さすらいの天才不良文学中年

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退職を考える 何歳で死ぬか

おいらの退職騒動(前編)

 二足のわらじを履いていたが、事情があって、この3月末に退職した。


志功


「自由人」事始でも書いているが、一昨年の暮れから、やん処ない事情によりベンチャー系の企業を手伝い始めた。前職の経験を買われたからである。

 軸足は作家修行である。

 そのため当初は週二日の手伝い、しかし、会社の営業開始にあたり、商品の改定認可を取得しなければならず、何時の間にか週三日、そして対当局上、常勤の必要があるということで週四日の勤務となった。

 しかも、当局との折衝は営業開始後も新商品の持込でほぼ毎日となり、久し振りの緊張で面白い仕事とはなったが、作家修行は主として土日になるという、本末転倒の毎日となっていたのだ。

 実際、昨年度後半は、小説を1本も書いていない。おいらのエセーがマイナー系のタブロイド新聞に掲載された程度である。早い話しが、軸足が手伝い先に移っていたのである。

 さて、この間の精算をしてみよう。

 まず、プラス面。収入の面ではお世話になった。もともと収入面では働かなくても生活は出来ると踏んではいたが、その間家計が助かったのは事実である。

 次に、人脈の開発である。今回手伝った世界は狭いので、16ヶ月間でほとんどの業界人と接することが出来た。特に当局とパイプが出来たことは心強い。さらに、自分の実力がどれ位のものかが良く分かった。この世界でおいらに仕事を手伝って欲しいという人が何人も現れたのである。

 それに最大の収穫は、裏を含めてこの業界のことがほぼ分かったことである。いわば上質の小説のネタを手中にしたも同然である。実話をそのまま書くのではなく、嘘を交えて、切り口さえ間違えなければ、面白い小説になるだろう(ただし、実際に書くかどうかは、まだ決めかねている)。

 反面、前述のとおり、自分の時間を作り出して、執筆に充てる時間が激減した。これでは、何のために前職を辞めたのか分からない。

 男、齢(よわい)57歳。このバランスシートは良かったのか、悪かったのか、少し冷静になって考えなければならない(続く)。


おいらの退職騒動(中編)

 おいらの退職挨拶である。


志功


「退職ご挨拶

 ご無沙汰をしています。東京の桜も既に満開を通り越し、前線の通過の影響もあって、散る美学の様相です。

 さて、小職の勤務先(○○○○)の現経営陣(創業者グループ)と持株会社(○○○○=出資者)との派閥争いが「極まれり」という状況になり、遂に本日開催の臨時取締役会で創業社長が解任されました。ま、大企業による、事実上の乗っ取りです。

 小職はこの経緯をつぶさに見てまいりましたが、如何に資本の論理とは云え、このようなことが横行するというのは小職の正義感に反しますので、本日を持ちまして、退職することにいたしました(形の上では円満退社です)。

 思えば、一昨年の暮、三顧の礼で迎えられ、約16ヶ月間という短い期間ではありましたが、○○○○業界という珍しい世界に足を踏み入れることになり、ベンチャー事業の面白さを肌で感じさせて頂いたことは誠に幸甚でありました。

 皆様にはその間、過分のご支援ご指導をいただき、本当に有難うございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、小職の身の振り方ですが、少しの間、浪人するつもりです。ま、とりあえずは、恋女房と温泉にでもつかりに行きましょうか。

 それでは、今後の皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。

平成20年3月末日

○○ ○○ 拝」

 退職挨拶の内容は、事実である。

 これでも抑えた内容としたつもりである。最後は、下手な経済小説顔負けの世界であった。挨拶文に入れていないが、おいらの辞任は抗議の辞任でもある。

 さて、気心の知れた取引先や友人に約100通のこの退職挨拶メールを送付したところ、直ちに約30人から返事がやって来た。驚きながらも、皆、励ましのメールである。

 落ち着いたら、酒を飲みましょうというのもある。是非とも詳しい話しを聞かせてくれというのもある。自由になるのだから、仕事を手伝ってくれというのもある。いずれも有難い申し出ばかりである(続く)。


おいらの退職騒動(後編)

 実は、本日、娘が結婚する

 また、母が病院を退院させられ、施設に入所することになった。それに近々おいらは左目を手術しなければならない。


志功


 そういう激動の日々である。続くときは、続くものである。

 さて、そうはいいながらも退職して良いことは沢山ある。

(1)いわば滅茶苦茶な会社でもあった訳で、そこから離れるということは、気がセイセイするのである。

(2)平日なのに休めるという開放感は、何事にも代えられない。久し振りにゆっくりと桜見物が出来た。知らない街にも出かけてみたい。

(3)好きな執筆活動に専念出来る。一日が充実する。

(4)何よりも通勤ラッシュがないのが良い。また、好きな時間に目を覚ませば良い。

 しかし、良いこと尽くめだけでもない。

(1)平日の昼間にいい大人がブラブラしているという自虐感。何となく負い目を感じるのである。これは、二足の草鞋を履く前も抜け切れなかったなぁ。貧乏性なのかなぁ。

(2)収入面では緊縮財政モードに舞い戻りである。ま、しかし、当面は失業保険も支給されるし、贅沢さえしなければ問題なし。

 以上、心の収支では、やはり自由人の方が圧倒的に良い。

 友人が「これを機会にリフレッシュして、今後どうするかをゆっくりと考えればよい」とサジェスチョンしてくれた。

 まことにそのとおりだと思う。おいらは決めたのである。4月一杯は、休養に充てる。何にもせぇへんど。

 5月からまた身の振り方を考える。それで良いではないか。

 娘を嫁に出す。母が施設に入る。おいらは眼の手術のために入院する。目まぐるしいのだ。ゆっくりさせてくれ。そうだ、恋女房と熱海に行かなければ(この項終わり)。


思い出すと嫌な人間

 30数年勤めた前の会社を退職するときに、これはと思う人間にだけはお礼の挨拶に行った。礼を失してはならない。


花


 そういうときの相手の対応というので、人間の度量が分かる。

 辞める人間に相手をする時間などないという輩が、二人いた。

 おいらは親密な付き合いだったと思っていたので意外だったが、その人間の底が見えたと思った。

 そうだと分かるとこちらも相手にする時間がもったいない。早々に切り上げたのだが、お世話になったお礼を述べる人間を邪険に扱うということが世の中にあるのだろうか。

 それだけの話しであるが、未だに思い出すと嫌な気分になる。

 しかし、あの二人とは一体何者だったのだろう。



古希を迎えれば

 つい先だっての夢である。

 夢で観る話しは一理あるものが多いと感心したのである。しかし、翌朝、起きてみると全くその内容を覚えていない。

 北野武氏がおいらの夢に登場し、荒唐無稽な話しをされるにもかかわらず一理あると考えていたところまでは思い出せたのだが…。

 何故、このようなことを書くかと云うと、若いときは少々のことでは夢を忘れることはなかった。夢の内容を反芻して、分析までしていたのである。おいおい、こりゃ、年のせいか。

 それで思い出したのが、先日読んだ、横尾忠則の「隠居宣言」(平凡社新書)である。


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 その本の中で、面白い箇所に出くわした。

 氏は、これまで実年齢よりも自分の年齢が10歳若いと思って過ごしてきたのだが、古希を迎えてそうならなくなったと書かれているのである。

 横尾忠則氏。1936年生まれ。現在76歳。氏の風貌は若かったので、10歳若いと云ったとしても誰もが信用しただろう。

 ところで、この10歳若いという感覚はおいらにとっても当てはまるのである。

 実は、おいらも現在51歳のつもりで生きている。これは、昔の人生50年が、今、人生80年になったおかげで、10歳若くなったと考えても不思議ではないからである。

 しかし、横尾氏は云われるのである。古希(70歳)を迎えて、実年齢と自分の感じる年齢とが一致するようになったと。

 歩くのが億劫になり、五感が衰え、さっきまで何かしようとしていたことまで忘れるようになったと云われるのである。

 ゲゲ~!!

 そうすると、おいらも70になると年相応になるのだろうか。なるほど、皆が人生最大の黄金時代は60代だと云い、70代をそう云わないのは、実は、そういう理由かも知れない。

 60代、オロソカニスルデナイ。


何歳で死ぬのが一番の理想か(前篇)

 おいらはこのブログで散々書いているが、65歳で死ぬのを理想としていた。


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 三島由紀夫は45歳で自ら人生のピリオドをうっている。

 おいらの系類では、親父が49歳で早世している。ガンであった。父方の祖父もガンによって56歳で他界しており、このことからおいら自身が長生きをするというイメージは湧きにくかったのである。

 しかし、おいらは馬齢を重ね、また大病もせずにとうとう今年の後半、65歳を迎える年齢になってしまった。前期高齢者=老人への仲間入りである。そうは云っても、まだ、簡単には死ねそうにもない。

 だが、人間の致死率は1であり、いつかは必ず死ぬのである。おいらは死に時を考えておかない人間は嫌いである。人生とは明日のことではなく、今日のことだから(戸川昌子)、死に時が分かっていなければ阿呆というものである。

 さて、昨年、母が86歳で亡くなったが、そのときの葬儀社の担当のTさんが出来ぶつであった。

 軽口をたたくまでの仲となったので、人間は何歳で死ぬのが一番理想かとの話題に花が咲いたのである。

 そのとき、おいらは自説の65歳ではなく、本能的に69歳ではないかと思った。それはおいらの敬愛していた先輩が69歳で旅立たれたからであり、同時に70歳だと古希=本当の老人のイメージがダブったからである。人生には惜しまれる年齢というのが自ずとある。

 しかし、Tさんは仕事での経験上、72歳で死ぬのが一番良いと主張されたのである。おいらの説の69歳ではまだ若い。個人差はあるが、一般に72歳までは体の自由がきくのだそうだ。そして、73歳以降だと体にガタが出始める。

 つまり、体の自由がきくうちで、しかも惜しまれて亡くなる限界が72歳だと主張されたのである。う~む。商売上?の実績に裏付けのある意見であるだけに説得力がある(この項続く)。



何歳で死ぬのが一番の理想か(後篇)

 そうすると、おいらも72歳で死ぬのが一番なのだろうか。


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 実は、おいらは若いころから新聞の訃報記事を眺めるのが趣味であった。それが高じて、今では訃報記事の「スクラップ・ブック(クリア・ホルダーにファイル)」を作っているほどである。

 おいらの好きな作家を始め、気にかかる人物の訃報記事を年齢別に整理している。

 山田風太郎が「人間臨終図鑑」(徳間書店)を上梓しているが、有名人や過去の英雄が中心である。それに比べておいらの臨終図鑑は同時代に生きた人たちの死亡記事ファイルである。

 そこで、69歳に他界した人を調べると、「実相寺昭雄(映画監督、ATG「無常」や「怪奇大作戦」など)」氏や「ばってん荒川」氏(コメディアン)の名前がある。

 しかし、これでは69歳のイメージがちょっと湧かないので、70歳の頁をめくるとこれが意外に多い(以下、敬称略)。

 岡田真澄(プレイボーイ)、吉行淳之介(作家)、阿久悠(作詞家)、稲生和久(投手)、市川森一(脚本家)、細川俊之(二枚目俳優)、久世光彦(演出家、作家)、地井武男(性格俳優)などの名前がある。う~む、確かにまだ惜しまれて亡くなったという感がある。

 71歳となると、パバロッティ(オペラ歌手)、本田靖春(ノンフィクション作家)、伊藤エミ(ザ・ピーナッツの姉)、上田馬之助(プロレスラー)などがお亡くなりである。

 これがTさんの主張される72歳となると、深作欣二(映画監督、代表作「仁義なき戦い」)、小野ヤスシ(ボードビリアン)、入川保則(名脇役)などとなる。う~ん、皆まだ若いわぁ。

 惜しまれながら死ぬというのは、美学である。やはり、72歳で死ぬのが一番なのだろうか。

 72歳で運よく死ねるとするとあと7年強か。人生とはやはり今のことである(この項終わり)。



何歳で死ぬのが一番の理想か(番外篇)

「何歳で死ぬのが一番の理想か」の後篇を書き終わって、おいらの好きな吉行淳之介の享年を調べてみたら何と70歳であった。


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 吉行淳之介の訃報は、別のファイリングに入れていたので彼の名前を見落としていたのである。そうだとすると、阿久悠の享年も調べてみなければいけない。彼のファイリングも別にしているからだ。

 やはり、彼も70歳だった。そこで慌てて、二人の名前を金曜日のブログに加筆した。

 では、なぜ二人が70歳で没したと思わなかったのかというと、吉行淳之介は老成しており、日ごろから自分のことを耄碌などと云って喜んでいたからである。

 それに対し、阿久悠はいつまで経っても爺臭くならなかった。顔にシミができても若いイメージを大切にしていた。

 だから、吉行は75歳ごろ、阿久悠は65歳ごろ他界したというイメージがあったのである。

 そこでおいらはハタと膝を打ったのである。本人の死亡年齢は、つまるところ、その人のイメージによるところが強いのではないか。

 そうだとすると、日ごろから体力を鍛え、若くしていれば、歳を取って死んでも若く死んだ、つまり、惜しまれての死となるのかも知れない。

 う~む、しかし、それがいったい何の役に立つのだろうかと再びおいらは考えてしまうのである。

 なお、70歳前後で亡くなっている有名人で気付いた方は、その他にも蟹江敬三、須賀敦子(ともに69歳)、林隆三(70歳)、安西水丸、田中森一(ともに71歳)、赤塚不二夫(72歳)さんなどがいる。この人たちは、いずれも死に時を間違えているとは思えない(この項終わり)。


死にいたる病(予告編)

 現在連載を続けているエセー「関ネットワークス『情報の缶詰』」の原稿締め切り日は、毎月15日である。


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 昨日がその来月号の締切日だったので、昨夜原稿を送った(400字詰め原稿用紙7枚)。やれやれ。

 そのタイトルは、「死にいたる病」。

 聡明な方はご存じであろう、「死に至る病」とはキルケゴールの哲学書の題名であり、その病とは絶望のことである。この書はキルケゴールがヘーゲルの理性主義を批判した名著であるが、このエセーはそのことを書くものではない。

 死に至る病、すなわち、希望をなくしたときに人間が死ぬとすれば、長生きした人は皆、死に至る病に罹患していないのだなぁとつくづく思ったからである。

 そこで、エセーの内容は主として職業と寿命や長生きと志について言及したものである。

 なぜこうしたかと問われれば、先ごろこのブログで書いた「何歳で死ぬのが一番理想か」を加筆して先月のエセーの原稿の後半を次のとおりとしたのである。

「70歳で亡くなったと思わなかった人物を二人あげた。吉行淳之介と阿久悠である。

 なぜかというと、吉行淳之介は老成しており、日ごろから自分のことを耄碌などと云って喜んでいたからである。それに対し、阿久悠はいつまで経っても爺臭くならなかった。顔にシミができても若いイメージを大切にしていた。

 だから、吉行は75歳ごろ、阿久悠は65歳ごろ他界したというイメージがあったのである(なお、ご存命の小百合さまは70歳。イメージとしてはまだ60代前半である。タモリも8月には70歳、北野武、シルヴェスター・スタローンは68歳。これらの人はまだ若いというイメージがある)。

 そこでおいらはハタと膝を打ったのである。本人の死亡年齢は、つまるところ、その人のイメージによるところが強いのではないか。

 そうだとすると、日ごろから体力を鍛え、若くしていれば、歳を取って死んでも若くして亡くなった、つまり、惜しまれての死となるのかも知れない。

 う~む、しかし、それがいったい何の役に立つのだろうかと再びおいらは考えてしまうのである。

 結局、70過ぎて亡くなった人たちは、いずれも死に時を間違えていたとは思えない。手塚治虫のように60歳で亡くなっていれば確かに早死にである。

 だが、古稀まで生きていれば人生を充分楽しんだと云えるのではないか。そうすると古稀を過ぎてしまえば、死んだときが本人にとっての死に時というふうに考えても良いのではないだろうか。

 おいらが運よく72歳で死ねるとするとあと7年強か。人生とはやはり今のことである」

 以上が好評を博したので、編集長から続編を依頼されたのである。

 そこで、昨夜脱稿したものであり、その内容は4月に入ってから三回にわたり掲載する予定である。本日は予告編まで。乞うご期待。



死にいたる病(職業と寿命)(前篇)

 本日より3日間は、関ネットワークス「情報の缶詰」(2015年4月号)に掲載された「死にいたる病(職業と寿命)」を連載します。


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死にいたる病(職業と寿命)

 聡明な方はご存じであろう、「死に至る病」とはキルケゴールの哲学書の題名である。

「死に至る病」はイエス・キリストが友人ラザロを蘇生させた際、「この病は死に至らず」と述べたことに由来しており、死に至る病とは絶望のことを意味している。

 何が云いたいのかというと、「長生きした人は皆、死に至る病に罹患していないのだなぁ」とつくづく思うからである。


1.古稀

「人生七十年、古来稀なり」とされたのは、今は昔である。前回も述べたが、今は昔の八掛けである。

 70才を0.8で割り戻すと、87.5才となり、現在の平均寿命である83.1才(男性80.2才、女性86.6才)を考慮するとこの教えが外れていないことが分かる。

 実際、わが国では百才を超える百寿者が毎年3万人!も誕生しており、そのうち百才でも珍しくなくなる日が遠くなさそうである。


2.芸術家と寿命

 一般的に芸術家は長生きだと云われる。そこで、芸術家は本当に長生きかどうか検証してみよう。

 彫刻家の平櫛田中は107歳まで生きた。日本画家の小倉遊亀は105才。片岡球子は103才で、奥村土牛は101才。洋画家の熊谷守一は97才、梅原龍三郎と中川一政は98才と錚々たるメンバーが皆、一様に長命である。

 明治元年生まれの横山大観は大酒のみであったが90才、世界に名をとどろかした葛飾北斎は89才まで長生きをした。北斎は江戸時代にしては長命である。

 これが世界となるとグランマモーゼズは101才。マティスは85才、ダリ、モネは86才。イタリアのルネサンス期の三大巨匠の一人、ミケランジェロは89才。また、シャガールとミロは90才でピカソは92才と皆、長生きである。

 漫画家だって長生きだ。ガンだった赤塚不二夫でさえも72才。最近なくなった「アンパンマン」の作者、やなせたかしは94才。「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるは92才でご存命。

 画家はボケずに長生きするのである。これは、絵を描く人が長寿以前にボケないためだと云われている。

 絵を描くためには大脳の左右両方を使うことが必要であり、さらに、脳の司令塔といわれる前頭葉の血流量が増大し、活性化するからである。前頭葉が活性化すると意欲、能力、健康が増進されるので長寿になりやすいのである(この項続く)。


死にいたる病(職業と寿命)(中篇)

2.芸術家と寿命(続き)

 ここで同じ芸術家でありながら、短命と云われる作家の寿命を考えてみよう。


太宰治.jpg


 芥川龍之介は35才、宮沢賢治は37才、太宰治は39才、有島武郎は45才、三島由紀夫も45才、夏目漱石は49才、詩人の中原中也は30才で没している。近年では中島らもが52才と短命である。

 俗に「画家は長命、作家は短命」と云われる所以である。

 ただし、長生きをした作家もいる。北杜夫と佐野洋は84才、丸谷才一と吉本隆明は87才。山崎豊子は88才。吉田秀和(評論家)は97才。宇野千代は99才であり、必ずしも作家が短命というわけではないようだ。

 これは、戦前の作家の場合、貧乏と病気と女で苦労しなければ一人前の作家ではないという風潮があり、一流の作家は自殺するのが当たり前と思われていたからである。そのためか、芥川、太宰、有島、三島は皆自殺している(川端康成も73才で自殺)。

 したがって、画家、作家を問わず、芸術家は本来長生きしやすいと考えた方が正解かも知れない。


3.職業と寿命

 寄り道をした。職業と寿命を考える場合の手っ取り早い方法は、実際に百才以上長生きした百寿者の職業を調べることである。

 東京都在住の百寿者男性が30才代だったときの職業を調査したところ、第1次産業(林業や農業など)よりも第3次産業の従事者(多くは高学歴、ホワイトカラー)が多いことが分かったという(週刊現代14年6月5日号)。

 高学歴やホワイトカラーは経済的に恵まれ、高い水準の医療や食生活を享受できたことがその理由の一つとされている。同誌によると、会社員、教員、高学歴、ホワイトカラーが長生きだそうだ。

 なかでも教員の割合が多いが(今と違い、昔の教員は尊敬の対象とされていた)、会社員でも企画立案や交渉事に携わる仕事をしていれば脳の活性化につながり、高齢になっても認知機能が維持されやすいという。

 また、健康寿命の長い人ほど好奇心旺盛で社交的なタイプが目立つとのことである(この項続く)。


死にいたる病(職業と寿命)(後篇)

4.飲む打つ買うの効用

 結局、寿命が長かった人を調べてみると職業も大事だが、ストレスを貯めずに好きなことをしてきた人が多いことが分かる。


平櫛田中.jpg


 やりがいがあり、趣味と希望があれば長生きができるし、人生に足跡も残すことができるということである。

 だから、適度に酒を飲み、適度にスポーツ(ウオーキングを含む)をし、麻雀も嗜み、ここが重要だが歳を取っても色気を忘れないことが重要である。

 老いらくの恋、結構である。好きなことをするのに年齢は関係ない。そのためには、前頭葉を活性化させておくことが必要である。

 その前頭葉を活性化させるために重要なことは、志を持つことである。

 歳を取れば取るほど志が大切になるからである。「青年よ大志を抱け」は当然だが、本来必要なことは「老年よ大志を抱け!」である。芸術家が長生きなのは、良い絵を描きたいという志が何歳になっても衰えないからである。

 人生の晩年、必要なものはカネなどではなく(金など何の役にも立たない)、好きなことがあればそれをすることである。色恋沙汰、大いに結構ではないか。それが志である。志をなくしたとき、それが死に至る病である。


 平櫛田中は云った。

「不老 六十七十ははなたれこぞう 男盛りは百から百から わしもこれからこれから」、

そして

「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」。

  この言葉は、歳を取って初めてその意味が分かる名言である。ストレスがないことも重要だが、グランマモーゼズが絵を描き始めたのは75才ごろからだったという。

 人生はまだこれからである(この項終わり)。



死ぬ確率(前篇)

 前期高齢者になると死が身近になる。


1872-74_Still life with peonies and mock orange.jpg


 タイトルを死ぬ確率としたが、人間は必ず死ぬのでその確率は1である。

 しかし、今日述べるのはそのことではなく、平均余命を人生ざっくり80年として、まあ、おいらが生きるのは長くても後15年だろうと思い、死ぬ準備をしておいた方がよいだろうということからこの項を書く。

 早い話しが、「人は何で死ぬか=死ぬ確率」を知っておけば、準備もしやすくなろうということである。

 人は何で死ぬかに役に立つ統計は、厚生労働省が発表している人口動態統計である。

 人口動態統計とはその昔、分厚い本で表紙が固く、深緑色をしていた。図書館などに行かなければ見ることができなかったが、今では便利なもので簡単にネットで検索できる。

 興味深いデータであるので、ちょっと覗いてみた。その統計(平成26年)のデータによれば、10万人当たりの死者数のランキングは、

1位 がん     (293.5人)

2位 心臓病    (157.0人)

3位 肺炎     ( 95.4人)

4位 脳卒中    ( 91.1人)

5位 老衰     ( 60.1人)

6位 不慮の事故  ( 31.1人)

7位 自殺     ( 19.5人)

8位 肝疾患    ( 12.5人)

 と云う結果である。

 やはり、圧倒的に人はがんで死ぬのである。1万人あたり約30人と云う数字は、若い人も含めての数字なので、これが老人となるとほとんどの死ぬ原因はがんであろう。

 がんも部位別にみると次のとおりである。

1位 肺がん    ( 86.0人)

2位 胃がん    ( 51.6人)

3位 大腸がん   ( 42.9人)

4位 肝臓がん   ( 31.5人)

5位 膵臓がん   ( 26.9人)

6位 前立腺がん  ( 18.9人)

7位 食道がん   ( 15.8人)

8位 白血病    (  8.0人)

 急上昇しているのが、肺がん(1位)と大腸がん(3位)である。膵臓がん(5位)と前立腺がん(6位)もじわじわと上昇している。

 このデータを見ると、最近それらのがんによってお亡くなりになられた人たちの顔が浮かぶ(この項続く)。


死ぬ確率(後篇)

 ちょっと、寄り道をする。


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6位 不慮の事故  ( 31.1人)

7位 自殺     ( 19.5人)

 についてである。

 不慮の事故のイメージが湧かないのでその内訳を見ると、上位を占めているのが、

1位 窒息     (  7.8人)

2位 転倒・転落  (  6.3人)

3位 溺死     (  6.0人)

4位 交通事故   (  4.6人)

 と分かる。交通事故死が意外に少ないが、交通事故死は長期に渡り減少している。それに比べて、1位から3位までの死因は横ばいである。

 死亡の原因で放っておけないのが自殺である。自殺は若者と働き盛りに多く、経年によって減少する。年寄りに自殺はあまり関係なさそうだ。

 したがって、以上のデータをもとに、性・年齢階級別に主な死因を述べると、

10~20歳代では、男女ともに不慮の事故と自殺

30歳代は男性では自殺、女性ではがん

40~80歳代では、男女ともにがん

90歳代以降では心臓病、脳卒中、肺炎

 が多いことが分かる。

 やはり、おいらのような年齢は皆がんで死ぬのである。やっぱりそうか。がんはそれなりに死ぬことができるので、おいらのような年齢になれば、無駄に長生きしなくて済むことから(長生きはリスクである)逆転の発想からはがんになることは喜ばしいことかもしれない。

 認知症老人になって病院や施設に隔離されてしまい、百歳まで生きさせられるのはマッピラゴメンだからである。


(特別付録)

 ところで、死ぬこととは全く関係がないが、ジャンボ宝くじの1等7億円が当たる確率を10万人あたりで表わすと、

 宝くじに当たる確率 0.01人

 となる。

 つまり、1000万枚(1枚300円で30億円)買ったうちのわずか1枚である。したがって、当たる確率は限りなくゼロである。宝くじは統計で云えば、買った瞬間に1割(末等)の価値に減価する投資なのである。だから、宝くじは寄付であると思わなければ買うことができない(この項終わり)。




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