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今朝から、すごい風。雨も降ってきた。台風の影響だろう。・・なのに、午後、娘が「お母さん、浴衣着せて」と浴衣と帯を持って来た。やれやれ、こんな日でも行くのか・・・。毎年、着せてやるのだが、彼女は痩せているので、合わせの部分の重なりが多く、非常に着せにくい。頭を見ると、グチャグチャ。「貴方、それで行くの」「ううん、もう、少し何とかする」今時の子のファッションは解らない。どう見ても、結んだまま寝崩れた格好だ。下駄の鼻緒に当たる部分にバンドエイドを貼って、終了。私が大切にしている木のバッグを貸してくれと言う。「傷つけたら、許さないから」「解った、解った」持ち手のついた、赤い花の彫刻のある、アメリカでは、名の知れたデザイナーのバッグ。私の宝物だ。10コ以上コレクションしている物のうち、持ち手も木の物は、そう無い。「大切に使わせていただきます」神妙な面持ちで、言う。こういう時だけ、低姿勢。全く、要領が良い。用意をさせ、車でおじちゃんの家に浴衣姿を見せがてら、お小遣いを貰いに行った。父は、もう、お風呂に入って、パジャマ姿で夕ご飯中だったが、すぐ見に出てきた。「おお、可愛いなあ」目がくちゃくちゃ。顔色も良い、今日も元気そうだ。良かった。お小遣いをせしめて、駅まで行き、降ろした。「あまり遅くなったら駄目よ」「解ってる」後姿を見送りながら、今年も無事、着せてやれたなあと感慨深かった。
2004年07月31日
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今日、やっと、ビデオが借りられた。ここ数日のコースで、ビデオのコーナーに行った。空っぽだったケースに、あった、有った、待ちに待った第一巻。メチャメチャ嬉しかった。すぐに帰宅して、早速、見た。ウ~ン、今まで見てきた2~5巻の話が、うんと、ツジツマが合った。そうか~、こういうシチュエーションでこうなったんだ・・。みたいな、納得。それから、かのアイドルの子の表情を見たくて自分でも、馬鹿みたいと思いつつ、何回もスローにして見たり、一時停止にしてみたり。見れば、見るほど、どんどん面白くなった。完全にはまっている。「また、見てるのぉ」と娘に馬鹿にされた。そりゃそうだ、自分でも、そう思うのだから。しかし、流石だなあと思った。ここまで人を、どうあろうと引き付ける魅力がこの子にはあるんだなあ、世の女の子をキャーキャー言わせる何かを、やはり、生まれ持っているのか、彼の努力の賜物なのか・・・。多分、両方なのだろう。若くして、演技も、歌もここまでになるには、やはり、秀でるには、並大抵の努力じゃないはずだ。我が家の若い子達もはどうなのかな?少し、ぬるま湯すぎた帰来がある。親として、反省すべきじゃなかろうか。それだけ解っただけでも、はまる価値はあるかな?
2004年07月30日
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大きな台風がきている。進路は非常に珍しい西進の台風。しかし、どうやら、この地方も影響がありそう。それも、くるりと曲がって行く際、丁度、東側になるから、台風が影響する日数が多い模様。子供達はこの日曜日にある、大規模なお祭りが、中止になるのじゃないかと、騒いでいる。いつも、何もしないくせに、自分で浴衣をクリーニング屋さんに持って行き、用意をしていたらしい。「残念だねぇ」と言うと、「ふ~ん、まだ、解らないよう~だ」。私もお祭り娘だった。東京の下町のお祭りは、威勢が良かった。子供心にお神輿を担ぐ大人を見て、初めてほのかな憧れを感じた。山車は、子供の物、お神輿は大人の物・・という鉄則があった。夜店も魅力。アセチレンのボアっとした明かりの中、おままごと道具のばら売りやさん、高嶺の花だった、海ほうずき。カルメ焼き、アメ細工、バナナの叩き売り、綿アメ屋さん、かき氷屋さん、金魚すくい、ヨーヨー釣り、カメ釣り屋さん・・・ETC今でも、あのざわめきが好きだ。ただ、この街のお祭りは、いやに綺麗になってしまっている。お祭りの実行委員さんのお蔭で危険のないお祭りになっている。しかし、子供の頃のお祭りは、てき屋さんの屋台が、寅さんみたいなおじさんばかりだったし、何か、雑然とした感じが魅力だった。夜、外に出る事が許されないのに、お祭りの夜は特別だった。父に手を引かれ、金毘羅さんの御祭りに出かけた。懐かしい、暖かい思い出。台風で、また、大きな被害が出なければ良い。
2004年07月29日
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最近、少し、はまってしまった物がある。あるTVドラマなのだが、最初の放映時には、見ていなかった。再放送を、何気なく見ていたら、はまった。実に、有り得ない話で、若い子が喜びそうな話で、ここに書くのも憚られるくらい、作家には申し訳ないが、所謂、ジャニーズ系の男の子が出てくる夢のような話。しかし、一話を見逃したのだ。何気に見ていたのが、最終回に至る頃には、完全にはまって、年甲斐もなく夢中で見て、多分、彼のお母さんが、同年代だろうと思いつつ、少し、胸を熱くし、少女のような気持ちになった。見逃した一話を求めて、毎日、レンタルビデオ屋さんを梯子しているが、未だに借りられない。・・・・・・と言う事は、私のほかにもはまった人がいると言う事。それも、学生が家にいる時間の放映ではなかったので、私と同じ主婦か・・・。何だか、嬉しくなった。娘達は、「ゲッ、ウッソ」と完全に蔑んで見ている。しかし、当の私は、借りられた2~5巻を、事の他気に入って繰り返し見ている。こんな息子がいたら、もう、可愛くて仕方ないだろうなあ・・とか。そういう自分が、また、可笑しいやら、いじらしいやら。まあ、楽しい毎日にしてくれている事は確か。ビデオを借りに行くついでにリハビリ内科に行く・・と言う効能もある。なかなか、外に出られなかったのに、「見たい」という気持ちだけで、体が突き動かされ、動き出すと動けてしまうから、不思議なのだ。ここ数日の、自分でも不思議な行動。で、今朝も、いつもなら、まだ悶々と横になっている時間に、家を出て、3軒もレンタルビデオ屋さんを回って、リハビリに出かけた。付いた脂肪は、なかなか手強い。ここの所、土日以外は、ほとんど通っているが、効果はあまり感じない。それより、ここひと月、以前から朝食を食べると胃がもたれるので、たまたま買って来た韓国産の豆乳がメチャメチャ美味しく、そのお店にあったのを買占め、朝食代わりに飲んでいたのだが、もう無くなり、普通に食パン半枚、卵と、前の朝食に戻したら、おなかが苦しくて仕方が無くなった。どうやら、豆乳の朝食が合っていたようで、日本のメーカーのを色々買ってきては、飲むのだが、あの豆乳ほど美味しくないのだ。それで残してあったパックに書かれていたメーカーに、直接注文した。そうしたら、TVで豆乳ダイエットの特集をしていた。ダイエットのつもりではなかったが、確かに肌はつるつるになってきたし、パンを食べた後の、おなかの苦しさも無く、非常に良い調子なのだ。一斤、6枚切りの一枚の半分しか食べないのに、苦しくなる自分のおなかに、ほとほと情け無いと思うのだが、多分、非常に代謝が悪いのだろう。届くのが楽しみだ。豆乳と、リハビリ、ビデオ、今の所のライフワークになった。
2004年07月28日
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午前中、娘を学校に送って行った。体育祭の応援の練習とか。時間が、中途半端だと、3つの路線の電車の時間が全く合わず、普段は、一時間弱で行ける所が、一時間半以上掛かってしまうのだ。しかし、車で行くと15分。その昔、お城があった山の上の校舎まで行き、娘を降ろし、引き返した。今日はカウンセリングの日。今日、話をしながら気が付いた。私は、子供の頃、褒められた事が無いのだ。いつも、母は、嘆いていた。どうして、こんな成績を取ってくるの・・。どうして、ちゃんと、お行儀良く出来ないの・・。どうして、出した物を片付けられないの・・。どうして、どうして・・・。だから、自分に自信が無かったし、コンプレックスの塊だった。その反動からか、自己主張が強かった。コンプレックスの強い人は、引っ込み思案になるとは限らない。褒められたことが無いから、反対に褒められたくて、色々手を出すのだ。そのことが、今も尾を引いている事は、明瞭。今日のカウンセリングは、非常に有意義だった。こういう日は、自分でも、本当に考えさせられる。しかし、解ると、対処も出来ると言うものだ。いつも、このように有意義な事ばかりではない。愚痴ばかりの日もある。だが、やはり、私には必要な場所であることに間違いは無い。午後から本当に蝉がうるさかった。夕立もない。からからに乾いた空気。窓から外を見たら、今年も柿が沢山の実をつけていた。クーラーは相変わらず、利かない。
2004年07月27日
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今日は、以前からの予定だった娘の個人面談の日。暑い毎日、少し、気持ちも体も緩んでいたが、今日は、そういう訳には行かない。午前中に、内科に私とおばあちゃんの薬を貰いに行き、お昼を調達した。個人面談は、午後3時過ぎから。夏休みに入っているのに、期末テストやら、修学旅行などで、個人面談が学期内に出来なかったらしい。うちの学校は、親に成績表などを渡すのが基本なので、まだ、成績表は見ていない。お化粧して、新しいサマージャケットを着て、遅刻常習犯なので、遅刻しないよう頑張って出かけた。学校に着くと、夏休みのトレーニングなのだろう、サッカーや、野球部の子供達がこの炎天下、頑張っていた。熱中症にならなきゃ良いなあと横目で見つつ、日傘をさして校舎に向かった。娘のお教室は新校舎の5階。エレベーターに乗って、お教室の前に行くと、木のベンチや、テーブルや椅子の設置してある広いサロンのような場所があった。反対側に音楽室があり、毎週来ていたのに、こんな良い場所があったとは、気付かなかった。と、Kさん、と声を掛けられた。幼稚園から一緒のお友達のお母さん。あれ?・・と言う事は、相当時間が押しているって事?早く来た時に限って、こうなんだよなあ・・。暫く待って先生に呼ばれた。進学校に行かせていて何だが、私は、全く子供の勉強に興味が無い。そりゃ、小学生の頃は、見てやっていたが、中学に入ってからは、一切、放ってある。自分次第だと思うから、いくら親が、がみがみ言っても、逆効果だけと思うのだ。自分が将来なにをしたいか、それに向けて、何を学んだら良いのか、自覚しなくては、いくら回りが言っても仕方ないと思っている。その為、親じゃなかなか解らない進路を相談できるように、進学のエキスパートの揃っている学校に入れたのだ。だから、娘達も親に相談するより、先生を頼りにしている。それで良いと思っている。大学受験の9月になって進路変更したオネエに対処出来たのも、先生のお蔭。チビの先生には、以前から、成績には興味が無いと言ってある。だから、先生とは、チビが家でこんな物になりたいと言っている・・・というような事しか話さない。先生も、その方が都合が良いらしい。中には、何処の学校の偏差値が幾つで、自分の子供がそこに入るにはどう勉強させたら良いか・・など、非常に具体的に尋ねる親御さんもいるらしいが、私には、反対にできない芸当。自分の事は自分で何とか・・が、我が家の方針だ。勿論、相談してきたら、最大の考慮はしたい。15分余り、先生とお話し、お教室を出た。通知表の他、全国模試の学年成績表、各々の偏差値表を抱え、車に戻ると、車の中は灼熱地獄と化していた。全く、嫌になってしまう。帰りにリハビリ内科に寄って、脂肪吸引をしてマッサージをして帰宅。もう、6時を過ぎていた。あ~、疲れた。
2004年07月26日
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パパは、昨日からお泊りの接待ゴルフ。折角、叔母達が来てくださったのに、以前からの予約で、どうしようもなかった。朝、起きてすぐ母に電話。叔母達の泊まっている旅館に一緒に連れて行ってもらうことにした。超特急で用意をし、父の家に行った。旅館は古く、お玄関はよく磨かれ、老舗特有の雰囲気が素敵だった。暫く、紅茶を頂きながらおしゃべり。いつまでも、こうしておしゃべりしていたいが、電車の時間もあり、お名残を惜しみながら、玄関に出た。旅館の方に写真を撮って頂き、車に分乗し、駅までお見送り。叔母は、足取りもしっかりとし、何度も振り返り、エスカレーターに乗っていった。胸がキュンとする一瞬。やはり、一抹の寂しさを感じずにはいられない。そりゃ、生まれた時から、孫のように、妹のように可愛がって頂いた人達だもの。オムツを替えてもらった程だもの。数え出したら、きりが無い。初めてプールで泳ぎを教えてもらったのも、初めて映画に連れて行ってもらったのも、宝塚を見せてもらったのも、パチンコに連れて行ってもらったのも、皆、みんな、叔母や従姉妹達だ。弟が生まれつきの心臓疾患で、入退院を繰り返していた頃、母が病院に泊り込み家を空けていた。そんな時、学校から帰ると、優しい従姉妹の笑顔が迎えてくれ、寂しい気持ちを埋めてくれた、私には、掛け替えのない人々なのだ。中学を出てこちらに来た頃、本当に毎日、寂しくて仕方なかった。大人になってもやはり、見送る時は、寂しい物なのだと思った。午後から、少し横になった。夕方、パパが帰宅。夕食を摂ってから皆で、映画「トトロ」を見た。何回見ても、泣いてしまう。あの状況が、丁度、私が髄膜炎で入院していた頃と同じ状況で、さつきとメイが、そのまま、娘達と重なってしまうから。丁度、幼稚園の運動会の頃、私は入院していた。可愛い障害物競走の時、チビは、初め一等で走っていたそうだ。パパは、途中から一緒に走る設定で、待っていた。よし、皆両親が応援に来ている中、ママがいないのに頑張ったのだから、このまま一等賞でゴールしてあげようと思ったそうだ。しかし、チビは、小さな山を駆け下りる際転んで、そのまま起き上がらず、その場にうつ伏せになったまま動かなくなってしまった。皆、もうゴールしてしまって、会場が一瞬、気まずい雰囲気になったので、仕方なく迎えに行くと、下を向いたまま、泣いていたのだ。パパはチビを抱き上げ、よく頑張ったなと言うと、大きな声で泣き出したそうだ。それを聞かされてから「トトロ」を見た時、その時の話をどうしても思い出し、娘達に寂しい思いをさせたあの頃の気持ちを、映画を見る度、思い出し私にとって、涙なくしては見られない、忘れられない映画になった。お姉ちゃんというだけで、まだ、小学生のさつきが、頑張る姿はそのまま、あの頃のオネエに重なり、我が侭を言っちゃいけないと小さいながら我慢していたチビが、転んだ途端、我慢の糸が切れ、泣き出した姿が、そのままメイなのだ。久しぶりに見た「トトロ」は、やはり、涙無くしては見られなかった。二人とも、大きくなったものだ。
2004年07月25日
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今日は、東京から大好きな叔母と従姉妹達が父の見舞いに来てくださった。昨日は、近くの観光地に一泊してからだったので、お疲れだろうと、心配だったが、夕方、母から電話があり父の家に行くと、皆さんお元気そうでほっとした。94歳に成る叔母は、本当に信じられないくらい元気。今も、卓球を続けているそう。私は多分、90歳までは生きられないだろうなあ。前もって、前日は海辺の観光地に一泊と伺っていたので、夕食は中華にしたかった。少し離れた所に、あの、料理の鉄人に挑み、勝ったオーナーシェフの創作中華の店が有る。コーラスの仲間や、先輩達と、何回か利用し、顔も覚えていただき、一昨年の暮れの追い出し会には、事前の打ち合わせ時に、中国のお茶を、何種類もご馳走になった。お客さんのいない時間に打ち合わせをしたのだが、本当に料理の好きな方なのだ、これが、本物のプロなのだと、改めてその職人魂に感激した。その時に頂いた、お湯を注ぐとお花のように開くお茶は、忘れられない。4煎も、5煎も美味しく頂ける様なお茶を頂いたのは生まれて初めてだった。そのお店に、叔母達をお連れしたかった。椅子席にして欲しい、個室にして欲しいなど我が侭を言い、何とか調整してくださったが、何せ人気のお店なので、どうしても、夕食には遅い時間しか空いておらず、断念。結局、最近、京都から板さんが来て、評判が良い料亭に予約した。こちらも、最初は掘りごたつ式の個室は満室だったが、何とか、快く、前からの予約を操作してくださって、個室、掘りごたつ式のお部屋を空けてくださった。その上、以前、すごい量が出て来て、結局食べ切れなかったので、量より質でお願いします・・・と散々我が侭を言ったが、本当に快く、お引き受けくださった。お客様商売は、これでなくっちゃと、こちらも、気持ちが良かった。父の車と二台で向かった。お庭が綺麗な料亭だ。鯉のいる池に屋形船も浮かび、そこもお部屋になっているらしかった。次々運ばれてくるお料理は、皆美味しく器も、とても素敵だった。やはり、何より、気持ちの通じる人達と一緒の食事ほど、美味しいものは無いとつくづく思った。涼しげな楕円形の大きいガラス皿に、まるでフランス料理のオードブルのように盛られたお刺身、段になった丸い籠状の昔のお弁当箱のような物に入った嗜好を凝らした数種類の前菜、可愛いますに盛られた茹でかに、竹細工の蓋を取ると籠に入った松茸と海老の天ぷら、渋い草色の形状の美しい土瓶には、京料理には欠かせないはもと松茸の土瓶蒸し、日本料理なのに、次は太い金線の入ったアンティークなお皿に食べ易い大きさに切られたステーキ、最後は、あさりのお味噌汁と、握り寿司5種類。デザートは、真ん中が緑色に金箔の入ったすりガラスのお皿に盛られたフルーツ。もう、本当におなかが一杯。日本人で良かったなあと、つくづく思った。器も、お料理も、日本ならではのものだ。予約したお値段で本当に良いのかなあと思うくらい、量より質を実践してくださった。一つアクシデントがあった。チビが緊張で、腹痛を起こしたのだ。全く、子供の頃の私にそっくり。お店の方が、お座布団とタオルを用意してくださったので、チビは、暫くそこに横になっていたが、何のことは無い、私がおなかが一杯で食べられ無かったお寿司まで、ちゃんと食べた。「おなか痛いけど、食べたいもん」!若いんだなあ。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。もっと近くにいられたら良いのになあと、こうして会える度に思う。自分と同じように、従姉妹達も、歳を重ねている。でも、こうして集えば、子供の頃と同じような気持ちで、接する事の出来る幸せを思う。父は、今晩も元気に食べ、おしゃべりをした。皆さんに会えて、本当に楽しそうで、私も嬉しかった。叔母ちゃん、皆さん、こんなに遠い所までいらしてくださって、本当にありがとうございましたm(__)mもう一つ、楽しい時間をありがとうございましたm(__)m
2004年07月24日
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今日もまた、この暑さで熱中症で亡くなる人が出た。自然の力の脅威を思い知らされる。文明社会に慣らされた人間はなんと弱いのか・・。対処の方法を連日テレビで放映しているが、昔の人間は、こんな知識は親から子へと、ごく自然に、伝授されていったに違いない。当たり前かもしれないが、文明は人を長生きさせる方法を身につけたが、反対に、当たり前の事として受け継がれた物が、死滅したようだ。昔、小学生の頃、ガラス工場、工房に学校から見学に行ったことがある。工場の広い建屋の上部に、ぐるりとめぐらされた見学用の橋の上から作業を見学した。タオルで頭をくるんだランニングシャツ姿の職人さんが、長い吹き棒を口にして、高炉から出された真っ赤になった光の玉を吹くと、綺麗に膨らんだガラスになった。そして、次々、美しいガラスの器が出来上がっていった。滴り落ちる汗を拭いながらの作業。高い位置から見ていたが、その暑さは忘れられない。と同時に、気が付くと、時々作業台の上の白い物を口にしていた。作業を中断して軍手を取って口にしていたのが、後で塩と説明をされ、子供ながらに「なるほど」と思った鮮明な記憶がある。暑い時は、水分を十分に摂るのは、周知の通りだったが、そうか、塩も取らなくちゃいけないんだと、その時、改めて工場の暑さと共に、強烈に記憶の中に残った。熱中症が多発する理由に、「気が付かない」というのが最大の理由だと言う。恐いなあと思ったのは、浜辺で甲羅干しをしていた人の体温を測ったら、皆、37度以上になっていたという結果だ。家にいて、37度以上になったら、だるいはずだ。しかし、外にいると、まして、海にいると、気が付かないのだ。そして、気が付かないうちに、熱中症になってしまうのだそうだ。そして、もう一つ、汗を吸い取りやすい綿の物を身にまとう事も、大切な事だそうだ。折角、水分や塩分を取っても、体の熱を外に出せないと、やはり熱中症になってしまうのだ。昨今、体液に近いナトリウム入りの飲料水が多々出ている。やむ終えず、クーラーの利いていない場所に行かなければならない時、必ず綿素材の物を着て、この飲料水を持ち歩こうと娘達とTVを見ながら話し合った。熱中症、なかなか侮れない、厄介なものらしい。
2004年07月23日
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今日は、東京で40度を越えたと言う。幸い、この地方は、36度程だった。36度で、この程度と思う自分が恐い。地球はどこまで暑くなるのだろう。クーラーの具合が良くない。一緒の時期に各部屋に設置したのに、リビングは駆使したものだから、もう、あまり効かなくなった。17度に設定しても、27度に設定しても、涼しさは変わらない・・・と言うより、暑いのだ。多分、ガスを入れれば良いのだろうけれど、電気屋さんを部屋に呼べる状態ではないので、我慢を強いられている。墓穴を掘っているのは自分だが、今は、どうしようもない状態。それでも、犬の散歩に、涼しくなる夜を選び外に出ると、モアッと体を熱気が包むから、ある程度は、効いているのだろう。昔は、夜は、少しだが涼風が吹いたものだが、今年は、夜も、昼間と変わらないくらい暑い。地球温暖化が、人事じゃないと、思い知らされる。最近見たTVで、海辺に住みたくて、都会から砂浜際に移り住んだ家族の話題があった。住み始めた頃は、海まで何メートルもの砂浜があったのに、今では、もう、海が目前に迫ってきてしまったそうだ。つまり、砂浜が無くなってしまったと言うのだ。砂浜が無くなったと言う事は、地球温暖化によって、南北の極地の氷が溶け、確実に海が迫っていると言う事だ。日本中の浜辺に、同じような現象が起きているそうだ。正に、映画のままになってきているのじゃないかと、考えると、そら恐ろしくなる。友人の家の土蜘蛛が、今年は、地中に巣を作らず、家の外壁づたいに、屋根の方に巣を作っているそうだ。修繕に来た大工さんが、土蜘蛛が、こういう巣の作り方をする年は、水害が多いと言ってらしたそうだ。事実、新潟、福井と既に水害に遭っている。何だか、地球が、壊れていくような、本当にこんな事している場合じゃない・・・・みたいな、とんでもなく恐い自然現象がありそうな気がして仕方ない。取り合えず、地震のために、本気で準備をするべきかもなあ。
2004年07月22日
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今日は、土用丑の日。子供に、何故、土用の丑の日にうなぎを食べるのかと聞かれた。確かな事は解らないが、夏の体力の衰えた時期が、丁度、暦の上で土用の丑の日になるからじゃないかなあと答えた。いい加減な物だ。しかし、バレンタインデーのチョコレイトのように、うなぎ屋さんの、策略だと思いながら、どうしても、この日はうなぎを食べなくちゃと思ってしまうのだから、単純だな。気持ちが悪かったので調べた。「旧暦六月中旬からことさら暑い日が続く。この夏の最も暑いさかりを土用という。土用とは本来、四季それぞれにあるわけであるが、夏の土用だけが今も暮らしの中に残っている。」だそうで、「今のように土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは幕末の万能学者として有名な平賀源内が、夏場にウナギが売れないので何とかしたいと近所のウナギ屋に相談され、「本日丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだと言われています」(暦の日http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0700.htm)まさか、平賀源内がきっかけとは、思わなかった。なかなか、面白いじゃないですか?バレンタインのチョコレートメーカーと同じことを源内が考えていた訳ですから(笑)でも、土用丑の日は、この夏もう一日あるそうですよ。夕方、だるかったが、しぶしぶ買いに出かけた。日曜とか、土曜日に当たると食べに行くのだが、今日は平日なので、デパートのうなぎ屋さんで買う事にした。並ぶのを覚悟の上で、出かけた。案の定、ずらっと行列。まあ、30分も並べば買えるかなあと、最後部と言う札を持っている係員の所に行き、列についた。お値段は、一尾1300円代から、2300円まで。その時にならないと、そのお値段の在庫が有るか無いか、解らない・・・と言う曖昧な物。この灼熱の中、クーラーの利いた店内とは言え、うなぎを焼いている人は、汗にまみれ、時々ペットボトルの水分を補給して焼いていた。大変なお仕事だなあと思いつつ、順番を待った。私がショーケースの前に立った時、丁度良い大きさの物があったので、4本ゲット。それから、小食の両親には一番大きいのを一本頼んだ。あ~、これで、貯めてあったお買い物券は、消えてなく無くなった。美味しいうなぎは、値段が高い。まあ、一年に一度の贅沢だから、仕方ないか・・。肝吸いを作りたかったが、肝は、すでに売れきれだった。帰宅途中、うなぎ屋さんに寄った。丑の日が休みの日には食べに行くお店だが、うな重のお持ち帰りも扱っているので、すごい人だったが、「肝有りますか?」と聞いたら、「すみません、もう、売り切れました」との事。仕方ない、今年は諦めるか・・・。最後に近くのスーパーに寄って、お吸い物に入れる具を調達しようと店内に入ったら、なんと、一船、肝が残っていた!!ラッキー!!これで肝吸いも作れる。帰宅後。すぐに行動開始。肝吸いをつくり、冷凍してあった茹でたホウレン草を解凍し、お椀に入れた。そして、その上から肝吸いを注ぐ。買って来たうなぎをもう一度、少しだけ焼くのがこつ。ご飯をおどんぶりに入れ、買って来たうなぎのたれをかけ、焼いた海苔を刻み、満遍なく降り掛け、その上に少し焼いたうなぎを2センチくらいに切って乗せ、また、その上からたれをかけ、海苔をかけ、山椒の粉を振りかけた。ウ~ン美味しそう!それから、この地方発祥の「ひつまぶし」をするため、だし汁を作った。できあがり。皆を呼んで食べ始めた。「美味しい!!」そりゃそうだろう。何せ、スーパーのうなぎと違って、ホクホクのうなぎだ。小さなおどんぶりに、少しうな丼を移し、わさびを入れ、上からだし汁をかけ、薬味のおねぎをかけお茶漬けのようにして食べる「ひつまぶし」も絶品。「ほんと、美味しい」。うなぎ屋さんで食べれば、一人一尾は入っていないから、返って贅沢かもしれない。おうちでこうして食べれば、半額で済む。味も、そう変わらない。美味しい、美味しいうなぎは、あっという間に皆、完食。美味しかったねぇ。と余韻に浸る幸せ。人間、美味しい物をたべられるのは、本当に幸せな事だよね。お母さんが、その分、少し大変な思いをするけれど、皆の「美味しい」を聞くと、並んだ疲れも、吹っ飛んじゃう。また来年、美味しいうなぎが食べられますように。
2004年07月21日
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今日はカウンセリングの日。午後からは、診察もある。カウンセリングは、大体、一週間の出来事や、その時に感じたことなどを話す。先週は、頭痛が酷くて、休んだので、何から話そうか、自分の中で、考えてから口に出す。時間は大体一時間だが、時間通りに行けないので、40分くらい。おばあちゃんが家にいた時分は、愚痴ばかりだった。父のことがあってからは、不安で潰れそうな気持ちを、話す事で救ってもらい、人には解って貰えないADHDの悩みも、ここでは、ちゃんと理解して貰え、対処のアドバイスがもらえる。人に言えない悩みや、苦しみも、話す。話しながら、自分の中にある、潜在意識を確認したりする。そうすると、堂々巡りだった、辛い気持ちに突破口が見つかる事も多々ある。アメリカでは、自分に何人、相談するカウンセラーがいるかが、ステータスになっていると聞くが、日本では、まだまだ、非常に閉鎖的な物の考え方が支配されている。精神科に通っている事事態、奇異の目で見られるのだ。でも、今、人の心は多いに病んでいる時代だと思う。自分の精神的な病に気付き、精神科に通っている人の方が、心が健康な事もありうるのだと思う。自殺者の数が、増えていると言う。ちょっと、勇気を出して、精神科の扉を叩けば、楽になるのになあと、通っている者から見れば、こんな簡単な事で命が一つ、救われるのにと思う。しかし、最初は何の抵抗も無かった私だが、確かに行けなくなった時期もある。それは、暴れている患者を目の当たりにした時、そこに一緒の立場でいる自分に戸惑ったからだ。その「輪」の中に一くくりになっている自分を感じた時、暫く、通え無くなったのだ。何が正常で、何が異常なのか、その境目が解らなくなった時期だった。しかし、鬱が酷くなり、半年後には、家族に助けられ、また通えるようになった。昨今、TVで「うつ」のCMが流れるようになった。私が精神科に通いだした頃には、考えられなかった。しかし、潜在的なADHD障害者は10万を超えると言われ、うつ病患者も、日本人の3人に一人は、その傾向が有ると言うこの時代、もっと、精神科を認めて、利用すべきと思う。臭い物に蓋・・・と言う考え方が、昨今の少年犯罪を生んでいるのだと思うし、犯罪を犯した少年少女たちは、必ず、この精神科にお世話になるのだ。精神科とまで行かなくとも、カウンセラーが面接するのは必至なのだ。その時になって、親は、うろたえる。実に、馬鹿馬鹿しいと、思えてしまう。気が付かない親も親だが、もっと、気軽に精神科を利用していれば、こうなる前に何とか救えたのじゃないかと、いつも、少年犯罪が起きる度に思う。かく言う私は、小さな頃から、カウンセラーにお世話になっていた。母から見たら、正常ではない行動が多かったからだが、カウンセラーが発した言葉は「お子さんには、問題がありませんが、お母さんに少し問題があるようです」だった。母は固い教育者の家庭で、正に絵に描いたような優等生として育った。その母にとって、私は、全く自分の子供として許せない存在だったのだろう。幼稚園で、先生が絵本を読むからお教室に入りなさいと言っても、砂遊びに夢中だった私は砂場を離れず、一人、砂遊びに興じていたらしい。反対にお外で遊びましょうと言われ、皆が外に出るのを、本に夢中になっていた私は一人、お部屋に残って本を飽くまで読んでいたそうだ。それを、保母は「40年保母をしていますが、こんな子は初めてです」と母に言った。問題児扱いされたのだ。正に、黒柳徹子さんと同じだった。で、カウンセリング通いが始まった。優等生の母にしてみれば、私の子なのに、どうしてちゃんと出来ないの・・・と腹立たしかったのだろう。しかし、視点を変えてみれば、そんなに異常な行動ではないはずだろう。集団行動には向いていなかったかも知れないが、自分のしたい事に夢中になるのは、悪い事ではないはずだ。これも、世間の曲がった尺度の犠牲だと思う。黒柳さんのお母様と母の違いは、娘を異常と思ったか、思わなかったかだと思う。昨今、個性の教育が叫ばれて久しいが、正に、この時代だったら、私の行動は、問題視される事は無かったに違いない。でも、その御蔭で、私はカウンセラーに出会う事が出来、大人になっても、何の抵抗も無く、精神科に行く事が出来、うつが判明し、ADHDと診断され、救われることになるのだから、何が、幸いするかわからない。悩んでいる間があるなら、精神科の扉を叩いて欲しいと思う。とても、勇気のいる事かもしれないが、人の力を借りて、自分を救うのは、そう、悪いことではないと思うから。何故なら、自分に見えない「自分」が、人には、見えている事が多々あるから。
2004年07月20日
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今日は、海の記念日。昔は7月20日だった。弟の誕生日だから、忘れなかったが、最近は祝日が流動的になってきたので、覚えにくい。下の娘は明日、終業式。明後日から、夏休みだが、山ほどある宿題を、今からやっている。ちょっと長い休みがあると、休み明けには必ず実力テストがある学校なので、可哀想だが仕方ない。まあ、学生は、勉強するのが仕事だから、当たり前と言えば、当たり前の話だが。オネエは、来週から試験。ここ数日、補習週間だと言って家にいるが、図書館や、父の家に行って勉強している。暫く図書館に通っていたが、お昼ご飯を食べに外に出なければならないのに比べ、父の家は、静かな上、据え膳のお昼付きときているから、昨日から父の所に行って勉強している。大学の試験は、大変なようだ。私は、もう、忘れてしまったが・・。オネエの夏休みは、8月になってからだそうだ。今年の夏休みは車の免許を採りたいと言っていた。お友達の中で、免許をまだ持っていないのは、娘だけだそう。免許を取っても、車は買わない約束。3台も置く場所が無い。多分、私が乗らない時、私の車に乗る事になるだろう。おお、恐い!!可哀想に、すでにポンコツなのに、やっと、車検を通してもらった愛車なのに、これ以上いじめて欲しく無いのに、娘が乗ったら、傷だらけになるのは、目に見えている・・。すでに走行距離は、10万キロに達しようとしている。大切な愛車なのになあ。しかし、私のように歳を重ねてから免許を取得するのは、なかなか難しいから、今のうちに取ってしまうべきだとは思う。この土地は、車が無いと、本当にスーパーにも行けないから、仕方ないか・・・。何せ、お嫁入り道具に車は付き物の土地柄。私は、父の許しが無かったので、結婚前に免許は取らせてもらえなかった。「危ない」「結婚前の大事な体にもしもの事があったら、ダンナ様になる人に申し訳無い」と言う昔堅気の理由からだった。今時・・・と反発したが、結婚した当初は、都会に住んだので、全く必要が無かった。不便も感じなかったし、パパの車が邪魔になって、義弟にあげてしまったくらいだった。たまの休みに乗るくらいで、毎月、都会の駐車場代が勿体無かったし、税金や維持費が勿体無かった。手軽にレンタカーが借りられる時代になっていたし、子育てに追われて、車で遠くに遊びに行く余裕も無かった。この市に越してきて、また、パパは車に乗るようになった。幸い、私は、自転車で買い物に行ける距離にショッピングセンターが有ったので、相変わらず、免許を取らずにいたが、パパが肩を脱臼して手術し、毎日タクシーで病院通いをした時、初めて、こりゃ免許を取らなくちゃと、自動車学校に通い始めた。最初の手術でボルトを入れてから一年後、ボルトを抜く手術は、私の免許待ちだった。託児所に娘を預けての、車校通いだったが、反射神経のいる実技がなかなか合格せず、つくづく、若い時に取っておけば良かったと後悔した。平成元年、取得。いまでは懐かしい日々だ。自慢じゃないが、交通法規をきちんと守る、ゴールド免許だ。まだ、警察のお世話になった事は、一度もない。ぶつけられて、事故証明を貰いに行ったくらいだ。窓からたばこの灰を落としている車を見ると、追いかけて行って、注意したくなる。律儀な程、法規は守るべきと思っている。この辺が、不器用な所かもしれない。異常に正義感が強いのだ。今の世の中、嘆かわしいことが多すぎるから、こういう人がいて、丁度良いのかもしれない。免許を取っても、人を巻き込む事故だけは、くれぐれも起こさないよう心して欲しい。なんだか、そら恐ろしい気がしてきた。大丈夫だろうか・・・。
2004年07月19日
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今日こそは洗髪しようと、お休みなのに、早起きをした。パジャマのまま、お風呂場に行き、スウィッチを入れた。今の気持ちのまま、そのまま何もせず、ブザーが鳴るのを待った。やっと、入れた。一旦入ってしまうと、気持ち良く入浴できるのだ。念入りに髪を洗い、湯船に20分以上つかり、ゆっくり、入浴した。クーラーの利いた部屋の椅子に腰掛け、TVを点け、汗が引くのを待った。今日、曾我ひとみさんが、家族を伴い帰国するニュースが、流れていた。新潟に続き、福井も集中豪雨の被害が出た。決壊した箇所を見て驚いた。ほんの、10メートル程の決壊箇所で、街が壊滅状態になるのだ。本当に自然の力はすごい。お昼近くになって、子供達が起きてきた。パパもお休みだが、会社に出ると言うので、少し早いが、昨日、お蕎麦屋さんで頂いたおうどんを使って肉うどんを作った。チビは、おじいちゃんに修学旅行のお土産を渡しに行き、そこで、また、お昼ご飯を食べてきた。どういうおなかをしているのだろう・・・。さっきおうどんを食べてから、一時間余りしか経ってないのに・・・。昨日、出席できなかった組長会議のお詫びのため、区長さんの所に電話。色々、渡す資料があるとかで、明日、受け取りに行く事になった。ご迷惑をお掛けしてしまった。本当に駄目だなあ、私。夕食後、ホームのおばあちゃんのところに修学旅行のお土産を渡しに行った。ふと見ると、ベッドの下に小さなボトルが有った。「お義母さん、これ何?」と聞くと「ああ、それこの前、Sが来た時置いていったんや」Sとはパパの事。しかし、飲料水類の入っていたようなボトルではない。パパも、「おれじゃないよ」。薬品のボトルのように不透明な厚みのあるボトル。気持ちが悪いので、ホームの方に聞くと、「ああ、それどこに有りました?」「ベッドの下に」と言うと「以前、お茶を飲むのに使ってらっしゃったんですが、無くされたとかで、今、別のを使ってらっしゃいます」との事。しかし、おばあちゃんは、頑強に「私が使っていたって?そんなの知らない」覚えていないのだから仕方ない。挙句「私、そんなにボケてないよ~」失礼な・・とでも言う表情で職員の方に言う。職員の方が無表情で私達に挨拶をされて、部屋を出て行くのを見て、本当に大変だなあとつくづく思った。私は、このボケにいちいち、反応し、答えを用意し、反論してきたのだ。そりゃ、マイってしまうのは、当然だったと、改めて思った。このように、ある意味、無視が出来なかった。義母の人格を無視するようで、出来なかった。正常である時も、頻繁にあったから、疲れた時は聞こえない振りもした。そうすると「聞こえてへんの」と突っ込まれた。ああ、今は正常なんだと、慌ててきちんと対応すると、ボケた答えが返ってくる。この繰り返しに疲れ果ててしまった。今、他人だから、どうにかなっているのだと思う。「あの人達、私を良い風に思っていないから、態度が悪い」と言う。他人だから、それで済んでいくのだ。しかし、嫁の立場ではそうもいかない。やはり、嫁姑の関係の痴呆介護は、家族で見るより、他人に委ねた方が正解かもしれないと今日は、つくづく思った。朝から、入浴できたり、お詫びの電話をしたり、おばあちゃんの様子を見に行ったり、今日は、特別な事は無かったが、色々な思いをした日だったなあ。
2004年07月18日
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ADHDの障害の一つに「先延ばし」と言う症状がある。普通の人にも有るよ・・・と言われそうだが、ADHDは、これが、酷いのだ。今日は、つくづく嫌になった。傷ついた。また、鬱がひどくなりそう・・・。朝から、髪を洗おうとお風呂を沸かした。しかし、夕方になっても、入れなかった。気持ち悪かった。こんな日が、もう、2日続いている。何故、入れないのか自分でも解らない。さっと、服を脱いで、お風呂場に行けば済むのに、その行為がなかなか出来ないのだ。とても、気持ちが、だるくなるのだ。だるくなると、コロンと横になる。そうだ、このドラマを見てから。この用事をしてから。ご飯を食べると、おなかが一杯になって、入れなくなる。少し経ってから、入ろう。そうこうする内、夕方になり、夜になった。お風呂に入れない・・・ただ、その苦しみから、夕食の用意も出来無くなった。7時過ぎになった。パパが帰宅して、子供達が食べに出ようと言い出した。こんな汚い髪じゃ嫌だと思ったが、背に腹は代えられないと思い、家を出た。食事を済ませ帰った。もう、9時を過ぎていた。しかし、お風呂には、入れない。そのまま、また、コロンと横になった。悶々とした。どうしてお風呂に入れないんだろう。また、恐怖症状が出たのか・・・。何も、恐いものは無いのに・・・。思考がくるくる同じ場所を回っていた。本当にこんな自分が嫌だった。口に出して言えば、家族がまた嫌な思いをするからと、黙っていた。これがまずかった。今晩、組長会議があったのだ。土沼のような思考の中、すっかり忘れてしまっていた。朝、覚えていたのに、その時間には、お風呂に入れない苦しみの中、すっかり、心の視野が狭くなり、すべて吹っ飛んでしまっていたのだ。家族の誰かに言って置けばよかった。メモに書いて、貼って置けばよかった。しかし、それも「先延ばし」の障害で出来ずにいた。後悔の海の中、どうしようもなく落ち込んだ。この障害と付き合うのは、本当に難しい。そとから、この苦しみが見えないから、人は、そんな風に見てくれない。自分ひとりが、闘わなくちゃならないのだ。自分の障害と。そんな大した事じゃないように思われてしまう。しかし、「お風呂に入って髪を洗う」と言う、人から見れば、何でもない行為が、ADHD障害者には、非常に大仕事なのだ。生活のすべてが、そうだから、非常にしんどい。すぐに仕舞えば良い洋服。すぐに片付ければ良い洗濯物。すぐに捨てれば良い枯れたお花。すぐに開いて捨てれば良いダンボールの箱。すぐに洗えば良い大きなお鍋。時期を逃しちゃいけないお中元。気持ちは充分あるのに出せないお礼状。聞いてすぐに書き置けば良かった予定。何もかも、この「先延ばし」の障害に阻まれ、片付けられなくなり、信用を無くし、非常識者になってしまうのだ。そして、最終的に自分に思いが返ってくる。自己嫌悪と言う、最大の苦しみが。皆に迷惑をかけ、自己嫌悪になってもそれは、貴方の人格とは違う・・といくらカウンセラーが慰めてくれても、現実問題、私はADHDですと言って回るわけに行かない。消しゴムで消してしまいたい日常が、重なって、鬱になってしまうのだ。きちんとした社会生活を送る困難さ。本当に、厄介だ。
2004年07月17日
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朝から、半年ぶりの革工芸の準備。下絵を写すトレーシングペーパーを買い忘れた。方向は逆だが、大きな文房具屋さんにしか無い厚手の物なので、仕方ない、買いに行った。その道すがら、いつも買う、私がここら辺で一番美味しいと思っているケーキやさんの前を通った。急いでいたので、通り過ぎたが、信号で止まって、ふと皆さんにご挨拶代わりに買っていこうとUターン。大好きな焼き菓子フェナンシェを味が違う物を3種類3つずつ10袋作ってもらった。いつものメンバーは7人。お休みしている間にメンバーが増えたかもしれないと思い、多めに買った。高速に乗って30分。駐車場に止め、外に出たら、ものすごい日差し。道具の入った重いカバンを持って、お菓子の入った紙袋とバッグと日傘。フーッ。公共の建物の中でお教室は開かれている。ノックをして顔を出すと、皆さんが「マー」「ワア」と歓迎してくださった。「お元気でしたか」「はい、お蔭さまで」私の指定席は、先生の横。お菓子を「これからも、復帰しますのでよろしくお願いします」と言いながら配った。多めに買って行って正解。以前辞めて、復帰なさった私より古い方がいらした。先生は本当に素敵な先生、大好きな先生だ。お歳を召してらっしゃるのに、とてもお洒落で、ショートカットがよくお似合いになる。黒をこのお歳でこんなにお洒落に着こなす人を私は知らない。久しぶりの革工芸は、本当に面白かった。午後からは、お食事会。積み立てていたお金が貯まったので、使いましょうと言う事になり、近くのお料理やさんに行った。皆さん、私より10歳も20歳も年上の方ばかりなので、おしゃべりは本当に勉強になる。今日は、「きゃらぶきの作り方」をまず教えていただいた。我が家の斜面にふきが雑草のように増えて・・と言う話から、教えていただいた。きゃらぶきの長さに切ったふきを、一晩、外に干すのだそう。そして、そのままお醤油、お酒で煮るのだそう。簡単だから、作ってごらんなさいと教えてくださった。来年、硬くならないうちに、作ってみようと思う。革工芸の教室は、隣の市。丁度、娘の修学旅行の解散場所がその駅だったので、お食事後、駅に向かった。すると、娘からメール。飛行機の中で具合の悪くなった子がいて、飛行機を降りた途端倒れてしまい、先生がタクシーで送って行く事になり、バスの出発が遅れたので、予定より大分遅れるとの事。仕方ない、駅前のショッピングセンターに時間を潰しに行った。2階に上がり、ぶらぶらと、来た事が無いお店を見るのは面白い。1軒のお店の前で釘付けになった。フットマッサージ、リラクゼーションマッサージの文字。以前、経験したあの気持ちの良い感覚が体に戻って、時間つぶしには、丁度良いと、お店の中に入った。クィックマッサージというのを頼んだ。上半身のマッサージ。座ったまま、首筋から背中までのマッサージだった。「すごい、こってますねぇ」揉み始めたマッサージ師の方がびっくりしたように仰った。それ程、自分では意識していなかったが、確かに、揉まれると、超痛い。しかしその痛さも暫くすると、寝てしまいそうになるくらい気持ちよくなってきた。美味しい中国茶を頂いて、お店を出た。何だか、肩も、腰も楽になったよう。これだから、やめられない。癖になるから、あまり良くないと思い、滅多にしないのだが、今日は特別。時間も丁度良い。駅に向かった。道を隔てた場所に大きなバスが4台、横着けされた。娘と同じ制服の子供達が蟻の子のように連なって降りてくるのが見えた。気付かないといけないので、暑かったが、日傘を差して、車から降りて見ていた。来た来た、赤い旅行カバンを提げ、娘が歩いてきた。「お帰りなさい」と言うと、「もう、何でこんなに暑いの~」開口一番。車に乗ると、「ああ、気持ち良い」高速に乗ってすぐ、「何か飲みたい」パーキングエリアに寄って、ジュースをおごらされた。途中、借りていたセーターをクリーニングに出しに行った。帰宅後、「何食べたい?」と聞くとまた「お肉!」。まあ、今日くらいはわがままも許そう。夕食後、おみやげの披露。私には、大好きな万華鏡と、アイヌ織りのストラップ、リクエストしてあった毬藻。あとは、お菓子ばかり、まあ、よくぞ、これだけ買って来たというほど。でも、パパとオネエは、甘い物が好きなので、大喜び。楽しかったと言う言葉が何回か出た。本当に良かった。思い出が沢山できたのだろう。親はそれだけで嬉しい。予想より寒かったので、体調を崩す子が続出。先生方は、もう、本当に疲れたお顔をなさってらっしゃったそうだ。幸い、娘はすぐ風邪を引くので、風邪薬を大量に持たせたので、難なく過ごせた。先生方、本当に、ご苦労さまでした。ありがとうございましたm(__)m
2004年07月16日
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こういう空を「晴天」と言うのだろう。真っ青な空。これでもかと言うように降り注ぐ太陽の光。ほんの少し、肌に感じる風は、清凉。それなのに、気持ちは今一。体調も今一。私の晴天はくるのだろうか・・・。不安になる。明日は本当に久しぶりの革工芸の日。随分お休みをしてしまった。もう、工程を忘れている。また、一からのやり直しだ。でも、革工芸は辞めたくない。大騒ぎして送り出した修学旅行も、明日で終わり。どんな顔をして帰って来るだろう。少しは、成長して帰って来ると良い。今日は、札幌で、自由行動。夕方、時計台で写真を撮ったけれど、思ったより小さかった・・とTEL。お友達とのお付き合いが下手な子なので心配していたが、自由行動のグループで動いているはず、明るい声にほっとした。昼間、TVで小川宏さんが、自分のうつ病の経験を書いた本を出版したと放映されていた。患者が書いた本は初めてとの事。そうなんだ、と、思った。線路に飛び込む寸前、奥さんの笑顔が頭に浮かび踏みとどまったそうだ。私は・・・、子供の顔だった。あの日も、晴天だった。つらくて、仕方が無かった。玄関の踊場の階段の手すりに紐を掛け、やってしまおうと思った。楽になると思った。もう、苦しまなくても良いと思った。死ぬのが、恐くも無く、ただただ、楽になると思ったら、楽しくさえ思えてきてしまった。以前、線路に飛び込む瞬間を見た人が、笑いながら、飛び込んで行くのを見たと聞いたことがあった。きっとこんな気持ちだったんだなあとその時思った。実行しようとした。次の瞬間、目の前のドアが目に入った。娘の顔が見えた。私がぶら下がっているのを最初に目にするのは、下の娘だと、その光景が見えた。そうしたら、紐を持つ手が下に落ちた。娘がぶら下がっている私を目の当たりにして、どんなに悲しむかと思う、心のほんの小さな余裕が私を引き戻したのだ。その場にペタンと座り込んで号泣した。3年前の事。あのドアを見た瞬間がなければ、今、ここに私はいなかった。この事は、家族は知らない。昼間に私がしでかした事だから。知っているのは愛犬のジュリアンだけ。一部始終を傍で見ていたから。号泣している私の耳をペロペロなめてくれた。その時のフワフワした彼女の毛の優しかった事、忘れない。あの頃が私の鬱が一番、酷かった頃だと思う。抗鬱剤で85キロまで太って、気持ちも体も、追い詰められ、どうしようもなかった。今、薬はやめたが、カウンセリングで何とか、過ごせている。鬱も大分よくなっているような気もしている。生きていて良かったと心から思う。あの時、私に玄関のドアを見せてくれたのは、神だと信じている。そして、家族が私を支えていてくれることを、改めて思う。照れくさくて面と向かって言えないが、ありがとう。
2004年07月15日
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今日、友人達と行くはずだったお店。急に貸切と言う事で、駄目になった。連絡しようにも、もう、皆、家を出た時間。ドヒェーーッどうしよう・・・。あわてて、友人の携帯に連絡。「うん、今、お店の前にいるけど、お休みって書いてあるよ」「ごめん、本当にごめん。今日、貸切なんだって」「えーーーッ」「あそこ、前に行ったあのお店どうかな?」「解った電話してみる」もう、心臓が潰れそうだった。早く皆に連絡しなきゃいけにのに、出かけていて出来なかった。平謝りにあやまらなくちゃ。暫くすると、TEL。「大丈夫、採れたよ~」「あーーー良かったーー」で、出掛けた。お店についたら、まだ、誰も異動してきていなかった。行くはずだったお店から10分ほどだから、もう、着いても良い。落ち着き無く通された個室を行ったり来たり。まるでクマのような自分。ドアの前に立って、皆を迎えよう。皆が入ってきたら、もう、心底お詫びしよう。程なくして皆が次々来た。「申し訳ない」深々頭を下げた。「う~ん、何ご馳走してもらおうかな」本当だよ。聞けば、撮影で貸切だったそうだ。今日のメンバーは6人。気の置けない一生の友だ。美味しい食事と、楽しい話は、何よりの心の休息だ。少し、でしゃばってしゃべり過ぎた。しかし、それも、ちゃんと解ってくれているから、本当に安心していられる。ピアノの先生をしている友人が先に帰った後、場所を変えて、また、楽しいおしゃべり。ジェンキンスさんの話から、子供の受験の話、お互いのパパの話、お嫁入りに着物を持たせるかどうするか、手作りのお野菜の話、料理の話、旅行の話・・・・etc。本当に尽きない。老後に一人になったら、彼女達と住みたいなあ。取り合えず、積み立てをして、年一回、日帰り旅行に行こうという事になった。以前から出ていた話で、気の早い一人は、もう、口座まで作ってくれていた。今日は一人1000円ずつ、徴収。これで、やっと、口座に積み立てが始まった。何だか、すごく、楽しくなりそうだ。毎年、お当番を決め、旅行を企画するのだ。なんとまあ、楽しい企画じゃないだろうか。こんな友人を持つ事の出来る私は、本当に幸せだなあと思う。今日は、この市で今年初めての高温だったそうだ。さんざんおしゃべりをして外に出たら、車がチンチンに熱くなっていた。皆に別れを告げ、一旦帰宅。リハビリ内科に行った。帰りに駅前の銀行に行き、百貨店のデパチカならぬ、デパート一階で夕飯をゲット。帰宅したらもう、6時過ぎになっていた。夜母から電話。「お父さん、白血球が一万5000もあるのよ」「えっ、大丈夫?」「うん、熱も無いし、血小板が4万あるから、先生は大丈夫でしょうって」「そう、良かった」数値的には悪いが、どこに炎症が出来ているか解らないそうなので、父は取り合えず、今日も元気のようだ。父は只今、ミラクル中。今日は、本当に楽しい一日だった。こういう日は、「たま」だから良いのかもしれない。娘からTEL。今日は、原生花園を回って、網走に泊まっている。相変わらず、寒いそうだ。あと2日。もう、言ってるうちに帰って来る。案外寂しくないものだと思った。これ、負け惜しみじゃなく、本当に。
2004年07月14日
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朝から、頭が痛い。娘は、チビが修学旅行に行ったからだねぇと言うが、そんな理由でもなさそう。本当にストレスに弱い。ほんとは今日は、カウンセリングの日だが、とても行かれそうに無いので、キャンセルの電話をした。優しいH先生の声が、心に安らぎを与えてくれる。まだ、若い彼女だが、包容力は素晴らしい人だ。今日、この地方の梅雨が明けた。一日中、雨が降ったのは、台風が来た日だけだったように思う。水がめは大丈夫かなあ。お花も水不足で何だか、元気がない。やはり、雨が必要だ。体がだるくて、頭痛があると、もう、最悪。気持ちを晴らそうとPCに向かい、色々な学校の同窓会のサイトに行った。以前、登録したように思ったが、システムが変わっていたので、もう一回、小学校と、中学校の同窓会に登録した。同じ学年の方が登録しているといいのだが・・・。4~5日掛かるそうだから、楽しみが増えた。昨日アマゾンに発注していた沖縄料理の本が二冊届いた。今は、書名の一部さえ分かっていれば、アマゾンで注文できるから、非常に便利。沖縄料理は、前から興味があった。豚肉中心の料理や、海草、ゴーヤなど、本当に健康に良い食材や、調味料を使っているから、肥満の人が少ないし、長寿だ。味も、美味しそうなので、今から本を開くのが楽しみ。お取り寄せの特集もあるのを選んだ。「海ぶどう」がどうしても食べたいのだ。TVで見てから、ずっと、食べたいと思っていたので、これも注文したい。あれ、少し頭痛が軽くなってきた。やはり、精神的な頭痛だったのだろう。こうして、好きな事柄の話をしていると、良いのだ。わがままに出来てる、厄介な体だと、改めて思う。ストレスを受けやすく、ストレスに弱いのも障害の症状だから仕方ないか・・。一生付き合わなくちゃならないから、上手く付き合わなくちゃね!チビからまたTEL。今日は昨日より寒かったとか。今日は、阿寒湖周辺。道東はヤフーのお天気予報でも18度くらいしかなかった。昨日、セーターを貸してくれたお友達が返そうとしたら、「いいから、そのまま着てて」と言ってくださったそう。本当に、何て優しい良い子なんだろう。前からの仲良しだが、お友達に恵まれた幸せを思った。明日は、阿寒湖、摩周湖と湖めぐりらしい。思いっきり、楽しんでおいで。
2004年07月13日
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5時に目が覚めてしまった。もう少し寝ようかとも思ったが、起きられなくなったら・・と思ったら、目が冴えてしまった。下に降りたら、パパが起きてきた。パパも目が覚めてしまったらしい。少し二人でボーーっと、昨日の選挙のニュースを見ていた。ジャスコ・イーオングループ発祥の地であるこの市では、やはり、岡田克也さんの民主が強い。まだまだ若い時、会社に遊びにいらした事がある。選挙区域じゃないので、来てもらっても仕方ないのに、気軽に遊びにいらして「Kさん、実は僕自身も選挙区に住んで無いから、僕を投票できないんですよ」と笑っていらしたそうだ。その方が、今や民主党党首・・。何だか、自分の事のように嬉しいが、前途多難だろう。娘を起こし、食事をさせた。「あ、そうそう、まだ渡してなかったね」と言って、旅行中のホテルの連絡先や、行程表を持って来た。今夜は、昭和新山や、洞爺湖に行き、洞爺湖温泉に泊まる。最後の点検をして、荷物を持ち、パパと3人で家を出た。大きな駅まで10分。駅前に車を止めたら、同じ制服の旅行かばんを持った子達がちらほらいた。何とも大人っぽい感じの今時の高校生らしい子だ。娘とは、大分、雰囲気が違う。娘も挨拶をしないところを見ると、顔は知っているが、お友達ではないのだろう。そりゃ、200人近くいるのだから、仕方ない。見送って帰宅した。お昼近くまで、今、何処かなあ、飛行機、時間通りだったかなあ・・など気にしていたが、おばあちゃんのクスリが無い事、自分のおなかの薬も無い事を思い出し、病院に行った。そのまま、例のリハビリ内科に行き、電気を掛けて貰い、買い物をして帰宅。オネエから、バイトで遅くなるとのメール。パパもまだ戻らない。一人で、食事をしようと用意をしていたらTEL。北海道のチビからだった。「寒いから、友達にセーター借りた」もう、だから、あれ程言ったのに・・・。「そのお友達、着る物あるの?」「うん、大丈夫、制服の上着持ってるから」用意の良い子もいるものだ。「だから、お母さんが言ったじゃない」「うん、解ったよ~」電話口から、お部屋にいる数人のお友達の楽しそうな声が聞こえてきた。ここらで許してあげようか。「風邪引かないように、明日は下に何か着てブラウス着るのよ」「うん、そうする」「じゃあね」楽しそうで何よりだった。やはり、上着を持たせれば良かった。宅配便で送ろうか、速達で送ろうかとも思ったが、ここは彼女の勉強の、し時と思い、辞めた。悪女の深情けには、ならないよう気をつけよう。夜遅く、パパと娘と3人で、久しぶりにワンコ2匹の散歩に出た。今晩は、過ごしやすい気温。風もあり、気持ちが良かった。ワンコも久しぶりの長い散歩に満足そうだった。
2004年07月12日
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朝から、もう、バタバタ。パパが「イギリスに行った事に比べりゃ、何てこと無いじゃないか」とバタバタしている私と娘を横目で見ながら、つぶやいた。そりゃそうだけど、何故か、イギリスに行かせた時より、気持ちがあせっているのは、何故だろう。多分、準備期間が短かかったからだろう。それに今回は、ほとんど自分で用意させているから・・・これが一番の理由。ADHDの彼女は、メガネを一日に何回も置き忘れる。無意識にホイとそこら辺に置くのだ。中年のオバサンじゃあるまいし、しょっちゅう「メガネが無い」と騒いでいる。無意識に置く行為が、ADHDなのだ。つまり、眼鏡を置く時点で、気持ちが既にほかに移っているのだ。だから、非常に無駄な動きが多く、見ているこちらも、胃が痛くなってくるのだ。一日、用意に掛かった。暫く、かばんに何か詰めていると思ったら、気付くと、もう、そこにいなくて、TVで漫才を見ている。「用意、終わったの?」と聞くと「あ、そうだ、解ってるよ~」・・・。この繰り返し。漫才、映画、CD,本、興味のある物についつい惹かれて、気付かぬうちに、そっちに時間を割いてしまっている。全く、厄介な障害である。本人は、用意が一番大事と解っているから、私に言われるのが、非常にうざったいのだ。しかし、出来ないから、言わざるおえない。世界の果てに行くわけじゃないから、何か足らない物が有ったら、購入すれば良いとも思うのだが、自由に買い物が出来る状況ではないから、やはり、必要な物は持って行く事になる。夕方、父と母が散歩にやってきた。チビに「楽しんでおいで」とニコニコして言っていた。今日の父は、元気。父の足で歩いて7~8分の距離だが、坂が多い街なので心配になり、車で送って行こうとしたが、「大丈夫、ゆーっくり歩いて帰るから」と母が言うのでそのまま見送った。こんなに元気なのに、体の中は、いつ倒れても可笑しくない状態なのだ。父の運の強さに、脱帽した。ご近所のお花を二人で愛でながら歩いて行く後姿に、どうか、一日も長く、この状態が続きますようにと願った。夜になり、やっと何とか荷物が出来て、さあ、今度は明日の朝の電車の時間で喧嘩。集合時間の5分前に着く様にとレジュメにあるのに、ギリギリの時間の電車に乗ろうとしているのだ。まして、集合場所が、初めての場所で、行った事がないのに・・。冗談じゃない、もう、一本早いのに乗りなさいと言うと、「友達と約束してるもん」これには、パパも説得に当たって、結局、そのお友達に電話して、一緒に早い電車に乗るようした。やれやれ、パパが呆れ顔でこそっと言った。「お前も一緒に行ったらどうだ?」本当、そんな気持ちになってしまう。オネエは「Aが行った後、お母さん倒れないでよ~」と、何処吹く風と外野席で好き勝手言っている。人の気もしらないで、本当に皆、解っちゃいないんだから・・・。しかし、何年か前、実際、北海道まで忘れ物を持って来た親が居たそうだ。それもびっくりだが、気持ちは充分解る。正に「修学旅行」とは、親にも「修学旅行」になる言葉だなあと実感した。明日は5時半起床。早く寝よう。
2004年07月11日
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朝から、変なお天気。晴れたかと思うと、スーっと曇っていく。とうとう、お昼過ぎ、晴れていたと思ったら、すごい勢いで、大粒の雨が降り出した。こういうのを、「一転にわかに掻き曇り・・」と言うのかな?雨は・・・やっぱり好き。何だか、ホッとしてしまった。雨がすごい音を立てて降り出したら、一辺に元気になって急に振り出した雨に先を急ぐ人を見ていた。「さあ、がんばるぞ」と言う気になるから、全く自分でも変な奴と思う。修学旅行に持って行く物を最後に洗濯機に入れた。もう、乾燥機に入れるだけなのに、やっぱり、チビは「あ”---」と言い出す。パジャマ代わりのトレーニングウェアの半パンを洗い忘れたと言う。全く(-_-;)ふと気付くと附けっ放しのTVで、聞き覚えの有る会社名が流れた。あれ?とTVにかじりついた。友人のご一族が経営なさっている会社。友人のご主人は、その東京支社に赴任なさっているのだが、その東京支社の新入社員の密着取材だった。目を皿のように、ご主人の姿を探したが、「あの方だったかなあ」と今一、解らなかった。すぐ傍でお目にかかれば解るのだが、もう、10年以上、お目にかかっていないので、まして、TVの画面では解りにくい。すぐ友人にTEL。なんと、お使いに行っていてお留守と、お母様が電話に出られた。暫くすると、すぐ彼女から掛かってきた。「知らなかったよ~」「え”---!!知ってると思ったから、ビデオも撮ってないよ~」「取材に来たとは言っていたけど、今日放送だとは聞いていなかったのよ~」本当に残念。暫くおしゃべり。また、食事に行こうと約束して電話を切った。夕方、ボランティア研修に出掛けていた娘が帰ってきた。本当はYMCAで精神的な障害の子達と、水遊びに大きな公園に出掛けるはずだったが、この雨で中止になり、子供抜きで、電気の科学館に行って来たらしい。「驚いた。私、ああいうの全く興味ないから。でも、皆、ほかの人達、本気で面白がってたんだよ。考えられない」そう言えば、この子は、小さな時から、科学とか、物理とか全く興味を示さない子だった。私は、割合、好きな方なので、科学館に行くと結構楽しむ。子供の頃、連れて行って、親の私とパパが喜んで、オネエはちっとも嬉しそうじゃなくて、反対にチビは面白がって、オネエは、「早く帰ろうよ~」ってブ~たれていたっけ。そんな事もあったなぁ、大きくなったなあと感慨にふけっていた。暫くしたら、急に、二人口を揃えて、言い出した。「ステーキが食べたい!」「何贅沢言ってるの。」「お母さんは、食べたくない?」「私は、家で良いお肉を買って来て食べたい。それで充分」二人で作戦を変えてきた。「じゃ、お父さんが良いって言ったら、行く?」「うん、まあ、いいけど・・・・。」で、二人で、会社にいるパパにおねだり。「私が、修学旅行に行ったら、きっと魚介類ばっかりだからさ~」電話口で、姉妹交互に交渉している。まあ、勝手にすれば良いと静観。「お母さんも食べたいって」ウッソーー!!「私、言って無いよ~」と叫ぶ。パパが根負けしたらしい。外でステーキを食べるのは久しぶりだった。土曜日なので、広い店内は、席が埋まっていた。久しぶりのステーキ。美味しかった。食事も終わってそろそろ帰ろうという時に、奥さんが、お店のシェフが試しに作ったので、ちょっと召し上がって見てください・・と、美味しそうなブラマンジェを出してくださった。あまり甘くなくて、すごく美味。奥さんに「すごく美味しいですよ」と言ったら、「良かった」と嬉しそうになさってらしたが、本当に口当たりも、味も美味しかった。お勘定を済ませると、お中元にお店のワインとタオルを頂いて、失礼した。父のことを聞かれたが、やんわりと、元気なんですが、あまり外に出たがらなくて・・と答えた。ご心配して頂くのも何だしなあ・・・。外に出ると、小雨が降って、雷が鳴っていた。グループホームのおばあちゃんの様子を見に行って帰宅した。一休みして、用意開始。のんびり構えている娘に、腹を立て、キーキーして持ち物を用意していたら、急にチビがおなかが痛いと言い出した。胃薬を飲ませたが、なかなか痛みが消えない。トイレに入ったまま出てこないので、仕方がないのでドアの外から、バスタオルは持って行くのかなど聞いた。私が、持ち物のことを言うと、余計痛くなると言う。ああ、この子もやっぱり、私の子なんだと思った。医師に、リタリンの服用は止められたが、安定剤なら、構わないと言われていた。しかし、クスリに頼らず、日々を送れたらそれに越した事は無いと、今まで飲ませていなかったが、こう、トイレに篭城されてはたまらないし、このままも可哀想と、安定剤を飲ました。10分もすると、「治った」・・・・やっぱり。緊張性の腹痛だった。やれやれADHDだけでなく、つまらない事で緊張してしまうのも似てしまった。まだ、明日一日あるから、大丈夫、何とでもなるよ。と言って安心させ、寝かせた。私も子供の頃、すぐ、腹痛を起こし、トイレで泣いた。母は私がADHDと知らなかったので、ガミガミと言い続けた。私は、その声を聞いて、ますます腹痛が酷くなったものだ。この子も前途多難だなあと思った。仕方ないよね、私の娘に生まれて来ちゃったんだから。頑張って生きて欲しい。ADHDの人生は、かなり辛いが、もっと重い障害の人だって、頑張っているのだから。親の私が貴方の障害をちゃんと解っているから、安心して良いよ。いつでも、お母さんが、守ってあげるよ。普段は「うざい」って言っても良いけど、本当に困った時に、思い出してくれれば、それで良い。前途多難だけど、頑張れ!。修学旅行まであと、一日です。
2004年07月10日
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午後から、娘の修学旅行の買い物。大型のクスリ屋さんへ風邪薬など、あとは、下着とソックス。ちゃんとしたホテルに宿泊するのだから、備え付けのシャンプーがあるはずなのに、買わされた。今時の修学旅行の形態が解らないから、彼女の言うまま。知らないから分が悪い。しかし、タオル、バスタオルは備え付けのを使用できる・・・と書いてあったから、シャンプーだって、有る筈。まあ、最後の旅行だから、騙されても良いかな?ブラは、色々贅沢を言うから、少し、厳しくした。それでも、濃いピンクのを選んだ。「こんなのしていたら、白のブラウスから見えちゃうじゃない」と言ったら、「大丈夫だよ、上にベスト着るから」また、負けた。まあ、仕方ないっか。北海道は、涼しいと思ったが、そうでもないらしい。可哀想に、折角北海道に行くのに、学校の都合で小樽も、富良野も行かないそう。オネエの時は小樽には行ったのに・・・。多分、オネエの時の生徒数の倍になったからだろう。大人数は、小回りが効かない。どういう訳だか、我が校は、人気がある。年々、生徒数が増える。今年の私立の高校の受験数も、この県の各私立の募集人数に対し、上回ったのは、我が校だけだったそうだ。あとの私立は、皆、定員割れした。進学率は、浪人を除いて100パーセントだが、そう、飛びぬけてレベルの高い大学ばかりに合格している訳ではない。なにせ、勉強が大嫌いなわが娘がいるくらいだから・・・。確かに東大、京大、早稲田、慶応などの国公立、私立人気校への進学数は多い。しかし、しっかり自分の道を見つけ、専門学校などへも進学している。どうして人気があるのか、解らない。中高一貫6年制は、ほかにも有るのになぁ。あまり、生徒数が増えるのも、考え物だと思う。事実、オネエの時代の方が、確かにきめの細かい部分が多かったような気がする。今となっては良かったのか、悪かったのか、解らないが、オネエは、入れて良かったと思った。チビは・・・まだ解らない。ただ、オネエが大学に入ってすぐ言ったのは、「私、幼稚園からほかの学校知らなかったから、今、すごい、苦労してるよ」。特に、オネエは小学校からの仲良しが、高校まで変わらなかったから、大学に入って、知らない人と沢山出合って、苦労もし、勉強もしたらしい。そりゃ、親の私達より、長い時間一緒だった姉妹のような友達と別れ、新しい友達を作るのは、苦労したのだろう。チビも上手に出来ると良いのだが・・。チビは私に似て不器用だからなあ。あとは、洗濯する物を洗濯して、荷物を点検するだけにした。本当に、出かけるまで、気が気じゃない。少し、子離れしなくちゃなあ。友人に「一週間近くいなくなったら、寂しいよぉ」と言われた。ふ~ん、大丈夫、きっとせいせいするわ、と言い返したが、寂しいかもしれないなあ。
2004年07月09日
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毎日、本当に暑い。私は、寒い方が好き。だから、こういう暑い日は、朝からクーラーのスィッチを入れてしまう。身体に良くないと思うのだが、暑さでイライラするよりましかなあと、我慢出来ない。梅雨だと言うのに、降水率が低い。降っても、ほんのおしめり程度。だんだん毎年、梅雨が無くなっていく様な感じがするが、去年はどうだったのだろう。季節がづれているようだ。確か、5月は、雨が多かったような気がする。今日は34度だって・・・・。人間の体温とそう変わらない。外に出るとモアっとする。ちょっと父の所に行ったら、30分程、表に車を止めていただけなのに、濃紺の私の愛車の中に入れてあったお花が、萎れてしまった。一時間も止めていると、もう、熱くてハンドルが触れない。以前、シートベルトの金具が、腕の柔らかい内側の素肌に当たり、火傷をしてしまった。毎年、車の中に赤ちゃんを数分置いたままにして、熱中症で亡くなる事故が起きる。この暑さでは、当然だろう。父は、昨日血小板を輸血したからだろう、顔にあった痣は、綺麗になくなっていた。目も赤くなかった。昨日より、うんと元気に見えた。この暑さ、何とかならないのかなあ。オゾン層がますます少なくなって、薄くなっているからかもしれない。本当に、ちゃんと考えないと、人類は破滅への道をまっしぐらなのじゃないだろうか・・。。
2004年07月08日
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今日は、心も身体も死んでいた。朝から、だるくて、横になっていた。身体がだるいのか、気持ちがだるいのか、解らない。星占いも、血液型占いも良いのに・・・。午後、母から電話。「お父さん、入院しなくて良いって」良かった。やはり、経口の抗がん剤を貰ってきたそうだ。今から、血小板の輸血に行くと言って電話が切れた。また、一つ、クリア出来たか・・・。一日、何も出来なかった。来週から修学旅行の娘のために、色々、買い揃えなければと思ったが、娘は案外、涼しい顔をして「何も必要ない」と言う。制服のブラウスは良いの?パジャマは要らないの?制服は?心配で仕方ない。なのに、「買ってくれるのなら、制靴が欲しいかな?」だって。ブラウスはオネエのお古もあるし、パジャマなんて誰も持ってこないし、何も心配しなくて良いよと言うのだが、こいつはいつも、ぎりぎりになって、「ギェー、○○が無い~」と言う子だから、気が気じゃない。私にしてみれば、大変なストレスになるのだ。全く、旅立つまで、この気持ちの状態は拭えないだろう。な~んにもしない・・と言うのも疲れる。「出来ない」自分が情けなくて、落ち込み、あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと、気ばかり急く。しかし、身体は動けない。だから、死んだふりをして一日過ごした。誰にでもなく、自分に対して。明日は少し、動こう。気持ちも、動かしてみよう。本当は、こんな人生の無駄な時間は、まっぴらなのだから。まあ、もっと気持ちに余裕があれば、「ここらで、一休み」と言う気になるのだろうけれど、なかなかそこまで、錬れていない。人間が出来ていない。曾我ひとみさんが、家族に会うため、旅立つ。拉致被害者の皆さんは、私と同世代。私がのほほーんと生きてきた間、彼らは過酷な人生を強いられてきた。どうか、皆さん、幸せに成っていただきたいと、心から願わずにいられない。
2004年07月07日
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今日はカウセリング。午後から診察もあったが、こうして、外出出来たついでにと、昨日初めて行ったリハビリ内科に行った。午後は混んでいるから・・・と聞いていたが、昨日より空いていた。電気の数値を昨日より上げて、機械に掛かったが、かなり、きつかった。しかし、ウォーターベッドのようなマッサージ機に乗ると、もう、この上なく気持ち良い。眠ってしまいそうになる。背中から、腰のあたりまで、水の玉がくるくる水の中を回転して、揉み解すのだ。その強弱の気持ちよさ!!電気は辛いが、このマッサージ機に惹かれ通えそうな気がする。夕方帰宅すると、パパの車があった。早いなあと思ったら、これから、お付き合いで出かけるそう。上の娘からも、ゼミの打ち上げで遅くなるとの電話。結局、夕食はチビと私だけ。パパを送って行くついでに、チビと二人で何か美味しいものを食べに行こうと言う事になった。パパを繁華街で降ろし、誕生日に買ってあげる約束だった電子手帳を買いに行った。すごく沢山種類があったが、ずっと使えるフランス語の入った物にした。今時の高校生は、辞書を使わないのか・・・。クラスのほとんどの子が、英語の時間、電子手帳で単語を引いたりしているそう。そう言えば、オネエも、おじいちゃんにかなり前に買ってもらっていた。時代が変わったんだなあ。食事はオリエンタルなお店に行った。平日だし、早い時間だったので、お客は少なかった。美味しい食事を頂いて、帰宅途中、父のところに寄った。白血球が、9000近くあり、身体の中で炎症を起こしている数値がでているが、熱も無いし、何処で炎症を起こしているのかわからないと言う。ただ、数値が悪いので、明日、診察の時、入院と言われるかもしれないとの事。ここの所、父の顔を見ていなかったが、顔のところどころに、内出血で、赤いあざが出来ていた。目も目の周りも赤い。皮膚の薄い所が内出血してしまうようだ。今日は、歯茎から出血したと言う。アガリクスのお蔭で、免疫力は上がったが、血小板を増やす力がないので、こうなってしまうのだろう。発熱しなければ、大丈夫と言われたが、こうして、あちこちに出血があると、脳内の出血が恐いと思った。しかし、そんな状態でも父は元気。最近、TVのドラマで「白血病」を題材にした物が多い。先週始まった「世界の中心で愛を叫ぶ」もそうだ。やはり、身につまされる。父は、明日、入院になったら、嫌だなあと言っていたが、経口の抗がん剤でも対処できるそうだから、入院しなくても良いかもよ・・と言った。まあ、なるようにしかならないよ・・と父もつぶやいた。来週から、チビは、北海道に修学旅行。おじいちゃんにお小遣いをもらって、ごきげんだった。父も、嬉しそうに「気をつけて行っておいで」と言った。静かな日常を感じた。これで良いのだと思った。
2004年07月06日
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昨夜、くたくたになり眠ってしまい、朝起きたら、汗で気持ちが悪かったので、シャワーを浴びた。何だか、すっきりして、気持ち良くなったら、以前から、紹介していただいていた、病院に行く気になった。以前の私は標準体重も無いほどのやせっぽっちだった。鬱病になり、抗鬱剤の副作用で、それまでの体重から、2年で25キロ以上太った。内科医に相談しても原因が解らず、あちらこちらの病院に検査に通った。結局、薬の副作用と解った頃には、気持ちも最悪の鬱になってしまっていた。精神科医は、抗鬱剤では太らないと言ったが、内科医の言うように、抗鬱剤を辞めた途端、半年で15キロ痩せた。しかし、着いてしまった脂肪はなかなか取れなくて、エステ、水泳、エクササイズ、ダイエット薬とどれも試したが、なかなか元には戻らず、太った事に慣れない身体は、朝、階段を降りるのさえ、辛い思いをしている。その話を聞いた、昔の痩せた私を知ってらっしゃる方が、リハビリ内科を紹介してくださったのだ。しかし、鬱で表になかなか出られないうちに、二週間経ってしまった。お化粧し、着替え、車に乗って教えて頂いた病院に行った。診察で今までの経緯を話した。「まだ、安定剤は飲んでらっしゃるのですね」「はい」「薬を服用してらっしゃると、やはり、痩せにくいです」やっぱり、そうなのだ。精神科では、安定剤では太らないと仰っていたが、やはり、精神系の薬は皆、太ってしまうのだと、思った。しかし、この安定剤だけは、手放せない。飲まないでいると、過敏性大腸炎から、緊張性頭痛になって、果ては発熱してしまうのだ。診察を終えて、機械に掛かった。何のことはない、エステで掛かった電気を脂肪に掛ける方式。それが20分、後は、機械によるマッサージ。エステで掛かったより、確かにきつい電気だった。友人は、一月で、ワンサイズ痩せた。体脂肪、コレステロールの数値は、身体の割りに、正常値。だが、目に見えて、脂肪が着いている。これさえ、なくなれば、本望。これなら、続けられそうだなあ。午後、昨日のコンテストが新聞に大きく載っているとのメールが届く。新聞を開くと、大きな写真入りで、中部大会の記事。我がコーラス部も、賞を頂いた。たしか、参加団体が皆、何がしかの賞を頂けるはずだが、嬉しかった。画像に撮って、皆に送った。安定剤を辞めなければ、痩せられないと言われ、今日は、何だか、嬉しい事と、悲しい事が一度にあったような気がした。また、気持ちがくちゃくちゃになった。全く、どうしようもなく、厄介な自分だ。
2004年07月05日
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今日は合唱祭・・・・だというのに、寝坊した。集合時間に目が覚めた。昨夜、衣装のチェック、靴の用意、飲み物の用意、持って行くハンドバックの中身の点検、すべて完璧にして、ベッドに入った。時計を6時前にあわせ、就寝したが、なかなか、寝付けず、悶々と2時過ぎまで寝られなかった。犬の鳴き声で気がついたら、7時過ぎ。飛び起きて、下に降り、携帯電話をチェックすると、やはり、友人からの電話が着信になっていた。すぐ、折り返し、電話して、チャーターしたバスに出発してもらった。どうしてこうなっちゃうんだろう・・。ちゃんと完璧に用意したはずなのに・・・。見たら、時計の目覚ましスィッチが入っていなかった。これも、ADHDのなせる業か・・・・。もう、死んでしまいたい。そんな事、言っていられない状況。パパも起きてくれ、会場まで連れて行ってもらうことになった。もう、本当に心臓が潰れる思いだ。安定剤をいつもの倍服用し、いつも飲まないリタリンを飲んだ。それでも、心は逸るばかり。やっと、会場に着いた時、ホットした。リハーサルにも、衣装の着替えにも、間に合った。しかし、本番、あんなに目をつぶっても唄えた歌を間違えた。もう、本当に最低!!!今まで、一度だって間違えた事の無い箇所だ。小さな声で歌う箇所だったので、もしかすると、アルトの音に近かった分、何とか切り抜けらたかも知れないと自分に都合の良いように思った。終わった物は取り返しがつかない・・・これは私の持論だから、くよくよしても仕方ない。しかし悔しかった。皆でバスに乗って、イタメシ屋さんに行き、昼食。楽しい時間を過ごした。会場に戻り、他の団体にも所属する部員を待つついでにその歌を聴き、彼女達を待ってから、チャーターしたバスに乗り、帰途に着いた。今回のコンクールは中部大会。名だたる精鋭が参加している。胸を借りるだけで良いと思っていたが、大会が近付くにつれ、皆、目が釣りあがっていった。こういうビックタイトルに挑戦するには、まだまだ、早かったような気もするし、この14年、やってきたお楽しみのコーラスでは駄目だと思った。しかし、私は、「お楽しみのコーラス」のままが良いと思っている。そう思っている数人が、今日で退部を決めた。このままでは、やはり、きついと言うのだ。自分の身の振り方は、難しい。私も、じっくり考えなければ行けないのかも知れない。中には、先生の気持ちも考えず、先生が我がコーラス部に勧誘した者を、ほかの団体に勧誘する者も出てきている。先生に対し、大変、失礼な事だと思うのだが、気付いていないようだ。そういう雰囲気がとても嫌だと思ってしまう。私のわがままだろうか・・・。今日は、本当に朝から、爆弾が破裂したような気持ちだった。疲れたのも確か。もっと、気持ちよく唄いたいものだ。
2004年07月04日
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昨日、帰宅したのは夜10時過ぎ。もう、夕食を作る気になれず、家族でラーメンを食べに行った。疲れた体にラーメンの塩味が、効いた。寝たのが、1時過ぎ。で、今日は、11時から、4日のコンクールに向け、最終のコーラスの特訓。きつかった。椅子を持ち出し、少しでも暇があると座っていた。午後になる頃には、もう、グロッキー。それでも、皆が頑張っているのに、一人だけリタイヤするのも申し訳なく、「休んでて良いよ」と言ってくれる部員達の優しい気持ちに、頑張らなくっちゃと、重い体に鞭打って、唄った。午後4時までの特訓は、すごくきつい。行きつけの喫茶店のイスに腰を落としたら、もう、どっと疲れが出た。不思議なのだが、私は、本当に疲れると、甘い物が、全く駄目なのだ。身体が受け付けなくなる。喫茶店で、塩辛いデザートなんてなかなか、無い。以前、白金でホウレン草のキッチュを食べたが、そのほんのりした塩味が、忘れられない。こういう田舎で、それを望むのは不可能に等しい。仕方がないので、先週見つけて頼んだ、上にパイ皮の蓋のあるコーンスープを頼んだ。猫舌の私には、結構、辛い物があるが、甘いケーキや、白玉を食べている友人を見てるだけで、こめかみの辺りが痛くなるような私には、熱さを我慢しても、こんな美味しい物はない。「本当におかしな子」と言われながら、スープをすすると、疲れが段々、ほぐれていくようだった。私が甘い物を食べられるのは、健康のバロメーターみたいな物だ。なのに、肥満だから、嫌になっちゃう。「疲れたねぇ」と、更年期仲間と言い合いながら、「あと2日の我慢、我慢」と慰めあった。帰宅後、そのまま二階に上がって寝てしまった。気付くと夜10時前。夕食は娘に頼んであった。しょうが焼きどんが出来上がっていた。スクランブルエッグと、いんげんのマヨネーズ和えと、豚のしょうが焼きが、おどんぶりになっていた。変わったメニュウだなあと思いつつ、娘の精一杯の心づくしの夕飯を食べた。今日は、本当に疲れた。昨日の疲れが取れていない上、今日の強行軍だったから、無理もない。歳を重ねるとは、こう言う事なのだろう。
2004年07月02日
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我が家は小さな小さな会社を営んでる。最近、海外からの研修生を、受け入れることになった。アジアからの女の子9人。その内、わが社に来るのは4人。研修生とは言え、海外就労者に変わりない。歳は20歳から、30歳近くまで、出身も、農村から、普通のサラリーマンの娘さんまで。今までも、日系の社員は、いた。本当に一生懸命働いてくれ、いつも、良い子だなあと感心してしまう。なまじ、日本の若い男の子より、生活が掛かっている分、非常にまじめだし、休みの日でも嫌な顔をせず、出勤してくれる。しかし、丸々言葉の通じない研修生を受け入れるのは、初めての事。受け入れ態勢に、パパは仕事の合間を縫って、他社の受け入れの係りの方と一緒に奔走した。何しろ、住む場所から、洗濯機、炊飯器、TV、カーテン、お布団までだから、ここ数日は、毎日、ヘトヘトになって帰宅した。今日からと聞いていたので、どうしたかなあと心配していたら、夜、電話。「女性用の下着を買いたいんだけど、どこに売ってるかい?」何処って、今時、スーパーに行けば、有るじゃない。「どういう意味?何処にでもあるじゃない?」と腑に落ちないので聞き返すと、「いやなあ、普通のスーパーのじゃ、値段が高すぎるって言うんだ」。パパは、彼女達を連れて、近くのショッピングセンターに連れて行ったらしい。「100均に最近売ってるよ」と言うと、一旦電話が切れた。飛行機の都合で、衣料を入れた荷物が届かないそう。彼女達は、故国からの飛行機が、整備不良で、遅れ、昨日から、ほとんど寝ないで入国してきたらしく、慣れない日本で、もう、ぼろ布のように、疲れ果ててしまっているのだと言う。おまけに、長い時間、車に乗るのも、初めてだったらしく、後ろの座席で、気分を悪くしてしまっているらしい。暫くすると、また、パパからTEL.「どこの100均だか解らないし、今、行ったら、もう、閉まっていた。兎に角もう、彼女らは、クタクタで、一刻も早く、シャワーを浴びて寝たいって言うんだけど下着が無くて困ってる」「解った、じゃあ、私が買って持っていくわ。」夕食の支度をしていた。だるくて、やっと起き出して7時過ぎから作り出した。下の娘は期末試験中で、二階で夜の勉強に備え、寝ていた。オネエは、特別ゼミでまだ帰宅してない。お化粧をするのももどかしく、ほとんどスッピンで車に飛び乗り、買いに走った。若い女の子だから、清楚な無地の色違いと、可愛い柄の物を同数、それに、お花と、花瓶になりそうな大きなコップを買った。遠い異国に働きに来た彼女達の、少しでも慰めになれば良いと思った。パパに連絡し彼女達のマンションに着いた時は、もう、9時を回っていた。うちの娘達とそう変わらない年齢の、まだ幼い感じの子が、ニコニコして、迎えてくれた。「こんにちわ!」まだ、あどけなさの残る可愛い子だ。「まあ、日本語、上手ですね」と言うと、パっと明るい表情になり、そっと手を握ってくれた。どんなに不安だったろう。これから、自分達が過酷な生活を送らなくてはならないと言うのに、とても明るい。多分、その過酷さが、解っていないのだろう。一家の生活が彼女達のか細い肩に掛かっているのだと思うと、こんな可憐な彼女達がたまらなく、愛しく、彼女達を送り出した親御さんの気持ちを考えると、何とか力になってあげたいと思った。お花を見せると、本当に奪うように受け取り、キッチンに走っていった。私もキッチンに行くと、少し、背の高いお花の茎を切ろうと、ナイフを出した彼女にこうすれば良いのよと、通じない言葉で言いながら、茎を旨く手折って、花瓶代わりのコップに入れた。それを見て、私の横にぴったり立ち、時々にっこり笑顔を向けてくれ、一生懸命、お花を生けている彼女達を見ていたら、ますます、可愛いなあと思ってしまった。荷物が届かないと言うのに、大きな手荷物が部屋に置かれていた。まるで、スポーツ選手が持つような大きな荷物。パパに、「あれ、衣料じゃなくて、何なの?」と聞くと「日本の食糧が口に合わないから、調味料から、食品まで持ってきたらしい」思わず、笑ってしまった。そりゃ、そうだ。人間、まず、食べられる事が一番なのは、当然か。彼女達は、3年の研修期間でやって来た。勿論、正規の就労ビザで、きちんとした派遣会社を介している。だが、やはり、一年も経つと、水商売などに、転身してしまう例が後を絶たないと言う。今回は、そのような事が無いよう、派遣会社と契約を結んだそうだ。本当に、何かしてあげたくなるのだが、それも、良し悪しだそう。雇い主がうちではないので、甘やかさないでくれと、言われている。日本に来るのに、彼女達は出国にあたり大金を払っている。それを、うちに派遣され、これから、返して行かなければならない。おまけに、月々の仕送りもしなくてはならない。一応政府の正規の研修ではあるが、それは建前で、実態はそうなのだ。通訳の留学生と話す機会があったので色々聞いた。本国の平均収入は2万円。物価は食料品に関しては、日本の五分の一。衣料品などは、10分の一だそうだが、日本は平均収入が高いので、物価が高いとはいえ、仕送っても、贅沢をし無ければ、充分生活出来るのだと言う。彼も、日本にもう、6年いると言う。最初は大学を出たら帰国して、家業の旅行会社を手伝うつもりだったが、来年卒業したら大学院に残り、日本で就職するつもりだという。方や留学生、方や海外からの就労者。まだまだ発展途上国は、貧富の差が大きい。毎日、のほほーんと日々を暮らしてる自分が恥ずかしいと思った。こんなに可憐な、彼女達が、一年もすると、日本の男の子より、たくましくなると言う。可憐で、幼い感じのする彼女達が、どうかこのままの可憐さで生き抜いて欲しいと、願わずにいられなかった。
2004年07月01日
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