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子どもが札幌で暮らし始めたのは3年前。この春、また東京に戻ることになった。3月の半ば、荷造りの手伝いのため札幌へ。ここに来るたびに通っていた道は、この日も美しかった。そして、札幌に来ることもしばらくないかもしれないので、定番の観光スポットを足早に巡った。北海道庁旧庁舎時計台そして、大通公園のテレビ塔大通駅から歩いて、夕ごはんも食べた年に何度も札幌に来ることができた3年間、楽しかった。感謝。
May 2, 2026
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琵琶首丁(びわくびちょう)仙台の旧町名「琵琶首丁」は、仙台城から広瀬川を渡ってすぐの所、城下町の中でもお城にかなり近い場所にあった。今は、昭和45年2月の住居表示によって青葉区大手町、花壇、片平一丁目のそれぞれ一部になっている。訪れてみると、市街地から広瀬川に向かって一段低くなった場所に旧琵琶首丁はあった。(かつての琵琶首丁から市街地に向かう上り坂。藤ヶ坂または藤ヶ崎と呼ばれ、仙台七坂のひとつと言われる。坂の上はかつての片平丁(今の五ツ橋通)。坂の左側には藤坂神社が建っている。)藤ヶ坂の上に建つ辻標23番「片平丁/琵琶首丁」は、琵琶首丁を次のように説明している。・琵琶の形に広瀬川で三方が囲まれた地形の北端を琵琶首という。・片平丁から段丘下に下る所が藤ヶ崎である。・琵琶首丁はこの段丘の下を弓なりに大橋東袂に至る。・昔は卸小人と卸職人の町、今は東部が商店街となった。・町の南に藩の花壇があった。(赤い線が琵琶首丁。広瀬川を下に向かって大橋を渡ると仙台城に入る。)道筋で示すと琵琶首丁は赤い線のところだけ。だけど住居表示の旧新対照表をみると、評定河原球場や東北大学の陸上競技場のあたりも琵琶首丁だったとされている。区画が大きかったのか、道がなかったのか、家屋がなかったのか…(評定河原球場。球場北側は一段高くなっていて仙台の市街地が広がる。広瀬川と青葉山が一望できる段丘上にはマンションが立ち並んでいる)(東北大学の陸上競技場はのどかな雰囲気。古木の並木もあって閑静な住宅街となっていた)辻標に書かれている御職人(おしょくにん)とは、仙台市のウェブサイトによれば、藩に召し抱えられた職人とのこと。琵琶首丁には挽き物(ひきもの・ろくろを使って作られる木製品)の職人がいたらしい。藤ヶ崎(藤ヶ坂)の脇に建つ藤坂神社。東北六魂祭というお祭りのウェブサイトが藤坂神社を紹介していた。・青葉区大手町にある『藤坂神社』。・「仙台七坂」の一つに数えられる藤ヶ坂にひっそり佇む藤坂神社は、かつてこの近くにあった絹織物「仙台平(せんだいひら)」の織物工場が織姫を祀っていた神社。・仙台大空襲の戦火を奇跡的に免れた強運の神社でもある。辻標「片平丁/琵琶首丁」。琵琶首丁は左側の藤ヶ坂を下っていく。
April 27, 2026
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1878年(または1879年)に生まれ、1953年に死去したスターリンについて書かれた本。本書のカバーには次のように書かれている。・ロシア帝国の支配下にあったグルジアで靴職人の子に生まれ、社会主義ソ連の最高指導者となったスターリン。・彼はソ連国家をアメリカ合衆国と並ぶ超大国へと導いたが、それは反対者を容赦なく弾圧し国民に多大な犠牲を強いた長い道のりであった。・独ソ戦に勝利した偉大な指導者か、大量抑圧を推進した冷酷非道な独裁者か、スターリンに対する評価は今日も揺れ動く。・本書は、ソ連国家の確立と拡大に重ね合わせて彼の生涯を描き出す。読みながら、かなり不快な気分になった。国家のため、そして自分のために国民があると考える権力者に嫌悪感を覚えた。だけど、これが今の地球上にも存在していることに暗澹たる気持ちになった。自分だけのことを考えれば、共産主義の国に生まれなかったことを幸せと思わなければいけないと痛切に思った。思うに、思想を柱として成立した国家は、最初に理想を掲げてしまっているために、理想が実現できないことを覆い隠すための作業に追われながら道を踏み外していくことが常。革命運動家と自認する人たちが繰り広げる現体制への辛辣な批判は、他者を批判している間は正論に聞こえても、革命や政権交代を成し遂げた後に、言ってきたことを実現できた事例は見当たらない。革命や政権交代達成時には、熱狂的に団結していたとしても、共通の敵が消えた途端、思想の解釈、あるいは当初に掲げた理想と現実のギャップを巡って対立や責任の押し付け合いが起き、内部分裂へと突き進んでしまう。それでも、今も理想の実現に向かっているかのように大衆をだますため、反対派の口を封じ、排斥し、抹殺し、情報を厳しく統制していく。本書によればスターリンも、自分の地位を守るために、ライバルと怖れる人物に対し捏造した批判を展開し、自分の晩年まで逮捕と処刑を繰り返した。大規模な飢饉にあっても、農民が怠けていると筋違いな主張を曲げすに農作物の取り立てを続け、数百万の餓死者を出した。第二次世界大戦では2,700万人の国民が犠牲になった。それでもスターリンを偉大な政治家だと崇める向きもあることが不思議でならない。
April 22, 2026
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2026年4月。今年初めてのプロ野球観戦。低気圧の通過後に流れ込んできた冷気と、鉄道が止まるほどの強風で、この夜の体感気温はほぼ氷点下。じっと座っていたら両膝の関節がガチガチに固まった。一塁側のスタンドに向かって高く上がったボイトの打球は、風に押し戻されてファウルグラウンドで一塁手清宮のミットに収まった。名手であるはずのレフト水谷とセンター五十幡は打球の目測を誤った。前田健太がベンチ裏で治療している間、レフトの中島が風を避けようと外野フェンスにくっついてしゃがみ込んでいたのが可愛らしかった。そんなグラウンド上のあれやこれやを三塁側のテーブルシートから見下ろしていた。寒さに耐えながら。楽天の先発は前田健太。寒さと風の中、彼は半袖だった。昨シーズンまでちょっと広すぎた外野。今年はフェンスが少し前に出ていた。そのうちここも観客席になりそうな気がした。ただ、もともと頑丈なフェンスで視界が遮られていた既存の外野席前列が、さらに見えにくいシートになっているのでは…と気になった。夕方の空を眺めていると、ドーム球場が羨ましいと思う気持ちがしばし紛れる。三塁側のカウンターシートの上に、テーブルシートのゾーンが広がっている。簡易なテーブルと両脇のひじ掛けがありがたい。芝生の緑は今年も変わらずに鮮やかだった。それにしても…寒かった。
April 17, 2026
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著者は1989年にエクアドルで生まれ、4歳から不法移民としてアメリカで暮らしてきた。2011年にハーバード大学を卒業。2016年に不法移民排除を叫ぶトランプが大統領になったことをきっかけに本書の執筆を決意。たくさんの不法移民たちへの聴き取りを重ねた。【感想】「不法」という言葉から、不法移民には犯罪者のイメージがつきまとう。理屈では、不法に入国しているのだから犯罪者には違いない。だけど、中南米からの不法移民たちの多くは、地方から上京する多くの日本人たちと、さして違わない感覚でアメリカに向かっているように思えた。田舎にはろくな仕事がないから仕方なくアメリカへ。家族を養うために泣く泣く出稼ぎに。大都会で夢を追いたい。名を馳せたい。大金持ちになりたい。その他諸々…生命の危険から逃れるために国境を越える人も少なくないのだろうが、本書を読む限り「俺も行く、私も行く」みたいな流れで既にアメリカにいる家族や知人を頼って国境を越えている感覚が伝わってくる。しかし、アメリカに来た後の彼らはどうか。彼らの多くは身分証明書も持たず、移民当局に見つかる恐れを常に抱きながら、日雇い、あるいは日雇いに近い立場で安い労働力となり、都合良く使い捨てられている。読みながら、「不法移民の問題の根本はいったいどこにあるのだろうか…」とあれこれあれこれ考えてしまった。・手続きを経ずにアメリカに勝手に入った不法移民を取り締まるだけで事は解決するのか。国内ではまともに稼げないような中南米諸国の現状が課題なのではないのか。強制的に戻されてもまた危険を覚悟でアメリカに戻って来ざるを得ないのではないのか。・中南米諸国が貧しいのはその国の政権能力だけの問題なのか。アメリカなど大国が搾取し続けた結果としての貧しさなのではないか。・一部の国がある時から反米に転じた理由は何なのか。反米政権を武力で潰せばその国と国民は豊かになるのか。おそらく…「貧しい国や有色人種がどうなろうと知ったことではない。欲しいものは力ずくで取り上げる。いらないもの、気にくわないものは徹底的に潰す。」これが今のトランプ政権の答だと思う。「盛者必衰」という言葉も彼らの辞書にはないに違いない。ただ、かつてのアメリカの市井には「今、たまたま豊かな国に生きている自分たちが、たまたまそうではない国の人たちに手を差し伸べるのは当たり前のこと」と話す人たちがたくさんいた。何かの有名な決まり文句なのか?と思うくらい何度も聞いた。この言葉が今もアメリカ社会で聞かれていることを願う。
April 12, 2026
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3月に札幌に行くことになり、路面の雪の様子が気になった。大きなスーツケースで行っても大丈夫なものだろうか、と。そして3月半ば、現地からは「キャリーケースはお勧めしない」と言われつつも、荷物の量的にやむを得ず、雪道で小さな車輪が回らなくなることも多少覚悟しながら、そうは言っても、道路から雪が消えていることを強く願い、札幌に向かった。幸い、道路の雪はほぼ消えていた。重いスーツケースを持ち上げて歩くことはなく、ホッとした。住宅地は雪で道幅が狭くなってはいたが、交通量が少ないので問題なく歩けた。幹線道路は車道も歩道も除雪されていてどちらも問題なかった。一部、ビル陰の歩道にはビチャビチャの雪がのこっていた。夜も滑ることなく歩けた。街なかの通りにはほぼ雪はなく、それでも大通公園には雪がまだ残っていた。冬の間はベンチが撤去されていて、人通りも少なかった。2026年の3月はこんな感じだった。
April 7, 2026
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ナワリヌイは2020年に航空機内で毒殺されかかり、治療のため移送されたドイツで奇跡的に回復。その後、仲間の反対を押し切ってロシアに帰国したところを逮捕、収監された。この本はその頃に執筆され、2021年に出版されている。ナワリヌイ氏は2024年にロシアの刑務所で死亡した。出版から5年。ほんの少し前まで民主主義国家のリーダー的存在だったアメリカが、大統領の誤選によって音を立てて崩壊し、その惨状を世界は目の当たりにしている。今のアメリカ政権が目指しているであろう独裁政権の大先輩、ロシアについて、ナワリヌイを論じる視点から見てみようと思った。3人の共著によるこの本は、クレムリンの政治を100%の悪とは決めつけず、比較的冷静にプーチンとその政権を評価していた。プーチンは国民を力だけで押さえつけているわけではない、とも書いている。多くの国民にとって、ロシア=プーチンであり、プーチンへの国民の信頼は厚い、と。もしかするとロシアは、時代劇で描かれる江戸時代の日本に似てるのかもしれない、と感じた。城に暮らす殿様と庶民の間には比較にならないくらいの貧富の差がある。そして殿様に忠誠を尽くす役人たちは常に刀を携え、しばしば問答無用で庶民を引っ立て、あるいは斬り殺す。さらに、殿様の庇護のもと特権的な商売で大儲けしている商人もいる。それでも、それ以外の世の中の情報を見聞きしていない庶民は、そういうものだと思って日々を生きている。食い扶持以外は年貢として吸い上げられながらも、来る日も来る日も空模様を気にしながら今年の豊作を願い、農作業に勤しんでいる。ロシアは昔も今もそういう国なのかもしれないと、この本を読んで感じた。政府にとって都合の良い情報しか民には与えず、かつ、少なくとも最低限の暮らしはできるようにしておけば、大半の国民はそれが楽だと感じて飼いならされてしまうのかもしれない。だけどアメリカはそういう国にはきっとならないとも思った。なぜならアメリカの民衆の成り立ちがロシアのそれとは大きく違っているように思えるから。そうであることを願っている。
April 2, 2026
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久しぶりにプロペラ機に乗った。機種は、デ・ハビランド・カナダ Dash 8-400(旧ボンバルディアQ400)。機内の中ほどのシートに座ると、大きなエンジンが窓からの視界をふさいでいた。「がっかり…」とその時は思ったけど、一旦動き始めるとプロベラの動きも車輪の動きも間近に見えて、楽しいと言うか貴重と言うか、面白い座席だった。機内のシートからはこの機体が長年使われていることが感じられた。この機種に乗ったのはおそらく初めてだと思う。2024年7月のANAのプレスリリースによれば、中古の機体を新たに購入しているらしい。今は製造されていないけど、性能的にもサイズ的にも、もう少し揃えたい機体、ということだろうか。(以下、プレスリリース)「ANAホールディングス株式会社(代表取締役社長:芝田浩二、以下「ANAHD」)は、DHC-8-400型機を新たに7機増機することを決定しました。今回購入の機材は、De Havilland Canada社の責任下で整備・改修が実施された後に当社に引き渡されるメーカー認定中古機であり、新造機と同様に一定期間のメーカー保証が付与されることが特徴です。これらの機材は無事故機で、導入後も10年以上の長期にわたり使用可能な機材です。また、ANA在来機と同仕様に改修して納品されることで、導入後も既存の整備システムで確実な安全管理が可能となります。優れた燃費性能、低い環境負荷を兼ね備えるDHC-8-400型機は、2003年11月1日に初就航して以来、長年にわたりANAグループの国内線の運航を支えている機材です。既存機の今後の機材更新を見据え、2025年以降順次導入することで、長期的視点での運航体制の構築を図り、ANAグループ全体でお客様の利便性の向上を目指してまいります。」
March 28, 2026
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仙台のかつての町名「袋町」(ふくろまち)は、昭和45年2月に行われた住居表示で住所からは消え、今は仙台市青葉区一番町一丁目と青葉区片平二丁目のそれぞれ一部になっている。(「狐小路」を突き当たりに、かつての袋町の通りが東西に横切っている。奥の木立は東北大学の片平キャンパス)辻標72番「太夫小路/袋町」は袋町を次のように紹介している。・柳町西端と片平丁の間の町。・本荒町と狐小路がこの地で行き詰まり、袋小路となっているためこの名があると伝える。・兵具方職人の町で、侍屋敷と同じく屋敷奉行の支配下にあった。・貞享2年(1685)片平丁東南に弓道場が設けられると、三十三間堂横丁と称された。辻標72番は「本荒町(俗称:太夫小路)」と袋町が接続する場所に立っていた。ここから袋町を東(写真奥方向)に進むと旧奥州街道沿いの「柳町」そして「柳町通」へと続く。「柳町」のT字路。ここで奥州街道は直角に折れ、写真右側の道を北(国分町方面)へ向かう。ここで曲がらずに西(写真左側の道)へ進むと袋町に入る。かつての袋町の南側はすべて東北大学片平キャンパス。雰囲気のある建物が建っていた。
March 23, 2026
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原題は「Chaos Kings」。2023年に出版され、日本語版は月谷真紀氏の訳により2024年8月に発行されている。【感想】分厚くて、投資の専門用語が多用されていて、読みにくい本かな…と思ったけど、読み始めてみると面白い本だった。中国の武漢から広まったコロナ禍のこと、大統領選の負けを認めようとしないドナルド・トランプに煽られた支持者の群衆が議会を襲撃した時のこと、ロシアによるウクライナ侵攻のこと、イーロン・マスクがテスラの電気自動車で巨万の富を築いたこと等々、記憶に新しい、というより、ほぼ「今」のことが書かれている。だけどそれぞれ日本の報道で慣れ親しんだものとは少しずつ違う書きぶりになっていて、それも面白かった。タイトルの通り、本書に登場するヘッジファンド創業者は、リーマン・ショックなど大半の投資家が全ての資産を失うような株価暴落時に、逆に大金が流れ込んでくる投資戦略を練り上げ、実際に彼に資産を託した投資家たちは大きな利益を上げた。資産運用のプロたちから批判されながらも、彼は株式市場の崩壊は予測できないとの信念で動き続けた。平時には少し損をし続け、崩壊時に大きく儲かる商品を投資のポートフォリオに組み込んだ。市場崩壊時に儲かる“保険”を組み込めば、それ以外の投資はリスク高めに設定でき、その結果、投資家は平時でも混乱時でも利益を上げることができた。市場の崩壊に備える数式は、地球環境の崩壊への備えにも役立てられるに違いない、とヘッジファンド創業者は考え、実際に環境活動家となっていく。なんだか話を単純化しすぎたせいか、あるいは次から次に登場してくる天才たちに僕の理解が追いつかないせいか、明らかにイマイチな要約になっているけど、投資の話から地球温暖化問題へと、ストーリーは大きく振れる。文中、福島原発事故で死んだ人がいないのに報道が原発の危険性を煽り過ぎた。その結果、火力発電への回帰が生じ、大量の二酸化炭素がばら撒かれた、みたいな記述があり、そこには思い切り引っ掛かった。避難先での慣れない暮らしによる災害関連死を絶対に無視しないでほしい。福島の浜通りの惨状を見れば、報道が煽り過ぎてる、とは決して言えないと確信する。ただ、その引っ掛かりを差し引いても、自分と同時代でありながら別世界を描いてくれたこの本は読み応えがあり、やはり面白かった。【主な登場人物】ビル・アックマン(アメリカ有数のヘッジファンド創業者。武漢での新型コロナ感染が世界規模のパンデミックに拡大することを真っ先に予見)/マーク・スピッツナーゲル(市場の混乱で利益を上げる戦略を取るヘッジファンドの創業者)/ナシーム・タレブ(ブラック・スワン提唱者)/ブランドン・ヤーキン(スピッツナーゲルらの注文を引受けるブローカー)/ディディエ・ソネット(株式市場の予言者。ドラゴンキングを提唱)/ルパート・リード(環境活動家。予防原則でタレブとつながる)/ヤニール・バーヤム(ニューイングランド複雑系研究所創設者)/ロバート・リッターマン(ゴールドマン・サックスOB。地球温暖化に対し活動)/マルクス・シュマールバハ(保険会社経営者)/サム・バンクマン=フリード(暗号資産取引所CEO)
March 18, 2026
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ピーター・ドラッカー。いろんな人がドラッカーの言葉を引いて喋っているから名前だけはよく聞くけど、実のところよく知らない人。今回、ドラッカー本人が書いた本を読んでみた。【目次より】1.失われた世界(フロイトの錯誤とその壮大な試み、他)2.ヨーロッパの人々(キッシンジャーをつくった男クレイマー、他)3.アメリカの日々(お人好しの時代のアメリカ、他)【感想】読んでみると、この本はドラッカーの自伝ではなかった。ドラッカーが出会った人たちのことを、ドラッカー独自の視点から綴った本だった。フロイトやキッシンジャー、企業で言えばゼネラルモーターズなど、誰もが知っているであろう名前が出てくる一方、私が知らない人についてもかなり詳しく書かれていた。ドラッカー自身のことは書いていないものの、読み進んでいくうちに彼の人となりが少しずつ浮かび上がってくるような気がしたのが面白く、こういう仕掛けの本は初めて読んだ気がした。淡々とした語り口の文章の中で、ドラッカーが時折「こうあるべきだ」と断言しているところにも興味をひかれた。例えば、外交のリーダーに求められるものは何か、との問いに対しドラッカーは、才能豊かな大政治家ではない、とまず断言する。そして、凡庸でも誠実で真摯であることが求められている、と言い切っている。そんなふうに考えたことはなかったけど、言われてみればその通りかもしれない…。そんな思いに繰り返しなった。分類すればこの本は随筆になると思う。そうだとすれば、ものすごく勉強になる随筆だ、と感じた。
March 13, 2026
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ネクスト・クエスチョン?ホワイトハウスの報道官が記者会見中に発しているのがこの言葉。とりわけ、答えたくない質問に型通りの答えを返した後、さらなるツッコミを避けるための言葉として使われている。この本は、第一期トランプ政権で報道官を務めたステファニー・グリシャムによる回顧録。トランプ政権の内情が余りにも赤裸々に描かれていて、読みながら「彼女は今無事だろうか」と心配になった。三顧の礼でトランプに迎えられた政権幹部が、あっという間に、そして次々とトランプに嫌われ、また別の人物が三顧の礼で迎えられる。これがトランプ政権の日常。政権スタッフにとっては、“粛清”を逃れて生き延びることが最大の目標となり、国家のためではなくトランプに忠誠を尽くすことが求められる日々に耐えていた。足の引っ張り合いも日常茶飯事。自分もその一員であったことが、後悔とともに綴られている。なんと酷い政権だったのだろう、と思う。この本は、トランプがバイデンに敗れ、再選を阻まれたところで終わっているが、4年後、トランプは再び大統領となった。そしてまた、トランプは真偽不明な自画自賛を続け、独裁者のように振る舞っている。どうしてこんなことに…。もううんざりだ、と思う。
March 8, 2026
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2026年現在、二度目のトランプ政権で副大統領を務めているJ.D.ヴァンスが30歳くらいの頃に書いた本。自身の生い立ちをこの一冊にまとめている。出版は2016年。2025年3月、プーチンによるウクライナ侵攻を食い止めるべく、大国アメリカを頼ってホワイトハウスを訪ねたウクライナのゼレンスキー大統領を、ヴァンスは罵った。「一度でも(米国への)感謝を口にしたことがあるか」等々。その映像を見て、トランプの番犬のように振る舞うヴァンスに極度の嫌悪感を覚え、怒りを通り越して吐き気を催した自分には、最近までこの本を読むという選択肢はなかった。だけど今回、思い切って読んでみた。この男の脳みその中を見てみたかったのだと思う。読んでみて、正直に言って、ヴァンスに対する見方が変わった。かなり大きく。ヴァンスはきっと、子供時代に次々と入れ替わった何人もの「父親」と上手に付き合わざるを得なかったことによって、トランプのような人間とも難なく付き合える類い希な才能を身につけたのだと思う。ヴァンスはきっと、法律よりも暴力によって家族を守ってきた祖父母に長く育てられ、日常的に乱暴な愛憎表現に囲まれてきた出自によって、今もなお、暴力的で粗野な空間に自分の本来の居場所を感じているのだと思う。トランプ政権の言動には白人優越主義が透けて見えている一方で、ヴァンスは、ラストベルトの白人たちが貧困と犯罪と薬物から抜け出せない大きな理由は、彼らの自業自得だ、との趣旨を繰り返し述べている。このことは特に興味深かった。そして共感した。ヴァンスの本心は、トランプの考えとは別のところにあるのだろうと思う。嫌な言い方をすれば、トランプを利用している、踏み台にしている、という見方もできる。だから、仮にヴァンスがトランプの後を継ぐ大統領になった場合、トランプとは大きく路線が変わることもあり得ると感じた。まともな政権になる可能性もあると感じた。ただ、その場合の懸念は、やはりヴァンスが、感情をコントロールできない家族の中で育ち、彼自身が認めるとおり、ヴァンス自身にも感情が爆発する気質があることだと思う。自分の感情がコントロールできない大国のリーダーは危険すぎる。
March 3, 2026
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「トランプを生み出した思想家たち」をサブタイトルとすることには迷いがあった、と著者はあとがきで述べている。むしろ、彼らはトランプが大統領になったことで表舞台に登場した思想家たちではないのか。つまり「トランプが生み出した思想家たち」ではないのだろうか、と。著者はさらに、彼らに思想と言えるものがあるのかどうかも怪しい。単なる妄想や思いつきに過ぎないと言われたら否定できない、といった趣旨も述べている。この本が紹介する「思想家たち」の多くは、ヨーロッパの国々が世界各地を植民地としていた時代を、本来あるべき姿と信じ、白人と非白人が共生の関係にはないことを、今、非白人たちに思い知らせておかないと取り返しがつかなくなる、と訴えているように感じた。非白人が移民として欧米に流入を続ける結果として、やがて白人が少数派に転じてしまうことを彼らは酷く怖れている。伝統的に白人が支配してきた欧米を異人種が移民という手法で乗っ取ろうとしていると信じ込み、そのことに民主党支持者を含む脇の甘いリベラリストたちは気づくべきだ、と主張している。そして彼らが担ぐ神輿のうえで、今、トランプは非白人の排斥に熱中しているように見える。ベネズエラの石油利権を武力で奪取するなど、白人の利益のためには手段を選ばない姿勢も見える。暗澹たる気持ちで読み進む中で、ある一文に目が釘付けになった。少し前までアメリカ政治の保守本流にいながら、今は反トランプの立ち位置故に右翼の片隅に追いやられているデヴィッド・フレンチが記した一文。「他の人間を尊敬の念をもって扱いつつ根本的な自由を求めて戦うことが弱さのあらわれであるとみなされる奇妙な時代に我々は生きている。他人を侮辱することにかけては最高峰であるトランプのなかに、基本的なまっとうさを軽視するという現下の事態のあらわれを見出さざるを得ない。ごみのように他人を扱うことは、より良いアメリカに至る道だろうか。」National Reviewから原文も引用する。We live in a strange time when fighting for fundamental liberties while treating other human beings respectfully is seen as a sign of weakness. One can’t help but see the outlines of a case for Trump, the insulter-in-chief, in the disdain for basic decency. Is treating other people like garbage the way to a better America?(David French, "Decency Is No Barrier to Justice or the Common Good")まさにこれが言いたかった、と思った。敬意と礼節、思いやり、そして愛。今、これを言うと嘲笑され、負け組の落胤を押される。そんな風潮が日本の政治家の一部にも見える。人類から優しさが消え去らないことをひたすら願う。
February 26, 2026
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藩政時代の町名、二日町(ふつかまち)は、昭和45年の住居表示で町の範囲がわずかに変わったものの、今もほぼ同じ場所で住所(仙台市青葉区二日町)として使われている。二日町の南側には仙台の歓楽街「国分町」があり、二日町の中心を通るかつての奥州街道も、今は「国分町通り」と呼ばれている。けれど、国分町から定禅寺通を渡った先にある二日町に歓楽街の雰囲気は感じられず、銀行の支店やオフィスビル、そして小さな飲食店や割と新しいマンションなどが並んでいた。歓楽街の雰囲気同様、二日町の街並みに藩政時代の名残も感じられなかったが、江戸時代には、立町、二日町、新伝馬町とともに米穀売買の特権が与えられ、「四穀町」と呼ばれていたらしい。(仙台市ウェブサイト「奥州街道を歩く」より)一つだけ、通り沿いに古い蔵を見つけた。今は国分町三丁目になっているこの場所は、かつての二日町。早速、蔵の周りをうろうろしてみたが表示なども見当たらなかったので、スマホで探してみた。すると、建物を所有している志ら梅ビルのウェブサイトに詳しい説明があった。(以下、同社ウェブサイトより)建物の名前:秋保石 石蔵(旧・吉岡酒造店) 【大正三年建造】※(令和7年8月現在)一時的に賃貸を中止。(東日本大震災の被害で内壁の漆喰が浮き上がったため。)■建物の特徴旧奥州街道の往時の賑わいを記憶する石蔵。旧・吉岡(屋)酒造店の敷地内に大正期に建造された数棟のうち最後の一棟。当時流行した自然石である地場・仙台市太白区秋保産の凝灰岩「秋保石」を積み上げている。デザインは大正モダンの和洋折衷様式で、北面ファサードに重厚なアーチと角型の2つの開口部を並べている。開口部屋根の軒支えと雨樋受けの鉄製金具に、同店銘柄「清酒志ら梅」の梅の花弁の輪郭を象った意匠が看て取れる。昭和20年の仙台大空襲では焼夷弾が瓦屋根を突き抜け内部の収蔵品すべてを灰燼に帰した。酒造時代には「志ら梅醸造場」用の米蔵、小売時代には商品倉庫として利用された。小売店舗は平成22年10月を以て閉店した。 (以上、同社ウェブサイトより)説明によると空襲の前からこの蔵はこの場所にあったとのこと。そして「旧奥州街道の往時の賑わいを記憶する石蔵」とも書かれている。戦後、仙台の中心部では大規模に区画整理が行われ、青葉通りなど広い道路もつくられたが、焼失する前の街の形にはできるだけの配慮をしたのかもしれない。もうひとつ、仙台市役所二日町分庁舎前に、市教育委員会が立てた看板があり、この場所に「仙台藩町奉行所」があったことを説明していた。(ただしここは藩政時代には二日町ではなく西隣の町にあたる。)以下説明。仙台城下の町人町(ちょうにんまち)の行政全般を預かる町奉行は、城下町建設期より置かれ、当初は地域割りごとに奉行がいましたが、2人の奉行の月番(つきばん)制となりました。恒常的な施設としての「町奉行所」は設けられず、町奉行を務める藩士の屋敷で事務を行う役宅(やくたく)制が採られていたましたが、嘉永(かえい)年間(1848~55)以降は、仙台城下を南と北に分けてそれぞれに町奉行所が設置されたといいます。仙台市二日町分庁舎前には北の町奉行所が、仙台国際ホテル・SS30前には南の町奉行所がありました。
February 21, 2026
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2024年11月の大統領選挙で、共和党のトランプが民主党のハリスに勝って再び大統領になった。その時の選挙戦を日経新聞の記者たちが全米各地で取材を重ね、リアルタイムで報道した。後日、その時の記事を加筆・再構成し一冊にまとめたものがこの本。選挙当時も今も、自分にはアメリカの人たちがなぜトランプを選んだのかが理解できず、この本を手に取った。過去の大統領選挙を見ていても、アメリカ国民は変化を求める傾向が強く「Change!」が大好き。つまり現職に厳しいとは感じていた。そして、現職の大統領や相手候補を悪意のあるテレビCM(今回はSNSも)で貶める手法は今回に限らずアメリカの大統領選挙では各陣営の常套手段として毎回繰り返されてきた。では、今回の大統領選挙はこれまでと何が違ったのか。言えることは、バイデンもトランプもどちらも大統領経験者であったこと。そして、両者ともに国民の評価が高いとは言えない大統領であったこと。本書によれば、才能豊かなアメリカ社会において、大統領候補がなぜこの2人なのか。もっと若い候補者はいなかったのか。選挙期間中、アメリカ国内のあちこちでこんな声が聞かれた。正直言って、どちらにも投票したくない。そんな国民の思いも伝わってきた。鼻をつまんでトランプに入れる、と苦渋の選択を口にする人もいた。勝手にまとめると、民主党が勝てるはずの選挙をみすみす落とした。共和党やトランプに負けたのではなく自滅した。そういう選挙だったのではないか、と感じた。だけど、どんな経緯があろうと選ばれてしまえば大統領には絶大な権限が手に入る。残り3年の任期中に世界が荒廃しないこと、滅びてしまわないことを祈っている。
February 16, 2026
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この小さな本一冊に野村克也監督の野球理論がぎっしりと詰まっていて、読みながら頭がパンパンになった。おそらく、プロ野球選手の大半は小さな頃から投げる、打つが周りの子供たちよりも飛び抜けて上手で、打っては四番、投げてはエースだった人たちだと思う。向かうところ敵なしの体育会系。それだけに、例えアマチュア時代にある程度のずる賢さは身に付けていたとしても、プロに入って叩き込まれる野村理論に付いていけない選手たち、何を言われているのか頭に入らない選手たちは少なからずいたのではないか。そんな気がした。自分も一球一球、一挙手一投足に意味があると言われながら、自分としてもそれを意識しながら野球をやっていたつもりだけれど、この本を読んでみると野村ノートの入り口にも立っていなかった気がするし、実際そうだった。翻って考えると、自分が所属していた学生野球リーグ全体がここまで考えながら野球をするレベルではなかったようにも思う。これも実際そうだった。自分たちがやっていたことは、まさに打ち損じと投げ損ないの勝負だった。どうやって打ち取るか、どうやって攻略するかの勝負をしてるつもりではいたけど、裏付けとなるデータは貧弱だった。子どもに戻れるのなら今度は野村の教えを頭に入れて、もう一度イチから野球をやってみたい。そう思った。
February 11, 2026
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トランプ政権1期目の2016年から2021年の中頃にかけて、長年ワシントン・ポストで記者を勤めた著者が、アメリカの地方都市に暮らす人たちの姿を追った。正しく生きていればやがて報われると信じ、それを地道に実践してきた退役軍人のブレントは、イラク駐留当時に拠り所としていたアメリカの正義が見つけられなくなっている。常に誰かを罵り、強欲の限りを尽くして生きてきたトランプ、誠実な生き方とは程遠いトランプのような人間が、アメリカ大統領という栄誉ある地位を得ていることがブレントにはどうしても受け入れられない。一方、ブレントの隣人マイケルは、トランプが言い立てる根拠不明な民主党攻撃を真実と信じ、トランプに期待し、心酔している。デタラメを言っているのはトランプではなくマスコミだ。我々はかつて暴虐非道なイギリスと戦ってアメリカ独立を手にした。民主党はあのイギリスと同じように我々から銃を取り上げようとしている。トランプがひどいことを言ったところなど見たことがない…まったく噛み合わない会話。議論にすらならないまま、小さな地方都市でも分断が進んでいくアメリカの姿が淡々と描かれていた。国民の分断と対立を煽り続けるトランプは、最終的に何がしたいのだろう。自分に異を唱えない人間、とりわけ白人に囲まれて、常に誰かを吊るし上げることで身内の結束を固め、お金だけはうなるほどあるような国を作りたいのだろうか。そんな国に住みたい人はいるのだろうか。家族の問題やイラク駐留当時の記憶など、話が様々飛ぶので読んでいてストーリーがつかみづらいところはあった。ただ、それよりも今は、このような本が自由に出版され、誰でも自由に読める世の中であり続けてほしいと強く思った。
February 6, 2026
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「すべての野球ファンと、トップ選手を目指す野球選手に向けて」往年の名投手、そして名監督の工藤公康さんが書いた野球の本。野球を本気でやりたい人がやるべきこと、考えるべきことがたくさん書かれていた。工藤さん自ら、あとがきの中で「野球ファンへのメッセージより、野球を志す若者や…コーチをしている方へのメッセージが多くなってしまいました」と"反省”しているけれど、読んでいて確かに「野球を志す若者にとっても少し難しい内容かもしれない」と感じるくらい、彼の野球への情熱があふれていた。野球が飛び抜けて上手、というだけで通用するのはプロ入りまで。プロ野球選手として成績を残すためには上手いだけではダメで上手くなるための努力が必要。そして、ケガをせずに長く選手を続けるためは上手くなるための努力だけでは足りない。ではどうするか、について技術的なことも心構え的なことも書いてあって、野球が好きで長くやっていただけの自分には理解が追いつかない部分も少なくなかった。例えば…(カーブについて)・僕(工藤公康)は…親指を前に出すように投げていた。前田健太くんは…小指から親指を前に出すようなイメージで投げているそうだ。(投球フォームについて)・藤川球児くんは…振りかぶってからボールをリリースするまでの時間が長い。…徐々に筋出力を大きくしていくことが可能なため筋肉への負担が少なくて済む。・成瀬善久投手は…腕を体の近くに置いておくことで距離を作り、加速時間を長くしている。・右投手なら左股関節から左肩までが「中心軸」で、左肘が「力点」、右手指先が「作用点」となる。などなど、すぐにはビジュアルが浮かばず、しばし考え込むような表現が最初の30ページくらいを読み進む間にも次々と出てきた。「野球をやっていた」と一丁前に言えるようになるためにはまだまだ学ぶことがたくさんあるし、もう身体は思うように動かないけど、できればもう少し野球を知りたいと思った。
February 1, 2026
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2026年の年明け早々、ベネズエラは米軍に急襲され、大統領夫妻が捕捉された。トランプ政権はベネズエラの石油利権奪還を今回の成果として強調している。本書には2019年頃にコロンビアからベネズエラ国内に入った著者の見聞が綴られている。豊かな石油資源の発見が、度々国内の混乱を引き起こしてきたベネズエラの歴史的な経緯はさておき、ベネズエラでは今、国民の多くが貧困に喘ぎ、経済状況と社会情勢の悪化から、国民の3分の1が国外に流出していると言われている。マスコミが報道するほどベネズエラ国内の様子は酷くはない、と著者は書いているが、報道されているベネズエラとこの本が伝えるベネズエラに大きな乖離はないように感じた。そして、この本にもある通り、たくさんの人たちが国外に脱出し、その多くがアメリカに渡り、そしてその一握りが経済的自立を果たし、その姿を追いかけるようにさらに多くの人たちがアメリカを目指してきた。アメリカを目指す目的は、生きるため。独裁政権の横暴から逃れるため。そしてベネズエラに残る家族に送金するため。だけど今、アメリカは従来の政策から一転、移民を厳しく排除する政策に転じている。流入される側としては「国家が必要としない外国人の入国は認めない。国内にいる不法在留外国人は追い払う」で済むのだろうが、世界規模で考えると、それは解決策になっていない。たまたま豊かな国に暮らしている人々が、たまたまそうではない国に産まれた人たちの苦難に様々なレベルで手を差し伸べる。それが世界中にルーツを持つ移民国家アメリカの基本的な立ち位置だとずっと思っていたけど今のアメリカ政府の考え方は違う。「蜘蛛の糸」の物語のように、後に続く人たちを叩き落として自分の繁栄だけを守ることが現政権の方針になっている。ベネズエラの人たちに限らず、生まれ育った国に住み続けられること、アメリカに行かなくても普通に生きられるような国になることが一番だとは思う。慣れない土地で暮らすことはどんな事情であれ不自由だから。中南米で貧困に苦しむ人たちは、生き延びるために次にどんな方法を見つけるのだろう。
January 27, 2026
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仙台藩の城下町の町名、舟丁(ふなちょう)は戦後の住居表示の影響を受けることなく、今も若林区舟丁が住所になっている。だけど現地に行ってみると、舟丁のかなりの部分は近頃完成した広い都市計画道路の下に沈んでいた。辻標64番「堰場(どうば)/舟丁」は、舟丁を次の通り紹介している。・御舟衆(船乗)が居住したことにその名が由来する。・城下外であった頃から水運を利した交通の要地で、広瀬川・名取川を通じて河口の閖上(ゆりあげ)から米・材木などが当地まで運ばれていた。・また対岸長町方面への連絡は、河原町の長町渡ができる以前は、当町南と根岸村を結ぶ宮沢渡が利用され、城下に入る玄関口でもあった。(堰場/舟丁の辻標)辻標の近くにはかつての舟丁と思われる細い通りがあった。正面奥に都市計画道路が見えた。(細い道の先に都市計画道路が見えた)そして辻標の南側には広瀬川が流れていて、このあたりに舟丁と対岸の根岸村をつなぐ「宮沢渡」があったのだと思う。江戸から来た人が皆ここで川を渡り、仙台城下に入っていく様子をしばし想像してみた。(宮沢橋と広瀬川)仙台市HP「町名に見る城下町」は舟丁を次の通り紹介している。・東は南材木町、西は石名坂と堰場に接する町。・水運の仕事をした足軽の舟衆が住んだことからこの名がつけられた。・仙台開府の頃は、宮沢渡戸で広瀬川を渡り舟丁に出るのが奥州街道の道筋で、城下への玄関口だった。・この道筋は、河原町が栄え長町渡戸ができるまで利用された。・また、当時は名取川河口から広瀬川をさかのぼって船で城下へ米や材木などが運ばれた。・舟丁は船着場としての役割をにない物流の要衝の町として栄えた。・昭和9年、南北に長い舟丁を仙台市電の軌道が走る都市計画路線が貫いた。・この大道にさえぎられかつての舟丁の姿を実感するのは難しいが、南はしの高柳病院の前から北を見ると、長い道筋が見えてくる。・北には静かな住宅地が連なる。国道となったこの大道の地下には、地下鉄河原町駅がつくられたこの赤い線が、舟丁の通りだったと思われる。
January 22, 2026
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2016年のアメリカ大統領選挙を民主党の大統領候補として戦ったヒラリー・クリントン。この選挙で何があったのか、彼女は何を思っていたのかをヒラリー自身の言葉で綴った本。当時、選挙期間中のどの場面を切り取ってもヒラリー候補の方がまともに見えた。さらに言えば、共和党の大統領候補がドナルド・トランプであることが余りにも謎で、これほどまでに品性も品格も知性も感じられない人間が大統領選挙の場にいることが不思議でならなかった。どうしちゃったの?アメリカ、という思いだった。そしてこの選挙以降、日本の選挙でも有権者の投票行動が思慮に欠ける、無責任なものになってきたように思う。練り上げられた政策や、世の中全体に最適な政策を訴えても「優等生」とか「意識高い系」と嘲笑われ選挙には勝てない風潮が強まっている。国民に尽くす気持ちがなくても、そして鼻先にニンジンをぶら下げるような国民を舐めきった公約を掲げても、資金があり、エンターテイメント性に長けていれば票が集まる空気感も強い。この本は、当時のロシアの動きにも少なからず紙幅を割いている。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が3年にも及んでいる今、そして戦争終結への仲介でノーベル平和賞獲りを目論むトランプ大統領が奇妙にロシア寄りの姿勢を見せている今、この本を読むと腑に落ちることも多い。絶望と不安の中に、微かな光を探す思いでこの本を読んだ。
January 17, 2026
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警察署の取調室での心理戦が延々と続く映画「爆弾」。固唾を飲んで、そして食い入るようにスクリーン上の言葉の応酬を見つめ続けた。この映画を観たのは2025年の暮れ。2025年は、日本で暮らすアジア人を見下そうと躍起になる、かつての日本に蔓延していた悪癖が一部の政治団体や活動家、そして収益目的と思われるSNS投稿者たちの扇動によってぶり返した1年だった。島国に暮らしている僕たちはどうしても井の中の蛙になりがち。それはわかっていても、日本人が優生種であるかのように思い込み、世直しを気取って人間を勝手に分類し蔑み傷つける様は、恥ずかしく、情けなくてがっかりする。彼らが真似しているであろうアメリカファーストに限らず、ロシア、中国、イスラエルなど世界中で為政者の偏狭な振る舞いが目に付き、人間という生き物に愛想を尽かす場面が多い一年でもあった。それがあってか、僕にはこの映画が人間の醜さを残酷なまでに暴き出そうとしているものに思えた。「自分は善良だと思っているお前。お前が考えていることは本当に正しいのか」と問われ続けているような、心の深いところを露わにされるような、そんな映画だった。
January 12, 2026
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近鉄〜楽天〜シアトル・マリナーズで活躍し、しなやかな投球フォームから糸を引くようなストレートを投げていた印象のある岩隈久志投手が、彼自身のピッチングについて書いた本をみつけた。少ない球数で、ストライクゾーンにどんどん投げ込みながら、凡打の山を築いていく。そんなイメージが岩隈投手にはあった。投球フォームには威圧感はなく、感情を露わに投げるタイプでもないのになぜかバッターたちは次々と凡退していく。なぜだろう…ずっと不思議に感じていたことを、この本を通じて知りたいと思った。読み終えた時、技術的なことよりも先に「野球はこういうスポーツであってほしい」とまず思った。根性とか猛練習とか気迫とか、僕の知っているアマチュア野球にはそれが前面に出てくるところがあって、指導者には自分の知識のなさを怒鳴り声でカバーしているような人が少なくなかったと思う。そして選手サイドにしても、若い時分に散々しごかれた経験を自慢話にしているような元球児たちがゴマンといる。岩隈投手はおそらくそういうタイプの人ではない。かと言って優しいだけではなく、かつて近鉄バッファローズがオリックスに吸収された時、選手を軽視する球界再編に納得できない岩隈投手は球団の意向に逆らい、オリックスがいらないと言った選手たちと一緒に新設球団(楽天イーグルス)に移籍した。彼の芯の強さには人並み外れたものがあると思う。そんな彼だから、根性論が大手を振るう野球部にいたとしても、彼の信ずるスタイルを貫けたのかもしれない。自分の筆力ではとても書き尽くせないが、僕自身の経験に照らしても合点のいく技術論、つまり、素人に毛が生えた程度の野球人にも理解できるレベルまで咀嚼された野球上達の秘訣がたくさん書かれていた。この本に感謝しつつ、備忘録的にいくつか残しておく。・腕を振るポイントは…トップからリリースまでずっとではなく…ヒジが出て「顔の横あたりから腕を振る」感覚。腕を振るのはここだけ。・カーブを投げる時に…「捻る」イメージはない。…「指パッチン」のように親指と人差し指を鳴らす感覚。このパーンと鳴るところでリリースするようなイメージ。・どんな変化球を投げる時も…手首は立てなくてはいけない。そして最後に、・自分でコントロールできないことは深く考えてもしょうがない。
January 7, 2026
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11月。長い長い夏、そして暑い暑い夏がようやく終わったと思ったら、秋は瞬く間に過ぎ去ろうとしている。取りあえず、今年も忘れずに温泉に行きたくなる気候になってくれたことに感謝しつつ、土湯温泉に行った。東北自動車道を福島西ICで下りて、国道115号線を猪苗代方面に向かうと、20分もかからないくらいで迷うことなく土湯温泉に着いた。温泉の標高は500mくらい。吾妻山に向かって結構な高さまで登るけど、11月下旬、土湯温泉にはまだ雪はなく、クマも見かけなかった。宿泊は「ホテル山水荘」。この宿、今回が2回目。チェックインの後、しばしロビーで庭を眺めた。セルフサービスの珈琲、美味しかった。夕食は和食のフルコース。福島の5つの日本酒を飲み比べながら、天ぷらとか和牛のステーキとか、ゆっくりと味わった。夕食会場は広くてライティングが寛いだ雰囲気を出していた。館内には何か所かお風呂があって、今回は2カ所の大浴場に5回か6回入った。美味しいものを食べて、温泉であったまって、それ以外は何もしない時間をのんびり過ごした。贅沢な時間。楽しかった。
January 2, 2026
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調査報道でピューリッツァー賞などを受賞したエヴァン・オスノスが書いた本。アメリカ合衆国第四十六代大統領ジョー・バイデンの半生が綴られている。出版は2020年。バイデンがトランプ大統領の2期目を阻んだ年にあたる。本書の後半、バイデンがトランプを評して語ったとされる言葉があった。「意地の悪さ、狭量さ、自腹を切ってまでも復讐を果たそうとする執念深さ。」この時バイデンはトランプ大統領の再選を阻むことに成功。敗北を受け入れようとしないトランプの悪態は、バイデンが評するトランプそのものだった。しかしその4年後の大統領選では、まさに執念深くトランプは大統領の座を再びもぎ取った。トランプ政権が誕生するまで、アメリカは長年、世界のリーダーとしての役割を果たし続け、それによって世界中の金・物・人・情報がアメリカに還流し続けてきた。そんなアメリカ繁栄の仕組みを、トランプ政権は捨てた。そして目先の取引一つ一つの損益勘定に血眼になり、結果によらず大勝利、大勝利と自らを称賛している。白人至上主義が透けて見える移民の強制排除政策は、今のところヒスパニックや中南米からの移民が主なターゲットになっているが、不法移民に留まらず留学生や研究者にも矛先が向かっている。最終的にトランプと戦った候補者がハリスではなく、再びヒラリー・クリントンだったら今回の結果はどうだったのだろう、と今さらながら改めて思う。
December 28, 2025
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仙台の城下町の北西端に「坊主町」(ぼうずまち)はあった。大崎八幡宮に近く、今は仙台市青葉区国見二丁目、八幡ニ・四丁目のそれぞれ一部になっている(昭和45年2月1日住居表示)。八幡町の本通りから北に向かって緩やかな斜面を上る。とは言うものの、その傾斜は緩やかで、大崎八幡宮の長い石段分をいつの間にか登っていた感覚。そんなに上まで登った感じはしていなかった。とにかく坊主町は大崎八幡宮に隣接する町だったことがわかった。(大崎八幡宮から見たかつての坊主町方面)辻標32番「江戸町/坊主町」は坊主町を次のように説明している。・天和3年に亀岡八幡が祀られるまで麓に住んでいた坊主衆の大部分は、龍宝寺の東北、四ツ谷堰の北に移されて坊主町ができた。・何阿彌と称した同朋衆の指導をうけ、城内の装飾、案内、接待等に奉仕した。・頭を丸めていたが、藩主や重役にも接するため礼儀作法に通じた。少しわかりにくいが、亀岡八幡は今も青葉山の麓(ふもと)にあるので、もともと川内亀岡あたりに住んでいた坊主衆が、亀岡八幡の造営によって四ツ谷用水の北側に移された、ということだと思われる。(四ツ谷用水の跡。標柱には「仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四ツ谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です」とある)(この四ツ谷用水の上側が坊主町、下側は江戸町だったと思われる。)そして坊主衆とは、お寺にいるお坊さんのことではなく、お城の中で働く僧の姿をした人たちを指し、殿様のお世話や来客の接待をするお坊さんの姿をした人たちのことのようだ。坊主町は城下町の端にあって、お城からは少し遠い。ここからお城に登っていたとすれば、その通勤は少し大変だったのではないかと感じた。町の範囲は面的になっていて、城下町中心部の両側町とは様相が異なり、坊主町という通りがどこだったのか、歩いてみても良くわからなかった。
December 23, 2025
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ボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制覇した2013年シーズンの終了後、この本は書かれた。少し前に読んだ「覚悟の決め方(PHP新書)」とこの本は同じタイミングで書かれ、出版されている。この2冊にはの内容が重なっているところもあり、ほぼ同時に出版されたことが少し不思議にも感じた。だけど前に読んだ「覚悟の決め方」が小気味良い書きっぷりで、読みながら気持ちが上がってきたたので、この本もちゃんと読もうと思った。野球が好きで、ある程度野球が得意で、それなりに一所懸命に野球をやって、だけど一流にはなれなかった、つまり野球エリートではなかった元野球部員たちがこの本を読むと、共感できる部分がすごく多いに違いないと感じた。アマチュア野球界の片隅にいたような僕でさえ、読みながら「あぁ、そうだったよなぁ…」と何度も感慨に浸った。専用の練習グラウンドがない、野球用具は自費で調達、遠征費も自腹、顧問はいるけど指導者はいない、選手たちで考えて練習するしかない、自己流だからケガもする、強豪校には練習試合も組んでもらえない…こんな環境で上原投手は野球を続けた。大学浪人もしながら…肩を壊したとか、膝を痛めたとか、金が続かないとか、親に辞めろと言われたとか、日々の辛い練習から逃れるためのもっともらしい理由はいくらでもある。練習環境が良かったら俺もプロに行けた、強いチームだったら俺も注目されていた、などと語る大人も少なからずいる。だけど、上原浩治はこの環境からドラフト1位で巨人に入り、30代半ばで大リーグに移籍し、ボストン・レッドソックスでワールドシリーズを制覇した。彼とその他大勢との違いは何か。上原は自身を不器用と言うが、能力の圧倒的な違いは前提としてあるとは思う。ただ、それだけでは上原浩治は上原浩治になれなかったことも間違いない。「不変」そして「覚悟」このキーワードをベースに、彼を頂点に押し上げた要因がさまざまこの本には書かれていた。
December 18, 2025
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地下鉄大通駅の近くで家族と食事をした。この日は1日雨。エアコンなしでは過ごせないほど暑かった夏の名残はすっかり消えて、夕方から気温がぐっと下がった。夏の暑い空気は今どこにあるのだろう、と歩きながら思った。今は子どもが札幌に住んでいるおかげで、北海道の親戚に会う機会も増えた。自分が子どもの頃は、おそらくわが家の経済的な理由で親戚の冠婚葬祭には親のどちらかだけが出ていたから、北海道に行く機会はほとんどなかった。今年はこれが3回目の札幌。こんな日が来るとは…と、飛行機の窓から北海道を眺めながら思ったりもしていた。子どもが予約してくれたレストランのテーブル横には大泉洋さんのサインがあった。北海道のローカル番組「1✕8行こうよ!」の縁で、今年の夏に食事に来てくれたらしい。オリゾンテ、というイタリアンのレストラン。行くたびに満席で、賑やかで、料理もワインも美味しくて、今回も楽しい時間を過ごした。
December 13, 2025
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上原投手のピッチングスタイルそのままに、小気味の良い書きっぷりの本だった。一気に読み終えた。1998年に巨人にドラフト1位で入団し、1年目に新人王と沢村賞を獲得。2009年から大リーグで活躍し、2013年にボストン・レッドソックスでワールドシリーズ優勝。胴上げ投手となった。プロ入り後の上原浩治投手の経歴は華麗のひと言。だけど彼は少年時代からずっと無名の一野球部員に過ぎなかった、とのこと。高校時代は外野手兼控え投手。大学入試では1年浪人を経験した後、体育教師を目指して大阪体育大学に入学している。その彼が大学に入ってから突然脚光を浴びた理由は何か。「正直、自分でもよくわからない…」と彼は言う。笑わせるつもりはないのだろうが、いかにも大阪の人っぽい片付け方で笑えた。自分のことを言えば、投手の経験は小学校の草野球と大人になってからの草野球だけ。あとは全部外野手だったこともあり、ピッチャーというポジションは一度きちんとやってみたい憧れでもあり謎の多いポジションでもあった。中でも、打たれている時と抑えている時のピッチングの違いが外野から見ている僕には良くわからなかった。その点も含めて、上原投手は「良くわからない…」と言いながらも一流のピッチャーへと這い上がっていくプロセスをしっかりと書いてくれている。とりわけ球種については、フォークボールの上原投手独自の握り方まで子細に書かれていた。当時はまだ現役だったのによくぞここまで開けっぴろげに…と感じた。近頃また野球関連の本に手が伸びるようになってきた。年齢がかさむとともに思うように身体が動かなくなり、それと共に野球をやらなくなり、そうするとプロ野球を観ていても興奮しなくなり、「野球に飽きたのかな」と思っていたけど、今はやっぱり野球が好きだと思っている。あわよくば、身体が動くうちにこの本を読んで、上原投手の真似をしながら上達してみたかった。さらに言えば、自分で最初からムリと決めつけずに「ピッチャーがやりたいです!」と宣言してみたかった。
December 8, 2025
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仲が悪くて極力関係を絶ってきた兄が死んだ。突然、見知らぬ土地の警察から遺体を引き取りに来るように電話があり、後始末に行かなくてはならなくなった妹の話。切実なテーマながら、ほのぼのとしたタッチで描かれていて、出てくる人はみんな良い人たちばかりで、心がほどけるような時間を過ごせた。少し欲を言えば、ロケ地があまりにも普通の場所で、映画館に向かう途中の風景とスクリーンの中がほぼ一緒。大スクリーンで日常から逃避するという楽しみ方は、この映画の場合、難しかった。
December 3, 2025
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札幌から日帰りで行けるところ…今回は夕張とトマムに行くことにした。初めに夕張、そしてトマムへ。高速道路が片側一車線だったせいか、夕張からトマムまでは地図で感じていたより遠く、北海道の広さを実感した。長いトンネルが連続する高速道路をトマムICで降りた。その途端、リゾートの雰囲気が一気に漂い始めた。さすがは星野リゾート、というのが第一印象。10月下旬。紅葉が見ごろを迎えていて、ハロウィンのデコレーションがあちこちにあるホテル内には、家族連れの姿を多く見かけた。ホテルから続く通路を「ホタルストリート」まで上り、「GARAKU」でスープカレーを食べて、チャイを飲んだ。とても美味しかった。ホテルの隣には広大な草原が広がり、乗馬を楽しむ姿などが見えた。千歳空港からも札幌からも決して近くないトマム。廃墟のようになったスキーリゾートを各地で見かける中、これだけ活気のあるリゾートがここにあることが嬉しくて、今度はゆっくり泊まりで来たい、と思った。
November 27, 2025
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仙台の城下町の東端にある保春院前丁(ほしゅんいんまえちょう)は、今もそのまま地番を住所としている。保春院前丁の通りは、市中心部の「荒町」と郊外の「荒井」をつなぐバス通りになっていて、道幅は広くないが交通量は少なくない。この通りの北側に「保春院」という伊達政宗とつながりのあるお寺があり、保春院前丁は保春院の前の通り、という意味になる。寺の入口の石柱には「仙臺藩祖公御母堂菩提所」と書かれていた。通りの南側には、かつて伊達家の養種園があり、今は仙台市の若林区役所になっている。敷地内には七郷堀が流れ、保春院前丁はこの堀を南側の町界としている。(七郷堀)辻標第78番「一本杉/保春院前丁」は、保春院前丁を次のように説明している。・臨済宗・少林山保春院の前の通りで、登米邑主伊達、不動堂邑主後藤両家の下屋敷のみがあった。(※「邑」は村や町のことと思われる。「下屋敷」は武家の別邸や庭園、蔵があった郊外の家)・保春院は寛永12年(1635)伊達政宗が、生母保春院(俗名義姫)の13回忌に、その菩提を弔うために北山の覚範寺三世清岳和尚を開山として建立した寺で、当時仙台七刹の一つといわれた。つまり、養種園になる前は、武家の下屋敷がここにあって、今は住宅地になっているこの辺りも、かつては人々が暮らしている町ではなく、大きなお寺と2つの大きな武家屋敷だけがあった場所だったようだ。
November 22, 2025
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秋の週末、夕張市の石炭博物館へ行った。幹線道路から看板に従って脇道に入ると、寂れた場所に迷い込んだような気持ちになった。だけど、駐車場に車を置いて坂道をしばらく登ると、立派な博物館が現れた。入館料は1,200円。受付脇の券売機で購入し、受付で入場券と引き換える流れ。企画展示と常設展示を見たあと、地下に潜ってジオラマや模擬坑道を体験できる。炭坑を再現した博物館なのでバリアフリーに対応していない点は要注意。順路には結構な高低差と長さがあった。一つ一つ見ていくと出口に着くまで半日はかかると感じるほど展示は充実していた。1890年から100年間、炭鉱の町として発展と衰退を続けた夕張市の歴史と、炭坑で働く人たちとその家族の日々の暮らしが丁寧に紹介されていた。常設展示石炭産業を支えた鉄道の記憶地下展示旧北炭夕張炭鉱模擬坑道。模擬と言ってもここは国登録有形文化財。
November 17, 2025
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西武、ダイエー、巨人で通算224勝を挙げた名投手、後にソフトバンクの監督としても成果を挙げた工藤公康さんが、プロ野球観戦を楽しむためのヒントをまとめた本。…なのだけど、僕には今まで目にしたことがないくらい優れた野球の教本に思えた。そして書いてある内容もなかなか高度だと感じた。読みながら、もう一度子どもに戻って野球をイチからやり直したくなった。学生時代を思い起こすと、僕はマウンドに立つ相手投手のベストピッチをいつも頭に置いて打席に立っていた。アウトローにビシッと決まる速球とか、天井から曲がり落ちるような落差の大きいカーブとか、相手が得意とするボールに打ち取られたくなくて、その結果フルスイングはなかなかできず、“当てに行く”バッティングになっていた。当時は、出塁するためには仕方がない、そもそも長距離打者じゃないし、塁に出ないとベンチに下げられるし…と思っていたけど、当時この本を読んでいたら違っていただろうな、と、今頃悔やんでいる。工藤公康さんの言葉を読みながら、野球は確率のスポーツであって、ある程度の割り切りが必要なスポーツだということを今さらながら理解した。状況を整理して次の自分の動きをあらかじめ絞り込んでおく。それができれば、例えば自分が二塁ランナーになった時にも打った瞬間に迷わずスタートが切れる。外野を守っていても自信を持って守備位置を決められる。備忘録的にいくつか趣旨を拾っておく。・接戦で終盤を迎えたら内野手は三塁線と一塁線を締めて守る。単打は仕方がないが長打は防ぎたい。・ランナー二塁の時、三塁手はランナーとバッターの両方が見えるように斜めに構える。・コースギリギリの球は打てなくても仕方がない。それより甘い球を確実にヒットすることが大切。・プロのピッチャーでも狙ったところに投げ続けるコントロールは持っていない。狙った通りにアウトローに投げるのは至難の業。・代打に出たらファーストストライクを必ず振る。ヒットになるかどうかは結果論に過ぎない。・二塁ランナーの時、自分の左に打球が飛んだら三塁へスタート。右側なら止まる。・「上から叩け」と以前は言われたが、上から叩こうとしたら下に落ちる変化球を打てない。球種が少なかった昔の考え方だ。・送りバント:一塁と三塁がどれだけチャージしてきても、投手前に打球の勢いを殺せればほぼ成功する。
November 12, 2025
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10月の週末、夕張に行った。目的地のひとつは、昭和50年代に大ヒットした映画のロケ地を保存した「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」。この映画をまったく知らない平成生まれのわが子も一緒に出かけた。札幌から岩見沢までは高速道を使い、途中でコンビニで休憩した後、夕張に着いた。週末の午前中、駐車場には車が何台か停まっていた。いずれも1977年に公開されたこの映画を知っている世代の観光客とお見受けした。入場料は550円。夕張はかつて国内有数の炭鉱の町。炭坑で働く人たちが住んでいた五軒長屋の炭鉱住宅がこの映画の舞台になっていて。長屋の中には撮影当時の姿が残されていた。駐車場の脇には映画のポスターが看板として置かれていた。(あらすじ)山田洋次監督が高倉健を主演に描く人間ドラマ。共演に倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり。失恋して自暴自棄になった欽也は、新車を買って北海道へ傷心の旅に出る。そこで欽也は一人旅をしていた朱美のナンパに成功し、さらに2人は海岸で勇作という男と知り合う。旅をともにすることになった3人だが、刑務所から出所したばかりだと話す勇作が、愛妻へ出した葉書のことを語り始め……。(松竹ウェブサイトより)入口の案内所にはスタッフさんがいて、映画の撮影時、この案内所は浜松理容院という床屋さんだったと教えてくれた。薪ストーブ、あるいは石炭ストーブか、レトロなストーブが室内を暖めていた。映画で使われたマツダの車。長屋の中に展示されている。長屋の内部。煙突から煙が出ている右の建物が案内所。入場券はここで買った。バーコード決済にも対応していた。室内では温かい珈琲も買える。わが子は終始、ふーん、へー、ほおほお…という感じだった。
November 7, 2025
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2008年に現役を引退した桑田真澄さんが、2010年に出版した本。自伝でもあり、啓発本のようでもある本だった。野球の技術にはほとんど触れず、心構えが紙幅の大半を占めている。先に読んだ清原和博さんが、無防備と言って良いほどありのままに語っていて、ダメな自分もそのまま晒しているように思われるのに対し、桑田さんのこの一冊には自分自身への強い自信、そして守りの意識も少し感じた。桑田と清原。同じ時代に同じ場所で同じものを見ていたはずの二人なのに、語るポイントも語り口も異なっていることは想定外とまでは言わないが、驚きだった。この本は心構えが大半、とは書いたがこれはプロ野球選手が書いた本。当然、野球のことはたくさん書いてある。配球のこととか、練習のこととか、桑田選手ならではの考え方が披露されており、興味深く読ませてもらった。
November 2, 2025
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10月半ばの週末、そろそろ紅葉も見頃かな…と思いながら地下鉄を円山公園駅で降りて歩き回った。この日の天気予報は雨。そのせいか公園内に人の姿はまばら。円山動物園に向かう道にも、動物園の正門前にもいつもの人混みがなかった。というかチケット売場に数人しかいなかった。週末なのにめずらしいな、と思いながら、久しぶりに動物園を楽しむことにした。前回は、おそらく小学校入学前。遊園地のような乗り物があった気もするが定かではない。入園料は800円。現金払いなら券売機が使える。カードやバーコード決済は窓口で対応可、というシステムだった。窓口の年配の方にバーコード決済をしてもらった。園内に入ると、幼稚園児たちが保護者たちと一緒にあちらこちらで歓声を上げていた。中学生たちも3〜4人のグループに分かれて動物の姿を写生していた。どちらも天候に関わらず今日来ることに決めていたのだろう。小雨の中の写生は少し大変そうだった。園内をのんびり回った。ゾウ、キリン、オラウータン、サル、オオカミ、ヒツジ、フラミンゴ、カメ、トラ、ヒグマ、シロクマ…みんな可愛かった。懐かしくて、心地よくて、1日ずっとここにいたい気持ちになった。
October 28, 2025
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神子町(みこまち)は、かつて仙台の城下町の北部にあった町名。昭和43年2月1日実施の住居表示によって、今は仙台市青葉区木町と通町一丁目のそれぞれ一部になっている。神子町のうち、通町一丁目に変わった場所には通町小学校があり、小学校以外の場所は神子町から木町に変わっている。辻標87番「北八番丁/神子町」は、神子町を次のように説明している。・北八番丁と北九番丁を南北に結ぶ町。・寛文12年(1672)から元禄3年(1690)の間に町割りがなされ、主に瓦職人衆が居住した。・この町の瓦は藩用であったため、窯元の瓦師は棟梁た呼ばれ、帯刀を許された。・町名は、この地に朝日という神子が住んでいたことに由来するという。また、仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」は、神子町について次のように書いている。・木町通の一筋東、北八番丁から北山町に至る町で、朝日という名の神子が住んでいたためと伝える。・藩営の瓦焼場が設けられ、職人、足軽の町として割出された。・以来、瓦職人の町として近代まで続いてきた。都心から程近い場所にありながら、両側が行き止まりの比較的静かな住宅街だった。
October 23, 2025
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「虚空の人〜清原和博を巡る旅〜」の著者、鈴木忠平さんが丁寧に清原さんからの聴き取りを重ね、独白の一冊にまとめ上げた。清原が子どもの頃からの記憶をたどる中で、所々にバッティングに触れている部分があって、それは本書の本筋ではないとは知りつつも「そうなんだ、意外…」と感じるところが多く、興味深かった。例えば…①ゾーンの四隅を打てるバッターなんかいないのに、そこを完璧に打てるようになっていきたいと思うようになっていった。②1打席目はカーブが全然見えなかった。だから2打席目はとにかくストレートを打つしかないと思って振ったところにボールがちょうどきて二塁打になった。③左足をツーステップしてタイミングを取り、一度右足に乗せた体重を、そこから強く踏み込んだ左足で受け止める。そうすることでバットのヘッドが走って、ボールに力が伝わる。左足にかかる負荷が大きければ、大きいほどボールは遠くに飛んでいく。①について、僕は現役時代、大半の野球部員と同じようにアウトローを強く打てるバッターになりたいと思っていて、四隅も打てるようになりたいと思うことが当然だと思っていた。目からウロコの一文だった。②について、これは清原自身の高校1年生時代を振り返っての言葉。相手チームから見て、清原選手が内心こんなことを考えているようには見えなかったと思う。才能もパワーもケタ違いの選手が、自分たちとさほど変わらないことを打席で考えていたことが意外で面白かった。③について、清原選手がツーステップしている記憶がなく、改めて動画を見てみると、確かにしていた。ステップというよりは、クッ、クッ、と左足の踵で2回リズムを取っているように見えた。「強く踏み込んだ左足」についても、映像ではそれほどはっきりとしたものではなかった。流れの中で一瞬左ひざに物凄い力がかかっている、ということなのだろう。知らずに表面的に真似をしている選手がたくさんいそうな気がした。現役選手としての野球人生を終えてから、生きる意味を見失ってしまった、と清原選手は言う。だけど、彼の頭の中には、野球のノウハウや上達の秘訣が今でも山のように詰まっているに違いない。今からでも、全国の野球少年たちに清原選手が持っているものを少しでも多く伝授していってもらえることを心から願っている。
October 18, 2025
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8月。午前中の盛岡。この日は暑かった。早めの新幹線で盛岡駅に着き、約束の時間まで街を散策。というのがこの日の予定。晴れていて良い気分だったけど、しばらくして暑さに耐えられず散策は中断。また駅前に戻る途中の写真がこちら⇩白い鉄橋、開運橋の向こうに盛岡駅がある。盛岡はいつ来ても良い街だと思う。そう思いながらも、駅から地下道を通らないと市街地に行けないと思われるところが少し不思議…といつも感じている。自分の歩き方が悪いのか、駅を出てから直線的に地下道に入ることも今までのところできていない。キャリーケースを転がしながら地下道入口を探して行きつ戻りつしている自分が毎度のことながら情けない…暑さで中断した盛岡散策の続きは、翌日、夜明けと同時にホテルを出て堪能した。商店街には夜の余韻が残っていて、酔ったお兄さんが路上で電話の相手と人生を語っていた。盛岡城跡は朝日に照らされ、犬を連れて散歩している姿をたくさん見かけた。
October 13, 2025
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《PL学園の四番打者、清原和博が右打席に立った。そして僕はレフトの守備位置についている。さて、どう守る…?》清原が甲子園で活躍していた頃から、こんな空想をすることが時々あった。《清原のバットから地を這うようなライナーが自分に向かってギューンと伸びてくる。そんなイメージを頭に置きながら、どんな打球だろうがとにかく身体が伸び上がらないように、重心を低く、腰のあたりで捕球する意識で動こう》空想の中で僕は真剣にこんなことを考えていた。高校時代の清原のゆったりとしたバッティングフォームと、柔らかいスイングから飛び出す鋭い打球に、当時の僕はすっかり魅了されていた。「清原には投げる所が見当たらない。どうしよう…」などと、ピッチャーでもないのにそんなことを考えることもあった。プロ入り後、身体が筋肉でムキムキになる前の清原への憧れは今も消えていない。その清原和博のプロ野球選手引退後の姿がこの本には書かれていた。著者の鈴木忠平さんは「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を書いた人。鈴木忠平さんの筆力に再び触れてみたくなってこの本を手に取った。結果論だけど、清原はもっと活躍すべき人だったと思う。本当にもったいない…と改めて思う。清原くらいのスーパースターに、大リーガーの代理人のような専属のマネージャーはついていなかったのだろうか。世の中を知らないまま大金を手にした清原は、赤子の手をひねられるように夜の街の食い物にされてしまったのではないか。さらに言えば現役時代にも、プロレスラーのように筋肉をつけて彼の長所を消してしまうことも避けられたのではないか。そんな気がしてならなかった。落合監督の本と同様、著者は自問自答を繰り返しながら清原と向き合い、関係者への取材も重ねながらこの本を書き上げた。「あんたは清原を食い物にしている」と取材先の一人から罵られながらも、そしてそれを否定できないと感じながらも、丁寧にこの一冊は書かれていた。力作だと思う。
October 8, 2025
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南石切町(みなみいしきりまち)仙台市若林区にある南石切町は、今も地番が住所として使われている。現地に行ってみると「石切町」の名にちなむようなものは見当たらず、通りの両側には普通に住宅が並んでいた。南石切町は、かつて石工さんの町だったそうで、そのことが辻標57番「南石切町/南染師町」に次のように書かれていた。・寛永初期に城下を南方へ拡張する際、石材需要に対応するため石垣衆をここに配置した。・彼らは石工の本場近江領から選抜されてきた人々で、特に細工物に長じ、伊達家ゆかりの墓所や社寺に灯籠、鳥居など数々の作品を残している。・なお、町の南端は明治18年に南材小学校敷地となった。(町の南端「竹屋横丁」から見た南石切町。道路の右側に南材小学校がある。)また、仙台市HP「町名に見る城下町」では、南石切町を次のように説明している。・南材木町の東裏にある町。・寛文4年(1664)の絵図には「石垣衆」と書き込まれている。・南石切町の名は、八幡町付近にもあった石切町に対しての呼び名でもあった。・職人たちは近江な国(いまの滋賀県)から招かれた人々で、神社仏閣の灯籠や鳥居、墓石、石碑などを手がけた。・また、南材木町と南石切町を結ぶ道は竹屋横丁と呼ばれたが、文字どおり竹を商う人々が住んでいた場所である。南石切町は、南材木町、新弓ノ町、八軒小路、南染師町に囲まれた小さな町。町の南端から北端まで歩いてみたが、ものの2〜3分で通り抜けた。広さも名前も昔と変わらない石切町。コミュニティとしてはちょうど良い広さに思えた。
October 3, 2025
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第二次大戦後のアメリカ統治下の沖縄。日本政府に見放され、法的に守られることなく駐留米兵たちの犯罪行為に泣き寝入りを強いられ続けた沖縄の人たちの怒りと反抗が映画の中で爆発していた。もちろん、この沖縄の怒りは駐留米軍だけでなく、日本本土の人間たちに対しても強烈に向かっている。反米を意図する映画ではない。。一方で当時の沖縄の人たちのやるせない思いも随所にあった。例えば米兵が立ち寄る飲食店に貼られた「本土復帰反対」のビラ。米軍基地がなくなってほしい、という本音だけでは暮らしが成り立たないほど、米軍基地が落とすお金に依存していた基地周辺の現実も丁寧に映し出していた。あの戦争さえなければ…と簡単に片付けることのできない映画だった。あえて感想を言うなら、「日本とは本当はどういう国なのだろう。日本人とは誰のことなのだろう…」と思った。僕自身、戦後しばらくしてから生まれて、日本は良い国になった、日本人は優秀な国民だ、と教えられながら育った。ここまで日本の中で平々凡々な人生を歩んできた身で、誰のおかげで…と叱られそうな気もするが、正直に言えば、こんな大人たちにはなりたくないなぁ…と思いながら子供時代を過ごしていた。公害を垂れ流しながら金儲けに血眼になっている企業群、くわえタバコで深夜まで職場や飲み屋にへばり付いている中年太りの脂ぎったサラリーマンの群れ。日本の大人たちはすごく格好悪いと思っていた。今にして思えば敗戦の屈辱感が、あの醜いエコノミック・アニマル集団を産み出したような気がする。今、「台湾は歴史的にも中国の一部だ」と言って憚らない政権や、「ロシアとウクライナは歴史的に一体だ」と力を行使している政権があるけど、台湾とウクライナの人たちの多くがそれを望んでいないことはとても重く、この状態で仮に両国のリーダーが信じる「あるべき姿」が実現しても、それは長く続かないと思う。高度成長期の日本もこれと似たところがあったと感じる。経済的には世界1位だ2位だと威張っている裏で、次に続く世代の多くは窮屈な大人の生き方を嫌悪していた。「俺たちの成功を見習え、若い奴らは根性がない」と言われても、過去の武勇伝を聞かされても響かなかった。外国から見ても当時の日本は好かれていなかったと思う。時を経て、今の日本があの頃とは変わってきていることは本当に嬉しい。相変わらず井の中の蛙っぽいところはかなり見られるけれど。何かおかしいな、変だな、間違っているな、とたくさんの人たちが思っている状態は、きっと続かない。この映画を観ての感想はこれかもしれない。
September 28, 2025
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9月のナイトゲームを観戦。真夏の蒸し暑さはようやく和らぎ、過ごしやすい夜だった。この日の座席はは三塁側のフィールドシート。内外野の守備の動きをグラウンドレベルに近い目線で感じられるシートだった。一番のお目当ては、これまで2試合連続完封中の西武の先発、今井達也投手。しかしなんと、意外にも2回を投げ終わったところで降板してしまった。初回からマウンドの土の状態を気にする素振りや、投げ終わった後のイライラしたような仕草などが遠目にも見えていて、調子が良くないのかな…とは感じていた。だけどそれにしても早い降板だった。大リーグのスカウトがたくさん来てるとか、三試合連続完封を達成したらタイ記録だとか、周囲の雑音に集中を乱されたのかもしれない。対する楽天の先発、岸投手も少しいつもとは違う立ち上がりに見えた。投球間隔が普段より長いように感じたし、それとの関連はわからないけど連打も浴びていた。それが、キャッチャーが堀内から石原に代わると、ボールが持ったらすぐに投げる体勢に入るいつものテンポが戻り、これも関連はわからないけど、スコアボードにゼロが並び始めた。僕自身、試合途中にキャッチャーを代えられる程選手層の厚いチームにいた経験がないこともあり、この交代には「おっ」と思った。そしてキャッチャーを代えることでピッチャーが立ち直ることがあることを知った。結局先発投手として100球を投げ切った岸投手はさすがだと思った。この日の三塁側フィールドシートからは、内野ゴロの捌き方、外野手の飛球の追い方などが良く見え、プロの守備力の高さに改めて感じ入った。その中でもとりわけ、西武のショート、滝澤夏央選手のレベルの高さには目を見張った。身体は小さいのに足が速くて捕球も確実で肩も強い。動きがいつもキビキビしていて見ていて気持ちが良い。そんな選手だった。試合途中でショートに源田が入り、滝澤はセカンドへ。楽天では村林と宗山が春先にショートの定位置を争っていたように、西武のショートのポジション争いにも凄いものがありそうだ、と思った。この日、序盤から荒れ気味の試合で帰りが遅くなった。プロ野球選手たちの守備力の高さに感動しながら家路についた。
September 23, 2025
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WBCで日本代表チームを率いた栗山英樹監督の本。彼が初めてプロ野球の監督に就任した日本ハムファイターズでの1年目を時系列的に振り返っている。先日読んだ落合監督の本は、驚きだらけで、そして知らないことだらけだった。落合監督の本を読んで「これで俺にも監督ができる」と思う人はたぶんいないと思う。一方、栗山監督のこの本は、タイトルにある通り「覚悟」に焦点が当てられていて、野球の技術的なことにはほぼ触れていない。初めて管理職になった人の悩みに共通するような記述もあり、難しいことは書かれていなかった。「俺にも監督できそう」と思う人がいるかもしれない。だけど忘れていけないのは、栗山監督1年目のこの年、日本ハムファイターズがリーグ優勝を飾っていること。監督就任1年目で優勝するなど、好きなだけ戦力を補強している巨人でもそうそうできることではない。その理由がこの本を一読しただけでは読み取れなかった。栗山監督の謙虚な書きぶりの奥に隠されていることを読み解く力が欲しいと思った。
September 18, 2025
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夏の夜、仙台のユアテックスタジアムでJ2の試合を観た。座席はSS席の5列目。たまには良い席で、と奮発してみたら、選手の細かい動きや表情も見えて、ボールを蹴る音やピッチ内の声も聞こえて、期待通りの良い席だった。ひとつだけ、ピッチに近い前列は風向きによっては雨が当たるかも…と少し天気の心配があり、実際この日は試合開始2時間くらい前に突然のスコールがあった。程なくして雨は上がったものの、スタジアムに着いた時5列目のシートは濡れていて、雨に当たる可能性があることがわかった。基本的に観客席にはすべて屋根がかかっているけど、確実に雨を避けるなら10列目より上が良いように感じた。やがて試合が始まり、ピッチ上の選手との近い距離感を楽しみつつ、選手よりもさらに近く、ベンチ前にいつもいる監督の一挙手一投足にも興味を引かれた。野球なら、三塁コーチが打者に送るサインも、ベンチから大きなジェスチャーで出される守備位置の指示も、どれもプレーの合間なので選手にはしっかり届いている。一方でベガルタ仙台の森山佳郎監督は、試合中ずっと大声で選手たちに指示を出し続けていたのだけど、その間、選手は激しく動き続けているし、観客席からのサポーターの大声援はスタジアム中に響いている。監督の声は誰かに聞こえているのだろうか?そもそも誰か一人でも監督を見てるのか?聞こえているとすればその声は相手チームにも聞こえてるけど構わないのか?などと考えてしまった。そしてこのジェスチャーも誰が見ているのだろう…。監督が意味もなく動いているとは思えないので、ベンチの指示を全員に伝える役目を、ピッチ上の誰かが担っているのだろうか…。むしろそういうことではなくて、監督が試合の間ずっと熱く見守っている姿が選手たちを鼓舞している、ということだろうか。そんなことも考えながら観ていた。試合前にも、森山監督は選手たちのアップをひたすら見守っていた。こんなにジッと見続けられたら選手たちは手が抜けないに違いない。激闘の後は選手たちと一緒に満面の笑み。みんないい顔。チーム一丸となって戦った、気迫あふれる良い試合だった。
September 13, 2025
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野球をやっていた頃、落合博満選手は僕にとっての打撃の神様、そしてスーパーヒーローだった。打席での動きのすべてが理想的に見えて、この打ち方をマスターしたい!と何度も思った。だけどとても真似はできなかった。よほど手首が強くないとあの打ち方はできない、と試す度に痛感したし、重たい硬式のバットを自在に操れない自分には真似事らしきスイングすらできなかった。加えて、落合選手は明らかに打席でヤマを張っているように思え、しかもそのヤマはほぼ当たっているように見えた。なぜあんなに球種が読めるのか理解できなかった。そして彼の発する「すべてお見通し」と言わんばかりの言葉の数々。旧例を打ち破る年俸交渉を含めて、落合の言っていることはたいがい正しい、と僕は感じていた。だけどその発言はしばしば世の中から批判された。それが不思議で、自分の感覚に不安を覚えた。落合が言っていることの何がダメなのかがわからない自分は非常識なのかな…と、周囲の目を気にしがちな自分は考えたりしていた。落合博満という人間にもっと迫りたい。そう思っていた時にこの本に出会い、引き込まれるように、そして貪るように読んだ。名古屋の大学を卒業して日刊スポーツ新聞社に入った著書は、プロ野球担当記者として地元の球団、中日ドラゴンズの落合博満監督を見つめ続けることとなった。著者はその後日刊スポーツを離れ、Numberの編集などに携わった後、渾身の筆力で450ページを超える一冊の本「嫌われた監督」を書き上げた。そうだ、この感覚はNumberを読んでいたときの、あの没入感だ、と思い当たった。2004年から2011年まで、著者の経験や視点だけでなく、選手、コーチ、スカウト、家族など、落合監督を取り巻く人たちの声を丁寧に拾い集めながら、「落合博満はいったい何を考え、何を求めているのか」を著者は探り続けた。観客席からではなく、グラウンドレベルで野球を見たい。いまだにそう思っている自分にとっても、この本は最高の一冊だった。取り分け、荒木雅博を通じて落合監督を描いた最終章では不覚にも感動の涙が込み上げた。2011年9月23日のヤクルト戦の映像もスマホで探して繰り返し見て、またジーンとなった。夢だった野球の世界の住人になれたような錯覚をこの本は与えてくれた。
September 8, 2025
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岩手公園(盛岡城跡)の近くで新渡戸稲造(にとべいなぞう)の像があった。そして、敷地に立つ案内板には「新渡戸稲造生誕の地」と書かれていた。新渡戸稲造さん…。僕の知識の中では「前のお札の人」。五千円札の人になることが決まった時に岩手の人たちが誇らしげに喜んでいた様子が記憶にある。だけど、恥ずかしながら彼がどのような偉人だったのかは良くわからない。現地の案内板に簡単な紹介文があったので読んでみた。以下概略…・1862年(文久2年)この地で生まれた・南部藩士・新渡戸十次郎の三男・農学博士、法学博士の学位を取得・札幌農学校教授、京都帝国大学教授、第一高等学校長、東京帝国大学教授、東京女子大学長を歴任・行政官として台湾の開発にあたった・第一次世界大戦後、国際連盟事務局次長に選ばれ、公正な言動により「連盟の良心」と称えられた・1933年(昭和8年)カナダ・ビクトリア市で逝去台湾とか国際連盟とか、彼が辣腕をふるったであろうその頃の様子について、もっと知りたいと思った。後ほど調べてみようと思う。生誕の地には、彼が生まれた当時の名残りらしきものは見当たらなかった。それでもこの細長い土地は彼の偉業を顕彰する場として、銅像をメインにきちんと整えられていた。
September 3, 2025
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南鍛冶町(みなみかじまち)は仙台から江戸に向かう奥州街道沿いに位置する町。この辺りは空襲の被害を逃れ、昔の道筋は今も残っている。住居表示の波にも抗い、今も住所は南鍛冶町◯番地のまま地番が使われている。南鍛冶町は旧奥州街道を挟んだ、いわゆる両側町になっている。沿道に鍛冶職衆がいたような名残りは見つけられなかったが、道の突き当りに火の神といわれる古い神社(三宝荒神社)があった。辻標73番「三百人町/南鍛冶町」は南鍛冶町を次のように説明している。・奥州街道沿いの荒町と穀町との間の町。・米沢以来の鍛冶職衆の町であるのが名の由来。・仙台開府当初、鍛冶職衆は元鍛冶町に配置されたが、寛永五〜十一年(1628−34)同地が侍屋敷とされたため、南と北の鍛冶町に移った。・町の守護神三宝荒神社は元和年間(1615−24)の創建といい、早くから鍛冶職衆が住んでいたとも考えられる。辻標73番「三百人町/南鍛冶町」そして、辻標に書かれている三宝荒神社の境内で、次のような説明を見つけた。・三宝荒神・今も民間で広く信仰されている日本特有の仏教における信仰の対象である。・三宝とは〔仏・法・僧〕の三宝を守護するといわれる。・その一つ「仏」はすなわち本尊である。・「法」は仏の教え、「僧」は仏の教えを広め奉じる僧である。三宝を守る守護神と言われている。・屋内の竈〔かまど〕や台所に祀られ、火の神、火伏の神として深く信仰されてまいりました。・中世「平安時代」以降に神仏習合によって発生し、修験者や陰陽師等の民間宗教家によって広められた神であると考えられております。(中略)・三宝荒神は近畿地方を中心に全国に300社あるといわれますが、東北には少なく貴重な壱社といわれております。(後略)・宗教法人 三宝荒神神社の説明文には直接的に鍛冶職衆との関わりは記されていないが、火の神、火伏の神であることをもって鍛冶職衆の信仰を集めていたということかな、と思った。
August 29, 2025
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