2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
今日は、とても良いお天気です。いよいよ、地鎮祭の日を迎えました。すったもんだの引っ越しが終わって、少し解体工事が延び切ない解体が始まり、あっという間に家がなくなり更地になっちゃった。切ない日々から、これからは、楽しみな日々が始まります。午後2時、設置されたテントの中に、家族4人と、設計師の先生、ハウスメーカーの営業のH君、外構工事をしてくださる業者さん、それに、これから、ここに家を建ててくれる業者さんの代表がそろった。うやうやしく、始まった地鎮祭は、初めての経験です。パパは、会社の社屋が今の場所に移った時、父と一緒に地鎮祭を経験しているが、私も子供たちも初体験。神主さんの不思議な「ウィーーー」という、神様を呼ぶ声から始まった。ものすごく、風が強くて、神主さんの声は、風に乗って、ものすごく響いた。着てらっしゃる装束が、風にはためいて、テントが飛んでいっちゃいそうだったのを、業者の方たちが押さえていてくださった。榊を、家族それぞれに渡され、神様に捧げたあと、順番に、設計師の先生やH君など全員が無事の工事を祈りながら、捧げた。四隅の笹の内側から、神主さんが、お酒を四方に撒きながら、お祈りの言葉を仰る。神主さんと一緒に、私も無事の工事を願った。所要時間30分。神主さんにお礼を述べ、神事は終わり。神主さんが、帰ってから、設計師の先生と、H君と一緒に、更地の上に白いロープが張られた、新しい家の場所の確認をした。南側のお庭が今までの半分になっちゃうが、その代りに、望んでいた広い家事室や、玄関横のシューズルーム、独立キッチン、ダイニングができる。吹き抜けのリビングもできるから、仕方ないかなあ・・。これで、望みどおりに駐車場が斜面に広がって、家族の車が全部仕舞えるようになったら、もう、十分ですな。もう、風の強さに、子供たちはすぐに車に避難。私とパパは、確認があったので、吹きっさらしの中でずっと立っていた・・・。案の定、足が冷え切って、つった。こんなに寒いのなら、長いブーツ、履いてくるんだった。皆さんにご挨拶して、母の家に避難。仮住まいの家に帰るより、母の家の方が近かった。お風呂場で、つっちゃた足に熱いシャワーのお湯を暫く掛けた。どうにか、歩けるようになって、リビングに行くと、子どもたちは、お祖母ちゃんに暖かいお紅茶を入れてもらい、預けてあるミルキーと遊んでいた。私も、暖かいしいたけ茶を作ってもらって飲んだら、やっと、人心地。ふ~、本当に、どうなっちゃうのかと思った。足、冷えたり、疲れたりすると、必ずつっちゃう。全く厄介な体だこと。でも、無事に、地鎮祭が終わった。明日からの工事が楽しみです。この風の強さ、写真でも分かります。神主さんの装束が、風に吹かれてます。
2008年03月31日
コメント(0)
久し振りに、映画を見に行った。正直、あまり、気のりしなかったが、映画研究会で一度見てきたチビのお勧めだし、パパも観たいというので、気晴らしに見に行った。王道のファンタスティック映画。「ハリーポッター」より、スケール感が大きくて、「ナルニア国物語り」より、バラエティに富んでいる感じだった。主演のライラが可愛いかったし、悪役のニコール・キッドマンが、超、奇麗だった。こういう映画の主人公の中では、秀出て賢いし、ものすごく精神的に強いライラ。それに動物達が良い。「ダイモン」という、人それぞれの魂が姿に現れたものが動物で、いつも行動を共にする。その動物が、傷つけられると、その人も怪我をするのが面白い。話の内容は、ネタばれになるので書かないが、「ナルニア国物語り」ばりに、面白かった。ピーターパンよろしく空飛ぶ船あり、近未来の施設あり、なんでもありが、ファンタジー映画なのだが、なかなかうまく、まとまっていた。チビは、自分の行ったオックスフォードが、撮影の舞台の一部になっていて、自分が行った場所が写ると嬉しそうにしていた。学校が用意したホームステイ先は、オックスフォードとケンブリッジとあって、好きな方を選んだのだが、オネエの時はケンブリッジを選んだが、チビは、迷うことなくオックスフォードを選んだ。その理由は、「ハリーポッター」の撮影場所だったから。映画馬鹿にとって、こういう映画の撮影場所に立つのは、究極の贅沢だろう。観たい映画がいっぱい。「クロサギ」「相棒」「明日への遺言」邦画が多い。最近、字幕を読みながら見るのが、少々面倒になった。それに、邦画が、とても頑張っていて、なかなか面白い物が増えたように思う。「クロザギ」も「相棒」もTVドラマを見ていたから、見たい。「明日への遺言」は、主演の藤田まことの演技が、秀逸と評判だから。来週から上映の「モンゴル」も見たい。主演のチャラの旦那様、浅野忠信が良い。この映画で、浅野さんは、日本語じゃなくモンゴル語で演じているのが、凄い。パパいわく「チンギス・ハーンはこれでなくちゃ」だそう。以前、反町隆が同じチンギス・ハーンを演じた時、パパは散々な評価しかしなかったが、今回の浅野さんは、ものすごく期待しているみたい。は~、頑張って、早く片付けして、気持ちに余裕を持って、映画が毎週見られるようになりたいなあ。
2008年03月30日
コメント(0)
引っ越しも何とか終わり、あとは、こちらの家の暮らしに困らない程度に荷ほどきをするだけになった。相変わらず、何をどこに仕舞っちゃたのか、右往左往している。当初の予定では6月に完成予定だったので、夏物は要らないと、梱包に「開けず」と印していたものが、工事の始まりが遅れ、7月まで延びたので、完全に夏物がいることになった。引っ越しは2月から、細ぼそと始めたから、うんと前に運び込んだ段ボールは、部屋の奥に入れてしまったから、いまだに夏物のハンドバックや、靴、洋服がどこにあるのか解らない。もう少し落ち着いたら、段ボールを入れ替えないといけない。それでも、新しいうちのカーテンやら、電気など決めなくちゃならないから、色々なカタログやら、ネットで、少しずつ購入したりしている。今日は、新しい家になったら使おうと高山で買ったガラスのお茶セットが届いたが、開封せず、そのまま、仕舞った。今日は、精神的な疲れがでてしまい、何もしたくなかった。明日は、映画を見に行くことになったので、今日は、溜まった洗濯やら片付けた。ちょうど、物干しの場所にジュリアンを置いてしまったので、今、洗濯物はほとんど乾燥機にかけたり、ちじむものは、家の中に干している。花粉症の季節だから、たぶん、これで正解だろう。午後になり、やっと動けるようになり、持ってきた梅酒の瓶を床下収納庫に次々仕舞った。ゆっくり、梅酒を楽しむ余裕がないので、仕舞っちゃった。夕方、少し暗くなってから、買い物に出たついでに、家を見に行った。もうすっかり、群青色の景色の中、コンクリートのかけらは一つもなく、赤茶けた土だけになった「ただの敷地」になっていた。ここに、あの家が建っていたなんて、もう、想像もつかないし、その片鱗もない。本当に、あっけないものなんだなあ。あとは、新しい家が一日も早く建つのだけが楽しみ。夜の帳につつまれようとしている、我が家・・のあった場所。
2008年03月29日
コメント(0)
今日は、久し振りの革工芸。今、目標だった大きなレッスンバックを作っている。出来あがるのが、とても楽しみだ。行く前に美容院によって、洗髪してもらい、お教室のある街まで、高速に乗った。行ったら、行ったで、凄く楽しい。工芸も楽しいし、おしゃべりも楽しい。だが、行くまでに、気が重いのは、まだ少し鬱があるのかもしれない。自分じゃ気がつかなかったのだが、娘がそう言った。「お母さん、革工芸に行く前は、いつも具合、良くないよね」全く、自覚がないのだが、そうらいい。確かに昨日は、何もしたくない病が出たのも確か。何故だか解らない。革工芸の教室の近くに、市民会館があって、最近、新しくなった奇麗な立派な建物の一角に、有名な薄墨桜がある。市民会館がきれいになる前から、そこにあった。薄墨桜と言えば、宇野千代さんが、大切に保存運動をした岐阜県根尾村の薄墨桜だが、この木は、その根尾村から、枝別れした物が植樹されているから、本当に、奇麗な薄墨になる。咲き始めは、普通の薄ピンクなのだが、散り際に、薄ピンクの色が一面、ネズミ色がかった色になるので、この名前が付いている。もう、毎年満開の時期に革工芸があるから、5年も見ているが、薄墨がかったのを見たのは、一度だけ。最初に見たとき、その美しさに、思わずため息がでた。本当に美しかったが、今年は、まだ、やっと満開になったころなので、普通の薄ピンクの色だったが、大きさは、毎年見ていて、見ごたえのある大きさになってきた。今日は、市民会館でイベントがあるらしく、その出演者の高校生が、写真屋さんに順番に台に乗って、記念撮影してもらっていた。ちょっと失礼して、私も撮らせていただいたが、ものすごくいいお天気だったので、デジカメのモニターが見えず、変なアングルになってしまった。午後3時、どうにか、大事な行程を教えていただき、解散。買い物をして帰宅したが、やはり、ものすごく疲れてしまっていた。あんなに楽しかったのに、どうして疲れちゃうんだろうなあ・・・。不思議です。奇麗に咲いた、薄墨桜。今日の我が家。すっかり、コンクリート部分がなくなり、土が出てきた敷地。
2008年03月28日
コメント(0)
私は車の免許を、平成元年に取った。それ以来、乗らない日はないくらい、毎日乗っている。もう、数回の更新をしているが、今年の誕生日で、更新日になった。引っ越しのことやら、新しい家のことやら、雑事に追われ、転送されてきた更新手続きのはがきも放っておいて、忘れていた。やばい・・・もう、すぐ失効になっちゃう。気がついて、問い合わせてみたら、更新手続きは、平日毎日できるが、講習が、火曜日と木曜日しかやっていないという。失効日が4月6日で、それまでの火曜、木曜は、あと2回しかない。めちゃやばいじゃないの。今日は、もう、間に合わないから、4月の1日と3日だけしかない。1日はハウスメーカーとの話しがあるので、その午前中に行くことにした。20年毎日乗っているが、まだ、自分のせいで警察のお世話になったことはない。本当に、免許を取る時は、これでもか・・・と、実技に日数がかかったが、取ってからは、スピード違反はしないし、駐車違反もしない、交通法規を、キチンと守る、優良ドライバー。一度だけ、地下駐車場で、後ろから来た車にぶつけられて、警察に行ったが、私は、一応の事情聴取を受け、事故証明を頂き、保険屋さんに電話しただけで、すぐに帰してもらったが、ぶつけた方の女性ドライバーは、私が帰る時、まだ、警官に何だか注意を受けていた。だから、ずっと、「優良」金色免許証で、近くの警察での講習だけ受けて終わり。なのに、失効しちゃう寸前まで、忘れていた。田舎は、車がないと生活できない。名古屋に住んでいたころは、車は、リクリエーションの時だけの贅沢品だったが、ここは、車がないと、お医者さんにも行けない。だから、一軒に3台なんて、ざら。東京からこちらに来て驚いたのは、お嫁入りの道具に当然のように、車があったこと。お嫁さんの荷物を運ぶとき、トラックに紅白の幕を張るのは、見たことがあったが、そのあとに、紅白の幕を張った新車も行列していたのには驚いた。高校生の卒業真近の話題は、いつ、自動車学校に行くか・・が一番の話題だったのにも、驚いた。そのくらい、自動車は、生活必需品なのだ。1日は、忙しくなりそうだなあ。明日は、久し振りの革工芸。引っ越しと、風邪で、二か月休んでしまった。作業も、進んでいない。でも、明日は、大切な工程のおさらいがあるから、どうしても行かなくちゃ・・。頑張りましょう。
2008年03月27日
コメント(0)
今、ほとんど、通販が、日常になっている。この楽天の中でも、仙台の牛タンとか美味しいハラミは、リピートを何回もしているし、大好きショップチャンネルでは、紅じゃけのハラス、ほっけのスティック、海外のピンクザクロ、チキンの手羽焼きとそろばん(首肉)などの食品から、お化粧品、洋服まで。最近のヒットは、紅じゃけのハラスと、洗剤革命。家にいながら、全国の美味しい物が頂けるのも、通販ならでは。近頃はTVでも、お取り寄せの番組などしているから、もはや、デパートの物産展などは、ネット通販に比べ、お客さんも減っているのかもしれない。物産展は、場所代が上乗せになるから、私の感想は「通販より、割高」という感じ。マルセーのバターサンドなど、何度か取り寄せたし、カニのポーションも、絶対に、通販の方が安い。勿論、嵐君のCDも、DVDも通販。通販だと、割引があるから、絶対にお得です。その上、お店によっては、発売日より早く届くお店もあるので、会員になっておくと、予約のお知らせはくるし、買いそびれることは、無い。で、今日、大ちゃんの「転生薫風」のDVDが届きました。最近、TVで、このCMをしているのだが、なかなか録画できない。ニノの飲料水のCMはゲットしたが、それだけ、放映の回数が少ないのだろう。この「転生薫風」、奇跡のど真ん中、最前列で見た舞台。もう、30センチ向こうに、大ちゃんの女性のようにきれいな手があり、滝のように滴り落ちる汗も、目前にできた舞台。画像から、その客席の形状から、どうやら、青山劇場の収録のよう。私が最前列で見たのは、大阪だったから、写っていませんな。大阪の千秋楽も見たが、いつも大ちゃんの千秋楽は、おまけの寸劇がある。本編の舞台のあと、冗談の寸劇が10分ほどあり、最後に、客席をバックに記念撮影がある。このDVDには収録されていなかったから、やはり、東京の公演だろう。この公演は確か、3回見た。本当にこの人は、舞台をするために生まれてきたのか…と思うほど、舞台センスが良い。立ち回りの凄さも、セリフ回しの間も、TVのドラマとは全く違うが、大ちゃんの舞台は、いつも良いと感心してしまう。カンパニーの主要メンバーがずっと同じなのも、チームワークの良さかもしれないし、その醸し出す雰囲気が、安心して見ていられる。前回の舞台の一部も盛り込み、ファンにはたまらない演出。今日は、本編しか見られなかったが、初回限定盤を買ったので、もう一枚のおまけに「Free Style」とあったから、大ちゃんの個展の様子が入っているかもしれない。時間ができたら、また、見よう。来月は、新しいCDも、ドーム公演のDVDも出る。ドーム公演は、私が入ったオーラスの公演だから、楽しみ。前回のドーム公演にも会場に入っていたが、とうとう、自分がどこにいるのか見つけられなかった。今回は、見つけられるかな?今日も、家を見に行った。もう、何も無くなっちゃった。残ったコンクリートを片づけたり、まだ、地面に残っている、コンクリートの部分を剥がし始めていた。こりゃ、大変な作業だなあ。家を建て直すというのは、初めての経験なので、更地の土地に家を建てるのと違い、どうするのか、ものすごく興味があったが、家を壊すだけじゃないのだなあ。本当に、更地に戻すんだ・・と初めて知った。当たり前だが、更地に建てるより、より、手間がかかる訳だと、実感として、認識した。だから、某メーカーが「Kさん、他の土地を探して建てませんか」と言ったわけか・・。着々と、工事は進んでいます。画像は、家のあった場所の、今日の様子
2008年03月26日
コメント(0)
午後一番で、ハウスメーカーに行った。今日は家の内容より、事務的な話で、コーディネーターのIさんも、設計士の先生もいない。パパと、営業のH君の話だけ。最初の計画では、駐車場についての具体的な話がなかったのだが、斜面を少しせり出して、駐車場を広げる話になった。2時間ほど話をして帰りに家を見に行った。・・・と業者の方が、やってきて「すみません、花の木、一本、折ちゃいました」「ああ、あの沈丁花ですね」「名前解んないですけど、赤い花が咲いてるやつです」「あ、昨日、見ました。しょうがないです。」と言うと、ほっとしたように、「すみません」とペコンと頭を下げられた。家は、もう、ほとんど無くなっていた。何ともあっけなかった。そう大きなパワーショベルじゃなかったが、つぎつぎ、コンクリートのかすを、トラックに積んでいた。家がなくなっちゃうと、すっかり、諦めがついた。本当にあっけないなあ。パパが「見てて、飽きないなあ」と呟いた。私もそう思った。いつまでも見ていたかったが、お仕事がやりにくいかなあ…と思い、帰宅。車を降りて、ポストを見たら、何か郵便物が届いていた。高山の「思い出体験館」からだった。宛名が、チビ宛てだったので、夜まで、開封を我慢した。夜、家族揃ったところで、開封。出てきた作品は、素敵だった。面白かったのは、二人の個性そのままだったこと。オネエの色使いは、まさにオネエらしい色使い。チビの色使いは、本当に、そのままチビの個性そのまま。封筒を開け、出てきたのを見て、すぐに、どっちがどっちの作品か分かった。面白いですなあ。・…ということは、私の作品も、私の個性そのままなのだろうか?3人でわいわい言いながら、記念撮影。早速、ストラップにして、携帯につけていた。思い出の作品です。良い記念になった。画像は、家がすっかり無くなった様子。高山から届いた、娘達と、私の作品。
2008年03月25日
コメント(0)
昨日の疲れから、朝寝坊。パパはすでに出社。子どもたちも、お寝坊です。午後、前の家に見に行った。この旅行に行っている間に、家がなくなってるかも・・・。と思っていたが、半分、無くなっていたが、まだまだ、庭の石や、池の橋など残っている。仕事をなさってらっしゃるのに、見ているのも、申し訳ないと、車で前を通っただけ。でも、おばあちゃんの部屋だった和室の草色の壁や、リビングが見えて、少し胸が痛かった。もう、二階部分は無くなっていた。裏の駐車場は手つかず。植木をできるだけ残してほしいと希望してあったので、お隣との境側にある、梅の木や、モクレンの大きな木はそのまま。夕方、もう一回に見に行って、ガッカリ。裏の沈丁花が根本から、折れている。満開の沈丁花の花が、悲鳴を上げているようで、可哀そうで、可哀そうで、仕方なく、ごめんね、と何度も呟きながら、まだ、つぼみの残っている部分を手折った。どうにかならないかと、少し掘ってみたが、ぐっさりと、根本から折れてしまっているから、もう無理。私たちの建て替えの犠牲になった。本当にごめんなさい・・・。幕が張られた中、柵をまたいで入ったから、ごろごろした石や、崩した壁のコンクリートの土台などがあって、危ないので、手折った花を握りしめ、車に戻って帰宅した。すぐに花瓶に水を入れ、沈丁花を生けたら、家中に甘い香りが広がった。仮住まいの家は、全く片付かず。運び込めるだけ、運びこんで、玄関まで、荷物だらけです。犬は、旅行に行く前日、やっと、連れてきた。庭の日のあたる場所には、大人しいおばあさんのジュリアン。可哀そうだが、表の駐車場には、すぐに吠えるジュンをつなぎ、ものすごく重い犬小屋も、パパと二人、頑張って運んだ。二匹とも、戸惑ってしばらく鳴いていたが、餌をたっぷりやったら、どうにかおさまった。この日から、猫のミルキー以外、全員、この仮住まいの家に揃いました。どうなります事やら。今日、24日は、結婚記念日。本当は今日が銀婚式。パパとお昼に出たついでに、ケーキ屋さんに寄って、小さなケーキを買った。何だか、気恥しくて、ケーキなんていらないと言ったが、パパは、事あるごとに、何かにかこつけて、ケーキが食べたくて仕方ない。それでも、やっぱり嬉しかった。いつものケーキ屋さんの方たちも「おめでとうございます」と、パティシェの方も手を止めて、お祝いを仰ってくださった。照れくさくて「どっちが、25年我慢してきたのかな~」と言ったら、笑ってらっしゃったが、本当は、パパに感謝。よくぞ、こんな私と連れ添ってくださいました。夫婦って、本当に、不思議な運命共同体だと思う。夫婦は夫婦にしかわからないことがいっぱいある。それだけ、お互いの中に入り込んでいるし、反対に、負の部分で言えば、一番遠いところにいる存在でもあるように思う。私のことを多分一番分かっていて、一番分かっていないんじゃないか・・とも思う存在。ただ、間違いなく言えることは、この先も、人生を一緒に生きていく人であることに間違いはない。パパ、これからもよろしくです。健康で、長生きしたいね。画像は、壊し始めた家です。まだ、部屋の形が残っていて、かなり切なかったです。お祝いのケーキ。家族で乾杯しました。
2008年03月24日
コメント(0)
翌朝、ゲームのお陰で、寝坊。8時に食事の予定だったが、30分遅れて、皆で下の大広間に降りたら、もう、半分以上のお客さんが朝食を摂っていた。旅館の朝食なんて、一体、何年ぶりかしら?ここの奥にある奥飛騨温泉郷に行って以来だから、15年ぶりくらい?それからずーーーっと、宿泊はホテルばかりだったもんなあ。ホテルのバイキング形式の朝食には馴れちゃったけど、こうして、自分の前にあらかじめ置かれた朝食も良いもんです。メニューは、朝から、焼き魚、卵焼き、おみおつけ、ほうば味噌焼き、納豆、生卵、焼きノリ、佃煮、お野菜の煮物、お漬け物・・・・と一杯のお料理。もう、ご飯を食べられなくて、おかずだけ頂いても、お腹が一杯です。お部屋に帰り、今日の予定を確認して出発。まずは、高山の駅に行き、コインロッカーに昨日買ったお土産や荷物を預けて、そのまま電車で飛騨古川に行く予定だったが、電車の時間が、30分以上も後だった。聞けば、バスで、40分というので、バスに乗ることにした。本当は、フリーパスの電車の切符を使いたかったが、仕方ない。でも、このバスが、なかなか良かった。40分なんて、車窓の景色を見ていたら、すぐに着いちゃった。飛騨の民家というのが、今回、我が家が建てようとしている、チューダー形式の建物とそっくりなのだ。雪深い地方だからか、屋根の重みが耐えられるように、家の壁には、縦に柱がいくつも入っていて、本当に、イギリスの田舎の家のように素敵なのだ。それも、ほとんどの家が、壁の色が工夫してあって、黒の柱にベンカラ色だったり、モスグリーンだったり、真白だったり。な~んだ、チューダーって、飛騨地方の建物とおんなじじゃない。パパと、「普通に、チューダーだな」「雪国の建物は、日本も北欧も、そう変わらない造りなんだよね」と、少しがっかりしちゃった。飛騨古川の駅に着いたら、同じバスに観光客は乗っておらず、普通に古川に用事で来たらしい人ばかりで、人もまばら。古川の駅は、もう、本当に素敵で、駅だけで、感激。サスペンスドラマが好きな私は、飛騨古川と言えば、よく舞台になる「三寺参り」しか知らない。でも、今回は、古い町並みを見たくて来た。そうしたら、これが、当たり!!でした。高山ほど観光客はいないし、ふっつうに、町が、古くて、新しい建物も風情のある建て方をしてある。一番の観光地である古川の瀬戸川、白壁土蔵街は、道の三分の一が、奇麗な川になっていて、もう、すぐそこからお侍さんが出てきそう。その並びの家も、風情のある家ばかり。お店も、この界隈の雰囲気を壊さないような建物ばかりだった。ちょっと横の道に入ったら、大きな造り酒屋が、並んでいた。大きな杉玉が、当たり前のように、古い造り酒屋の入口の上に掛かっていた。一軒の造り酒屋にそうっと足を踏み入れたら、古い、帳場のようなところに奇麗な女の方がいらした。「少し見せていただいて、宜しいですか?」と尋ねると「どうぞ、いらっしゃいませ」と快く、古い古い、造り酒屋の店の中を見せてくださった。「よろしかったら、少し、如何ですか?」と、そこに搾りたての新酒をだしてくださった。車の旅じゃない良いところはこういう所。パパと味見したら、まあ、何とフルーティな日本酒。子どもたちも頂きたいというので、小さなコップを渡したら「美味しい!!」で、お買い上げ。これ、おうちが建ったら、お祝いのお酒に取って置こうっと。そのお店を失礼して、少し歩いていたら、何やら賑やかなところに。たまたま、一軒の造り酒屋さんが、イベントをしていて、お客さんに、中を公開してらっしゃるそう。これは、なかなか見れない物がみられるかも。早速、中に入った。地元の方や、古くから、このお店のお客さんなどが、たくさんいらした。まず、工場の中に入る前に、手を消毒液につけ、消毒液のしみ込んだマットの上を歩いて、靴も消毒した。工場の前に、青い目の外人の方がはっぴを着て立っていらして、「利き酒しませんか?」と言ってコップをわたしてくださった。時間があれば、もう、どこにも行かなかったら挑戦したかったが、諦め奥へ。中に入ったら、もう、物凄く大きな緑色のお酒のタンクが並んでいた。いつぞや、TVドラマに「夏子の酒」というのがあって、和久井映見が主演していて、離婚しちゃったが、結婚するきっかけになったドラマで、造り酒屋の工場の中が、多々写って、いつか見てみたいものだと思っていた。それが、今、目前にある。杜氏さん達が作ったお酒が、そこにあった。そして、そこでも、タンクの下の方に蛇口が付いていて、その小さな蛇口から、出来たてのお酒を頂いた。私は、アルコールは、日本酒が一番好き。強くはないが、辛口の日本酒ほど、おいしいものはないと思う。夏のビールも、今はやりのチューハイも、良いが、やはり、日本酒が一番口に合う。出口近くに、「お好きなだけどうぞ」と、酒かすを自由に袋に入れられるようになっていた。もう物凄く残念だが、これで粕汁作ったら、美味しいだろうなあ…と思ったが、旅行中なので、頂いて行くのを諦めた。そばのTVで、さっきの外人さんの従業員が、地元のTV番組の取材を受けたビデオが流れていた。表に出ると、トン汁を配っていて、少し冷えたからだにおいしかった。思わぬところで思わぬ見学ができた。さあ、次は、行きたかった民間の「ガラス美術館」へ。所がどっこい、ここ、休日が不定期で、お休みだった。ただ、建物が超素敵で、記念撮影。ふと時間を見たら、もう、お昼。本当は、お昼は高山に戻って、高山ラーメンを食べる予定だったのだが、そのガラス美術館の近くに、おいしそうなお蕎麦屋さんがあった。お蕎麦に目がない私です。これは、感が鋭く働き、ここのお蕎麦は絶対、美味しいと見た。「食べたい」・・・(爆)全く、子供みたいに、「食べたい」を連発。家族も、呆れていたがパパが「うまそうだな」・・やった!さあさあ、入りましょう。中は、有名な古いお店らしく、すでに狭い店内は一杯で、丁度4人席が一つだけ空いていた。ほら、神様、やっぱりここに入るよう決めてくれてたんだよ。メニューは、揚げものは一切なし。ざるそばと、暖かいお蕎麦と、にしんの甘露煮、すじ肉の土手煮、自然薯だけ。暖かいお蕎麦以外、全部頼んだ。運ばれてきたお蕎麦に、わさびが小さなすり鉢と一緒に、そのまま擦らずに出てきた。お蕎麦にわさびを擦って乗せ、そばつゆにちょんとつけ、食べた。もう、めちゃ、美味しい。今度は、にしんの甘露煮と一緒に食べた。次は、自然薯につけて食べた。超、満足。4人とも「美味しいね~」「うまいなあ」しか出てこない。ほら、やっぱ、ここで食べたの、正解だったでしょ!飛騨や、信州は、本当にお蕎麦が美味しいです。おなかも一杯になり、お店を出て、駅に向かった。古いお店に寄って、少し、お菓子を買った。駅に行くと、また、電車がない。バスは5分後に出る。じゃ、また、バスに乗ろう・・ということになり、高山に着いたのは、2時過ぎ。さあ、今回の旅行で、一番行きたかった場所にタクシーで向かった。「飛騨高山美術館」。タクシーを降りたときから、もう、興奮。凄くきれいな美術館。入口に入ると、ミシュランの三ツ星美術館に選ばれたと書かれてあった。この三ツ星というのは、電車に乗って、わざわざ、見に行く価値のある場所である・・とミシュランが、認めたということだそう。中に入ると、!!ミュージアム結婚式ができるそうで、黄色のウェディングドレスを着た女性が、向こうからやってきた。二階にあがると、順路に沿って、常設のガラス工芸品が並んでいる部屋があった。なんと、驚きなのだが、こういう美術館は、絶対と言って良いくらい、写真撮影が禁止なのだが、ここ、「撮影可」なのだ。勿論、品質保持のため、フラッシュは禁止。もう、最初から、涙もののガラス工芸品が並んでいた。シャンゼリゼ通りにあった、ルネ・ラリックの噴水が二つの展示室の真ん中にあり、その両側に大きな展示室があった。アール・ヌーボー、アール・デコの時代のガラスが、並んでいる。大好きなエミール・ガレをはじめ、ルネ・ラリック、ドーム兄弟、ルイス・ティファニーらの作品が、見ごたえある量、展示してあった。これほどの規模の、これほどの数の、常設美術館を私は知らない。ルネ・ラリックの香水の瓶の美しさ!ガレの物は、被せガラスはもちろんの事、エナメルの作品も多くあり、日本に大きな影響を受けたガレらしく、精巧なトンボや、蝉が描かれた繊細な硝子のなんと言う、美しさ。本当に、うっとりするくらい美しい。硝子だけじゃなく、家具の展示もあった。特に、ティファニーの家具は、以前、ルイス・ティファニー美術館で見たものより、繊細な彫り物がしてあるものがあった。ラリックの噴水は、本当に時間が来ると、水が出て、美しかった。時間がいくらあっても足りない。一日中、ここにいたいと思った。後ろ髪を引かれながら、ここのもう一つの目玉であるレストランに入って、お茶を頂いた。このレストラン、建築家マッキントッシュの作品をまねたレストランで、腰板があり、一度、入ってみたかった場所。その前に、広いミュージアムショプがあり、ここも、内容がとても充実していた。だが、非常に何とも残念だった事に、一番欲しかった図録が、まだ作られていなかった。実は、写真撮影可だったので、全部、撮影したかったのだが、後で図録を買えば良いや…と思い、あまり、撮ってこなかったのだ。美術館の方によると、現在制作中とのこと。それで、撮影可なのか・・・と納得。一日も早い制作を願わずにいられない。ミュージアムショップで、素敵な耐熱ガラスのカップ&ソーサー5客とポット、卓上のガレランプのレプリカ、バラのカードなどゲット。娘たちも、よほど気に入ったのか、なかなかショップから出てこなかった。もっといたかったのだが、時間も5時を過ぎ、閉館の時間。表に出て、もう一回、是非、ここのために出かけて来ようと思った。ミシュランの三つ星に指定されたのも、うなずけた。タクシーで、高山市内に戻り、買い物をし、高山ラーメンのお店で、ラーメンと、飛騨牛の串焼きを食べて、駅前のお土産屋さんに入ったのは、もう、6時前。帰りの電車は、もうすぐです。この時間の切符を買った時は、もう少し早い時間にすれば良かった…と思ったが、今は、この時間にしておいてよかったと思った。あわてて、お土産を買い、駅のコインロッカーに預けた荷物を出して、駅のホームに出た。今度は、きちんと、禁煙席、帰りは二人づつ座り、後ろが娘たちの席。歩き疲れ、おなかも一杯で、暫くしてふと見ると、後ろのお二人さんはくつろいだ格好で、ぐっすりお休み。パパも横で、寝息を立てていた。あ~、楽しかった。めちゃ満足な旅行でした。この旅行をプレゼントしてくれた娘たちに感謝。結局、パパが清算してくれたけど、あなた達がプレゼントして企画してくれなかったら、行けなかった旅でした。良い娘を持って、母は幸せです。3人の寝顔を見ながら、明日からまた、頑張ろうと思った。日本は、まだまだ、素敵なところがいっぱいあるんだなあと、実感した旅だった。久し振りに、アラシゴトの無い旅は、なかなか、実のある旅になりました。画像は、飛騨古川のしっとりした街並と、お休みだった「ガラス美術館」。お酒を買った造り酒屋のお玄関横のお座敷。めちゃくちゃ美味しかった、素朴なお蕎麦。高山美術館の外見と、展示作品の一部。それに、お世話になったワイドビュー飛騨号です。
2008年03月23日
コメント(3)
今日は娘たちが銀婚式の記念にプレゼントしてくれた高山旅行に行く日です。結局、4人で行くことになり、久し振りの家族旅行に、お天気も良く、暖かく、良い日になった。名古屋まで近鉄で出て、ホームに降りたら赤福を売っていた。復帰以来、赤福は、近所のデパートでも売っているのだが、毎日長蛇の列ですぐに売り切れ、地元民の私たちでさえ、手に入らなかった。勿論、ゲット。食べた方が、「こんなに柔らかかったんだって、思った」と仰っていた。のどに引っかかるくらいお餅が柔らかくて、偽造発覚のあった前とは柔らかさが違い、本来はこういうお餅だったのかと思ったそうだ。時間があったので、そのまま改札を出て、デパ地下に行き、お弁当を買った。もう、どれにしたらいいの~というくらいあって、美濃吉の「旬彩弁当」という、小さな六角形の三段の物にした。時間になったので、「ワイドビューひだ」という特急に乗り込んだ。4人で向き合い、早速、赤福を頂きました。うわさ通り、本当に以前のあれは何だったの?と言うくらい柔らかくて、美味しかった。社内アナウンスで、車窓の景色の説明があり、覗き込むと、下にエメラルドグリーンの奇麗な川と、白い奇石が沢山見えた。いつも何処かに行く時は、車が多かったが、こうして、4人向かい合って駅弁を食べながらの列車の旅も、なかなか良いもんです。午後2時近くに高山に到着。そのまま、タクシーに乗って、今晩お世話になるお宿に荷物を置きに行った。この飛騨フリーパックに付いていた6000円のタクシー券、なかなか良いです。タクシーに待っていてもらい、そのまま飛騨の里に。最初に行ったのは「世界のアンティック木の国館」。色々なアンティークが展示してあったが、一番の見ものはウランガラス。元々、ウランが入っているとは知らず、購入したそうで、後から判明し、暗くして光を当てると、美しいグリーンの光を放つガラスで、その美しさに、ため息が出てしまった。全体的な感想を言わせてもらえば、ご主人の好みで集めたアンティークで、一貫性に欠けていた。まあ、物としては、確かに他にないものも多く、見た甲斐はあったが。特にウランガラスのコップや容器以外で素晴らしかったのは、世界に二つしかない木製の金庫。ものすごく大きな物で、もう一つは大英博物館に収容されているそうで、からくりの細工や彫刻が素晴らしかった。あとは、有名な教会から譲り受けたという、ステンドグラスなど。女主人が、ウランの入った1万円のネックレスの説明に入った時は、興醒めしたが・・。次に、そこを出て、すぐ前にある、木彫りの巨大七福神を見に行った。流石に飛騨。道にまだ、雪が残っていて、入口で渡された杖をつきながら、滑らないよう、歩いた。そこから出て、ふと後ろを振り返ると、奇麗な山並が見えた。その中でも、真白に雪化粧した剣岳が、青空に映え、本当にきれいで、思わずシャッターを切った。家族でも、交代で山をバックに記念撮影。今度は、そこから、坂を少し下がったところにある、飛騨高山思い出体験館に行った。今まであちこちに行ったが、こういう体験館は、いつも素通りだった。今回は、銀婚式だし、何か記念になるものを是非作りたいと、行く前から楽しみにしていた。中に入ると、陶芸、ステンドガラス、ガラスビーズ細工など、いろいろあったが、私は、ステンドガラスのネックレス作り、娘たちは、ストラップにも、ジッパーの持ち手にもなる小さな丸い金具にビーズを並べて、高温で焼くガラスビーズ細工に挑戦した。色硝子の破片を、色々組み合わせて行くのだが、なかなか色も、形も決まらない。結構、組み合わせが難しい。散々迷って、ようやくガラスが決まったら、次は、銅テープで回りを巻いて行く。そして、最後にはんだ付け。一時、ステンドガラスに手を出して、道具だけは揃っている。こんなに難しかったかなあ・・・と、改めて、ステンドの奥の深さに気が付いた。娘たちもビーズ選びに四苦八苦。パパは、何もせずに、ゆっくり休んでいた。やっと出来上がり、娘たちのビーズは、焼成して、送ってくださるそう。3人とも、口ぐちに、「超、面白かった~」。良い記念品ができました。さて、夕方近く、タクシーを呼んで、高山市内に戻った。高山は、二度目なので、古い町並みのある「さんまち通り」は珍しくなかったが、以前、飛騨の里の前にあった「うさぎ舎(うさぎや)」というお店に行きたかったのだが、今は無くなって、このさんまち通りに移ったそうで、ここに行った。子どもたちは、パパと甘味屋さんに行ったので、甘いものが苦手な私は、一人先にうさぎ舎に。うさぎ舎のうさぎのマークが好き。以前は、和製のドールハウスがあったり、アンティークの生地もあったのだが、新しいお店は、残念ながら、観光客目当てのお土産屋さんに近いお店になっていた。それでも、うさぎのお人形があったり、小さな部分的なドールハウスもあった。チビが喜びそうな、古布で作られた、大きな可愛い赤い皮の持ち手のバックがあった。隅々まで見て楽しんでいたら、子供たちがやってきた。やはりさっきのバック、チビがとても気に入りお買い上げ。このさんまち通りは、閉まるのがとても早く、5時には、店じまいをするお店ばかり。最後に入った食料品のお土産屋さんで、我が家の常備茶「しいたけ茶」をたくさんゲット。このお茶、スープみたいにおいしい。木曽とか高山とか、山林の多い地方に行くと、売っている。お茶としてでなく、お吸い物としても、お肉にふりかけても、サラダにあえても美味しい。さて、足もそろそろ草臥れてきました。そこからタクシーを呼んで、もらったチケットでお宿に帰った。お部屋は、私達夫婦と、娘たちのお部屋と二つ。私たちの部屋からは、高山市内が一望に見渡せ、遠くには奇麗な山並。部屋風呂は、総檜の良い香りのするお風呂だったが、露天風呂もあるので、今晩は、そちらに入ることにして、皆で、TVを見ながらしばらく休憩していたら、娘たちのお部屋にお食事の用意ができたとお知らせ。娘たちの部屋に行くと、まあ、豪華なお料理が並んでいた。お刺身に、天ぷらは定番。それに、飛騨牛の懐石料理、牛肉のお刺身、お寿司、ステーキなど。本当に、焼いた石の上にお肉を乗せて焼いて、お塩や、ポン酢で頂きました。松坂牛の地元民ですが、飛騨牛も、負けていないほど、美味。とろけるような牛のお刺身も美味でした。もう、おなかがいっぱい。お酒も入り、気持ちは最高。お部屋に帰り、子供たちも来て、しばしの団欒。あまり遅くなると、もう、お風呂に行きたくなくなっちゃうので、娘たちと露天風呂のついたお風呂に行った。良いあんばいに、行った時は、ほかの方もいらしたが、体を洗っていたら、家族だけになった。露天風呂は、流石に寒かったが、お酒が用意されており、「雪見酒をどうぞ」と書かれていたので、チビと、頂きました。湯船につかりながら頂いたお酒で、ぽかぽか。そこから見える高山の市内は、流石に観光地、ホテルが沢山見えた。普通の町の景色と、何が違うのかなあ…と思ったら気が付いた。ホテルだから、当たり前の話だが、全部の窓に電気が点いているのだ。いくつもの高い建物の窓に、全部電気が点いているから、街の様子が普通の町の様子とは違うのだ。それも、蛍光灯より暖かい光の色だから余計に、普通の町の景色と違うのだ。散々湯船に浸かって部屋に帰ったら、パパはもうTVを見ながら、寝息を立てていた。チビがどうしても、ゲームをしようと言いだした。このゲーム、チビが最近買ってきた小さな盤の「人生ゲーム」こっちにくる前から、一緒しようとうるさかったが、忙しくて、なかなかできなかった。仕方ない、付き合うか。オネエと3人で、パパの寝ている部屋の隣の部屋で、始めたが、たっぷり1時間、付き合わされた。まあ、面白くない訳じゃなかったから、もう、子供じゃない娘達と、ゲームに興じるこういう夜も、旅行先ならではで、なかなか良いものです。午前1時、「じゃ、お休み」と娘たちが自分たちの部屋に引き揚げて行った。あ~、気持ちの良いつかれです。さあ、早く寝ないと明日も色々行く予定。おやすみなさい。画像は、復帰した赤福餅。美味しそうでしょう。高山飛騨の里から見えた山並。剣岳の真白な雪が奇麗!怪しく光る、ウランガラス。お世話になったお宿と、飛騨牛たっぷりの、お夕食です。
2008年03月22日
コメント(2)
午前中に、髪を染めに行った。本当は、昨日、予約してあったのだが、東京に帰っていて、行けなかった。子供達との旅行を前に、どうしても奇麗な髪にしておきたかったので、いつもの美容院じゃなく、シャンプー専用の美容院に行き、染めてもらった。アレルギー症なので、今まで決めた美容院以外の薬が合わず、染めてもらわなかったのだが、事情を知ってらっしゃるお店の方が、薬を選別してくれ、染めてもらった。ドキドキものだったが、何とか、そう痛くなく、うまく染まった。ついでに、長さも腰までになっていたので、切ってもらってすっきりした。少し切るたび、美容院の方が、「Kさん、本当に良いの?」と聞くので、こっちが可笑しくて笑っちゃった。「Kさんは、ロングヘアのイメージだったから」と、手のあいたほかの美容師さんも、「良いの、切っちゃって」と仰った。私は本当に髪が伸びるのが早いので、すぐまた、長くなっちゃうから、全く気にしていないのに、美容院の方の方が、気になさっていて、本当に可笑しかった。午後から、ハウスメーカーで、インテリアの話し合い。子どもたちも一緒。ここのところ、コーディネーターのIさんばかりだったが、久し振りに、設計士の先生もいらして、楽しい話し合いになった。カーテンは次回。パパは、外構の話ばかり。私は、あまり興味がない。家の外観のことでパパと少し言い合いになった。もう、数えきれない話し合いで、気持ちが緩んでいたのだろう。人様の前で、こんな喧嘩はしたことがない。Iさんは、向こうで子供たちとインテリアの話をしていて、後で聞いたら、笑っていらしたそうだが、こちらは、私以外、男性。気まずい雰囲気になったが、そこは、私。気にせず、席を立ち、頭を冷やしに行ったパパを放っておいて、私は私の希望をどんどん言って、話を進めた。もどってきたパパは、「もう、今回は本気で離婚しようとおもったぞ」と言って、みなさんの笑いを誘っていた。明日、子供たちと銀婚式の記念の旅行に行くのにね(笑)着々と、ことは進んでいます。何だか、楽しみになってきました。今日は、カラーのイメージイラストを頂いた。うん、なかなか良いかもです。話し合いが遅くなり、先に話が終わり、帰宅していた子供たちと、オネエの卒業祝いと、私たちの親業の、御苦労さん会に、中華を食べに行った。なかなか美味しい中華でした。明日は、高山です。うん、楽しみだなあ。
2008年03月21日
コメント(2)
朝、ホテルを出て、駅の近くのファーストフードのお店に入った。空は、今にも泣き出しそうな雲行き。折角、東京にいるのに、自分の生まれて育った街にいるのに、ちっとも楽しくないし、ちっとも、嬉しくなかった。パパが、席を立って、いなくなった時、ふいに、せつなくなった。どうしてこうなっちゃったのかなあ。心臓に欠陥をもった弟が生まれてから、私の気持ちは、傷ついてばかりだった。母は、弟につきっきりだったし、7歳だった私は、寂しさを口にすることも憚られる家の雰囲気の中、さみしくても、辛くても親の前では泣かない子になった。弟のすることはすべて正しくて、私が正しいことはなかった。親に愛されてない・・・と思い込み、切なさに、さみしさに、トイレやお風呂で人知れず泣いた。弟がうまれてから、7歳まで可愛がってもらったのに、母から抱きしめられることは、二度となかった。時間は何があっても、弟中心で回り、両親は心臓の悪い弟にただただ一生懸命だった。それでも、姉として、弟が可愛かった。高校の体育祭に親に連れて来られ、私を応援してくれた声は忘れられない。ふいに、涙が出てきた。どうしようもなく悲しくて、嗚咽した。戻ってきたパパが、言った。「泣くな、しょうがないだろう」「・・かわいかったのになあ・・」言ったら、また、泣いた。お店の中は、静かで、ガラスの向こうの道にも、誰も、通り過ぎる人はいなかった。どうして、こんな事になっちゃったんだろう。母は、70歳を過ぎた今も、自分を責め続けている。40歳を過ぎた男なんだから、もう、お母さんのせいじゃないよ・・といくら言っても。そのまま東京駅に行き、子供たちにお土産だけ買って、午後一番の新幹線で帰宅。そのまま、着替えて気がついたら寝てしまっていた。だが、その間にまた、事件が起きていた。混乱した母が、勝手な行動に出て、この二日間のパパとの苦労が水の泡になったのだ。母から電話が入り、流石のパパも怒った。何のために上京したのかわからなくなった。私も、「もう、嫌だ」と思い、母にとうとう、長年の思いを泣きながら怒って吐露した。母も電話の向こうで泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と言うばかり。あ~、親を泣かしてしまいました。生まれて初めて、泣かしてしまいました。自分が小さい小さい人間に思った。ただただ、情けなかった。歳老いた親を泣かしてどうするんだよ!自分で自分に腹を立てた。オネエが帰宅。スーツを着ている。あれ?もしかして今日、卒業式だった?「うん、そうだよ」胸がキューンとした。弟のことがなかったら、今朝、ちゃんと送り出してやれたのに。18年の学生生活の最後のピリオドの朝、ちゃんと送り出してやれなかった事が、残念で仕方がなかった。そういえば、着物を着たいって言っていたはず。「ううん、今日、雨だったから、辞めた」そう、でも、送り出してやれなくて、ごめんね。オネエが、青い表紙の立派な卒業証書を差し出して、「お父さん、お母さん、ありがとうございました」と頭を下げた。しぼんでいた心が、暖かくなった。ああ、今日18年の学生だった時間が終わったんだなあ・・・と、ものすごく、嬉しかった。一丁上がり~って感じです。オネエ、おめでとう。「まだ、ちゃんとカウンセラーにはなっていないから、暫くよろしくです」という言葉も添えられた。お安い御用です。夜、今後のことを話し合いに母のところに行き、一応の東京での話をした。母も知らないことが沢山あって、驚いていたし、嘆いてもいた。これから、パパと二人で、この人を支えていかなくちゃなあ・・と改めて、肝に銘じた。これから、まだまだ、先は長いから。頑張ろうね、パパ。そして、ありがとう。
2008年03月20日
コメント(0)
今日も、朝、見に行った。相変わらずの、産廃業者の後片付け。は~、本格的な解体はいつからかなあ・・。と思ったら、お昼前に見に行ったら、足場が作られ、幕が張られ始めていた。いよいよ、本格的な解体です。ゴミの片づけに、二日、かかったわけですな。午後、パパが昼食に帰宅し、弟の件で、急きょ上京することになった。あわてて、お泊りの用意をし、会社に用事をしに帰ったパパを待つ間、着替えたり、お化粧したり・・。いったい、今度は、どんな爆弾が待っているのか・・・。母に事情を話し、迎えのタクシーに乗った。パパの話では、この25年、弟がお世話になっていたご夫婦が、ある事情で、弟の保証人を降りたい・・とのこと。弟はその物の考え方などから、生前父が、保証人になることを拒否し、このご夫婦にお世話になっていた。もう、良い歳をした男なのに、定職を持たず、夢ばかり見て、地に足が着いていない生き方。一時、物書きとして、本が売れた時期もあったが、今は、全くの鳴かず飛ばず。いい加減、定職を持ち、家庭もきちんと持って、普通に生活をしてほしい・・・と両親が願っていたにもかかわらず、父が亡くなっても、相変わらず、結婚もせず、職を転々としている。不安な気持ちを抱え、忙しい中、大事な仕事を休み、東京まで出かけて来てくれたパパに申し訳なく、本当に、情けなかった。ましてや、今回は、弟の支えになってくださっていたご夫婦が、もう、面倒見切れない・・・と呼び出された格好だった。東京から、高田馬場に出て、私鉄に乗り換え、郊外の町に向かった。これが、アラシゴトの状況なら、どんなに良いだろう。新幹線で横浜アリーナを通り過ぎ、電車が東京グローブ座の横を通ってそう思った。初めて訪ねたお宅は、マンションの一室。室内で複数の血統書付きの猫を飼ってらっしゃって、その臭いに驚いてしまったが、そんなことは言っていられない。ごあいさつもそこそこに、話し合いは始まった。この20年、弟は、ほとんど家に寄り付かなかった。一時は、自分で会社を興し、離婚する前は、夫婦でゲームの攻略本などを作ったり、企画をしたりしていたが、だんだんその会社も、雲行きが怪しくなり、妻とも別れた。父の病気が分かっても、ほとんど何をやっていたのか、「仕事が忙しい」と数回の帰郷しかせず、母と私で看病した。可哀想に父は、最後まで弟の行く末を憂いながら、逝った。青い顔をして、本人のために・・と突き放したものの、弟のことを心配する父が、哀れで仕方がなかった。ご夫婦との話で、その20年が見えてきた。5時間に及ぶ話し合いの末、今後のことなど決め、ご夫婦が取ってくださったホテルに入ったのはもう、日付が変わった時間だった。疲れた。本当に、疲れた。パパ、本当に申し訳ないです。パパはすぐに、寝息を立て始めた。狭い部屋の中、カーテンをそっと開けて表を見た。下を通る車もまばらで、街は深い眠りについていた。何も考えられなかった。ただ、ぼうっとしているうちに、いつの間にか眠りに落ちた。一部、幕が張られた家。
2008年03月19日
コメント(0)
今日から、本格的な解体の日。遅く起きた朝、車に乗って、見に行った。大きな産廃の車が横付けされていた。解体には、最初に、ネットを張ると聞いていたが、まだ、ネットは張られていない。二階のパパの部屋から、次々、ゴミが、産廃の車の荷台に放り込まれていく。そりゃー、あのゴミの量だからなあ。あの車じゃ、たぶん、2~3杯あるかもしれない。表に回ってみたが、こちらは手つかず。お昼に帰宅したパパとその話になり、「ゴミだけで、2~3日かかるんじゃないか?」と真面目に大笑い。解体業者さんも、前代未聞のゴミの量じゃなかろうか。「噂になるぞ」パパが、真面目に言うたび、可笑しいやら、業者に申し訳ないやら・・・。午後、見に行ったが、やはり、まだゴミの回収をしてらした。「申し訳ないっす」近くに行って、お一人お一人に言いたいほどだった。夕方、母が見にきた。「あら、まだ、壊してないじゃない」と言うので、「今日は、ゴミ、片付けてたよ」「相当な量だったもんね」そこにパパが来たので、ちょうど良いと、持っていたカメラで、パパと並んで玄関の前や、門の前で写真を撮ってもらった。最後に、無くなっちゃう家を撮った。これから、新しいうちが建って行くまで、少しずつ、写真をアップしようと思う。今日一日、ゴミのお陰で、命拾いした家でした。ご覧のように、もう、ボロボロ。初公開です。斜面に咲いたふきのとう、あまり奇麗な緑色だったので、思わずシャッターを切った。
2008年03月18日
コメント(0)
今日は、解体の日。朝から、パパから電話があり、もう、業者がきているから、まだ、ほんの少しあった荷物をすぐに取りにくるよう電話があり、あわてて家を出た。しかし、前の家に行ってみおたら、何のことはない、今日は、植木の確認に来ただけだと仰った。電気の工事に、電力会社の作業の方が来ていて、「今日で、全部の電気を止めます」とのこと。そりゃそうだよなあ。今日から解体と言っていたが、私は、火曜から本格的と聞いていたので、おかしいと思った。家の中に入ると、別の電気屋さんが、残っていた数個のエアコンを外す工事をしていた。解体の業者の方と、残す植木を、庭を回って確認した。残せないと思っていたお花の咲く木を、残したいと言ったら、あっさり、「良いですよ。」「え?残せるんですか?」「はい、掘り返しますので、枯れてしまうかも知れませんが、それでも構わないのでしたら、どの木も、残せますよ」そうなんだ~。この家は、30年の歴史があるから、木も相当大きくなっている。いつぞや、斜面にあった、高さが5メートルもの大きな胡桃の木が雨で地盤が緩み倒れてきて、仕方なく切った時は、本当に残念だったが、庭にある、タイセン木など、やはり、3メートルくらいになっているし、松も、相当大きくなっている。今度の家は、松が似合わないデザインの家なので、松は要りませんと言ったが、他の大きな木は全部残したいと伝えた。午後から、本当に最後に残った荷物、この家に片付けに来るたび、休憩していたディレクターチェアやら、荷造りグッズや、積み忘れていたコンテナなど、全部車に乗せ、もう一度、家の中に入った。薄暗くなった家の中、もう、電気もつかなくなっちゃったから、刻々と暗くなる中、一番上の部屋から、見て行った。娘たちの寝室「子供たちを育んでくれ、ありがとうございました」。最初は子供たちの勉強部屋だったロフトのある、最後はパパの部屋だった洋室。思い出の品ばかり残っている「どうもありがとう」。少し階段を降りた中二階の私たちの寝室「ありがとうございました」。そして階段を降りて、この家を買うきっかけになった、少し離れた3段の階段を降りた、10畳の洋室。おばあちゃんを引き取るためのおばあちゃんの部屋だったが、認知症になってからは、子供たちの勉強部屋だった。「ありがとう」深く頭を下げた。そして、最後におばあちゃんの部屋だった八畳の和室。おばあちゃんとの辛い確執の舞台だった。私にとって、一時入ることができなくなった部屋も、おばあちゃんが亡くなり、お骨がなくなり、おばあちゃんの家具や私物を処分し、畳も、ふすまも一新してから、やっと、何のわだかまりもなく入れるようになった部屋だった。本当は、この家に来てすぐ、お友達の親子を沢山呼んで、チビのお誕生日会をした部屋でもあった。「ありがとうございました」心の底から、言いながら、お別れした。そして最後に、ガラーンとしてしまったリビング。この家に最初にごあいさつ来た時、お日様が燦々と降り注ぎ、前の住民の方が沢山窓際に植木やお花を置いていて、ああ、この家は、こういう家なんだとすぐにこの家が気に入った。南にベランダの付いた大きな大きな窓、東に小さな窓があり、朝日も入り、昼間に電気をつけることなど、ほとんど無くて済んだ。「本当に、ありがとう。壊しちゃうけど、ごめんね」とても切なかった。私さえ、もっと、片付けが上手にできていたら、お掃除もしっかりしていたら、建て直しなどしなくて良かったのだから、この家の運命を変えてしまったのは、私なのだ。心の底から、ごめんなさい・・と思った。そして、10年前、リフォームした、キッチン。毎日、そこにいる時間が一番長かったキッチン。「さようなら」。本当はね、全部のお部屋をきれいにして、出ていきたかったのに、どこの部屋も、足の踏み場もないくらい、ゴミだらけ。それだけ、要らないものを、抱え込んでいたのだ。この建て替えがなかったら、たぶん、中身も見ないで、そこにそのままあっただろう数知れぬ、段ボール。もう、この家には、感謝の気持ちと、お詫びの気持ちしかない。小学校6年生だったオネエと、2年生だったチビ。オネエは、もう、卒業式を目前にしていて、初めての電車通学にチビはオネエが頼りだったが、ほどなく迎えたオネエの卒業式の朝、チビは、「明日から、私はどうしたらいいのよ~?」と嘆いて家族の爆笑を誘った。仕方なく、回数券を買い、翌日、電車で一緒に行ったが大きな駅に着いた途端、声をかけてくださる伯母時学校の沢山のお友達に会い、「お母さん、明日から一人で行くから、もう良いわ」(笑)そこから一人電車で引き返し、買ったばかりの回数券を払い戻しながら、可笑しくて、笑っちゃった。庭のあるおうちがうれしくて、毎年、花だらけにした。私、幸せだったよなあ・・・と改めて、思い、感謝した。勿論、おばあちゃんを引き取ってからの5年間は、私の人生の中、本当に辛い日々だったが、うつ病になっちゃったりもしたが、父の看病にここから通い、父が亡くなった時も、この家ですごしたが、今は、みんな、過ぎ去った思い出。39歳の女盛りから、更年期を終えた歳までこの家で過ごした。子どもたちは小学校、中学校、高校、大学までこの家で過ごした。13年間、本当にありがとうございました。最後に深く頭をさげ、暗くなった家に鍵を掛け、出た。吹き抜けの高いガラス張りの窓に、暗い空が写っていた。さようなら。私達のおうち。さようなら。
2008年03月17日
コメント(4)
夕べ、お蕎麦屋さんでパパとチビと夕食を摂っていた時、母から電話。尋常じゃない様子に、すぐに行くからと電話を切って、母の家に。話は、また、弟のこと。困ったものだ。母親だから、仕方がないのかもしれない。だが、傍から見ていると、歯がゆいことばかり。どうして母親って、息子と切り離して、物が考えられないのかなあって思う。もう少し、突き放して息子の人生をじっと手を出さずに我慢できないのか…と思う。ひいては、それが、本当に息子のためになるのに、それが、頭でわかっていても、気持ちが我慢できないのだ。その点、女の子に対する父親は、きちんと客観的に見て育ててらっしゃる方が多いと思う。娘と父親で、こうい関係は少ないなあ。私など、高校生の頃、「お父さんは、貴方が可愛いんだよ」・・・と母から聞かされたが、ピンとこなかった。父も母も心臓に欠陥を持って生まれてきた弟に夢中で、ずっと放っておかれたので、両親から愛されることは、諦めていたから、その時は、正直、驚いた。父親ってそういうものなんだと、思った。実は、娘に対する、母親もそうだなあ。女性の方が、そういう点、娘に対してドライなのかもしれない。男の子と母親との関係の方が、本能に近いのかもしれない。パパと相談に乗って、色々話をして、母の家を出たのは、11時過ぎ。それから、荷物の片づけをしたから、もう、くたくた。で、今朝、気がついたら、パパはもう、ゴルフに行っちゃったし、オネエは昨日から、お友達とディズニーシーに2泊三日で行ってるし、チビは、バイトに行っちゃった。今日で、家とも最後なのになあ。お昼に母が心配になり、一緒にお昼を食べに行った。やはり、まだ、諦めきれない様子。だが、今回は、本当に心を決めてもらわないとならないので、母に無理なく、話をした。近日中に、パパと、東京に行かなきゃなるまい。また、前回のように、弁護士さんに逢うかも知れないし、どうなるのか解らないが、私は私の家族を守らないとならないから、パパと頑張っていくしかない。一日片付け、ようやく何とかめどがついた。明日は、いよいよ、解体業者が来る。本当にいよいよだなあ。持っていきたいけれど、持って行くスペースがないので、子どもたちの工作の作品も、処分しなきゃならない。何とも、心が痛くて、残っていた作品、全部の写真を撮った。オネエが一年生の時、一緒に作った、ビーズのお魚や、海藻の水族館や、紙ねんどのカメさん。袋を膨らまして作ったお魚。「お母さん、いつも美味しいお弁当ありがとう、今日は、私がつくったお弁当をプレゼントします」と書いた紙のついた、チビが銀紙や色紙、綿で作った可愛いお弁当。どれもこれも、皆、捨ててしまうのが、ものすごく切ない。でも仕方ないよね。庭に出た。咲き始めた色々な花。特に、深紅のボケの花は、今回、駐車場になっちゃう場所にあるし、池を囲った石の間から出ているので、救えないので、奇麗に咲いたのに、死んでしまいます。可愛そう・・・。ごめんね・・と少し枝を切って、お花を持ち帰った。なんだか、ものすごく切ない。新しいおうちのことを考えると、嬉しいけれど、そのためにも、仕方ないこと。こういうとき、気持ちの整理をするのが、私はとても下手だ。しっかりしなさい、私。さあ、明日でお別れです。画像は、最後の命を精一杯咲いているボケの花と、娘の可愛い作品のペンギンさん。
2008年03月16日
コメント(0)
さあ、最後の追い込みです。この二日間、私の頑張りどころ。まだまだ、たとえば、庭のコンテナの数々、物置の中、新しい家に持って行く、シーリングライト、床下収納庫の梅酒などが残っている。この家に引っ越してきた時、お庭のある家がうれしくて、庭を花で埋めた。毎年、苗箱ごとパンジーや、ビオラ、デイジーや、金魚草、デモルフォセカ、バラのような花(名前が出てきません)、サフィニア、ノースボール、ムスカリ、アメリカンブルー・・・etcを買ってきて、何日もかかって植え込み、本当にお花だらけにした。道行く、お顔も知らない方が、「きれいですね~」と水やりや、花がら取りをしていると、お声をかけてくださった。物に凝る私だから、次々、可愛いコンテナを見つけては、植えた。その残骸が、いくつも仕舞ってある。体が元気になったら、また、始めようかな、ガーデニング。この年で、朝の1時間の花がら取りや、水やりは、お肌に良くないかな。それから、物置には、パパに言われて始めたゴルフの残骸。道具を揃えてもらったが、どうしても好きになれず、シューズから、ゴルフクラブのセットから、練習用の靴やバック。あとは、ガーデニングの時に彼はなど凄い勢いで吸い込むバキュームの機械やら、子どもたちが小さい時に、海に行く時、いつも持って行った手作りの大きな袋に入った折りたたみの椅子やら、大きな空気を入れて膨らますボートやら、子どもたちの救命胴衣。キャンピング用の机といすのセットやら、犬のケージやら・・・。あ~、考えただけで、もう、やる気がなくなります。頑張って、とりあえずのものから手をつけで、さあ、今日もがんばりますか。
2008年03月15日
コメント(0)
やっと、すべての条件がそろい、来週の火曜日に解体が決まった。パパと、今年のホワイトデーの買い物。今年から、会社では自粛があり、バレンタインデーのチョコレートは、廃止になった。パパももちろんだが、他の男性社員にも女性社員から、義理チョコが渡されていたのが、お返しの問題もあり、廃止しようと勇気ある決断があったそう。毎年、この日のお返しの数を揃えるのが大変だったが、解放された。それでも、娘たちや母からもらったので、その御返しに、いつものケーキ屋さんに行った。その前においしい小さな洋食屋さんに行き、ランチ。ここ、本当に、何食べてもおいしいし、ランチがまた、すごい、お得なんです。これで1000円?と言いたくなるような内容で、味も、たとえば、チキンカレーの時は、チキンだけ、先に煮込んであり、煮崩れしないように、先に取り出し、お野菜も、形を残し、チキンと別に煮込んであるようなこだわりのメニューばかり。本当に美味しい。今年のホワイトデー企画は、あまり「わあ~」というような形のものじゃなかったが、美味しいのは、変わりないので、このケーキ屋さんにした。正方形の箱に、フェナンシェやら、チョコレートのハート型のちょっと硬めのフェナンシェ、マドレーヌなどが入った物。食事をしながら、パパが「決まったよ」。いよいよ、解体の日が決まった。来週の火曜日。もう、あと3日。何だか、さみしいなあ。それまでに、仕事をするのに寒いといけないので、付けたままにしてあったエアコンを外してもらったり、表にある、ガーデニングに凝った時にそろえた、コンテナとか運ばないといけません。明日からオネエは、お友達と二泊三日のディズニーシーへの旅行に行く。今日は、ホワイトデーで、チビもいない。夕方から最後の片づけに前の家に行った。まだ、少し荷物が残っている。今日は、ギャフンとなった。お客様用のお布団のセットが、まだ、残っていた。大変だ~。忘れてた!こりゃ、この土日は、また、プチ引っ越しだなあ。…というのに、オネエはいないし、パパは、土日大好きゴルフだし、頼りのチビは、明日、お友達と遊びに行くんだって。良いよ良いよ、私、一人で頑張るから・・・・。こうして家族に恩を売っとかないと、嵐クンのコンサートやお芝居に、大きな顔していけないからなあ。がんばろうっと。
2008年03月14日
コメント(2)
今日は、月に一回の診察日。担当医は、私が引っ越しで、鬱が酷くなるのじゃないかと、心配してくださっていたよう。だが、引っ越しの最中は、全く大丈夫だったのに、ほっとした途端、鬱が出たと聞いて、なるほど…というお顔をなさった。カウンセリングを卒業したので、今は、この主治医に話すしかない。年齢は、30前だし、若い男性だし、言っても解らないだろう…ということは言わない。まあ、ここのところの状況だけ、話して、薬をもらって帰った。午後から、パパと飛騨への切符を買いに行った。国鉄の駅は、なんだか、人がまばらで、近鉄ほど駅前もにぎやかじゃないし、閑散としていたが、切符の売り場、緑の窓口は結構、人がいた。カウンターに前すでに先客がいたので、待っていたら、すぐ横に、大きなパンフレットの並んだ棚があって、その中に「飛騨路フリーきっぷ」というカタログがあった。何の気なしに、手にとって見た。え?ええ?!何これ、異常に安い。東京の嵐クンのコンサートやお芝居の時も、ここに来て買うが、中には、ホテルとセットで、ものすごく安い商品もあるのだが、電車の指定があって、ものすごく朝早い電車だったりする。だが、これ、電車の規制も何も無い。見ているうちに、私の番が回ってきた。うちで調べて、列車の時間や、料金などは分かっていたが、もしや・・と思い、先のパンフレットを見せた。「あの~、これで、買えますか?」「何人様でのご旅行ですか?」「4人です」「別行動なさいますか?」「いいえ、家族ですので、いつも一緒に行動します」「じゃ、ご利用できますよ」で、計算してもらったら、このパックを使うと、片道6080円の、4人で往復なので、本来なら48640円のところ、何と、25800円ほぼ半額。おまけに、高山の前後5駅ほどが、乗り降り自由。おまけに、6000円のタクシー券付き、も一つおまけに、主だった観光施設の入場料が、安くなる。おいおい、知らずに、高い切符、買うところだった。学割の証明とか持ってきたが、もう、そんなもの、ぶっとんじゃうくらい、安い驚いてしまった。パパも、きつねにつままれた顔。「ただし、4人様で一緒に行動していただくことが条件です」普通、一緒に旅行に行ったら、一緒に行動するよなあ。おまけに、行きの電車が禁煙席が一杯だったし、帰りの電車は、遅い時間しか禁煙席が空いていなかったので、仕方なく、行きは、喫煙席、帰りは、遅い時間の禁煙席にしたら、「キャンセルが出るかもしれませんので、その時は、交換もできます」もう、至れり尽くせり。これ、知らなかったら、絶対に損。あ~、パンフレット見つけておいて良かった~。これこそ、「知らなきゃ、損、損」だわ。娘にメールで、顛末を書いて送ったら、驚いて、電話をかけてきた。メールを打つのがもどかしく、すぐに、聞きたかったのだろう。「信じられない」そうだろう。私も、今、手元にチケットを前にして、信じられないんだから。JR,頑張ってますな~。
2008年03月13日
コメント(0)
朝から、何もしたくなくて、ぐだぐだ。お昼にパパが帰ってきて、チビと3人でお昼ご飯。オネエは、最近、あちこちに出かけていないが、今日は、近くの総合病院に就職先に出す健康診断書のため、内科、眼科、などで、診察をしてもらいに行っている。オネエの仕事が、次々決まっている。女子大の相談室のおねえさんのお仕事が一つ。ちょっと遠い他県の中学校の相談室のおねえさんのお仕事が一つ。近くの中学校の相談室のお姉さんのお仕事が一つ。週に何回かの勤務なので、あちこちに行く。カウンセラーの資格は今年の秋に受験するので、まだ、仮のカウンセラーなのだが、大学院に入ってから、ボランティアであちこちの相談員をしていた実績があるので、面接に行った先でも、すんなりと採用になった。この市のカウンセラーの仕事が決まった時、今までボランティアをしていた隣の市の教育委員会から「どうしてうちに来てくれなかったの~」とお電話があったそう。ありがたいですm(__)m秋に試験に合格したら、正式に「臨床心理士協会」に登録になり、また、仕事が変わるから、今年の4月から、3月までのお仕事。それでも、仮のカウンセラーなので、お給料は、びっくりするくらい安いから生活は無理。勿論、正式に臨床心理士になったら、何倍かのお給料になるから、それまではこの一年、また、すねをかじられなくちゃなりません。本当に、一人のカウンセラーを養成するには、大変なんだなあ…と実感している。午後から、パパが高山までの切符を買いに行こう・・と言いだしたが、どうにもこうにも、表に出たくない。兎に角、人に会いたくない。お化粧したり、女の鎧である、お洋服を着替えるのも、気が重い。なんとも、気持ちが重いのだ。久し振りに鬱だなあ…と自分でも分かった。引っ越しなどの環境が変わると、鬱が悪化したりするので、正直、心配していたが、引っ越し後は、何ともなかったので、胸なでおろしていたのだが、ここ数日、荷物のめども立ち、気持ちに余裕ができてきて、気が緩んだとたんの鬱。おいおい、反対じゃないの~と思った。緊張からの鬱なら分かるのになあ。まあ、こういう日は、のんびりするに限るので、ぼーーっと、TVばかり見ていたり、マッサージイスに腰掛けて、マッサージしているうちに寝ちゃったり。本当に久しぶりに、のんびりしました。最近、潤君のペプシの看板をゲット。おまけにauの等身大の写真も、偶然、安くゲット。それが、両方届いた。auの方は、今見ると、ほとんどオークションで、1万円前後で落札されているから、本当に偶然に見つけた即決のオークションで、半額以下で手に入れられてラッキーでした。あまりに大きいから、まだ、家族の前には出していない。おうちが新築になったら、広い家事室ができる予定なので、そこを嵐部屋にするから、そこに飾ろうと楽しみにしている。ペプシの看板だけ、上の方に飾ったら、家族に総すかん。放っておいてくれ~!!鬱、明日は、何とか無くなっていてほしい。本当に厄介ですな。
2008年03月12日
コメント(0)
オネエが、朝から、いそいそ用意をしている。何だろうと思っていたら、結構、いつものオネエの服装じゃない格好。24歳になるのに、きちんとした格好を絶対しなくて、彼女のお友達が遊びに来てくれたりすると、その、落ち着いた格好に「何故に内の子は、ああいう格好が出来ないんだろう・・・」といつも思う。おじいちゃんが生きていたころは、おじいちゃん好みで買ってもらいバーバリーの落ち着いたニットや、プリーツスカートも、着ていたのに、今は、「その格好でどこ行くの?」と言っちゃうくらい年齢不詳の服装なのだ。それが、今日は、エレガント。「謝恩会」。あ、そういうわけね。でも、卒業式もまだなのに?「うん、教授がそろうのが、今日で最後だから」聞けば、院生の数より、先生の数の方が多いんだそう。そりゃ大変だね。楽しんできてください。実は、お誕生日の食事の日のこと。「今年の結婚記念日は、銀婚式ということで、私達から、プレゼントがあります」といきなりオネエが言いだした。3月24日が結婚記念日。私は、ハネムーンに行ったヨーロッパにもう一回行きたくて、この10年、ずーーっとパパに「銀婚式は、パリに連れて行って」と言い続けた。たまたま私達が行った時期が、イースター復活祭の時期で、観光関係もふくめ、すべて、クローズだったため、パリに入った時、エッフェル塔にも昇れなかったのだ。だから、もう一回、どうしても行きたかった。しかし、今年は、家の建て直しやら、また、中国に行かなくちゃならなかったりして、その約束も反故になりそう。正直、諦めかけていた所だった。「二人で、喧嘩せず、飛騨高山に行って来て欲しくて、お料理旅館を取りました」もう、びっくりした。嬉しいより、戸惑った。二人とも働いている訳じゃないから、アルバイトで貯めたお金。申し訳ないやら、嬉しいやら・・・。パパが「気持ちだけもらっておくよ」と言ったが、それもかわいそうな気がした。で、昨日になって、どうしても4人で行きたいとパパと子供たちを説得、私たちの宿泊のプレゼントは、ありがたく頂くことし、4人で行くことになった。4人で旅行なんて、いつぞやの横浜以来です。楽しみ!!子どもたちに感謝。今日の私は、相変わらず、前の家の片づけ。今日は、床の間にかざってあった、ミニチュアの江戸小物の数々を仕舞った。これは、東京の伯母の影響で集め始めたコレクション。浅草の仲見世の一番奥に「助六」というお店があって、そこで買ったものやら、京都で集めたミニチュアのお茶セットやら。細かいものが多いので、いちいち、ティッシュにつつんでの梱包。新しい家は、これを飾るため、唯一の和室に作る半間の床の間に、棚を作ってもらう。あとは、パパが作った大きなネコバスとか、伯母が作ってくれた木目込み人形など。今日はものすごく暖かい。セーターを着て、作業していたら、汗びっしょりになっちゃった。もう、春がそこまで来ているんだなあ。出かけて行った娘から、メール「今度は、東山線が嵐だらけ」写メールも一緒に送ってくれたが、今回は、もう出かける気分じゃない。「完全に嵐ファンに見られた(-_-メ)」と、次のメールにあった(爆)いつもは、あんなに、嵐の追いかけしている母を馬鹿にしてるのに、本当に、母思いの子だわ。昨日、去年観たユーミンのシャングリラのDVDが届き、夜、みんなで見た。MCが全部カットになっていた。ユーミンはそう歌が上手いわけじゃないが、やはり、そのエンターテーメントは、世界レベルだと今更ながら、関心した。あの日、私は、本当に感慨深かった。あの日から30年前、ユーミンのコンサートにいったきりだったから。離れていた30年の間に、ユーミンは日本でトップアーティストになり、私は私の人生を送ってきた。そして、熟年になり、52歳の私と53歳のユーミンが、また、同じ空間にいる。それだけで、もう、涙があふれる思いだった。その臨場感を、味わえた。あの時、最後にユーミンが出演者の外人の名前を全部フルネームで紹介したのに驚いた。総勢60人もいたのに。パパがイヤーモニターから、教えてもらってるんだろう・・・と言っていたが、おまけについていたDVDに、その出演者のロシア人が、「ユーミンは、『時々じっと見るけど、気にしないでね、名前を覚えたいから』」と言っていたエピソードを紹介していて、短い時期に全員の名前を覚えてしまったそう。やはり、あの時、ユーミンは、全員の名前を覚えていたんだと知って、ものすごくびっくりした。ロシア人の名前だから、それもフルネームだから、書いてあるものを見て言っても、舌を噛みそうなのに。そのプロ意識は、並大抵じゃない。だからこそ、日本で第一人者になれたのだろう。凄いなあ。また、お宝ができました。
2008年03月11日
コメント(0)
今日は、ハウスメーカーが、外して置いてあったシステムキッチンを運び出し、新しいうちに設置するまで預かってくださる日。午後1時に前の家に行き、運び出しの間、見ていた。驚いたのは、シンクのあった跡が、水漏れして、腐りかけていたこと。どけなければ、解らなかった。新しいうちのキッチンは、独立にしてもらい、床はフローリングじゃなくタイルにするので、お皿を落としたら割れるが、水をこぼしても、水漏れしても安心。・・・と思ったら、ハウスメーカーのFさんが、「これはあってはならないことです」だそう。することもなくなり、庭に出たら、梅が満開。ものすごく良い香りが、風に乗って家の中まで漂ってきた。この木は、どうしても切るのが厭で、何とか残してもらう。ほかにも、モクレンとか、裏の沈丁花、表の寒椿、もみじなど、残せるものは、全部残してくださいと言ってある。やはり、家というものは、木があって仕上がると思う。どんな素敵な家でも、そのまわりの木で、雰囲気が全く違ってくる。木の無い家は、見ても、何だか物足りなく思う。マンションに住んでいるころも、ベランダには、いろいろな物を植えて置いた。家の中からその緑が見えているだけで、心が和んだ。お花も好きだが、観葉植物も、好き。もしやと思い、裏の庭に入ってみたら、クロッカスや、可愛い花のつぼみがもう、たくさん出ていた。デジカメを持って歩いていたので、写真を撮った。お花が咲いているうちに、球根を掘り起こして持っていこう。斜面に降りたら、やっとフキノトウが出ていた。探したら、あちこちに出ていた。今の計画では、このふきのある場所も、駐車場を広げるので、半分以上、無くなってしまう。毎年、春の香りを私にプレゼントし続けてくれたフキノトウも、今年で最後になるかもなあ。そう思ったら、ものすごく残念だが、今、駐車場は二台しか止める広さしかない。オネエの車は、路上駐車の状態。駐車禁止じゃないから、みなさん、路上駐車しているが、折角、家を建て直すのに、路上駐車しかできないのも、つまらない・・・とパパが頑強に言うので、手つかずの斜面の一番上の平らな部分が、犠牲になることになった。毎年たわわに実の成る柿の木までは広げないので、その下の段に、さくらんぼや、クリの木を植えようと、買って来てある。斜面の下は歩道で、今まで生垣だけだったが、こちらも金網を巡らすそう。着々と、ことは進んでいきます。来週にも、遅れていた解体が始まる。いよいよ動き出しました。帰宅して、早速、フキノトウの天ぷらを作った。春の香りがしました。奇麗に咲いた梅、フキノトウ、寒椿、春と冬が今、庭をにぎわしています。
2008年03月10日
コメント(0)
今日は、お天気も良いし、最後の大きな荷物を運ぼうと、パパと、前の家にトラックを会社から持ってきて行った。チビも一緒にお手伝い。次々、私が一人で作った荷物をトラックまで運び、会社で一番小さなトラックは、荷台がいっぱいになった。仮住まいの家も、少し片付け、荷物を運んでも良いように、場所を作っておいた。やれやれ、あとは、こまかいものばかりなので、私の車で、すこしずつ運べば終わりです。2月中ごろに解体になるはずだった家は、少し命拾いし、まだ、建っているが、もう、本当にボロボロな状態だった。夕方までかかって、仮住まいに運び入れて、終了。今日は、オネエが、精神疾患の子供たちと、最後のお泊りボランティでいないので、3人で沖縄料理のお店に行った。私は、沖縄料理が大好き。何だか、凄く健康に良いように思えるからかな。おいしいラフティや、チャンプルー、ジーマミー豆腐や、蒸し豚を頂きました。帰宅したら、お玄関に同じような段ボールのお届け物。ああ、そうだった・・・と落ち込んだ。実は、昨日から、参ってしまったことがある。ネットで嵐クンの今年4月から、来年3月までのカレンダーを予約してあったのだが、2日前ア○ゾ○からメールが来て「申し訳ありませんが、近日発売予定のご注文の品が、入荷予定がたちません・・」とのことであわてた。今から、予約などできるわけないし・・・。冗談じゃない(怒)でも、もしやと思い、すぐに検索し、何とか、あまり知らない書店だが、背に腹は代えられないのでネット注文した。あ~、とりあえず、これで、手に入る・・と胸をなでおろしたのが、今日になって、次々、届いちゃったのだ。つまり、先の大手書店も、予定通り入荷し、代引きで届き、あわてて注文したところからも、届き、極めつけは、全く忘れていたところからも、届いちゃったこと。もう、本当に、玄関の呼び鈴が鳴るたび、辟易した。参った。また、去年の二の舞です。また、これ、オークションにださなきゃなりません。ここ毎年、同じ失敗をしている。注文したら、これからは、何かに覚書しとかなくちゃいけません。本当に、参りました。でも、カレンダーの嵐君達は、本当に素敵です。今回は、クッキングブックがついてて、お料理なのかなあ・・と思っていたら、お料理のレシピはもちろん付いているが、その写真が、また、仲良し5人の素敵な写真ばっかり。また、お宝ができました。ただ、希望を言えば、今年や、去年のように、壁に掛けられる方が良いなあ。一昨年のも、ノート式で、立てるのに苦労しちゃったからなあ。今年も、どうやって、飾るか、考えましょう。
2008年03月09日
コメント(2)
チビが、ここ数日、おなかの調子を崩している。私は、胃腸風邪と見た(笑)「お医者さんに連れて行って」と言うので、かなりつらいらしい。私も、咳の薬が切れちゃったので、一緒にいつものホームドクターのところに行った。パパも通院してるから、これで、家族3人通院中です。ま~、カッコ悪いったらありゃしない。チビは、やはり、胃腸風邪だそう。私の咳は相変わらずで、「気管支炎にはなっていないけれど、なりそうな兆候」だそう。水分をたくさん摂るよう言われた。そういえば、普段から、あまり水分は摂らない。猫舌だから「お茶を飲む」習慣もない。「咳が出たら、すぐに、水分摂ってください」はい。そのままアルバイトに行くチビを駅まで送った。帰宅して、パパと、昨日頂いてきたおにぎりで昼食。午後から、何だか疲れて、寝てしまった。昨日の事。ハウスメーカーに行く前に、友人からメール。「アマツカゼのチケット、とどいたよ~」。実は、このことには、少し問題があった。今回、ラッキーなことに、大千秋楽が当たった。しかし、当選したころは前の住所のままだった。ジャニーズ事務所は、チケットの転送をしてくれない。発送して、宛先にいない場合、返送になってしまう。そして再送はしてくれず、当日、劇場渡しになってしまうのだ。ファンクラブの住所変更をしたのが、少し遅くなってしまっていた。まずいなあ・・と思った。4月28日の分だったので、「『アマツカゼ』のチケットを3月5日から、発送します」と事務所からメールが来たが、もっと遅くだろうと高をくくっていた。そうしたら、友人からのメールだったので、あわてた。このままだと、返送になっちゃう。すぐに、郵便局に電話を入れた。事情を話し、配達記録、転送不可の郵便物がきていないか聞いた。すぐには解らないので、後で電話で知らせてくれるそう。ハウスメーカーにいる間に、留守電が入っていた。「お尋ねの郵便物、有りましたので、また、ご都合の良い時にこちらまでお願いします」面白いのだが、今までは、郵便局に電話をして「郵便課お願いします」と言うと、電話を回してくれたのだが、民営化になってから、配送は別会社になっていて、電話番号も違った。初めて、「民営化」を実感した瞬間だった。あ~、良かった。友人からメールがなければ、舞台当日の受取りになるところだった。感謝。食事が終わり、母を送ってから、子どもたちを送って、そのまま郵便局へ。幸せの青い封筒を手にしました。「これ、お電話のように、返送の予定でした」と郵便局員さん。あ~、本当に、危機一髪でした。これで、大ちゃんのお芝居、3回連続千秋楽鑑賞です。また、大泣きするんだろうなあ。そこがまた、良いんだけど(笑)夕方、前の家のワンコ達に餌をやりに行った。お散歩は、子供たちが毎日、夜に来てしている。フキノトウが、少しだけ、芽を出していた。もう少しです。階段の高さを計った。一段19センチ。さあて、仮住まいは何センチかな?帰宅し計ったら、なんと23センチもあった。一段4センチの差は、大きいです。そりゃ~、よいしょと上がらなくちゃならないはずだ。前の家から持ってきた台所の流しの下に入れるかごの引き出しを入れ、段ボールから出せないでいた、かごやらボールやら、セラミックのおろし金やら仕舞った。これで、お玄関の段ボールがずいぶん、減りました。明日は、頑張って、最後のお引越しの荷物の搬入です。頑張ろうっと。壊しちゃうおうちの階段の踊り場から見た夕景。この家の中で、一番好きな場所でした。何時間でも階段に座って、遠くを走る車とか、刻々と変わる空の色を見ていた。そうそう、消防車がよく、走っていました。この家に来たころには、まだ、左側に見える家がなくて、真ん中にある黄土色の建物の横が駅で、その駅の階段が見えていて、子どもたちが家を出てしばらくすると、赤いランドセルをしょった二人が、階段を登って行くのが見え、とても安心でき、今日も、元気に学校にいってらっしゃいって、階段に座って、見送りました。もう、この景色も、暫く見られないんだなあ・・・
2008年03月08日
コメント(2)
午後から、ハウスメーカーと、インテリアの相談。オネエは4月から行く、名古屋のはずれの中学校にご挨拶やら、勤務の相談に行ったので、現地集合で、ハウスメーカーに行った。実は、私はこの日、嵐クンのコンサートの申込の最終日で、どうしてももう一つ申込たかったし、夜は、お料理屋さんに行くって言うのに、おなかの調子がいまいちで、このままごちそうを食べたら、絶対、明日、まずいなあ…と思っていたので、表で昼食を済ましてから、薬を持って出るのを忘れてしまい、帰りたくて仕方なかった。ハウスメーカーに行って、しばらくは、子供たちの照明の相談だった。このチャンスと思い、オネエの車を借りて帰宅、薬を飲んで、振込用紙に必要時事項を記入し、郵便局に振込申込に行った。これで、気持ちが落ち付きました。ハウスメーカーに帰ったら、まだ、子供たちとコーディネーターのIさんと話をしていて、セーフ。今日は、外構の話が主だった。色々と前途多難です。時間になったので、ハウスメーカーを出て、母と先に帰宅した娘たちを迎えに行き、お料理屋さんへ。我が家の中では、ここは一番の高級料亭で、一年に一回、来れるか来れないかのお店。いつもとても満足して帰ります。今日も、とても美味しかった。お肉の好きな私は、お肉にしたが、オネエは「のどぐろ」という、なかなか食べられない高級魚の方を選んだ。TVで見て、一度食べたいと思っていたそう。出てきたものは、お肉の量より、うんと少なく、ソテーだったが、その高級さが分かった。オネエいわく「すごい、脂が乗ってる」そうで、白身のお魚だった。お誕生日のお祝いをしていただき、超満足です。今日も懲りずに、写真をアップします。えーと説明です。上段左から、「先付け」。ほたるいか、しいたけ、タラの芽などのバター焼きがこぶの船の上に乗っているその右「向付け」お造り三種、この手前の少し赤い物はお醤油を泡立てたもの。「焼き物八寸五種」サザエが、エスカルゴのように、味付けしてあるもの。真ん中の可愛い四角い蓋物の中は、ホウレンソウのおひたし、六角の物は、わかめの酢の物、それに、柔らかいタコとお魚の甘露煮など。竹の器の中は、3月は桃のお節句なので、ちらし寿司です。中断一番左から、「吸物」白魚、新筍、ユリ根が、桜の花びらの形にくりぬいてあり、その花びらの回りがピンクで、すごく可愛かったです。「台の物」伊賀牛陶板焼「口替わり」木の芽のグラニテ。木の芽が入っている、酸味のあるシャーベットです。「焚合わせ」蛤や、背油、生海苔、鱈沢煮などが入った、とても良いおだしの出たスープみたいなもの三段目「御飯」葉ゴボウとしらすご飯。写真にはありませんが、おいしい赤だしがついていました。そして「甘味」フロマージュブランムース、バニラアイスクリーム。木イチゴが、凄く美味しかったです。全員、全部食べられず、ご飯は、おにぎりにして、木の皮に包んでくださいました。ここの器がすごく素敵で、いつも欲しくなっちゃいます。でもね、何とかって、作家さんの物で、簡単には手に入らないんです。無いものねだりですな(笑)
2008年03月07日
コメント(0)
今日は、啓蟄。虫が春を感じて、土から、這い出してくる日。昔は、昭和天皇の奥様、昭和皇后さまのお誕生日で、地久節と言う日でした。で、私の誕生日でもあります。この年になると、もう、あまり嬉しくないのが、誕生日。50歳を過ぎると、51歳でも、52歳でも、53歳でも、そう変わらない感覚になっちゃう。最近は、家族のお誕生日にも、うちでごちそうを作ることがなくなり、皆、それぞれ、食べたい物が食べられるレストランや、料亭に行くようになった。昔は、子供たちのお誕生日、パパのお誕生日には、張り切ってお料理し、夕食のあとに、ケーキでお祝いをしたが、最近は、ただの普通の食事をして、その後、ケーキでお祝いするくらいになった。で、今年も、明日、お料理屋さんに行く予定で、夕食は、申し訳ないけど、誕生日くらいあまりお料理もしたくないので、冷凍してあったぶりかまを煮た。そのあと、なぜか、物凄くだるくなってしまい、椅子に座って、TVを見ていたらチビが帰宅し、サラダを作ってくれた。今日は、オネエが、新しい職場の先輩たちとパワーディナーでいない。3人で、お食事した後、チビが、二階に上がった。ケーキを冷蔵庫から出していたら、バタバタバタと凄い勢いで、降りてきて、ドアを開けたら、手に大きな可愛い華やかな花束。「お母さん、お誕生日おめでとう!これ、私とお姉ちゃんから」可愛らしい色のとっても良い香りの花束。「ありがとう!!」とても嬉しかった。兎に角、私は花が好きだから、花束をもらうと、本当に嬉しい。ちょっと照れ臭い「ハッピーバースディ」でお祝いしてもらって、ケーキを頂きました。早速、洗面所に行って、可愛い花束を花瓶に挿した。仮住まいのリビングに、良い香りが広がった。荷物だらけの、殺伐とした部屋の中、アンティークのバフェの上を片づけ置いたら、ぱっとお部屋が明るくなった。やっぱ、お花良いなあ。今年一年、どんな年になるのかなあ。おうちも新しくなるし、更年期も終わりそうだし、更年期が終わると、女は生まれ変わる…というから、私もそうなりたい。地に足つけて、しっかり、これからの人生も生きていこう。毎年、お花をもらいますが、今年も懲りずに記念に、写真載せちゃいます。
2008年03月06日
コメント(8)
遅い朝、郵便物を取りに行った。転送してもらっている郵便の中に、青い封筒があった。最近、我が家の郵便物のほとんどは、就職活動中のオネエのものばかり。あとは、どうでもいいダイレクトメールとか、毎月来る、「ぴあ」や、化粧品会社 サプリメント会社の冊子など。また、オネエのだろうなあ・・・と宛名を見ると・・・・!、私です。何だろう・・とみると、「ねんきん特別便」。うっそ新聞や、テレビで、さんざん見聞きしている。厚生年金や、国民年金の記録が、怪しい人に、現在、次々送られてくる話題の封書だ。まさか、私のところに来るなんて、夢にも思っていなかった。まだ、家にいたオネエが、「お、大変だ、お母さんに来ちゃったか~」と興味津津。こういう書類が一番苦手です。恐る恐る、封書を開いてみたら、まず、私が払い込んだ年金の記録が書かれた物が出てきた。嫌だな~と思いながら、仕方なく、その内容を確かめたら、あら?最初の支払い年数からして、抜け落ちていた。短大を卒業し、最初に就職した会社は、名古屋発祥の名古屋で一番老舗の百貨店。これは、証明が簡単です。すぐに、電話をするよう書かれていた番号に電話をしたが、一杯で、暫く待たされた。「午前中は、混みますので、時間をずらしてお掛けなおすか、そのままお待ちください」とアナウンスが流れたが、そのまま暫く待ったら、すぐに、呼び出しの音が流れ、男の方が出られた。本人確認の色々な事を言わされ、本題に入った。まず、封書が送られてきたこと、確実に、支払った時期の物が抜け落ちていることなど話した。すぐに、調べてくれ、「確かに、昭和○○年から、○○年まで、○○に勤務なさって、厚生年金を納めてらっしゃいますね」と向こうのデータに有ったらしい。やれやれ、良かった。で、書類の書き方を教えてもらい、電話を切った。しかし、詳しく考えてみたら、どうもまだまだ抜け落ちている気がした。パパとの結婚の前後数年がない。おまけにこの時期、パパは会社を変わっている。変った会社は、今はもう、合併していて、無い。そうこうしているうちに、パパが帰宅。お昼を食べてから、パパに聞くも勤務していた年数や、変った年を覚えていない。仕方ないので、解っている方の会社に電話をしようと、104で番号を調べ、電話をした。本社が東京なので、そちらの総務課に電話してくださいとのことで、電話番号を教えてもらい、電話。所が今から20年も前のこと、すぐには解らないとのことで、封書にて、お返事させてください・・・ということになった。パパに聞いたら、合併して名前が変わっている方のことも分かり、そっちも番号を調べ、電話をしたら、折り返し、電話があり、無事に、勤務期間が分かった。ただ、その時に教えてもらったのだが、サラリーマンの奥さんが旦那さんの扶養家族として、年金を納めるような規則になったのは、昭和61年3月からで、それまでは、希望者だけが、払い込んだそう。これは厄介だなあ・・・。と思い、もう一回、先ほどの厚生省の年金の番号に電話を入れた。訳を話したら、その後、私の年金を調べてくれたらしく、もうひとつの時期の年金を支払っていることが解ったそう。その時期が、パパと結婚する前から、オネエが生まれた月まで。そうだった!!私、結婚が決まって、パパと一緒だった会社を退社し、結婚する前から父の会社を手伝うようになって、結婚後も、オネエが生まれるギリギリまで、名古屋から大きなおなかを抱えて、通勤していたんだった!これで、全部わかりました。パパが、抜け落ちている時期も支払わないと、年金は出ないぞ・・・。なんていうから、心配になり、そのことも聞いてみた。「大丈夫ですよ。60歳までの間に、合計して25年間支払っていれば、年金は支給されます」あ~、良かった。電話を切ってから、計算したら、25年ということは、300か月。書類を見たら、解って記載された分だけで、もう300か月あるじゃないですか。な~んだ、すでに私、年金を頂ける資格が発生していたんじゃない。でも、これで、また50か月以上加算されるし、明日で53歳になるが、60歳まで、まだ6年支払うから、年金支給に関しては、おんの字です。大騒ぎの一日が済んだ。ものすごく、疲れました。あちこちに電話をして、あちこちにお願いして。でも、25年支払ったら、年金を頂く資格が発生するとは、知らなかったから、パパいわく「勉強になったよ」、うん。もう、年金の話をする年になったんだなあ・・。熟年になったってことだね。突然、我が家に舞い込んだ青い封筒のお陰で、すったもんだの一日だったが、最初のごあいさつに「厚生労働大臣 升添要一」の大きなサイン入りの書類は、案外お宝になるかも(笑)ですね!我が家に舞い込んだ、「ねんきん特別便」です。記念撮影(笑)
2008年03月05日
コメント(8)
今日から、ペプシのCMに愛しの潤君版がオンエアされるので楽しみにしていたが、なかなか放映しないので、ホームページに行って早速観た。何だか、お顔が変わってきたなあ。最近の仕事の順調さからか、それとも、物事を深く考える人なので色々、自分の道を考え、自信や、確かな自覚ができたのだろう、良いお顔になってきた。昔は、少しギラギラしたものを、上手に隠したお顔だったが、それが今は全くない。柔らかなお顔になってきました。ああいう仕事をする人の中には、地に足が着いていない感じの人も多いが、この人は、私が知った時から、しっかり地に足の着いた物の考えをする人だった。19歳のころだったが、19歳って、こんなに物を深く考えることができるのか?と我が家の19歳を見て、驚いたものだったが、今も変わらず、その物の考え方の深さは変わらず、本当に、感心してしまうことが多々ある。最初は、その美しいお顔に惹かれたが、今はその発言の数々から、内面に魅力を感じる。19歳から24歳、男の子が、大人になっていく過程を、見せてもらったような面白さがある。だから、ファン辞められません。午前中から、母が今日は父の月命日なので、お墓参りにいきたいが、いつものように、歩いて行くには、今日は足が痛くて行けそうもないので連れていって・・と電話があり、久し振りに、お墓へ行った。まあ、この人は、自己主張と言うか、自己満足度の強いというか、お墓で、わざわざ声に出し、墓石に向かって、なんだかんだと、言う。「孫の就職が決まりました」・・とか、「今日はI(私です)がきてくれました」・・とか。多分、そういうことをしている自分が、大好きなんだろう。反対に、そういうことが大嫌いな私は、人がいない浅い夜、父に会いたくなり、人知れずそっとお墓に行き、誰もいない墓石と向き合う。勿論、声に出して物は言わない。ひざまずきもしない。人が見たら、夜に黙って墓石の前に立つ姿は、気持ちの悪い図かもしれないが、そうすることが、一番気持ちが落ち着く。私はお墓は、自分のお墓は必要ない・・とまで思っている人だ。お墓は、生きている人のためにあるもので、死んだ自分の魂は天上に帰り、肉体は滅びる・・・と思っている。だから、父が亡くなった時、父の骨を自分のため、ひとかけら焼場からくすね、いつも持っていたが、父の「死」が納得いくようになったころから、紛失してしまった。それで良いと思っている。肉体が滅び、その残骸の遺骨。魂は抜け、物体と化した父。それでも父を失いたくなく、手元に遺骨を握りしめていた時間が、私の中の父を諦める時間だったし、必要な時間だったと思うから。必要がなくなった今、紛失しても、父は許してくれると思っている。そのかわりに、お墓になんぞ行かなくても、私の中には、もっと大きな父が残っているし、その父と、いつも話をしているから、お墓に行って、わざわざ声に出して話す必要はない。ただ、心が萎えたとき、ひとつの形のお墓に自分の気持ちを癒しに行く。それは、たまたま、お墓があるからで、無ければ無いで済んでいく…と思っている。お墓から、母が銀行にも連れて行ってくれ・・・・と言うので、そのまま、ちょっと離れた銀行に行った。待っている間にちょうどお昼になったので、久し振りにハンバーガーを買って母を家に送って帰宅。パパとチビと3人でお昼を済ました。午後から、また、前の家に行った。ワンコ達に餌をやって、暫く遊び、家の中に入ったが、何だか、何もしたくなく、雑誌などを見ていたが、やっと、この長引いた引っ越しも終了しそうだ。ただ、このゴミの量をなんとかしないといけません。いくら解体でも、このゴミは、解体業者に、申し訳ないくらいの量だ。夕方、帰宅した。やっと、家の中にお花を飾る余裕ができ、トイレや、洗面所に飾った。お玄関は、オネエが学校で開かれた学会の受付を手伝った時、頂いてきた素敵なお花を飾ってあるが、流石におトイレや、洗面所にお花を飾る気持ちの余裕がなかった。お花が大好きだから、早く飾りたかったので、飾れた時、凄くうれしかった。引っ越して早一カ月が経とうとしている。やっと、この家にも慣れてきたってことかな?おトイレには、奇麗に咲いた大好きなバラを、洗面所には、前の家の斜面に咲いていたスイセンを飾りました。
2008年03月04日
コメント(0)
今年も、この日がやってきました。なぜか、お雛様の日は、張り切っちゃいます。午前中に、郵便局に行き、嵐君の夏コンの申込をし、ファンクラブの住所変更の届けを出し、大ちゃんの画集のポストカード引き換え券を送り、振込をして、帰宅。お昼にパパが帰宅、風邪は相変わらず。昼食後、マッサージ椅子に寝たまま、寝息を立て始めたので毛布を掛け、前の家にいるワンコ達に餌をやりに行った。斜面に久し振りに降りた。そろそろふきのとうが出てるかなあ・・・と期待したが、やっと見つけたものは、まだ、青い皮のままで、いつも沢山生えている場所には、まだ、ひとつも出ていなかった。スイセンが、沢山咲いていたので、20本ほど、摘んだ。このスイセン、「香りスイセン」と言い、ものすごく良い香り。ついでに、一番斜面の下に、たわわになっている、ハッサクを収穫。庭側にあるものは、もう、下に落ちてしまっているくらい、熟していた。コートのポケットに、入るだけ取ったが、歩道側にまだまだ沢山あったので、明日にでも、下の歩道に行って、収穫しようかな?それから、スイセンとハッサクを車に乗せ、ファックスを出しに実家に行った。我が家の複合電話機は、この家では使えない。この家、パナホームで、壁に作りつけの電話があり、最初は、いろいろなボタンがあり、どうやって使って良いのか解らなくて困ったが、古いタイプなので、ナンバーディスプレイも出なければ、ファックスも出来ない。困って、NTTに聞いたら、「ハウスメーカーさんにご相談ください」で、仕方ないので、不動屋さんに相談したら、「ほかの電話を付けるとなると、工事が必要だそうです」で、簡単な工事じゃないそうなので、仮住まいだし、もう、我慢しよう・・ということになった。で、今の仮住まいの家と、建て直しする家の間に実家があるので、猫のミルキーにも会いたかったので、ハッサクとスイセンをお土産に実家に行った。母の声が大きいのが、どうにも嫌らしく、ミルキーは、そろそろあずかってもらってひと月になるのに、未だに、母になつかない。母にしてみれば、20年も、三毛猫を飼っていたし、ミルキーが、懐かないことが、かなり、ショックだったらしい。私の声を聞きつけ、ミルキーが、ソファから降りて、私の足元に来た。しばらく抱っこしてやると、伸びあがって私の顔をなめて仕方なかった。寂しかったのだろう、暫くだっこしていると、そのまま寝息を立てた。「まあ、そんなことするの、その子」母が、呆れてまた、大きな声で言うものだから、ミルキーは目を覚まし、さっと振り返り、耳を寝かした。余程、母が嫌いらしい。そりゃ~、長年声楽をやっている人だから、声はよく通るし、大きい。普段一人だから、誰かが来ると、嬉しくてついつい大きな声で、喋りまくる。仕方ないのかもなあ。引っ越しの荷物を片づけていたら、なぜだか知らないが、二眼レフの古い写真機で撮ったフィルムが、たくさん出てきて、一緒にあった写真が、私が知らない人の、セピア色になった白黒写真ばかり。こりゃ、母のところのが、うちに紛れ込んだと解り、ファックスのついでに、届けに来た。さあ、それから、あわてて、スーパーに向かった。何故に慌てるか?それは、5時を過ぎると、ちらしずしの材料がなくなっちゃうからだ。今日も、毎年のこと、桃のお節句は、ちらし寿司と、ハマグリのお吸い物、それに、菜ばなのおひたしです。スーパーに入って驚いた!何と、ハマグリが、バカ高い。親指ほどの小さな蛤が、5~7粒入っていて780円。一個100円以上もする、冗談じゃない。勿論、この県産。この県は、ハマグリの名産地だから、もっと安くていいのに・・。桃の節句に便乗したお値段に、私だけじゃなく、一度手にした人が皆、購入するのを躊躇していた。ふと横を見ると、大きな大きな蛤が、三つで800円の韓国産の物が、半額になっていた。お、これで良いじゃない?流石に、この騒ぎの中、中国産は一袋480円だったが、誰も、手を出してない。私も何だか、買えなかった。ミツバは、売り切れ。有名メーカーの「五目ちらし」の元の袋入りも、売り切れ。おまけに菜ばなも・・・・。あ~、出足が遅かった・・・。大きなスーパーなんだけどなあ。仕方ない、もしかすると、近所のスーパーの方が、残っているかも・・・。と帰宅して、仮住まいから歩いてすぐのスーパーに入って行ったら、ミツバも、菜ばなも、五目寿司の元も、沢山あったが、流石にハマグリは売り切れだった。皆、考えることは同じなんだよね(笑)帰宅し、すぐに蛤を塩水に入れて、炊飯器のスィッチを入れ、行動開始。キッチンで立って、海老の皮をむいて、背ワタとはらわたを取っていたら、足がつった。おいおい、まだまだこれからなのに。少し休憩。取ってきた、ハッサクを食べたら、一つ一つは小さいが美味!今年は、まだ、お椀も出てきていないし、桃のお節句だけは、仮住まいの家で確実に迎えるから・・・と、一応、お雛様用のお皿や、ボールは分かるようにしてあったので用意できたが、お雛様のはし置きも、何所に入れたのか出てこないから、仕方ない。でも、やっぱり、家族には楽しんでもらいたいから、少し、贅沢しちゃうつもりです。錦糸卵を作り、海老を塩ゆでにし、お正月に頂いて冷凍にしてあったいくらの醤油漬けを解凍。さあ、ご飯が炊けました。蛤も、良い具合に砂出しができました。大きなおけを洗い、ご飯を入れ、五目寿司の元を入れようとしていたら、チビが帰ってきたので、お手伝いしてもらった。いつもなら、どうでも良い団扇であおいでもらうのだが、探しても無いので、去年のジャニーズのフィルムフェスタのピンクの団扇で、「丁寧にあおいでよ~」と言いながら、混ぜ混ぜ。良いつやが出てきたので、その上に錦糸卵を乗せ、海老を乗せ、ところどころにいくらを乗せ、色がきれいなので、ホウレンソウも少し乗せた。お寿司を作っている間に、お鍋にお湯を沸かし、ハマグリのお吸い物も出来、ミツバを何本づつか縛って、お吸い物に入れた。菜花は、レンジでチンをし、お醤油にからしをたっぷりといて、菜ばなと和え、たっぷりの焼きノリをくちゃくちゃに手で刻んで、入れた。さあて、今年も無事に出来上がりました。多分、一生に一度、仮住まいで食べる、お節句のお料理です。お雛様は出せないけれど、美味しい、お寿司でした!!
2008年03月03日
コメント(0)
日曜日、遅い朝。パパは、ゴルフに行っていない。起きていったら、子どもたちが、何やら、相談していた。午後から、二人で遊びに出かけるそう。良いね~、楽しそうで。「お母さんも行く?」とお誘いを受けましたが、なんだか、遊びに行く気がしません。一緒にお昼ごはんを食べ、娘達が出かけようとしたとき、TVで、「クイール」が、今から始まる…という。この映画、見たかったんだよなあ。でもぜーーーーったい、映画館でオイオイ泣いちゃうに決まってるから、行けなかったんだった。観ようかな~・・・と思ったら、すぐに、娘達、察知して、「泣くから見ないでおきなさいよ」「うん」。で、出かけて行った。家の中に運び込んだ段ボールは、ほとんど、未開封。少し出して片付けないと、本当に、あっちの家に作った荷物が入らない。今日は、TVを見ながら、頑張ろうと思っていた。で、TVはつけたまま。チャンネルを変えるも、面白そうな物はなし。自然、そのまま「クイール」を見始めちゃった。盲導犬「クイール」の一生を描いた映画。盲導犬に関しては、パピーウォーカーという方たちが、子犬から育て、有る程度になったら、訓練所に入り、盲導犬の訓練を受ける…ということくらいしか知らない。ただ、麻薬探知犬とか、警察犬とか、盲導犬はストレスが貯まりやすく、長生きしない・・・とも、聞いている。東京のある家で、5匹の子犬が産まれる。ご主人さまは、そのうち一番の内気な犬を、ぜひ、盲導犬にしたいと思い、元々、そういう関係の方とお知り合いだったのだろう、関西のある訓練所に「どうしても、盲導犬にしたいのよ」と電話を入れる。そして、一匹の仔犬は、生まれた家に別れを告げ、子供のいないご夫婦のパピーウォーカーのお宅に引き取られる。パピーウォーカーのところで、「クイール(鳥の羽根)」と名前を付けてもらったワンコは、1年、そこで育てられる。唯一つ「人を信頼し、愛する者」という気持ちを育てるため、大切に、育てられる。そして、一年後、二つ目の別れを経験する。訓練所に入れられたクイールは、愛情をもって、毎日毎日、訓練を受ける。少々間抜けで気が弱いが、一度「マテ」と言われたら、言った本人が忘れるくらいの時間、そこで待っていられるワンコだった。その待っている間に、パピーウォーカーのご夫婦に与えられた、お気に入りのくまのぬいぐるみの夢を見る所は、作家の思い入れだろう。そして、糖尿病網膜症で失明した、少し癖のあるご主人と出会い、ご主人とともに、泊まりがげの、盲導犬としてその人と生活していける様に・・の訓練を一緒に受けるが、ご主人とクイールだけ、卒業試験に落ちてしまい、もう一回、最初からの訓練になったが、それだけ、二人の絆は強くなる。そして、その家の子供達に可愛がられ、家出してしまったり、色々なことがあり、2年が経った。だが、クイールが、天寿を全うするより先に、ご主人の糖尿病が悪化し、クイールは、訓練所に返される。訓練所でご主人が退院してくるのを待っていたある日。ご主人が、クイールに会いたいと、訓練所を訪ねてくるが、訓練所の運動場を30メートル歩いただけで、ご主人は、息切れし、足が止まってしまう。「もう、これで良いんだ」と満足そうに、クイールの頭をなぜ、ご主人は病院に帰って行った。そして間もなく、クイールがご主人の元に帰ることなく、糖尿病からの病で亡くなった。お葬式に、目の不自由なお友達があつまり、ご主人をしのんでいるところに、訓練士とクイールが、お参りにやってくる。「盲導犬より先に、亡くなってしまうなんて・・」とつぶやく訓練士の横でクイールは、お棺の中のご主人の顔を見つめるが、その瞳は二度と開くことはなく、3度目の別れを経験する。訓練所に正式に引き取られたクイールは、そのまま7年、訓練所で、いろいろなイベントや、盲導犬としての啓蒙のための講習会などに参加したりして、次の目の不自由なご主人に出会うことなく、日々が過ぎる。そして、クイールが12歳になった時、クイールは訓練所から、自分が1歳まで育ったパピーウォーカーの家に帰る。つまり、定年ということだ。そして、年を取ったクイールは、余世をそこで過ごし、ある日、お気に入りのクマのぬいぐるみを、庭に取りに行こうとして、足をたたきから滑らし、頭を打ってしまう。パピーウォーカーのご夫婦の手厚い看護や医師の治療もむなしく、クイールは、それでも、起き上がろうとし、「もう、良いよ、もう、頑張らなくて良いんだからね」と優しい奥さんの言葉に、ご主人の膝の上でこと切れる。勿論泣いた。勿論、声をあげて泣いてしまったが、とても真面目な映画だったと思った。盲導犬というものに、大勢の方の善意や、優しさ、大切な人の何かが引き継がれ、成り立っているものだと、解ったし、それを、本当に分かりやすく描いてあり、「見て良かったなあ・・」と思った。そして、何より、パピーウォーカーをなさってらっしゃる方には、本当に、本当に、尊敬の念を抱いた。可愛い子犬から育て、1年後に必ず別れなくちゃならないことや、年を取って、頑張ってきた盲導犬を、目一杯の愛情で迎えてやり、最後を看取ってやるなんて、私には、到底出来ない。悲しくて悲しくてたまらないじゃない。これこそ、無償の愛の精神だなあ…と思った。悲しいと思うより、目の不自由な方のために、何か自分たちにできることはないかと、まるで、わが子のように子犬を育てる。もしかすると、「悲しい」という思いは、ものすごく身勝手な思いだったのかもしれないとまで、この映画を見ると、気付かされる。声をあげて泣きながら、見ていたら、ちょうどパパが帰ってきたが、何も言わず、泣きながら、それでも見ている私を放っておいてくれた。とても良い映画でした。最初のご主人は、声だけだが名取ゆう子さん。パピーウォーカーを演じてらっしゃったのは、香川照之と寺島しのぶさん。訓練士を演じていた、椎名桔平そして、くせのあるご主人を演じてた小林薫。演技派の方達の淡々とした演技、素晴らしい映画でした。これ、実は実話なんですよ。それを知って、また、号泣しちゃった私です。天国のクイール、どうか先に亡くなったご主人と、しあわせにね。盲導犬て、なんだか、かわいそうに思っていた。認識、変わりそうです。
2008年03月02日
コメント(0)
今日は、朝から、何もする気になれず、おさぼり。で、引っ越しやら、いろいろと忙しかったので、折角、発売日前日に手に入れてあったのに、見ていない、嵐君の初回限定盤の「Step and go」のCDについていたDVDを観た。PVだけなのかと思ったら、な~んと何と、1時間近く、PV のメーキングやら、仲良し5人の、いつもの雑談が入っていて、え?これで、このお値段で良いんすか?ってくらい、楽しませていただいた。本当に、5人の仲が良いのが分かるよなあ。嵐の魅力は、5人がそれぞれに品がよく、おっとりしていて、ガツガツしたところがなく、礼儀正しい、青年であることもあるが、この何とも言えない、5人でいる時に醸し出される雰囲気がすごく好きで、今は、もう、本当に5人が可愛くて、大好きで仕方ない。最近のやられ役、いじられ役は翔君と、大ちゃん。特に、翔君は、最近とみに面白い。昔から大ちゃんは、解っていじられている。「おめーら、生意気だし、言うこときかねーからよぉ」と、いつぞや4人に言っていたように、一番の年長者らしく、たいがいの4人のいたずらに、いつも穏やかに、受け止めてくれていて、流石に年長者と安心して見ていられるが、翔君がいじられると、本当に、子供みたいになっちゃうから可愛いやら、可哀そうやら。お昼にパパが戻ってきて、ものすごい鼻声で、「風邪ひいて、だるい」。おいおい、その風邪、私に重ねて移さないで下さいよ~。パパが拾ってくる風邪は、いつも凄い風邪だから、怖いなあ。修理に出していたDVDレコーダーと、パソコンのプリンターが仕上がってきたので、取りに行くついでに、お蕎麦屋さんで食事。また、家の中に荷物が増えるなあ。でも、電気屋さんと、パソコンやさんで、auの新しい嵐バージョンのパンフレットをゲット。今までも、子供達が、次々、パンフレットをもらって来てくれたが、この一枚のは、大きさが初めてだったので、嬉しかったが、パパは、あきれ顔。帰宅し、暫くパパが寝ていたので、貯めていたHDDの整理。そうしたら、友人からメールで、写真付きの潤君の情報。超、嬉しい情報でした。・・で、夕方まで、嵐漬け。で、7時から、相葉ちゃんの「志村動物園」!ハハハハハッ、本当に今日は、一日、嵐デーでした。まあ、こういう日も、良いんじゃないでしょうか
2008年03月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1