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2013年01月12日
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カテゴリ: クラシック
 すみだトリフォニーホール  14:00〜
 3階正面

 J.シュトラウスII:ウィーンの森の物語
 ヤナーチェク(マッケラス編):「利口な牝狐の物語」組曲
 R.シュトラウス:アルプス交響曲

 新日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮:インゴ・メッツマッハー

 久々の新日定期ですが、ハーディング以降、目に見えて客の質が下がっている気が....
 要するに、コンサートとか、公共の場に出て来る準備の出来ていない人が増えてるわけですね。これは、やれ静かにしろとかそういう類いの話ではない。むしろ、私はクラシック音楽ファンで御座いといった態の者が、そもそもこういう場でどのように振る舞うべきなのか、そういうことが分からないままに、自分の部屋からそのまま来てしまうようなのが増えている気がします。
 つまりは、「コンサートとは他の人が居る場所だ」という認識が無いんでしょうね。
 その影響が本日は最大限に。風邪っぴきがなんでこんなに多いの、というほどにマスクをした連中が。あのですね。マスクしてりゃいいってもんじゃないんです。風邪を引いたら外出は控えて、インフルエンザだろうがそうでなかろうが、菌やらウィルスやらをバラまくような真似はやめろというのですよ。食料の買い出しに、みたいな、生きる上で已むを得ないようなのとは違うんだから。マスクする必要があるくらいなら、家で寝てなさい。まぁ、そんな連中に、勿論社会性を期待する事も出来る訳も無く.....

 やれやれ。

 さて。
 ある意味変なプログラムです。
 最初のJ.シュトラウスは、まぁ、序曲とか何か小品をやるところ、1月だし、ここは一つニューイヤーコンサート気分でも、ってところでしょうね。これはこれでまぁいい。
 2曲目が、ヤナーチェクの「牝狐」組曲。これはまぁある意味マイナーな...
 これが不思議な程ウケが悪い。まぁ、「ハーディング」組にはあまりに馴染みの無い曲なんでしょうかね。ヤナーチェク自体、あまり聞いたことない、って人が多いんでしょうか。
 実際にはこれはなかなか腰の据わった演奏。今日は全般的に弦が落ち着いていて、曲目もあってか、出来の良い演奏でありました。ただ、「牝狐」組曲は、元々曲自体がオペラからの管弦楽のパッチワークみたいな曲で、そういう意味ではちょっと落ち着きどころがはっきりしない曲ではあるので、まぁ呑み込みにくいのではあるでしょうけれど。でも、これは音楽としてはやっぱり面白い。最初の「ウィーンの森の物語」の人懐っこい、でも小洒落た音楽に続いて、モダニズムと田舎臭さとが同居したような音楽、というコントラスト。まぁ、でも、こういう音楽は難し過ぎるんでしょうね。

 じゃあ、どんなのがいいのか、というと、後半のこういう曲なんでしょうね。つまり、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」。
 まぁ、正直言って、凄く下らない音楽だと思います。

 公平に言って、演奏そのものは良かったと言っていいと思います。特に後半は、管も落ち着いて来て、面白い演奏になっていた。それは確かです。だから、確かに、響きの面ではとてもいいものではあったのでしょう。
 でもねぇ。結局、音楽そのものが下らないと思うんですよね。なんでこんなの聞いて楽しいのかしら....

 この際だから言ってしまうのですが、そもそも、R.シュトラウスという人は、確かに音楽としては面白い響きを作る能力には長けていたと思うのですが、創造者として、他人のインスピレーションの助けが必須だった人だと思うのです。
 つまり、オペラの場合、確かにR.シュトラウス自身も関わったとはいえ、台本作家が別に居て、物語がそこにある。だから、どのような音楽にするかは彼の選択であったにせよ、その音楽が示すものは別に作り上げられていた。歌曲の場合、作曲する詞自体は誰かが書いたものだった。
 ところが、彼が得意とした「交響詩」なるものは、皆、彼が題材を選んで、音楽の「中身」を決めたものだけれど、そうなると迷走して行くのですね。このアルプス交響曲にしても、管弦楽法の大家と見なされるだけあって、演奏効果は上がるのだけれど、3分も聞くと飽きて来る。

 分かりやすく言うと、まぁ確かに「描写」は結構なものかも知れないけれど、それなら本物を見た方が早い訳で。最初、「アルプスの威容が姿を現す」なんて言って大音量で鳴り響くけれど、それなら映像を見た方が早い訳です。もっといえば、現物を見た方が早いし、何より飽きない。つまり、言わせて貰えば、「アルプス」なんてのはデカい音出す為の言い訳なんですよね。
 もう一つ。R.シュトラウスの「描写」は、効果は上がるけれど、幼稚、稚拙なんですよね。それがすぐ飽きてしまうもう一つの理由。何が稚拙かというと、R.シュトラウスは「コピー」しているだけなんですね。自然を描写した音楽として、先達にベートーヴェンの「田園」がありますが、これと比べると、「アルプス交響曲」はとてもつまらない。何故かと言うに、「田園」は、「田園」を「田園に訪れた(恐らくは)都市生活者の視点」で描写している。だから、あの曲の冒頭は、田園の情景描写ではなくて、田園を訪れた者の気持ちの高揚をも表現している。第2楽章で、かっこうやらの鳥の鳴き声を模写するけれど、そこには「それを聞く私」の視点も描写されている。
 今日の公演では、カウベルを持ち込んで鳴らしていて、それはそれで立派な努力だと思うし、間違ってないんだけれど、そもそもあそこで本物のカウベルを鳴らすという指示を書いたR.シュトラウスのセンスの無さよ。そこには、見る者の視点は入らない。言ってみれば、テレビで「わぁ、すごいですねー」を連発するレポーターレベルの視点でしかない。だから、まぁ、「現代日本の聴衆」には受けるんでしょうけどね。精々そんなもんだよ。
 実は、去年だったか、ザルツブルクでウィーン・フィルがティーレマンの棒でこの曲をやったのを聞いたのですが(他のが聞きたかったよ。本当に。演目がこれだから聞くしかないんだもの)、その時、カウベルは確か録音でした。勿論、カウベルなんて、その気になればザルツブルクなら周辺で幾らでも手に入りそうなもの。それを録音で?と当時は思ったのだけれど、今にして思えば、そんなものどうでもいいだろ、問題はオケが何聞かせるかなんだから、という事だったのか。ま、分かりませんけどね。

 R.シュトラウスを擁護するならば、それでも、曲が書かれた当時は、これだけの活写をやったというのは、それはそれで意味のあるものだったとは思うのです。でも、現代にあってこれをわざわざ有り難がって聞く意味が全然分かりません。要するに「オケの性能を聞く」?まぁ、それも結構かも知れないけれど、それって物凄く下らない事ではないですかね。それだったら、俺ぁオペラやってくれと思うよ。きちんとした歌手がきちんと歌えば、オケの演奏効果なんか屁の突っ張りにもならないものが生まれるのだから。

 と、随分と乱暴な事を書きましたが、なんでここまで虚仮にするかといえば、いい加減演奏効果でオケを聞くのはやめたらどうかと思うから。下らないですよ、こんな音楽。でも、商売になるから、こういう曲目が入るんでしょうかね。マーラー然り。まぁ、マーラーの方がまだマシだとは思うけど。
 少なくとも、味わいとしては、前半のJ.シュトラウスやヤナーチェクの方が遥かに音楽としての充実度が高かったと思います。それをスルーして、わかるものだけ異様に有り難がる、このおかしさ。
 演奏が悪くないだけに勿体無いんですよ。もっと内容のある曲をやっておくれよ、と思うのでね。






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最終更新日  2013年01月12日 22時21分55秒
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