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新国立劇場 14:00〜 4階正面 ドン・ジョヴァンニ:アドリアン・エレート 騎士長:妻屋秀和 レポレッロ:マルコ・ヴィンコ ドンナ・アンナ:カルメラ・レミージョ ドン・オッターヴィオ:パオロ・ファナーレ ドンナ・エルヴィーラ:アガ・ミコライ マゼット:町英和 ツェルリーナ:鷲尾麻衣 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ラルフ・ヴァイケルト 演出:グリシャ・アサガロフ 4階席にはぶらぼおおおおお屋が多数。 あのですねぇ。まぁ、表現の自由というものはあるにはあるのですが、やはりこういうものは時宜を得なければいけないと思うのですよ。個人的には、よっぽどの名唱ででも無い限り、今時、モーツァルトのオペラで、幕の最中にぶらぼおおおおおを叫ぶというのは、ちょっとどうかなと思うのですよ。はっきり言って、センスの問題。 そんな訳で、正直鼻白んで帰ってきたのは事実。それもあって、若干厳し目なのかも知れませんが.... 2008年初演の演出の再々演。元々視覚効果を狙って、ということとは思いますが、見た目に綺麗な舞台なので、見ているだけでも楽しい。それに、今時こんなに素直に地獄堕ちを見せるというのもある意味珍しいやも。 盛んにぶらぼおおおおを貰っていたのは、ドンナ・アンナ。まぁ、確かにね。立派です。でも、個人的には、むしろドンナ・エルヴィーラのアガ・ミコライの方が相対的にはいいんじゃないかと。 いや、確かに、カルメラ・レミージョの歌唱は立派なものです。絶対値的にはこっちの方がいいんでしょう。でも、そう言っちゃなんですが、ドンナ・アンナを歌おうというのであれば、しかもこのくらいのサイズの劇場で歌うとなれば、このくらいは歌えるのが前提だとは思うんですよね。とはいえ、その上での話としても、確かに立派な歌唱。ただ、立派、の先に何かあるか?と言われると... 歌として見た時、個人的には、むしろエルヴィーラの方かなと。最近あまり言わなくなったけれど、歌い回しが良いのです。レミージョは、これが、平凡と言っては悪いけれど、歌として説得力がもう一つ。ミコライは、時々若干字余り気味になってしまったりするのではあるけれど、それがさほど気にならないのは、不自然ではないから。まぁ、そうなるかな?という形なのですね。何より、歌がそれで崩れていない。 レミージョは、もっと崩れません。だから、アリアなんかはとてもよく聞こえます。楷書の歌。まぁ、ドンナ・アンナって、そういう役と言えばそうだし。でも、歌としては、ちょっとつまんないんですよね。リサイタルやると言われたら、まぁ、確かにレミージョの方に行くんでしょう。でも、声の良し悪しより、歌の上手下手で聞くような演目、例えばリート・リサイタルだったら、ミコライの方かな....と思わなくもなくもない。 それ以外は、まぁ、いいんですけどね。敢えてどうこう言いたくなるほどではないかなと。 敢えて書くなら、レポレッロ役のヴィンコ、芸達者でもあるけれど、思いの外歌唱スタイルはコンサバティヴではあります。ドン・ジョヴァンニ役のエレートは、どうも....この役に合ってるのかな?と思わなくもないような。悪くはないですけどね。 全体のアンサンブルの出来は、さて、どうだろう.... 思うに、アンサンブルを重視した纏め方だったように思います。ただ、例えば、レミージョなんかは、あまりそういうのに向いている感じではないような気がします。出来ると言えば出来るし、立派ではあるんですよ。でも、なんか違うと言うか.... オケは弦が10-8-6-4-3。この編成を、浅めのピットに載せる事で、バランスを取ったのかなと。この劇場では、この編成だと、決して足りなくはないけれど、ややタイト気味になるかなと思います。そこをピットを上げてバランスを取った、ということなのかなと。こうすると、オケと舞台とのシンクロニシティも取り易くなると思うし。 まぁ、全体に、安心して見ていられる内容だったかなとは思います。極めてオーソドックス、ではあるし。
2014年10月26日
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新国立劇場 14:00〜 4階右手 ケツが.......ケツが痛い............... 以上 いや実の処それすらもデジャブというかなんというか、もう最初観たのとそう変わる所も無く。 化けもしなかったし、落ちもしなかったというか。安定している、と言っていいのかしら。 今回は飯守泰次郎へのブーイングは皆無。してみると、5日のあれはなんだったのか。私が5日と11日の演奏の違いが分からないスットコドッコイだったのか、あれはそもそも飯守泰次郎やオーケストラに対する不満と言う訳ではなかったということか、或いは5日と11日のお客の感じ方の違いなのかなんなのか。まぁ私がスットコドッコイである可能性は高いのだけれど、それにしても、3階と4階という違いこそあれ、そう違ったようにも聞こえなかったんだけども.... 改めて聞いてみると、歌唱陣としては、パルジファルはやはり他よりは半歩抜けていたと言ってもいいかなと。グルネマンツとクンドリーがそれに続く.....しかしまぁ、そう言ってみた所であまり意味があることとも思えないという感じではあります。それは変わらない。飛び抜けて「これは凄い!」ということもなく、「これは酷い...」と頭を抱える事も無く。 合唱は.....まぁ、ねぇ.......そもそも合唱をどうこういう演目でもないし、どうこう言いたくなるような出来でもないし。どっち向きにも。 と言う訳で演出なのだけれど、正直、2度見しても、あまり感ずる所は変わりませんでした。4階だと舞台奥が見えないので新しい発見が限られると言えば限られるけど、それ以上に最初観た以上の何かというのは無かった。それは決してこの演出がつまらないとかスカスカだという事ではなく、むしろ一度観れば十分伝わる内容だったから、ということだと思います。やはり舞台としてよく出来ているということなのではないかなと。結局、いろんなことをあまり入れ過ぎると、消化し切れないのですよ、上手くやらないと。 それはともかく、やはりこの演出で引っ掛かりが残るとすれば、最後が結果的に「キリスト教の騎士団では真の救済には至れず、仏教の道にこそ正しい救済への道があるのだ」と言うように読めてしまうのは、問題なんでしょうね。クプファーがプログラムで語っている、「騎士団のエゴイズム」、「仏教にもキリスト教にも通ずる「共苦によりて知に至る」という思想、という発想はまぁ分からなくは無いのですが、現実に舞台化すると幕切れでは救済をもたらすパルジファルが仏教の僧侶の許へと進んで行く訳で、いやしかしそれはどーなの?という声も上がりそうな気はします。特に日本人にとっては、どうなんでしょう。昨今の日本人が仏教というものをどのように捉えているのか私には平均的な所は分かりませんが、人によっては「いや仏教ってそんな結構なものだったっけ?」くらいの違和感を抱く人もいるのかしらと。少なくともワーグナーはそんな構想は抱いていなかった筈だ、くらいのことは言われそうに思うし。 その意味では、この演出もある意味「アンチ・パルジファル」であると言えない事も無くも無いのですよね。パルジファル自体を、或いはこの物語自体を否定的に捉えている訳ではないけれど、といって聖杯の騎士団を救済するのではない(もっと広い救済を想定していると思うのですけどね)、という展開は、やはりオーソドックスとは言えないでしょう。そういう意味ではやはりクプファーの面目躍如といったところかと。 ただ、そこに、仏教の僧侶を持ってきてしまうのは、やや安直に過ぎる感が無い訳でもないかなと。構想といい趣旨といい間違ってはいないのだけれど、安っぽく見えてしまうのではないかなと。これ、まだ日本だから、違和感少なめであるが故に通るような気はするけれど、欧米に持って行ったらどういう受け止められ方をするのでしょうね。まぁ、持って行く構想はないんでしょうけれど。
2014年10月13日
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新国立劇場 14:00〜 3階正面 パルジファル:クリスティアン・フランツ グルネマンツ:ジョン・トムリンソン アムフォルタス:エギルス・シリンス クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス クリングゾル:ロバート・ボーク ティトゥレル:長谷川顕 新国立劇場合唱団/二期会合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:飯守泰次郎 演出:ハリー・クプファー 終演後、カーテンコールで飯守泰次郎に結構なブーイングが。大体ワーグナーを新国でやると多かれ少なかれブーイングは掛かるものですが、不思議なほど盛大なブーイング。オケに対してより遥かに盛大だったので、要は指揮者の音楽の作り方に対する不満が主だったと言いたいのでしょう。 ふーーーん。 新国の開幕がパルジファル。この数年日本じゃ結構パルジファルをやっている気がするなぁ、と思うのですが、プログラムによれば、2009年にあらかわバイロイト(笑:ネーミングがもう笑うしかない。大真面目なだけに尚更)、2010年に東京・春・音楽祭、2012年に二期会のアマチュア公演(え?二期会ってプロじゃないでしょ?)、と続いていたようで。 とはいえ、よくもまぁみんなこんなもんマメに見る気がするよなぁ、と思うのも事実であります。今日の公演は公称第1幕115分、45分休憩、第2幕75分、35分休憩、第3幕75分。実際は2、3幕が各々5分くらい押したような気がします。が、ともあれ、これだけ長いとケツが痛い....ホント、ケツが痛い.....まだちょっと痛い....... で、どうだったか。 正直に言いますと、面白かった。芝居として面白かった。実の処、音楽に関しては、あまりどうこう言えません。寝てた訳では無くて、いや実際殆ど寝る暇が無かった。ワーグナー、しかもパルジファルで殆ど寝ずに終わるとは正直思わなかった。いやまぁ理由の4割くらいはケツが痛くて寝るどころじゃなかったというのもあるけれど。(ちなみにZi持ちではありません。念の為) 面白かったというのは、クプファーの演出。いや実の処まだ生きてたとは思わなかったし、生きててもまだ演出やってるとは思わなかった。で、今回の演出ですが、やはりクプファーはそこらへんのチンピラ演出家とは違いますねぇ.... クプファーの演出は、シンプルです。 舞台装置はシンプルなもので、舞台中央にジグザクに奥に向かって進んで行く道がある。ただそれだけ。そこと背景に映像を映し出して見せているのがちょっとした工夫だけれど、それだけ。いわゆる読み替えというものも、実は殆ど無い。登場人物達の衣装は、中世のスペインと思しき元のト書きとは違って、やや現代風の衣装だけれど、現代であることが意味を持つ風の衣装選択ではないし、舞台が現代だったりするという訳でもない。つまり、一昔前、いや二昔前の「どこでもないどこか、いつでもないいつか」を舞台にした演出。 クプファーの読みは、しかし、私のような半可通には非常に新鮮。つまり、プログラムの解説を参考に言うなら、「聖杯の騎士団」は絶対善ではない、という読みによって出来上がっています。なるほど、そうだったのか。言われてみれば確かにそうだ。 じゃぁそれは読み替えか?と言われると、決してそうはなっていない。本来の筋からするとちょっと変わっている部分が無いでは無いけれど、そもそもパルジファルとかはなんだかよく分からない所が結構あるし。少なくとも戦後のワーグナーの捉えられ方からすれば、むしろよっぽどオーソドックスと言っていいと思います。 何よりさすがだな、と思うのは、多少「?」と思う所も皆無ではないにせよ、クプファーの演出はきちんと物語の落とし前を付けているのですね。思いつきで解釈してほったらかしにしていない。しかも説得力がある。 個人的には、パルジファルを舞台で観るのはこれが4度目だと思います。昔、アバドが振ったのをエディンバラで観たのと、上野のは2幕から観て、一昨年のアマチュア公演。で、今回ですが、正直今回の公演が一番芝居として腑に落ちた気がします。エディンバラの時は、それはそれで納得した覚えはあるのだけれど、クプファーのような解釈ではなかった。で、今回のクプファーの解釈は、腑に落ちます。これが唯一絶対無二の解釈とは言わないけれど、今までどうにもよく分からんなぁ、と漠然と感じていたことが納得出来た気がします。 一つ指摘しておきたいのは、「聖杯の騎士団は絶対善ではない」、というのは、一昨年のアマチュア公演での解釈とは全く違う、ということです。あれは、言って見れば「アンチ・パルジファル」なのだけれど、クプファーの解釈は、パルジファルに対してあくまで肯定的です。まぁ、その肯定の先にあるのが「仏教」なので、なんじゃこりゃぁ?と思う人も少なくはないのでしょうけれど、「聖杯の騎士団」に対する違和感を、外的な異質の価値観を持って来ることで表現するというのは、異論はあるでしょうが、演出家という表現者として、正直なんだなと思います。 これを受け容れる、受け容れないという意見の相違はあるでしょうが、私はこれは一つの解釈としてはよく出来ていると思います。少なくとも、芝居としては、とてもよく出来ている。 今回は、珍しく、新国立劇場単独の演出だそうですが、これは世に問うていい出来だと思います。新国の演出だとゼッフィレリのアイーダが有名ではありますが、このパルジファルは十分世に問うだけの価値はあるのではないかなと。少なくとも、トーキョー・リングなんかよりゃよっぽどいい演出です。新国のワーグナー公演の中でも、否、それ以外も含めて、少なくとも芝居としては出色の出来といいと思います。 で、音楽の方ですが、正直言って舞台に注意力を持って行かれてしまって、あまり何がどうというのは憶えていない....(笑) 飯守泰次郎へのブーイングですが、恐らくは、音楽に粘りが無かったことが主たる要因ではないかと推測します。実際、そもそも音量としてもかなりセーブしていたし、上からざっと見た感じでも、決してワーグナーとして大編成な方ではなかったように思います。演奏自体は、そんなわけで、非常にあっさりした感じだったように思います。金管がもう一つ安定しない、という、まぁいつもの東フィル的な面もあったとは思うけれど、それ以上に、うねりもない、あっさりな演奏。でも、これは、飯守泰次郎の狙ってやったことではないのかな。演出とも相俟って、神聖祝祭なんちゃらとかいうこのオペラの正式名称にはイメージが合わないのだろうとは思いますが、やたら大仰めかしたヴェールを取っ払ったという感じの公演ではあります。それでもまだいろいろアレなんですけども。 これは想像ですけれど、ブーイングは、つまり、そういう行き方に対する不満の現れではあるのでしょう。でも、私は、これはこれでいいんじゃないかと思います。少なくとも、このクプファーの演出に、やたらとうねりを効かせた演奏を合わせても、悪くはないけれど、大して面白くもないでしょう。「これはワーグナーじゃない」? なら、クプファーの描くパルジファルの物語については?「これはパルジファルじゃない」って言うのかな?まぁ、よく分かりませんけれども。 歌手も、あまり強く印象に残ってはいません。パルジファルが2幕、アムフォルタスの苦悩を知るところで、おお、こやつ結構でかい声も出るな、と思ったくらい。あとは、特に凄いとも思わず、さりとて「なにこれ?」とか不満に思うことも無く。それはそれで凄いことではないかと思うんですけどね。 普通に観に行って芝居として「面白い」といったところ。その演目が「パルジファル」というのがまた面白いと思いますけどね。
2014年10月05日
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