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中年よ、大志を抱け!
出会いの季節
1、「不純なピアノ」
うちは別に裕福ではありませんでしたが、多分、僕の情操教育のためか、またはその頃世間で流行っていたためか、幼稚園に行く頃からピアノを習わされました。
父親がクラシックが好きで、母親も歌が好きな家庭に生まれた僕は、レコードや台所での歌声、そしてテレビの音楽番組を通して音楽に接する機会が多かったんですが、僕も当時流行っていた「ピンキーとキラーズ」とか「ブルーコメッツ」、そして、NHKの「お母さんといっしょ」でやっていた新幹線の歌や「スーパージェッター」、「ウルトラマン」などのテレビ番組の歌を、兄弟や友達といつも歌っていました。
また、アパート暮らしだったんで、雨の日などは階段を客席に見たて、おどり場をステージに見たてて、紅白歌合戦ごっこを近所の友達といっしょにしてました。
それが、ピアノを習う事によって、単に好きだっただけの音楽が、生活の中に入りこんで来て、大きな位置を占めたわけです。
幼い頃ピアノを習った事のある人なら、もしかしたらお分かりいただけるかもしれませんが、はじめはともかく、だんだんと重くなって来ました。
だって、バイエルとかするんですが、あんまり面白いってもんじゃないんですよね。
ピアノの先生は母よりちょっと上の年齢の女性だったんですが、「手は丸く、指はしっかりたてて鍵盤に当てて」とか、「姿勢はまっすぐに」とか、なかなか厳しかったですし、家でも毎日30分は練習しなさい、と父親に言いつけられていたので、子供心に「音楽って厳しいな」と印象付けられてしまったわけです。
それでも、近所の友達も一緒だったんで、なんとかやっていた、という感じでした。
小学校4年の頃、引越しをしたんですが、「ピアノは続けるんですよ」、と先生は言いましたが、その時、「ああ、これからはピアノ教室に行かなくてもよくなるんだ」と、「はい」なんて言いながら、ほっとしました。なんか、一気に自由になった感じがしたわけです。
しかし、世の中そんなに甘くないというか、5年生になった時、すぐ近くにピアノ教室があることがわかり、早速嫌も応も無く入れられてしまいました。先生は、音大を出たての若い女性でした。
引っ越し先は田舎で、当時ピアノをやるなんて女の子のする事という雰囲気が強かったので、友人や先輩達に「お前、ピアノやっとるんか、おんなおこと!」などとからかわれましたし、僕自身、小さい女の子達といっしょにピアノ教室に通うのが苦痛で仕方ありませんでした。
やがて僕は中学生になりました。剣道部で忙しいから、というのに、親は、「中学2年生が終わるまではピアノを続けなさい」と、やめさせてくれません。
もう、思いっきり不真面目に通ってましたが、しかし、そのうちその教室に通うのが密かな楽しみになったのです。音楽に目覚めた、、、訳じゃなく、なんていうか、性に目覚めてしまって・・・
新しいピアノの教室は、教室と言っても、先生の自宅で、8畳間の部屋だったんです、さて、ある日、先生はいつもメガネをしてるのに、その日はしていませんでした。コンタクトに代えたらしいのです。
中学も2年生くらいになると、まともに若い女性の顔など恥ずかしくって見られないものですが、その日はまじまじと見てしまいました。
度のきついメガネをいつもかけていた先生は、決して美人というわけじゃないと思っていたのが、なんとまあ、メガネをはずすと、すっごい美人に見えたんです。
ちょうど年齢的にもそういう事を意識する時期でしたから、僕は弱ってしまいました。
だって、先生はいつも「手はね、こういうふうにするのよ」と、椅子に座ってる僕の後ろから両手に自分の手を重ねて手の形を教えてくれたりするんで、先生のおっぱいを僕の背中に感じたし、先生のささやくような声が、僕の耳にねっとりと入ってくるし、甘い、いい香りがするしで、ドキドキしたわけです
こうして、毎回緊張と恥ずかしさでカチカチになった僕にとって、先生との時間は、恥ずかしさと嬉しさと切なさとが入り混じったもので、あっという間に経ってしまい、ボーっとしたりエヘヘ、なんてしたりしながら家に帰ったわけです。…今思えば、あれが大人の女性を意識した初めての恋だったのかもしれませんが、とにかく、「剣道やってるの? ふ~ん、腕太いね」と腕に触られた時など、心臓が破裂するかと思いました。家に帰って勉強していても、元気な少年の本性といいましょうか、つまりその、妄想につぐ妄想が頭から離れなくなってしまって、な~んにも手につかない、という日がしばらく続いたわけです。
僕はピアノ教室に行くのが密かな、というよりも、誰にも邪魔されずに大人の女性に一対一で会えるという、とても貴重な楽しみになってしまいました。同級生の女の子なんて、先生に比べたらもう、全然子供過ぎて・・・。で、先生にかっこいいとこ見せようと、ちょっとはまじめに練習もしました。
・・・しかし、その幸せは長くは続きませんでした。
ある日、いつものように教室に行くと、先生のお母さんもいて、誰かお客さんが帰った後の様でした。灰皿が置いてあったので、「あれ?どなたかお客さんが来られていたんですね。」と聞くと、先生のお母さんが、「違うの。○美の婚約者が来てたんですよ」と言うじゃありませんか。
「ええ!?婚約者がいたのぉ?うっそぉ~~~」とは言いませんでしたが、すごいショックでした。・・・失恋です。って、まったくの僕だけの勝手な失恋ですけどね。
でもまあ、悩んでもどうしようもない事で・・・妄想はすぐには消えてはくれませんでしたが…、そのうち中学2年生の3学期。僕はピアノ教室を去って行き、不純な音楽体験は終了しました。
え? ピアノですか? ええとですね、結局エリーゼのためにとか、貴婦人の乗馬とか、そのあたりのレベルでした。先生も、あんまり熱心じゃなかった僕には、クラッシックよりもポピュラーの方がいいだろうと思われたようで、ポール・モーリアの曲を沢山しました。それも初心者用の。
でも、その後しばらくして純粋に音楽に目覚めた時、その頃ピアノに熱心じゃなかったことを悔やんだわけです。同時に、嫌がってた僕にピアノを無理やり習わせた両親を、あの頃は快く思っていませんでしたが、今はとても感謝しているわけです。
2、「ギターを手にする」
ピアノの先生に不純な気持ちを抱きながら教室に通っていた頃、僕の好きな音楽は、相変わらず小学生の頃と同じで、テレビで流れてくる歌謡曲や漫画の歌でした。
曲調としては、短調よりは長調のバラード、歌詞の内容は、恋愛歌よりは友情や若者らしい元気さが感じられるもの、が好きでした。
たとえば、そうですね、昔、NHKで「キャプテン・フューチャー」って言うアニメがありましたが、そのエンディングテーマの「君が いつか あの街まで 行く事があったなら・・・」とか、キャンディ・キャンディのエンディングテーマの、「明日はどこから 生まれてくるの 私は明日が明日が好き・・・」とか、「マルコポーロの大冒険」のオープニングテーマ「いつの日か、旅するものよ この足跡を 見る時あるいは、それを踏む時・・・」とか、「夕陽丘の総理大臣」のエンディングテーマ「生まれてこなければ良かったなんて 心がつぶやく日は・・・」なんてのが好きでした。
また、学校で習う歌も結構好きで、音楽の授業となるとつまらないって言う友達がいっぱいいましたが、僕はそういう友達に、音楽にまじめに取り組むという姿勢をなるべく見せないように(←このへん、わかります?田舎の中学生ですもん、男の癖に学校の音楽?ってな感じだったわけです。)ひそかに感動しながらまじめに取り組んでいたわけです。また、父親が日曜日の朝必ず何かクラッシックのレコードをかけていましたので、そういったのも好きでした。
中学と言えば、一年生の最初の音楽の授業の時、先生が、次の時間は各自得意な楽器を演奏するとか、歌を歌うとかして自己紹介をするように、と言いました。
僕は、ピアノは弾きたくなかったし、歌も歌いたくなかったし、第一、一人で人前で何かするなんて嫌で嫌でたまりませんでした。今なんか、ほいほい出て行くんですけどね、一人で。
それで、席順が隣どうしの、別の小学校を卒業した友達と3人でいっしょに何かやろうという事になりました。
で、何をするか・・・3人とも、歌やハーモニカやカスタネットやリコーダーはやめたいという意見で一致しました。みんな、歌はもちろん、学校でやる楽器をするのも恥ずかしかったわけです。
「どうする?おい、あれやらへんか?」と僕は教室に置いてあったギターを指さしながら言いました。
「お前、弾けるんか?」
「知らんよ」
「どうするんや」
「指でちょんちょんしたら弾けるよ、こんなもん」
「そうかな?」
「そうに決まっとる」
「でも、発表は来週やぞ。」
「短くて簡単な曲ならすぐ出来るよ」
「なにやる?」
「日の丸はどうや?」
「ほんなら、それにしよう」
というわけで、ギターの事なんか何にも知らない僕らは、音楽室にあったギターを貸してもらい、練習し始めました。
チューニングなんて知りませんでしたが、3人が同じ所を弾いたら同じ音にならないといけない、くらいのことは分かりましたので、とりあえず太い弦から「ド、レ、ミ、ソ、ラ」とチューニングしました。なぜなら、日の丸という曲は、「ド、レ、ミ、ソ、ラ」しか使わないからです。そこを指でちょんちょんはじいて行ったら、自然に日の丸が奏でられるというわけです。左手なんて、なんにも使いません。ただギターを持っていれば良かったわけです。
必死の練習・・・なんて全然しませんでしたが、次の音楽の時には見事「日の丸」を披露する事が出来ました。そりゃそうですよね。一本ずつはじいたらいいんですから、誰にでも出来るわけです。
僕らはやれやれ、終わったわ、と言う表情の中に、ちらっと「ちょっとはギターが弾けるもんね」という得意そうなそぶりを込めて席に戻りました。しかし、出席番号の終わりの方の、都会の小学校から来たH君が、やっぱりギターを持って登場し、恥ずかしそうな様子もなく、おもむろにかぐや姫の「神田川」の弾き語りを始めたのです。
それがなかなかうまかったんで、僕ら「日の丸組」は急に自分たちが恥ずかしくなってしまいました。なんせ彼はすごくカッコ良かったんで、みんな感心してました。特に、僕と一緒に日の丸をした後の二人はいたく感動してしまって、H君にギターを習う事になり、次の年にはH君と3人でフォークグループを結成、文化祭で発表しました。
しかし僕は、そもそも人前に出るのが嫌だったし、ギターをしたいという思いも全然無かったので、彼等といっしょにやるなどとは全く思わなかったのでした。
H君は、ギターも歌もうまかったので、彼に影響されてギターを始めたのは「日の丸組」の僕以外の二人だけではありませんでした。3年になって、気がついてみると、僕の周りの友人達の多くがギターを持ってる、という状況でした。
その頃、ある友達が、「俺、今度新しいギターを買ってもらうんや。古い奴があるんやけど、いるんなら売るぞ」と言ってきました。
「ギターか。いくらで売るんや?」
「ケースつけて2500円。」
・・・毎月のおこずかい1000円の僕には高い買いモノでしたが、思いきって買うことにしました。別に特に欲しかったって言うわけじゃなかったんです。みんなもってるからって言う、そういう消極的な理由でしたが、これが、その後の僕の人生を変えていく一つのきっかけとなったわけです。
3、「松山千春さんとの出会い」
中学三年の夏休み前、友達からギターを買った事については前回書きましたが、それには、例のピアノの先生が、ギターも教えてあげようか? なんて言ってたし、それを聞いた親が、受験勉強の気晴らしになるかもね、なんて言ってましたので、「友達が売ってくれるって言ってるんだけど、2500円で・・・」と言うと、すぐに「安いな、いい、許す」という事情もありました。うちは裕福じゃなかったし、友達からなんか買うなんて、言いづらい環境だったんです。
しかし、買ってみると、ブラウンサンバーストのそのボディは、とってもいとおしく思えてきました。それで、早速初心者用の教本や、かぐや姫の楽譜なんかを買ってきて、ぼろぼろやり始めたわけです。
中学最後の郡大会を控えての剣道の練習と、受験勉強の合間を縫って、秋になる頃までには、左手はC、D、D7、Dm、E、E7、Em、G、G7、A、A7、Am、B7、なんて言う、初心者が一番最初に覚えるローコードを押さえられるようになり、右手は、8ビートのストロークと簡単なアルペジオができるようになり、いっぱしのギターリストになった気になってました。しかし、まだ、初心者が超えなければならない最初の難関、「F」はまだできませんでしたし、もともと強烈にギターがやりたいと思ってたわけでもありませんでしたので、ギターを極めよう、なんて気にもなりませんでした。
そして受験。公立高校に無事入学する事が決まり、そして中学三年生の春休みを迎える事になったわけです。
そして、僕にとっては運命の出会いとも言える、松山千春さんとの出会いが訪れました。と言っても、まだこの時は、衝撃的、っていうふうではありませんでした。ストレートって言うよりもジャブって言う感じだったわけです。
松山千春さん、今はおつむつるつるですが、昔はふさふさでカッコよかったんですよ。おつむつるつるも僕は好きなんですけどね。「季節の中で」とか、「長い夜」とかが大ヒットしました。
中学の時、ラジオのキットを買って来て組み立てる、と言うのが僕の趣味といえば趣味でした。
といっても、ラジオを作るのが面白かっただけで、聞くのは別に、という感じでした。番組はテレビの方が面白かったし、夜は、そのテレビよりも本を読む方が面白かったからです。
だから、友達のようにラジオの深夜放送を聞くとか、カセットにレコードを吹き込んでもらうとか、そういうことはしませんでした。・・・って、カセットなんて持ってなかったんで聞けなかったっちゅうのが本当なんですけど。
中学を卒業し、高校受験も無事に終わった春休み、例によってラジオのキットを買って来て組み立てました。今までのはゲルマニウムダイオードラジオ、一石トランジスターラジオ、2石トランジスターラジオ、と、全てイヤホーンで聞く奴でしたが、今度のはちゃんとスピーカーで聞こえる奴です。
それを組み立て終え、スイッチを入れ、適当にチューニングをすると、DJが、「はい、次は、去年デビューした、まつやまちはるさんで、歌は、旅立ちです」としゃべり、曲が始まりました。
まつやまちはる・・・初めて聞く名前でした。名前から女だと思っていたら、声は男。それも高い張りのある声でした。
とにかく綺麗な声だな、と思いましたね。僕の知ってる歌手で、それまでこういう声の人はいませんでした。メロディーは簡単で、繰り返しが多く、説得力があるというか、心にビ~ンと響いて来ました。すぐ覚えてしまいましたね。
歌が終わると、DJは「いやあ、最初はちはるって言うから女性だと思ったら、男性なんですよね。みんなも応援してくださいね。」とか言ったので、僕は、自分で組み立てたラジオで初めて流れた記念すべき歌だし、まだデビューしたての歌手らしいから、応援してやってもいいな、と思ったわけです。なんか、自分だけの、って感じがした訳ですね。
といっても、別にレコードを買うわけでもなし、覚えといたる、ってなもんでした。
ギターも、千春さんの楽譜をすぐには買わず、相変わらずかぐや姫とか、当時人気だったアリスとかを弾いてました。レコードプレーヤーは父が持ってましたが、勝手に使えるって言う状況じゃなかったし、テープレコーダーも持ってませんでしたから、テープを聞くって訳にもいかなかったわけです。それと、松山千春っていっても、まだ僕の周りで彼を知ってる人はほとんどいなくて、よし、やってみよう、っていう気があんまり起きなかったって事も、ありました。
ところが、この9ヶ月後、僕はまたまた千春さんと、それも衝撃的な出会いをするんですが、その前に、それまでの僕の状況について大雑把に書いて見ます。
僕は、小学校の5年生の頃から剣道をやってました。走るのが遅く、球技も不得意で、体育が苦手、という僕でしたが、剣道だけは、どういうわけか最初からすごく気に入り、毎日うちで竹刀を振ったり、ランニングをしたり、筋力トレーニングや柔軟体操をしてまして、そのせいか、中学の頃はみんなより早く1級を取り、ずっとレギュラーでした。
で、高校生になっても剣道部に入ったわけです。中学の時の剣道部の友達も、卒業しても僕ら剣道続けるからな、なんて言ってたし・・・ところが、僕の高校の剣道部では、昼休みになると先輩からジュースや煙草を買って来いと言われたり、試合に行く時など、新入生全員電車の中を端から端まで大きな声で歌を歌って歩いて来いと言われたりとかで、『3年生は天皇、2年生は平民、1年生は奴隷』といった、運動部の悪い風習がまだあった頃で、僕が思い描いていた剣の道を歩む、などというイメージとは違っていたわけです。
それに加えて家では、母親が働く事になり、夕食の支度などをしなければならなくなり、早めに帰宅する事が多くなったので、次第に部活をサボるようになっていきました。それで、これじゃあいけないと思い、退部を申し出たところ、ダメだと言われたので、しばらく休部する事にしました。
しかし、なんか中途半端な気がして、部員に対して、なんとなく後ろめたいような気もしてたわけです。
また、勉強意欲もかなり落ちてしまってました。中学の頃は、将来何になりたいから、と言う事よりも、勉強する事自体が好きで、その結果自然に、全体的に成績が良かった、って言う感じで、勉強に対して嫌な思いを抱いた事は全くありませんでしたが、高校では、勉強する意味がよく分からなくなっていたわけです。
始めの頃は、祖父のように医者になりたいと思っていましたが、頭が悪いし、それ以上にこんな大雑把な性格じゃ、人を救うどころか殺しかねないと思い断念し、父親は大学では理論物理学を専攻してたそうですが、そういうものに興味はなかったし、ラジオの組み立てなんかが好きでしたから、エレクトロニクスの技術者になろうと思っていました。
しかしそのうち生物という学科が好きになり、生物関係の仕事に就きたいと思うようにもなったわけです。ちょうど、これからはバイオテクノロジーが発展するなんて言われてた時でしたしね。
そうかと思うと歴史が好きだったので、歴史を専門に学びたいと思ったりもしました。
・・・つまり、はっきりとやりたい事が見つからなかったわけです。っていうか、やりたいなって思ってた事も、イメージとしては一人でこつこつやる仕事って言う感じで、内向的なものに目が向かっていました。…そういう仕事がダメだって言うんではないんですよ、そうじゃなくって、僕の姿勢が、仕事を、趣味的なものだと捉えていたというか、まだ、社会とのかかわりと言うものを意識してなかったって事で、結局、夢みたいな事ばっかり思ってたって言う事なんです。
そんなこんなで、勉強もろくにしないでいるうちに、そのうち宿題さえもほとんどしなくなり、医者であった祖父の所にあった、鍼灸とか、整体とか、導引術とか、ヨガとか、白隠禅師の「ナンソの法」の本などの東洋哲学の本を読んでちょっとヨガみたいな事をしてみるとか、歴史や生物の専門書などを読んでみるっていう日々が続きました。
おかげで、数学、物理、化学、は極端に成績が下がってしまい、毎回のテストで赤点すれすれか、赤点突入と言う感じになってしまいました。英語は、リーダーは、先生が好きだったので、平均以上でしたが、グラ・コンは先生が嫌いだったので赤点すれすれでした。その半面、国語、日本史、世界史、倫理社会・地理・生物は平均以上で、特に日本史と倫・社と生物は学年でも一番か二番かっていうくらいで、そのアンバランスさに、テストのたんびに先生に呼ばれ、「これはどういうことや」と言われたわけです。
つまり、当時の僕は学校の勉強に対してなんの目的も見出せず、ただ、趣味的な満足感を満たすためにやっていたわけで、学生生活も、そんな事を反映して、仲間との連帯感を感じる、なんて事のない、内にこもった、そんな感じになっていってました。青春!って言うイメージとは、かなり離れてたわけです。
そんな頃、たまに行った剣道部で、同級生から、「お前、なにしとるんや。お前なんておってもおらんでもおんなじや。むしろ、目障りや」と言われたわけです。
言われた事はショックでしたが、なるほど、それもそうや、と、ぼやっと思ってしまう僕だったわけです。それで、さらに内にこもるような感じになっていったわけです。そのうち、神経性の胃炎にかかったりして、学校も時々サボるようになってしまいました。
そして、そんな時に、再び千春さんに出会ったのでした。その時彼は、僕に「喝!」をくれたのでした。
それは、高校1年生の冬休みでした。
僕の行ってた高校は、その頃はその地方で二つしかなかった公立の普通科高校のうちの一つで、進学校でした。中学時代の部活の友達とか、仲の良かった友達とか、ちょっと好きだった女の子とかは、みんなもう一つの方の普通科高校か、工業高校か商業高校に進学していました。
もともと僕も彼らと同じ学校に行きたいと思ってたんですが、なんせ中学の時は成績が良かったもんですから(へへ)、先生がここにしときなさいと言うし、両親も、ここにしなさいというので、まだ素直だった僕は、「はぁい」と従がったわけです。
ところが、前回書いたような感じで、高校行ってても何にも面白い事がないし、好きな本でも読めるんなら、もう、退学して就職したっていいわ、なんて思いがふとよぎるような、そんな高校生活を送っていたわけです。
そんな頃、高校1年の時の冬休み、年末だったと思うんですが、千春さんがテレビに出るって事を新聞で知りました。
へぇ、松山千春がテレビに出るんか、と思いました。千春さんって、テレビには出ないといってたのをチラッと知ってましたんで、珍しい事もあるんやな、と思ったわけです。
新聞には、ある地方のファンが、コンサートに行きたくても行けないので、一度だけでもテレビで見てみたい、という切実な願いがあったので、今回の放映が実現した、というような事が書いてありました。
ふ~~ん、思えばその9ヶ月前、自分で組み立てたラジオで彼の歌を聞いて以来、一応ファンのつもりでしたんで、これは見とかないかんな、と思ったわけです。
放送は、午後2時か3時からだったと思います。
番組では、彼の、バンドを従えたり、一人でギターを弾いたりしてのコンサートの様子、高校時代の友人の話し、新聞を作っていると言う父親の話し、一家を支えていたと言う母親の話しなどが放送されていて、彼の歌ってる姿がとっても生き生きと自分を表現していることと、強いメッセージが深く印象に残りました。
歌番組なんかで、アイドルなんかが歌ってるのをよく見てましたが、そんなものとは全然違う感じでした。歌詞もずしっとしみこんでくるようでしたしね。
それらを通じて千春さんは、「人間は決してつまらないもんじゃない、自分で自分をつまらないなんて思っちゃダメだ」と言うメッセージを伝えてくれました。
見終わった後、僕は深くため息をつき、自分を反省しました。
俺は何をしているんだろう、と思ったわけです。
今まで働いてなかった回路のスイッチが入った感じがしたわけです。
早速、「起承転結」というアルバムを買ってきて、・・・というか、買ったのは生テープで、妹の友達に吹き込んでもらったってのが本当ですけど・・・それをずっと聞きつづけました。その頃はも、父親のお古のテープレコーダーがあった訳です。
三学期にはいると、だれかれかまわず「松山千春のレコード持ってない?」と聞き、持っていたら吹き込んでもらいました。
それらを、テープが伸びて音が変になるまで毎日毎日何度も何度も聞いたわけです。千春さんの歌を聞くことだけが、当時の僕の生きてる証、のような感じでした。そして、ギター譜を買ってきては練習しました。ただ、住宅事情が悪かったのと、兄弟で同じ部屋にいた事から、大きな音を出したり、大きな声で歌うって事は出来なかったので、小さなギターの音で、小さな声で歌ってましたけどね。それでも熱くなってきてました。
ところで、千春さんの歌をするには、ローコードでは、「Ddim」、ハイコードでは「F」、「Bm」が出来ないといけません。
コードって言うのは、和音の事を言うんですが、ローコードってのは、ギターの、6本の弦のうちの3~4本くらいを押さえて和音を出す方法で、指で押さえない弦、それを開放弦と言いますが、その開放弦の音が構成音となっているコードの事をいいます。
つまり、全部の弦を押さえる必要のないフォームなので、フォークギターの初心者は、まずここから入るわけです。
それに対してハイコードっていうのは、人差し指一本で全弦を押さえるセーハーという事をして、中指、薬指、小指で他の弦を押さえて和音を出すやり方で、弾き語りの演奏などの、いわゆる普通のフォークギターでは、「F」、「F♯」、「G♯」、「A♯」、「B♭」(A♯とB♭とは同じ音なんですが、フォームが違います)と、それらのコードのマイナー形などのバリエーションになどが必要になってきます。
そして、たいていのフォークギターの初心者にとって、ハイコードの初体験は、「F」なわけです。もちろん、曲にもよりますけどね。
で、これが、最初は思ったように押さえられないんです。
最初は、人差し指の力の入れ具合がよく分からなくて、ぎゅっと握力を使うので、指、というか、手の筋肉が痛くなるし、そうやってきちっと押さえたつもりでも、音がちゃんと鳴ってくれないし、なんとか音が出るようになっても、曲を演奏するためには他のコードからFにチェンジするのがすばやく出来ないといけないんですが、それがなかなか出来ないし、・・・そんなわけで、せっかく買ったギターが置物になってしまうって事が、よくあるわけです。
ちなみに、初心者がハイコードを練習する時は、3フレットとか4フレットとかの、フレットとフレットの間が短い所で練習すると、早くコツがつかめます。また、ヘビー・ゲイジのような硬い弦よりは、ミディアム・ゲージやライト・ゲージのような柔らかい弦のほうが、やりやすいです。
さて、僕の場合、千春さんの歌を歌うことが生きてる証みたいになってたので、「F」と、それから、やっぱりよく出て来るハイコードの「Bm」も、何日かかかりましたが、なんとか出来るようになりました。
そして、今までぼわ~んとしていた自分の生き方をしっかりしたものに変えていこうという気持ちが少しづつめばえて来るのを感じました。
なんか、気分としては、身体中に電流が走り回り始めたって言う感じでした。
「いつかは千春さんみたいに堂々と生きていきたい」・・・そう思いました。そして、出来れば僕も千春さんのようにギター一本で自由に生きていきたい、なんて思ったのでした。
「シンガーソングライターと言う道も、俺にはある!」 などと、幼くも、かなり本気に夢見たわけです。
ところで、松山千春さん、高校を卒業した後、僕の、音楽的な好みの傾向が変化していった事もあって、だんだんと聞かなくなっていくようになりました。
それでも、社会人になってからも、時折ベストアルバムなどを買って聞いていましたが、どれもこれも想い出の曲という感じだったわけです。
しかし最近、かみぽこさんに教えてもらった「季節の旅人」と言う4枚組のアルバムを購入し、ずっと聞いてます。特に、「流浪」と言う曲が好きですね。なんか、今の僕の心境に近い気がして・・・
千春さんの、あの頃と変わらないまっすぐさが、とっても嬉しいです。
千春さんは、僕の恩人の一人なわけです。
続く…
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