1994年前半



5年前の夏休みに、米国に生徒を連れてホームステイをした。そして最近、オーストラリアでホームステイをした。共通して言えることは男性がよく働くということだ。家の仕事、食事作りをしている。

そして、ホームステイ先で日本人は食事にがっかりする。朝食はシリアルだけで火を通さない。夜も一品料理だ。日本の食事は、ご飯、味噌汁、おかずと最低3つの皿が要る。ところが私が行った米国、オーストラリアの家庭では一皿で済ませる。必ずしもパンはついていない。

オーストラリアでは週に3回は米飯にカレーや、シチューをかけたものを食べていた。オーストラリアの米飯、日本のパン食を考えるとき、ボーダーレスの時代だとつくづく思う。
   【西日本新聞 4月17日掲載】




米飯固執せず、いいもの流通      1994年4月13日

コメ騒動も収まったようだが、カリフォルニア米の買い付けパックも出てきて、さすが自由主義経済の旅行業者だな、と感心している。

3月下旬、韓国経由でオーストラリアから帰ると、空港のターンテーブルに米10キロ袋がいくつかあった。ハングル文字だったので、韓国米であろう。

3月上旬の日本からの手紙に「米を買ってきて」と書いてあったが、冗談と思っていた。オーストラリアでは1キロ1.5ドル(約120円)で、安くておいしい。ホームステイでは週に3回は米飯にカレーやシチューをかけたものを食べていた。

ボーダーレスの時代である。パンの国とか、米飯の国とかの固定観念は通用しなくなってきているようだ。日本もずいぶんとパンを食べるようになったし、オーストラリアではよく米を食べるようになった。安くていいものが流通する。これが自由社会の大原則である。

                    【読売新聞 4月19日掲載】



おにぎり                   1994年4月18日

小学校1年と3年の息子たちはボーイスカウトに入っているが、弁当はおにぎりとたくあんだけと組織の申し合わせで決まっている。水筒の中身は、白湯である。

妻も私も、おにぎりだけの弁当をしっかり徹底させてくれている集団の指導者に感心、そして感謝している。動き回ったとき、おなかの空いたとき、おにぎりだけで本当においしい。グルメの時代だから、なお一層、おにぎりだけの昼食の持つ意味合いを考えることができる。

2人の息子は、月に2回のボーイスカウトの集まりに喜んで出かける。おにぎりを一緒に食べた仲間が、どのように成長していくのか見守りたい。



教えがい                  1994年4月21日

教えがいのあるとは、こういうことを指すのだと感心している。4月からの赴任校の生徒は、授業が終わるや4,5人質問に来る。それも毎回違った顔ぶれだ。授業中は、しっかりと私の話に耳を傾ける。昼食後の授業で眠いときなどは、自分から「眠いから立たせてください」と言って立つ。

現在、英語で自己紹介を毎回1人づつやらせているが、堂々としている。教壇でやってみなさいと言ったら、アイムシャイ(私ははずかしがりやです)などと前置きして見事に教壇でしゃべる。外国人教師とのペアの授業では、テレビ英会話を教材に使う。しっかりとペアの話を聞いていないと、授業は成立しない。生徒がなかなかクラスを盛り上げる質問をするので、外国人講師ともどもハッスルする。

朝7時からのテレビ英会話と、夜7時からのラジオ英会話を聞いて生徒たちをリードする。生徒とともに勉強させられるわけで、教師としては願ったりの素晴らしい環境だ。

                    【読売新聞 4月28日掲載】



市街化調整区域の見直しを       1994年4月22日

土地を買いたいと思って、近くに住んでいる人に聞くと、市街化調整区域だから、一般の人は買えないと言われる。静かで緑が美しく、生活しやすいと思ったら、法律で引っかかった。

一体全体、市街化調整区域と市街化区域という奇妙な線引きは、何の為にあるのだろう。大手不動産業者(宅地造成と建設業者)だけが、線引きを逆手にとって、安く仕入れ、高く売ってきたのではなかったか? 行政当局は、彼ら業者と一体になって緑を奪ってきたのではないか?

個人では農地や畑地を買えないような仕組みは、憲法の労働の自由、転職の自由、移転の自由を犯すものではないだろうか? すこしだけ畑を持ちたい。田舎に家を建てたい。こういう願望が閉ざされた状況にある気がする。

                   【西日本新聞 4月28日掲載】



自分の時間                  1994年4月29日

大学の近くに下宿した、全盲の東京大学1年生・良司君が「何をするかを見つけたい」とテレビで言ったとき、私も同じ状況にあることを改めて認識させられ、共感した。

私は今、単身赴任で勤務の弘学館中学校・高等学校の近くの寮に住んでいる。5時過ぎには帰寮して着替え、近くの高台の金刀比羅神社まで走る。6時半の夕食。7時からラジオ英会話。その後は自分の時間だ。非常に恵まれた環境で、学校の仕事はすべて学校で消化できる。2週間に半日の自宅研修もあり、教材研究、予習には十分な時間が取れる。

今は、自分の時間には、この1年と8ヶ月の間の新聞に投稿したものを整理している。その後はどうするか? 毎日、新聞投稿という訳にもいくまい。そもそも、妻は私の新聞投稿に大反対である。いつもいつも、妻の目を盗んで新聞投稿するというのも、あまり気分のいいものではない。オーストラリアのホームステイファミリーに相談したら、妥協が必要だという。例えば、私が違うエリアの新聞に投稿すれば、問題解決という。毎日、ビールとウイスキーづけも時間のロスだ。ライフワークをしっかり見つけなければならない。



表彰                    1994年5月10日

父は、二重のいとこ結婚の産物で競争心、忍耐力、社会性に欠け、短気でお人よしであった。私が、中学2年のとき、担任の坂根先生が家庭訪問に来られた際、父は酔っ払っていたが、「この自転車を使いなっせい。」と先生に勧めていた。

また、同じ年の夏、故郷の祇園祭でのお潮井取りで、さっと川に降りて真水を汲んでいた。土手は夏草が茂っていたし、川に入ると濡れるので嫌がる人が多かった。

父の最大の功績は、池でおぼれている子供を、どぶ水の池に入って助けたことだろう。父に社会性があり、隣近所の人たちからの人望があれば、この一件は、区か町からの表彰物だと思う。助けられた子供の親(今は、赤間を去った住川氏の次男)は、お礼にと、大きな魚を持って来られたことが、鮮明に記憶に残っている。

子孫を作り、墓を守った以外、何の業績も残さなかった父だが、私もだんだんとそんな父になりつつある。加山雄三みたいに、親の葬儀で送辞(=表彰)したかったが、親類の大反対で我を通すことができなかった。ここで、父を表彰したい。



身の回り川柳                1994年5月26日

病み上がり 机運びで 再度熱

酒の席 疾病の話 ひそやかに

静けさや 定期考査なり 知を競い



あと一息                    1994年5月26日

一昨年の9月から思いつくまま投稿してきたものを、すべてワープロで整理、自費出版をと思い立った。あと一息で百の随筆(川柳を含む)となる。最近は、百発百中で載っていた。平均してみると、3割打者だった。我ながら、すばらしい打率になったものだ。

載らないときは、1割打者だったこともある。打率に惑わされることなく、書きたいもの、遺したい物を心の思うままに書き留めたい。自分の為に。




埋葬所感                    1994年5月26日

この冬にオーストラリアに行った。日曜日、ホームステイ先の近くを散歩していると、墓地に車で家族連れで乗りつけて、紙を手にして墓を見て回っている人たちを見た。ひっきりなしに、次の集団が来ていたので、オリエンテーリングかなと思って黙って見ていた。後で、ホームステイファミリーに尋ねると先祖探しということだった。

次の日曜日、墓地に来た人に話し掛けた。そして、埋葬のことについて尋ねた。驚くなかれ、同じ場所に、六箱も重ねて埋葬する。葬儀のたびに土を掘り返す。火葬はまだまだだが、それでも2割3割と漸増している。その骨の一部は、教会の壁に私書箱の郵便入れのようにして安置してあった。日本の骨壷と比べると一段と小さい。

後日、海岸に連れて行ってもらった。そこで、海を愛した人たちのメモリアル(墓)を沢山見た。自然の岩に名前がしっかりと刻印されていた。場所を取るものではない。その場に行かないと、そのメモリアルの刻印には誰も気がつきようがない。骨灰は海に捨てる。私たちも参考にすべきだ。


投稿の手引き


トピックは全く自由である。季節、人生論、政治・経済・社会面からの記事についての感想、何でもよろしい。

 2.字数は、朝日新聞が原稿用紙で500字以内なのに対し、その他の新聞は400字以内である。


 住所、氏名、年齢、職業、電話番号を、原稿用紙の欄外に書く。


当座のタイトルをつけて、新聞社の係に出す。ただし、新聞社がもっとアピールするタイトルに変える。内容の変更はあり得ない。


何を書いたらいいか分からぬ時、西日本新聞(火曜日)、あるいは読売新聞(日曜日)に、テーマ特集があるので、挑戦を勧める。


 〒802-8571福岡県北九州市小倉北区明和町1の11

                 読売新聞 西部本社 文化部 気流係

    〒810  福岡県福岡市中央区

                    西日本新聞 編集局 こだま係

    〒802-8651福岡県北九州市小倉北区紺屋町13の1

               毎日新聞 西部本社 「みんなの広場」係



著者≪出光良治≫の略歴

1949年2月、福岡県宗像市赤間884で生まれる。

九州大学で経済学専攻

東急土地開発株式会社(総務部海外事業課)

シャープ株式会社(海外事業部)で、サラリーマン生活後、

関西外国語大学大学院で文化人類学専攻

予備校教師、九州共立大学講師、精華女子高校教諭を経て

現在、弘学館中学校・高等学校教諭

英語検定試験2級・準2級・3級面接委員。


売価 \333.-

印刷所 和光印刷企画(電話 0952-31-1694)

平成6年6月6日    限定200部印刷発行


出光先生 ただ今、とうこう中(第2弾)

我ら弘学館一年生



【投稿の勧めと、休筆宣言】

私が新聞投稿で初めて載ったのは、平成4年9月9日の西日本新聞「こだま欄」で、“ワープロ時代”という内容だった。2ヶ月前から、何度かテーマ特集に応募していたが、全く受け付けてもらえなかった。当時、私立の精華女子高校の3年生の担任をしていて、漢字指導、作文指導も担任の仕事だった。4月からのホームルーム指導では、“3年生になって”、“私の進路”、“就職するに当たって”、などの作文を書かせたりしていた。短期大学の推薦試験には、作文が必須であった。夏休み前に、生徒諸君に作文の上達の方法として、新聞投稿を勧めた。そして、夏休み中の登校日にHRで、「こだま」のテーマ特集“カレーライス”を、48人全員、原稿用紙に書かせた。8月25日、大人の人たちに混じって私の17歳の教え子・出利葉房子が堂々と掲載された。そこで、私も負けられじと挑戦。テーマ特集よりも、自分がいつもいつも考えていることを書こうと、方針転換した。そして、やっと載ったのが、

9月9日の“ワープロ時代”だ。平成5年3月3日の卒業式までに、生徒が15編、私が14編、新聞に掲載され、卒業式のHRでは、“生徒と担任の新聞投稿競作集”と題した小冊子を皆に手渡した。

平成5年4月からは、新2年生の担任となった。昭和59年から勤務してきた精華女子高校ではじめての飛び級だった。それまでは、私の落第もなく、生徒と共に順調に3年サイクルで進級してきた。勤務10年目、担任生活9年目であった。昭和59年度だけ、すなわち、勤務初年度のみ、副担任だった。平成5年度は、初めから、作文指導と新聞投稿を組み合わせて、突っ走った。結果は、張り切り過ぎが裏目に出て、生徒諸君の猛反発を受けた。いつもは、順繰りで卒業させた後は、新一年生を担当していたが、この年だけは、2年生の担任となった。又、生徒指導で叩くのは、その学校の常套手段だったので、叩かないのは生徒指導が甘いというふうにみられた。そういった状況下で滅多に叩かないものが叩くと、大失敗する。人生の落とし穴に落ちてしまった。

平成6年4月からは、新天地・佐賀の弘学館中学校高等学校で勤務となった。ここは、東京大学に20人~30人通す進学校だ。九州でラサール高校、久留米付設高校に追いつこうとしている進学校だ。平成6年3月の東京大学合格者は現役18名ということで、長崎の青雲高校なんか、目じゃないといった勢いだった。私は、ここでも、生徒に30分で400字詰原稿用紙を完成して、投稿するよう勧めた。一週間に1回だけを原則に投稿を勧めた。優秀な生徒が多いので、要領を得た子は、何回も掲載され、没頭の危機さえ、今は感じている。それで、没頭の危険のある子には、私と一緒に今後2年間の休筆宣言を誘った。


【投稿と投書】

投稿とは、原稿用紙を使って、新聞・雑誌に載せてもらうために、名前を明記して、自分の考え・所感・感想を書くものである。だから、アルファベットの国では投稿はない。原稿用紙がないから。

投書は、原稿用紙を使う必要がない。便箋でもレポート用紙でもよい。投書は、名前を明記していないこともよくある。公の出版物に掲載されることを当初より期待したものではない。だから、匿名ということがよくある。江戸時代の幕府の目安箱なんか、この手だ。よく生徒会で実施している意見箱は、投書であって、投稿ではない。

英字新聞で、“letters to the editor”という欄があるが、これを投稿欄と訳すか、投書欄と訳すか? 日本では、投稿欄と投書欄と別々にある。日本の新聞では、投稿欄が非常によく発達している。どの新聞社も読者と共にを合言葉に投稿欄に大層、熱を入れて社説と同じ頁に定位置を設けている社もある。ところが、英字新聞では、日本のような投稿欄は、発達していない。匿名で、数行であったり、話題にも統一性がないし、新聞社がなんでもかんでも載せているのが、内容の低さから窺い知れる。それは多分、例えば米国では、いわゆる全国紙がないことと関係があろう。英字新聞では、投書欄はあっても、投稿欄はない。




【我ら弘学館一年生・新聞投稿について】

平成6年度の弘学館一年生の新聞投稿をすべて収録した。私の教え子の投稿が新聞に何と1年間で29編も掲載されている。私の21編と合わせて、計50編をここに収録した。投稿者全員の名前と文を載せるつもりだったが、H.N.君の強い抵抗にあい、結局、全員の英文は載せるけれども、名前と原文は、H.N.君については載せないことで折り合いがついた。なかなか意志の固い、頑固な男であるが、とても気さくな面もあり、私の部屋に一番多く出入りしている。彼が生徒の中で一番多く掲載されており、年間7編載っている。10年後の職業を主夫と答えたところに、彼のユニークさをかいま見ることができよう。

翻訳は、Dean Durber先生の協力を得た。私がまず英訳して、それを参考にしてDean先生に全面的に書き換えてもらった。だから、翻訳者はDean先生だ。先生は、平成6年8月に英国より赴任されたから、弘学館freshmanであり、私と同じである。挿絵を協力してもらった斎藤賢司先生も弘学館freshmanであり、生徒も私達教員3人もまた、みんな、弘学館一年生なのだ。


【第2部・雑誌への寄稿について】


“私の海外体験記”は、平成4年12月に書いた。福岡県の高校の英語の先生の集まりである福岡県高校英語研究会が、その会報(平成5年6月発行)に載せてくれたものを、そのままコピーした。


“オーラルコミュニケーション評価しています”は、平成6年11月に書いた。数研出版のCHART NETWORK(平成7年4月号)に載せていただくということで、そのコピー待ちで、この小冊子「出光先生、ただ今、とうこう中第2弾」を出版した。


【サリンとオウム真理教】

 今年は大変な年だ。1月17日の阪神大震災、そして、3月20日以降は連日、サリンとオウム真理教が、テレビのニュースの大半を占めている。サリン漬けで、毎日このニュースを聴かないと落ち着かないような、一種の中毒症状に全国民が陥っているといっていいだろう。4月15日は麻原氏の予言のXデーということで東京は厳戒体制だ。3月20日の地下鉄のサリン事件は、前代未聞の国家転覆そして世界支配を念頭に置いた手始めの実験であったことが、だんだん分かってきている。

オウム真理教の科学技術省責任者・村井秀夫氏の風貌と学歴をみて、結局、最高裁まで10年以上かかるなと感じた。ロス“疑惑の銃弾”の三浦和義被告と同じで、自分からは絶対に容疑を認めないであろう。

サリンが上九一色村で大量に作られたと誰もが思っているが、証拠がない。サリンをどこへ隠したのか? 日本全国の各支部に分散してある可能性が大だ。

高学歴の時代。オウムの外報部長・上祐史浩氏は早稲田大学の修士。村井氏にいたっては、大阪大学の博士だ。そして、京都大学卒の弁護士・青山吉伸氏を加えて、この3人が3月、4月のマスコミの寵児であった。

4月15日までに、NHKテレビは既に2回も、夜9時半からの“クローズアップ現代”でサリンとオウム真理教を取り上げている。ある修士過程の青年が、いかにオウムに入り、いかに脱会し、そしてまた、いかに出家したかを母親、現在の本人の肉声も交えてまとめていた。Mind controlという問題が浮かび上がってくる。実に恐ろしいことだ。私たち教育者は、individualismを大切にしていかなければならないとつくづく感じた。

                     1995年4月15日 出光良治記す


目次


我ら弘学館一年生・新聞投稿(完全英訳版)


4・17 現代の食事はボーダーレス   出光良治     西日本新聞


4.19 米飯固執せず、いいもの流通   出光良治    読売新聞


4.28 生徒と共に教師もハッスル    出光良治    読売新聞


4・28 市街化調整区域の見直しを    出光良治    西日本新聞


5.03 おふくろの味          吉岡紘史    読売新聞


6.03 地球に優しく          新原大基    読売新聞


6・05 志望校に合格          北村隼人    読売新聞


6・12 敬遠した友、帰らず       北村隼人    読売新聞


6.14 人の交流で活発化        出光良治    西日本新聞


6・16 自然食品の勧め         新原大基    読売新聞


6.23 投稿集まとめ200部自費出版  出光良治      読売新聞


6・25 ゲームやめて生活を見直す    H.N.      朝日新聞


7・02 「国家」感じる「国語」     出光良治    朝日新聞


7・12 投稿の反響に感謝        出光良治    読売新聞


7・13 楽しかった古沢岩美展      出光良治    佐賀新聞


7・15 1ヶ月2回の速度違反反省    出光良治    西日本新聞


7・16 現世に無念を残さないよう    島 和英    朝日新聞


7・20 建前社会を切る吉岡氏の教育論  出光良治    佐賀新聞


7・23 時間を無駄にしてはならぬ    島 和英    西日本新聞


7・24 スポーツで夏ばて防止      H.N.      読売新聞


7・26 生徒に人気の日本女性3人    出光良治    読売新聞


7・26 先生の投稿読み書く楽しさ知る  新原大基    読売新聞


7・30 離れていても友達は宝物     成吉明彦    西日本新聞


8・06 祖母の流行観分かる部分も    島 和英    西日本新聞


8・06 環境守るため各自が注意を    H.N.      朝日新聞


8・09 中身より人の優しさに感激    島 和英    読売新聞


8・11 イカに学ぶ生命の尊厳      H.N.      読売新聞


8・20 早起きの得、三文以上      H.N.      西日本新聞


8.23 盆は位牌を床の間に       出光良治    読売新聞

9・16 電化製品普及、本当に便利?   島 和英    読売新聞


9・19 埋もれている伝統的な古家    出光良治    西日本新聞


9・29 今、夏の花が満開        出光良治    佐賀新聞


 熱気の体育祭、後に無常感    村上隆太       朝日新聞


 人類の未来の記事読みたい    村上隆太       朝日新聞


 古藤先生の「古賀穀堂~」    出光良治       佐賀新聞


 空気の美しさ、「田舎」は偏見   村上隆太       朝日新聞


 投稿で得た仲間と知識      島 和英       西日本新聞


 彫刻の森、散策         出光良治       佐賀新聞


12月号 300人いっせいに聴いてます  H.N.    NHKラジオ英会話


 バルーン            出光良治       佐賀新聞


 私たちが今できること      木本智士       佐賀新聞


 差別偏見はなくさねば      古沢誠司       佐賀新聞


 喫煙はしない、自殺もしない   小林隆剛       佐賀新聞


 科学の進歩は人間の幸福か    原口健次       朝日新聞


 文化祭に献血車を        出光良治       読売新聞


1・22 ありがたい各国の応援  出光良治       西日本新聞


1・29 就職の心得       出光良治       読売新聞


2・11 すべてに努力、中高一貫教育   H.N.     西日本新聞


3・04 被災地の援助、平等に    遠藤康平     西日本新聞


翻訳者のコメント            Dean Durber


雑誌への寄稿


私の海外体験記               福岡県高英研会報 Vol2
                        (平成5年6月発行)


オーラル・コミュニケーションの評価しています  CHART NETWORK 英語No.16                      (平成7年4月発行)



© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: