ヴィラムジカ葡萄酒村

ヴィラムジカ葡萄酒村

堺市役所View 21コンサート


2009年9月11日(金)午後6時半 堺市役所本館エントランスホール
入場無料

第1部オルガンジャズ

第2部
ドイツと日本の歌
ソプラノ・安保ヨーネンツ恵美
ピアノ・宮本聖子


中田章1886-1931
『早春賦』

ヴォルフガング アマデウス モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart 1756 - 91
Sehnsucht nach dem Fr?hlinge 春への憧れKV.596

フランツ シューベルト
Franz Schubert 1797-1828
Heidenr?slein 野ばらD.257


フェリックス メンデルスゾーン
Felix Mendelssohn -Bartholdy 1809 -47
Auf Fl?geln des Gesanges 歌の翼に

滝廉太郎 1879 - 1903
『荒城の月』

ヨハンネス ブラームス
Johannes Brahms 1833 -97
Vergebliches St?ndchen 甲斐なきセレナーデ


山田耕筰1886 - 1965
『中国地方の子守唄』


貴志康一 1909 -37
『かごかき』

安保恵美編曲
『子供の歌』Kinderlieder
ドイツ民謡=文部省唱歌メドレー


吉沢ゆかり編曲   唱歌メドレー『四季』



プログラムについて

日本が明治時代に新しい教育制度を導入した際、古来の日本の伝統音楽ではなく西洋音楽を教えることになり、教材をどうするかが問題になりました。
日本の音楽家たちが自分で歌曲を作曲できるようになる前の、初期の教材として、多くのドイツ民謡が日本語の歌詞で文部省唱歌として取り入れられました。
『こぎつねこんこん』はドイツ語のオリジナル歌詞ではガチョウを泥棒する悪い狐だということを、ほとんどの日本人は知りませんが、子供からお年寄りまで、この歌は良く知られています。『ちょうちょう』は『かわいいハンスさん』、『かすみか雲か』は『小鳥はみんな』。この謎解きがドイツ民謡=文部省唱歌メドレー『子供の歌』です。
このメドレーは私がベルリン日独協会合唱団の指導をしていた頃、合唱団のために編曲したものをソロ版として日本語とドイツ語で演奏します。

最初の頃の日本人作曲家による歌には、お手本となるドイツやフランスの作曲家の影響がはっきり見られます。その例が中田章の『早春賦』。モーツァルトの歌曲そのものと間違いそうなほど似ていますが、それにもかかわらず日本の早春の雰囲気が出ています。
このふたつの歌を並べて聴き比べてみましょう。
明治時代、政府からの留学生としてドイツ・ライプツィッヒでメンデルスゾーンの創設した音楽学校で勉強するべく渡独したにもかかわらず、病気になって志を遂げることができず帰国し、郷里で亡くなった滝廉太郎。その美しいメロディーには、メンデルスゾーンに通じるものがあります。彼は日本で初めての芸術歌曲を作曲した人と言えるでしょう。
メンデルスゾーン、シューベルトの曲は音楽教科書の歌唱教材としても取り上げられているものを選びました。日本語の歌詞を御存知の方も多いでしょう。原語で演奏します。

山田耕筰は岩崎男爵家からの援助でベルリンに留学しました。
歌曲の名作を多く残しただけでなく、交響曲やオペラなどの大作も書き、指揮者として活躍しました。最初の本格的な国際的活動をした日本人作曲家と言えるでしょう。当時としては最新の音楽のスタイルを巧みに取り入れ、模倣に終わらず独自の世界を表現しました。

貴志康一は大阪の裕福な家庭に生まれ、ジュネーブとベルリンで最初はヴァイオリン、のちに転じて作曲と指揮を学びました。ベルリンフィルを指揮したり、ドイツに日本文化を紹介する映画プロデューサーのような仕事をしたり華やかな活動をしましたが、惜しくも病気のため若くして亡くなりました。民謡風の旋律や自作の歌詞は、西洋音楽の技法を使いながらも日本情緒を色濃く出しています。ドイツ社会に溶け込んでいた貴志は日本を紹介することに重きを置いていたので、西洋の音楽を日本に紹介する立場の他の作曲家とは違うスタンスを持っており、それが作品にも表れています。
大阪の名所めぐりをする『かごかき』を取り上げます。

『唱歌メドレー四季』は安保恵美の委嘱により吉沢ゆかりが編曲し、20年近くの間、再演の度に好評を得ています。『ふるさと』から始まり四季の唱歌を歌い継ぎ、
最後に再び『ふるさと』に戻るという構成です。









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