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「その2」では、6200系・6300系と、特急「りんかん」用の30000系を掲載します。6300系トップナンバー編成の6301Fです。6300系は、6000系の改良型の6100系として登場しました。6100系はステンレス車体はそのままに、両開き式の扉や一段下降式の窓を採用するなど近代的なスタイリングとなった車両です。その後1996年~2009年にかけて内装の更新、台車の交換などが行われ、形式名も「6300系」に変化しました。6300系の車内です。座席モケットがグレー、床がベージュと落ち着いた雰囲気になっています。車番プレートです。こちらは6322Fです。6200系6513Fです。6200系は、6100系に続く高野線用ステンレス車として1974年から製造されました。6200系では前面デザインが大きく変更され、角ばったものとなりました。こちらは特急「りんかん」に使用される30000系です。30000系は高野線の特急「こうや」「りんかん」用の車両として1983年に製造されました。曲面ガラスを使用した前面窓と赤白のカラーリングが大きな特徴となっています。登場から30年以上経過していますが、現在でも高野線の特急列車の第一線で活躍しています。
2020.06.14
2019年8月に、南海難波駅で6000系をはじめとする南海高野線系統の車両を撮影してきました。南海6000系は1962年の登場から50年以上にわたって高野線で活躍し、登場から2019年まで1両の廃車や転属もないという大記録を打ち立てた南海電鉄の名車です。しかし、老朽化が進んでいたため後継の8300系(南海本線ですでに活躍中の車両)に置き換えられることとなり、2023年までに全車両が引退することになっています。最初に撮影した6000系6013Fです。6000系は4扉・オールステンレス車体というのが大きな特徴です。この車体は東急車輛製造(現・総合車両製作所)がアメリカのバッド社からの技術供与をうけて開発した日本初のオールステンレス車体で、同時期には東急7000系や京王3000系なども登場しています。6000系は片開き式の扉を備えているのも大きな特徴です。片開き式の扉は通勤型電車では珍しくなっており、レトロさを感じます。すでに引退している南海本線用の南海7000系も、同じく片開き式の扉を備えていました。6009Fです。この編成は編成中間に先頭車からの改造車(6901→6610)を組み込んでいます。残念ながらこの編成は引退しています。先頭車から中間車に改造された6610です。前照灯や運転台の機器などは撤去されていますが、乗務員室はそのまま残されています。6023Fです。6035Fです。この編成は撮影2か月後の2019年10月に引退し、6000系初の廃車編成となっています。6009F(上)、6023F(下)の製造銘板です。東急車輛の旧タイプの銘板が残っています。
2020.05.24
2019年3月に新大阪~放出間が開通し、久宝寺~新大阪間がつながったおおさか東線。新規開業の路線ですが、普通列車で活躍するのは国鉄時代に製造された201系です。201系は以前からおおさか東線の既開業区間や関西本線(大和路線)の普通列車で活躍していましたが、新大阪~放出間の開業により323系導入で余剰となった元大阪環状線用の201系が転属し、オレンジ色からウグイス色に塗り替えられて活躍しています。開業後の2019年8月に訪れた新大阪駅で少しばかり撮影することができました。最初に撮影したND619編成(クハ201-120の編成)です。この編成は大阪環状線(吹田総合車両所森ノ宮支所)から転属してきました。ND601編成(クハ201-64の編成)です。この編成は、現在残る201系の中でもっとも番号が若いです。ND622編成(クハ201-124の編成)です。この編成も大阪環状線から転属してきました。一部の編成には、側面窓下に「奈良」をイメージしたイラストが貼り付けられています。これは、2019年3月からスタートしている開通記念のラッピングで、おおさか東線の開通で奈良へのアクセスが飛躍的に改善されたことを表しています。ND610編成(クハ201-125の編成)です。201系の車内です。大幅なリニューアルが施されており、印象が大きく変わっています。ただ、扉や網棚などは製造時のままで、懐かしさも感じます。ND601編成の車番プレートです。
2020.05.16
今回も、2019年8月に撮影した105系を掲載していきます。王寺駅で撮影したSW009編成(クモハ104-516+クハ105-6)です。この編成は前後で顔が異なり、クハ105は種車となった103系1000番台そのままとなっています。SW009編成の車内です。戸袋窓が残っており、103系の雰囲気を現代に伝えています。車端部にはトイレが設置されています。元々座席だったところを改造して設置したため、対向部の座席はロングシートとなっています。天理駅で撮影したSW012編成(クモハ104-503+クハ104-503)です。奈良駅で撮影したSP001編成(クモハ104-518+クハ105-8)です。この編成が、私が最後に撮影した和歌山線・桜井線の105系となりました。105系は夜間に見ると味がありますね。上から、SW006編成、SW009編成、SW012編成の車外の銘板です。105系は各地の国鉄工場で改造されており、吹田工場(現・JR西日本吹田総合車両所)・大船工場(JR東日本鎌倉総合車両センターを経て現在廃止)・幡生工場(現・JR西日本下関総合車両所)の銘板を見ることができました。
2020.04.29
JR和歌山線と近鉄吉野線の接続駅となっている吉野口駅です。山間部の小さな町に存在する駅ですが、2社の接続駅となっているため乗換での利用者が多くなっています。またこの駅は瓦屋根の大きな木造駅舎が残っていることが特筆されます。駅の入口と駅名標です。この駅はJRが管理していますが、駅名標にはJR・近鉄の表示はなく、駅名のみを表示しています。駅舎内部は広い待合室があります。木製のベンチが良い味を出しています。2社の券売機が並んでいます。左側が近鉄、右側がJRの券売機です。また乗車券は近鉄のものを含め(一部除く)、窓口でも購入可能です。改札口です。簡易型IC改札機は近鉄のもので、JRを利用する場合は改札内の乗換改札機にタッチする必要があります。改札内です。駅舎側1番線は近鉄吉野線の吉野方面行き乗り場です。写真中ほどに見える階段は地下通路で、各ホームへアクセスできます。すべてのホームに木造の屋根がかけられ、古き良き主要駅の風格を感じさせます。地下通路内部です。奥に見える黄色い機材がICカード用の乗換改札機です。2番線は吉野線橿原神宮前方面行き乗り場です。このホームの反対側3番線には和歌山線和歌山方面行き乗り場があり、対面乗換ができます。JRと私鉄の路線が乗り入れる駅で、対面乗換ができるというのはなかなか珍しいことではないでしょうか。4番線は和歌山線高田・王寺方面行き乗り場となっています。この写真は4番線から和歌山線列車を撮影したものです。各ホームにアクセスする地下道の壁面に掲示されている乗場案内です。山間の駅ながら、各地へ通じていることがわかります。駅構内はかなり広くなっています。奥に近鉄吉野線の列車が見えます。この駅のもう一つの大きな特徴は、近鉄の列車が発着するホームにもJR西日本仕様の駅名標が設置されていることです。駅はJRの管理ですが、このような駅名標が設置されているのはかなり珍しいです。駅名標にはJRマークはなく、近鉄の駅ナンバリング「F48」の表記があります。建植式の駅名標もありました。電照式のものとレイアウトは同じです。JR側の駅名標は、青い部分が和歌山線のラインカラーに合わせてピンク色になっています。また、駅名標の脇の乗換案内標は国鉄時代のもので、「スミ丸ゴシック」書体を採用しています。
2020.04.26
今回も、2019年8月に撮影した105系を掲載していきます。五条駅で撮影したSW006編成です。(クモハ105-510、クハ104-510)留置中で、パンタグラフは下げられていました。レトロでローカルな駅の雰囲気に良くなじんでいますね。吉野口駅で撮影したSW003編成です。(クモハ105-505、クハ104-505)この編成は延命工事が施工されており、戸袋窓が埋められています。227系1000番台SD01編成と並びます。吉野口駅は近鉄吉野線と駅施設を共有しており、背後に近鉄の車両も見えます。吉野口駅、高田駅で撮影したSW008編成です。(クモハ105-515、クハ105-5)この編成は前後で顔つきが異なり、クハ105の前面は種車である103系1000番台そのままとなっています。
2020.04.18
2019年8月に和歌山線・桜井線を訪れたのは、227系1000番台への置き換えが決まり、最後の活躍を見せる105系を見に行くためでした。2019年9月には105系がすべて引退することが報じられており、2019年の夏が105系にとってまさに「最後の夏」となりました。高野口駅で227系1000番台SD07編成と並ぶ105系SW005編成です。(クモハ105-508、クハ104-508)置き換え中にしか見ることのできない、新旧車両が並ぶ貴重な光景を見ることができました。SW005編成はリニューアル工事などが行われておらず、戸袋窓のある103系そのままの側面が残っています。前面は改造によって、105系新製車と同様の黒い縁取りがされた顔となっています。高野口駅で撮影したSW008編成です。(クモハ105-515、クハ105-5)この編成のクハは改造元となった103系1000番台をそのまま生かしており、元々非常用だった前面の扉を貫通扉としています。また、戸袋窓のある側面も103系そのものといった雰囲気です。橋本駅で撮影したSW007編成です。(クモハ105-514、クハ105-4)この編成は延命工事が施工されており、103系と同様に戸袋窓が埋めこまれています。105系でこのような外観の車両は比較的少ないです。
2020.03.27
105系に代わって、2019年3月から和歌山線・桜井線(万葉まほろば線)の普通列車で運用開始した227系1000番台を掲載します。227系は、当初広島地区の国鉄型車両(113系・115系など)の置き換え用として転換クロスシートを装備した0番台が登場し、その後和歌山・奈良地区の国鉄型車両(105系・113系・117系など)の置き換え用としてロングシートの1000番台が登場しました。2019年9月までに全編成の導入が完了し、以前の主力だった105系は全車が和歌山線・桜井線から引退しています。和歌山駅で撮影したSD07編成(クモハ227-1007+クモハ226-1007)です。私が始めて撮影した1000番台でした。広島地区用の0番台と異なり、225系をイメージした外観デザインと、沿線の豊かな自然と歴史をイメージした緑色のアクセントカラーが大きな特徴になっています。橋本駅・吉野口駅で撮影したSD01編成(クモハ227-1001+クモハ226-1001)です。1000番台のトップナンバー編成です。行先表示器と種別表示器はフルカラーLED式となっており、視認性が大きく向上しています。奈良駅で撮影したSD02編成(クモハ227-1002+クモハ226-1002)です。車内です。先に大阪環状線に導入された323系によく似たロングシートを採用しています。また、ドア脇には2020年3月14日から使用開始予定の車載型ICカードリーダーが設置されています。(撮影当時は準備中で、白いステッカーが貼られていた)車番プレートと、車体を製造した川崎重工業のプレートです。川崎重工のこのタイプのプレートは初めて見ました。
2020.03.08
和歌山線は明治時代に開通した歴史ある路線で、その中には素敵な木造駅舎が残る駅もいくつかあります。ここで掲載する高野口駅も木造駅舎のある駅のひとつで、1901年(明治34年)に開業しました。開業して間もない1912年(明治45年)築と思われる木造駅舎が現役で、かつて高野山への玄関としてにぎわった時代を今に伝えています。高野口駅の入口です。木造の壁と柱が良い味を出しています。柱に貼られている「建物財産標」には「明治45年4月」の表記がありました。おそらくこの時に駅舎が建築されたか、あるいは改築がされたと思われます。駅舎内は広くなっています。奥に木製の扉がありますが、この中はどうなっているのか気になります。(駅事務室でしょうか?)改札口です。改札機や柵などは設置されていません。ホームを眺めます。駅舎と反対側のホームにも木造の屋根があります。高野口駅で105系と227系1000番台が行き違います。227系1000番台は、和歌山・奈良地区の105系や117系などを置き換えるために2019年に導入が始まった車両で、和歌山線では同年9月に105系の運用がすべて置き換えられました。さらに、2020年3月から和歌山線全線でICカードが使用可能になりますが、その際に使用する車載型ICカードリーダーも設置されています。和歌山線では従来、103系1000番台を改造した105系が活躍していましたが、老朽化が進んでいました。103系の面影を色濃く残す車両として注目していましたが、現在では見られなくなってしまいました。写真は2019年8月の撮影なので、まさに最後の活躍を記録できました。
2020.02.23
「その2」では、103系の車内を見ていきます。クハ103-247の車内です。関西地区では標準的な、青色の座席モケットが特徴的です。また、大規模なリニューアルが施されていないため、原形の網棚やドアが残っています。網棚の支持部が鉄製(白色)となっている車両も、ほとんど見られなくなりました。クハの車端部です。貴重な戸袋窓が残っています。車内の車番プレートです。アクリル製のものとなっています。モハ103-389の車内です。床面に点検口が付いているのがモハの特徴です。和田岬線の103系車内には車内広告が一切なく、すっきりした印象です。天井には扇風機が設置されています。車番プレートです。手書きで書かれているようです。全6両分の車番プレートを撮影しました。アクリル製のものと、ステッカー式のものがあります。車内の非常用ドアコックの注意書きです。「ほかの汽車や電車にも・・・」と記載された古いタイプのものが残っています。最後のスカイブルーの103系を撮影することができてよかったです。2019年の当ブログの更新はこの記事で終了となります。2020年も、「わさびくま日記」をよろしくお願いいたします。
2019.12.31
和田岬線は、山陽本線(JR神戸線)の兵庫駅から和田岬駅までを結ぶ山陽本線の支線で、1駅間のみの短距離路線となっています。この路線は沿線の工場や企業への通勤路線となっているため、朝夕の通勤時間帯のみに運行され、日中は運行されていません。使用車両は6両編成の103系で、阪和線から103系が引退した今、唯一活躍するスカイブルーの103系となりました。2018年10月に兵庫駅で撮影した103系R1編成です。和田岬線用の103系はこのR1編成1本のみが在籍しており、検査などで走れない場合は207系で運行されています。スカイブルーのカラーが鮮やかで本当に素敵です。関西で多数のスカイブルーの103系が在籍していた阪和線から103系が消滅したので、注目度もぐんと高まりました。和田岬方です。この103系は、関西地区で多い前面窓を金属押さえにする改造が施されておらず、より原形に近くなっています。また、前面のワイパーは3本装備しています。関西地区の103系は戸袋窓が埋められ、関東地区で活躍した103系とは印象が大きく異なっています。また、天井の丸型のベンチレーターが印象的です。和田岬線の終点、和田岬駅で撮影した103系です。和田岬駅は工場のほか住宅も多く、周辺住民の利用も多かったです。方向幕です。前面と内容は同じで、「兵庫⇔和田岬」のまま固定されているようです。6両編成の全車両の車番表記です。この103系は車番表記がすべて国鉄書体で、好感が持てます。「その2」では車内を見ていきます。
2019.12.26
今回は、主に新今宮駅で撮影した高野線系統の車両を掲載していきます。まずは高野線で最古参の車両となっている6000系です。6000系は1962年に南海初のオールステンレス車として登場しました。当時の東急車輛製造がアメリカ・バッド社とのライセンスのもとに製造したオールステンレス車体を採用した、初の20m4扉車でした。同時期には東急7000系、京王3000系なども登場しています。写真は6005Fです。6000系は登場以来全車が高野線系統で活躍し、現在まで廃車が発生していないという長寿車両となっています。しかし、2023年度までに全車を置き換えるという計画があり、徐々に貴重な存在になっていきそうです。6000系をベースに両開き式の扉を備え、側面窓も一段下降式になるなどマイナーチェンジを施したものが6100系です。南海本線用の7100系をステンレス車体にしたような外観となっています。6100系は1996年から台車更新を行い、形式を「6300系」に変更しました。現在は全車が6300系に変更され、オリジナルの6100系は消滅しています。写真は6325Fです。このときは6000系列の車両を多く撮影できました。こちらは6007Fです。6000系・6100系の丸みを帯びた前面を改め、角ばったデザインとなった6200系です。同じ東急車輛製の東急8000系や8500系などにもよく似た形状の車両で、1974年から導入されました。写真は6200系トップナンバーの6501Fです。こちらは6200系6503Fです。6200系は先頭車が6500形となっています。
2019.10.24
汐見橋線を見に行った後、岸里玉出駅・天下茶屋駅・新今宮駅で南海本線、高野線の車両を撮影しました。今回は南海本線用の車両を掲載していきます。岸里玉出駅で撮影した7100系7153Fです。7100系は南海本線では古参車両となっていますが、普通運用を中心にまだまだ多くの仲間が活躍中です。天下茶屋駅で撮影した7100系7165Fです。7100系は4両編成と2両編成がありますが、本線では4両編成が多く運用に就いています。ここからは新今宮駅で撮影しました。こちらは最新車両の8300系8303Fです。従来の南海電車のイメージを覆す、スマートで先進的なデザインが特徴です。空港特急「ラピート」用の50000系です。個性的で特徴あるデザインと、濃い紫色のカラーリングは登場以来人気の車両です。最近ではラッピングされることが増えており、この編成もラッピングされています。高野線から転属してきた2000系2002Fです。2000系は元々高野線の「ズームカー」として橋本駅以遠の運用に対応していましたが、運用の見直しなどで余剰が発生したため一部編成が南海本線に転属しました。17mで2扉という特殊な仕様の車両のため、主に普通列車中心の運用となっており、前面にも大きく「2扉車」の表示があります。こちらは1000系1004Fです。1000系は南海で初めて現行のカラーリングをまとった車両で、南海本線、高野線どちらでも運用可能となっています。デザインにもこだわり、大型の前面窓が特徴的です。7100系7121Fです。7100系では最も番号が若い編成で、最古参の車両でもあります。1004Fが難波から戻ってきました。「その2」では高野線の車両を掲載していきます。
2019.09.21
南海汐見橋線で活躍する南海2230系を掲載します。2230系は、高野線(本線)で「ズームカー」として活躍していた22000系を改造して生まれたローカル用の車両です。22000系は、高野線の通勤輸送に特化した増結用の2両編成として製造され、沿線の宅地化が進み利用者が増加していた高野線の輸送力向上に貢献するとともに、「大運転」とよばれる難波駅~橋本駅以遠の運用にも対応していました。その後、後継となる2000系などの車両が登場したことで「大運転」からは離脱し、旧型車が使用されていた各支線へと活躍の場を移しました。2230系は2両編成で運用することを前提に改造されており、前面の貫通幌がないなどの特徴があります。岸里玉出駅で撮影した2230系2231編成(2231+2281)です。17m車体に2ドアという特徴的な車両となっています。カラーリングは現行の南海カラーになっていますが、車体は22000系のころから大きな変化はありません。汐見橋駅で撮影しました。レトロな駅の雰囲気に良くなじんでいます。車内はロングシートとなっています。ドアの間が全面的にシートになっており、長いシートが特徴的です。行先表示器は「汐見橋-岸里玉出」で固定されています。車番プレートです。南海の車両に特徴的な「楕円型に青い数字」というタイプです。車両内外の製造銘板です。今はなき東急車輛大阪製作所(旧・帝国車輌工業)の製造です。一世代前の東急マークが描かれた銘板も貴重なものになってきています。
2019.09.15
次に掲載するのは、高野線の正式な起点駅となっている汐見橋駅です。この駅は1900年に「道頓堀駅」として開業し、その1年後に「汐見橋駅」と改称しています。開業以来高野山への大阪市内の玄関口としての役割を担ってきましたが、高野線の難波駅乗り入れ、さらに岸ノ里駅(現・岸里玉出駅)での線路分断といった出来事があり、高野線の正式な起点ながら事実上は「支線の起点駅」という状況が長く続いています。汐見橋駅の駅舎です。コンクリート製で、1956年に建設されました。以前は塗装が劣化していましたが、近年塗り替えが行われて綺麗な状態になりました。この駅の隣には阪神なんば線の桜川駅もあり、相互に乗り換えが可能となっています。駅舎内部です。高い天井がターミナル駅としての風格を感じさせます。改札上部には近年まで1960年代に制作されたと思われる南海電鉄の案内図が残っていましたが、現在は残念ながら撤去されています。有人窓口と自動券売機もあります。使用されていない窓口がありました。元々何に使われていたのか気になります。ホームは行き止まり式の構造となっており、木造の屋根と古レールを使用した柱が古き良き私鉄のターミナル駅らしさを感じさせます。2230系が停車しているのが1番線で、基本的にこのホームに入線しています。ホーム上にはレトロな木製ベンチがありました。広告も昭和を感じさせるもので、いつからあるのか気になります。駅舎の裏側にはちょっとした植え込みもあります。停車中の2230系です。汐見橋線は、汐見橋~岸里玉出間の区間列車のみが終日2両編成で運行しています。かつて岸ノ里駅の線路が接続していた時代には、岸ノ里以遠まで列車が直通していたこともありました。ホームから改札を眺めます。大都会の駅とは思えないほどレトロな雰囲気が残る素敵な駅です。
2019.09.08
汐見橋線で次に紹介する駅は、木津川駅です。この駅は大阪市内にありながら、乗降客数が120人程度という非常に利用者が少ない駅として一部で有名な駅です。もちろん大阪市内で最小の利用者数となっており、南海電鉄全体でも利用者数最下位を争うほどです。木津川駅の駅舎です。1940年に完成したコンクリート製の小柄な駅舎を現在も使用しています。出入口には曲線が用いられるなど、小規模ながらデザインにこだわった駅舎となっています。まるで地方の駅のようなたたずまいですが、ここは大阪市内です。駅前はなんと舗装もされておらず、乗用車やトラックなどが駐車されているだけでした。左に見える高架は阪神高速道路です。この駅の周辺は工場や空き地などが大半を占めており、住宅や店舗はほとんど建てられていないため利用者数が僅少となっているようです。改札付近の様子です。自動改札はありますが、無人駅となっておりひっそりとしています。夜間は不気味な印象をあたえています。改札からホームに通じる構内踏切です。手前の切られている線路は、かつての貨物側線です。以前の木津川駅は和歌山県内(橋本駅など)から列車で運ばれてくる木材を積み出ししていた貨物駅としての顔もあり、付近の木津川から入堀が設けられて鉄道貨物と水運の中継地点となっていました。切られた貨物側線です。踏切部分のみ線路が残っています。木津川駅のホームです。古レールで作られた支柱と、木造の屋根がレトロな雰囲気を醸し出しています。撮影時は夜間だったので、ほとんど人がおらずひっそりとしていました。貨物取扱があった時代の名残で、構内は比較的広くなっています。本線の周囲にも貨物側線がありましたが、それらはすべて撤去されています。奥には貨物ホーム跡も見えます。駅名標です。4か国語対応のものに取り換えられています。
2019.09.01
南海汐見橋線(南海高野線の一部)は、汐見橋駅~岸里玉出駅を結ぶ路線です。この区間は元々南海高野線の本線として大阪市内と高野山を結ぶ役割を担ってきましたが、高野線の南海難波駅乗り入れ、岸里玉出駅の高架化などの要因が重なり、現在は事実上の支線として各駅停車の列車のみが30分おきに走るという、大阪市内でも屈指のローカル路線になっています。しかし、現在でも高野線の起点は汐見橋駅におかれています。そんな汐見橋線には、大阪市内にあるにもかかわらず時代から取り残されたようなレトロな駅舎が多く存在し、開業時の雰囲気を今に伝えています。今回は、西天下茶屋駅を紹介します。洋風のお洒落なデザインが特徴の西天下茶屋駅の駅舎です。この駅は方面別に独立した改札を持っている駅で、こちらの駅舎には岸里玉出方面の改札があります。開業は1915年(大正4年)のことで、駅舎は開業時から存在しているものと思われます。汐見橋方面の改札がある側の駅舎は簡易な構造になっており、最低限の設備しか設置されていません。岸里玉出方面の駅舎内部です。無人駅となっており、窓口は閉鎖されていますが自動券売機で切符の購入は可能です。また、改札は自動改札となっています。駅舎の窓は木製で、レトロな雰囲気を醸し出しています。ホームに出てみました。木製の壁と古レールを使用した上屋があり、まるで地方私鉄の駅のようなたたずまいです。撮影したのは夜間だったためか、通勤通学客もおらず利用者は私だけでした。歴史を重ねてきた上屋が良い雰囲気です。上屋のベンチも木製で、かなり古くからあるもののようです。駅名標です。汐見橋線は高野線の一部であることから、南海高野線のものと同じ様式の駅名標が設置されています。
2019.08.12
103系に代わって奈良線の普通列車の主力車両となったのが、阪和線で活躍していた205系です。JR西日本では205系は少数派で、国鉄時代の1986年に導入された0番台と、JR化後の1988年に導入された1000番台があり、どちらも現在は奈良線で活躍しています。今回掲載する1000番台は、阪和線用として前面デザインの変更などを施したJR西日本独自仕様の205系で、製造後は一貫して阪和線で運用されてきました。2018年からはスカイブルーの帯色を残したまま奈良線に移り、103系の運用を置き換えています。奈良駅で最初に撮影したNE406編成(クハ205-1002の編成)です。1000番台は4両編成で、阪和線時代のスカイブルー帯のまま奈良線で運用されています。1000番台の大きな特徴といえるのが、窓ガラスを大きく取った前面デザインです。運転席からの視界をよくする目的で採用されています。221系と205系が並びます。1000番台トップナンバーのNE405編成(クハ205-1001の編成)です。今回は2連続で1000番台を見ることができました。NE405編成の車内です。阪和線時代にリニューアルが施されており、吊革や手すりが大型化されたり、床の張替えや車端部のドアの交換などが行われてたりしています。網棚は製造時からパイプ式で、これはJR東日本が発注した0番台も同様です。(東日本の0番台とは形状が若干異なっています。)クハの最前部です。乗務員室との仕切り窓は、0番台などと比べて大型化されており、明るい車内を印象付けています。車内の車番プレートです。ステッカー式となっていました。
2019.08.01
今回も、和歌山で活躍する105系を掲載していきます。今回は車内が中心です。「その2」でも登場したSP005編成(クモハ105-512+クハ105-2)です。戸袋窓が埋められておらず、103系らしさを感じることができます。SP005編成の車内です。リニューアルは施されておらず、戸袋窓と2段式の側窓、鉄製の網棚など製造時のままの装備が懐かしさを感じます。座席モケットは青色です。優先座席部分の座席モケットは、黒地にカラフルなピクトグラムを配置したデザインになっています。天井の扇風機、スピーカー、側面の非常ボタンなど103系時代から引き継がれたものも現役で使用されています。運転台です。ATC対応の速度計を埋め込んだ跡が残っています。かつてこの車両が地下鉄へ乗り入れていた名残を見ることができます。車端部は、クハがトイレ、クモハが空調機器室となっています。また、片側には妻窓も残されています。車内の車番表記です。車内の広告には、227系1000番台が登場する告知が出ていました。この227系によって105系と117系が置き換えられ、和歌山線でICカードが使用できるようになります。
2019.07.29
奈良線の普通列車の主力として長年活躍してきたウグイス色の103系。しかし2018年からは阪和線で活躍していた205系が活躍をはじめ、103系の引退が相次いでいます。2017年3月に京都を訪れた際には多くの103系を撮影できましたが、2018年10月に奈良を訪れた際には1編成のみ撮影できました。今回撮影できたのがNS407編成です。(クハ103-216、モハ102-614、モハ103-458、クハ103-215 )この編成は両端のクハが元・山手線の車両です。(新製配置は池袋電車区)現在残っている103系は2編成のみで、貴重な存在になっています。ウグイス色の103系は現在はここでしか見ることができないため、撮影できて本当に良かったです。車内です。戸袋窓が埋められ、床の張替えなどのリニューアル工事が施されていますが、側窓や網棚などは製造時のままです。車内の車番表記と非常ボタンです。
2019.07.26
今回も、関西本線(大和路線)の201系を掲載します。王寺駅(奈良県)で撮影したND609編成(クハ201-122の編成)です。クハ201、モハ201の車内です。戸袋窓が埋められ、車内は大幅にリニューアルされていますが、ドアや座席、網棚などは製造時のままで懐かしさを感じます。車端部です。JR東日本の201系では埋められていた妻窓が残っています。車内の車番表記です。妻窓から銘板を撮影しました。「日本国有鉄道」の銘板もそのまま残っています。
2019.07.20
大阪に行くと毎回撮影している、関西本線(大和路線)の201系を今回も撮影しました。おおさか東線の全線開業などの影響で、201系は大阪環状線で活躍していた車両の転属が進行しており、ウグイス色の201系の編成数は以前より増加しています。天王寺駅で撮影したND605編成(クハ201-77の編成)です。関西本線での201系は主に各駅停車での運用が多いですが、快速にも充当されています。こちらも天王寺駅で撮影しました。ND613編成(クハ201-138の編成)です。編成車内の車番表記です。オリジナルのアクリル製ではなく、JR西日本で標準的なステッカーとなっています。久宝寺駅で撮影したND617編成(クハ201-92の編成)です。この編成は元々は大阪環状線で活躍していたもので、オレンジ色からウグイス色に変更されています。志紀駅で撮影したND610編成(クハ201-125の編成)です。JR西日本の201系は、すべての車両の戸袋窓が埋められ、側窓が新しいものに交換されています。また車内もリニューアルされています。高井田駅で撮影したND602編成(クハ201-66の編成)です。このあたりになると郊外で緑が目立つようになり、ウグイス色の車体がより引き立って見えます。三郷駅(奈良県)で撮影したND618編成(クハ201-93の編成)です。この編成も元々は大阪環状線で活躍していました。大阪環状線ではサハ201を2両組み込んだ8両編成だったため、余剰となったサハは廃車されています。関東圏では見られなくなった201系を、まだしばらく見ることができそうなのでうれしく思います。
2019.07.16
今回も、和歌山県内で撮影した105系を掲載していきます。和歌山線粉河駅で撮影したSP001編成(クモハ105-518+クハ105-8)です。この編成はクモハが105系オリジナルの顔つき、クハが103系1000番台そのままの顔つきと、前後で顔が異なっています。この編成は戸袋窓が埋められておらず、103系らしさを感じることができます。クモハの銘板です。製造は昭和46年(1971年)日本車輌(蕨工場)で、改造は昭和59年(1984年)に幡生工場(現・JR西日本下関総合車両所)で行われています。和歌山線粉河駅で撮影したSP005編成(クモハ105-512+クハ105-2)です。この編成も前後で顔が異なり、戸袋窓も埋められていません。車番表記です。SP005編成の銘板です。クモハの種車の製造は昭和46年(1971年)日本車輌(蕨工場)、改造は昭和59年(1984年)長野工場(現・JR東日本長野総合車両センター)で、クハの種車の製造は昭和46年(1971年)東急車輌、改造は昭和59年(1984年)広島工場(現・JR貨物広島車両所)で行われています。 東日本エリアでよく見かける「長野工場」の銘板を和歌山で見ることができて不思議な感覚でした。103系1000番台そのままの顔つきのクハ105です。1000番台は地下鉄千代田線への乗り入れ用として製造されていたため、前面に緊急避難用の扉がついていました。105系では貫通扉として使用されています。粉河駅で撮影したSW008編成(クモハ105-515+クハ105-5)です。今回は103系1000番台のイメージが残る編成を多く撮影できました。
2019.06.10
2017年にも和歌山で105系を撮影していますが、今回も和歌山・奈良で105系をたくさん撮影してきました。国鉄時代の1984年に和歌山・奈良地区に導入された105系は、常磐緩行線への203系の導入で余剰となった103系1000番台の改造で賄われました。現在は主に桜井線・和歌山線・紀勢本線での活躍が中心で、各線の主力となっていますが、2020年をめどに227系1000番台に置き換えられることが決まり、2019年3月のダイヤ改正から227系1000番台の運用が始まりました。105系は今、文字通り「最後の活躍」を続けています。紀勢本線の和歌山市内区間(和歌山~和歌山市)で運用中のSP004編成(クモハ105-509、クハ104-509)です。両方の先頭車が105系オリジナルの顔となっています。またこの編成では、クモハのパンタグラフが2つ装備されているのが特徴です。車番表記です。国鉄書体なのが良いです。103系1000番台そのままのスタイルを持つクハ105です。この編成の編成番号は不明です。こちらはSW003編成(クモハ105-505、クハ104-505)です。以前も撮影したことがある編成で、側面の戸袋窓が埋められているのが特徴的です。車番表記です。SW003編成の銘板です。種車の製造は昭和46年(1971年)近畿車輌で、改造は昭和59年(1984年)名古屋工場(現・JR東海名古屋工場)で行われています。
2019.06.02
2018年秋に関西に行ってきました。まずは阪和線で数少なくなった、旧阪和電鉄時代の三角屋根の駅舎を持つ、長滝駅を見てきました。駅舎の全景です。木造の三角屋根をもつ駅舎がとても素敵で、一度来てみたいと思っていた駅でした。関西空港線の乗換駅となる日根野駅から和歌山方面に1駅進んだところにあるので、関西国際空港からのアクセスも良好です。この駅の開業は1930年(昭和5年)で、当時は「阪和電気鉄道」という私鉄の駅として開業しました。阪和電鉄時代の駅舎の特徴として、三角屋根を持つ特徴的なデザインが挙げられますが、駅舎の建て替えなどで数を減らしつつあるので貴重な存在となっています。改札口です。ICカード対応の改札機が設置されています。駅構内です。線路がまっすぐに走り、見通しが良いです。4番線まであり、優等列車の待避にも使われています。ホームから駅舎を見ます。三角屋根が良いアクセントです。駅名標はJR西日本で一般的な様式のものとなっています。撮影当時は台風の被害があり、駅名標の一部は破損して枠だけが残っていました。長滝駅を283系「オーシャンアロー」が通過していきました。前後で顔が異なるのが特徴で、特に流線型の先頭車が格好いいです。
2019.04.19
「その1」の続きです。こちらは、特急「サザン」指定席車の10000系10007Fです。南海10000系は、特急「サザン」の運行開始に合わせて1985年から導入された車両です。全席リクライニングシートを装備した快適な車両となっていますが、老朽化が進んでいるため廃車となる編成も出始めています。ちなみに、現在のところ10000系は必ず7100系と併結しています。南海の最新車両となっている8300系8353Fです。8300系は、老朽化した7000系や7100系などの置き換えのために2015年から導入されている車両です。2両編成と4両編成の2種類があり、2両編成は4両編成と併結して6両編成を組んでいます。都会的でスタイリッシュなデザインですね。こちらは8300系8303Fです。8300形が含まれる編成は4両編成となっています。8300系の車内です。製造を担当した近畿車輌の銘板です。それまで南海では、旧・帝国車輌工業を引き継いだ東急車輛製造で多くの車両が製造されてきましたが、8300系は全車両が近畿車輌で製造されています。近畿車輌が南海の車両を担当するのは、「その1」で紹介した7100系以来約40年ぶりのことです。
2017.11.01
関西へは主に国鉄型車両を撮影しに行きましたが、和歌山市駅などで少しばかりですが南海電鉄の電車を撮影しました。写真は加太線で運用されている7100系7167F(7167・7962の2両編成)です。7100系は7000系のマイナーチェンジ版として、両開きのドア、一段下降窓などを採用した車両で、長く南海本線の主力車両となっていました。近年では本線で使用されている車両は置き換えが進められていますが、加太線や和歌山港線など支線ではワンマン改造された2両編成が主に使用されています。この編成もそんなワンマン改造車のひとつです。現在は「めでたいでんしゃ」(水色)として改造され、座席モケットや吊革などが交換されています。車内です。昭和の通勤車両の雰囲気を良く残しています。こちらは本線で使用されている7100系7177Fです。撮影時は特急「サザン」の自由席車として運用されていました。特急「サザン」はリクライニングシートの指定席車両とロングシートで特別料金不要の自由席車両が併結されていて、特急料金を支払うことなく速達列車に乗車できます。車内です。先述のワンマン改造の7100系とは、大きな違いはありません。車内の製造銘板です。7100系は、東急車輛と近畿車輌の2社で製造されています。南海電鉄の車両は東急車輛製が多く、これはかつて堺市に存在し、南海電鉄の車両を多く製造した帝国車輌工業との関係が深かったためです。帝国車輌が東急車輛に合併した後は、南海のほとんどすべての車両が東急車輛で製造されてきました。しかし、2015年登場の8300系から近畿車輌製の車両が復活しています。(つづく)
2017.10.25
「その1」の続きです。【今日は「105系の日」です!】こちらはSW007編成です。(クモハ105-514、クハ105-4)この編成に含まれるクハ105-4は、写真上のように103系1000番台と変わらないスタイルとなっています。このスタイルは雑誌や書籍などで何度も見ていましたが、実物を見るのは今回が初めてで本当に感激しました。103系1000番台の特徴となっている前面の扉は、地下鉄千代田線への乗り入れに伴い非常用として設置されていました。105系への改造後は、貫通扉として使用されています。SW007編成の車内です。延命工事が施されているため、戸袋窓は埋められています。また、冷房改造は103系と同様のAU75型を使用したため、天井には冷房用のダクトが通っています。この編成も「元・103系」の雰囲気を様々なところで感じることができます。車端部です。貫通扉は交換されていますが、妻窓が残っています。車内の車番プレートです。国鉄書体のアクリル製プレートが残っています。車外の車番表記ももちろん国鉄書体です。SW007編成の銘板を眺めます。種車は昭和46年(1970年)・川崎重工製で、105系への改造は昭和59年(1984年)に吹田工場で行われています。
2017.10.05
10月3日「103系の日」に、大阪環状線で一時代を築いたオレンジ色(朱色)の103系が引退しました。大阪環状線の103系は1969年から運行がスタートし、以来48年間、大阪市民の足として親しまれてきました。高度成長期に生まれ、時代が移り変わっても、いつも変わることなく乗客を運び続けてきた103系。「当たり前」だった光景が、過去のものになろうとしています。首都圏で103系が続々と引退していった中、大阪環状線をはじめとする関西地区の103系はその後も第一線で活躍を続けてきました。現在でもスカイブルーやウグイス色の103系は元気に活躍中です。私も大阪を訪れると必ず大阪環状線の103系を撮影しに行き、大都会の中を疾走する国鉄型電車の姿にちょっとした感動を覚えました。2016年からは後継の323系が登場し、大阪環状線での103系の活躍の場は徐々に狭まってきました。2017年9月にはラッピングが施された特別編成「OSAKA POWER LOOP」が引退し、最後まで残ったオレンジの1編成も今日で引退となりました。大阪環状線では、オレンジ色の国鉄型電車として201系も活躍していますが、こちらはもうしばらく残りそうです。でも、引退が確実に近付いているのも事実だと思います。大阪環状線の103系、48年間本当にありがとう、そして、お疲れ様でした!!
2017.10.03
105系は、国鉄時代末期に電化ローカル線の新性能化を進めるために導入された車両です。1M方式を採用し、2両編成などの短編成を組むことができるようになっています。完全新造された片側3ドアの車両と、常磐緩行線への203系導入で余剰となった103系1000番台から改造された片側4ドアの車両の2種類が存在し、バリエーションが豊富です。今回は和歌山駅で撮影した、103系1000番台から改造された車両を紹介していきます。まず最初に撮影したのはSW003編成です。(クモハ105-505、クハ104-505)和歌山・奈良地区に導入された105系は、常磐緩行線への203系の導入で余剰となった103系1000番台の改造で賄われました。車体を極力生かした形で改造が行われたため編成によって前面が異なり、103系1000番台そのままの前面を持つ車両も存在しています。SW003編成は延命工事が施されており、戸袋窓が埋められています。105系は前面が特徴的で可愛らしいです。続いてはSW002編成です。(クモハ105-502、クハ104-502)この編成には延命工事は施されておらず、原形を保っています。もちろん戸袋窓も残っており、「元・103系」の雰囲気が良く残っています。私が最も撮影したかった編成です。105系の元となった103系1000番台が活躍していた常磐緩行線では、すでに203系も全車両が引退し、E233系2000番台が主力となっています。地方で第二の人生を送る元103系1000番台の方が203系より長生きするという面白い事態が発生しています。SW002編成の車内です。延命工事が施されていないため、原形の103系の特徴がよく残っています。「まさに国電」といった雰囲気で、首都圏ではもはや見られない車内に感激しっぱなしでした。また、JR化後に簡易冷房装置で冷房化されたため天井には冷房用ダクトもなく、扇風機が直付けされています。簡易冷房装置です。現在は引退したJR東日本のキハ37の冷房装置に似ています。装置が設置されている部分の網棚は使えなくなってしまっています。天井に設置された扇風機とスピーカーです。どちらも国鉄の雰囲気を感じるレトロな一品です。車内の車番プレートです。国鉄書体のアクリル製プレートが残っていました。車外の車番表記です。国鉄書体を使用しています。SW003編成の銘板を眺めます。種車は昭和46年(1971年)・近畿車輛製で、105系への改造は昭和59年(1984年)に名古屋工場で行われています。SW002編成の銘板を眺めます。種車は昭和45年(1970年)・近畿車輛製で、105系への改造は昭和59年(1984年)に大宮工場で行われています。105系への改造は近畿地方以外にも全国の国鉄工場で行われていたようで、現在のJR西日本には縁のない地域の工場の銘板がついていたりします。名古屋工場(現・JR東海名古屋工場)や大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)の銘板を和歌山で見られるとは思いませんでした。
2017.10.01
今回も天王寺駅で、関西本線(大和路線)のウグイス色の201系を撮影しました。大阪環状線では201系が数年のうちに引退しそうですが、関西本線のほうはまだしばらく残りそうです。関東地区では見られなかったウグイス色の201系なので、とても新鮮に見えます。大阪に行くと毎回201系を撮影していますが、今回も乗車はできませんでした。次回はぜひ乗車したいです。まずはND604編成です。(クハ201-68、モハ201-156、モハ200-156、モハ201-157、モハ200-157、クハ200-68)ウグイス色の201系はすべて6両編成となっています。こちらはND608編成です。(クハ201-119、モハ201-237、モハ200-237、モハ201-238、モハ200-238、クハ200-119)天王寺駅で、同じ編成を2回見ることができました。ND608編成と並ぶND615編成です。(ND615編成:クハ201-142、モハ201-278、モハ200-278、モハ201-279、モハ200-279、クハ200-142)201系が並ぶ光景も関東ではもう見られなくなっているので、見ることができて嬉しく思いました。
2017.09.25
阪和線には、天王寺~和歌山間の本線の他に、鳳~東羽衣間の「羽衣支線」(通称・羽衣線)が存在します。この羽衣支線ではワンマン運転に対応した専用の103系3両編成が活躍しています。3両編成はHL101・HL102の2本があり、今回撮影したのはHL102編成(クモハ103-2503、モハ102-396、クハ103-162)でした。この編成は「N40」などの体質改善工事を受けておらず、原形に近いのが特徴の編成です。この編成に含まれるクモハ103-2500番台は片町線電化開業用として、モハ103に運転台や電気連結器を取り付けた車両です。元々5000番台を名乗っていましたが、後年に2500番台に改番されています。クハ103-162です。白熱灯からシールドビームに改造された前照灯や、非ユニット式の窓など古さを感じさせる素敵な車両です。スカイブルーの車体色もとても綺麗でした。前面・側面とも、行先の表示は「羽衣線」で固定のようです。車外の車番表記です。体質改善工事を受けていないため、すべて国鉄書体になっています。車内です。上がクハ103-162、下がクモハ103-2503のものです。戸袋窓が埋められている以外は原型に近く、天井には扇風機も装備されています。また、クハ103-162のドア内側は化粧板が貼られ、白色となっています。車内の車番表記は張り替えられ、JR西日本で標準的なものになっていました。鳳駅5番線に停車する103系HL102編成です。阪和線の103系は羽衣支線も含めて完全撤退がアナウンスされているので、この光景が見られるのもあとわずかとなりそうです。
2017.09.24
「その1」から間が空いてしまいましたが、今回も阪和線の205系を掲載していきます。この編成はHI604編成です。(クハ205-38、モハ205-109、モハ204-109、モハ205-110、モハ204-110、クハ204-38)この編成は国鉄時代に最後に製造された205系で、これ以降に製造される205系0番台はすべてJR東日本が発注しています。JR西日本では0番台は製造せず、1000番台に移行しました。205系の側面です。スカイブルーの帯がやはり新鮮です。側面の車番表記です。東日本の車両と同じ国鉄書体です。HI604編成の車内です。リニューアルが施されているため、原形に近い東日本の車両と印象が大きく異なります。大型の黄色いつり革やドア脇の仕切り版が独特の雰囲気を醸し出しています。また、車両によって座席モケットの色が異なっています。車内の車番表記です。103系・201系のリニューアル車などと同じ書体を使用しています。
2017.09.22
関西地区で205系が唯一運用されているのが阪和線です。4両編成の1000番台は225系5100番台に置き換えられて撤退し、現在では6両編成の0番台が103系と共通で運用されています。将来的には225系に置き換えられることになっているため、スカイブルー帯の205系が見られるのも残りわずかになると思われます。今回は3編成の205系を撮影できました。まずはHI601編成です。(クハ205-35、モハ205-103、モハ204-103、モハ205-104、モハ204-104、クハ204-35)関西地区の205系ではこの編成がトップナンバーとなります。クハの車番1~34は山手線に導入され、JR東日本に引き継がれました。ちなみに、クハ205-34は山手線から武蔵野線に転属し、武蔵野線で活躍中です。この編成は以前も撮影したことがあり、当ブログにも掲載しています。正面左側にクハの車番が表記されるようになり、編成番号が分かりやすくなりました。こちらはHI603編成です。(クハ205-37、モハ205-107、モハ204-107、モハ205-108、モハ204-108、クハ204-37)関西地区の205系0番台は、京阪神緩行線用として7両編成4本(クハの車番35~38)のみが導入されたため、205系が各線で日常的に見られた数年前までの関東地区と異なり、以前から少数派の車両となっています。車番表記です。JR東日本の205系と同じく、国鉄書体が使われています。スカイブルー帯の205系は東日本では見られないので、いつ見ても新鮮です。(つづく)
2017.09.01
「その2」の続きです。この編成はHK603編成です。(クハ103-797、モハ103-481、モハ102-637、モハ103-533、モハ102-689、クハ103-804)この編成では、両端のクハが高運転台となっています。高運転台の103系スカイブルーは、かつての京葉線を思い出して懐かしさでいっぱいでした。HK603編成の車内です。この編成は車両によってリニューアル工事の内容が異なっており、上が40N体質改善工事施工車、下が30N体質改善工事施工車となっています。「40N」では天井から座席、窓枠まですべて更新されて新型車両のようなイメージに仕上がっているのに対して、「30N」では天井や窓枠などはほぼオリジナルのままとなっています。車番プレートです。
2017.08.22
天王寺駅で阪和線の103系を撮影してきました。103系は225系5100番台の導入により、以前より大幅に数を減らしているため完全撤退も近いといわれてきましたが、私が訪れた2017年3月の時点ではまだ数編成が残っていました。写真はHK609編成です。この編成は6両編成で、両端のクハが低運転台となっています。(クハ103-255、モハ103-398、モハ102-544、モハ103-399、モハ102-555、クハ103-256)私は103系のカラーの中でスカイブルーが最も好きなので、見られてうれしく思いました。HK609編成の車内です。40N体質改善工事と呼ばれる大規模なリニューアル工事が施されており、座席や床、窓、網棚から天井に至るまで原型とは大きく変わっています。製造から40年以上経過した車両とは思えません。車外の車番表記です。国鉄書体ではなく、JR西日本標準の角ゴシック体です。この編成には「モハ102-555」というぞろ目の車番を持つ車両があります。車内の車番表記です。(つづく)
2017.08.17
大阪環状線で活躍する103系・201系の置き換えのために、久しぶりの完全新造車両として導入されたのが323系です。225系などをベースに、安全性の向上や車内外の案内の充実などが図られています。車体はステンレス製ですが、茶色とオレンジ色の帯が入り、「オレンジ色の電車」のイメージを引き継いでいます。また323系は通勤型車両としては異例となる片側3ドアとなっており、環状線に乗り入れている221系、223系や225系などとドア数の統一ができるようになりました。写真はLS05編成です。こちらはLS07編成です。現在のところ、323系はLS01~LS08編成まで登場しています。こちらもLS07編成です。フルカラーLEDを採用した行先表示器が良いですね。国鉄型ファンとしては103系や201系が引退するのは寂しいですが、それまで環状線にあった「古い」イメージを払拭し、大きなイメージアップにつながる車両だと思います。
2017.08.02
新型車両323系のデビュー以降、大阪環状線では103系の離脱が進み、現在でも活躍している103系はこの「OSAKA POWER LOOP」編成(LA3編成)が唯一となってしまいました。「OSAKA POWER LOOP」編成は、アーティストが大阪の歴史や街の様子、ランドマークなどを描いたイラストをラッピングした車両で、2014年6月から運行しています。写真は天王寺駅で撮影しました。見たいと思っていた車両だったので撮影できてよかったです。1両ごとに違ったイラストが描かれていて、見るだけでも楽しめる電車となっています。何より、こうした特別編成に103系を選んでくれたことは素直にうれしく、大阪環状線での103系の存在感を感じます。(先頭車のイラストに描かれている車両も103系です)こちらは夜の芦原橋駅で撮影しました。ドア部分にもイラストが描かれています。モハ103-494の車内です。天井から座席に至るまで大規模なリニューアルが施されており、原型とは大きく異なります。古さを感じさせない工夫がされていますが、ドアと側面窓は交換されていないようです。車番プレートです。今回は大阪環状線最後の103系を撮影できて本当に嬉しかったです。明るく良いデザインの車両なので、一日も長く走り続けてほしいです。
2017.07.22
天王寺駅では、大阪環状線で活躍を続ける201系を見ることができました。JR東日本では完全引退から5年以上経過しましたが、JR西日本では都心部でまだまだ活躍しています。しかし大阪環状線では昨年新型車両323系がデビューし、オレンジ色の201系・103系の活躍も残りわずかとなりそうです。写真はLB16編成です。通称「軽装車」と呼ばれる、201系でも末期に製造されたモデルとなります。側面の行先表示器です。以前からLED化されていましたが、アルファベットの路線記号(大阪環状線は「O」)を表示するようになっていました。こちらはLB15編成です。USJの「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」のラッピングが施されています。国鉄型車輌のラッピング編成は関東地区では見られないので新鮮です。こちらはLB6編成です。この編成もUSJのラッピング車両となっています。こちらは「ユニバーサルワンダーランド」と呼ばれ、「スヌーピー」や「セサミストリート」などのキャラクターが描かれています。201系の車内です。関西の201系の車内の撮影は今回が初めてです。大規模なリニューアル工事が施されていますが、座席や網棚の形状などは製造時のままで懐かしいです。かつて中央線快速で活躍していた201系の車内です。車端部です。東日本の201系では埋められていた「妻窓」が残っています。車番プレートです。全車両がこの書体のものでした。特に、サハ201は大阪環状線の編成のみで見られるので貴重です。
2017.07.15
「その1」の続きです。こちらはNS409編成です。(クハ103-226、モハ102-611、モハ103-455、クハ103-225)こちらの編成のクハも、新製配置は池袋電車区(当時)で当初は山手線で活躍していました。山手線に1973年ごろに配置されたクハ103は、当初から冷房装置を搭載した車両として注目を集めていましたが、1974年から山手線のATC化による高運転台クハの導入が開始されたことで、わずか1年ほどで関西地区(主に京阪神緩行線)に転属しました。現在でも残っている車両は、数多くの転属を経験し歴史を重ねてきた車両です。中間車は、関西地区への転属に当たって1974年に製造された車両となっていて、編成内の車両の製造時期が異なっています。クハ103-226の車番プレートです。やはり書体はゴシック体で、ステッカー式となっています。車体に記載されている車番です。伝統の「スミ丸ゴシック」書体で、オレンジやスカイブルーと異なり文字色は黒色となっています。当たり前ですが、かつての山手線や横浜線などの車両も文字色は黒色でした。こちらはNS407編成です。(クハ103-216、モハ102-614、モハ103-458、クハ103-215)この編成のクハも、新製配置は池袋電車区(当時)で当初は山手線で活躍していました。奈良の103系の先頭車は、意外と首都圏から転属した車両が多いので興味深いです。クハ103-216の前面方向幕はなぜか「普通」表示でした。故障していたのでしょうか?クハ103-216の車内です。JR西日本の車両では、優先席が車両前方にある場合が多いです。優先席部分の座席モケットは黒地にピクトグラムが入るデザインで、JR東日本のものより分かりやすいです。こちらはNS413編成です。(クハ103-246、モハ102-586、モハ103-430、クハ103-263)この編成のクハは森ノ宮電車区に新製配置された車両で大阪環状線で活躍してきた車両、モハは京阪神緩行線で活躍した車両です。私が最も見たかったウグイス色の103系がたくさん撮影できたので大満足でした。
2017.06.25
私が京都駅で最も見たかったのが、奈良線で活躍する103系です。奈良線の103系はかつての山手線や横浜線、埼京線などと同じウグイス色(黄緑6号)で、懐かしさを感じることができます。さらに、編成によってはかつて本当に山手線で活躍していた車両もあると知っていたので、こちらも気になっていました。まず最初に撮影したのはNS404編成です。(クハ103-184、モハ102-613、モハ103-457、クハ103-185)関西地区のウグイス色の103系・201系は、視認性を高める目的で前面に白色の警戒帯が入れられています。見てみたいとずっと思っていたウグイス色の103系に、ただただ感動していました。戸袋窓は埋められているものの、2段窓やドアは以前と変わらず、屋根には丸型のベンチレーターが並ぶなど比較的原形をとどめています。中間のモハは窓サッシが黒色のものに交換されていました。こちらはNS410編成です。(クハ103-230、モハ102-639、モハ103-483、クハ103-229)この編成のクハ103は新製配置が池袋電車区(当時)で、山手線で活躍していました。山手線では1年ほどという短期間の活躍で、その後は関西地区の京阪神緩行線などで活躍をつづけ、JR化後に奈良に転属して現在に至ります。ウグイス色をまとって山手線で活躍した103系が、再びウグイス色となって現在まで活躍しているということに何かの縁を感じますね。モハの車内です。化粧板や床が張り替えられ、明るい雰囲気になっています。座席の形状や網棚などは、国鉄時代からほぼそのままです。車番プレートです。JR西日本標準のゴシック体となっています。国鉄書体のものはなく、すべてこの書体のものに取り換えられているようです。(つづく)
2017.06.16
今年3月に関西(京都・大阪・和歌山)に行ってきました。その時に撮影した国鉄型電車を中心とする写真を掲載していきます。まずはJR京都駅で撮影した113系と117系です。まず撮影したのは湖西線の113系5700番台です。この編成はL05編成で、先頭車はセミクロスシート、中間車が転換クロスシートとなっています。5700番台は、113系の寒冷地仕様車である700番台をJR化後に改番したものです。700番台はスノープラウや半自動ドア(手動式)が装備され、同時期に製造されていた115系300番台に近い仕様となっています。(115系との違いは勾配対策が施されていない点です)また、最高速度を110km/hに対応させる改造がなされたことにより、5700番台に改番されました。このため、房総地区などの113系(0番台・1000番台など)とは仕様も印象も大きく異なります。それでも、2011年以来久しぶりに撮影した113系に大興奮でした。先頭車クハ111-5767(旧番号:クハ111-767)の車内です。原型のシートや支持部が白く塗られた鉄製の網棚が古さを感じさせます。化粧板や床の張替えが行われているので、JR東日本の車両更新編成のように車内は明るいです。シートモケットは茶色のものとなっています。車番です。ステッカー式となっています。中間車モハ112-5720(旧番号:モハ112-720)の車内です。大幅にリニューアルされており、223系に準じた転換クロスシートが設置されています。網棚や天井なども大きく異なっています。同じ113系とは思えないほどの変化に、正直驚きました。モハ113・112-5720の車番です。西日本では主流のタイプで、この他の国鉄型車両(103系など)でも同じ書体のものを見かけました。こちらは117系300番台です。117系は今回が初の撮影です。300番台は、元々京阪神地区の「新快速」などで使用されていた0番台を福知山線に転属させる際に、一部座席のロングシート化を行った車両です。この編成はS05編成です。今回は停車中の車両を撮影したのみなので、車内は撮影できませんでした。車体に表記された車番です。300番台は元々の車番に300が加えられているので、クハの旧番号はクハ117-10、モハの旧番号はモハ117-19となります。方向幕は、列車種別と行先が別々に表示されるタイプでした。
2017.06.07
関西エリアのJR最後を飾るのは関西本線(大和路線)の車両。写真は201系ND606編成です。関西本線で活躍する201系は、元々京阪神緩行線で活躍していた車両が転属してきたものです。このときに103系に合わせてウグイス色に変更されたため、201系で初となるウグイス色が誕生しました。国鉄時代になかった色なので大いに驚いた記憶があります。もしも山手線に201系が導入されていれば、首都圏でもウグイス色を見ることができたかもしれませんね。こちらはND607編成。奈良電車区のウグイス色の車両は、前面に白色の帯が入っています。これは、沿線の緑が多い風景に溶け込んで電車の接近に気づかないことを防ぐための措置で、国鉄時代は黄色い帯が入っていました。「大和路快速」で活躍する221系NB805編成。8両編成となっています。奈良電車区には221系が製造当初から配置され、現在に至るまで快速電車で活躍しています。撮影日:14.03.13/14.03.15
2014.04.30
天王寺では主に阪和線を撮りましたが、大阪環状線の電車も少し撮影しました。この201系LB15編成はUSJの新アトラクション「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」のラッピングが施されています。首都圏では見られない国鉄型電車のラッピング編成ですが、大阪環状線ではUSJのラッピングが施された201系が存在し、オレンジ色の車両が多数を占める中でひときわ目立つ存在となっています。側面にもハリー・ポッターのイラストが大胆にあしらわれています。ちなみに、環状線で活躍する201系はすべてリニューアル車となっています。こちらは103系SA1編成。SA編成は元々桜島線用だった6両編成を8両編成に組み直した編成です。大阪環状線で活躍する103系は高運転台クハを組み込む編成が多く、中間車も後期に製造された車両が多くなっています。201系の進出や老朽化などもあり、近年では103系は数を減らしつつあります。最後に撮影した103系はLA2編成。数は少なくなりましたが、オレンジの103系がまだまだ元気に活躍していてうれしいです。普段は「大和路快速」などの快速電車で活躍する221系が、環状線の各駅停車(環状運転)で活躍していました。これは環状線の新車を投入するに当たり、3ドアか4ドアのどちらにするかを見極める社会実験のようです。編成は奈良電車区6両編成のNC607編成です。2列の転換クロスシートが並ぶ221系の車内。この編成ではリニューアルが施され、内装が新しくなったほか225系などと同様の黄色い吊り革や手すりがあります。個人的に環状線の各駅停車は混雑するので3ドアの転換クロスシート車を入れるよりは、今までと同様4ドアのロングシート車を入れるほうがよいと思います。撮影日:14.03.15
2014.04.29
阪和線の快速、区間快速で223系とともに活躍する最新車両、225系5000番台です。編成はHF524です。225系は223系に代わるJR西日本の近郊型電車として開発され、安全性や快適性をさらに追求した車両です。阪和線用の5000番台はそれまで快速などに使われていた103系、113系の置き換えを行い、スピードアップや快適性の向上をもたらしました。現在は223系0番台、2500番台とともに快速、区間快速で活躍し、一部は関西空港線や紀勢本線へ乗り入れています。先頭車の車内です。223系0番台と同じく、1+2列の転換クロスシートが並びます。吊り革や手すりは視認性に優れた黄色いものを採用しています。また、JR東日本のE233系などでみられる液晶画面が天井に搭載されています。ドア上ではないのは転換クロスシート車だからと思われます。中間車はシートの配列が逆向きとなっています。車内の車番プレートです。223系と同様のものとなっています。ステッカーが主流の東日本と比べ、高級感がありますね。製造を担当した川崎重工のプレートです。撮影日:14.03.15
2014.04.29
阪和線で快速、区間快速などに使用されている223系0番台。写真はHE404編成です。この0番台は関西空港線開業にあわせて導入された車両で、前面のライトが丸いのが大きな特徴となっています。後年に増備された2000番台などは角形のライトを採用するため、0番台のみで見られる顔です。側面も2000番台などとは異なり、221系のステンレス仕様のような印象です。車内は1+2列の転換クロスシートが並びます。内装は暖色系で、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。ロングシート車が圧倒的に多い首都圏ではほとんど見られない光景です。車端部は固定式のクロスシートとなっています。車内の車番プレートはステンレス製となっています。撮影日:14.03.15
2014.04.27
阪和線の普通列車では103系とともに、205系も活躍しています。首都圏では横浜線、南武線、武蔵野線などの通勤路線で広く使われる205系ですが、関西圏では現在、阪和線のみの活躍となっています。写真は0番台のHI601編成です。0番台は国鉄時代に京阪神緩行線用として導入されたあと、阪和線⇒京阪神緩行線⇒阪和線と行き来を繰り返しています。しかし阪和線、京阪神緩行線以外の路線で使われたことはありませんでした。和歌山方です。0番台の帯色は元々スカイブルーで、阪和線⇒京阪神緩行線への転属で帯色が321系と同色(紺色とオレンジ)に改められましたが、阪和線に戻った時に再びスカイブルーになり、前面にオレンジ帯が追加されています。また、京阪神緩行線への転属時に車内がリニューアルされました。スカイブルーの205系はかつて京浜東北線でも活躍していましたが、209系の進出により短期間で消滅したため現在はここでしか見られません。私も今回初めて見ました。リニューアルが施されたクハ204-35の車内です。全体的に寒色系を採用して明るさを演出しており、東日本の205系のイメージとは大きく異なっています。全てのつり革が黄色になっているほか、手すりなども黄色くなり視認性がアップしています。また、ドア脇に独特な形状の仕切り板が設置されました。東日本の205系の車内です。(横浜線・クハ205-15)東日本ではこの車内が標準です。大きなリニューアルは施されておらず、優先席以外のつり革は白色で、床などは暖色系を採用するなど製造時の特徴を良く残します。座席の色が両方とも緑色なのは単なる偶然と思われます。クハ204-35のプレートです。リニューアルによってステッカーになっています。こちらは1000番台。編成番号は忘れてしまいました。1000番台は民営化後に製造された4両編成で、導入当初から現在まで一貫して阪和線のみで活躍しています。0番台と比べて前面窓が大きくなり、印象が大きく変わりました。0番台を見慣れているので少し違和感を感じます。時間がなかったので撮影はこの1枚のみです。205系は好きな車両なので次回はほかの編成も撮影したいです。撮影日:14.03.15
2014.04.25
最後に撮影した103系はHK609編成。この編成は両端のクハが高運転台車となっていて、内外装ともに大幅なリニューアルが施されています。編成だけでなく車両ごとに異なる特徴を見せる西日本の103系は、見ていて本当に飽きません。和歌山方です。ライト周りや行先表示機周りの処理が異なっています。中間車モハ102-2041の車番です。モハ102のみに見られた2000番台(実際は0番台)ですが、これは仕様変更によるものではなく試作車の900番台や千代田線直通用の1000番台などとの番号の重複を防ぐための措置で、899まで製造された後はいきなり2001に飛んでいます。それだけ103系が大量に製造されていたことを示しています。こちらも大幅なリニューアルが施され高運転台のクハを組み込む編成ですが、編成番号が不明です。スカイブルーの103系を本当に久しぶりに見る(西日本車は初めて)ことができて嬉しさでいっぱいでした。103系は年式やリニューアルの程度などの細かな違いも多く、見ていて楽しかったです。撮影日:14.03.15
2014.04.22
天王寺方に高運転台のクハを組み込む103系HK608編成。リニューアル工事で前面窓が1枚になっていますが、スカイブルーの高運転台ということで103系末期の京葉線を思い出しました。元は大阪環状線などで活躍していた車両でしょうか?小さな子どもも103系を撮っています。和歌山方は低運転台です。こちらも前面窓が1枚となっていて、リニューアルされていない車両とは印象が異なります。和歌山方のクハ103-244の車番です。国鉄書体ではなく、西日本オリジナルの書体となっています。知識が乏しく詳細はわかりませんが、リニューアル工事にもいろいろと種類があるようでこの編成の窓や屋根は比較的原型を保っているように思います。撮影日:14.03.15
2014.04.21
3月13日から15日にかけて、大阪へ行ってきました。ほとんど観光をしていましたが天王寺駅などで電車の撮影も少しばかり行いました。特に見たかったのは現在もスカイブルーの103系が活躍する阪和線で、かつて京浜東北線や京葉線で活躍していたスカイブルーの103系をぜひもう一度見たいとずっと思っていました。写真は103系HJ402編成です。両端のクハは低運転台車となっており、関東地方出身者にとって低運転台の103系は「懐かしい」の一言です。独特な雰囲気の天王寺駅ホームに馴染んでいますね。乗車する人が意外に多くて車内の撮影ができなかったことが悔やまれます。戸袋窓のない側面は未だに違和感がありますが、西日本らしくていいと思います。この編成では中間モハがリニューアルを受けていて、車番のフォントが異なります。個人的にはやはり国鉄書体が好きですね。先頭車クハ103-166の銘板。「日本国有鉄道」の銘板が残っています。昭和45年(1970年)、今はなき東急車輛大阪製作所(旧・帝国車輛工業)の製造です。撮影日:14.03.13
2014.04.18
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