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Tyees HiStory学生時代
日記から、抜粋編集 新たに書き直しなどしつつ、Tyees の物語を進化させていきたいなあと考えています。進化中?! 以下本文です。
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アマチュアピアノ仲間との出会い その1
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昔昔のことだが、大学にはいって直ぐにクラシックピアノのサークルなるものにはいった。
そして、毎年恒例の学園祭にてサークル活動に参加することになったわけである。
アメ売り店を開設、交替制で運営し、サークル活動費をかせぎつつ、大きな教室か講堂あたりで本来の活動である、コンサート(、いや発表会というべきか)を開催する。
配られるプログラムには、手書きでバッハ、ベートーベン、ショパン、シューマンからドビュッシー、ラベル、プロコフィエフ、そしてきいたこともないような曲までがスケジュール上、朝から夕方まで盛り沢山、ずらりと並んでいる。
2-3分の演奏から、20分、30分の演奏まで様々であるが、比較的5分程度までというのが、多かった。
1年生から院生までが、各自思い思いの曲をひくわけだが、それぞれに、発表会だけあって、アマチュアながらも味のある演奏がきける。
アクロバティックな演奏や、とまってしまい楽譜を再度開けて弾き直す人もいれば、アマプロかと思うほどの人もいて、なかなか、色々な意味でスリリングだ。
時々自作の曲を弾く人や、ジャズを弾くひともでるが、これは稀だったように思う。
その学園祭のコンサートで、当日トリのほうにでてきて弾く人達は本当にうまいらしいとの噂はきいていたが、本当に驚いた。
ひとりは、ショパンのバラード一番を最後まで、バリバリと完璧に弾かれたし、もうひとりは、夜のガスパールを全曲、演奏したのだ。素晴らしい。私は、即刻、その先輩たちを勝手に師匠にしようと決めたのだった。・・・・続く
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アマチュアピアノ仲間との出会い その2
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勝手に師匠と決めた大学のピアノサークルの諸先輩おふたり(仮にWT氏、YM氏としよう)だったが、その両氏とお話をする機会もないまま、当日の会場をでようと歩いているときだったか、同期のサークル入部の友人がこともなげに言った。
いや、Nさん(しかも女性)が、マゼッパ弾いていて、とにかくすごかったらしいよ。(私)エー・・・。絶句。あの曲ってどうしたら弾けるのか全くわからない。
友人いわく・・・ もうひとりすごい人(仮にTT氏といおう)がいるみたいだよ。(私)エー・・・・。まだいるの?!
私は、「その大学のピアノ科(実在しない)にはいってしまったのだろうか。また、師匠様は何人いるのか。私がこのサークルの末席を汚してもよいのだろうか。・・・」などと、自分の心もとない実力を思い浮かべつつ だんだん不安になってきてしまった。
そのうちもうひとりの師匠(TT氏)の演奏を聞くことになったある発表会。少々遅れて会場にはいろうとしたが、ひとだかりしていて中にはいれないではないか。
それでも、ひとだかりの後方からどうにかプロコのトッカータが、かすかに聞こえてきた。演奏が終わったとたんに盛大な拍手がわれんばかりにおこった。結局TT氏の顔がわからん・・・。どんな人なんだ・・・・。
そして、次の年、翌々年と、今度は、偉大なる後輩達が入部してくるのだった。・・・・続く
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アマチュアピアノ仲間との出会い その3
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学園祭が終わったとある晴れた清々しい日の午後、同期のピアノサークル友人宅を訪問することになった。しかも、ピアノサークルの先輩師匠様おふたり(WT氏、YM氏)もいっしょだった。
友人宅は、外見は普通の一軒家だが、リビングにはいったとたんに驚いた。グランドピアノが二台おいてあるではないか!!!
自分は、そのうち、グランドピアノを買って、その下で毎日寝るんだ!!という目標の私には、あまりにも、贅沢な環境で、本当に羨ましかった。
友人に「いいねいいね・・」と言っている最中に、友人が、早速師匠のひとりにおねだりをした。「何か弾いて下さいよオ」
さて、
ショパンエチュードOP10-1が始まった・・・。
すると、もうひとりの師匠が、もう一台のピアノに向かい、途中から、OP10-1をあわせて弾き出したではないか。
途中から、OP10-1を同期させて、弾けるなんて嘘だ、ありえない・・等と驚きつつも必死に聴いていくと、間もなく10-1が終わった。
が、これで終わらずに難曲の10-2に移るではないか。エー。まさか!!
何事もなかったように、次々と OP10が二台のピアノで弾かれていくのだ・・・。
革命が終了した。とりあえず、両師匠とも流石に疲れたなという感じで、OP25にはうつらなかったのだが、・・・。(安堵!!)
上記は、少々記憶があいまいで誇張気味なのだが、実際におこった話なのです。但し、途中同期がとれなかったり、あるいは譜面をみたり(即ち全部を暗譜していたわけではなく・・ということですか。)一部の曲は割愛というレベルではあったと思う。また、今思えば、10-1は、比較的落ち着いたアマチュアスピードでスタートしたようではあったが。
そして、師匠達との会話が始まった。
「凄いですね。プロみたい。」
すると、師匠は言われました。「プロはもっと凄いよ」・・・
私はその時気付きました。
師匠たちの目標設定は、「ショパンのエチュード全曲は弾けて当たり前。プロのレベルとは全く違うものだが、アマチュアでも基本のひとつという価値観。弾けることと曲そのものが表現できていることは全く別もの・・・。」といったものであったのだろう。
ちなみに、その当時の私の目標は、「ショパンエチュードであれば、タイトルつきのもののみ、大学時代四年間に弾けるようにしたいな。夢かもしれないが・・・。例えば、別れの曲と黒鍵と革命とエオリアンハープと、木枯らしと大洋・・。できれば弾けるようになれればよい。」の夢レベルであった。
先輩師匠にとっては、OP10/25は、基本のひとつでバイブルのひとつ。私の目標のずっと上の設定が当たり前で、しかも、プロは、もっとずっと上。
ショックだった。しかし、新鮮な気分だった。この世界は広いのだ。アマチュアだって頑張れば、もっと素晴らしい曲を弾けるかもしれない。
私のピアノ音楽界は、実力はともかくとして、頭の中で広がりはじめた・・・・。
先輩師匠の会話は続く。
「この間、ペトルーシュカを練習していたら、流石に家族中からうるさいといわれたので、扉をしめたり、毛布をかけて練習したとか・・・」
驚くばかりのハイレベルの会話が続く。
そして、次の演奏がはじまった。
「クープランの墓」抜粋版・・・でもトッカータは勿論含まれていた。
私は理解した。先輩師匠は私の知っているほとんどの有名曲は弾けるみたいだと。
そして、実際そうだったことは、徐々にわかっていくことになる。
・・・続く
--
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アマチュアピアノ仲間との出会い(その4) ~KM君との出会いと中村紘子さん~
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大学入学時に、本当に偶然に私は、KM君と出会った。
入学時当初に事前の健康診断があるのだが、当日○ノ□線?で事故があり、電車が遅れて最初の健康診断から遅刻をしてしまったのである。
(アマチュアピアノ仲間との出会い(その3)以前については、2004年10月2日の日記、または、フリーページのTyees HiStory<学生時代>を参照願います。以下、本文続く。)
これで、入学が取り消されたらどうしよう?!等と心配するものの、同類は数多くいて、「ハーイ、遅れた人はここから並んで・・・」等といわれ、遅れたもの同士、多少不安な顔をしながらも列を成し、そしてかなり待たされてから、健康診断は始まったのであった。
配られた自分の健康診断用紙に自分の名前からプロファイルを書き込みはじめた時に、丁度横にいて、健康診断用紙に書き込みをしていたのがKM君である。
最初の会話は、恐らく、「電車遅れたんだよね・・・」といった一言から始まったと思う。
そして、各診断の待ち時間等に、色々と話をすると、まさかのピアノ、しかもクラシックピアノ好きという一点において、趣味が一致することがわかったのであった。全くの偶然である。
そして、健康診断もひとしきり終了し、出口をでると、各サークルの勧誘活動の嵐であった。
彼も私もあまり興味もないといった風情で勧誘のラブコールなりビラ配りの中を通り過ぎつつも、何気ないこのような会話をした。
KM君いわく、「何やらピアノのサークルがあるらしいよ。」
私、「本当?! 今度行ってみようかな。」
私は、実は、中学高校とテニスをやっていたので、テニスのサークルにでもはいろうかなと漠然と考えていたのだが、この会話で、俄然興味が出て結果、ピアノのサークルにはいることになったのである。
彼とは、さらに偶然にも帰る方向もいっしょで、とにかく、クラシックピアノ音楽の話に花が咲いたのであった。
--
私のはいった理科系は人数も多く、数多くのクラスに区分されており、私はクラスの中に知り合いはひとりもいない状況であった。次第に友人もクラス内にできていくのだが、やはり、ピアノサークルの部室に行く事は、楽しかったし、居心地もよかった。
少なくともピアノ音楽の話に事欠かなかったし、何しろ、名練習も聴ける。なによりも刺激になったし、勉強になった。そして、その割に規則もまだ整備されていなくて、自由な雰囲気のサークルであったこともよかった。
学園祭でのコンサートで弾くもよし、聴くだけもよし。
まあ、アメ売り店運営とか、コンサートメニューづくり、資金集めなどは色々と大変であり、最低限の義務もあったが、結構、マメな方がいて、それなりにこなしていけたのであった。
--
KM君とは、学園祭コンサートで一度連弾を演奏した。
プラームスのハンガリア舞曲2-3曲と覚えているが、彼が高音パートで、演奏中にどんどんテンポが早くなっていったが、お互いに、あおるように演奏し、最後まで、たどりついた。スリリングな、冷や汗ものの演奏となった。しかし、拍手喝采であった。
--
とある日に、KM君が、プロコのソナタの楽譜もっている?と私に聴くので、「もっているよ、全音版だけれど」というと、「7番は入っているか」と聞くので、「勿論」と答えると、「貸して貸して」という。次の日に貸した。
1週間たった頃、楽譜をもう返すと言う。
「どうしたの、早いね。もう少しいいよ。」
彼いわく、「うん、少なくとも七番は大体わかったので。有難う。」
私には、わからなかった。7番ソナタの何がわかったのか。
8番以外の戦争ソナタ系だぞ。7番がわかるというのはどういう意味なのか。
ただ、それ以上聴いて、凄い答えが返ってくることを恐れ、私は、そこで黙り話題を変えた。
察するに、彼は7日間プロコフィエフの戦争ソナタを弾き続け、覚え込んだのに違いない!?
--中村紘子さんとの交流?
KM君は、ピアノ音楽についてよく勉強しており博識だなあと感心することが沢山あったのだが、後ほど、さらに、
「KM君が前前から中村紘子さんのファンでなんでも文通していたらしい。」という事実が判明した。
いや文通というよりは、ファンレターを送っていただけだろうと思っていたら、彼を筆頭に彼女のお屋敷に数名ご招待されるという話がわきおこったのである。
私は、色々と都合もこれあり、なかなか、連絡がとれずじまいのまま、行きはぐれてしまったのであるが・・・。
あとから内容を聞くと、
なんでも、ピアノを彼女の前で怖じることも無く弾いた猛者もいたとか、
中村さんの旦那様庄司薫氏は、そのときはいなかったらしいとか、
おいしい、自慢のカレーライスをごちそうになったとか・・・・・。
とのことであった。
かえすがえすも行けなかったのは残念だ。
特にカレーライスは食べたかった。しかも、中村紘子さんの手料理カレーライス。
--
また、KM君は、中村紘子氏に高く評価され、「オーケ○○○が△△△きた」というTV番組出演も果たし、とあるショパンの大曲の公開レッスンを受けたりした。
--庄司さんのサイン
これは、こぼれ話であるが、
いつだったか、秋の学園祭のコンサートで、私が師のひとりとして仰ぐ先輩のWT氏が、ラヴェルのクープランの墓を全曲演奏した際、作家の庄司薫さんが聴きにいらしていてサインをいただいたらしい。凄い。羨ましい。
もしかすると、中村紘子さんから話を聞いて聴きにこられたのかもしれない。
なんでも、「トッカータまであれだけ弾くとは思わなかった。」と誉められた?らしいです。
ところで、庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説はご存じですよね?
もしかすると若い方々は知らないかもしれないけれども、ピアノも弾く庄司薫氏は、芥川受賞作であり鮮烈のデビュー作であるこの本の中で、「中村紘子さんのような若くて素敵な先生にピアノを習いたい・・・」と実名いりで書いたらしい・・・? どこの部分だっけ?
本が手元に無いのでわからないが、なんでも、これをきっかけとして庄司薫氏と中村紘子さんは結婚された・・・。あくまでも(本当の?)噂である。
--
さて、KM君の話に戻そう。
彼が、とうとう卒業演奏会に載せた曲は、リストのソナタであった。彼は、私からは、もう、手の届かない雲の上の人であった。
アマチュアとしては、暗譜であの大曲を素晴らしい演奏で弾き通したのであったが、しかし、彼は、演奏後、やや不満げで、ひとり、静かににうつむいて椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。・・・・・・・
(もしかすると、彼の思う完成度には達していなかったのかもしれない。私には、もう判断不能な高いレベルであったのだが・・・。)
--
彼は、大学学部卒業後、医者になりたいとのことで、他の有名某医大にはいり直して無事卒業、そして、今は、都内で○□外科を開業している。
よほど忙しいらしく、なかなか、会う機会もなく、OBOG会にもこない。
時々のメールや年賀状のやりとりくらいであるが、たまには、会って話をしたいものである。
ピアノは続けているのだろうか。
彼のおかげで、学生時代以後の自分の今の趣味の方向は成り立ったし、本当に刺激も受けた。
大学の初回健康診断の日の出会いのおかげで、彼との出会いは始まり、そして、入学まで知りもしなかったピアノのサークルにはいったのであるから、本当に人生とは不思議なもの、縁であるなと思う。~(了)
--
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アマチュアピアノ仲間との出会い(その5) ~ピアノのおけいこ見学~
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さて、昔々、私Tyees大学時代のお話。。。続きです。
私は、学生になって、大学のピアノサークルに入会、ピアノへの傾倒の日々を送っていた。
勉強も大変だったが、新しいことを伝統ある大学で学ぶことは楽しかった。しかし、何よりも、授業終了後など、○□寮という、大学敷地内にあった、古い学生寮内のピアノサークルの汚い??部室にいっては、誰かのピアノ練習を聴くなり、合奏(フルートやバイオリン)をするなり、ピアノ談義に花さかせることが、楽しい日々であったように思う。
さて、学生生活二年目にもなりしばらくたつと、ピアノサークルには、多くの偉大な??個性的な仲間が入会してきて、サークルもさらに、陣容が増えてきた感じ。
とある日のサークル部屋に集う人たちの特徴。。。こんな人達が集っていた。。。
何やら外人の人と流暢な英語であまり知らないピアノ曲についてしゃべっているO氏がいた。
O氏は、どんなに?新しい複雑な譜面であっても、見事にほぼ初見で弾けてしまうという才能の持ち主であり、
その時も少なくとも私にはわけのわからない難し気な楽譜がでてきたが、外人の方の前で、こともなげに複雑な音型を音楽にしていったように思う。
彼曰く、難しめの初見曲の場合は、おおむね7-8割がた、特徴ある部分を弾けば、その音楽に近いものにはなるなどといわれていたように記憶しているが、定かではない。
しかし、彼の弾く、初見曲は、普通の人がかなり練習した後の演奏よりも優れているように聞こえた。。。
彼は、それもそのはず、記憶術とか速読述?をたしなみ、英検は、昔に1級をとったとのこと。
ある大学の授業でバッハのフーガの話となり、その際に模範演奏を彼がしたらしい(平均律一巻の一番のプレリュード・フーガだったとか?)。教授から素晴らしいと絶賛された模様。
彼は今は、外資系、金融系のアナリスト的な仕事をしているようだ。
初見がすごいといえば、オケのスコア譜をそのままピアノで弾けるというC氏もいた。
彼はその頃から、音楽については特段の知識を有していた。
彼は、その後美しいものの研究を選考(美学?)し、○野の院にはいり、ドイツ?にてさらに研鑽を積み、有名なクラシック音楽の評論家になりつつある(もうなったといってもいいのかな)。
彼のお宅には、沢山のCDが批評をうける為?に集まってくるらしいが、すべてを聴くことはとてもできないようである。もったいない話である。
不要CD引き受けますよ???と申し上げたいところなのだが、彼は超忙しく、この頃は年賀状とメールでのたまの会話にとどまっている。。。
ラフマニノフのゆったりした曲を弾かせたらその叙情たるや素晴らしい広がりを生み出すM氏。
彼のサークル部屋でのラフマニノフの叙情に関する演奏と解説のおかげで、私はその当時、ラフマニノフの広大な空間、繊細でロマンチックというか切ないあの感覚を再認識することができた。
彼は、今高校の先生をしている。時々の交流もある。
ある学園祭で、ショパンバラード3番を極めて美しく弾かれたY氏。
彼はドビュッシーエチュードも嗜んでいた。
ある学園祭で、シューベルトのさすらい人を完璧に弾かれたこれまた異なるY氏。
そして、女性陣も何名か増えてきたし、フルートをやるような人もはいってきた。
フルートのT氏は、絵もたしなまれていてて上流階級???風の人。
彼のマンションには、台所の概念がなく、すべて外食だとか。。。。今は何をしているのだろうか。フランスにでもいるような気がする。
(今は東京でデザイナーされているようですね。)
もうひとりのフルーティストW氏は大学教授業であるが、今も年に何回かの交流があり、先日の忘年会も一緒であった。
こういった個性的なメンバーが増えるに従い、ピアノサークルは華やかかつ彩のある会へと成長していったのである。
特に、我々の一年後くらいまでにはいってきた方々とは、一年浪人組の人もいたが、いずれにせよ、年は2-3歳違いまでということで、話も合い、非常に仲良くやっていたと思う。
例えば冬のスキー合宿とか、スケート。
自然と親しむバンガロー合宿なんてのもあった。
いずれにしても、日頃の交流の範囲から合宿まで、音楽以外の部分でも、楽しくおつきあいさせていただいたものである。
##
さて、そのうち、ひとりのサークルメンバー、女性なのだが、N○Kのピアノのお稽古に出演という話になった。
今は放送されていないようだが、昔確かに長期間存在したこの番組は、3チャンネル(N○K教育)でやっていた、ピアノのお稽古のテレビ番組のことであり、ピアニストあるいは音大の教授クラスの方が、アマチュアにピアノを教える授業そのものを放映するという内容だったかと思う。
そして、とある日、ピアノのおけいこの現場(テレビ番組収録会場?)を仲の良い数名で見にいくこととなった。
N○K内のスタジオである。
練習グランドピアノにもちらっとだけ触る事ができた。
なかなか、スリリング?感激ものであった。
他の授業生ともすれ違ったが、彼等はテレビにでているので、有名人???。
テレビでなく、実物の人物に会ったり、現場をみたりするとドキドキするのは私だけであったのだろうか。。~(了)
さて、私が、NHKのスタジオにはいったことがあるのは、数回。
大昔、(少年)少女合唱団の声だけの録音につきあったとき。中学生のときだったかな。私は歌を歌ったのである。
そして、二回目が、上記のピアノのお稽古の現場スタジオ。
近年では、娘が引っ越し前まで通っていた、東○放□児△合唱団(N○K東○放□児△合唱団に名称変更したようだが)にて、収録などする場合のスタジオ入り口まで。。。
###何気ない青春の一こまであるが、何故か懐かしい。。。
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アマチュアピアノ仲間との出会い(そのx) ~xxxxxxxxxxx~
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