うさぎのて

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レイキの歴史



日本で始められた代替療法(セラピー)です。


創始者の臼井甕男(うすいみかお 1865-1926年)先生は

苦労しながらも勉強に励み、欧米・中国を渡り、帰国後は公務員

会社員・新聞記者・布教師・教戒師などの職種に従事ました。


そのうちにぶつかったのが「人生とは何か?」ということ。

やがて臼井先生は1922年(大正11年)3月、

京都の鞍馬山にて瞑想、断食修行をしていたところ

21日目の真夜中。

突然、脳の中心部に落雷を受けたような衝撃を感じ

そのまま気を失ってしまいました。


数時間後、目をさますと今までに感じたことのない

爽快な気分に満ち溢れていたそうです。
この時、宇宙エネルギーと体内エネルギーが相互交流し、

求めていた悟りの境地を完成させたのだといわれています。

21日間の断食をしていたにもかかわらず

軽々と山を下る途中で、

うっかりつまずいて足の爪が剥がれてしまいました。

思わず、手をあてたところ

不思議なことに一瞬にして痛みが消え、血が止まったそうなのです。

この不思議な経験を家に戻って、家族にも試したところ

同じように効果が表れたため、これを広く広めようとなさいました。


臼井先生はこの手当療法を「霊気療法」となずけ

「臼井霊気療法学会」を創立したところ

遠方からも人が集まり、行列は溢れるばかりの繁盛になりました。

その後、関東大震災が起こった際には、

人々救助のため市街を回って人々に

手当療法をおこなったという記録が残っているそうです。


また、当時の日本では霊気は公的機関(海軍)にも認知され、

数万人以上の使用者がいたと言われています。

この霊気療法学会からスピンアウトして独自の手当療法として

実践した人も含めると数十万人の使用者がいたと言われています。

*霊気は当時から宗教的なものとは関係がありませんでした。




臼井先生の門下生の一人に、

林忠治郎(はやし ちゅうじろう 1879-1941)先生がいます。

海軍の軍医であった林先生は

海軍内でこの療法を広めるとともに

退役後はご自身も治療所を開き、治療家として活躍されたのです。


1935年、そんな林先生のもとを

ハワイからハワヨ・タカタ(高田)という女性が訪れました。

ハワイ生まれの日系二世で、子宮筋腫に胆石・ぜんそくを患い

心臓や胃も悪く、手術を受ける直前までいったのですが

「手術の必要はない」という啓司のような声をきいて

手術以外の方法を探していたところ

レイキの存在をしって訪れたのでした。



林先生のもと8か月間の治療をうけたことで

奇跡的に回復を果たし、驚くことに完全な健康を取り戻したそうです。

タカタ先生もまた、このレイキの素晴らしさを林先生のもとで学び

1937年にハワイに帰ると共に治療を開始しました。


タカタ先生は80歳の天命をまっとうするまでに

22名の治療家(レイキ・ティーチャー)を育成しました。

そしてこの22名によって

レイキは世界中に広まったのです。

海外では独自の発展をとげ

1985年頃には欧米から逆輸入される形で、レイキは日本へ戻ってきました。


日本国内で守られてきたレイキを 「臼井式レイキ」

海外で広まったレイキを 「西洋式レイキ」 とよんでいます。




「レイキってなんだろう?」はこちら





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