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宗像市民俗調査報告書 第1集
序
(1)旧宿場町・赤間については年々、町の佇まいが今日風に移り変わっており、かつて筑前21宿の1つであったことがしのばれる景観がだんだん失われていってます。早い時期に記録保存のため調査すべきだとの声が、学者、研究者側からは勿論のこと、市民の側からも寄せられておりました。昭和62年、やっと重い腰をあげた次第です。
(2)調査は、福岡教育大学の平山和彦先生と、そのルームの学生の皆さん、それに地元の「宗像生活史聞き書き研究会」の皆さんにお願いしました。
平山和彦
学生5人、OB1人、
小方正人、滝口雪雄、中山九州男、 赤星安雄
(3)協力された地元の方々
林克己、安部一三、中山栄一、
石松好平、下田半助、原孫右衛門、 松尾喜三郎、呉羽鉄夫、出光寿夫、
出光太蔵、舩津英俊、西森鹿之助、
荒木政実、神山大太、田中トキ、
合島フジノ、出光トキ、背戸タマキ、今泉百々枝、村山一枝、
(4)「第1章 旧宿場町・赤間の民俗」は、平山がまとめた。
「第2章 赤間宿の町並み復元」は、藤井隆晴がまとめた。
(5)福岡教育大学の秋山晴子教授から多く助言を頂いた。
昭和63年3月
宗像市教育委員会
教育長 竹原 瑛
2003年11月06日 19時59分46秒
宗像市民俗調査報告書 第1集「第2章」
宗像市民俗調査報告書
第1集「第2章」赤間宿の町並み復元
1.赤間宿
江戸期、福岡藩では幕吏の往来、あるいは大名の参勤交代のため、6本の街道と27の宿駅が整備された。27の宿駅のうち、長崎街道に属する「筑前6宿」を除き、残りを「筑前21宿」と呼ぶ。赤間宿は21宿の1つに当たる。
小倉、若松、芦屋、(あるいは小倉、黒崎、木屋瀬)、赤間、畦町、青柳、箱崎、博多、福岡、姪の浜、今宿、前原、深江を結ぶ街道を唐津街道という。
当時の赤間宿は、付近一帯における交通と文化の要衝であり、商業も盛んであった。一般に、宿駅には旅篭ばかりでなく、商品流通の場としての多くの商家が並んだ。当地も、江戸から明治にかけては宗像地域の物資の集散地として栄え、宗像はもとより遠賀・鞍手・糟屋から商品の仕入れ・購入にやってくるほどだった。
江戸期に書かれた赤間宿に関する記述を見ると、「・・・町屋200軒ばかり、茶屋宿屋あり・・・」あるいは「・・・町並み人家続き、家156軒・・・」とあり、多くの家屋が建ち並ぶ様子をうかがうことができる。
2003年11月07日 20時44分42秒
宗像市民俗調査報告書第1集(3)
第二章2、江戸期の町並み復元
江戸期の宿駅は、1宿が1町村を単位としている所が多い。赤間宿も宿=赤間村であった。町の長さは、288間、300間、と物の本によってまちまち。(1間は、1.8メートル)下の町口から法然寺付近まで直線的に伸びる街道部分に当たる。
現状は、「・・・かつての宿場町の風情を加成留めており、その点では県下でも1,2を競う・・・」(太田静六著「福岡県の民家とその周辺」185頁)との評価を受けるほどで、町全体が文化財として貴重な存在になっている。
「筑前名所図絵」(奥村玉蘭著)の図上部では、往還が二つに分かれている。左へ登る道は芦屋方面に向かうもので、当時は道筋にはほとんど家屋がたっていなかった。右に折れ、須賀神社の前を通る道は木屋瀬方面に向かうもので、今日の法然寺の下から熊の越池の下へ抜ける道はなかったことがわかる。町屋についても、瓦葺の家と同時に葦葺の家がかなりあった様子が窺われる。町屋は、間口が狭く、奥行が深いのが普通で、今日でも・・・。
(1)公的施設
当時、主要宿駅には宿の前後に構え口があり、公的施設として御茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)、問屋場(人馬継ぎ所)、郡屋、番所、制札所等が置かれた。・・・仔細省略・・・
(2)役人屋敷
・・・仔細省略・・・
赤間宿の御茶屋奉行(通称、代官と呼ばれた)には、様々な人が任命されている。神屋宅右衛門目鼻、小河次右衛門、平賀伝左衛門、月形三太郎といった名が文献に見られる。しかし、彼らは赤間宿の住民から任命されたわけではなく、宿内には居住していなかったようである。
「全誌」には、明治初期、赤間村に士族二戸があったと示されている。この二戸の家は、912の1、912の2にあたると推定され、江戸期には一つの屋敷であった可能性もある。
2003年11月17日 20時12分48秒
宗像市民俗調査報告書(4)
第二章赤間宿の町並み復元
2.江戸期の町並み復元
(3)商家
赤間宿には、これまで述べてきた施設に増して、より多くの商家が建ち並んでいた。文献によると、江戸期赤間宿には、「蛭子屋(えびすや)」・「大黒屋」・「丸屋」・「事綿屋」・「油屋」等の屋号を持つ商家があった。これらのうち、江戸末期における位置を特定できるのは蛭子屋と大黒屋である。
蛭子屋は、884・885番にあった出光家の屋敷である。当家には、屋敷改築に際して描かれた文久元年(1861年)在銘の指図(付録)が残っている。家業は、荒物業を主とし、質・呉服・両替・醤油造・酢造・蝋しめ等も行っていた。
大黒屋は、1010番にあった松尾家の屋敷である。当家には安政七年(1860年)在銘の指図が残っている。家業は、当初、造り酒屋であったが、江戸末期には蝋しめに変わっていたようである。
また、文献には現れないが、908番には米喜(宿屋)、957番には新屋(酒屋)があった。双方とも江戸期の建物が今日まで使用されており、後者(現勝屋酒造)には道具の上下に使われた滑車が残っている。
これら以外、各商家の位置を聞き書きだけに基ずいて確定する事はできない。
(4)信仰対象
赤間宿住民は、須賀神社と石丸の七社宮を氏神としている。金毘羅社(中ノ番)、大国王社(田町)、青木社(ゲスガ浦)、稲荷社(草場)、蛭子六社(上ノ番二社・上中ノ番・中ノ番・田町・本町)。
今井神社、猿田彦神社。
法然寺、浄万寺。
・・・仔細省略・・・
(5)辻井戸
赤間宿には当時、7つの辻井戸があったとされる。836の1、 850、 869、 883、 919、 929、 972の7、
・・・仔細省略・・・
なお、赤間宿の成立時期や、その頃の施設の配置、あるいは幕末に至るまでの施設の移動といった点には研究の手が及ばず、今後の課題となった。
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