葬儀の簡素化を




毎日どこかで葬儀があっています。およそ生まれてくる人の数だけ亡くなっているはずです。私は昨年11月に伯母、12月に父、今年1月に弟と、立て続けに肉親を亡くしました。伯母、父の葬儀は私が喪主で、伴僧の数、霊柩車などの決定をしました。伯母の通夜での席で、和尚さんから「何人で読経しましょうか?」と伴僧の誘いがあったが「和尚さんお一人でお願いします」と答えました。霊柩車は、宮型はぎんぎらぎんで好みではないので、黒のワゴン車をお願いしました。


弟の葬儀では私は親族でした。3人の読経、宮型の霊柩車、何十という花輪(告別式の日の未明、弟の意志か、突風がすべて吹き飛ばしました)、きらびやかであるほど、むなしさを感じました。


昨今の葬儀の華やかさを見るにつけ、もっとつつましさをと、いつも思っています。                    【西日本新聞 10月4日掲載】


葬儀の簡素化は、そのとおりです。 死んでからお金を使っても仕方ありませんよね。 その分を、生きている内に、有効に使いましょう。

もっとも、私自身の場合は「葬儀をしないこと」を提案しております。 献体を考えていますので。 (1月27日21時、2004年、宮じいさん記)


葬儀の件ですが、わたしも子のない伯父を昨年7月に見送りました。

94歳.。老人ホームに入っていて、誤嚥による窒息死でした。

高齢で兄弟も遠方と言うこともあり、何かあったときはもう、知らせないと言う約束で預かったので、私が喪主で執り行いました。多くの園の方たちとわずかな親戚(ふたり)でしたが家庭的な良い葬儀となりました。伯父はユーモアもあり、園で人気者だったので、若いギャルや介護士さんに見送られての本人の希望どおりの地味なものでした。

よかったと思っています。&… (1月27日12時、2004年、なでしこ記)



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