快適に進みまして、ほとんど揺れることがありませんでした。まぁ瀬戸内海だからね、当たり前なのですが、難所の一つである来島海峡付近は若干揺れましたけど、荒れたときの日本海を経験した私にとっては全然大丈夫、船酔いを心配していた息子も爆睡だったようです。 夜が明けて外へ出てみると、ちょうと日が昇って行くところでした。この日は天気がよかったのですが、日の出もきれいでした。 そして、定刻の830に新門司港へ到着。写真の船は、大阪南港から新門司港を結んでいる名門太陽フェリーで、阪九フェリーと航路では競合しています。阪九フェリーは六甲アイランドと泉大津からも航路があります。ずっとこの船の後ろを追いかけるように進んでいましたが、到着する岸壁は同じ新門司港でもべつのところになっていました。 さて、私にとっては中学の時の修学旅行以来42年ぶりの瀬戸内海航路での九州行きでしたが、快適に過ごせました。息子も彼女の方も快適な船旅に満足しているようでした。寝ているうちに九州(もしくは大阪・神戸)に行くことができるし、最寄りの駅までは無料の送迎バスも運行されているとのこと。新幹線の値段と比べるとどうかわかりませんが、選択肢の一つとしてはいいのじゃないかなってね。 ところで、タイトルが「北九州と下関へ・・・」となぜ下関が入っているのか。その理由は後日紹介させていただこうと思います。
2024年03月13日
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私が96年から99年まで住んでいた兵庫県西宮市の甲子園。言わずと知れた阪神タイガースの本拠地、そして高校野球の聖地でもある甲子園球場がありますが、私が住んでいた団地はその甲子園球場から南に1kmほど行ったところにありました。そして、その甲子園球場のすぐ近くには「阪神パーク」がありました。今のららぽーと甲子園の場所になるのですが、2003年3月20日限りで閉園になりました。そんな阪神パークですが、阪神グループが「なんとかなりそうな夢大募集」ということで募集したところ、「阪神パークを復活させてほしい」というのが多かったようで、一日限りですが阪神パークが甲子園駅前に復活しました。もちろん、動物を持ってくるわけにはいきませんので、懐かしい写真やパネルなどですが・・・。 阪神甲子園駅前に降り立ち、甲子園球場の方へ歩いて行きます。このルートは、私が住んでいた時と同じルート、そこが会場になっていました。 動物はおりませんが、動物の形をしたふわふわがありました。 これは、かつての阪神パークの入り口だそうです。今回の入り口のロゴと同じですね。 阪神パークの歴史を示した年表がありました。 元々は、現在の浜甲子園に阪神パークの前身があったそうです。 その名残は、今でも甲子園浜の海でみられるとか・・・ 1929年に開業した阪神パーク、当時にもたくさんの動物がいたんですね。 ペンギンもいたんですね。 ペンギンに至っては、1941年にペンギン王国になったとか。それくらいたくさんのペンギンがいたんですね。ペンギン好きの私にとってはこの当時に近くに住んでいたら、一日中見ている自信があります(笑)。 しかし、太平洋戦争のために暗い時代が阪神パークにもやってきます。 その後戦争が終わって、1950年に営業再開、再び動物もたくさんやってきました。 阪神パークといえば、象さんなんです。私が住んでいた時も二頭の象がいました。「アキ子」「キク子」の二頭は人気者で、まだ赤ちゃんだった娘も象さんをみて喜んでいました。 ちなみに、この象さんは動物園から外に出かけることもあったとか・・・。もちろん二頭だけで出かけているわけではないのですが、おおらかな時代ですよね。 1950年にはジェーン台風が襲来、阪神電車も大きな被害を受けたそうで、阪神パーク内も被害があったそうですが、この二頭の象さんも復旧作業に携わったとか・・・。 1959年には阪神パークきっての人気者となった「レオポン」が誕生。レオポンは、ライオンとひょうの間に生まれたもので、四頭も生まれたんです。私は残念ながら実物は見たことはないんですけど、「阪神パークといえばレオポン」というのは聞いたことがありました。 ところで、1960年に新しい住処へ引っ越す際に母親のライオンが脱走、大捕り物が繰り広げられたそうですが、最終的には消防車がライオンのお尻へ放水して新しい住処へ誘導したそうです。なるほど、よく考えたなぁってね。 阪神パークといえば、もう一つ名物があって夏場には「デラックスプール」がありました。1964年に登場したそうですが、このプールは、それまで親しまれていた甲子園海水浴場の代わりになったんでしょう。夏場になるとCMでもPRされていましたね。 その他にもアイススケート場やボウリング場もありまして、当時のレジャーの最先端が集まっていたところともいえるかもしれませんね。 阪神パークでは、いろんなイベントが行われていて、科学博覧会や大菊人形展もあったとか。関西で菊人形といえば、ひらかたパーク(ひらパー)ですが阪神パークでも行われていたんですね。 さて、1985年には最後に残っていたレオポンが天国へと旅立ったそうです・・・。 1990年代に入ると、他の遊園地との差別化を図るために、子供向けに特化した遊具を設置するようになり、それは閉園まで続いていたように思います。私の娘が遊ぶまで残っていてくれていたらなおよかったんですけどね・・・。 私が浜甲子園近くにあった団地で妻と生活をはじめたのが1996年7月、阪神パークはその翌年の3月に住宅展示場を併設した「甲子園阪神パーク住宅遊園」として、入場料は無料となりました。園内には遊具とともにモデルハウスが建てられていて、当時は一軒家に縁のなかった私にとっては子どもの散歩コースとして利用させてもらいました。 そして、2003年3月についに閉園、73年の歴史を閉じたのでした。この閉園を知って、当時5歳だった娘とまだ元気だった母親を連れて閉園の一週間ほど前に行きました。大勢の人が来ていて、象さんのおりのところもひとだかりでした。その象さん二頭は千葉県へと引っ越していきましたが、数年後には天国へと旅立って行ったそうです・・・。 私にとっては、阪神パークの最晩年しか見ていなかったのですが、それでも思い出深いところでした。まだベビーカーに乗っていた娘を連れて遊びに行ったこと、阪神甲子園球場にほど近く、また甲子園駅からも近い一等地にありながらのんびりとした光景だった阪神パーク、引っ越してきてこんなにいい環境なんだ、って思いましたからね。(私はタイガースファンではありませんが) 写真の昔のテレビを模したモニターには、レオポンの映像や96年当時の園内の様子が映し出されていました。なかなか貴重な映像でしたので、また何かしらの時にみることができたらいいなぁって思いました。 なお、当時のポスターなども展示されていましたので、それはまた後日紹介したいと思います。
2024年03月02日
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2月7~9日まで仕事で姫路に行っていました。姫路は仕事でよく行くのですが、泊りの仕事は久しぶりです。 さて、姫路へ行くとよく利用するホテルが「ドーミーイン姫路」です。駅から近いので便利なのですが、このところなかなか予約が取れないのと、これはどのドーミーイン共通なのですが、値段があがっているのが残念・・・。実は今回予約が取れなかったのですが、キャンセルが出たのかタイミングよく確保することができました。 そして、今回は時間の関係で朝食は食べられませんでしたが、温泉・サウナは利用できたし、風呂上がりにアイス(朝は乳酸菌飲料)、ウエルカムゼリーもいただくことができました。 それに、この夜鳴きそばもいただきました。 ところで、先日のアメトーークで「ドーミーイン芸人」があって、Tverでみることができました。そこで紹介されていたものは、ドーミーインを利用している私にとってはおなじみのものでなかなか楽しかったです。妻や娘はドーミーインを知らなかったようで、「他のビジネスホテルとどう違うの?」っていうことでしたけど、私にとっては「ワンランク上のビジネスホテル」だと思っています。部屋の感じはどの地域でもさほど大きな違いがないというのも安心できる(シャワールームの有無とかあるが)し、朝食がおいしくて、地域によってメニューが若干異なっている(地域の特色がでている)のも楽しいところです。 でも、アメトーークなどで紹介されると、さらに混雑して予約が取りづらくなるかもしれないからなぁ・・・。
2024年02月10日
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先日の続きです。 昼食後、久しぶりに以前出向していた職場の本社近くを経由して東京タワーを見てみたいと思って、六本木一丁目駅へ。六本木一丁目駅を地上に上がって歩いて行くと、私にとっては懐かしい光景が広がっておりました。 そして、東京タワーを目指しますが、途中に新しくて大きなビル群が完成間近の状況でした。土地勘がないので後で調べてみると、そのあたりは麻布台ヒルズというそうですね。 桜麻通を下っていくとその土地の形状に合わせたような建物があったり、ディーオールやカルティエの新しいお店がオープン前となっていました。ここが以前どんな建物があったのか覚えていないのですが、東京って少し行かないとわからなくなりますね。 そして、無事に東京タワーに到着。今回は時間の関係で上には上がりませんでしたが、スマホで自撮りできるスポットもあるので記念に撮影してきました(笑)。その写真は自己満足なのでここにはアップしませんが・・・。 そういえば、出向していた職場で3月の終わりくらいだったかな、私も含めて出向者が出向元へ戻る前に有志でこの東京タワー近くのお弁当屋さんでお弁当を買って、東京タワーを下から眺めながらお弁当を食べたのを覚えています。もちろん昼間ですからアルコールはありませんでしたが、そういうなんでもないことだったんだけどよく覚えています。確かその中の数人は、その日の夕方をもって出向元へ戻ることになっていたから昼食にしたんだったと思います。
2024年01月31日
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19日の仕事が終わってから、本社近くにある愛宕神社へ。本社近くになるのに今まで行ったことがなくて、先日アイボールした幹雄319さんから事前に教えてもらっていました。 愛宕神社の入り口です。 赤い鳥居のところから上の眺めると、はるか上の方に石造りの鳥居が見えますが、かなり角度のある階段になっています。 この階段は、「出世の石段」と言われています。江戸時代に騎馬でこの階段を駆け上がった武士が一夜にして出世したという故事にちなんでいるとか。 上から見るとこんな急な階段なのです。 これを下から上がりましたが、途中で停まったら動けなくなる気がして一気に登りました。 ちなみに、ここでトレーニングすることは厳禁だそうで・・・。確かに神社やお寺の階段って駆け上がってトレーニングしたくなるのはわかるのですが、ここは急すぎるしやめたほうがいいです。ちゃんとその旨も書いてありました。 登りきったところには、三等三角点もありました。 さて、お参りをしましたが、この出世の階段をあがったから、今年の仕事は苦しくて頑張れるかなってね。
2024年01月21日
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今日は、朝から初詣に大神神社まで行きました。 三が日の最終日だから列車も参拝客も落ち着いていました。 境内もこんな感じです。 年が明けて過ぎに行っていた時は、大混雑でしたけどね・・・。 今年は辰年、三が日の間にとんでもない自然災害や事故、今年は大丈夫なのか? 大神神社には、「なでうさぎ」といってウサギの銅像を撫でられるのですが、そこは写真を撮るのはNGなのでこんな感じで。 境内を歩いて行くと、このように大和三山のうちの2つ、畝傍山(左)と耳成山(右)が見られます。 その後、安倍文珠院へ移動しました。 今年のおみくじは大神神社で引きまして、「中吉」でした。仕事は忙しそうだけど、着々とやっていけばいいのかなって思っています。
2024年01月03日
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今日はクリスマスでしたね。仕事が終わってから、現在御堂筋で開催されているイルミネーションを見に行ってきました。 信号を渡りながら写真を撮りました。 御堂筋には側道があるのですが、側道側からも写真を撮りました。 イルミネーションも色とりどりで、きれいでした。 クリスマスということでたくさんの人が写真を撮っていました。 淀屋橋から歩いて心斎橋まで歩きました。 心斎橋から難波方面の側道は閉鎖されて、ここは歩道が広げられるのかな? そのせいか、御堂筋がただでも混雑するのに、今日は特に混雑していました。
2023年12月25日
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昨日は早朝に出発して、奈良県宇陀郡曽爾村にある曽爾高原へススキを見に行ってきました。 今の時期、曽爾高原ではススキをきれいにみることができます。 前日に雨がたくさん降ったので、山の上の方にはいきませんでしたが、それでも他の方は登っておられました。 一面のススキ、この時期に行くのは初めてです。 夏の時期もいいけど、ススキがひろがる光景もいいものですね。 この日は、朝8時半ごろに到着して、ゆっくりと写真を撮りながら散策しました。朝早いと他の客も少なくていいものですね。 ちなみに、私たちが帰るころにたくさんの車とすれ違いました。確かに天候が回復してきたので、それにあわせてやってきたのだろうけど、ススキの写真を撮りに来たのか客の写真を撮りに来たのかわからなくなる(←娘のコメント)前、天候は今一だったけど思う存分楽しめたから、その方がよかったかなと思いました。
2023年11月12日
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昨日の続きです。いよいよこのレポートも最終となりました。 北海道を走りまくったデリカSW、今回は道内を約1500km走りました。写真ではわかりませんが、雨でかなり汚れました。その汚れも思い出です(笑)。 車を積み込んで定刻に小樽港を出港、14年ぶりに家族で回ることができたし、離れて生活している息子と一緒に家族で食事もできたし、一日だけ天気が悪かったのが残念だったけど、それ以外は楽しめた方だと思います。 今回もフェリーは「ツーリストB」という個室。ベットの部屋で快適でした。乗ってから夜食として北海道限定のサッポロクラシックと、小樽の「かま栄」で買った練り物で乾杯でした。練り物好きな私にとって、小樽から船に乗るときのお供は「かま栄」の練り物、中でも「パンロール」というのが食べ応えがあって好きなんです。これは出向していた時の同僚、札幌在住のTさんに教えてもらいました。 一夜明けて、船は順調に舞鶴港へ向かっています。天気はとてもよくて青空! 波もなくて快適です。 途中で僚船の「あかしあ」とすれ違いました。 フォワードサロンからみた様子、快適な船旅で久しぶりにフェリーに乗った妻も娘も「これなら全然平気」「むしろ往路の飛行機の方が揺れていた」というくらい快適でした。また、妻にとっては船室のベットの硬さもちょうどよかったようです。 基本的に船の中ではあらかじめ買っておいたパンなどを食べていたのですが、せっかくだからレストランへ行ってみようということで、昼食はレストランに行ってラーメンチャーハンにしてみました。 そんな船旅も若狭湾に入って、この関西電力の舞鶴発電所の横を通過するとほどなく舞鶴港に着眼、楽しかった北海道旅行も終わりました。 帰りの船は「はまなす」でした。また来年も行ってみたい、そのためにはまた旅行貯金だなぁ・・・。 何日かに分けてご覧いただきましたが、北海道ではいろんな面白そうなものや発見がありました。それについては、機会を見つけて紹介したいと思います。
2023年09月21日
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昨日の続きです。芦別から美唄を経由して高速で小樽へ。美唄の話はまた別の機会に。 小樽といえば小樽運河。この日は土曜日ということもあって混雑していました。 小樽運河とともに外せないのがこのオルゴール堂。 建物の中はレトロな雰囲気、様々なオルゴールがありました。 よく見かけるドラム上のものが開店するのではなく、円盤状のものが回転して音を出すものはかなりの年代物のようです。 このように円盤が縦型に配置されたものがあって、これは確かドイツ製の今から100年以上前にモノだとか・・・。他にも2000万円のプライスのついたオルゴールもありました。 小樽運河とともに有名な堺町通り。たくさんのお土産屋さんとかお店が並んでいます。 石造りの建物がなんだか北海道らしくていいですね。このお店はミッフィーちゃんのお店のようです。 このようなかなりの年代物のお店とか・・・。 維持も大変かと思いますが、いい雰囲気を出していますよね。 お腹が空いたので、から揚げをおやつとしていただきました。そういえば、昼ごはんは食べていなかったかな・・・。 その後も買い物するなどウロウロして夜になりましたが、娘からのリクエストで小樽の天狗山からの夜景がきれいということで行ってみることにしました。この天狗山は、小樽港が一望できるスポットで、妻と新婚旅行の時に行ったことがあります。 どうです、すばらしい夜景でしょ。 ここに至る道路はかなり急坂を登るので大変なんですけど、こんな素晴らしい光景が広がっています。 別のカメラでも撮影しました。 函館の函館山からの夜景もきれいですけど、この小樽の天狗山の夜景も負けてないです。ふもとからロープウェイで上がってくれるのは函館と一緒ですが、こちらは自家用車でも上がることができます。(函館山は制限があったはず) 夜景以上に素晴らしかったのが、星に手が届きそうなくらい近かったこと。 北斗七星もきれいに見えて、娘は大喜び。こんな光景、今では空気の澄んだ山に上がらないと無理ですよね。幸い、前の日が大雨だったせいで空気中の塵などが洗い流されたんでしょうね。 今回の北海道での旅の最後に、すばらしい光景を見ることができてよかったです。名残惜しかったのですが、ふもとへおりました。 晩御飯は、「ステーキ ヴィクトリア」に行きました。ここは、かつては小樽運河近くにもお店があって、帰りの船に乗る前にここでガッツリと食べて、サラダバーで野菜分を補給したのですが、そのお店は閉店してしまったようです。そこで、同じ小樽の稲穂の方で行きましてがっつりといただきました。 そして、最期に小樽運河の夜の光景をみて、フェリー乗り場へと向かいました。
2023年09月20日
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今日二本目の書き込みです。富良野で買い物をしてから、小樽へ行く道中の芦別に「カナディアンワールド」というところがあることを娘が発見。ネットの写真で見る限り面白そうということで行ってみることにしました。 国道38号線から国道452号線をとおって「カナディアンワールド」へ。 園内は一方通行とのことでそれはいいとして、入園料は無料と聞いていたのですが、500円必要とのこと。それも車1台あたりのようです。しかも、入り口の詰め所は無人。案内のチラシもご自由にお取りください状態でした。500円を料金箱に入れて、チラシとお金を支払ったことを示す駐車票のようなものを取って車のフロンドガラスの内側にセットして出発。そこで気が付いたのは、いくつかの建物はあるものの、あまり人がいそうにないということでした。 車で池のある所まで行って、車を置いて散策しました。ホント、他の観光客はほとんどおらず、このヨーロッパ風の建物がたたずんでいました。 青空が広がり、池の水面には建物が映りますが、ホント不気味なくらい静かです。 この「カナディアンワールド」は、元々芦別にあった三井芦別炭鉱の閉山対策として1990年に開園。「赤毛のアン」の街を再現したようなテーマパークだったのですが、その後来園者が低迷し、運営会社が撤退したり、芦別市営の公園になったりして、現在では任意団体のカナディアンワールド振興会が土日祝日に開園しているとのことです。 バブル期に開園したテーマパークは、どことも運営に行き詰まってしまうところが多かったと思うのですが、ここもそうだったんですね。 園内の地図には、このような建物があるそうですが、一方通行の通路を車で走ってみたのですが、ちょっとわかりづらかったです。 池の周りを巡る園内鉄道もあったようですが、客車は半ば放置状態になっていましたし、水路を跨ぐ橋も老朽化していました。機関車でけん引していたんでしょうけど、それは見当たりませんでした。 2020年に現在のカナディアンワールド振興会が運営することになった際の新聞記事もありました。 このように一部の建物の中に入ることができますが、大半の建物は中に入ることはできないようです。 再び入口にもどると、園内を移動していたと思われる車両もありました。これも半ば放置状態です。 事前にちゃんと調べていなかったこともあるのですが、池の周りを散策しただけで終わってしまいました。ここのwebサイトには、園内の建物の紹介やオープンの時間も記載されていましたし、とても美しい風景の写真がたくさんありました。 そういえば、前出の池のところで他の観光客とここの園の関係者らしき方と話をしているのをチラッと聞いたのですが、せっかくの施設でもしっかり管理して行かないと5年経てば原野に還ってしまうというようなことを話していました。この日はとても観光客の姿は少なくて、せっかくの施設がもったいないような状況でした。旭川からでも1時間近くかかる場所ですから、もっと何かアピールするものがあればいいんですけどね・・・。そんなことを感じながらここを後にして、小樽へと向かいました。
2023年09月19日
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昨日の続きです。富良野といえば、ファーム富田。ここも妻と娘が楽しみにしていたところです。 ホント、その前の日の雨がウソのようないい天気・・・。 色とりどりの花がとてもきれいです。 ファーム富田といえば、ラベンダー。でも、ラベンダーは7月中旬ごろには刈り取りされてしまうので、今はありません。紫色の花ですが、ラベンダーじゃないんですけど雰囲気はラベンダーということで。 そんなラベンダーで有名になったファーム富田、作業に使われる農耕車も紫色です。 ついでに、園内で見つけた原チャリも紫色、ちゃんとナンバープレートもついていますから、公道も走れます。一目でファーム富田の車両ってわかりますね。 ここでもソフトクリームをいただきましたよ。その名もラベンダーアイスです。 これは、14年前に娘が食べてとても大喜びしたのを覚えています。 この後、富良野市内に戻って買い物をして、次の目的地へ向かいました。
2023年09月19日
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昨日の続きです。最終日の八日目は前日の天気がうそのようないい天気。最終的には小樽港に向かうのですが、それまでは富良野や美瑛を巡ることにしました。 今回、富良野で宿泊したのは「ホテルムニン富良野」。ここはまだ新しいホテルで、部屋も広くて温泉もあってよかったです。 さて、今回のホテルは宿泊のみだったので朝ご飯は、富良野市内のマクドで簡単にとって早速上富良野町へ。ここには、「ジェットコースターの路」がありまして、14年前にも行ったことがあります。 安全に配慮して撮影しました。このようにアップダウンの大きな道路、なかなか楽しめました。 周りは畑が広がっていますが、ジャガイモなどが植えられていたのでしょうか。すっかり収穫されていたので、こんな感じでした・・・。 ちなみに、職場の同僚はかつてここを自転車で走ったことがあるとか・・・。 かなり楽しそうだけど、かなりしんどそうだなぁ・・・。 その後、美瑛町の「クリスマスツリーの木」へ。 北海道では、ポツンとこのように木があるのですが、ここもそんな感じに思えました。 この日は、訪れる観光客は少なくて、こんな感じでも撮影できました。 続いて、「ケンとメリーの木」(通称:ケンメリの木)へ。ここも安全に配慮してこんな感じで撮影しました。「ケンメリ」は車好きの方ならわかりますよね? 1972年から発売された日産スカイラインのC110形の愛称です。当時のCMがyoutubeで見られるかもしれませんが、昔の車って車自体のキャラクターもいいのですが、CMもいいものを作っていたんですね。ちなみに、わが娘はケンメリが何であるか全く知りませんでした。まぁ当たり前ですけどね。 この後は、ファーム富田へ向かいました。
2023年09月18日
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先日の続きです。この日は函館からニセコへ移動しますが、その前半の様子です。 まず、息子の住むマンション近くから撮影した函館山です。すっきり見えない日が続いたのですが、函館から出発する日にきれいにみえました。 函館からニセコにいきなり行くのではなくて、妻と娘の要望で北斗市のトラピスト修道院へ。ここは、まず杉並木がきれいということでしたが、こんな感じで車を置いて撮影しました。 敷地は広くて、妻は以前来た時に結構動いたそうですが、この日はとても蒸し暑くてそんな余裕はなくて、ソフトクリームだけいただきました。 こんな感じ、クッキーもついていました。ホント、北海道のソフトクリームはおいしいです。 中の方へは入ることはできませんが、とてもきれいに保たれていました。 トラピスト修道院を後にして、ニセコを目指しますが、途中の七飯町にある道の駅なないろ・ななえへ。ここは男爵イモの発祥の地だそうで、このモニュメントも男爵イモです。 また、ここは西洋農法の発祥の地でもあるとのこと。この建物の中に入ってみると・・・ 男爵イモの生みの親と言われる川田龍吉男爵の半生がわかる博物館になっていました。 その当時使われていた農機具など機械ものも展示されていてゆっくりと見たかったのですが、その中でもひときわ印象に残ったのがこれ。蒸気自動車(ロコモビル)だそうで、これが動いている映像もありました。この車は、日本最古の自家用車、つまり川田男爵のマイカーだったということなんですね。 その他にもいろんなものがあったのですが、これは暖炉。熊の親子が火に当たるほのぼのとした絵が描かれていました。
2023年09月14日
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昨日の続きです。 函館に住む息子の家に泊めてもらって、翌朝は朝ご飯を食べるために函館朝市の方まで行ったりしましたが、その後の食べたものについてはまた後日に。 朝食後は、この日の昼に飛行機でやってくる娘を迎えに行くのですが、時間までの間は谷地頭温泉へ行きました。谷地頭温泉は、市電谷地頭電停から歩いて5分ほどのところにあります。 函館には、湯の川温泉という有名な温泉がありますが、この谷地頭温泉は観光客ではなくて地元の方に愛されているような感じの温泉でした。泉質も湯の川温泉とは異なり、鉄分の多いお湯で茶色いお湯でした。私は行ったことがないのですが、有馬温泉のような感じかと思いました、 スーパー銭湯ではないので、シャンプーやせっけんの類は持ち込まなければならないのですが、その分お値段はリーズナブル。450円でした。 中に入ると、大きな湯船が複数あって、外には露天風呂もあるし、サウナや水風呂まであるところ。十分楽しめるような感じで、ホントゆったりとすることができました。ここは、妻と息子が行ってとてもよかったという話を聞いていたので楽しみだったのですが、とてもよかったです。 ちなみに、私が初めて函館にやってきたときに立ち寄った銭湯は、「大正湯」というレトロ感満載の温泉が市電の函館どっく前から歩いたところにあったのですが、昨年8月末限りで廃業されてしまったとのこと。う~ん、去年もその前も来ていたのに、行きそびれてしまいました・・・。 谷地頭温泉の近くには、車を少し走らせると立待岬に到着します。この日は風が強かったです。 風が強くて天気も今一つでした。この日は函館山もきれいに見えないくらいでした・・・。 この後、函館空港へ向けて出発しました。
2023年09月08日
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昨日の続き、三日目の後半です。 白鳥大橋を後にして、これまた今まで行ったことがない昭和新山に行ってみました。 昭和新山は、1944年に突如として土地が隆起して、最終的にはこのような形になったようですね。元々は、畑が広がる土地だったそうですけど、そういうこともあるんですね。 振り向けば、有珠山がありました。火山地帯の場所ですから、このような地殻変動というのもあるんですね。有珠山のロープウェイに乗ってさらに上へ行きたかったんですけど、先を急ぐことにしました。 その行った先はオロフレ峠。オロフレ峠と聞いて、伝説の刑事ドラマ、西部警察PARTⅡを思い出す方はおられるかな? 西部警察PARTⅡの29話、「燃える原野! オロフレ峠大戦争」の舞台になったところです。 このオロフレ峠のある道道2号線は、虻田郡洞爺湖町と登別市を結んでいる道路なのですが、1988年までは現在のトンネルがなくて、難所の峠道だったとのこと。西部警察PARTⅡの撮影当時ももちろん旧道時代で、この写真の道路を通っていたんですね。 残念ながら、今ではその痕跡をたどることはかなり難しくなっているようです。 しかも、このような崖がもろいような土質なので、トンネル開通によって安全に通行できるようになったんでしょうね。 ちなみに、前出の西部警察PARTⅡでは、この旧道のこの写真のあたりから赤いニッサンローレル(130形)を転落させていましたね。車体がボロボロになって転落していく様子を覚えておられる方もいるかな・・・。 このオロフレ峠を降りたところにあるのが登別温泉。登別温泉は一度行ったことがあるのですが、今回も日帰り入浴しました。 その後、札幌へ向けて移動。国道236号線と道道141号線を経由して支笏湖畔へ。ここには短い区間ながら一直線のダート道があってお気に入りなんです。なんだか雰囲気が好きなんです。 支笏湖は、私が車で北海道へ行った際に初めて行ったところ。当時は小樽港に早朝に到着するダイヤだったので、小樽港から道東方面へ行くためにこの支笏湖畔の道路を通っていきました。早朝なので、支笏湖畔の静かな情景が好きでした。 写真はポロピナイから見た支笏湖。樽前山などが見えています。かつてはポロピナイキャンプ場があって、無料で使えたと思うのですが、2008年に閉鎖されたとのこと。今では、食堂などができて、また水上レジャーが楽しめるような桟橋などができていました。キャンプ場があった時は、本当に静かなところだったんですけどね・・・。 ポロピナイを出て札幌方面へ向かう途中、オコタンペ湖があることを思い出して立ち寄ってみました。オコタンペ湖は周囲5km、道東の東雲湖やオンネトーと並んで秘湖で、エメラルドグリーンに輝く湖面が印象的です。ちゃんと見ることができるのがここくらいですが、それでも何とか見ることができました。 この日は、札幌の琴似に宿泊。かつて出向していた時のメンバーのTさんと再会して、すすきのでがっつりと飲ませていただきました。
2023年09月06日
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昨日の続きです。三日目は前後半に分けて紹介します。 樽前PAでは、車中泊をしました。函館に住む息子へ持って行く荷物もあって車中泊は苦労しました。 6時半ごろ出発、室蘭を目指します。何度も北海道に来ているのに、室蘭は特急で通過しただけでした。 国道37号線で室蘭市内に入って渋滞、その時にこのイタンキ浜の看板が目につきましたので、行ってみました。 鳴き砂で有名だそうです。ただ、海水浴場としては2017年に閉鎖されてしまったそうです。離岸流の影響だそうですが、それは仕方ないですよね。 ここからトッカリショ展望台に向けての景色がきれいだったので、私のデリカSWを置いて撮影。 なんだか日本ではないような感じです。 車でしばらく走ると、先ほどイタンキ浜から見えていた海岸線のがけ上の方までやってきました。 ここがトッカリショ展望台、高さ100mの断崖だそうです。雲が多くて青い海ではなかったのが残念・・・。 さらに車を走らせて、地球岬へ。 「地球岬」っていう名前ですが、土地の名前が地球ではなく、正確に書くと「チキウ岬」になるそうです。元々はアイヌ語の「チケブ」(=断崖)から来ているようです。 ここは、「地球が丸く見えるのが実感できる」と言われておりまして、写真ではわかりにくいのですが、展望台から見るとその様子がわかりました。 このような鐘もありましたよ。 灯台のある方向から逆に向くと、室蘭の街が見えます。日本製鉄室蘭など大きな工場が並んでいまして、北海道の工業を下支えしているのが実感できるようでした。 このイラストの右下の方に地球岬、その上にトッカリショ展望台やイタンキ浜があります。 さて、ここから少し車で進んで白鳥大橋の見える祝津公園展望台へ移動しました。 これが白鳥大橋、東日本最大級のつり橋だそうです。室蘭の港を跨ぐように架けられています。 ちなみに、この橋は劇場版名探偵コナンにも登場した橋で、写真を撮って娘に送ると「あの映画の橋!」とコメントが返ってきました。コナンファンには有名なのかな・・・。
2023年09月05日
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8月26日から9月3日まで、2年連続14回目(仕事を除く)の北海道へ行ってきました。函館に住む息子の必要な荷物を持って行き、不要な荷物を引き取るというのが最大のミッションで、それにあわせて妻と娘も現地で合流するという旅でした。行程的には次の通りです。 8月26日(土) 王寺~敦賀 8月27日(日) 苫小牧東港~樽前PA 8月28日(月) 樽前PA~室蘭~登別温泉~札幌 8月29日(火) 札幌~長万部~函館 8月30日(水) 函館 8月31日(木) 函館~ニセコ 9月 1日(金) ニセコ~富良野 9月 2日(土) 富良野~美瑛~芦別~小樽 9月 3日(日) 舞鶴~王寺 去年よりも2日間多く滞在しました。天候は9月1日がほぼ一日雨、しかも大雨でした。 さて、今日は一日目の8月26日と二日目の8月27日のことを紹介します。 22時に敦賀港に到着。少し早めに王寺を出て、極力下道を使って到着しました。 今回利用した船は、新日本海フェリーの「すずらん」。去年も同じ船でした。 大きなフェリーなので全体を写真で撮れませんので、敦賀港に置かれていた模型です。全長224m、17,382総トンという立派な船です。 この日は、トレーラーの積み込みに時間がかかったのですが、乗用車はやや少なめでした。 部屋は、今回は和室にしてみました。和室は定員3人で、下の子どもが小さいときに4人でこの部屋に泊まりました。(当時の船は、初代のすずらんもしくはすいせんでしたが) ところで、このような和室とか復路に利用した洋室もそうですが、部屋の鍵は1本しか貸与されないので、別々に行動すると部屋に入れないなんていうことが往々にしてあるもの。ところが、今回から船の切符に表示されているQRコードを扉の装置にかざすと扉が開くようになっていました。この切符を無くすと大変なのですが、これはいいシステムだなぁと思いました。 定刻よりも20分ほど遅い005頃に出航、苫小牧東港到着の2030まで船内でのんびり過ごしました。まずは、ビールとつまみをいただきながら(←船に乗った直後だけですよ)パソコンでDVDをみたり、風呂やサウナに入っていました。この「すずらん」(またすいせん)の風呂には、小さいながら露天風呂があって、昼食時間帯に行ったこともあってほぼ貸し切り状態。2時間近く風呂にいました(笑)。 海は荒れることなく、穏やかに進みました。 津軽海峡では夕日が見られると期待しましたが、雲が増えてきてさっぱり見ることができませんでした。 苫小牧東港に定刻に到着、車中泊する樽前PAまで移動しました。 雨が降っていたのか、意外と蒸し暑くてすっきりとさわやかな感じではなかったのですが、樽前PAを目指して走行、途中買い物をして2230頃に到着しました。 この先、何日かに分けて旅行の模様を紹介したいと思います。
2023年09月04日
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昨日の「豊郷小学校旧校舎」の続きです。 昨日紹介した旧校舎の向かって左側の建物に行ってみました。 建物の中はこんな感じ。天井が高くて、ゆったりとした空間になっていました。 喫茶店が併設された施設でした。 ところで、ここが有名なものがあるのです。 私は詳しくないのですが、アニメの聖地になっていて「けいおん!」というアニメの舞台になっているとのこと。 だから、それに関したフィギアや楽器がたくさん展示されていました。 それを目当てにやってきたファンの人たちが熱心に写真を撮っていました。 私はというと、そのあたりは全然わからないので、このような木製の螺旋階段を見つけて喜んでいました(笑)。 昨日も書きましたが、次の予定があってあまりゆっくりとみられなかったので、またいつか近いうちにリベンジしたいと思っています。
2023年08月03日
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昨日は仕事で滋賀県の東近江市へ行きました。その前に休みをもらってその隣に位置する滋賀県で一番小さな町である豊郷町へ行きました。豊郷町には、豊郷小学校旧校舎群というのがあることを知っていましたが、今回初めて訪れました。 これがその建物、他にも建物があるのですが、この建物が有名ですね。1937年に豊郷町(当時は豊郷村)出身の古川鉄治郎氏という総合商社丸紅の専務だった方が寄贈されたというものだそうです。1937年といえば昭和12年、もちろん鉄筋コンクリート造の建物は都市部にはありましたが、都市部でもないこの豊郷町に突如として建設されたこの建物を当時の人たちはどんな思いで見ていたのかなって思いました。 ちなみに、私が卒業した堺市内の小学校、当時は泉北郡八田荘村だったのですが、環境的にはおそらくここと同じような状況だったと思うのです。でも、こんな立派な鉄筋コンクリート造の小学校ではなかったです。この豊郷小学校旧校舎ができた時期とほぼ同じ1938年(昭和13年)に二階建ての木造校舎ができて、それが当時としてはかなり立派な建物だったとのこと。その建物が1978年(昭和53年)頃まで残っていて、生徒数の急増よる校舎の増築のために取り壊されてしまいましたが。 話が横道にそれましたが、建物の中に入ってみました。土足厳禁なのでスリッパに履き替える必要があります。 建物に入ると、このような木張りの床で、端っこの方まですっきりと見通せる状況になっていました。 私の卒業した高校もこんな感じ、12クラスもあったのでイメージはこんな感じです。 この豊郷小学校旧校舎を紹介した模型がありました。 今、いる建物が写真中央にある横長の建物です。その左下と右下にも建物があります。 竣工当時の写真もありました。今とほとんど変わりませんね。 ちなみに、他の展示品もとても興味深かったのですが、次の予定を考えるととても時間がなかったです。青焼き図面なんかもあって、もっとゆっくりみたかったなぁ~ このような小さな舞台もありました。軽演劇とかも行われていたのでしょうか。 教室の扉も年代を感じさせるもので、扉の上の換気用の窓なんかはかなり特徴的ですね。 それにしても扉は引き戸ではなく開き戸なんですね。引き戸だと「ガラガラ」と音がするのを嫌ったのかな・・・。廊下が広いから開き戸でも全然余裕があるから問題ないですけどね。 ところで、階段のところには、写真のようなウサギと亀のモニュメントがありまして・・・ 踊り場のところで、ウサギは一休みしていました。 そう、これは童話「ウサギと亀」を表していたんですね。亀は階段の途中を登っている様子になっていました。こういう遊び心もいいなかってね。 それにしても、時間がなくてゆっくり見られなかったのが残念、今度もう一度見に行ってみたいと思っています。
2023年08月02日
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夏の花といえば、ひまわりですよね。各地でひまわりが太陽に向かって咲いていると思いますし、ひまわりを使った迷路なんていうのもありますね。 私の住む奈良の馬見丘陵公園でもひまわりがきれいに咲いていまして、今日妻と買い物へ行く前に行ってきました。 ひまわりにもいろんな種類があるそうですけど、写真のひまわりが一番なじみがあるかな。 ひまわりって、太陽に向かって咲くと言われていますが、時間帯によっては写そうとする向きではひまわりの後ろしか写らないこともあるんですよね。 ちなみに、これらの写真は妻に撮ってもらいました。実は、私はケータイを持って行くのを忘れていたので(苦笑)。 馬見丘陵公園では、ひまわりの種類によっては花が終わっているのもあるのですが、まだ咲いていないものもあってもうしばらくは楽しめそうです。
2023年07月29日
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今日は天神祭り、実に4年ぶりの開催だそうです。大阪の夏は天神祭り、以前出向していた職場はOMMビルの中にあったので、大川を行き交う船渡御や花火を間近に見ることができるところだったんですけどね・・・。 そんな天神祭りは昨日からいろいろ準備をしていまして、その様子を見てきました。 船渡御に使われる台船でしょうね。 こんな感じで椅子がたくさん設けられています。飾り付けはこれからなんでしょうね。 飾りつけをする前はこんな感じだったんですね。 大川を渡ることができる橋はいくかあるのですが、この川崎橋は車は通行できません。花火が上がるときは一番見やすい橋になるのですが・・・。・・・でしょうね、そういうことです。そんな都合よくはありません(笑)。 正面に見える高いビルがOMMビル、ここに出向していた職場があったので一時期勤めていました。 いいロケーションでしょ、建物自体は1969年竣工だそうですけどね。ちなみに、かつての京阪天満橋駅はここにあったんですよ。今は地下化されていますが。 それにしても、天神祭りに行く人で天満橋周辺は混雑していました。花火が終わってから帰ろうとするととんでもない混雑に巻き込まれるので、早めに帰りました。上の子どもが小さいときに見に行ったことがありますけど、かえりはなかなか大変だったのを覚えています。
2023年07月25日
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今日は、昨日までの天気が回復した奈良地方です。元々今日は草野球の試合がある予定だったのですが、昨日のうちに中止となってしまいました。結構雨が降りましたし、いいグラウンドだったので球場側も使ってほしくなかったんでしょうね。 そんなこともあって、予定が空いてしまったので妻と一緒に奈良県大和郡山市にある矢田寺へ行きました。矢田寺は別名「アジサイの寺」とよばれており、梅雨時はアジサイの花が咲きほこります。 JR大和路線の大和小泉駅からバスで行きました。矢田寺までは近鉄郡山駅からバスが出ておりまして、写真のところまでやってくることができるのですが、私は大和小泉駅からのバスを利用し、矢田寺に近い別のバス停で降りてここまで歩いてきました。 車で来ても有料駐車場はありまして、この写真の近くにあるので一般的には車で来るのかなってね。 さて、矢田寺へは先の写真のバス停のところから上り坂&階段。今日は特に蒸し暑かったし、ここへ車でも結構歩いているので、なかなかしんどかったですよ。この案内図にもアジサイが描かれていますね。 まずはお参りして、アジサイを見に行きました。 アジサイが見られるところは、一方通行の回廊のようになっていて、しかも水が流れる沢もあってなかなか趣がありました。 時期的には終盤なので、花も終わりかけのものが多かったです。 それでも、昨日雨が降ったおかげか、色が鮮やか。 見どころが難しいアジサイ、本来はもう少し早い方がよかったのでしょうけど、そんな時期に来たらこのようにゆっくり写真も撮れないし、花も見られないかな。 一方通行の回廊は、道幅が狭くて石の階段もあって歩きにくいところもありましたが、なかなかよかったですよ。 矢田寺のアジサイを見られるのは、今日までだったのでいいタイミングで見に行くことができました。
2023年07月02日
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先日の草野球チーム・ガゼルスの練習試合で行った白鷺公園には、蓮の花が咲く池がありました。 蓮の花は今の時期に咲くんですね。 もう少し近寄って撮影したいのですが、他の人もたくさんいたからね。こんな感じになってしまいました。 それから、写真だけでなく収音マイクのようなものを持ってきている人もいました。蓮の花が咲くときに音がする、と言われていますが、本当なのかな? 「音はしない」「音がする」と真逆のコメントがあってどちらかわかりませんが・・・。 梅雨時は、アジサイだけではないんですね。天気はうっとうしいけど、そんな中に咲く花もなかなかよさそうです。
2023年06月30日
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今年のGWは、あまり遠出はしませんでしたが、5月5日に明日香村へ行きました。明日香村は、子どもたちが小さいころ、GWによく明日香村へ行っていました。 子どもたちと一緒に行っていたのは車で行っていましたが、今回は一人なので列車で移動。スタートは近鉄吉野線の飛鳥駅です。朝早めに行ったので、列車は空いていました。ここからは歩いて石舞台方面を目指します。 天気が良かったので歩いても気持ちよかったです。 さて、まず目指したのは猿岩です。ここへ行く途中、欧米系の外国人親子とすれ違いましたが、「オハヨウゴザイマス!」って挨拶してくれました。奈良を訪れる外国人は奈良公園周辺ではよく見かけますが、奈良公園からかなり離れている明日香村へも来てくれる外国人もいるんですね。なかなか通な外国人だと思いました。 続いて、歩いて10分ほどの鬼の雪隠岩(上)と鬼の雪隠岩(下)へ。 ここは、ともにすぐ近くに位置しているのですが、鬼の洗濯岩は道路から少し上がったところにあります。 さらに10分ほど歩いて亀石へ。亀が寝ているのように見えますね。 前出の鬼の雪隠岩や鬼の洗濯岩は、畑の近くや竹藪の中にあるのですが、亀石は写真のようにすぐ近くには住宅が建っています。初めて訪れた人にとっては、なぜこんなところにあるんだろうって思うでしょうね。 亀石からのんびりと歩いて石舞台を目指します。道中には、写真のようにいちご狩りのできるところがあって、予約していないので立ち寄りませんでしたが、道沿いから写真を撮りました。おいしそうなイチゴがたくさんできていました。そういえば、この日は娘が友達と一緒にいちご狩りに行っているとのことでした。 石舞台へ行く前に祝戸の展望台へ行ってみました。 写真は展望台からの写真ですが、ここへ行くまではなかなか大変でした。その話はまた後日紹介できればと思っています。 祝戸から石舞台へ移動。ここは石舞台の手前にある広場です。ここではイベントが行われていることがあったのですが、この日は行われておらず芝生がきれいでした。 石舞台へ行こうと思ったのですが、歩き疲れたので石舞台から近鉄の橿原神宮前駅まで行く路線バスがあったので、それで移動することにしました。バスはだいたい30分に一本あるし、奈良交通なので交通系ICカードが使えるので便利です。ちなみに、橿原神宮前までは道幅が狭くてそんなところをバス(いすゞエルガミオ)がよく入っていくなぁというようなところでした。 久しぶりに明日香村へ行きました、前回はレンタサイクルで移動でしたが、今回は歩き。歩いて行くと疲れますが、鳥のさえずりや川のせせらぎを聞きながら歩きましたので、それはそれで楽しかったですよ。飛鳥駅から石舞台までは歩いて40分くらいの距離ですから、十分歩いても楽しめます。他にも行ってみたかったのですが、祝戸へ行って疲れたのでそれ以上いけませんでした・・・。
2023年05月07日
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いい天候に恵まれた今日、大阪府池田市にある「逸翁美術館」へ行ってきました。 その目的とは、このチラシにあるように「阪急昭和モダン図鑑」という展示を見るためです。阪急の創業者である小林一三氏の生誕150年を記念したイベントだそうで、先日堺筋線に乗った際にたまたま乗車した車両が阪急の乗り入れ車両で、この広告に目が行ったのでした。そして今日、行くことにしたのでした。 阪急宝塚線の池田駅へやってきました。 ここへは、若いころに職場のソフトボールで何度も来たことがあります。 池田駅から北方向へやや上り坂を登ったところに「逸翁美術館」がありました。入場は700円かかりますが、JAFの会員証を持っていたので500円に割り引いてもらえました。結構引いてくれたんですよ。JAFの会員証で割引のところって、ここまで引いてくれるところは少ないからね。 それはさておき、展示の内容としてはこのチラシによると「1920~1930年代の阪急沿線の暮らしを取り上げます。この時代には、鉄道の利便性向上、百貨店の拡充、郊外住宅地の開発、劇場野球場の大規模化、遊園地の拡張整備が継ぐ次と進められました。それは沿線に居住することがいかに愉快で、その生活をエンジョイできるかという理想郷を実現したいという小林一三の願いでもありました」とのことで、ただ「鉄道を敷く」のではなく、で住宅地開発、娯楽施設の開発、百貨店の開設をセットで作り上げていくことで鉄道をもっと利用してもらえるということを目論んだんでしょうね。そういった試みを今から100年前にすでに行われていたというのは、当時としてはかなり先進的な考えだったんですね。 そういったことが車内広告や駅貼り広告などにもよく表れていました。武庫之荘や園田の住宅地開発や今も続く阪急百貨店や宝塚歌劇、六甲や箕面への観光客誘致といった広告は、現在のように写真を使ったものはほとんど見当たらず、手描きの画や文字ですから如何に目を引くように作成するかというところとキャッチコピーが印象に残りました。その広告には、今ではあまり考えられないのですが、例えば宝塚歌劇の題目の紹介の上部に阪急とは別の会社の広告(主に化粧品などが多い)が添えられているのは意外でした。 ところで、ライバル会社との競争を煽るような広告というものが昔はあったようで、今のようにライバル会社や別の会社とのコラボというのは昔は考えられないものだったと思うのですが、今回展示されていた広告の中には、1933年に大阪市営地下鉄がなんばを経由して天王寺まで開業したのを記念して「神戸~(阪急)梅田~(地下鉄)~なんば~(南海)~和歌山市」のルートで、神戸発及び和歌山市発で同時にスタート、所要時間は何時間何分かかるかを当てるという企画を立てて、しかも実際に当時の銀幕スターにそれにチャレンジしてもらうということをされていたようです。今なら簡単に時刻検索できますから意味ないかもしれませんが1930年代ですからね、みんないろいろ考えて応募されたのではないでしょうかねぇ。また、似たようなものとして、阪神間の鉄道の阪急と阪神、阪和間の鉄道の南海と阪和、その間の大阪市営地下鉄が共同して神戸~大阪~和歌山の企画乗車券のようなものも発売していたようで、そういったコラボ企画が1930年代から行われていたと思うと、関西の鉄道ってライバルかもしれないけど「お客さんに鉄道を利用してほしい」という基本的なことを真剣に考えていたんだなぁって思いました。 あと、阪急といえば前出のとおり宝塚歌劇で、その関係の広告は本当にたくさんありました。私はタカラヅカは全然わからないのですが、それでもお題目で聴いたことがあるものはありまして、こんな昔から演じられているんだって思いました。 そういう広告を見ていると時間がたつのを忘れてしまうもので、写真に収めたい広告ばかりなのですが、それはNGとのこと。写真がダメなら筆記で記録と思ったのですが、今日は持ってこなかったのでそれについてはまたリベンジできればと思っています。 そんな中で写真に収めることができたのは、これらの模型だけです。 これはよくご存じかもしれませんが、三宮駅の模型です。阪神大震災の際にかなり被害を受けたのですが、1930年代のものが再現されていました。二つのアーチの左側から車両が出発していくところですが、アーチの右側にも線路があったのかと思っていましたけど違ったんですね・・・。今ではこの建物は見られなくなってしまいましたね。 あともう一つは、1984年まで西宮北口駅に存在していた「ダイヤモンドクロス」です。神戸線と今津線が交わる西宮北口駅。路面電車ではこのようなダイヤモンドクロスは珍しくはないのですが、阪急のように大型車両が行き交う路線ではかなり珍しいものでした。 残念ながら私は現役当時には見たことがないのですが、廃止される当時のニュース映像は見た記憶があります。今の西宮北口駅は、以前も紹介したのですが、今津~宝塚間の直通運転はできなくなって西宮北口駅を挟んで西宮北口~宝塚、西宮北口~今津で運転されています。 これらの展示の他には、宝塚運動場を使った当時の宝塚歌劇の俳優さんの大運動会や1935年5月政策の沿線紹介の映像を見ることができました。それらも見ていましたので、開館直後からあっという間に昼過ぎになっていました・・・。
2023年05月04日
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今日は今一つの天気でしたが、少し早く家を出て出勤前に中之島にあるバラ園へ行ってみました。 まだつぼみのものが多いのですが、花をつけているものがありました。 バラはとても種類が多くて、咲く時期も異なるそうですから、意外と長期間楽しむことができるときいたことがあります。 この白いバラは、「ミセス チャールズ ランプロウ」というものだそうです。 バラは、百貨店の高島屋が赤いので赤色のイメージが強いのですが、前出の白やこの黄色もありましたね。 この黄色いバラは「荒城の月」という日本産出のバラだそうです。蔓状に伸びるバラなんですね。 中之島の堺筋と天神橋の間にかかる橋の名前、その名も「ばらぞの橋」。 中之島って堂島川と土佐堀川にはさまれた島なのですが、一つの島ではなくて中之島の東の端っこはこのように離れ小島のようになっていて、それをこのばらぞの橋が結んでいるんですね。 バラの時期には少し早いですが、時期には混雑するとのことだったので、まだ咲いている花が少ないものの楽しめたからよかったかなってね。
2023年04月24日
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私の職場のある天満橋界隈では、4月13日までの予定で造幣局の桜の通り抜けが行われています。春の大阪は、ソメイヨシノだけではなくて造幣局の八重桜でも楽しむことができます。 天満橋から桜の宮橋(銀橋)へ向けての一方通行は今まで通りですが、事前に申し込みをされた方のみ入場することができます。スマホのQRコードで確認しているそうです。事前登録された方とのことですが、結構多かったです。 私は登録していないので、川崎橋から見える範囲だけで見ています(笑)。 ちゃんと事前登録してみてみたいなぁ~
2023年04月10日
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今日は一日いい天気だった奈良地方です。 今日の夕方、馬見丘陵公園で16日まで開催中の「チューリップフェア」に行ってきました。 ここは、四季折々の花が楽しめるところです、今の時期はこれです。 そう、チューリップですね。 桜はすっかり散ってしまいましたが、桜のあとはチューリップが楽しめます。 丘陵地を生かしてチューリップがたくさん植えられています。 ドローンで上から見たらもっときれいなんでしょうね。 夕方にかかる時間だったのですが、それでもたくさんの人が訪れていました。 いろんな色のチューリップがありましたけど、個人的にはこの白とか・・・ ド定番の赤が好きかな~ でも、今日はとても暖かかったので、16日まで花が持ってくれるのかちょっと心配委になりました。
2023年04月09日
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先日、笠置に行った際に帰りの列車の時刻まで周辺をウロウロしてみました。 先日も少しだけ触れましたが、この笠置の河原はオートキャンプ場になっています。私も今から20年くらい前に来たことがあります。この日もたくさんの車がやってきていました。人気のオートキャンプ場です。 そのオートキャンプ場のある方と逆方向に歩いて行きました。 この道は、東海自然歩道とのことでした。東海自然歩道とは、東京の八王子から大阪の箕面まで1700km近い距離の自然歩道だそうです。 木津川に沿って歩いて行くと、線路沿いに歩きます。それもまぁまぁ線路の際です。こういうのは珍しいかもしれませんね。 このようにトンネルのあるところは、トンネルの外側に通路がありました。 沢を渡る鉄橋もこのゆに通路があって、なかなか楽しかったです。 数は少ないながらも列車もやってきます。 ところで、この東海自然歩道を歩いていたのは私だけではなく、年配の集団が笠置駅から大河原駅方面へ歩いて行きました。時間があれば私も歩いてもよかったのかもしれませんが、長距離を歩く準備はしていなかったので、ここで笠置駅へと引き換えしました。 これから暖かい時期になると、草が伸びてきて歩きづらいかもしれないので、ここを歩くなら今の時期がねらい目かもしれませんね。
2023年04月04日
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今日は、今年の花見も最後になるだろうということで、あちこち出かけることにしました。まず、生駒市の宝山寺へ。生駒から生駒ケーブルで向かいます。ケーブルの話はまた後日に・・・。 生駒ケーブルの宝山寺駅から歩いてこの階段を上っていきます。早速桜が咲いていてきれいでしたが、宝山寺周辺では桜が咲いているところは少なかったかなぁ。 階段は結構長くてしんどかったです・・・。 ようやく入口に到着。ここまでふもとから車で上がってくることもできるんですね・・・。 宝山寺は拝観料無料となっていました。 鐘撞堂には、今年の干支の兎が描かれていました。 お参りしました。明日から仕事は新年度となります。大きなトラブルがないことを祈念しました。 その後、列車を乗り継いで笠置へ。関西本線の加茂の次の駅で、木津川沿いにオートキャンプ場がひろがるところです。ここも桜がきれいなんです。 駅前には枝垂れ桜があってきれいでした。 この後、笠置駅周辺をウロウロしたのですが、それもまた後日に・・・。 最後は、奈良へ戻って興福寺へ。春の桜を見に行くのはここは定番としています。子どもが小さいときに花見に行ったこともあって、ここは外せないのです。 それにしても、今日もよく歩きましたが、桜はきれいだったし満足でした。
2023年04月02日
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今日は車で出かけていましたが、途中の大和高田市の高田川沿いの桜を見ながら走っていました。高田川沿いにも見事な桜並木がありまして、今日はとてもいい天気だったこともあって大勢に人が見物に出かけていました。ただ、天気が良すぎて桜も散り始めていました。 そんな状況をみながら車を走らせていると、突然風が吹いて桜吹雪に・・・。 窓を開けていたので、桜の花びらが車にも入ってきました(笑)。 その様子をドラレコにも映っていました。この写真にも桜の花吹雪が見えているかと思います。 思わぬ桜吹雪にうれしく思いました。
2023年04月01日
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今日も昼食後に、天満橋の大川の桜を見てきました。今日は天満橋の西側の方へ行ってみました。 ここは、京阪天満橋駅の北側にあたります。撮影している場所は天満橋、西側を向いています。 大川には、たくさんの船が出ていました。 天満橋を渡って大川の右岸にやってきました。 この時期は、大川沿いの遊歩道のさらに外側を歩くことができます。ちょうど桜のトンネルのようになっています。 桜のトンネルを歩くのは、なんだかいいですね。 人も少なくて、絶景を堪能しました。 天神橋の近くまでここを歩くことができます。 ところで、今日もいい天気だったので大勢の人が花見に来ていました。 ただ、残念なのが、広い場所にブルーシートを敷いて早くも場所取りしているのが目立ったこと。 詳しくは見ていませんが、会社名がかかれた紙も貼ってあった模様。今日は金曜日、おそらく夕方からどんちゃん騒ぎしているんでしょうけど、なんだかなぁ~ 私も飲むのは好きだけど、それはやりすぎなんじゃないのって思うけどなぁ~
2023年03月31日
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