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私が中学生の頃~合唱とギターとの出会い~
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今日は、中学生の頃の音楽との関わりについて、想い出を語ってみたい。

**********私が中学生の頃~合唱とギターとの出会い~**********
私は、国立の中学をひとつだけ受験したけれど、見事失敗。
地元の中学に歩いて通うことになる。それは、徒歩1時間もかかる中学だった。

**********中学生活と合唱団入団

塾に通ったが、結局、国立の中学校に受からなかったので、私は、地元の中学に通うことになった。

中学受験に失敗したこともあったが、鍛える為に、毎日、中学まで歩いて通うのだ。
革製の黒鞄ではなく、白いズック製の鞄で中学まで、4kmの距離を毎日往復した。

また軟式のテニス部にはいり、きびしい練習に耐えた。
校庭10周はもとより、ダッシュ練習、素振り何百回、玉拾い、コート整備等なかなか大変だった。腕立てと腹筋はあの頃は、100回はできたと思う。

朝は、共に歩いて通う友人がいたので、結構、楽しく歩いて登校したが、帰りの4kmの徒歩が結構きつく、しかも、テニスの部活後の練習疲れ故、暗い夜道を休み休み、ひとりでとぼとぼと歩いて帰宅したのだった。
時々,帰蕗の夜道、畑の近くあたりで野犬に追われ、必死の体で逃げ帰ったのを覚えている。今となっては、もう懐かしい想い出だ。

一方音楽関係では、中学生活とは別に、自宅近所でやっていた数十人編成の合唱団に入団した。
なんでも、増員が必要で、なお特に男子(の声)が足りないということだったらしく、とにかく集めよとの厳命がくだったらしく、合唱団にはいっていた小学生の女子の兄、即ち、中学同級の私の友人(男子)の紹介もあり、ふたりでいっしょに合唱団の練習を見にいったのがきっかけであった。
見にいった途端に、このパート歌ってみて・・・ということで、早速、練習に組入れられてしまった。
小学生の子供達からは、めずらしいお兄さん達が増えたということで当初は人気があった。要は世話係なのであるが。

ということで、何人かの新人が途中から合唱団に入団したわけであるが、男子は結局、少なく、みな、少しずつやめていってしまった。当初、誘ってくれた友人男子もこなくなってしまった。
が、私は、結構好きな雰囲気だったし、音楽面で刺激もうけられたので、留まることにした。
平日はテニス部活練習で無理なので、基本は、土日とか、できうる限りということでの参加であった。

合唱団は、高校生以上のOBOGもいるものの、基本、小中学生の合唱団であった。
いつも、大勢ワイワイというか、キャッキャッとしており、幼稚園とか小学校低学年も含めると数十人、小学高学年から中学くらいまでだと、40人くらいであっただろうか。女子が多かったが、少しは男子もいた。

色々な曲、全然知らない曲も毎週練習していて、なかなか、楽しかった。
合唱組曲とか、簡単なミュージカル等もやっていた。クリスマスシーズン等は、クリスマスメドレーとかハレルヤ等を歌う。
ただし、練習は結構きびしかった。ソロ練習とかパート練習とか、色々な練習法があることを知った。腹式発声の体操?とかコールユーブンゲンの練習などというのもはいっていた。

昔は、小学中学での鼓笛隊の練習では、縦笛と小太鼓とピアニカと指揮くらいで、今のような、ラッパ系統もはいっておらず、音楽の時間にささやかな練習あわせをするくらいであったので、合唱団の本格的なパート練習は、繰り返し性なり暗譜なり音楽性を追求されたりで、結構きつかったわけである。

私は、無診査ではいったが、通常は、歌のテストを受けて入団するとのことであった。道理で、一応みな、歌もまあまあだし、音痴は少なくともいなかった。
男子は非常に少なかったので、少々珍しがられたみたい。あくまで女子中心の世界だった・・・。


**********声変わりをする頃  歌から伴奏へ

私は歌も歌ったが、声変わりをする頃、また、音痴かもしれんと自覚する頃から、時々、ピアノ伴奏を手伝い、また、小学生達の世話焼き先輩として、あるいは、椅子やらなんやらの片づけ手伝い屋として、裏方的な活躍をするようになり、また、それが結構面白かった。お兄さんのお手伝いみたいな感覚であったのだろうか。

ピアノ伴奏というと、チコタンという合唱組曲とか、サウンドミュージック抜粋版の伴奏とかをやっていた。
音楽系の学校に通っている女子が、本当の練習伴奏役なのだが、私は、その女子が歌を歌う場合、下手な伴奏役をやっていたのであった。

合唱団には、沢山のOB/OGがいて、時々、発表会がせまってくるといっしょに練習に参画する。
音大を出られて、既に活躍中の方とか、ジャズボーカルをやっている方とか色々いらして、素晴らしい演奏やらよく分からない大人の世界の話を時々拝聴できた。

そして、この合唱団の顧問には、T先生という、有名な方がいらして、お忙しい方であったので、時々ではあったが、練習の最終指導や、合宿などにもこられていた。そのお弟子の方も、時々こられていた。
T先生は、二期会でも有名な方、オペラの普及につくされていたが、クラシックのさらに幅広い普及を願い、この合唱団の指導や、また、テレビ出演、紅白にでたりで、かた苦しいと思われがちなクラシックを茶の間にも届けようと努力されていたのだった。

T先生には、専属のピアニストがいらして、最終的な合唱団の発表会コンサートには、音大生か、音高生、そして、そのプロのピアニストの方が、伴奏をすることが多かった。
勿論T先生の歌の伴奏は、プロの方となる。
やはり、専門の人の伴奏はうまかったが、T先生の専属のプロのピアニストの方は、私にはっきりと違いがわかるほど、素晴らしかった。
やはり、プロはレベルが違うと感じた。
でも、その方は、決して独奏パートの多いを披露することなく、そして、通常の合唱伴奏も基本的にやらず、真摯にT先生の伴奏役を専門で務めていた。例外としては、T先生が一部歌を歌うオペレッタ等の全体伴奏はしていた。
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さて、合唱団の発表会コンサートは、渋谷の児童会館やら、あちらこちらの区民・市民ホールで実施した。
なにやら、レコーディングもあって、私は、声だけ参画したこともあった。テレビ出演もたまーにあった。

恥ずかしかったのは、サウンドミュージックの男の子の役をすることになり、半ズボンをはかせられたこと。

私も、合唱団のコンサートの簡単な曲を一、二回、伴奏を本番で弾かせていただいたことはあるが、もう、何を弾いたのかよく覚えていない。

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その頃は、女子??の花園のようなところに、少数の男子だったので、色々と、もてたよ
うな、女子からよく話しかけられたような気がする。(今思えばもてたのではなく、珍しがられていただけ・・)
私は、寡黙でとおしていたので、よくわからないおとなしい男の子というイメージだったようだ。

かわいいが、結構、活発・元気な女の子も多く、また、おしゃまな・いたずら好きな小学低学年の世話もやかねばならなかったので、女子とはこんなににぎやかなものなんだとか、おませなことをよくいうなとか、小さいくせに結構大人びているなとか、・・・・色々なことが目に鱗の合唱団練習生活の時代であった。

自分としてみると、なかなか、年少から中学3年、時には、OB/OG(高校生や大学生)まで、しかも女性が多かったので、華やかな雰囲気だったことを覚えている。
今となっては、本当に懐かしい想い出だ。

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私は、合唱やソロの伴奏というものをここで、下手なりにも一応経験した。このことは、大変貴重な経験である。
あわせるということ、主役がある場合、あるいは対等な場合、自分は間違えてもとまってはいけないということ。
インテンポ。そして、全体の響き、音楽を大切にということをここで、多少なりとも学ばせていただいた。

現在、その当時の合唱団の先生も顧問のT先生も、お亡くなりになってしまったが、先生の息子さんが指揮者兼指導者としてさらに活躍され、合唱団もにぎやかに活動されているようだ。
地元に根付いた合唱団としての更なる発展を祈りたい。


**********ギターとの出会い
ある夏休みのこと  少々父の仕事の手伝いをさせられたが、それで、お小遣いをたんまりいただいたことがある。思案の末、私は、ガットギターを自分で選んで、買ったのだった。

禁じられた遊びからはじまって、何曲か、スペインもの、といっても簡単な曲を練習し始めた。

弾けるようにはならなかったが、アルハンブラの宮殿とか、アルベニスもの等スペインもので少しでもできそうな曲を練習していたように思う。特にアンダルーサ等が気に入っていた。

他では、ムーミンのスナフキンのテーマとか、・・・・譜面がなかったので、聴きまねで、自分なりに、アレンジして、ギターをつま弾いていた。
(皆さんは、ご存じだろうか。ムーミン谷のムーミン。スナフキンのテーマは、「ラーラミレーシソラーミー・・・」。)

ギターでは、ポピュラーものをやると、コード進行を覚えなければならず、これが、なかなか大変ながら面白かった。
ギターの左手は、血がでるほど、色々基本コードを覚えたが、このことが、その後のポピュラーピアノのコードの習得にも結果的に役立っていたようだった。
また、これが、後々、ジャズが好きになることにもつながっていたのだろうと思う。

**********その他の音楽生活
その頃、中学当時のピアノ練習は、合唱団の伴奏ものを除くと、
中学の歌のテストの時の伴奏や、カーペンターズやビートルズ、サイモンとガーファンクルの曲、明日に架ける橋などの伴奏、そして、映画音楽で好きなものなどの練習をしていたように思う。
ポピュラーものの中では、特にカーペンターズにはまっていた。カレンの歌声にぞっこんであった。
合唱団の伴奏では、サウンドオブミュージックの伴奏がことのほか気に入っていたように思う。

でも、クラシックは、ほとんどさわらなかったように思う。

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こうして、私のクラシックの暗黒時代・・・・失われた十年・・・・大げさですか、まあ小学高学年から数えれば、数年間のプランクができてしまったのでありました。
当時やっておくべき バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン等のバイブル的な曲は、さっぱりやらなかったわけであるから。

その代わり、私にとっては、ギターとポピュラー曲のコードの初歩理解、そして、伴奏とは何かを多少とも覚えたことが、一応のささやかな中学時代の成果といえましょう。

**********私が中学生の頃~合唱とギターとの出会い~(了)


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