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2012年10月06日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 新国立劇場中劇場  13:00〜

 演出:鵜山仁

 結論から言うと、面白かったけれど、2度観しようとは思わない、といったところ。

 実は私はジョゼフィン・テイの「時の娘」にすっかり毒された英国史ファン。故に、リチャード三世に関しては相当バイアスの掛かった見解は持ってはいます。即ち、シェークスピアのリチャード三世像は相当に歪んだもので、実は名君の素質ありだったのが、後世チューダー朝によって否定されるべき簒奪者とされたのだと。ちなみに、シェークスピアがリチャード三世を書いたのはせいぜい史実の100年ちょっと後、チューダー朝のエリザベス女王の治世下。

 今回の新国のリチャード三世は、3年前のヘンリー六世のキャストを引き継いでの、言わば続編とでも言うべきものなのだとか。まぁ、確かにそういう位置付けは間違いではないのでしょう。
 ただ、それ故か否か、このリチャード三世は、物凄く軽い。
 サイトに演出の鵜山の言葉が出ているのだけれど、帰って来てからこれを読んで、なるほどと思ってしまったのは、どうやら、この演出に於けるリチャード三世は「悪」なのですね。ただただ。

 リチャード三世は「悲劇」ということになっています。思うに、この演出に於いては、その悲劇とは「悪」に翻弄される人々の悲劇、なのでしょう。それ故、「心の歪んだ、それ故に誰からも愛されない悪魔のようなリチャード」はただただ悪であり、醜いものとして描かれて終わる。
 けれど、「生まれつき醜い心と容姿を持ち、生まれながらに呪われた」リチャード三世こそ、悲劇の主人公ではないかと思うのですが。シェークスピアはあくまで否定されるべき存在としてリチャード三世を造形したのは事実だけれど、それこそがリチャード三世が悲劇の主体たらしめているのではないのか、と。そのようにしか生きられないことこそ悲劇。
 リチャードは決して己を憐れまない。己が悲劇の主人公であると主張しない。だからこそ彼は悲劇的なのだと思うのだけれど、この演出での描き方は陳腐を通り越して凡庸。リチャードがあまりに軽い。軽過ぎる。けれど、如何に悪辣に見えようと、彼もまた貴人であり、王である筈。だからこそ、リチャードにシェークスピアはあの台詞、「馬!馬!馬をくれた者には我が王国をくれてやる!」という言葉を与えたのではないのか。悪辣であったとしても、卑怯であったとしても、決して逃げず、運命に立ち向かった者故に。

 とか思うんですけどね。全然そういう深みが感じられないのよね、この演出。本がいいから面白いんだけどさ。

 役者はよくやっていたと思います。
 2幕、マーガレットが、ヨーク公夫人とエリザベスと共に怨嗟の声を競う場面こそ、悲劇を感じさせるということなのかも知れませんが、決してそれが悲劇の悲劇たる所以では無いと思うのですね。ちなみに、正直に白状すると、私はこの場面での口を極めたマーガレットの怨嗟を聞きながら、思わず笑みが漏れてしまうのを抑えていました。それほどに小気味良いセリフ回し。
 外題役。もう軽くて軽くて嫌になるほど軽い。勿論役者としては人物造形を練って奥行きを出し、とやっているのだろうけれど、その結果なんて軽いリチャード!その点では役者としてはいいと思うんですが。要するに是皆演出の問題でありまして....
 一方のリッチモンド伯ヘンリーは、まぁ、あれですね。ちょっとした舞台とかでは上手って言われるレベルだとは思いますが、相応の劇を見せて来た各人の後に落下傘的に出て来てしまうと、ちょっとね。


 そうそう。言い忘れたのだけど、音楽がちょっとね。
 音楽は録音したものを使っただけで、如何なる形にせよ生演奏がついていた訳ではないのだけれど、そこで選ばれているのが、ちょっとね...
 音楽の趣味が悪いとは言わない。シューベルトの即興曲、モーツァルトのピアノ・ソナタ、シューマンの子供の情景....割と人口に膾炙している音楽だけに、断片的に使われるにせよ、色がついてしまっていて、「何故にここでこれ?」と考えてしまう五月蝿さがある。
 何より、ボズワースの戦の場面で、バグパイプによるAuld Lang Sein (蛍の光)が流れるのには、もう興醒めを通り越して突っ込み所満載さに失笑しそうに。Auld Lang Sein は、「スコットランド民謡」です。イングランドから見て「外国」です。この時代は。明確に。スコットランドのバグパイパーが居る訳も無い。しかもAuld Lang Seinの形になったのは後世であって....しかも終わりには「庭の千草」、原題「夏の名残りの薔薇」が流れるという.....もう、好きにして.....







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最終更新日  2012年10月06日 22時54分10秒
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