さすらいの天才不良文学中年

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植草甚一と面白い人生 歳を取ると

植草甚一は自分の人生が面白いと言えるかと自問した

 先日、とある先輩から言われたのだが、統計上はおいらのような人間はもはや老後世代になるのだそうだ。そうか、老後世代か、良かった。憧れのヒヒ爺になれるぞ、そう思うと、嬉しくなってしまう。


植草甚一


 植草甚一が若者の雑誌の代表である平凡パンチに風変わりなおじさんとして最初に紹介されたのが昭和41年。氏が58才のときであった。

 映画評論、推理小説編集、ジャズ評論等で頭角をあらわし(専攻は建築であったが東宝に入社。後、キネマ旬報同人に)、60才ごろからあまねく人気を博した。

 本領を発揮したのが66才での初の海外、しかもニューヨーク滞在以降である。自分の好み、自分の趣味を徹底して押し通した人であった。

 氏に接した高平哲郎氏によると、「したくないことをしない自由」と「リラックスして生きること」を氏から教わったそうだ。「自分の人生が面白いと言えるか」と植草甚一は自問していた。

 元気が出てくる不思議なおじさん、万々歳である。



祝アクセス数、180,000突破

 一昨日(9月8日(水))、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき180,000を突破しました。栄えある180,000達成者は、「***EZweb」さんでした。ありがとうございます。

 180,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。

 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「植草甚一編集『宝島1974年2月号』第1巻第6号(晶文社)」をお披露目します。


宝島1


 云わずと知れたサブカルチャーのバイブルとなった雑誌「宝島」です。

 おいらが某社に入社して2年目のときの雑誌ですなぁ。この宝島はその後幾多の変遷を経て、今もなお宝島社の看板雑誌となっています。

 特にこの宝島は、表紙が良い。

「谷岡ヤスジ」です。

 不世出の天才マンガ家でした。しかし、今では知らない人が多くなってるんでしょうねぇ。


宝島2


 さて、この雑誌、オイルショックの影響で紙質が悪かったのですが、中身は濃い。時代はまだ高度経済成長の真っただ中で文化はカオスが渦巻いていたのです。

 時代に夢がありましたねぇ。おいらにも夢がありました。青年は荒野を目指していました。


「人間は老いるほど 夢が必要になる」(作者不詳)

 おいらも、もう一度初心に帰らなければ。


 次回は、185,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年9月10日(金)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


歳を取ると何故時間が早くたつのか(前編)

 本日から3日間、関ネットワークス「情報の缶詰」(09年12月号)に掲載した拙作「歳を取ると何故時間が早くたつのか」を転載します。


sunset2


「歳を取ると何故時間が早くたつのか」

1.老人大学の文集

 母(81歳)の介護をしていると、母宛に届く手紙や文書が多いのに驚く。それだけ、母が現役生活を永くしていた証しだと思う。ただし、多くの書類は事務連絡やダイレクトメールなので、中身を一瞥しただけで捨てることが多い。


 だが、処分に困るものがある。老人大学からの文集である。そのままゴミにも出来ないので、内容を読むことになる。

 これが意外と面白いのである。

「極楽は日に日に近くなりにけり。哀れ、うれしき老いの暮れかな」

「子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ。来た道、行く道、今日の道。通り直しのきかぬ道」

 こういうハッとする歌が冷徹な文章の中にさりげなく取り上げられている。年寄りの文章をおろそかにしてはならない。


2.歳を取ると

 ところで、この手の文集の中に必ず出て来るのが、歳を取ると時間が早くたつというものである。この中にも同じような記述があった。

「1年が何と速いことか。過ぎていく時間が加齢とともにより速く感じられるのは何故だろうか。このことが、このところ一層強く感じられる。本当に不思議である。

 少年の頃、学校で学んだり遊んだりの一日が何と長かったことか。早く大人になって自分のやりたいことができないものかと、あれこれ夢を膨らませていたものである。

 それに比べて今では、二毛作人生も終え、仕事もしないでほとんど無為に過ごしているといっても過言ではないのに、そんな一日が何と速く過ぎ去っていくことか。一日どころか、一年が何と速く過ぎ去っていくことか」(安藤一人、広島市老人大学OB会副会長、「きずなOB」第5号)

 むべなるかなである(この項続く)。


font style="font-size:20px;"> 歳を取ると何故時間が早くたつのか(中編)

 安藤氏はこの問題について、次の様に文章を続けられる。


落陽


「中学一年生で学んだ

『少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んずべからず
未だ醒めず 池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の悟葉(ごよう) 已(すで)に秋声』

という有名な漢詩を思い出しているが、この実感が加齢とともにひしひしとこの身に感じられるのは私だけだろうか。」

 とされ、この理由を石原慎太郎「老いてこそ人生」に求め、次のように続けられる。

「『時間の流れの速さに違いがありようはずがない。一時間は一時間、一年はあくまでも一年。つまり、時はいつも同じ速度で流れている川のようなものだが、その川のほとりを流れに沿って歩いていく人間の歩みの速度は、歳とともに肉体が老化してだんだん遅くなっていく。

遅くなっていく歩みの速度と川の流れの速度の相対的な差からして、同じように歩いているつもりの人間にとっては、川の流れがにわかに速くなったような気がするのだ』

と、なかなか巧い表現だと感心する」

 なるほど理屈好きの石原慎太郎氏らしい文章ではあるが、レトリックが強すぎる嫌いがある。何故なら、現実には若者も年寄りも同じ時間を共有しているからである。


3.全人生との相対説

 これに対し、次のような話しもある。

 十歳の子供にとって、一年は全人生の十分の一であるが、六〇歳の熟年にとっては、一年は全人生の六十分の一となる。つまり、一年は、その人その人の年齢によって感じ方が変わってくるという説である。

 これによれば、十分の一より六十分の一の方が六倍に速く感じられるという考えとなる。

 確かに小学生の全人生と我々の全人生とでは、一年の長さは異なるように感じる。小学校のころの一年が非常に長かったと今になって思うのは、理にかなっている。

 しかし、これも石原氏の説と同様、若者と年寄りとが同じ時間を共有していることへの説明がついている訳ではない(この項続く)。


歳を取ると何故時間が早くたつのか(後編)

4.日常への埋没説

 この問題について、おいらは時間が早くたつ理由を日常への埋没だと思っている。


横浜夜景2


 それは、日常に埋没し、新しいことをしなければ、脳が自動的に<流す>からである。

 それに反して、脳は、未だ経験していないことには覚醒するのである。脳が覚醒する(働く)と時間が遅く感じる(脳がフル回転する)のである。

 だから、例えば、まだ行ったことのない海外へ旅行すると、一日が急に長くなる。観ること、聞くこと全てが初めてなので、一日が長く感じられるのである。子供のときも同じである。毎日が新しい経験だから、一日が長くなるのである。

 何が云いたいのか。

 人間は、新しいことをしなければ、脳が刺激を受けないのである。つまり、脳は怠け者で、今までと同じことを繰り返すだけでは自動的にお休みモードになってしまうのである。パソコンと一緒である。カーソルを動かさなければ、画面は自動的にスクリ-ン・セーバーになるのである。

 だから、歳を取ってから来年の年賀状に今年の出来事を書こうと思っても、年寄りは思い出すのに一苦労するのである。

 本当は、脳は日々、新しい刺激を求めているのである。昨日と同じ新聞を今日もまた読む気にはなれないのと同じである。

「畳と女房は新しい方が良い」(「畳と旦那は新しい方が良い」かも知れない)というのは、実は先人の知恵なのである。

 歳を取って、休むも自由。休まぬも自由。脳を刺激して、活性化させるのも自由。お休みモードになるのも自由。

 さて、あなたは歳を取って、時間が速くたつようになられましたか?(この項終り)




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