“お笑い”哲学論のページにようこそ!

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◆悩める人への助言◆


(拙い書き出しだ。ごく最近、使ったような気がする)

話は変わりますが、(うまい展開だ)私はこれまで、記憶できないほどのアドバイスをしてきました。
その証拠に、あまりアドバイスをした記憶がありません。

我ながら会心のアドバイスをしたという記憶はあります。
小学生と話していたときのことです。
「どんなタイプの友達が嫌いか」
と訊いたところ、
「何でも先生に言いつけるやつが嫌いだ」
と答えました。
私はそれを聞いて、
「そういうやつは先生にいいつけてやれ」
とアドバイスしました。


私は相談やアドバイスを求められることがあります。
(ごくごく最近、使った文句のような気がする)

会社の経営者や個人の専業主婦まで、
「どんなことでも相談して下さい。お金が欲しい。というのでも結構です。銀行の防犯カメラの位置を教えてあげます」
と言うのですが、実際に相談を受けることは多くはありません。
私の気持ちが通じないのは残念なことです。

相談者が訪れたら、お金の問題だけでなく、対人関係、恋愛問題などを、相談にのってもらおうと思っているのです。

きっと、私が頼りないのを見抜いているためでしょう。
それだけの洞察力があれば、いいアドバイスをしてくれるだろうに、と思うと惜しまれて仕方ありません。

訪れないくらいですから、あり余るお金を誰に託したらいいか、私に寄付したいがどうしたらいいか、といった相談をする者は皆無です。
たとえ、相談に訪れる者がいても、私のアドバイスが適切なためか、一度アドバイスをすると、二度と相談に来なくなります。
(一度のアドバイスで、完璧な対処法や対策をアドバイスするためでしょう)

それでも一般的に、完璧なアドバイスは無理でも、適当なアドバイスをするだけなら、比較的簡単なことです。
結果は他人が負うのです。
いよいよとなったら、
「私のような人間にアドバイスを求めないように」
とアドバイスすればいいのです。


哲学に興味があるコンサルタントで、なおかつ会社の経営者なら、有益なアドバイスが得られるだろうと考える人がいます。
しかしこれは、
「多くの人が結婚しているから、多くの人には結婚の適性がある」
と考えるのよりも大きな間違いです。

私が見る限り、哲学者にもコンサルタントにも経営者にも、むしろアドバイスが必要なタイプが多い。
困ったことに、アドバイスが必要な人間ほど、アドバイスをしたがるものなのです。
私が何よりの証拠です。


しかし、アドバイスというものが、それほど重要な意味を持っているのでしょうか。
どんな適切なアドバイスをされても、本人にその気が起こらない限り、どうせアドバイスされた通りには行動しないのです。

かりに神様がアドバイスしたとしても、それが、
「一切の欲望を統制して、毎日の睡眠時間は3時間、毎日の勉強時間は22時間を確保すれば、必ず司法試験に合格する」
と言われても、従える人は皆無だと断言できます。


これだけ書けば、私の言葉が神のアドバイスに匹敵するほど、いかに有益かつ有用なものか、理解して頂けるものと確信しています。

悩みがあれば、私に相談して下さい。
私は相談の専門家ではありませんが、悩みの専門家です。




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